寝袋
羽毛または綿を入れた袋状の携帯型寝具。
……場所を選ばず、良質な眠りを。……
願われ作られた寝袋は、過酷な環境へ赴く人々を一時休ませる。
だが快眠には程遠い。
それでもよいのだろう。帰る場所があるのなら。
ハリーは眠れない夜を過ごしていた。
もう日付が変わろうとしているのに『魔法史』の授業では抗えないほどに襲ってくる眠りは、今となってはちっともやってこなかった。隣のベッドで寝ているロンのイビキがグゥと響いている。何度目かもわからない寝返りをうつ。
それもこれもハリーは明日、三年生以上の生徒がほとんど外出するであろうホグズミードへ行くことが出来ないからだ。ダーズリーおじさんから許可証にサインを得られなかったばかりに。
「──君、どこに行くの?」
「起きていたのか。俺は相当浮かれていたらしい。秘密の会合だ。フフ、来るか?」
ほんの一瞬、ハリーは行きたい、という気持ちが強くなった。けれど瞬きの間だけだ。明日、二人と一緒にホグズミードに行けない。その事実だけで何もかもやる気力が起きなくなった。完全な無気力状態だった。
「遠慮するよ」
横になったままハリーは言った。
「それだけが正解だ。では、おやすみ」
「ゴーストに気を付けて。おやすみ」
クルックスは、いつも休日に羽織っている厚手の外套を肩にかけ、教科書をいっぱいに詰め込んだ鞄を持ち、寝室を出て行った。
ハリーは、溜息を吐いた。
もし、これから残りの四年間をホグズミードに一度も行かずに過ごすとしたら、どうだろう。いったい学校でクィディッチ以外の何を息抜きに過ごせばいいのだろう。
ハリーは、寝返りをうった。
透明マントの存在を思い出したが、やはり追いかける気分にはなれなかった。
■ ■ ■
新学期が始まって早二ヶ月が経とうとしている。
新しい先生による『闇の魔術に対する防衛術』や今年度から受講をはじめた『占い学』の授業にも慣れてきた。宿題が多くなっていることの負担は大きいが、今年は気晴らしを手に入れた。
ホグワーツ城には『必要の部屋』というものが存在する。
最初にその存在を噂で知ったのはテルミだった。世間話のついでから情報はセラフィに渡り、昨年度当初にクルックスも知った。
なぜ噂になるのか。
真実と知っていれば誰も噂にしない。ゆえに噂になるのは──『秘密の部屋』の存在がそうであったように──真偽の確認ができない話が元になっていることが多い。
生徒の間で『あったりなかったり部屋』と呼ばれる場所は、ホグワーツ城の八階の廊下にある。
クルックスがこの城の『どこかにあるらしい』という知識でしか知らなかったこの部屋を見つけたのは偶然だった。
昨年度、彼は秘密の部屋を探す途中で八階を訪れた。秘密の部屋の存在の確証は得たものの肝心の入り口が分からなかったのだ。
結果として、彼は最短の道を見出した。
八階の廊下に現れた『必要の部屋』は秘密の部屋の入り口である二階の女子トイレへ導いたのだ。
翌日、クルックスは八階の廊下を訪れた。
二階の女子トイレへ繋がっていた扉は消えていた。
方向音痴のテルミならば「気のせいだったかしら」で済ませる出来事だったかもしれない。だが、クルックスは自分がどこを歩き、どこへ繋がったのか理解していた。
彼は、時間が許せば城内の全ての壁を点検するため殴り続けることができる忍耐力をもっていた。しかし、現実はそうはならなかったことはホグワーツ城にとっても彼自身にとっても実に幸いなことだった。
さて。
始祖たる四人の創設者がどうしてこの部屋を作ったのかそれは不明だが、部屋の仕掛けを考えれば彼らなりの遊び心だったのではないかとクルックスは思う。
「ぐぅ。談話室で勉強するより捗ってしまうな」
ハロウィーンの前日、クルックスはセラフィと一緒に『必要の部屋』にこもっていた。
二人とも何のことはない。宿題を片付けるためである。
ハロウィーンである明日は、今学期になって初めてホグズミード行きの許可が下りた。
明日はさまざま店を見回らなければならない。コリン・クリービーへの謝礼、狩人から頼まれたちょっとした食料も入手する必要があるだろう。それに楽しい場所だとも聞く。明日は宿題のことを一切考えない日にしたいのだ。
