ホグズミード村
イギリスにおいて唯一、魔法使いまたは魔女だけが暮らす村。
薬問屋からイタズラ専門まで軒を連ねている。
──自らが何者であるかを隠さなくてよい。
その考えは、1930年代に最も栄え、英雄とその仲間によって閉じられた。
とはいえ、この村で得られる心安らかさは若い彼らの心を躍らせることがあろうか。
翌朝。
『必要の部屋』は、その名の通り、必要なものを全て揃えた。
数時間の仮眠から目覚めたクルックスは、半覚醒の意識のなかで寝起きの冴えない顔で廊下を歩くのが億劫だと感じていた。すると部屋にはいつの間にか洗面台と姿見が現れた。
すぐそばに必要なものがあるというのは素晴らしい。寝起きの気怠い体を奮い立たせ、体の清拭を行い、顔を拭くことができた。セラフィも長い髪を梳かして結び直すことができたし、二人であれこれと話しつつ身だしなみを整えることができた。
そして、教科書と筆記用具が全て入った鞄を片手に部屋を出て、セラフィと共に朝の大広間へ降りて来たのだった。
クルックスが食後の紅茶を啜っているとハリーとロン、ハーマイオニーが寮からやって来た。
休日なので彼らは私服だ。ハリーはカーキ色のズボンに紺のパーカーを着たラフな格好だ。ロンやハーマイオニーも似たようなものだ。
「君、今朝は早起きだったね?」
すっかり朝食を食べ終えているのを見てハリーが言った。
周囲を見れば、食事にようやく手をつけ始めた人が多数だ。休日なので生徒も教員も全体的にゆっくりと食事を楽しんでいるようだ。
「ああ。ホグズミードが楽しみで、早く目が覚めてしまった。それに今日はハロウィーンだろう。異教の祭日は、いつも興味深い。晩餐も楽しみだ」
前もって準備していた言い訳は、言い訳として機能した。しかし、ロンやハーマイオニーはクルックスを咎めるような目で見た。
「素晴らしい一日になることを祈ろう。──と言いたいところだが、落ち込んでいるな。ポッター。そういえば、そろそろ俺もハリーと呼びたいところだが」
「ああ、うん、好きに呼んで。僕はホグズミードに行けないんだ。叔父が……マグルなんだけど……許可証のこと、よく分かっていなくて」
「あ。……な、なんと。それは不幸なことだな……」
クルックスは、知らなかった。
ハリー・ポッターは、三年生のほぼ全員が楽しみにしているホグズミードに行けないのだ。
「きっと三年生で行けないのは僕だけだよ。でも、宿題を進められるし……楽しんできて」
ハリーをよく見ると、かなり気落ちしていることが分かった。
上辺は普段どおりに取り繕っているため、クルックスは気付くのが遅れた。
彼のためにいくつかお菓子を買ってこようと思った。
■ ■ ■
朝食が終わった後。
玄関ホールに行くとすでにホグズミードへ向かう三年生が集まっていた。
マクゴナガル先生が見守るなか、管理人のフィルチが生徒から許可証を受け取り、生徒の顔をジロジロと見た。
クルックスがフィルチに許可証を渡すと彼は呼び止めた。
「おい、待て。このコーラス=Bの名前は他の生徒でも見たぞ」
「俺はテルミ・コーラス=Bの親戚で、後見人の一人がコッペリア・コーラス=Bだ。親戚筋が保護者ではいけない話はないでしょう」
フィルチはフンと鼻を鳴らすと「あっちへ行け」と言いたげに顎をしゃくった。
それからクルックスの後ろに並んでいた生徒から許可証を受け取った。
「おーい、居残りか、ポッター?」
クラッブとゴイルを従えてやってきたマルフォイが、周囲の生徒に聞こえるように大声で言った。
