甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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狩人の夢のお茶
狩人の夢に置いてある茶葉。
ヤーナムあるいはヤーナムの外から集められた茶葉は、
ネフライトとテルミが集めた物だ。
彼らにとってお茶とは、喉を潤す飲料ではなく、
余暇を味わい尽す娯楽なのだ。



理解のある犠牲者

(ああ、情けない。死んでしまった)

 

 クルックスは思索のなか散らばった記憶を掻き集め、再構成した。

 どうも死んだ前後の記憶は、曖昧かつ物事の筋道を失いやすい。そのため記憶の整理には時間がかかるものだ。

 なぜ記憶の整理が必要なのかと言えば、反省するためだ。

 死を招くに至った行動が何であり、次はどう動けば免れるのか。または、敵を殺すことができるのか。

 

 セラフィが死んだ場合は数秒で現実に復帰するらしいが、クルックスは数分かかることがあった。ネフライトなどもっと時間がかかる。数十分戻ってこなかった時は、父たる狩人に三分ごとに「本当に大丈夫ですか?」とお伺いに走ったこともあった。

 

 そして、今回。

 

(獣の死体の罠にかかった後、レオー様に呼び止められて、話を聞いて、依頼を受けて……解放されると思ったら、鴉に後ろから刺された。あれ? 記憶はこれで正しいのか……? 行動を省みても鴉に後ろから刺される理由は特に無いような……?)

 

 記憶の細部が蘇ったところで目を醒まそうと思った。

 反省するとしたら罠にかからず、話を聞かない──という選択しか思いつかなかった。今後はもっと足下に気を付けることにしよう。

 苦々しい思いと共に目を開いた。

 

「え?」

 

 視界にはビルゲンワースの自室の暗い天井があるハズだ。

 しかし、彼が目覚めたのは大きな月が照らす狩人の夢だった。

 

「なぜ俺は、夢に……」

 

 かつて月の香りの狩人が、獣狩りの夜の狩人だった頃。死んだ時点まであたかも時間が巻き戻っていたように感じられたという。死んだことが夢になるのだ。ならば歩いた道も倒した獣も全て夢になるのだ。

 しかし、今は聖杯を除き、時間が巻き戻ったように感じることはない。これは獣狩りの夜の狩人であった頃の彼とクルックス達の明確な差異だった。

 レオーとアルフレートはどちらが勝ったのだろう。どちらがどちらを殺したのだろう。射手の妨害があったようだが、射手を追ったのは状況的に鴉だ。では、鴉は射手を殺しきったのだろうか。

 

(市街へ戻らなければ──)

 

 よろよろと立ち上がったクルックスは、首がしっかり繋がっていることを確認した。

 

「小さな狩人様」

 

 涼やかな女性の声に導かれ、クルックスは頭を巡らせた。

 

「あれ、人形ちゃん……?」

 

 同じ枝葉の隣人たるセラフィによく似た、とある麗人を模した人形がそばにいた。

 そして、彼女は跪くとクルックスへ趣のある封筒を差し出した。

 宛名には『クルックスへ』と書かれている。

 そして。

 

「狩人様からです」

 

「お父様から? むむっ。俺の手記を読んでのことだろうか? ……いいや、これは違う気がするな」

 

 クルックスは狩人にガスコイン神父の娘のことを報告すべく夢の中に手記を残していた。読んだ後の手記は消えるが、今も定位置に手記が置いてあったので狩人は夢に戻っていないのだろう。

 

「人形ちゃん、この手紙はいつお父様から受け取ったのか。あー。覚えているだろうか?」

 

 狩人の夢は、朝もなければ昼もなく当然のように夜もない。

 そもそも相手は人形だ。人間のように振る舞うことから、クルックスは彼女のことを器物と感じることは少ない。しかし、彼女が持つ感覚はしばしばクルックスにとって不可解を感じることがあった。

 

「とても最近のことです」

 

「そうか。ありがとう……」

 

 この手紙が書かれたのは昨日なのか、数ヶ月の出来事なのか、はたまた三年前の出来事なのか。やはり分からなかった。クルックスは中身を開けて確認してみることにした。

 父たる狩人からの手紙曰く。

 

 この手紙を読んでいるということは、君がヤーナムのどこかで『死んだ』ことを意味する。

 我々は忘れがちであるが、常識として、死者は蘇らないものだ。

 よって、狩人の夢で謹慎するように。

 

「ええっ!? そんなっ……!?」

 

