甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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セラフィの保存食
小さな瓶に詰められた塩蔵品。
大量の塩により腐敗を抑制しており、
長期保存が可能になっている。
カインハーストにおいて血に浸されることのない
稀少な食料でもある。



月の香りと窶しの古狩人

 

 胸が高鳴る。

 銃を握る左手を何度胸に添えたくなったか数えるのも煩わしい。

 獲物を追う感覚とは、人間の原始に近い歓びがあるのではないかとセラフィは思う。

 

 場所が場所であれば、スキップしつつ向かうところだが、この汚水溜まりではそうもいかない。

 

 腰のベルトに吊した携帯ランタンの火が足下を赤く照らした。

 セラフィが歩くのは、ヤーナム市街の地下に広がる下水道だった。

 かつて暗渠に繋がる地下空洞だったが、人の手が入らなくなって久しい。地上の生活に伴って発生する汚水が排水される場所となり、やがて教会が処分しきれなくなった獣の死体の遺棄所となったらしい。

 今も汚物や油が編み上げブーツを汚している。トンネルとなっている下水道の隅には、ありとあらゆる腐肉が流れ着く。人間の大人ほどもある巨体な鼠が群がり、そうして流れ着いた人や獣を食べている。

 セラフィは、薄い唇を湿らせて先を急いだ。

 

 クルックスは、セラフィにとって素晴らしい情報を持ち込んできた。

 教会の射手の情報だ。

 喉から手が出るほどに──なんて使い古された言葉を思わず内心で呟いてしまうほど──欲しかった情報だ。

 

 セラフィは興奮という精神状態になることが少なかった。慣れない熱に内心を焼かれている。秘密に迫っている感覚が、無限の高揚感をセラフィにもたらしていた。

 

 時折、足を止めて自分のものではない足音が聞こえないかどうか耳を澄ませた。下水を歩けばどうしても水音を立ててしまうからだ。

 だからこそ。

 常では考えられないほど迂闊な過ちをセラフィは冒していた。

 射手を追っているのは鴉だと知っていながら、いざ彼に出会ってしまった時のことなど考えもしなかったのだ。

 当然想定して然るべき危険を忘れさせるほど、初めての高揚はセラフィを夢中にさせていた。

 

(ちゃんと僕に尋問できるだろうか? ああ、もっとレオー様にそういうことを聞いておくんだったな)

 

 何度か梯子を登り、緩い坂道を上ると頭をぶつけそうな天井の低い場所へ来てしまった。

 しかし、遠くで聞いた足音はこちらの方向から聞こえていた。携帯ランタンを腰から外し、辺りを隅々まで確認する。天井の一部が光る。金属の光沢が見えた。金網だ。

 重い鉄格子を持ち上げると人が一人通れそうな空間が出来た。

 

 そこを抜けると壊れた船が置いてある場所に出た。

 大きな窓から月光が差し込み、暗がりの中にあるさまざまな廃棄物を照らし出す。

 

 船渠だ。

 

 大きく目を見開き、セラフィは一時眺めていた。

 船渠。ドック。その場所の存在は、四仔のなかでセラフィは十分に予想できたものだった。

 セラフィは知っている。レオーが寝物語に語ってくれたことだ。

 カインハーストの小さな工房での、とある夜。ケロイドの少ない彼の左の顔が優しく微笑む。そして、痛んだ大きな手がセラフィの頬をそっと撫でる。とろとろした心地よい眠気のなかで彼の声を聞いた。

 

 ──昔は、フネがあってな。

 ──舟か。船か。

 ──どちらでも同じものだが。

 ──恐らく、イマドキのフネじゃあない。

 ──漁に使うようなフネ。だから、きっと舟だ。

 ──小舟さね。

 ──でも作られたフネのなかには……。

 ──ご立派なマストがあるものもあったとか。

 ──……ああ、マストって言っても分からないか。

 ──帆柱と言ってな。

 ──風を受けて進むために帆のあるフネがあるのさ。

 ──俺? いやいや、俺の時分には、もうなかったな。

 

 その理由に、セラフィは大いに納得したものだった。

 

「だってヤーナムにあるのは湖だけなのに」

 