そのことをセラフィに話すと。
「では、僕も頑張るとしよう」
前向きな反応があったので消灯過ぎの深夜に『必要の部屋』に集まることになった。宿題を片付けるならば、二人のほうが一人より捗るだろう。
夕食後、誰よりも先にベッド入ったクルックスは日付が変わろうという深夜に目を覚まし、こうして八階へやって来た。
杖灯りもない廊下で人の気配が動いた。
「むむっ……君、そこにいるのか? 俺は瞳が昏い。『青い秘薬』を飲まれると、ほとんど見えないのだ」
『青い秘薬』とは、ヤーナムの一部の医療者と狩人が用いる麻酔薬の一種だ。かつて「説明しよう! 常人が飲めば脳が麻痺する代物だが、狩人は遺志により意識を保ち、その副作用だけを使う。すなわち、動きを止め己の存在そのものを世界から薄れさせるのだ!」と父たる狩人に説明されたが、実のところクルックスやセラフィ、ひょっとしたら他の狩人達も正しく理解して使っていない。『あらゆる目から逃れることが出来る』。飲んだ効果は、こんな説明で十分だ。使えるから使っている。
そういえば、とクルックスは思い出す。
ハリーが使う透明マントは音を消せない。しかし、怪しげな──いかにも健康を害しそうな青色の──薬を飲むより楽そうだ。クルックスは透明マントの存在を思い出し、いずれ買い漁ってみようと思う。
手を伸ばせば触れることができる距離に人の気配を感じた。足音の感知も難しいが、セラフィがやって来たようだ。
「念のために飲んできたが、誰とも会わなかったので飲み損だった」
彼女が話し始めると闇の中から姿が浮かび上がるように見える。しかし、注意を逸らすと姿はフッと消えてしまう。クルックスにはそう見えるが、これがネフライトやテルミであれば異なっただろう。
「来てくれたのならば幸いだ。片付けてしまおう」
クルックスは『宿題を片付けるために必要な部屋になれ』と念じながら、廊下をうろうろした。彼が『三回往復するだけでいい』と知るのは、ほんのすこし未来の話だ。
二人がこの部屋が『必要の部屋』だという認識の下、使用したのは互助拝領機構の活動初日だった。
クルックスは昨年度自分で見つけた『必要の部屋』のことを夏休みの間、すっかり忘れていた。しかし、セラフィは昨年の帰りの列車で話したことを覚えていたらしく互助拝領機構で行う課題のための場所として提案した。これは素晴らしい提案であり、何度かの試行錯誤の末、クルックスとセラフィは思う存分体を動かせる空間──『気晴らし』を手に入れたのだ。
そして今、『必要の部屋』はクルックスの願いに応えて勉強部屋になろうとしている。
「見る度に思うのだが、どんな仕組みになっているのだろうね」
「ああ、俺も不思議に思う」
「条件が達成されないと出ることができない部屋というものは作れるのだろうか」
「例えば『宿題が終わらないと出られない部屋』ということか?」
「そうだ。もちろん、僕ら二人だと永久に脱出不可能な部屋になりそうなのでやめておいたほうがいいが、出来るのだろうか」
「必要な物が出てくる部屋なのだから、そういう条件があるだけの部屋にはならないと思う。むむっ。ネフなら違う見解があるのかもしれないが……」
「不思議だ。魔法というものが僕らとは異なる根の神秘であることを強く感じる。……ああ、そうだ。外から人が入ってこられない部屋にした方がいいだろう」
「了解した」
念じるのをやめ、徘徊の足を止めると廊下を作る石壁から樫の扉が浮き上がった。石から木材が出てくるという光景は、ヤーナムにも見られる。しかし、あれは悪夢と現実が混ざり合い、物理現象をはじめとする世界の根幹がおかしくなっていることによるもので目の前の現象とは似ても似つかない。
セラフィも感心して見ているようだ。長い溜息を溢している。
「さて、夜明けまで約六時間だ。全ては終わらないまでも、ほとんどは終えられるだろう。頑張ろうか」
扉を開けた先、そこは誰かの書斎のような静かな空気が満ちていた。部屋全体が落ち着いた青を基調として、壁には書架が整然と並び、部屋の中央には四角い大きなテーブルが置いてある。二人で座り、教科書や参考書を広げるには十分の広さだった。
「なかなかいい部屋だ」