「吸魂鬼のそばを通るのが怖いのか?」
ハリーは玄関ホールまでロンとハーマイオニーのために見送りで来ていたが、相手にすることもないと思ったのだろう。言い返すことなく、そのまま無言で城内に引き返していった。
「許可証のある者だけついてこい」
フィルチとマクゴナガル先生が先導し、生徒はぞろぞろと後に従い、ホグズミードまでの二人が歩ければいっぱいになってしまう細い道を歩いた。
秋へと傾きつつある日は、風が吹くと肌がヒリつくようだ。鼻先までマフラーを上げ、目を細めた。その目は、校門の両脇にゆらゆらと黒くて長い存在を見ていた。
「あれが吸魂鬼だよ」
クルックスの隣を歩くネビルが恐れるように言った。身を竦めたのはネビルだけではない。前をぞろぞろ歩く生徒の何人かが、道が急に細くなってしまったかのように一緒に歩く生徒との距離を縮め、早足になった。
「血の通った生き物には見えない。まるで地上を動く影のようだ」
「遠くから見ればね。でも近くに行ったら分かると思うよ。ずっと、幸せになれないような……。そんな気分になるんだ」
ネフライトがひどく影響を受けたことを思えば、油断はできなかった。気を張り、列に遅れないようクルックスも歩調を早めた。
門のところではマクゴナガル先生とフィルチが両脇に立ち、生徒を見送っていた。どちらも厳しい顔をしているが、マクゴナガル先生は吸魂鬼のそばを通る生徒が不始末をしないかどうかに気を尖らせているようだった。
門が近付くと空気が冷えた。
もし、吸魂鬼のことを事前に知らなければ霜が降ってきたのだろうかと足を止めてしまったと思う。
(なるほど。……気分が悪い。啓蒙低い俺でさえこうなのだ。テルミやネフライトが気分を害するのは、よく分かる)
手を握り、痛みでしっかり自分を保ちながらクルックスは歩いた。隣でネビルが肩をギュッと上げて首を縮めた。
吸魂鬼のそばを通過するのは一瞬だけだ。その一瞬でクルックスは黒いフードを被った姿を見上げた。
(穴……?)
体の熱を奪われていくような感覚と腹の底まで冷え冷えとする気味の悪さを味わい、彼は通過した。
隣でネビルがブルブルと震え、力の入っていた肩を上げたり下げたりした。
クルックスも腕を回し「嫌なものだな」と感想を呟いた。
「君、顔が白いよ」
「えっ。そうか?」
クルックスは、手を握りしめたままだったことに気付き、ゆっくり手を開いた。指先まで真っ白になっており、それはしばらく戻らなかった。血の気が引いているのだ。
不思議だ。彼は誰に聞かせるでもなく呟いた。
(俺達が、ああも影響を受ける生き物は……そういないのだが)
ヤーナムは広く深いものだが、クルックスがその存在を目の当たりにすることで体調を崩したのは一度きり。父たる狩人が上位者の姿でのたうちまわっている時だけだった。しかし、あれは冷気を伴う『気持ち悪い』ではなく、目の前の現実が理解できなくなる発狂を伴うものだったので異なる種類の脅威だ。どちらがマシということはない。そういえば、と彼は不快な吸魂鬼から意識を逸らした。なぜ父たる狩人がその状態でしかものたうちまわっていたのか思い出せなくなっていることに気付いた。何か事情があった──特に深い理由なく発狂を振りまいていることはないと信じたい──と思うのだが、あまりの不快さに記憶が色褪せてしまっていた。
種類は違うが、最終的には行動不能に至りそうな脅威は珍しい。
(吸魂鬼……足は無さそうだが実体は存在する。殴り続ければ死ぬのだろうか?)