 連盟の活動はどうなるのか。ビルゲンワースの学徒には、もう二度と会えないということか。

 混乱と呆然が交互に訪れて狼狽えるクルックスは、そのうち手紙の二枚目があることに気付いた。

 食い入るように文字を読んだ。

 

 君が死ぬということは、理不尽な目にあったか、自害せざるを得ない状況か、誰かを庇ったかだろう。

 その事情を俺はまだ理解しない。

 ともあれ、次の夢まで一回休み。

 

「あ、ああ……よかった」

 

 聖杯もお休みだ。英気を養うといい。

 ただし、何事にも例外は存在する。

 私は、3本目の四本目を忘れていない。

 

「あ、え? 何だ? 3本目の四本目? 何の何が何本で何本目が何本目だって?」

 

 クルックスは二枚の手紙の裏までめくったが、そこには何も書かれていなかった。

 どうやら永遠に狩人の夢に留め置かれるワケではないらしい。

 安心材料が与えられると最後には疑問が残った。

 ──3本目の四本目。

 ヤーナム広しと言えど難解な言葉だ。

 

 無理矢理に読解してみる。

 何かの3本目が四本ある、そのうちの四本目──という意味になりそうだ。

 しかし。

 

(3本目のなかに四本目の何かがある、と読め、なくも、ない、気がする)

 

 クルックスは唸った。推理には自信がない。

 狩人は、ときおり怪しげな言動をしている。その全てがクルックスには理解のできないものだ。

 

(その癖が文言にも現れたのだろうか。しかし、3本目……? 四本目……?)

 

 どこかで見聞きした覚えのある言葉だ。

 だが、本当に自分の記憶だったのだろうか。

 クルックスには、不整合な記憶がある。訪れたことのない場所の記憶を知っているのだ。

 

(例えばヤーナムの潮騒。黄昏の海は、俺の知らない記憶だ。では、この3本目の四本目もお父様の記憶。それによる既視感なのか? それともどこかで……? 俺が忘れているだけで……?)

 

 悩んだが果たして分からなかった。ネフライトのように完全記憶能力を持っていれば違う答えも得ることができただろうが、ないものねだりをしても仕方がない。しばらく、3本目の何かを見つけたらそれを覚えておこうと思う。

 クルックスは手紙を衣嚢にしまった。

 

「ありがとう、人形ちゃん。しばらく……そうだな……倉庫の掃除をしていよう」

 

「はい。工房には、小さな狩人様がいらっしゃっています。一番背の高い、小さな狩人様です」

 

「セラフィか。……セラフィがいるのか。そうか。そうかぁ……そっかぁ……」

 

 クルックスの頭には、無駄死、という言葉が浮かんだ。

 緩い階段を登り、古工房の扉を開く。そこには人形の言うとおりセラフィがいた。

 手記を開き、何事か書き込んでいた彼女はクルックスを見て手記を閉じた。

 

「やぁ、久しぶりだ」

 

「何をしていたんだ、貴公。カインハーストに戻らずに。レオー様がたいへん心配なさっていたぞ」

 

 そのせいで──など、愚痴になりかける言葉を何とか飲み下すためにクルックスは顔を顰めた。『おまけ』で殺されたとは言えない。クルックスはセラフィもレオーも憎みたくないからだ。彼は首を振ると何でもない風を装い、テーブル近くの椅子に浅く腰掛けた。

 

「レオー様が? ──しまった。お手紙を失念していたな。また鴉羽の騎士様に怒られてしまう。ああ、僕は僕でいろいろとね。独りで学ぶこともあるのだ」

 

「それはそれは結構なことだな。市街探索はもう満足したのか」

 

「レオー様に聞いたのだね? 市街探索は順調だ。しかし、テルミほどではないが、ひょっとしたら僕も方向音痴なのかもしれない。想定よりも時間がかかってしまっている」

 

 セラフィは「やれやれ」と肩を竦めた。

 だが、妙に話がすれ違っているように感じるのはなぜだろうか。

 

「市街では何を? 探索とは言ったが、ただ街を歩いているワケではないだろう。観光でもない──」

 

「ただ歩いているだけだよ。市街の町並みを覚えるという目的ならば、だいたい達した。カインハーストに帰れる程度には」

 

「……。そうか」

 

 セラフィは、嘘は言っていない。

 真実の全てを語っていないだけだ。

 

 さて。「世の中のたいていのことが、どうでもよい」と語る彼女が努力を惜しまない対象は二つほどあるとクルックスは感じている。それはカインハーストと自分の顔の由来らしい『時計塔のマリア』のことだ。そして今回は後者であろう。

 

「今宵、射手の狩人を見かけた。昨年から存在する恐らく悪夢から還ってきた狩人だ。──君は知っていたな?」

 

