甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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ネフライトの懐中時計
ネフライトが持つ銀鎖に繋がれた小型の携帯時計。
ヤーナムと等しく、その時計は常に狂っている。
「時は巡っているか」
それが肝要なのだ。



学会準備(中)

 翌日も作業は続いた。

 学会まで、あと二日。

 ダミアーンが言った「夜詰めが必要」との言葉は本当のことだった。

 ネフライトとエドガールは日頃の全ての仕事が免除される代わり、狭い印刷部屋に監禁されていた。

 

 監禁とは、まったく誇張ではない。

 部屋の内外から鍵を掛けているのだ。

 半地下にあるこの印刷室が昔何のために使われていたのか。よく分かる象徴が扉の代わりに嵌まっていた。まだ試したことはないが、その鉄格子はネフライトの細腕では押しても引いてもビクともしないだろう。

 さて、この鉄格子。作業員の逃亡を防止する目的がひとつ。もうひとつの目的こそが最も重要で、それは学徒同士による大要の改竄防止のためだという。

 なぜ改竄が起きるのか。

 その理由についてダミアーンは呆れかえりながら教えてくれた。

 

 ──毎年いるのだよ。悲しいことだがね。

 ──貶しあいと罵りあいはヤーナムの常識みたいなものだから仕方ない。

 ──けれどね。大要を改竄することは、私論だが極刑に値すると考えている。

 ──そんな私情を差し引いても学派の健全な運営のために見過ごせない。

 ──まして他グループの足を引っ張ることは、許されないことだ。

 ──メンシス学派に権威主義は似合わないのだから。

 

 二人で「はあ、そうなんですか」と声を合わせたのが、半日前。

 メンシス学派は実力主義の傾向がある。

 年少の者が年長の者に口答えをした翌日、行方不明になることはない。ならば、実力主義は概ね健全に機能していると言えるだろう。

 とはいえ、問題が全くない──ワケではない。

 問題の表出の一角が、ダミアーンの言う改竄行為だ。

 行き過ぎた実力主義は容易く権威と結びつく。ともすれば足の引っ張り合いの成果主義になり、結果の捏造を招くものだが、メンシス学派において結果の捏造は困難だ。そのため最も簡単で浅慮な手段が求められる。改竄行為はその代表だ。

 

(人間の社会構造に見られる、よくあること。脆弱性とも換言できる。……レイブンクローにもあることだ)

 

 真面目に学習するよりも真面目に学習する生徒の邪魔をした方が自分の順位が上がるならば、そうする生徒もいるだろう。

 

「本当に大切なことは、自らの研鑽ではないですか」

 

 ネフライトがこぼした学徒への苦言にダミアーンは、ただ枯れた笑みを返した。

 彼らがダミアーンの研究室を去った後、そんな彼の下には虚ろな顔をした学徒が次々と訪れて「一生のお願いなので主宰の肩を揉ませて欲しい」とか「お願いです! 主宰に質問させないで! 死んでしまいます!」とか「主宰と実家の可愛い犬について話したいんですよ」とか言いにやってくるのも毎年の恒例行事と言えた。

 

 ネフライトとエドガールは作業を続けていた。

 そして、数時間の試行錯誤の末、活字を拾う作業と整列する作業で役割分担をした。

 終わるまで自室に帰ることも許されないが、疲れると無言で不機嫌になってしまうエドガールが、黄昏時の今にあっても他愛ないお喋りをする気力がある程度には順調である。

 

「前々から思っていたが、君の記憶力はどうなっているんだ」

 

 数秒たりと手は迷うことなく、戸棚に置かれた文字の金型を取り出しては並べていく。

 そんなネフライトを見てエドガールが言った。感心を通り越し、呆れた声だった。

 

「幸運なことに忘れられないだけです。……お気遣いなく。それを悲観したことはありません」

 

「昨日、ミコラーシュ主宰に渡した大要も一瞥しただけで内容を読んで見せただろう。文字なら何でも覚えられるのか?」

 

「何でも覚えられます。風景、人、物。何でもです」

 

「円周率の小数点以下、二〇桁目は?」

 