しかし、試すことは当分ないだろう。クルックスは吸魂鬼に対する思考を棚上げにした。
当分挑むことはあるまい。そう思い直したからだ。
■ ■ ■
ホグズミード村、ハニーデュークスにて。
ツンと澄まし声で小さく話す声が聞こえる。
「糖蜜パイは好きだけど糖蜜って甘すぎると思うのよ。同じ甘味なら、ただの蜂蜜の方が好きだわ。知っている? 蜂蜜って蜜を集める蜂が選ぶ花で味わいが変わるの」
ダフネ・グリーングラスが隣にいて商品棚を見ているセラフィを見た。
彼女は、いつものならば「そうなのか。知らなかった」と言うことだろう。そんな反応を待っていたが、いつまで経っても返答がない。
「セラフィ?」
籠いっぱいに菓子を盛っているセラフィはしきりに数字を呟いていた。
「八ガリオン、十二シックル。十七シックルで一ガリオンだから……。ええと……。あと、一ガリオン五シックルで……」
セラフィは眉を寄せて考え込んでいたが、やがてじっと見つめるダフネに気付いた。
「ああ、君、何か言ったかな。すまない。今、計算をしていて……」
「そんなにお菓子を買ってどうするのかしら? 一年分買い込むつもり? あなたは食いしん坊だけど果物ばかり食べているから、こういうお菓子はてっきり嫌いだと思っていたわ」
「僕は好き嫌いをしない。これは贈り物だ。あと一ガリオン五シックル分の──ええい、面倒だ。レオー様も『お貴族様が貧しい発想をしちゃいかんのさァ。金は使えるだけ使え。いや、マジな話。使い時が投げ銭アタックしかないからな』と言っていた。うん。──あと二ガリオン分ほど購入する必要がある。適当に選んでくれないか」
「ええぇ、わたしが? でも贈られる人の好みも知らないし……」
「何でもいいよ。僕も高い順から籠に入れているだけだ」
「そ、そう? お金の使い方まで設定されているの筋金入りね……。じゃあ、長期間でも保存が出来るからチューンガム。いくら美味しいお菓子でもこれだけあれば一度に食べきれないと思うし……あ、これはアストリアに買っていこうかしら。歯磨き粉味。他には、じゃあ、これとこれと……」
ダフネは棚から一つずつ菓子を取って籠に入れた。
「そういえば誰への贈り物なの?」
「グリフィンドールのコリン・クリービー」
「と、年下趣味!? ──と思ったけどあなたに限ってそれはないわね。どちらかというと年上のおじさんが好きそう」
いつも瞳に情熱がないセラフィの目が突然、光を取り戻したのでダフネは驚いた。
「先達はおじさんではない。おじさんではない。そう自称してらっしゃるが、自称はあくまで自称でまだ四十手前でいらっしゃる」
「ビックリした。設定のことになると急に早口になるじゃない……。それで、クリービーとは何があったの?」
「彼はカメラを持っている。だから彼に頼んで毎年写真を撮っているのだ。だから、そのお礼として、これを。そういえば、魔法族は一般的に写真を撮るものなのか?」
「そうねえ……。クリービーが持ち歩いているのを見れば分かると思うけれど、元々はマグルの発明品で、けれど魔法界において買えない物ではないし……我が家も探せばあるのかも。そうでなくとも最近は廉価の、使い捨てカメラ、なんてものもあるらしいし。でも頻繁には撮らないわね。探せば一枚くらいどこかにあると思うけれど……でも、あら、記憶にないわね……」
「そういうものか。惜しいな。写真は、毎年撮ると成長が感じられて楽しいものだ。これは大人になってしまったらなかなか感じにくいものだと思う」
「それは……そうかもしれないわね。クリスマスで帰ったら、わたしも撮ってもいいのかもしれないわ。アストリアが入学した年の記念に」
だいたい十ガリオン分となった菓子を抱え、会計を済ませるとセラフィは別れを告げた。
「わたしはもうちょっと選んでいくけれど。……大丈夫? あなた、顔が白いわ」
店内の明るい照明に照らされてダフネは気付いた。これまで気付けなかったのは、他の生徒がそうであるようにハニーデュークスの店に辿り着く前に皆、頬が赤くなっていたからだ。
セラフィは寒気を感じたように身震いした。
