甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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アイスクリーム
牛乳と糖、香料を主とするものを凍らせた菓子。
口の中に広がる味は初めて嗜むのに懐かしい。

乳のなかに感じる薬の味は不味いのに癖になる。
そうして彼は消えるまでの時間を楽しんだ。



青年と老人

「…………」

 

 クルックスがローブを新調したところ、身長がかなり伸びていた。

 人差し指と親指を広げると成長した証をよく実感できる。

 テルミに報告しようと店を出て彼女を探した。

 

(おや……)

 

 人混みのなかで、テルミを見つけた。ちょうど横顔が見える。

 夏の日差しは歩いているだけで仄に汗を感じるほどだというのに、その下にいる彼女にはまるで陽光が差していないようだった。クルックスは、彼女を見ているとヤーナムの冷えた夜の気配を思い出した。

 

 ここ二年間の彼女の変化は、微々たるものだ。

 クルックスと同じように、知らないことを知り、他者と自分が異なる存在であることを理解しても、彼女は大して変わりにくい性格のようだった。

 人混みに抗うように立ち止まっていると、やがてテルミが気付いた。

 

「おかえりなさい。どうでしたか? 貴方の身長は、昨年に比べるとずいぶん高くなりましたから」

 

「ん。ああ。袖が七センチほど必要になっている……」

 

 ──君は?

 そう言いかけたが、彼女の身長は昨年とほとんど変わっていないことをクルックスは既に知っていた。

 テルミは、その内心を見透かしてしまったようだ。薄く微笑み、クルックスの隣に来て手を引いた。人混みにまぎれ、彼女は言った。

 

「フフフ、気にしないでくださいね。わたしもローブを新調したわ。複数枚で着回していますが、一年間着ているとさすがにヘタってきますから」

 

「そうか。……君の体のことをお父様に話したが、あまり色よい返事はいただけなかった」

 

 小脇に抱えていたトリコーンを被り、クルックスは歩調を合わせた。

 

「ええ。そうでしょうね」

 

「……もう少し時間がほしい。話をしてみよう」

 

「いいえ、一年に一度くらいにしましょう。お父様を急かすとよくないことが起きそうだわ」

 

「よくないこと?」

 

「わたしを成長させるために学徒に相談して輸血してあれこれ、とか」

 

「学徒お二人は君に無理強いすることはない……と思いたいが」

 

 ビルゲンワースの学徒は父たる狩人と歩幅を合わせることが出来る人間だ。つまり、思考が超越する時は飛ぶのだ。その結果、無茶を起こすことは容易に想像できる。だが彼らが大切に思っている聖歌隊の後継であるテルミに無体を働くとは考えたくない。

 

「ええ。そうだといいですね。お父様の血を輸血したことはありませんけれど、きっと、わたし達には過ぎた左回りの──あ、クルックスは輸血したことありますか?」

 

「渡された時に教えられた用途以外で使う考えがなかった。試そうにも、もう使い切ってしまったな。昨年度のバジリスク騒動の時に」

 

 テルミは「へぇ」とか「ふぅん」と相槌をうった。

 ──君は?

 再び言いかけたクルックスの言葉は音にならなかった。

 

「わたし、飲んでみたの。一匙」

 

 なに、とクルックスは思わず雑踏からテルミに目を移し、宙を噛んだ。

 テルミが隣を歩いている以上、特筆すべき異常は無かったのだろう。

 それにしても。

 

「君は俺の想像を超える行動力を見せる時がある。……それで、その、味は?」

 

「舌が蕩けるような甘みのなかに思索が迸る宇宙を感じたわ」

 

「そうか」

 

 これだけしか言えない。

 クルックスは、その後の言葉選びに困り「俺はどう言うべきか戸惑っている」と素直に伝えた。

 

「それだけが正解でしょう。わたし達にとっても刺激が強いのです。あれは薬にもなるでしょうし毒にもなるでしょう。けれど、どちらとしても使うべきではないのです。お父様がそう望まない限り」

 

「あの輸血液、君はブローチにするものだと思っていた。血晶として加工してな」

 

「わたしもそう考えていたのだけど『特別な輸血液』として賜ったのだから、そう使うべきと思いまして残りは病み人に拝領してしまったの」

 

「それは……それは……大丈夫なのか?」

 

 クルックスの言葉には、さまざまな意味が含まれた。

 上位者の生血をただの病み人に注いでもよいものなのか。病み人の同意を得ての医療行為だったのか。

 彼女は何でもないことのように言うが、クルックスは心配だった。

 

 テルミは医療者らしく傲慢な節がある。

 