 見上げれば三階に相当するであろう足場が見える、大きな船渠だ。

 不相応だとセラフィは思う。

 この船渠では、まるで大海に繰り出すために必要な──レオーの言う『ご立派なマストがある』──大きな船を作れることだろう。

 セラフィは、足音のことも忘れて船渠を見て回った。

 破棄された舟は、全て小さい。大人が三人乗れば、それで一杯になってしまうであろう小型だ。そして壊されている。

 ちぐはぐだ。能力に見合わないものを作っている。

 材料が少なくなってしまい小型化したのか。それとも、この船渠が使われていた末期には、この小さな舟しか求められなくなっていたのだろうか。

 ──船渠ならば、人がいた工場ならば、どこかに資料がないだろうか。

 目であちこちを探す。

 その時、小石が転がる音が聞こえた。

 

「──ッ!」

 

 なぜ自分がここにいるのかを思い出しセラフィは銃を抜き、撃鉄を起こした。

 頭や心臓を一撃で射貫かれない限り、時間はある。そして鴉が追っていたのだ。クルックスは死んでいることを心配したが、生きているのなら彼は傷を負っているだろう。手足の一本や二本欠けていても何ら不思議はなかった。

 セラフィは、足音を立てながら歩いた。

 

「教会の射手、そこにいるのは分かっている! 手を挙げて出て来たまえ」

 

 上ずる声でセラフィは告げた。

 物陰の存在は、獣ではありえない慎重さで隠れているようだった。

 

「女王の名に誓い、僕は貴公を殺さない」

 

 セラフィは宣告した。

 そして、待った。

 待ち続けた。

 それでも、物陰から返事はなかった。

 足音を立てないように誰かが隠れる戸棚の裏を見た。

 射手はそこにいた。

 しかし。

 手足の怪我を見てセラフィは「なるほど」と一つ頷いた。

 返事ができる状態ではなかったようだ。

 

 

 

■ ■ ■ 

 

 

 

 何度かシモンの意識が浮上したとき。

 湿った腐臭に心底うんざりしたことを覚えている。

 だが、潮の香りがないことにまずは安心した。そして鐘の音も。

 死因に近しい存在には敏感になってしまっている。

 そんな自覚はあるが、自覚があるからと言ってやめられるものではない。

 しばらくしてシモンの意識が完全に覚醒したとき、チリチリと肌を温める火の気配がしたことに驚いた。

 

 身を起こすと身のそばに焚火があった。

 そばで火を見守り、シモンの眼前に銃を突きつけているヤーナムの狩装束に身を包んだ女性がいた。

 肌身離さず持っていたハズの弓剣は取り上げられているのか、携帯していなかった。

 シモンは両手を挙げようとして左手に巻かれた包帯に気付き、さすった。

 

「──言うのもあれだが。アンタ、拾う男の趣味が悪いな」

 

「拾われた自覚があるのは幸いだ。脅すまでもなく貴公は僕に従うしかないのだ」

 

 トリコーンを深く被ったその女性の顔は見えない。

 だが、きっとよく見知った顔だとシモンは分かっていた。

 

「──貴公、この顔を知っているか?」

 

 彼女は銃を下ろす。そしてトリコーンを外した。

 銀の長い髪を払い、真っ正面からシモンを見る。

 

 やはり、その顔は見知ったものだった。

 

 時計塔のマリア。

 まるで生き写しのようだ。

 だが、目の色だけは違う。

 マリアの色は、青や緑のような色だったと思う。

 彼女は鮮やかな琥珀色だ。焚火に照らされた瞳には宝石のごとき輝きがあった。

 だが真実、シモンが驚いたのは顔でも目でもなかった。

 ふわりと腐臭のなかで漂ったのは、月の香りだ。

 潮騒の臭いにさえ決して紛れることのなかった香り。

 今さら、たかが肉の腐臭のなかで間違えるハズがなかった。

 彼女は、シモンの探し人──医療教会の黒服ピグマリオンが消えてから探し続けていた月の香りをまとっていた。

 こくり。口の中で粘ついた唾液を飲み込んだ。

 

「なぜ俺がアンタの顔を知っていると思ったんだ?」

 

「貴公は古い人なのだろう」

 

 マリアの顔が古い存在だと彼女は知っているようだ。

 

「弓剣なんて古式な仕掛け武器を使う狩人を僕は知らなかった。僕は貴公の質問に答えた。貴公は僕の質問に答えたまえ。怪我を治したのは貴公を生かすためではない。僕が貴公を殺すためだ」

 

「…………」

 