「狭い場所にこうして人が集まっているのは苦手のようだ。早めに寮に戻っているよ。君も吹雪に気を付けて」
「ええ、ありがとう……。本当にひとりで大丈夫?」
セラフィは、ひらひらと手を振った。
購入したものを全て衣嚢に収納するとハニーデュークスの店を出た。
寒さは相変わらずだが、肌を刺す空気は懐かしさを感じる──もののハズだった。
■ ■ ■
ホグズミードに到着したクルックスは、成り行きでネビルと行動を共にすることにした。二人とも『ホグズミードには皆行くようなので行ってみようか』という軽い気持ちが動機の大半を占めており、何より今日は吹雪いているので観光に歩き回る気力が大してなかった為である。
ついでの用事としてクルックスにはコリン・クリービーの謝礼を買う都合があり、ネビルは『ばあちゃんに手紙を出す』という用件を語った。
「学校のふくろうを使っても良かったんだけどせっかくだからホグズミードから出そうと思って。郵便スタンプを押してもらえるんだ」
そうして二人は「寒いな」と言い合いながら、まずは郵便局を訪れた。
「──写真を撮っているんだ。毎年? ワォ、いいね。きっといい思い出になるよ」
「そうなると俺も嬉しい。魔法族は非魔法族の技術を取り入れることは少ないような気がするが、写真は取り入れられた文化なのだな。すこし意外だ。絵もあるのに」
「そうだね。僕はマグルの写真の方が好きだよ。絵は、喋るだろう。あれ……本当は僕、好きじゃないんだ」
「ほう。なぜか。動く絵は、魔法族の人々にとって面白い存在なのかと思っていた」
ネビルは「あー」とちょっぴり舌を出して考え込む顔になった。
「絵の人物や動物は、その、何て言うのかな、その人がよく使う言葉や仕草や行動を『らしく』見えるように真似しているだけで、その人そのものではないことは知ってる?」
「ああ、それは知っている。最初は絵の中に人が閉じ込められているのかと思って驚いたからな」
初めて見た時に衝撃を受け「魔法界の人々は自らの同胞を絵の中に閉じ込める精神性なのだ」とクルックスは入学から数ヶ月の間、勘違いしていた。
郵便局で数え切れないほどのふくろうを見上げながら、二人は話し続けた。
「その人がそれらしく動いていたら、すごく奇妙な気分になるんだ。それが死んでしまった人だとしたら……とても。悲しんで、きちんと別れたのに、とかね」
「絵が死者を愚弄していると感じてしまうのか?」
「そ、そこまでは言わないけど。でも……お別れの仕方ってあると思うんだ。いなくなった後の考え方、みたいな……ごめん変な話をして、うまく言えないや」
「いいや、ネビル。君は強い、と思う。別れを想定することは、悲しいが、善いことなのだと思う。俺は本当の死を知らないが……」
「でも、君のお母さんはもういないんだろう……?」
控えめにネビルは言った。
いったい何の話か分からずクルックスは、かなり怪訝な顔をしてしまった。
やや間を置いて思い出した。
一年生の入学した日のパーティーで家族の話をしたことがあった。
「ああ、母、母な……。いないことが普通だったから、悲しいとか空しいとか、そういう感情とは縁遠い存在だ」
「そ、そう……ごめん。嫌な話をして。僕の両親は……あんまり……なんて言えばいいかな……元気じゃない。だから……どうしてもこういうことを考えちゃうんだ」
「……そうか。すまない。慰める言葉を俺は持たない。……だが貴公は、善い人だ。あまり苦しんでほしくない」
「ありがとう」
二人は、しばらく同じものを見ていた。
数百羽のふくろうが常に羽を揺すっているので見飽きることはなかった。
「母とは、どういうものなのだろうな」
出し抜けにクルックスは言った。
「僕も、あんまり……。ばあちゃんはいるけど、たぶん、違うと思うから……。でも、お母さんは温かいとか、安心するとか……そういうものだったらいいと思う」
ふくろうが止まっている棚には、風雪を避けるために屋根が取り付けられている。
二人は揃って見上げた。看板は謳う。『地球の裏側まで、どこでも配達します!』
「そこにいるのならどこにでも届けられるらしいが、いないのではな」
「そうだね」