「ああ、知っているとも。レオー様と僕をうっかり殺し損ねた射手だ」

 

 ──やはり。

 クルックスは内心で歯噛みした。

 情報を丁寧に整理していれば、もっと早く気付けたことだ。

 

(いかな不意を突いたとして対人戦闘に優れたカインハーストの騎士を殺すことは難しい。可能性があるとすれば、そう、索敵範囲外からの射撃ならば、射手ならば、殺しきれた。あの弓剣の射程は銃より遠くまで射ることができる。同じ距離を銃で撃とうとすれば貫通銃しかない。しかも命中率は散弾銃より悪い。優れた射手ならば敵意を悟られるより前に射殺せた。それが悪夢から戻ってきた狩人であれば勝率は高い。昨年のレオー様や鴉は、まさかこれまでのヤーナムに存在しなかった射手に狙われているとは考えもしていなかっただろう)

 

 疑い深ければ、あるいは、察しが良ければ、最も早くて昨年の時点で気付くことが出来た。

 聖杯のなかでセラフィと交わした会話を、直前で罠にかかって死んでしまったネフライトが聞いていたら疑問を投げかけたことだろう。「『獣の皮をまとった御仁に助けられました』と君は言うが、何によって危機に陥ったのか聞いていない」など追求したことだろう。彼ほどの聡明さが自分にないことが悔やまれる。そして、セラフィは自分が持つ程度の謙虚を持つべきだと思った。

 セラフィは、クルックスを真正面から見つめた。

 

「彼を見かけたのか? どこで? とても気になるな」

 

 手記をしまった後で。

 姿勢良く座るセラフィは礼節を保っているが張りつめた雰囲気があった。

 それはクルックスが口を開かなかったことでいっそう強調された。

 

「おや? 君は、僕に教えるために戻ってきてくれたワケではないらしい。不本意な顔をしている」

 

「ああ、ヤーナム狩人社会の洗礼を受けたという気分だ。やはり敵対関係の隙間に入り込むものではないな。だが、そんなことはどうでもいい! このことをお父様は知っているのか? 報告は!?」

 

「していないよ。お父様は僕らに市街のあれこれを教授していないのだから、僕らも報告をする義務はないだろう。お父様は、僕に獣の皮を被った男の情報をくれなかったからね。与えられていないものについて返すのはおかしな話だ。これでは釣り合いがとれない。僕らは各々がそれぞれの耳目で探索を済ませるべきだ。そうだろう?」

 

「無責任だ! 急を要する案件だったらどうする!」

 

「今さらヤーナムに急ぎの案件があるとは思えない」

 

「その万が一が起きてはいけないから、俺は案じているんだ……!」

 

「そろそろ口を慎んだ方がいい、クルックス。僕も等しく君を案じているのだ。射手の存在は、お父様が平常通りに市街で狩りをしていれば気付けるものだ。──君こそ、お父様の怠慢癖を責めているように聞こえる。きっと僕の気のせいだろうね?」

 

 鋭い目で彼女はクルックスを見つめた。だが追い詰めたのはクルックスで、追い詰められたのはセラフィだ。その証拠に彼女の発言は、痛いところを突かれたという証明だった。

 論点のすり替え、そして責任転嫁。雑な物言いだったが、単純さは時に多弁に勝る。クルックスが冷静であれば、それを指摘して、この話は別の方向へ進むことができただろう。

 だが、セラフィの反撃はクルックスに効果てきめんだった。

 

「ち、ちがっ、違う、俺は……」

 

 クルックスは、目と言葉を迷わせた。

 怠慢癖とは酷い言い様だが、今日ばかりは否定できそうにない。むしろ彼は否定したくない気分に傾いていた。

 今夜のクルックスが哨戒していた場所は、狩人が普段歩いている区域の境界だった。もし、彼が平常通りの哨戒をしていたらカインハーストと処刑隊が出くわすなんて凶事は起きなかったかもしれない。そして、それさえ起きなければ今日自分がレオーに殺されるなんてこともなかったハズだ。

 

 あり得た可能性がチラと思考を過ぎる。

 すると、もう、ダメだった。

 クルックスは弱々しく顔を両手で覆った。

 

「違う、違うんだ。決してお父様のことを責めるつもりは……ただ……俺達はどうしても間が悪いことが多いから、だから、だから……些細なすれ違いが、最悪を招くような……そんな気がしている、だけなんだ……」

 

 セラフィは、薄く笑った。

 