 それは他人を手玉に取りたがるクセに扱いは気まぐれな手腕に現れるようだった。

 先のハリー・ポッターに話しかけた件にしてもそうだ。クルックスは何も聞いていなかったし、事前の相談もなかった。

 怪しまれる場所に有名人を連れ込むならば、その先で不要な人目を引くことになる。そんなことはテルミだって当然理解しているだろう。だが、彼女は彼を誘った。不毛な諍いが起きる率の上昇よりも、そして彼の身の安全よりも、『何かが起きたら面白そう』という気分を優先したからだ。

 テルミのこうした好奇心は『悪』として語るべきだとクルックスは思っている。彼女の悪は、性質が悪い。自分の好奇心や快楽のために──結果として──他人を苦しめてしまう事態が起きるだろう。そして、当の彼女はそれを罪悪に感じるどころか、気にもとめず、きっと翌日になったらさっぱり忘れてしまうのだ。加えて、気まぐれなのは、ただちに矯正すべき性格だ。予測が立たず、庇うにも庇いきれないからだ。

 ただし。

 

「ええ、経過観察中ですよ。興味があるのなら紹介してあげましょう。クルックスなら、わたしも安心です。彼の良いお友達になれると思うわ。病み人の夜は長いもの。あの人にとって生きていることがすこしでも楽しくなるように……わたしもいろいろと頑張りたいのです。これは、きっとお父様のためにもなると思うの。お父様は頑張っていらっしゃいますから。誰かに感謝されることも大切でしょう?」

 

 時に、好奇の矛先は柔らかで、棘を棘と感じさせない温かさがあった。

 その度にクルックスは言うべき諫言を都合良く飲み込んで、忘れることを心がけた。

 

「……ああ、そう、だな」

 

 注がれた輸血液を止める手段をクルックスは知らない。

 テルミの優しさは真心によるものだ。ならば行いは正しいものであるハズだ。

 それなのに、飲み込んだ言葉が胸のどこかに滞っていた。

 

 気まぐれだが、嘘ではない。嘘だけではない。

 その言葉をしばらく自分に言い聞かせた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 テルミはクルックスと手を繋ぎ、とある店を目指してダイアゴン横丁を抜けた。

 その先に広がる暗い路を先導するのは彼だ。理由は簡単で自分はひどく方向音痴なのだ。

 テルミが渡した簡単な地図を見て彼は「こっちだ」と手を引いた。

 

「クルックスも行ったことはないのですよね。ボージン・アンド・バークス」

 

「昨年、セラフィとコッペリア様が『憂いの篩』とやらの注文で行った店だな。ああ、休暇中は夢──あ、工房──から出てはいけないことになっていたからな。そうでなければ、数日ほど通いたいと思っていたが……」

 

「あら。何かお求めの品が?」

 

「ああ、すこしな……」

 

 見上げた先、父そっくりの思案顔で彼は地図と周辺の店を照合していた。暗い瞳が周囲を油断なく見張り、存在を確かめるように手を握る。握り返しながらテルミはそっと目を逸らした。

 護るべき者がいるとき彼は強くなる。

 その警戒心の強さがテルミは──奇妙なことにたとえようもないが──好きではない。きっと逆の立場であったのならば、彼も自分を嫌うだろうとテルミは思う。

 

「あっちだな。行くぞ。……ところで話の続きだが」

 

 探索中の会話に埋没させてしまうだけだと思っていた話題は、クルックスが拾い上げて続けた。

 

「俺の用事とはネフから頼まれた物だ。別に口外を禁じられているワケではないから言ってしまうのだが『タイプライター』なる機械と付属品を購入して欲しいという頼みを受けている。知っているか?」

 

 クルックスが衣嚢から取り出したのはネフライトからの依頼文書だった。文書は──クルックスが完璧に理解できるように配慮したのだろう──タイプライターの手描き挿絵が付いていたし使用に必要な付属品のインクリボンの説明があった。

 

「文字を書く機械でしょう。上層で見たことがあります。ボタンを押すと文字を印字するとか何とか」

 

「知っているなら幸いだ。それらしい物を見かけたら教えてくれ」

 

「それも店で頼んでしまった方が簡単かもしれません。コッペリアお兄様が『他に欲しい品物があれば頼むといい』と言っていましたから。──あら?」

 

 テルミはクルックスの手を引いた。知っている顔があったからだ。

 クルックスも気付いたのだろう。傷んだ石畳の路地のなか風を切って歩く人物、それは。

 

「ドラコ・マルフォイ。こんな薄暗い場所にいるべき人物ではないような気がするな」

 