「六です」

 

「七日前、ミコラーシュ主宰が取り上げた本は?」

 

「ビルゲンワース元学長、ウィレームのカレル探求についてです。……私の頭の中が気になるのですか?」

 

「切開したところで分からないだろうね。しかし、便利だ。今度、書記の手伝いをしてくれ。議論の書き起こしにえらく手間がかかっている」

 

「私に手伝いが勤まるとは思いません。最初から私が書いた方が早いですから」

 

「体裁として僕が関わるのが大事なんじゃないか。君は知らないだろうが、ダミアーンさんから学徒に対して、君をこき使いすぎないようにお達しがでているんだ」

 

「どうりで。最近は夜食の注文が減ったワケです。ところでケンジットのグループの五十行目で『t』が足りなくなります」

 

「僕の作業待ちか。あいたたた。座りすぎて肩も腰もおかしくなりそうだ」

 

「作業が終わったら揉みましょうか」

 

「ありがたい……。えっ。君、そういうことするんだ? 大丈夫? ダミアーンさんに何か嫌なことされてない?」

 

「ただのお話の相手ですよ。特別なサービスはしていません。磯臭い方々は、なぜ皆そういう思考をするんですか?」

 

 磯臭い、とは。

 エドガールの体臭のことではない。

 

「シッ。よしてくれよ、そういう言いがかりは」

 

 白々しく言ってみせるエドガール。

 実のところ。この青年は、医療教会の二大会派の一派、聖歌隊からの間者。すなわち、スパイだ。それを知っているのはネフライトとダミアーンだけである。『泳がせている』と言えた。なんせ一年経てば何もかも元通りになってしまうここでは、いくら情報を探ろうが彼自身が覚えていないのだから無意味なのだ。

 時が違えば命より重い情報であっても、今は鴻毛より軽い。こうして軽口を叩くネタにしか使えない。

 

「君は、磯臭い団体のなかに百合か薔薇が咲いているように言うがね。そんなのは極々一部の先鋭化した関係のなかにしかないからな」

 

「……? 結局あるんじゃないですか?」

 

「そうなんだけど。そうじゃなくて。メンシス学派が総出でミコラーシュを担ぎ上げているのと同じ熱狂があるんだ。冷静に考えてみるといい。ミコラーシュ、だいぶオッサンだぞ」

 

「それが?」

 

「老いも若きもミコラーシュにゾッコンじゃないか。……まぁ、実際のところは彼のことは優秀だと思うよ。たしかに、悪夢に関する理論も容赦ない実験も知見を積み上げているが……オッサンだぞ」

 

「外見で判断しようというのですか? 聖歌隊が」

 

「シーッ! よせよせ、君を明日の検体に回したくないぞ! まったくもって学徒連中はいつでも猫の手も借りたいくらいに忙しいのに」

 

「でも、気になりますね。エドガール、貴方はミコラーシュ主宰のことをそんな風に考えていたのですか?」

 

「熱狂に乗り切れない人には、そういう風に見えているものだ。渦中の君たちには見えないだろうがね」

 

「ふむ。なるほど。記憶しました。貴重な意見です。ミコラーシュ主宰は、まぁ、外見は初老に足を突っ込んでいます。私としては、もう少し食事の量が増えたら若々しく見える時もあると思っています」

 

「ああ、それは僕も思うよ。髪が黒いせいかな。仕事柄よく喋るから顔の皺は少ないし」

 

「手が止まっていますよ」

 

「わかってるさ……。ああ、ブルースのグループだ。刷ってくれ」

 

「承りました」

 

 大要は四ページだが、五グループがあるため、最大で二〇ページもの作成が必要だ。

 印刷には、活字と呼ばれる金型で作られた文字を学徒達から集めた大要のとおりに整列させ、活字同士を数本の紐で結びつけ固定する。それを組版ステッキ上に並べ、数行ごとに刷っていく過程を経る。