セラフィが感想を述べるなか、クルックスは部屋を見回し彼女に鞄を渡し、衣嚢から銃を取り出した。
「確認する。念のためだ」
「君のそういう用心深さは好きだよ」
クルックスが壁を叩きながら歩き、異常がないことを確認した。
銃を仕舞うのを見届けてセラフィは鞄を返した。
「いい部屋ではあるんだが……やはり不思議な部屋だ。以前、雨が降ってグリフィンドールの談話室がガヤガヤとうるさかった日に勉強のため、ここに来たことがある。そして同じ内容で部屋を作るように頼んだが、違う部屋が出来た。……この部屋は人数を理解しているのかもしれない」
「加えて時間帯まで考慮しているのかもしれない。見て、寝袋がある」
「寝袋?」
『寝袋』という存在をクルックスは知らなかった。
非魔法族のアウトドア文化に詳しければ、異なる反応ができたかもしれない。
安眠はおろか睡眠の概念も少々怪しいヤーナムで育った彼には、寝袋とは得体の知れない存在だった。
人がすっぽり入ることができる、大きな封筒の形をした寝袋をセラフィと広げた。その拍子に白い毛が寝袋から出てきた。
「……むむっ? 知らない羽毛だ。アヒル……いや、ガチョウ……? 分からん。しかし、ふわふわだ」
「ひょっとしたらヤーナムでの僕らの寝床より上等かもしれない」
──僕の部屋はすこし温かい氷室なのだし。
セラフィが気になることを言ったが、カインハーストはだいたい寒いところであると聞く。そういうこともあるのだろう。
「何か時代を感じるものだな。しかし、寝具を持ち歩くとは……。寝る間もなく働く人々もいるのだな。きっと魔法界でとても忙しい人々はこれを使って寝ているのだろう」
「なるほど。でも僕は眠るのならマットレスが氷のように冷たくて堅くてもベッドの方がいい」
それにはクルックスも同感だ。
とはいえ、一度寝袋で寝てしまったら意見を翻すことになるかもしれない。二人は寝袋をたたみ、部屋の隅に置いた。
「睡眠は、僕らにとってあまり大切ではないと思う」
「どうしたんだ、急に」
「夏休みの間、十日ほど眠らなかったことがあるのだが──」
セラフィの言葉は続いていたが、クルックスは思わず「何だって?」と聞き返した。
彼女は同じ事を繰り返した。残念ながらクルックスの聞き間違いではなかった。
「僕らは死ぬと『死んだこと』が夢になるだろう? それまでどんなに体が傷んでいても元通りになる。だから、その仕組みを利用して眠くなったら頭を撃ち抜いて、万全の体調に戻す。そうして連続十日間ほど活動してみたことがある」
「……お父様はそういうことをさせるために俺達を夢に留めているワケではないと思う……。やめた方がいいぞ。絶対やめた方がいいぞ。うまく言えないが……俺は聞いているだけで精神が参ってしまいそうだ。そ、それで……どうなったんだ?」
恐る恐るクルックスは訊ねた。
セラフィは、インク壺を開きながら教えてくれた。
「睡眠は僕らにとって必須ではないけれど、眠れないと疲れるので出来るだけ眠った方がよい」
その後に続く言葉はなかった。
「えっ。まさか……それだけ?」
言うべきではない本音が出てしまい、クルックスは口を押さえた。
当然遅すぎるのだがセラフィは気を害した様子はなく「うん」と続けた。
「睡眠は、僕にとって無駄な時間だと思っていたのだが、いざ無くなると大切だと思い知った。意識がある状態が長く続くことは、とても辛いことだ。たとえるならば……そう……よそ見をできない状態と言うべきだろうか」
「なかなか想像し難いが……大変だったな」
「ええ、とても。……僕にとって苦い夏の思い出となりつつあるが、けれどやってよかったと今では思う。お父様のお気持ちがすこしだけ分かった気がするよ」
『占い学』の教科書を広げたところでクルックスは手を止めた。
セラフィが父たる狩人のことを話題に出すのは珍しい。
狩人はテルミほど露骨にセラフィを避けてはいないが、それでも会話の節々にぎこちない時があるとクルックスは感じている。
「お父様は一年に一度、一日か半日程度しか眠らないだろう? 本当は体も頭もお辛いのではないかと思う」