 プラチナブロンドの髪。白い肌。尖った顎。

 ホグワーツ城では自信に満ちた顔をしていたが、今はそうでもないようだ。しばしば周囲を見て歩いている。

 

「父親は『死喰い人』の活動をしていたことがあったようですから、ハリーがいるより問題は少ないと思いますね。あれは誰かを撒いて冒険中という顔に見えます」

 

「『死喰い人』とは何だ? 『活動をしていたことがあったらしい』とは?」

 

「『死喰い人』は、名前を言ってはいけないあの人ことヴォルデモートの配下ですよ。わたし達の言葉で分かりやすくいうのなら『従僕』でしょうか。自分の意志で活動していたのではないとヴォルデモート死去後に否定したそうです。なので無罪になりました。──ということをわたしは、同じハッフルパフ寮のスーザン・ボーンズから聞きました。ご存じかしら? あの子のご親族の一人が魔法界の司法を司るウィゼンガモット──つまり、裁判所ね──にいるのだとかで」

 

 クルックスは不快そうに眉を寄せ、頬をピクリと動かした。

 獣が歯噛みするような仕草であり、父である狩人ならば絶対にしない顔だとテルミは見ていた。

 

「罪を償っていない人間が日差しの下を歩いている社会は、獣が昼夜問わず闊歩している世界と同じくらい間違っているとは思わないか?」

 

 テルミは、すこし笑った。

 

「む。何がおかしいのか」

 

「貴方があまりにまっすぐで……ウフフ……ごめんなさいね。貴方は正しいわ。でも魔法は便利であるだけではなく恐ろしいものですから。ヤー……ではなく、故郷の誰も想像していない力を持っている、特別な神秘。人を意のままに操る魔法もあるの。本人の意志とは無関係なままにね。ヴォルデモートが闊歩していた時代、魔法省はそれにずいぶん手こずったみたいですよ」

 

「それを掛けた術者共々罰するべきなのだ。魔法省はそうしたのだろうな?」

 

 当然だが、と言いたげなクルックスは潔癖にすぎるきらいがあるようだった。

 

「藁の中から針を探すような仕事を、わたし達はあまりにやり過ぎているのかもしれません。見つけた頃には縫うべき布を失っているかもしれないのに」

 

 クルックスは再び歩き出しながら「君の言うことは、よく分からない。説明を」と続きを求めた。

 

「罪の証明は、本人の証言のみで全て終わってしまったのです。マルフォイ家は魔法界に多額の寄付をしているという話も聞きますね。魔法省としてはマルフォイ家の当主をつるし上げて辱めるよりも金を搾り取る方を選んだのかもしれません。残酷な話です。『金があれば全ての扉は開く』ということね。……もっとも、わたし達ならば諦めないでしょう。なぜなら時間があるから。そのうち『無い』ことの証明さえ出来てしまうかもしれません。けれど、彼らには生きる限りがあります。時間は有限で貴重なもの。人々は罪にも罰にも永遠に付き合ってはいられないのですよ」

 

「意志が伴っていないから罪ではないなど言い逃れではないのか? そもそも本人の証言だけで無罪となるのはおかしいだろう……おかしくないか? いや待て、俺がおかしいのか? それから『金づるになるから』で解決するなど魔法界がそんなことをするワケがないだろう? 司法の存在が危ういヤー……俺達の故郷なら分からないが……こんな理由は前時代的だと俺にも分かる。被害を受けた者は泣き寝入りか? 許されるのか? そんな不条理が」

 

「許されちゃったのでわたしには何も言えませんね。限りのある生だからこそ罰という洗礼が必要だと思うのですが、魔法界はそうではないようです。非魔法族に比べて魔法族は数が少ないものだから身内を罰することに抵抗があるのかしら? 殺し合いは出来るのに罰することには罪の意識があるなんて不思議ですね」

 

「おかしな話だ。──見よ、脱獄犯は血眼で追っているのに」

 

 そう言って彼は薄汚れた壁に打ち付けられた指名手配のマグショットを見た。

 

『危険な大量殺人鬼、脱獄犯のシリウス・ブラック』

 

 同じものを見てテルミはクスクス笑った。

 

「殺した人の数の違いなのかしら。面白いですね。ああ、ですから理解を試みるのも楽しいかもしれません」

 

 テルミはするりとクルックスの手を手放して道を駆けた。

 

「おい待て!」

 

 背中から追ってくるクルックスの声に止まらず、テルミは暗く細い路地の向こうでプラチナブロンドの輝く頭を見つけた。

 

「マルフォイさーん、マルフォイさーん」

 

 誰もいない路地の向こうで彼が驚いた顔をして振り返った。

「こんにちは」と挨拶すると彼は、警戒するように周囲を見た。

 