 ここで、すこし考えてみよう。

「知らない」と答えた場合。彼女には「嘘をついた」と言われるだろう。今もあってないような信用を失うかもしれない。最悪、殺されるだろう。

「知っている」と答えた場合。彼女は情報を引き出そうとするだろう。信頼はできなくとも互いに信用はできる関係を構築できるかもしれない。

 現状どういうワケか彼女に対し、マリアの情報は交渉のカードに使える状態にある。

 月の香りの狩人について情報取引ができる、かも、しれない。考え続ければ、言葉は慎重になった。

 

「ああ、知っている。古い話だがね。──しかし、アンタの方が詳しいんじゃあないか? アンタ自身がマリアを知らなくとも、アンタにマリアを教えた人がいる。そいつが知っている。わざわざ俺に聞くまでもないだろう?」

 

 シモンは緊張しながら、それを悟られないようにわざとらしいほど飄々とした風に言った。

 ──さぁ、どう出る。

 突きつけられたのは銃口だった。

 

「貴公は、聞かれたことにだけ答えればいい」

 

「まぁまぁ。落ち着きたまえよ。……脅されて本当のことを話すと思うか?」

 

「ほう? 自分の命以外に見返りが必要とでも?」

 

 撃鉄はすでに起きている。引き金に添える指は、今にも本気で撃ちかねない気迫があった。

 危機的なのはシモンだが、一方で彼女も事情も察せられる。

 それだけ彼女は追い詰められているのだ。わざわざ敵から情報を得ようとするほどに。

 厚く巻いた包帯の下で、しばらく銃口と琥珀の瞳を見ていた。先に根負けしたのは、意外なことに彼女だった。

 

「……。殺す前に死んでは困る。血は入れたが、傷に障る。さっさと寝ることだ」

 

「俺の弓剣はどこだ? いや、射る気はない。手がアンタの先輩のせいでこれだからな。射てないって言うべきだが……」

 

「舟に置いてある。その辺だ」

 

「それは助かる」

 

 彼女は銃を置くと焚火の傍から棒を取り出した。

 見れば、塩で防腐加工した肉を木に串刺しにして焼いていたらしい。串となっている木は、舟の木材を失敬した物だろう。

 

「すこし焦げてしまったかな。でも食べられるハズだ。鼠の餌が好きだと言うのなら構わないけど」

 

「……アイツら人間でも獣でもお構いなしだろう。俺はそこまで悪食じゃない。もらおうか」

 

 ここしばらくは残飯をあさる生活をしていた。

 ヤーナムにおいて、肉は貴重品なのだ。

 串を受け取ると肉がジー、ジーと音を立てて油を滴らせていた。

 思い切り噛みつくと強い塩味のなかに──辛うじてだが──肉の味がした。

 臭いは腐臭のせいで最悪だった。

 

「しかし、肉は美味い。……アンタ、カインハーストの人間だろう。いいのか? 教会の俺にこんなことして」

 

「……カインハーストの人間はここにいない。僕は、僕個人としてここにいる」

 

「それは悪いことを聞いたな」

 

 返答を受けて、シモンは考える。

 多くの狩人は、組織や団体に属している。

 そこから外れた存在になることの心細さをシモンは知っている。しかし、そうせざるを得ない事情にも心当たりがあった。

 組織の仕組みに囚われていては見えないものを見るために外に出るのだ。

 やはり彼女のそばにマリアについて語る人物はいないようだ。

 

「名前を聞いていなかった。俺はシモン。アンタは?」

 

「知る必要はない。……マリアと呼べばいいだろう。顔も似ていることだ」

 

「教えたくないって? 気持ちは察する。だがマリアの話をするのにマリアと呼んでいたら紛らわしい。偽名でいい。呼び名がないとお互いが困るだろう」

 

「『シモン』は……偽名なのか?」

 

「本名だ。俺を知っている人は、皆そう呼ぶ。なら俺は『シモン』なんだろう。そういうものだろう。名前なんて」

 

「ならば僕はセラフィだ。セラフィ。ただのセラフィ。……今の僕は……確かにそうなんだ」

 

 セラフィ。

 口の中で何度か呟いた。

 マリアにセラフィ。

 名前の関連性を期待していたワケではなかったが、まったく違う音の響きを持つ名前だ。それを意外に思った。

 肉串を食べ終えたところでシモンは火のそばで身を横たえた。

 身を起こしているとセラフィが案じたように傷が痛むのだ。

 

「さて、俺達は互いに利のある取引できると思うんだが……どうかね?」

 

「そうかな。僕はこのまま貴方を拷問したって構わないのだけど?」

 