「むむっ。なるほど。人間の限界はとうに越しているからな。今度聞いてみようか。お父様の苦労を肩代わりすることができるのなら……俺にとっても幸いなことなのだがな……」
「君、目指すのかな。上位者の道を」
「ああ、そうそう。いいや、そうではなくて、相棒の話だ」
「消去法で君でいいだろう。僕やテルミ、ネフはそれぞれの仕事や役割で忙しい」
「消去法は嫌だ。だいたいお父様が認めなければ、俺は相棒ではないだろう……」
「では、お父様の成長を待つことだ。もう二〇〇年ほど独身貴族を謳歌したいと考えていらっしゃるのかもしれないからな」
セラフィがやおら立ち上がり、書架から抜き出してきた本は、星座について書かれたものだった。
項を開くなりセラフィは「おや」と困ったような声を上げた。
「何だ」
「星はテルミの専門分野だろう? レポートと星座図は、教科書と資料を見て……僕らでも書けるだろうが……テルミの解説があった方が後学のためになると思わないか?」
「テルミの休日は友人付き合いで忙しいのだろう。テスト前以外で呼び出すのは感心しない。ひとまず俺達で頑張ろう。困ったら『火星が明るい』と書いておこう……」
「むぅ……そうだね。事前に話もしていないし今日のところは諦めよう。それにテルミを呼ぶのならネフも呼ばなければ不機嫌になるだろうね。彼はあれでいて皆で一緒にいるのが楽しいと感じている」
「そうなのか? テルミのお茶会は一年に一回しか参加しないのに?」
「それはテルミが主宰だからだ。君が誘うなら十回に十二回くらい来るだろう。レポートが危なくなったらお茶会を餌に誘ってみるのもよい手だ」
「付き合ってくれるだろうか。試してみる価値はありそうだが……。ふむ。覚えておこう」
それから、四時間後。
二人でぽつぽつとレポートや作画のことを話しながら作業を進めた。
そして、宿題は概ね完了した。特に『闇の魔術に対する防衛術』で最近習った河童と
「どうしてヤーナムには赤帽鬼がいないのだろう? 他の魔法生物にしても同じ疑問を抱いてしまうのだが……。この二〇〇年ほど魔法使いは数こそ少ないが出入りしていたとお父様は言う。ならば、魔法生物の入る隙間くらいあると思わないか?」
「隙間から入ってきたが淘汰されたのではないか? アイツら、自分以外のものなら何でも襲いかかってくるだろう。犬とか犬とか犬とか」
「でも魔法生物の発生は必ずしも個体数が必要なワケではない。どこにでも存在できる可能性がある。例えば、まね妖怪は退治方法は知られていても彼らがどこから来て、どこへ行くのか、何が欲しくて、何を嫌がるのか。生命の根幹が、どういったものなのか分かっていない。少なくとも僕が見た教科書と図書館の資料には書いていなかった。ポルターガイストのピーブズはホグワーツの設立以来、憑いているのだと言う。古くから存在するのに。ヤーナムでは出自明らかな霊しか見かけたことがない」
「うーん。分からないが、もし、俺がポルターガイストならヤーナムは近寄らないと思う」
「どうして?」
「混沌を引き起こすなら獣が担当していそうだし、目に見えないのが標準の認知外で暮らしている生き物がうじゃうじゃいるから、だな」
「そう? そうなのかな? むーぅ。僕は恐怖感情が欠けているせいか君が危惧しているものがよく分からない。でも、人間以外の何かがいるから、というのは良い観点かもしれない。レポートには書けないけれど」
セラフィがクスリと笑う。つられてクルックスも笑った。
「ああ、そうだな。──さてさて、宿題は目処がついたな。良い調子だ。明日は気がかりなくホグズミードへ行けそうだ。君はどうか」
「僕もまぁまぁだ。……ふむ。クルックス、僕は前々から思っていることがあるのだけど」
セラフィが前置きをすることは珍しい。
クルックスは関心を抱いて次の言葉を促した。彼女はインク壺の中身を確認しつつ話した。
「僕らは夜の方が体調がいい気がする。最初は、昼夜逆転状態の生活をしているヤーナムから這い出てきたせいだと思っていたのだけど……勉強でも集中の保ちようが違う」
日中では「これほど頑張れない」とセラフィは言う。
「俺も体感しているところだ。……ふむ。俺達は夜歩きが多いからな。夜に目も体も慣れてしまうのだろう。しかし、あと数週間もすれば──」