「こんなところで何をしているんだ?」

 

「ボージン・アンド・バークスに行きたくて探していたら貴殿がいらっしゃったので、つい声をかけてしまったの。こんな場所にこんな時ですが、セラフィがとてもお世話になっていますから、そのお礼もしたくて──」

 

「テルミ!」

 

 追いついたクルックスが路地から飛び出してきた。

 

「方向音痴なのだから俺を置いて行くんじゃない。帰れなくなったらどうする。……むむ。貴殿はドラコ・マルフォイ」

 

「こんなところで何をしているんだ?」

 

 マルフォイは、不思議なことにテルミが一人ではなかったことに安心したようだ。

 

「ああ、ボージン・アンド・バークスにな。そういえば昨年は店を紹介してくれてありがとう。もし、父がいたらお礼をしたことだろう。僭越ながら俺が代わりに述べさせてもらうが──」

 

「どうしてセラフィとコーラス=Bの兄上に紹介したことで、君の父親からお礼を受けることになるのか分からないけどね」

 

 尖った顎を上げてマルフォイは言った。

 彼の指摘はもっともだ。セラフィとクルックスの関係は一般に親戚ということになっている。そして、コーラス=Bすなわちテルミとの関係も親戚だ。一見にして血と事情の繋がりは小さく見える。

 クルックスもすぐ言葉が過ぎたことに気付いたようだ。「あ、それは、ええと」と言葉を濁す。

 

「ウフフ、彼のお父様から依頼された品物でしたからお礼をしたかったの。そのボージンさんとは五年の猶予をもって契約を行いましたが、毎年進捗を確認しに行こうと思いましてね。前金は払っていますもの」

 

 テルミは、マルフォイが自分を見る目が変わったのに気付いた。

 

「……セラフィが君の話をする時には、決まってただの『お話好きのカナリアではないのだよ』と語るが……なるほどね。金を出したことに目敏いのはいいことだろうな。それでボージンの店に行くのか? 道に迷っているようだが」

 

「あ、ああ、生爪を持った魔女とかいう目印があるハズだが見当たらなくてな……。しかし、貴公は何か用事を果たす途中なのではないか」

 

「そういえばどうしてドラコさんはこちらに? 最近はとっても物騒なのだとか。──シリウス・ブラックのこと。ご存じかしら?」

 

「シリウス・ブラック?」

 

 小馬鹿にしたようにマルフォイは言った。

 

「さあ、報道されている以上のことは知らないな。吸魂鬼と魔法省が総出で探しているんだ。すぐに捕まるさ。……さて、僕が何をしていようと君達には関係ないだろう」

 

「それはその通りだな。すまない」

 

 あっさり引き下がったクルックスにマルフォイは虚を突かれた顔をした。グリフィンドールの生徒があっさり謝罪したことに驚いたのかもしれない。

 

「俺は要らない心配が多すぎるのだろうな。それはそうと貴殿も早めに明るい道に戻るべきだと思うが……。むむ、言い過ぎた。貴殿の夏休みがよい休暇となるよう祈っている。──テルミ、行くぞ」

 

「はぁい。では、ドラコさん。次は学校でお会いしましょうね」

 

 テルミは手を振った。

 二人の背中に。

 

「その道を左だぞ!」

 

 マルフォイの声が掛けられた。

 二人は振り返り、手を振って応えた。

 

「──テルミ、勝手に歩くな」

 

 左に曲がった直後、クルックスがテルミの手を掴んだ。

 

「あら、怒っているの? 道が分かったのに」

 

「それは……そうだがおおよその道はあっていたんだ。うろうろしていれば分かった。マルフォイにこちらが認知されることはなかっただろう」

 

「けれど収穫がありました」

 

「何の?」

 

「マルフォイがシリウス・ブラックを恐れているということね」

 

 クルックスは「ああ、恐ろしいな」と心にも思っていないことを言った。

 

「世間的には恐るべき存在だろう。なら恐れるのは当然のことだ。それがどうして収穫になるのか」

 

「いくつかの仮定が重なることになりますが……。ドラコ・マルフォイの父親が、アズカバンに収容されるほどの忠誠心を持ち合わせていない程度の情熱を持つ死喰い人だったとします。もし、シリウス・ブラックが死喰い人の仲間だとしたら、マルフォイはどう思うかしら?」

 

「それは……そうだな。きっと懐かしい仲間が出てきて嬉しいだろうな」

 

 テルミは彼が冗談を言っているのかと思い、顔を見上げたが残念なことに本気だった。

 

「……クルックス、前向きですね。貴方のそういうところ、わたしは大好きですが心配よ」

 