「まぁ、君も好きにすればいいだろう。誰も咎めまい。このことをお父様に伝えて『恩を売って』おくのも悪いことではないだろう。僕は直接伝える方法を選ばなかったが、何もしていないワケではない。射手の存在を知る者は他にも存在する。獣の皮を被った男も知っていることだ。昨年、僕とレオー様をさんざ追いかけ回した追手を引き受けたのは彼なのだから。お父様が彼と交渉していて子細を聞けば、それで済む話でもある。医療教会『側』の狩人と友好的な関係を結べていれば情報交換程度はできるだろうからね。わかるかな? 射手の存在は、お父様が知らない方がおかしい情報だ」

 

「そ、そうか……! では、大丈夫。きっと、大丈夫だよな。……ああ、ブラドーは敵ではないと言っていたし……」

 

 クルックスは、そこまで考えるとようやく落ち着いて椅子に座り直すことができた。

 セラフィも同意した。

 

「……。大丈夫だろう。お父様も気を配っている類いの話だ。──それで? 今夜の射手はどこにいたのかな? 以前は屋根の上だったが」

 

「屋根の上。そうか。どうりで獣の後頭を射られるワケだ。しかし、凄まじい手腕だな」

 

「射手はどこに? どこで見たのかな?」

 

「ん、ああ。東の──」

 

 クルックスは、セラフィに住所と目印を伝えた。

 ふむふむ、と興味深そうに彼女は頷いた。

 熱心な彼女を見ているとクルックスは罪悪感を覚えた。

 

「……しかし、うーん、生きているとは、とても思えない。流血鴉が、鴉が、いいや、君に倣って俺も今後は『鴉羽の騎士』と呼ぶことにしよう。今宵は鴉羽の騎士が追った。だからとてもではないが生きているとは……」

 

「なんと。死ぬところを見たのかい?」

 

「そういうワケではないが……」

 

 その前にクルックスは死んでしまったので、見ていない。だが、市街で死んだことをセラフィに伝えるのはレオーのことを思うと気まずいものだった。

 

「……もし射手が逃げているならば、下水に逃げたかもしれない。正確には街の下方に広がる暗渠や下水、というか汚水溜まりなのだが……。鴉羽の騎士が屋上を飛ぶならば地下のことは詳しくないだろう。それに入り組んでいるから地形に詳しければ高低差で撒けることもある、かも、しれない」

 

「よし分かった。行ってみよう」

 

 もう言葉は不要になったようだ。

 彼女は椅子に掛けていた外套を掴むと目深にトリコーンを被る。そうして古工房を出て行こうとした。

 テーブルにはネフライトの報告書類と一緒に便箋が置いてあった。書き損じたいくつかを見れば、狩人がカインハーストの女王様宛に熟考を重ねた努力が見える。それを見て閃いた。

 セラフィを追うように扉を開いたクルックスは、地上への移動するために歩く彼女に声をかけた。

 

「セラフィ。探索するのは構わない。用件が済んだら必ず狩人の夢に戻って人形ちゃんと会ってからカインハーストに戻ってくれ。手紙を作って人形ちゃんに託しておく。忘れないで受け取ってくれ。──伝えたからな」

 

「あとで必ず果たすとも」

 

 セラフィは、去った。

 ただの古工房が残った。

 

「はぁぁ。すこし……疲れた、な……」

 

 クルックスは、疲れ切った体を自覚した。

 心の疲労とは、体にも現れてくるものだと知りつつある。

 

 初めてのことだった。

 少なからずの好意を抱いていた人物から殺されるなんてことは。

 

 今夜の出来事は『連盟員だから殺す』などのありふれた出来事であれば、胸のなかのもやもやとした蠢きも少なかっただろう。だが、現実はそうではない。

 偶然そこにいた処刑隊の狩人を挑発するためだけに殺された。

 レオーは市街の狩人ならば、誰でもよかったことだろう。──クルックスではなくとも。

 

(あの人は……俺のことが大切だと……思ったのに)

 

 息する死体程度の存在だった自分を蹴飛ばしてそれきりにすることも出来ただろう。どうせ内臓を貫かれていた。長くない命だった。だから、わざわざレオーが手を下すこともなかったハズだ。誰に殺されたかは処刑隊の彼にとって明白であり、わざわざ目の前で再確認させる理由は薄い。むしろ隙が出来る悪手だった。──あるいは、自分がそう思いたがっているのか。

 

 気付くとこのことばかり考えてしまう。

 彼と出会う前には存在しなかった思考に出会ってしまうと身動ぎする気力も起きなかった。

 彼は、父としての狩人や兄姉としての学徒ではない初めての大人だった。クルックスの出自や存在の秘密を知っている貴重な存在であり、初めて個人として見つめられたような気がした。長い夜の辛苦に寄り添うことが出来た気がした。──自分だけを見てくれた時間のことをクルックスは大切に思っていた。

 

 独りよがりな考えだったのだろうか?