 活字を選んで並べて結んで刷って、解いて並べて刷って。完成までそれを繰り返すことになる。

 通常であれば数日を要する作業だ。

 けれど、今年は二人の人足があり、さらに絶対記憶を持つネフライトの特性により作業速度は常に比べれば速い。大要原稿の徴収に遅くまで時間がかかったにしては幾分の余裕がある。

 

「今のところ誤字脱字はありません。念のために乾燥時間を設けても予定時間に余裕を持って配布できるでしょう」

 

「最っ高だ。これからぐっすり寝ても間に合うじゃないか。君が手伝ってくれてよかった」

 

「褒めても夜食しかでませんよ」

 

「十分だよ」

 

「今日は無理ですけどね」

 

「わかっているさ。なんせ互いに檻の中だ。……ああ、そういえば配給はまだかな。時間を確認できるかい? そろそろだろう?」

 

 ネフライトは懐中時計を手繰り、時刻を読み上げた。

 

「手間取っているのかもしれませんね。……どうしてもお腹が減っているというならば、手持ちの輸血液が小瓶数本。学派印の栄養ドリンクがありますが」

 

「どっちにしても嫌な選択だ。輸血液、飲んだことある?」

 

「興味本位で飲みました。『酔う』という感覚が知りたくて」

 

「どうだった?」

 

「美味しくありませんでした。あれを好んで嗜んでいるカインハーストの貴族共は頭がおかしいのでしょう。経口摂取には向きません」

 

「でも君はそれを僕に食べさせようとしたよね?」

 

 ネフライトは、さりげなく檻の外を見た。そっぽを向いたとも言えそうだ。

 

「はて。胃袋が空になる方が問題が大きいと判断しました。他意はありません」

 

「君はそう言うけれどね。……。しかし、本当に遅いな。何かあったのだろうか?」

 

 エドガールは身動きを止め、目を閉じた。

 遠くの音に耳を澄ませているのだ。

 しばらくネフライトも呼吸を止めて外に耳を澄ませた。特に変わった臭いもしない。

 

「そう、ですね。……多少気がかりに思える時間になりつつあります。しかし、この部屋には鍵が掛かっていますし奥のトイレにも格子が嵌められている。……エドガールが隕石の爆発を起こしてトイレごと爆散するという手もありますが」

 

「無いよ。君、マスターキーなんか持ってない?」

 

「ありませんね。私はダミアーンさんの孫という設定ですが、その正体は、市街から連れ去られてヤハグルにいる虜囚でもありますから」

 

「なんてダミアーンさんに有利な設定だ。クソ。ピッキング、僕は得意じゃないがやるしかないな……」

 

 エドガールが奥の戸棚をゴソゴソと音を立ててあさる。

 本日の作業が終了し、ネフライトは椅子に腰を落ち着けた。色彩に乏しい薄暗い屋内で彼の背を見ていた彼は、そのうち地上に意識を向けた。

 

「そんなに外が気になりますか? 食事が来ないのは気がかりではありますが、それだけだ。気が進まないでしょうが、栄養ドリンクもある。注射器もあります。必要であれば輸血液で活力を賄うことができる」

 

「どちらも君が使うといい。そして僕が出て行った後、もう一度、内側から鍵を掛けて閉じこもっていてくれ」

 

 エドガールは目当ての針金を見つけ出し、指先でクルクルと回した。謀ったように出てきた針金をネフライトはチラと見た。

 

「私は……前々から言おうと思い、機を逸し続けて今に至るのですが……私には貴方が聖歌隊の熱心な間者であるように見えません」

 

 彼の危惧する異常事態が起きている場合、外へ行くのは当然だが危険が伴う。

 その危険を受け入れる理由とは、彼の間者という立場を考えれば、聖歌隊への忠義と見えるだろう。

 だが、これは日頃の考察により否定されるものである。

 

「貴方はメンシス学派に余計な口出しが多すぎる。それは時に学徒への助言であり、医療者への諫言であり、危機の際に身を挺して主宰を守ることでもある。……間者にしては、ずいぶんと入れ込んでいるではないですか」

 

「それは自覚しているところだ。しかし、よく見ているな。記憶がいいのはこういう時に厄介だよ。本当に」

 