「お父様にも言われた。ということは何だ。マルフォイにとっては不都合なのか?」

 

「憎しみというものは、時に敵よりも裏切った味方に対して苛烈になるものです。シリウス・ブラックは非魔法族に対しての脅威に留まらず、死喰い人だった者に対しても牙を剥く存在となっているのかもしれません。深読みのしすぎかしら。けれどマルフォイの顔には少々気がかりな怯えがありますね」

 

「その仮定が正しいとすれば自分の生命が脅かされるのだ。怯えもするだろう」

 

「いいえ、彼が恐れているのは自分の命の怯えではなく、もっと漠然としたもののようです。……たとえば、家計の中心たる父を亡くしたら彼も今ほどは威張って歩けなくなるかもしれません。ウフフ、こんな日陰の道をネズミみたいにうろちょろするマルフォイなんて面白い光景でしょうね」

 

「……君のそういう嗜癖はいずれ自分に返ってくるからやめたほうがいいぞ。本当にやめたほうがいいぞ。俺達は、お父様が白目を剥きたくなるほどに間が悪い存在なんだ」

 

「それも一興です。わたしは遊ぶ時に遊ばれることを覚悟して遊んでいますから構いませんよ。──ええ、話をまとめてしまうと。マルフォイ家としては、シリウス・ブラックはさっさと捕まってアズカバンに収容されるか、見つけたらうっかり殺してしまいたい存在のように見えますね」

 

「もし、テルミの推測が正しいとすると何だか空しいな。かつての仲間だろうに……殺し合うなど」

 

「人間の命は短いものですから利害関係を天秤にかけ、殺した後で発生する『害』を上回ると判断すれば、ひと思いに殺してしまうことも善い選択なのかもしれません」

 

「そんなものが善い選択であるものか。人間の賢さとはそんな勘定に使うものではないぞ」

 

「ついでに人間のとっておきの発明思想価値である『善悪』をひとつまみ天秤の上皿に載せてしまいましょう。するとあら不思議。善の利に傾く天秤の多いこと多いこと。……人間は弱いですから、誰かを信じて助けるよりも信じず傷つける方が被害は少なく済みます。顔見知りで不意打ち出来るなら尚更のことです」

 

「どこもかしこも淀んでいる。淀んでいるな。……あぁ、うんざりする……。俺にも『うんざり』という、呆れたり驚いたりする感情はあるのだ。早く魔法界も綺麗にしなくては……。綺麗に……綺麗に……何もかも……」

 

 クルックスは低い声で言うとテルミの手を強く握り、薄暗い路地を早足で歩いた。ボージン・アンド・バークスの古びた看板が目に入ったからだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 狩人は、ダイアゴン横丁を楽しく散策していた。

 結論から言えば、お目当てである郵便は見つけられなかった。

 

「なんということだ。彼らの生活には当たり前のものすぎてここでは商売として存在しないのか?」

 

 あるのはふくろうを売るペットショップだけだった。

 ふくろうを買うことも検討したが、どの種類がよいのかふくろうに詳しくない彼には分からない。もしも買うならば、クルックスやテルミに任せた方がいいだろう。

 

「期限が定められていることでもなし。追伸も必要ないだろうが……大人しくクルックスに頼むべきだったかな」

 

 趣のある封筒を外套にしまい込みながら、独りごちる。

 けれど、口実にあちこちを歩き回れたのは幸いなことだ。

 狩人はこのまましばらく徘徊しようと決意した。

 

「しかし……なんとまぁ明るい世界だ」

 

 狩人は、歩いているだけで気分が上向いた。

 夏の陽気を受けて天気が良い。人々は明るい。活気がある。

 憂鬱になる要素は、ここに存在するほとんどの人々にはないようだった。

 ヤーナムの外に出たクルックスは、しばしば気が塞ぐことがあったとコッペリアから聞いた。その理由を狩人は知らなかったが、なるほど実感した。いつも陰気で薄暗いヤーナムには存在しない『明るさ』に直面するのは、クルックスにとってさぞ気落ちすることだろう。虫の気配もすっかり失せている。

 

「陽気。陽気か。ヤーナムには足りないな。明るさ──そうだ、明るさが足りないのか」

 

 狩人は空を見上げた。

 

「太陽を増やしてみるか。均衡をとるために月も増やせばいいだろうか。学徒達に相談してみよう」

 

 これはそう遠くない未来において却下される提案なのだが、天候により気分が上向くのは実感済みなのでいつかやってみようと狩人は決心した。

 人の流れに従って歩いているとビルゲンワースの学舎で別れたネフライトを見つけた。彼はまだこちらに気付いていないようだ。とある喫茶店の隅でタブロイド判の雑誌を逆さまにして読んでいる。