 いいや、そもそも、たかが一度死んだくらいでいったい何を落ち込んでいるのか。

 自分に問いかけて奮起させてみようとしてもうまくいかない。

 

「…………」

 

 ──悲しい?

 ──痛い?

 ──苦しい?

 

 どれも相応しくない感覚だ。

 しかも混然としていて、ひとつも明確になっていない。感情の輪郭も分からない。それなのに存在感だけは排除しがたく胸にあり、体に重たくのしかかってくる。

 誰かのせいにできれば簡単だ。それでも、クルックスはレオーもセラフィも嫌いになりたくないのだ。

 レオーから受けた、くすみない好意は真実だ。彼を嫌ってしまえばあの時間まで嘘になるような恐ろしさがあった。

 だからこそ落ち込みは深い。

 彼は傷ついた獣がそうするように目を閉じて過ごすことにした。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 じっとしてるうちに眠り込んでしまったらしい。

 狩人の夢は静かで暖炉は心地よい火をいつまでも焚いている。

 意識が浅層を漂う。眠気はないが、目を閉じて眠っているとややこしいことを考えずに済む。自覚して眠りに逃避しようと試みる。わずかに身動ぎし、すっかり固まってしまった首をほぐすように回した。

 その時だ。

 

「眠っていていいぞ。こどもは寝るものらしいからな。特に君は夜に働き過ぎだ。……働かせている俺が言うのは心苦しいことではあるがな」

 

 クルックスは、目が覚めた。

 

「お──と、う、さま!」

 

「結局目が覚めてしまったな」

 

 眠りで色褪せていた考え事は一斉に鮮やかな色彩を取り戻す。

 クルックスは何から伝えるべきか分からずにただ口を開閉した。

 セラフィが座っていた椅子には、父たる狩人がいた。彼の手にはクルックスが書いた手記を持っている。

 

「それは。そうだ! 俺は、ガスコイン神父の娘さんのことでお父様に──」

 

 彼女のことを口にする。その時。狩人が痛みを含んだ目をしたことにクルックスは気付いた。初めてではない。その目は知っている。テルミを見つめる目だ。そして、遠くからガスコイン神父の娘を眺める目である。

 クルックスは事情と経過の全てを話したが、狩人は多くを語らなかった。

 

「……放っておけ。ただの残り香だ」

 

「分かりました。これまでどおり。いつもどおり。……それでいいんですね?」

 

「私達が対処すべき事態は起きていない」

 

「では、俺もそのように。……ああ、よかった……」

 

 異常事態ではないと断言してもらえたのは、クルックスにとってありがたいことだった。

 

(レオー様が「殺しておけ」と嗤ったのは、彼にとってヤーナム市民の命はゴミクズ程度の価値しかないからだ。そうだ。そうに決まっている)

 

 カインハーストと月の香りの関係者以外には等しく価値が無いと思っているレオーが、今回ばかりは間違っていたのだろう。

 クルックスは、ひとつ問題が解消した気分になった。

 

「クルックス、報告ありがとう。私はガスコイン神父の娘さんを見守ってはいるが、いつも遠眼鏡越しだったからな。気付かなかった」

 

「これからも何事かあれば報告いたします。……ヘンリックさんから言われたのですが、俺はどうやら世間知らずのようです。お父様にとっては些細な問題を報告するかもしれません。ご容赦を」

 

「構わない。現在のヤーナムは何度も繰り返しているが時に変化がある。君がいることで変わることもあるだろう」

 

「……? お父様は変化をお望みなのですか?」

 

「時と場合によるな」

 

「…………」

 

 今夜聞いた、その言葉はクルックスにもう一つの問題を思い起こさせるには十分だった。

 狩人はテーブルに置かれたカップを手に取った。

 

「それで不貞寝の理由は? まだ地上は夜だろう。てっきり市街の哨戒に行っていると思っていたが」

 

「不幸な行き違いがあって……俺はあまり悪くないと思うのですが……」

 

「何があったんだ?」

 

「結論を先に述べると、俺は鴉の勘違いで殺されてしまいました」

 

「あー」

 

 狩人の反応は薄い。

 甘いハズの紅茶を啜っているというのに、彼はコーヒーを濃いめで飲んだ顔をしている。

 ──そういうことは、ままあるよね。

 彼は本音のところでは手っ取り早くそう言ってしまいたいのかもしれない。

 