「貴公、夜は恐ろしいか」
真っ正面から問いかけられた。
夜に相応しく空気がピンと張りつめる気配がした。
「夜は、いまやお父様の夜だ。俺の足は恐れないが、心は……恐れなどないと言いたいところだが、断言することは……きっと出来ないな。出来ない方が、よいのだろう」
「そう。僕は恐くない。夜の方が好きだ。……適応するまでの時間には差があるようだ」
「君が俺と同じである必要はない。朝に慣れず弱くてもいいだろう。こうして夜に勉強会を開いてもいい。だが、ホグワーツにいる間は規則正しい生活を心がけることだ」
「やはりそれしかないのかな。すこしずつ慣れていくことにしよう。授業中に眠くなる事態は避けたい。……都合のいい部屋も手に入れたので前向きに考えるべきか」
「そうだな。さて朝食まで眠るべきだ。それとも寮に帰るか?」
「寮に帰るのは……気が進まない。君と一緒の夜は貴重だ」
セラフィには一切触れていないのにクルックスは不思議と夏休みにレオーと触れたことを思い出していた。彼にも感じた、温く湿った感情の雰囲気が似ているからだ。
「寂しいのか?」
なぜ彼は自分に触れたくなったのか。
あの時には分からなかった動機が、今ならばすこしだけ分かる気がした。確かめるためにセラフィに訊ねると彼女は戸惑うように目を彷徨わせた。
「寂しい。それは僕のまだ知らない感情だ。けれど僕が寒いと感じているから、君のそばにいたいワケではない。君と……温かくなりたいからそばにいたい。うまく言葉に出来ない。君は、僕の言葉を理解できる?」
「……確かめるには及ばない。君が寂しくないのなら俺はそれでいい。一緒にいよう」
「ありがとう。さて、せっかくなので寝袋を使ってみよう」
セラフィは荷物を片付けると勉強に取り組む前に部屋の隅に置いていた寝袋を手に取る。そして「どちらがよいか」と両手に持って振り返ったが、クルックスは部屋の他の隅を見て、目を剥いた。
「セ、セラフィ、ベッドがある! 部屋に入った時にはなかった! なかったのに……!」
「なんと。部屋が出来た後でも変化するのか? ……驚きだ。とはいえ良かったね、クルックス。寝るなら使うといい。僕は寝袋を使ってみたい」
「いや、俺も寝袋を……。あ、いや、しかし俺が寝袋を使う機会などないから、練習しておかなくともいいか……」
「迷っているのなら寝袋を使ってはどうだろう。またヤーナムからロンドンまで歩く機会があるかもしれない。次回の参考になるだろう」
寝袋を受け取り、足を突っ込んだクルックスは、杖を振って蝋燭を消した。
ただ一本。二人のそばでオレンジ色の焔が灯っていた。
「そうだ。ヤーナムからロンドンまでの話が聞きたい」
「こ、これから寝るというのに……?」
封筒の形をした寝袋にすっぽり入ったクルックスは「明日にしよう」と言いかけて、もう四時間も前に話題の『明日』がやって来ていたことを思い出した。
セラフィは寝袋で居心地のよい場所を探しているらしく、ぼんやり薄暗い部屋のなかでもぞもぞと動いていた。
「僕は寝物語が好き……なのだと思う」
「先達の話すことが好きではなく?」
「それは勿論、好きだ。けれど眠るときに誰かが話をしてくれると一人で眠るより、いろいろな夢が見られる……ような気がする。だから好きだ。その気持ちが大きい」
「はあ。俺はそうした経験がないので……よく分からない感覚だ」
「テルミに頼んでみたらどうか。よく一緒に寝ているとネフに聞いた」
「歪んだ意思を感じる。『よく』ではない。二回しか寝ていないし、今後も多くて年に二度だけだろう。学校から帰った日と学校へ行く前日。寝物語か。試してみてもよいかもな。気が向いたら、だが。……ええと、どこから話すべきか。……うーん。では、三年前にヤーナムの鉄扉をくぐったところから始めるべきだろうか……ヨセフカの診療所の屋根を渡って……」
約三年前のことを思いだし、ぽつぽつと話し始めた。
「テルミと一緒にまずは川の流れに沿って歩き下っていった。獣道を見つけて歩いて行くと道が分かれていた。一方は獣道、もう一方には人工物の石畳があって……明るくなってから分かったのだが、そこは昔の街道らしいものだった。風化や土砂崩れでところどころ壊れているところもあったが……」