 彼が誰と会うのか特に聞いていなかった狩人は、近くの書店で雑誌を手に取った。編み物に関する雑誌のようだが、内容はさておく。ネフライトがどのように他人と関わっているか興味が出てきた。

 数分後、ネフライトは本を置いて腰を上げた。

 

 ──こんにちは。フリットウィック先生。 ──お休みのところご足労いただき、ありがとうございます。

 ──君こそ、遠くから来たのだろうね。

 ──大した労ではありません。先生とのお話は、私にとってたいへん勉強になるものですから。

 

 甲高いキーキーとした声が聞こえるが、人の姿が見えない。

 背伸びしたところでネフライトと目が合ってしまった。

 彼は、ほんのすこし目を瞠り、そっと下に視線を移した。狩人は彼の視線の先に小人がいるのを見た。それから、ごく自然にネフライトが「ここへいらっしゃるおつもりならば、こちらへ」と空いている椅子へ掌を向けるのを見た。

 狩人はヒラヒラと雑誌を振って行くつもりがないことを伝え、雑誌を書架へ戻した。

 その時だ。

 

「今月の編み物雑誌の付録は、かぎ針なのじゃよ」

 

 横から出てきた手が、つい先ほど置いたばかりの雑誌を持ち上げた。

 

「お手本ガイド付きかぎ針でしてな。かぎ針がパターンを記憶しているのじゃ」

 

「…………」

 

 付録。かぎ針。お手本ガイド。パターン。

 長い髭の老人の言葉に狩人は困惑した。

 ヤーナムの狩人の生活圏には、およそ存在しない言葉の群れだったからだ。唯一親近感を覚えたのは「パターン」という言葉だけだった。ヤーナムの地下にある神の墓地、その接続を可能とする聖杯から発生する地下空間には儀式素材の種類によってパターンが見られるという研究がある。──そんなことに思考を飛ばしてしまい、出るべき言葉が出てきたのはずっと後だった。

 

「陽光に警戒心を剥奪されてしまったらしい。ああ、私は普段なら絶対に気付いたのに。俺は事前に仔らと打ち合わせをして目立たない装束を選んだのに。こんなところで声を掛けられてしまうとは予想外だ。──私は貴公を知っている。そう。付録。思い出した。貴公をお菓子の付録で見たことがあるのだ」

 

「蛙チョコレートの付録カードの肖像に選ばれたのは、わしの人生の中で指折りの幸運な出来事であり誇らしいことじゃ。それは恐らく二年前に、そして今も役に立ったようじゃのう」

 

「そのようで」

 

 狩人は、白い髭の老人──アルバス・ダンブルドアがそうするようにできるだけにこやかに笑いかけた。

 

(ああ、よくない。これは、実に、よくないぞ)

 

 ヤーナムの外、魔法界の陽気には陰がない。

 ──自分の間の悪さもここでは通用しないだろう。

 勝手な思い込みは、このように思いがけない不意打ちの事態を招いた。

 

 たとえ、たった今、死角から聖杯を徘徊する守り人の狂人が出てきたとして、こうも苛立つことはなかっただろう。

 

 彼は忘れていたのだ。

 長い長い夜の末、常人の気が狂うほど得た時間は、ヤーナムの外に出てしまえば途端に猶予を無くしてしまうものなのだ。

 彼は当然のことを忘れていた自分に、ひどく幻滅した。

 狩人は、姿勢を正して一礼し「ご機嫌よう」と挨拶をした。

 

「初めまして。よいお天気ですね。……今の私は休暇中のただの父親です。ヤーナムの者として交渉ができると期待してほしくはない。ヤーナムから這い出てきたのは何のことはない、返信のお手紙を出しに来ただけなのですからね」

 

「ほう。それは重畳。ここで会えたのは、やはり幸運なことだったようじゃ」

 

 趣のある封書を取り出し、狩人は差し出した。

 

「これは我々なりの誠実です。受け取っていただきたい」

 

「深い感謝を。月の香りの狩人殿」

 

「今後も私の仔らをよろしくお願い申し上げる。暗澹の地に棲まう私達にとって仔らは血を流して可愛がるのも惜しくない、呪われた末だ。しかし、彼らもイギリス魔法界では小さな子供。他の子と比べて変わらない──そう見えるハズです」

 

「ホグワーツは助けを求める者には、常に助けが与えられる。夏休みが明けたら、またホグワーツでお預かりしましょうぞ」

 

 トップハットを脇に抱え、深い礼をした狩人は頭を上げた。

 