「その後、この夢で目覚めたのでお父様に手紙を人形ちゃんから受け取り、待機していたところです」

 

 クルックスは握っていた手紙をヒラヒラと動かした。

 彼は「ああ、その手紙」と存在を思い出したようだった。

 

「君の感覚で三年ほど前に書いたものだ。いくつか条件があるが君の場合は人目のある場所で──例えば、市街とかな──死んだ場合、夢に直送されるようになっている。他の三人にも同じ手紙を作成している。文面は少々違う物だが、テルミならば医療教会上層、ネフならばヤハグル、セラフィは君と同じように市街で死んだ場合にこの夢に送られてくる。手紙は人形ちゃんに渡していたが……まさか、もう渡すことになるとは。ご苦労。大変だったな。……それで勘違いとは何だ?」

 

「事の発端は、セラフィがカインハーストを留守にしていたことです。それを心配したレオー様がセラフィの居場所を知っているだろうと期待して市街で俺を捕まえました。そして『セラフィを見かけたらカインハーストに顔を出せ』と伝言を預かったのですが、その後に、鴉から後ろからグサッと」

 

「ん? セラフィのことは棚に上げるとして。鴉は、レオーとクルックスの話を聞いていたのではないか? 直前に別行動していて……合流したとか?」

 

「そもそも俺を捕まえたのは鴉でレオー様とのやりとりを最初から最後まで聞いていたハズだったのですが、俺の縄を解くようにレオー様が『やれ』と言ったら、こう、グサッと」

 

「ああ、なるほど。曖昧な命令に対し自己裁量で判断した結果『ぶっ殺そう』ってなったのか。やるかやらないかで考えれば、やりそうだが」

 

「でも、トドメを刺したのは、レオー様でしたね」

 

「レオーまで何やってるんだ」

 

「偶然、アルフレートさんとバッタリ出くわしてしまって挑発のために俺の首をかっ切っただけです。恐らく他意はないかと」

 

「こっちもやるかやらないか考えれば、やりそうだ。だがアルフレートか……。処刑隊を前にレオーの殺意が振り切るのも無理はない」

 

 狩人を困惑させることは、誰にでも出来ることではない。

 まして付き合いの長いヤーナムの狩人であれば尚更のことである。

 

「クルックス、その、なんだ、『間が悪かった』というものだな」

 

「お言葉ですが、八割くらい鴉が悪いと思います」

 

 狩人も苦しい慰め方だと分かっていたのだろう。彼はソッと視線を逸らした。

 

「そうだな。すまない。間が悪いという考え方が便利すぎて最近は多用しすぎる気がする。しかし、どう考えても刺さないだろうって場面なのにいったいどういう了見で刺したんだろうな。レオーもビックリしただろう」

 

「指示を出した本人が俺よりビックリしてましたね」

 

「そんなことになったら俺だってビックリする。その後、自分が殺すあたりレオーも難儀なヤツだが……。ふむ。『気にするな』と励ましてもいいだろうか? 学舎ではレオーと仲が良かっただろう。顔色が悪いぞ」

 

 クルックスは、自分の頬に触れた。顔色は勿論わからない。

 労るように細められた狩人の目を見ると名前の分からなかった感情が薄まっていくのを感じた。

 

「すこし驚きました。……でも、レオー様の憎しみの一片が理解できました。俺には想像できない長い夜だというのに……とても鮮明な憎悪だと思いました」

 

 彼の言葉を信用すれば一五〇年以上、医療教会ひいては処刑隊を憎み続けていることになる。

 クルックスの貧弱な想像を軽々と超える精神だ。

 ほんのすこしでも心を通わせたと思えていたからこそ、彼の憎しみはレオーへの理解を失わせてしまうものだった。夕暮れは、どこから夜に変わってしまったのだろうか。クルックスにはまったく分からない。

 

「俺にもよく分からない。だが、それが彼の愛なのだろう」

 

「憎しみが? なぜですか?」

 

「俺に愛は、まだ難しい。しかし、あらぬ誤解や要らぬ不安を抱かせたままでは……いやいや、ヤーナムの過去を開示していない私が言うことはないが……」

 

「おっしゃってください。……俺は分からないままにしたくない」

 

 狩人は「ふむ」とひとつ呼吸を置いた。

 そして。

 

「俺が思うに彼の憎しみは、ただの結果なのだろう。……彼はすこし惚れっぽいというか。好きなものにはハッキリ好きと言う、愛情深い男だろう」

 

「ええ、それは……分かります」

 