ネビルは、郵便局の職員と話をして、二〇センチくらいのコノハズクの『普通便』を頼み、シュッと音を立てて灰色の空に飛び立つまで見送った。
互いに、微かに笑みを交わして二人は郵便局を離れた。
次はクルックスの用事だった。コリン・クリービーへの謝礼を用意すべくお菓子を売っているという『ハニーデュークス』へ歩いた。生徒は、三年生は勿論、上級生でさえもキラキラした顔であちこちの店を行ったり来たりした。道中、テルミがハッフルパフの女子生徒達と一緒に『三本の箒』に入るところを見たし、ネフライトが魔法用具店の『ダービシュ・アンド・バングズ』で望遠鏡を品定めしているのも見た。『ハニーデュークス』では、ばったりセラフィと出くわした。
「おや、貴公」
「『貴公』!?」
ネビルが「初めて聞いた!」と言いたげに繰り返した。
彼女はトリコーンを深く被っていたが、琥珀色の瞳がクルックスからゆっくりとネビルに移るのが見えた。
クルックスにとって見知った白皙の面が、なぜか無機質なものを感じさせた。セラフィが他人に見せる顔は、このようなものなのだな、と彼は明後日のことを考えていた。今朝のクルックスよりも遅く起きて、服を着るのも一人で出来ずに「もう午前中は寝ていようよ」と気弱な提案した人物とは思えない。セラフィが朝に弱いと語ったのは本当のことだった。
「ご機嫌よう。ネビル・ロングボトム」
「ああ、どうも……」
そっと目礼したセラフィにネビルは警戒と恐れを交互に顔に浮かべた。
クルックスは一歩先を歩いた。
「一年生の時に列車で会った気がするがちゃんとした紹介がまだだったな。彼女は同郷の俺の親戚で、今はスリザリンのセラフィ・ナイトだ。──セラフィ、こちらはネビルだ。今日は、俺の買い物に付き合ってくれている」
「クルックスと仲良くしてくれて嬉しい。僕らは世間知らずなところがあるからね。いろいろなことを教えてくれるといい。これは、お近づきの印に」
セラフィは衣嚢から蛙チョコレートを一個出してネビルに手渡した。
「あ、ありがとう……?」
困惑しながら受け取ったネビルは、しかし受け取ってしまってから罠の可能性を思いついたらしい。ハッとして身を強ばらせた。しかし、受け取ってしまってから返すのも変な話となりつつある。そうして身構えているネビルの代わりにクルックスが訊ねた。
「なぜ蛙チョコレートなんだ?」
「セオドールが『持っていろ』と──あ、いいえ、いいえ──彼はカエルを飼っているだろう。だからカエルが好きなのだと思って蛙チョコレートを選んだ」
「カエルをペットにしている人にカエルのお菓子をプレゼントするのか」
「変かな。では百味ビーンズの方が──」
「あ、ありがとう、もらっておくよ……?」
スリザリン生との付き合いで良い思い出がないネビルは、まだ困惑していた。
「もしも、僕が他のスリザリン生と違うと思っているのなら──」
ネビルのぎこちない態度により、疑問に思い至ったのだろう。セラフィから切り出した。
「それは幸いなことだ。スリザリン生の全てが、貴公をこき下ろすことを楽しんでいると思わないでほしい。主にスネイプ先生の大人げない態度やマルフォイの心ない言葉のことだが。……同じ寮生を止められないのは、スリザリンの弱さでもあるのだろう。マルフォイを諫めたり矯正したりすることで利を得る存在がスリザリンにはほとんどいない。『せいぜい調子に乗らせて金目の物を寄付させるよう』──昨年の箒なんて最たる物だった──そう考える者が多い」
ネビルは何と返事をすればよいか分からなくなっているようで口をパクパクさせた。
セラフィは返事を最初から期待していないようだった。
「これも『そう見える』だけの私見だ。スリザリンにもいろいろいるのだ。貴公の敵は、そう多くない。」
彼女は再びクルックスに視線を移した。
「君、体調はどうか」
「……ああ。これからバタービールを飲んで温めようかと思っている」
クルックスは頷き「よい選択だ」と伝えた。授業がある日であれば、授業に集中しようと努力しているだろうが休日で何もすることがないとなれば、夜に最適化されてしまった彼女の頭は、ぼんやりしてしまうのだろう。