「ご厚意に感謝いたします。それぞれの仔の保護者各位を代表してよろしくお願いしたい。ああ、それから。クルックスから伝達させようと準備しておりましたが──もし獣狩りの要があれば特別に承りましょう」

 

「……。ほう。獣、狩りとな」

 

「イギリス魔法界に対し、ささやかな社会貢献をしたいのですよ。我ら、狩人。それしか取り柄がないものですから」

 

「そう卑下されることもありますまい。……獣狩りの要は今のところ無いようじゃのう」

 

「おぉ、それは素晴らしい。平穏無事が何より、そして狩人が暇なことは善いことです。今後、学び舎を綺麗にしたい時あらばぜひお声がけ下さい。──さて。おっと。待ち合わせていたクルックスが来たようです。失礼、校長先生。次は、いつか素晴らしい夜に」

 

 影も形もないクルックスに向かい、狩人は書店を去った。

 当てずっぽうに歩き出したその先はノクターン横丁だ。

 その先で本当にクルックスとテルミに出会ってしまうあたり、狩人はダンブルドア校長に出会うまでに感じていた気分の上向きが、ただの気分の問題だったことを嫌と言うほどに理解した。

 

「あら、お父様! 月の運命は決してわたし達を見放さないということかしら。ちょうど買い物も交渉も済んだところです。これからお食事でも、と思ったのですけれど酸っぱい顔をなさっているわ。わたしと一緒にいるのはお辛そうですね……」

 

「そういうワケではない。そういうのではないんだ。今日は。……さっき、そこで君たちの校長先生に会ってな。ビックリした。ほとんど逃げ出す格好で店を出てしまった。ちょっと意味深なことを言ったので十年くらいはその考察に費やしてほしいと思っている」

 

 クルックスとテルミは似ていない顔を見合わせた。

 それから。

 

「校長? ダンブルドア校長に会ったのですか。なるほど。すると手紙を渡す用事や獣狩りを請け負う話が済んだということですね。いろいろ省けてよかったのではないですか」

 

「ああ、よかったとも。それだけはな。しかし、あの青いキラキラした目は良くない。あれは良くない目だ。昨年やってきた先生の目とも違う。しかし、何が良くないのか分からないが、とにかく良くないものだ。いてもたってもいられなくなった。むむっ。俺はテルミのように人の心を読むことが上手くない」

 

「俺も得意ではありませんから、そう落ち込まずに。お父様、人には向きと不向きがあるのでしょう。テルミが言っていました」

 

 突然、話の矛先を向けられたテルミが「言ったかしら。言ったわね。そんなこと」と小さく呟いた。

 狩人は肩を落とした。

 

「上位者にあるのはいつだって左回りだ。クルックスのように前向きになるのは難しい。俺はどうしようもなく万年ナメクジでヤーナム野郎なんだ」

 

「そういじけないでください。左回りにも曲がり角度とかあるのだと思います。とにかく気にせずに。今のところヤーナムの外の人と話す機会が少ないだけですよ。時間をかけてすこしずつ話し合えば、活路は拓けるものでしょう。人は、獣とは違うものです。知性ある限り、何事も可能性があると信じたいのです」

 

 ノクターン横丁の細く薄暗い路地は、ヤーナムの路地を思わせる。

 そこでおよそヤーナムに相応しからぬことを聞いた狩人は、クルックスを見下ろした。

 

「俺は、君が前向きすぎていつの間にか後ろ向きにならないか心配だよ」

 

「心配ならば全て杞憂にしてみせましょう。大丈夫ですよ、お父様。俺やテルミ、ネフとセラフィもいます。何もかも悪くはならないでしょう」

 

 狩人はトップハットを衣嚢にしまい、いつもの枯れた羽を模したトリコーンを取り出した。そして、薄暗いカーテンが落とされたショーウィンドウの前に立ち深く被った。

 

「一理ある。それに、いつまでもウジウジしていたらウミウシになってしまうな。お互い不意打ち気味に出会ってしまったようだし、仕切り直す機会はあるだろう……。次の機会までに上手く話せるように練習しておこうか」

 

「……けれどお父様。お言葉ですが、正式な対外交渉ならば学徒の方々に任せればよいのではないですか?」

 

「任せたいが、それではカインハーストの女王様はいい顔しないだろう。レオーを困らせたくもないからな。──さて、反省会は後ほどにしよう。買い物は終わったのか? では帰ろうか」

 

 鈴を鳴らすような声が聞こえた。彼女を見れば「あっ」と声を出したことに自分で驚いた、という顔をした。

 