 エドガールの目にほんの一瞬、不穏な光が宿る。だが、すぐに消えた。

 

「記憶の問題ではありません。私は、磯臭い演技ならば鼻をつまむほどに見飽きている。だから貴方のそれが演技ではないことも知っている。……もし外で異変が起きているならば、貴方だって無事では済まない。冷静な判断力を欠いている。蛮勇です」

 

「自分でもそう思うよ。ちょうどキリがいいタイミングでゲラも終わったことだ。空きっ腹でもいい。このまま眠って、朝になるまで待ちたい。……でも、僕はヤハグルで起きる怪奇に慣れたくない。もしも、次に獣狩りの夜が現れるのならばその原因はメンシス学派だろう。確信がある」

 

 かつての未来において。

 エドガールの推測は当たることになる。

 

「……根拠は?」

 

「認めたくないがミコラーシュはある種の天才だ。そのうち悪夢にも手が届きそうだ。ひょっとしたら、その先にさえ……。……。いいや、そもそもね。狂気に混沌。ついでに冒涜の末子、ヤーナムであってもこのレベルの気狂い学派がそうそうあってはたまらない。……ところで君が手助けをしてくれるのならば、ぼかぁ手早く出て行くことができるんだが、どうだろう?」

 

「……。発言の意図が不明です」

 

 二人は睨み合い、互いに立ち尽くした。

 互いに丸腰で武器はない──ように見えるが、医療者たるもの毒に塗れたメスを携帯しているのは生活の常だ。

 ネフライトは、肩を竦めて両手を挙げた。争う気はなかった。

 

「磯臭いクセに察しの悪い人です。私は虜囚と言ったでしょう。──学徒のご命令ならば私は従うしかありません」

 

「鍵の形は覚えているだろう? 幸いにも君は何でも覚えていられるんだから。針金だ。鍵を作ってくれ」

 

「承りました。ただ、時間がかかります。その間、せいぜい耳を澄ませていることです」

 

「頼むよ。……君って意外とお願いを聞いてくれるよね?」

 

 針金を受け取ったので状態を確認した。

 指で曲げることが出来る程度に柔らかい。

 

「私は、ネフライト。学派に最も親しい賛同者。貴方がメンシス学派に明確に敵対しない限り、私は貴方の最大の味方となるでしょう。具体的に言えば、ミコラーシュ主宰に発砲などしなければ、大抵の場合、私は味方です」

 

「なんて僕に有利な設定だろう。捗るなぁ」

 

「そういえば貴方の弟とかいう設定もありましたね」

 

「そういえばそうだったような……? まぁ、あの黒髪のくしゃくしゃ頭に水銀弾を撃ち込むときは覚悟しておこう」

 

「そんな日が来ないことを祈りたいものです」

 

 針金を折り曲げて数分もしないうちに、壁に張りついて耳を澄ませていたエドガールが空気を噛んだ。

 

「シッ。──誰か来るぞ。学徒の足音じゃない。狩人だ」

 

 隠れる間もない時間だった。

 半地下にある印刷室の扉まで飛ぶように駆け下りてきた狩人が「オイ!」と大きな声で呼びかけた。

 

「はい。いますよ」

 

「──なっ。その声、ネフか? ここにいたのか。よし。じゃあ、ここは無事だな」

 

「トニトルスさん? 何があったのですか?」

 

 ヤハグルの鉄兜を被った男は、トニトルスの呼称に多少驚いたようだったが、答えてくれた。

 

「学徒の行方不明者が出た。ダミアーンが陣頭指揮を執って学徒隊と狩人が総出で探している」

 

「誰だ? そんな。いったい誰が……?」

 

 エドガールが鉄格子を握り、すこしでも外を見ようとつま先立ちで跳ねた。

 

「知っている顔だ。ラッセルだよ。昨日、目つきがおかしかったのは俺達の見間違いじゃなかったってコトだ」

 

 トニトルスの狩人は「ここにいろよ」と言い残し、去ろうとした。

 エドガールは慌てて鉄格子を叩いて大きな音を出した。

 

「待ってくれ! ミコラーシュ主宰は? ダミアーンさんはなんて?」

 