「セラフィ。『三本の箒』というパブを知っているか? 十分経ったら向かう。席を取っていてくれ。それから『お茶会』の段取りを考えていてくれ。後ほど会おう」
「ん、ああ。お茶会……お茶会……ああ、お茶会ね」
セラフィの目が、夜に見せる冴えを数割取り戻したことを確認し、クルックスは別れた。
「お茶会って?」
「クリスマスに同郷の者が集まってお茶会をするのだ。ささやかな、しかし大切な時間だ。俺にとってはな。──さて、美味しいお菓子を教えてくれ。たくさん買うことになる」
ネビルは、まだ何か聞きたそうにしていたが『ハニーデュークス』の色とりどりな広告と甘い香りの魅力には抗いがたかった。
■ ■ ■
「お礼は十ガリオンまで」と告げたのはテルミだ。
コリンへの謝礼である、十ガリオンきっかり購入した山盛りのお菓子は、異次元の収納力を秘めるクルックスの衣嚢に押し込められた。それからヤーナム、ビルゲンワースにいるクィレル先生へ大板のチョコレートを購入した。
そして、店を出る段になり、まだ迷っているネビルと別れた。
風は強さを増すばかりだ。マフラーに鼻先を埋め、クルックスは外套に手を突っ込んで歩いた。
『三本の箒』は、パブ即ち小さな居酒屋だ。中に入るとガヤガヤと人の声に満ち、うるさくて温かい。カウンターの向こうで利発そうな女性がいた。名物店主のマダム・ロスメルタだと言う。
店内をざっと見渡すと末席でセラフィは待っていた。
銀色の長髪が見えたところでクルックスは席に向かったが、彼女がいるテーブルに一ダース分のバタービールのジョッキが並んでいるのを見て脚が止まりかけた。
「やぁ、クルックス。待っていた」
「バタービールは……ど、どうした……君、そんなに好きなのか?」
「ああ、これ」
セラフィは、反応が薄い。
周囲は生徒ばかりでクスクスと笑われている。気にした様子なくセラフィは、最も近くに置いてあるバタービールを一口飲んだ。
「うん。どうやら一本と一ダースを言い間違えたらしい。先に店を出たテルミに頼んで、ネフにも来るように頼んでいる。一人ノルマ四杯だ」
「一本と一ダースを言い間違えるのは普通ではないと思う。大丈夫か、君。すまない。やはり午前中は寝ているべきだったな」
「温かいところに来て気持ちが緩んでしまっただけだ。心配は無用だ。……ここに来て良かった。珍しいものがたくさんある。僕は楽しい……」
言葉の半分は自分に言い聞かせるような響きがある。
それに気付いたが、ズラリと並ぶバタービールに圧倒されているクルックスは軽度なことだと見逃した。
「そう。ならばいいが……。お、ネフだ」
マフラーで鼻先まで埋めたネフが足早に店に入ってきた。
手を振って合図をすると彼は、テーブルにやって来た。
「ご機嫌よう」
教会式の挨拶をする彼は、温かいところに来てホッとしているようだ。冷たい風に晒されていた頬に朱が差した。
「やあ、君。助けてくれ」
「やぶさかではないがね。吸魂鬼のことを考えれば、すこし英気を養っておくべきだからな」
「バタービールで吸魂鬼に立ち向かおうと?」
クルックスは、自分が思慮深い発言をしていないことを自覚している。しかし、どうしても気になってしまい質問した。勿論、ネフライトは否定した。
「バタービールの瓶で殴る蛮勇を試すべきではない。だが、バタービールは気休めにはなる。私達は、どうやら影響されやすい性質であるようだから」
まだネフライトの言葉の意味が分からず、質問を重ねた。
彼は周囲を見て誰もこのテーブルに注意を払う者がいないことを確認してから話し始めた。
「君も吸魂鬼のそばを通ったので分かると思うが、あれは精神に影響を与えるだろう? 一般的な影響として、軽度であれば気分が落ち込む程度だが、重度になれば血の気が引いて気絶してしまうことがある。あれは、もっとも穢れた場所にはびこり、凋落と絶望の中に栄える生き物だ。魔法界も面白いものが存在している。よかったな、クルックス。あれほど穢れた存在はヤーナムでも珍しい」
「え。それは……そう、だな」
やはり魔法界も穢れたものは存在するのだ。
その確認は常に喜ばしいもののハズだったが、自分でもよく分からない感情に邪魔されてネフライトほど喜べなかった。