「そういう手間ばかりかかって益のないことはやめたまえよ。俺はマリアの情報を渡す。知りうる限りの情報だ。代わりにセラフィには、聞きたいことがある」

 

「カインハーストのこと? 僕が話すと思うのか?」

 

「いいや、違う。……なぁ、アンタ。夢を見る狩人だろう?」

 

 彼女は深くトリコーンを被り直した。

 

「へぇ。月の香りを知っているのか。分かる人がいるとは知っていたけれど貴方は分かる人なのだね。……やはり古狩人は侮れないようだ」

 

「夢を見る狩人がいるということは、今夜は獣狩りの夜なのか?」

 

「さぁ? 月は赤くなかったと思うけど。貴方は、夢について知りたいのか。それはなぜ?」

 

「答えてもいいが、それは取引に同意するってことだ。どうなんだ?」

 

「むっ……」

 

 彼女の瞳には、さまざまな感情が浮かぶ。

 今からでも暴力的な手段に出れば取引に応じる必要は無いと考えているのが手に取るように分かった。だが、すぐさま行為に移さないということは迷っているのだ。

 

「……マリアなら、どうするだろうか?」

 

「そもそも選ぶ羽目になっていないだろうな」

 

 それはそうだ。そんなことを思っているのだろう。肩が小さく上下する。静かに息を吐く様子が見えた。

 

「……。取引は検討する。何を聞かれるか。それによって応じられないこともある。我々は平等ではない。ならば取引だって不平等になるだろう」

 

 シモンは「質問の如何によっては応じる」という意味に受け取った。この回答は、後ろ向きな答えに聞こえる。だが、答える可能性がゼロではない以上はどんな条件が付いたとしてシモンもそれを十分として頷くしかなかった。

 シモンが頷いたことでセラフィもわずかに肩の力を抜いた。

 どちらにとっても最善の条件ではない。だが妥協は必要だった。

 

「貴公は……いいえ……貴方は、僕に何を求める?」

 

「……南区の医療教会の黒服にピグマリオンという男がいた。白い髪で顔色が悪い病み人だ。失踪して一年が経つ。月の香りを遺してな」

 

「残念だが僕は知らない。調べてはみるが期待はしないでほしい」

 

 きっぱりと断言されてしまい、シモンは口を閉ざした。

 だが、調査してくれると言う彼女の誠意は期待すべきものだろう。

 

「彼とは親しかったのか?」

 

「それは……そう、だな。きっと、彼が最後にまともな会話をしたのは俺だったと思う。善い奴だよ」

 

「きっと生きているだろう。遠くに行ってしまっただけだ」

 

「そうだといいがな……」

 

 会話を通してシモンは確信したことがある。

 今夜、あるいは、この異常事態において『月の香りの狩人』が複数存在するということだ。少なくとも二人存在する。まずピグマリオンと関係している人物、そして目の前の彼女だ。

 そもそも獣狩りの夜でもないのに月の香りの狩人がいることは異常事態だ。

 だが、時間が巻き戻っているなどという最大の異常がヤーナムに起きている以上、たかが月の香りの狩人が複数存在することは、おかしなものではないかもしれない。そもそも医療教会が把握していること──例えば『獣狩りの夜』には『月の香りの狩人』が一人現れる──等の慣例に則った常識が誤っているだけという可能性もある。

 最大の異常は、最大の疑問でもある。

 シモンは、ハッとした。

 

「ヤーナムの異常を……アンタは知っているんだな? 繰り返す夜のことを……終わらない獣狩りのことを……」

 

「ああ、知っている。一年前のことを覚えているということは、貴方もそうなのだな」

 

「なぜこんなことが起きているんだ……!?」

 

「黙秘する。未知でも既知でも僕には話せないことだ」

 

 シモンは身を起こそうとしたが「……分かった」と述べて引き下がった。

 彼女は自分の認識について述べるが、自分以外の誰かが関わる話では黙秘することにしたらしい。

 譲れない境界が分かれば、質問の仕方もある。次の質問を考えているとセラフィからの質問があった。

 

「マリアとは、誰?」

 

 この質問をするために彼女が緊張していることが分かった。 

 実のところ、シモンがマリアについて知っていることは多くない。

 切り分けた肉よりも薄く、しかし、できるだけ大きく見えるように情報を提示する必要があった。

 

「さすがにこのことは知っているとは思うが、カインハーストの人間だ。最も古い狩人──その頃は、狩人なんて名称も定かではなかったが──ともあれ、その一団に属する狩人だ。ただし、狩人であった時分は短いものだったが……」