「お待ちになってください、お父様。あのね。あのね。とっても美味しいパンケーキのお店があるの……もし、これからお時間があれば……一緒に……行きたいのです。せっかく遠出したのですしクルックスも一緒ですから、いいでしょう……?」

 

 狩人は、自分に対してうんざりしてしまった。

 テルミに気を遣わせてしまっている自分は、なんと情けないのだろう。

 強大な敵に立ち向かう方がずっと簡単だ。

 

「すまない。本当に俺は巡り合わせが悪くって仕方ない。実は、先ほどフォーテスキュー氏からアイスをバケツで買ってしまったところだ。急いで帰らないと溶けてしまう」

 

 テルミが薄く口を開いたまま、目を彷徨わせた。

 

「あ。い、いいえ、お父様。気になさらないでくださいな。事前にお話をしなかったわたしが悪いのですから……」

 

 シュンと肩を落とす。テルミは、いつもよりもさらに一回り小さくなってしまったようだ。狩人とクルックスは大いに慌てた。いつも笑みを絶やさない彼女が落ち込むのは、よほどのことだと彼らでも分かるからだ。

 

「こ、今回は無理だが、次の機会には君たち四人と一緒に食事をしよう。約束する。だから、その時に行く店は任せる。あ。いいや、任せてもいいだろうか?」

 

「ええ、はい、素敵なお店を探しておきますね」

 

「ああ。頼む。では次の機会を楽しみにしよう。……不思議と、そう遠くない気がするがね」

 

 狩人の言葉にテルミの顔色は、パッと花が咲いたように明るくなった。

 

「あら。とても嬉しいことですわ」

 

 テルミがクルックスに笑いかけ、彼も見つめ返した。

 言葉を交わすまでもなく「よかったな」と言っているのが狩人には分かった。

 

「…………」

 

 狩人とてクルックスに話すようにテルミと会話をしたい。

 だが、長い長い夜の記憶が脳裏をチラつく。

 ──クルックスのように前向きになるのは難しい。

 自分の言葉が古い傷口に浸みた。

 心の傷など時間が解決するだろうと思っていたが、そんなことはなかった。

 呼吸をひとつ。そして狩人達は姿を消した。

 




飲み込む
 クルックスは、しばしばテルミに言うべき言葉を飲み込んでしまいます。
「やめろ」、「考え直せ」、「それは違う」、「俺は反対だ」、「すべきではない」
 あれもこれも彼女の行動の根幹にあるものは、いつも温かいものだということを知っているからです。
 一方で、善意が他人を傷つけ、向上心が思わぬものを殺し、愛が破滅を招き、躊躇いがトドメになったのは一夏の思い出です。

テルミは方向音痴
 テルミの致命的な特徴のひとつです。
 これのために彼女が独りで行う探索はいつも命がけで、自分がどこにいてどこに向かっているのか、自分自身を見失う節があります。ただし、地図が読めないというワケではないので知識で補える範囲であれば行動することが出来ます。道標として輝く硬貨──ヤーナム内の通貨──を地面に撒きながら行動することもあります。
「テルミさんは地図なんて望んで見ないワケですが」とは市街地図を作成しているピグマリオンの談。
 出来るけどやらない。これも彼女の気まぐれなのでしょう。可愛いですね。

狩人君、背中を取られる
 状況が状況ならば、ダンブルドア校長にバックスタブを取られていました。(背面内臓攻撃を食らう音)
 普段ならば血の狩人並の警戒心で間合いに入った人物の挙動を決して見逃さない狩人ですが夏の麗らかな気分で楽しくなった結果、うっかり会いたくない(会いたかった)人物と出会ってしまったようです。心臓ドキドキでノクターン横丁に駆け込んだ先「用事が済んでよかったですね」とクルックスに言われて「そうなんだけど……! それは、そうなんだけど……! そうじゃあなくて……!」となりました。

ハナハッカ味のアイス
 不味い! でも癖になる……。もう一個!
 ちょっぴり薬っぽいフレーバーはヤーナムの彼らにとって初めてなのに親しみのある匂いで、冷たい食感と併せて楽しんで消費されました。
 狩人は学徒に対し「お土産くらい買っていかないとな……」と考えていた様子。漁村の魚卵並の素敵なお土産になったことでしょう。

赦して……赦して、くれ……
 前話にてペチュニアとリリーの姉妹を誤って表記していました。※ご指摘いただき修正済です。
 正しくは、ペチュニア(姉)、リリー(妹:ハリーの母)です。
(わたくしは何年経っても最初に見た情報の更新ができない頭よわよわ作者です、の看板を首に下げる図)

ホグワーツに旅立つまで、あと1話
 次更新でヤーナムに関連するお話は一旦終了となります。
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