彼は、セラフィを一瞥してからバタービールのジョッキを手元に引き寄せた。
「さて、私達の話をしよう。セラフィがぼんやりしているのは体調もあるだろうが、おおかた心の防衛機制だろう。感情を麻痺させて精神状態の悪化を防いでいるようだ。これ以上、傷つかないように。穢れないように」
思えば、朝食を摂りに行くため一緒に階段を下がってきた頃のセラフィは、今より遙かに頭がシャンとしていたように見える。あの時の彼女ならば、一個と一ダースを間違えることはなかっただろう。
当のセラフィは反応が鈍く「うん」と困ったように頷くだけだった。クルックスはセラフィを早急にテルミ・コーラス=メンタルクリニックに放り込む必要を感じた。
「だが不思議だ。なぜ影響が大きいんだ? 穢れたものに接する機会が多い俺達は、むしろ慣れていて──医学の単語で何というのだったか──あ、『免疫』がありそうなものなのに」
ネフライトは、バタービールを呷りながら興味深そうにセラフィを観察していた。
「吸魂鬼の存在は絶望と憂鬱を与えるものだという。そして、吸魂鬼は非存在だ。肉体の概念が希薄な私達に影響を及ぼす時、その影響は魔法族などに比べて著しいのだと思われる」
「肉体の概念が希薄とは、どういう意味だ」
「言葉のとおりだ。私達の体は、物質世界において必ずしも物理的に存在するものでは──すこし待て──君に分かる表現を探している。ふむ。例え話をした方がよいだろう。肉体の概念が頑強であったのなら『青い秘薬』を飲んで、遺志により意識を保ち、自分の存在を薄れさせることは出来ないだろう。ただの人間が飲めば、脳の麻痺で終わる代物だ。けれど、私達は違う。私達の肉体は、特別だ。物質としての肉体に依存しない部分が多くある。……この説明で分かるかな」
「ぼんやりとだ……。夢で生まれた俺達は、非実在のものの影響を受けやすいということか……?」
「その理解でもよいだろう。しかし、まぁ、吸魂鬼の件はともあれ普段は気にしないことだ。こうしてバタービールもうまいのだからな」
ネフライトは、ジョッキを一息に飲み干した。
「くぅ~、うまい。まろやかな味わい。ヤー。失言。これだけで故郷から這い出てきた甲斐があるというものだ。山羊の乳ではこうはならない。さぁ、どんどんいこう」
熱々で泡立つバタービールだが、ネフライトは気にならないらしい。
クルックスもジョッキに手を伸ばし、一口飲んだが想像より熱かった。温くなるまで手の中で回すことにした。
「それで吸魂鬼を倒すにはどうすればいい? 俺達に有効ということは、お父様にも有効だ。むしろバジリスクがそうであったようにお父様にこそ致命的なのかもしれない。対抗策を見つける必要がある」
「答えは、さほど難しいところにあるワケではない。具体的に言えば、図書室の本に書いてある。ちょうどいい。そのうち互助拝領機構で取り上げてみたまえ。……念のために言うが、実技で吸魂鬼に手を出せという意味ではないよ」
「それは分かっている。俺から諍いを起こすことはない。図書館か。分かった。探してみよう」
「あ~あ、うまい。うまい。私が味覚や触覚まで精密に記憶が出来ないのは残念だ。……出来たら何度でも繰り返して楽しめるのに……」
ノルマは一人四杯。
ネフライトはハイペースに呷っているが、今日のセラフィは行動のいちいちが遅かった。
「セラフィ、せめて美味しいものを食べて、体調を整えたほうがいい」
「僕は恐怖を感じないが……感じていないだけで、他の感情は鈍磨してしまうのだね。初めて知ったよ。頭の回転が鈍くなったようでこの感覚は好きではない。早く人目のないところに行って体を元に戻したい。そろそろ僕のレイテルパラッシュに血を吸わせてあげないと」
「うーん。これはダメそうだ。──ネフ、どうにかならないのか?」
「ならないな。彼女の心は『恐怖に対し健全な防衛を行っている状態』であるから。──ほんの一時、気分が落ち込む程度で医療者の手を患わせる患者は、もれなく手術台に直行されるべきなのだ。もれなく『楽しくなってしまうクスリ』をブチこまれたくなければな……。まぁ、内面のことは私の専門ではないので診断もテキトーだ」