 率直な好意を伝えてくる大人の人物は初めてのことだったのでクルックスは初めて会って大いに戸惑った。けれど、親愛に類する温もりは心地よいものだ。傷のある手のひら。穢れた熱い血の流れる体。何もかもが新鮮で、頭の奥が痺れる体験は初めてだった。夏休みの素晴らしい思い出の一頁として記憶は真新しい。

 

「そんな彼がこよなく愛するカインハーストの一族。彼らを殺した処刑隊を憎むのは当然だ」

 

「でも一五〇年以上です。ただ一つの信念が、今も駆り立てているのですか? それは……まるで囚われているようで……」

 

「実に心痛む話だ。そして耳が痛む言葉でもある」

 

 狩人は、目を逸らした。

 あまりに自然でクルックスは彼の言葉の意味を深く理解することが出来なかった。

 

「ただ一つの信念。たった一つの願いのために、数多の狩人は夜に駆けた。あるいは血に溺れたことだろう。辿った道こそ違えど俺もレオーもそれだけは違わないのだ」

 

「…………」

 

「俺にはレオーの気持ちがよく分かる気がする。自ら望んで愛に殉じているのだ。人の想いは、意志とは、遺志は、永遠だ。それが愛ゆえならば尚更のことだ。愛の生まれは古い。ゆえに常に新しい。血を流して愛し続ければ、憎しみも乾く暇がないことだろう。……私達には、まだ難しいことかもしれないな。クルックス。彼は憎悪に囚われているように見えるか? 俺には愛に囚われているように見える」

 

「……では、きっとあの人の憎悪は愛と等しく温かいものでしょう。それも甘いものに違いない」

 

 愛と憎しみが表裏ではなく、度合いの問題であるとクルックスは認められない。

 それでも、こうして狩人と言葉を重ねていると理解が及びそうになるのだ。

 きっと父たる狩人や『きょうだい』を誰かに奪われたら、その情が攻撃性を帯びることは幼い自分にも想像が出来てしまうからだ。

 狩人は、フッと薄い笑みを浮かべた。

 

「愛に囚われているのならば、それを解くのもまた愛なのだろう」

 

 クルックスは、彼の言葉について長く考え込まなければならなかった。

 やがて、ハッとして彼を見返した。

 

「──セラフィですか?」

 

 狩人は妙な顔をした。

 きっとクルックスの質問は予想できただろうに、いざ問いかけられたら驚いた顔をした。

 だが、彼はすぐに取り繕った。

 

「さぁ、分からない。しかし今のヤーナムに良いところがあるとすれば、こういう時だろうな。……彼がいつか自分を省みて自分を愛せるようになるかもしれない。セラフィがそばにいることで何かが変わることもあるかもしれない。それに鴉が突然まともになるかもしれない」

 

「願うだけならば自由ですからね。でも三番目は、ちょっと、たぶん、いえ、絶対ありえないと思いますが」

 

「でも人間だから上位者の想像を超えてくれるかもしれないだろう? 私は、だいぶ、いや、すこし、ちょっと、ほんのちょっと期待しているのだ」

 

 期待にしては値が小さすぎると思ったが、それでもゼロよりはマシな数字には違いない。

 クルックスは、ようやく椅子の背もたれに深く腰掛けることが出来た。

 

「最後に確認です。お父様。この件について、お父様は誰も咎めないのですね?」

 

「咎めるつもりはない。ただ、君が望むならば無いよりマシの書状を作成する。カインハースト宛てだ。作った方がいいだろうか?」

 

「いいえ。俺は事を荒立てたくありません。この話も内密にしていただけば……」

 

 今回の出来事が、月の香りの狩人とカインハーストの関係に悪い影響を及ぼすのではないかと思っていたが、狩人にそのつもりはないようだった。……鴉は悪いことをしたとも思っていないだろうから、こちらは問題ないだろう。

 

「ひと言くらい何かないのか? 今度、鴉に出会ったらチクリと言う心算ではあったが……」

 

「お父様の手を煩わせるほどではありません。俺がセラフィを介してお二人に伝えます。今は思い浮かびませんが、そのうち……差し障りのない言葉を添えて」

 

 クルックスは、あと数時間もすれば再び立ち上がれると思えた。

 今夜のうちに狩人に出会えたことに感謝したが、同時に思い出すことがあった。

 

「お父様、今夜はどちらに?」

 

「ああ。……すこし悪夢を見回りに、な」

 

「俺達がまだ行ったことのない悪夢があるとは知っていましたが、お父様が見回るほどの対応が必要なのですか?」

 