 

「貴方とマリアとの関係は?」

 

「古い知人。それだけだ」

 

「貴方は医療教会の狩人だ。──なぜカインハーストの人間を知っている?」

 

「今しか知らなければ嘘と思われても仕方がない。土砂降りもかくやの関係だからな。そう悪くない仲の時もあった。瞬きの間、ごく小さな関係のなかにおいて、だが」

 

「……それはとても古い話?」

 

「ああ」

 

「いつの話だ」

 

「分からない。アンタには悪いが本当に分からない話だ。ただし、処刑隊が動くよりずっと前の話だ。それだけは知っている。ところで今こそ何年なんだ? 俺の記憶が定かならば……」

 

 十九世紀のある年を伝えると彼女は目を逸らした。

 火を整えるためのごく自然な仕草だったが、都合が悪いことを聞いたのだとシモンには分かった。

 

「黙秘する。未知でも既知でも僕の話すべきことではない」

 

「そうかい。また悪いことを聞いたな」

 

 今回の月の香りの狩人は、てっきり一年が繰り返される異変を解決するために狩りをしているのかと思っていたが、そういうワケではないらしい。

 ──ならば。

 一つの疑問からは複数の疑問が生まれる。

 

(獣狩りの夜を明かすでもなく存在する月の香りの狩人は、いったい何のためにいる?)

 

 獣狩りの夜において異邦の狩人を捕らえる上位者の存在は、医療教会にも認知されている。そして彼らは、何かの目的のために狩人に狩りをさせる。狩人は、その目的を達成させるまで解放されない。上位者にとって都合の良すぎる存在である月の香りの狩人は、上位者の傀儡でもある。

 だが、セラフィは月の香りの狩人にしては、ずいぶんと自由に振る舞っている。

 もしも、月の香りの狩人の狩りの目的が曖昧になっているのだとすれば、あらゆる前提が覆り、無秩序に陥っていることになる。少なくとも医療教会が積み上げてきた前例という知見が役に立たないことは確実だ。

 シモンは仮定に仮定を重ねた事態を考え直した。もし、仮定が全て真実だとすれば、と思考を働かせた。結果としてそれは深刻な頭痛を招いた。セラフィが焚火に木を足したの音に気付き、見上げた。

 

「ところで、今夜はどうしてここに?」

 

「俺を追ってきたアンタがそれを言うのか? そういえばそうだ。なぜここが分かった? 俺こそ聞きたいものだがね」

 

「僕は……ただ……市街の狩人に聞いただけだ」

 

「ほう。周囲に人の気配は特に無かったように思うがね。まあいい。……ここは風雨がしのげる。しかも板が脆くなっていて歩けば必ず音が出る。身を隠して休むにはちょうどいい場所だ。……昨年の試行錯誤で地下なら追手が来ないとも分かったからな」

 

「追手?」

 

「…………」

 

 シモンは考える。ここで「悪夢を探っているから刺客が俺を殺しにやって来るのだ」と言ってしまうのは簡単だ。

 これまでにシモンが開示したのは『失踪した黒服の知人の手がかりである月の香りの狩人を探している』という目的だけだ。その先にある本当の目的、『ヤーナムの悪夢を終わらせること』を話すには、互いに信用が無い。

 ただし。

 

(もしも、味方に出来たら……前進できる)

 

 かつて月の香りの狩人である青年と手を組んだことが思い出された。シモンは手引きし、彼は果たした。彼は何度かの死を繰り返した後に、とうとう時計塔のマリアを殺した。

 彼らの好奇と無知につけ込み、同じことをしようとしている。その行いは良心を針のように刺した。だが、それだけだ。

 

「話せないのならばそれでもいい。深くは聞かない。……夜が明ける。僕は帰らなければ。今度は、月のない日に会いたい。ここで。独りで来てほしい。僕も独りで来る」

 

「月のない日?」

 

 新月は、当分先だ。

 明日にでもまた会いたい。

 どうせ怪我で大して動けないのだ。

 そのことを迂遠に告げると彼女は腰に吊した輸血液の瓶を投げて寄越した。

 

「解毒はした。こうして血も渡した。死にはしないだろう。引き続き貴方を尋問したいが、僕は忙しい。休暇も時間切れだ」

 

「……カインハーストは福利厚生がちゃんとしているんだな」

 

「黙秘する。お互いに立場があるだろう。貴方が日頃何を探っているのかは知らないがヘマをしないことだ」

 