「さあね。何にせよ、誰にせよ、明け方には終わらせるだろうさ。ミコラーシュは……どうか知らないが、少なくともダミアーンはそういう指揮をしている。だからお前達もここにいろ。そこ、あれ、印刷室だっけ? 檻の中なら安全だ。蝋燭があるだろう。獣除けの香はないが火だって無いよりマシだ。燃やしておけよ」

 

「待ってくれ! 僕は戦えるぞ! ここから出してくれ!」

 

「たかが人攫いの俺が! 鍵を! 持ってると思うか!? ええ!? 学徒様よ!?」

 

 焦りのような苛立ちを浮かべたトニトルスの狩人は、鉄格子を蹴飛ばした。もちろん鉄格子はビクともしなかったが、威嚇的な音が出た。エドガールは素早く鉄格子から離れて「ドウドウ」と宥めるように両手を挙げた。

 

「……あぁ、うん、無いよね。知っていた気がするよ……」

 

「じゃ、そういうワケだから」

 

 トニトルスの狩人は右手に狩り武器を握ると半地下の階段を上っていった。

 その足音をネフライトは遠い場所で聞いている感覚があった。

 

「ネフ、急げ! まだ完全に変態していなければ獣化の部位切除で延命できるかもしれない。四肢のいくつかを失うとしても、最初の狩人も片脚だったという伝承もある。まして学徒ならば頭が無事なら生きている価値は十分に──……ネフ?」

 

「み、見落とした? 私が? この私が? 目の色は思い出せるのに……? 瞳孔の歪みは光の加減に見えていた……まだ崩れてはいない……獣化が進んだ……? こんな短期間に……? 進行が速すぎる……」

 

 ぶつぶつと呟き、考え事に沈んでいたネフライトはエドガールに肩を叩かれて我に返った。

 

「ネフ! 急ぐんだ!」

 

「ハッ。……出来てますが、もっと手っ取り早い方法があります。壁を向いて耳を塞いで大きな声を出してください」

 

「ああ、任せろ! ……ん? な、何だって!?」

 

「言うとおりにしてください。私がこんな物を使わなくてもいいようにしてやると言っているんだ」

 

 ネフライトは、曲げた針金を部屋の隅に放った。

 その軌跡を眼鏡の奥で追ったエドガールは、口が閉まらないようだった。

 

「マスターキー、持っていたのか!? なら早く開けてくれ!」

 

「私が『壁を向いて耳を塞いで大きな声を出せ』と言っているんだ。狩人に繰り言は不要なのでしょう。さっさとやってくださいませんかね?」

 

「正直、僕は君がさっぱり分からないときがある。まさにこういう時だがね。だが策があるんだな、信じるぞ。後で『ホントにやりやがったアイツ』なんて笑ったら黒獣の餌にするぞ。いい? いくぞ? ウワァアアアーッ!」

 

 同時にネフライトは、ベストの裏に納めていた杖を抜き「アロホモラ 開け」と唱えた。

 異なる神秘であれ、正しく機能したようだ。ガチ、ガチ、と硬質な音をたて二個の鍵が解除された。

 ネフライトは杖をしまい、まだ叫んでいるエドガールの背を突いた。

 

「もういいですよ。しかし、貴方の声はよすぎる。歌わなくとも出自がバレそうだ」

 

「ああ、どうも。……驚いたな」

 

 開いた扉を見てエドガールが眼鏡の奥で目を丸くした。

 二人で階段を駆け上がりながら、彼は溜息を吐いた。

 

「本当に開けるとは……。いったい君にはいくつ秘密があるんだ?」

 

「私は学派の使用人です。必要な時には閂に。求められれば鍵にもなりましょう。そういう設定でお願いします」

 

「なんて君に有利な設定だろう。……当分はそういうことにしておくけどね。いっそ君を上層に拉致ってしまえば学派の秘密を手に入れたも同然なんじゃないかと思う時がある。どう思う?」

 

 建物の影に身を潜め、周囲を伺う。

 ネフライトはエドガールとは反対側を警戒した。

 