「『異常なし』を確認することも大切な仕事だと思っている。異常に気付くのには早い方がいいからな」

 

「……ここのところ市街で見かけませんでしたから、一通り見回った後はお戻りになる方がよろしいと思います」

 

「珍しい。勿体ぶった言い方をするのだな」

 

 クルックスが落ち着いたところで狩人は空いていたカップにポットの紅茶を注いだ。

 揺れる水面を見れば、曖昧な顔をする自分が映っていた。

 

「市街の『異常なし』を確認することも大切な仕事だと思います。……出過ぎたことを言っているとは、承知なのですが……」

 

「気にするな。そろそろ戻る予定だった。長のご機嫌伺いにも行かなければと思っていたからな」

 

「……ああ、それはちょうどよかった。いつ伺いますか? 俺も同行します」

 

「同士が真面目で俺の鼻はもう高くならないよ」

 

「いえ、長に報告をしないといけないことがあります。お父様にはもう報告していましたが、ええ、外の世界にも虫がいたのです! 長の言うことはやはり正しかった! まずはヤーナムを綺麗にしてからですが……いずれ外も綺麗にしましょう。人の淀みを根絶させ、綺麗な朝を迎えられるように。そうでしょう、お父様」

 

「ああ、君の手紙にあったな。……はぁ、世の中、どこもかしこも淀んでいるのだなぁ。ヤーナムほどの土地はないと思っていたのだが……なんとも気が滅入ることだ……」

 

「ええ。人心が淀んでいるのでしょう。ヤーナムだけが特別な土地ではないということでもあります。連盟員の仕掛け武器は血の乾くことを知りません。あ、手入れはしっかりしないと。それで、いつ行きますか?」

 

「待て待て。市街で死んだ人がうろうろしていたら問題だ。当分は夢で待機だ。武器の手入れと倉庫の片付けをしたまえ。後ほど君の学習道具を持ってこよう。三人より先に学校の課題に取りかかるといい」

 

「でも、でも、お父様、聖杯なら、聖杯はお許し願えませんか……? 今回は不慮の事故と言うことで……」

 

 クルックスは、言い募ってみることにした。

 死んでも市街ほど問題にならない聖杯ならば、と。

 そう思っての試みだったが、狩人は首を横に振った。

 

「狩りならば別の機会を与える。私が早く市街に戻るために君にはすこし働いてもらおう。それまでは夢で大人しくしていることだ。ビルゲンワースの学徒には俺から事情を伝えておく。狩人の休息は、瞬きの時間だ。せめて穏やかに過ごしたまえ」

 

「あぅ。俺に休息はいらないのに……」

 

「女王様が喜びそうなことを言うものではないぞ。特に今年の俺の前で言っていい台詞ではない。今年ばかりは、とっとと寝たい気分になっているからな……」

 

 狩人は、そう言ってお茶を飲んだ。

 クルックスは、この時になって初めてネフライトが夢に持ち込んだ眠気覚ましハーブティーであることに気付いた。




理解のある犠牲者
理解のある彼
 クルックスは、レオーもセラフィも嫌いになりたくないので事を荒立てることを望みませんでした。ほんのすこしの憎しみは、夏休みの温かい記憶を塗り潰すほどではありません。ただ、あまりにレオーに都合がよく、いい子ちゃん過ぎる思考に思わず狩人も気が咎めました。

セラフィの詭弁
 平時のクルックスであればセラフィの発言のさまざまなところを「それはおかしい」と指摘できたかもしれませんが、死ぬほどの苦痛と実際に死んだ後で心に余裕が無いので言いくるめられました。ちょっと理屈あることを話すと「そ、そうか……!」と言ってしまうクルックスは、こういう場合に特に危うい存在です。四仔の利用したりされたりの関係を考えているネフライトの厳密さを見習うべきなのかもしれません。

3本目の四本目
 英数字と漢数字が混ざっているのは仕様です。誤字ではありませんので念のため。
 ゲーム本編をやったことがある人はご存じ、ヤーナムにおいて3本目の○○○○は全部で四本あります。三本でも四本でも同じことならば必要な数は三本であったと言えるでしょう。ところで、本作において余剰の四本目はどこにいったのでしょうか。不思議。狩人君、知っている?

月の香りの狩人の悪夢めぐり
 悪夢の辺境やメンシスの悪夢に異常がないかを確認しているところでした。狩り尽くし、何もいないと思われていましたが、ヤーナム市民が存在するように悪夢にはまだ悪夢の生き物が存在しているのかもしれません。そんな彼は近いうちに市街に戻るためクルックスに何か依頼をするようです。

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