「アンタの先輩にすこし手加減しろと伝えてはくれないかね。だいたい狩人一人に騎士二人がかりはどうなんだ? あれでもカインハースト騎士道に反しないのか?」

 

「むっ。そんな卑怯なことはしない。二人がかりなど」

 

 去りかけたセラフィが振り返った。

 シモンは蹴飛ばされるのではないかと思ったが、彼女は不満そうな顔をするだけで銃も落葉も腰に下げたままだった。

 

「いつもはそうだが、今夜は違ったぞ。そのせいで流血鴉に喧嘩を売ってしまった。後悔しちゃいないがね」

 

「そんなハズは……。ん、どうせ暗い夜に見間違えたのだろう」

 

 セラフィは、そのまま船渠の闇の中へ消えてしまった。

 最後の最後でヘマをしてしまったかもな、とシモンは反省する。

 だが、試金石にはなる。

 

「……俺にもツキがまわってきたか。それとも、いよいよ破滅の前兆というものかな」

 

 医療教会初代教区長、ローレンス。

 彼の存命中、大いに囁かれた流言がある。

 

 ──カインハーストの女には近付くな。

 ──呪われている。碌なもんじゃない。

 

 事実、マリアに触れたローレンスの末路とは、知人だからこそ直視に耐えがたいものがあった。だが、全ては無責任な他人の騙った結果論。迷信だ。──しかし、それでも信じるものはいる。そして、狩人には、その迷信こそ必要なのだ。かつて獣血が右足から這い上がると恐れ、自ら右脚を切り落とした狩人が多くいたように。

 

 古狩人であればこそ、迷信は──たとえ頭から信じないまでも──知っておくべきだった。

 シモンは陰りの見えない炎の傍にじりじりと寄った。

 

 果たして。

 月のない日に彼女はやって来るだろうか。

 

 きっと来るだろう。

 時計塔の麗人は斬り捨てきれず、ついに敗れた。

 人の好奇心とは、際限がないものだ。

 




月の香りと窶しの古狩人

ヤーナムの不思議建築
 下水の下にある(ように見える)旧市街とか旧市街から現在の市街まで貫いて立っている(ように見える)建築とか、じっくり見てみるとかなりおかしなところがあるのでヤーナムの街並みは本当に面白いものです。──そうだ。ヤーナムに行こう。

船渠
 ガスコイン神父宅に行く途中に必ず通る、下水道(?)に繋がる船渠です。
 個人的な考察になるのですが、なぜノコギリ鉈がノコギリと鉈を合体させているのか気になっていたのです。ヤーナムでノコギリを使う場面はどこだろうと考えると木材の加工をするのに使っていたのではないか、と思い至り、今は船渠と関わりがあるのだろうかと今は考えています。あるいはヤーナムのご家庭DIYの結果かもしれません。武器としてのノコギリは、血肉を削り、出血を強いるのに便利な代物です。悪い血は出さないと(瀉血精神)
 海が無いのにマスト付きの立派な船を作るなんて不思議な話です。彼らはどこに行こうとしていたのでしょうか。答えはDLCの内容だったのかもしれません。漁村が出てきた時に船渠のことを思い出す人がいたならば、あるいは、船渠が出てきた時に海のことを連想する人がいたのならば、きっと、リアル啓蒙が増えたことでしょう。羨ましいことです(ビルゲンワース学徒並感想)

セラフィとシモンの交渉
 お互いにとってゼロよりマシの契約である以上、win-winの契約と言えそうです。とはいえ、シモンの方が情報を得る量は多いでしょう。このあたりは人間経験の違いかもしれません。少なくとも獣狩りを目的としない月の香りの狩人というイレギュラーを確信したようです。

レオーの寝物語
 現在のカインハーストでは狩り時間以外は3交代となっており、活動と睡眠時間を互いにズラして生活しているためレオーが起きている間にセラフィと鴉が休息を取る、というようなサイクルが確立されています。なかなか寝付けないセラフィのためにレオーは工房仕事を片手間に昔話を語ってくれているそうです。彼にとっては過ぎ去った栄華の日々。彼女にとっては遙か遠き未来の話。セラフィは鴉にもお話をせがんだことがありますが、文脈無視のマシンガントークをし始めたので寝るどころではなくなった経緯があります。──私が話しているのに寝るとは、いい身分だな?
 カインハーストの愉快な3人組+ときどき女王様の小話は魁!連盟並にたくさん作れるのですが、本筋とあまり関わらないのでカット・カット・カットです

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