「専門なんてあるのか? 君の専門は何だ」
「外科だ。体の外部のことだな。この説明で分かるかな?」
「完っ全に理解した。──ネフ、ノルマ倍だ」
セラフィは、飲み物を飲むのもままならないので彼女のノルマをネフライトに押しつけた。
「他のノルマならば突っぱねるところだが……バタービールだけは別腹なので許すとも。もうこれだけ飲んでいたい。食事は全部これにしよう。決定」
「こっちもダメそうだ。バタービール中毒になっている」
クルックスは、ノルマとなったバタービールを飲み干した後でセラフィの手を引いた。
「口の中だけでなく、腹まで甘ったるい気がする。帰るぞ、セラフィ」
「──クルックス、どうしてもダメならばテルミに頼みたまえ。認めるのは癪だが、彼女は精神の問題をよく扱える」
「ちょうどそれを考えていたところだ。……そうだ。お父様の使者に頼んで、どこかに『灯り』を作ってくれ」
「承ろう。君のために」
ネフライトは、楽しげにジョッキを呷った。
■ ■ ■
店の外に出た時。太陽は薄い雪雲に隠れていたが、窓を叩き続けていた吹雪はわずかに勢いを落としていた。
これ幸いとクルックスは踏み固められた道を歩み出した。
「……すまない。クルックス……。君のせっかくの休日を……こんな形で潰してしまうなんて、迷惑をかけている……。昨日、頑張って宿題をしていたのに……」
「君の不調に気付かなかった俺が悪かった。さっさと城に帰りたいところだが、門ではフィルチさんや先生が出入りをチェックしているのだろうな。夢を経由するとまずい。……もう一度、吸魂鬼のそばを通ることになる。耐えられるか?」
精神の調子に関わらず、吸魂鬼の見張る門を通らなければ出入りは出来ないのだからクルックスの問いは無意味とも言えた。
だが、聞かずにはいられなかった。
セラフィはコクコクと頷いた。顔色は、いつも以上に白い。
「クルックス……どうして僕は心弱いのだろう……。ほかの皆は、これほど引きずらないのに。僕だけ……どうして……」
「君は弱くない。君には休息が必要なだけだ。カインハーストでも働き詰めだったのだろう」
「考えるべきではないのに……気分が落ち込む。嫌な思い出ばかりが……。ああああ、僕に嫌な思い出は無いハズなのに……」
クルックスは、無言で彼女の手を引いて城へ引き返した。
■ ■ ■
「あら、セラフィ──」
ダフネは買い物袋を腕に提げてハニーデュークスの店を出た。
声を掛けようと思ったのは、これからダフネも城に戻るからだ。しかし、彼女を引っ張って行く者がいる。それを見てダフネは声を掛けるのをやめてしまった。
いつになく頼りない足取りのセラフィを伴って歩くのに自分には荷が重いと思ったからだ。
ホグズミード村
活気ある村ですよね。マダム・ロスメルタのママさんの女将さん雰囲気が好きです(唐突)。どっかの陰気で鉄格子のついた窓越しでしか話せない街とは違いますよ、ここはぁ……。
バタービール
最初に見た時はこどもビール的な物かな、と思っていましたが、その後4巻(『炎のゴブレット』)にてアルコールが入っていることが言及されました。これによりメニューを想像していたファンがマイ・レシピの書き換えにはしったとか何とか。懐かしい思い出です。
ネフライトの記憶力
目で見たものは完璧に覚えることが出来ますが、触覚を記憶することや味覚を記憶することは出来ないようです。ついでに、その時の感情や気分も。情報量で脳がパンッしちゃうので視覚情報だけの記憶が限界なのでしょう。それにしても情報過多を搭載し続けているとロックハート先生のバレンタインイベントの時のようにプッチンしちゃうのですが……。
セラフィの耐性
苦しいことや辛いことがあった時、彼女の精神は基本的に避けることをしません。──なぜなら、僕はそれに耐えきれるハズだから。
呪いのホグズミード村
ところで『ホグワーツ・レガシー』ではPlayStation限定クエストで『呪いのホグズミード店』が配信されることが決定しているんですが、ホグズミード村出身魔法使いの二次が増えるんじゃあないかと今からワクワクしています。