「そんなことよりも、私は『はぐれ聖歌隊』がメンシス学派でどのように扱われるかの方が興味がありますね。やっぱり穢れた血の末裔ですから、生きながらに解剖されるんでしょうか? ……貴方がたまたま生きているのは私にとって優先順位が低い興味という理由だけですよ。お忘れなきように」

 

「ダメか。残念だよ。君なら上層でもいい医療者になれる。つまりは、腕の良い神秘の探求者という意味だけど」

 

「一種の褒め言葉として記憶します。貴方も私に劣らず、よい学徒になれますよ。果ては右回りの変態か、左回りの変態か。とろけた学徒の線もなきにしもあらずです」

 

「ハハハ。いいセンスだ。そういうセンスがヤーナムで最も陰気な隠れ街には相応しい。──生き物の気配はしないな?」

 

「ええ。しかし、どこか行く宛てが? 獣の隠れ家に心当たりでも?」

 

「無いよ。一旦、自室に戻って仕掛け武器を回収したい。メスだけで獣に会ったら最悪だ」

 

「ならば厨房の方が近い。床下に武器の貯蔵があります」

 

「それを早く言ってくれ。……どの道を通ろうかと計算していたのに」

 

 黄昏は、もう夜に変わりつつある。

 二人は周囲の警戒をしつつ、隠れ街の細い路地を歩んだ。煤け、汚れ、傷んだ石畳を二人は小石を転がしながら駆けた。息を切らし、汗を拭って走った。それでも間に合わないほどにヤハグルに訪れる夜は早かった。

 厨房の扉を蹴破り、エドガールが壁伝いにあちこちに触れた。

 ネフライトはすぐさまランタンを手に取り、マッチで火を点けた。

 指先で炎を消し、ランタンを頭上高く掲げると思わず息を止めた。

 

「武器は!?」

 

「待って。……エドガール」

 

 厨房から食堂へ繋がる扉は、わずかに開いていた。記憶とは異なることがネフライトにだけ分かった。

 細い隙間の向こう。

 輪郭もつかめない、ぼんやりした姿であってもそれが人だと分かってしまうのはなぜだろう。

 ──誰かいる。

 吐息だけになった言葉で、ネフライトはようやく、それだけを言い切った。

 




学会準備(中)

背中がガラ空きだぜ(公式)
 本作を書いている間にとうとうELDENRINGが発売されました。
 公式に背中を刺されたという感覚をまさかELDENRINGに感じるとは思いませんでした……とは口が裂けても言えないです。Bloodborneの漁村とSEKIROの水生村にあったナメクジ(魚)のような極端な例こそありませんでしたが、ゲームの世界観・大本は変わってもそれぞれのモノが象徴する哲学には一貫性を見出したくなるものです。今回はテキストがこれまでの作品とは比べられないほど多いだろうし、何かこれまでと関連する系のヤバいものが出てくるんだろうな、と思っていたです。
(もちろん、ELDENRINGが(具体的な作品)の続編だ!とか言いたいワケではありません。念のためにね。……もちろん二次的には夢のある話ではありますが)
 ネフライト編とテルミ編は特に刺された気分になりました。
 研究機関と権威主義の関係。知力と信仰、盲信の関係。被造物と造物主の関係。依存と忠誠の関係。……思いついたのはこの辺ですが、おぉぉ(驚愕)やってくれたね(嬉しい)の気分でいっぱいになりました。
 だから創作はやめらんねぇ……てやんでぇ……(どうしよう)

実力主義
 皆さんご存じ。ハリポタ原作本編においてレイブンクローが主舞台になることが無かったため──どころか主要キャラとして後半にルーナが出てきた程度でなかなか寮及び寮精神がどのようなものか掴みにくいものがあります。
 ネフライトは、レイブンクローに蔓延る成績主義をそのように捉えているようです。
 ──引っ張れるだけ引っ張って知らんぷり。
 ──騙されるヤツが愚者で優しい者が損をする。
 彼は開かれる予定の学会が目的とするように人間全体の底上げを目指している人なので、そんな生徒とはソリが合わないことでしょう。

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