「うん、うん……」
「古い街道を探しながらできるだけ高所を選び、進んだ。振り返るとヤーナムには霧がかかり、遠く霞んで見えた。その頃には、かなりの距離を歩いていたハズだが、霧の向こうに見える時計塔は陽炎のように揺れて……距離を違えるほどに、近く見えた。それからヤーナムを背に歩いた。道の続く限り途切れた後は、道なき道を……南へ、南へ……南へ」
話をしていると──とても不思議なものだ──ヤーナムを発ったのが、ほんの数日前のように思い出され、忘れかけていたものが細部までハッキリ見えてきた。話し足りない気分になり、思い返した出来事のために指を折った。
クルックスは、もうしばらく話すことができたが、セラフィには十分だったようだ。
「う……ん……っ、ん……ん……」
意識の半分ほど眠りの世界にいるセラフィは、目を閉じてコクコクと小さく頷いた。
先達の話もこうして聞いていたのだろう。察せられる姿を見たクルックスは、上体を起こし床に置いていた唯一の灯りを吹き消した。
「話はここまで。続きは、いつかの夜に。……さぁ、眠ろう」
第一回、学習会は充実した夜となった。
寝袋の寝心地も確認できたことは、一つの学びとなった。
寝袋があれば、かつて味わった野宿もたいへん楽になっただろう。少なくとも寒さから身を守るために外套を被るか、寝心地のために枕にするかを悩むことはなくなっていたに違いない。
そんなことを考えているとおかしくなり、クルックスはすこしだけ笑った。
ホグワーツにまで来てヤーナムのことばかり考えている自分は、もっと目の前のことに集中すべきなのかもしれない。
学校に来て一ヶ月は血肉溜まりから這い出た自分が明るい世界にいることにひどく戸惑ってしまう。今年は列車に乗って来なかったせいか慣れるのに時間が掛かっているような気がした。
(目が覚めたら、新しい場所に行くのだ。……ちゃんと見てこなければな……)
クルックスは目を閉じると数秒で寝た。
Q.3年生編寝るシーンが多くないですか?
A.夜の時間を共有する『特別な扱い』の象徴が睡眠です。夜の時間は仕事柄、彼らにとって特別な時間でもあります。決して少年少女がスヤスヤしているシーンを書きたいがあまり混入させている等の、筆者の趣味趣向の問題ではありません。ありませんったらありません。こんな冗談抜きに展開と筆者の体力・気力の問題で余計な話を書いている余力がないので恐らくもう書くことがないセラフィの睡眠シーンとなりました。
なお、ねむねむセラフィの横面を突きながら「私が喋っているのに寝るな」と言う寝物語詠唱中鴉は存在する概念であることをお知らせします。
ところで、スリザリンのセラフィはブツブツと寝言がうるさいそうです。恐怖を感じないだけで頭のどこかに負荷が掛かっているのかもしれません。
ホグワーツはダンジョンだらけ?
ゲーム系の展開を見ているとあちこちにダンジョンがある(ように見える)ので石造りの建物とはいえ穴だらけになっているのではないかと心配に思うことがあります(杞憂)。謎地下室なんかもっといっぱいありそう。その確認のために、そろそろPCとPSで出していたゲームをPS4やPS5でやりたいので復刻してくれ……の気分です。
さて、熱心なファンの方々ならばご存じ。来年にとうとう『ホグワーツ・レガシー』が来ますね。舞台は、1800年代のホグワーツのゲームです。46分という長めのプレイ動画が公開されているので見逃している方は要チェックでしょう。スタイリッシュに呪文を使う姿が見られます。また、「ハリー・ポッター 魔法の覚醒(ハリポタ覚醒)」というスマホゲームも来年に登場するようです。舞台は、第二次魔法戦争の数年後ということなので、ハリー・ポッター原作後の時系列上に存在する最も新しいゲームとなることでしょう。ただし、原作者の関わりが報道されないので、ほとんどのゲーム作品がそうであるような派生作品という位置づけと思われます。カードゲーム形式ということですが、筆者はさらにダンジョンが増えるのかなと楽しみにしています。ゲーム情報で何より知りたいのは薬の種類と物価です。楽しみですね。