甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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不調
整わず、治らず、おさまらないこと。
たった一歩が羅馬に通じ、たった一噛みで國は崩れ去る。
いかなる小さな事とて軽んじるべきではない。
致命を招く事態は、大抵そこから始まるのだ。



ハロウィーン(下)

 

 夜。

 城の中は、ハロウィーンの賑やかさで輝き、天井は深く青い夜空を映し出していた。

 これまで経験したハロウィーンは、各年で印象深い出来事が多い。

 一年目は「トロールが入り込んだ」と大騒ぎになり、二年目はバジリスクの痕跡である初めての石化者──対象は猫だった──が出た。

 今年度こそは穏やかな異教の祭日となるだろうというクルックスの見込みは外れた。

 身近に起きた厄介な出来事ならば、今年が最も厄介だ。

 心の問題とは、目に見えないからだ。

 

 クルックスにとって。

 セラフィは『きょうだい』のなかで最も気の合う存在だと思っているが、その内面の理解は難しい。

 彼女を引っ張ってくるために彼は、あれこれとその理由を並び立てた。だが半日ぶりに『必要の部屋』に戻ってきた本当の理由は、彼女を寮生のなかに戻すことに危険を感じたからだ。

 何をしでかすか分からない恐さというものにクルックスは敏感になるべきだと思っている。

 最も『故郷』と呼べそうな、狩人の古工房に似せた小さな部屋に姿を変えた『必要の部屋』にてセラフィは、椅子に座り、背を丸めると両手で顔を覆った。

 

「心弱い僕など……存在すべきではないのに……僕には、価値がない、価値がない……ああ……嫌、嫌……鴉羽の騎士様……心弱い僕を、お咎めください……」

 

「誰も君を責めない。君は心弱くない。吸魂鬼のせいだと言っているだろう」

 

 このやりとりは、かれこれ十数回目になる。

 向かい合い、椅子に座るクルックスは堂々巡りになる会話に手詰まりを感じていた。テルミに手記を送ったので、もう一時間もなく来るだろう。

 しかし、セラフィの様子は気になることが多い。

 たとえば。

 

(こんな時に罰を求めるのは、なぜだ? しかも罰を与えるのは、仕えている女王様ではなく古参のレオー様でもなく、鴉?)

 

 本当は「なぜ鴉羽の御仁が君を咎めるのか」と質問したいところだが、この質問が引き金となって突然自傷することも考えられるためクルックスは迂闊に言葉を話せなかった。そもそもこの八階まで辿り着くまでの間も気が気ではなく、クルックスは絶対にセラフィの手を離さなかった。二階程度でも頭から落ちれば人は死ぬ。そしてホグワーツにはなんと便利なことに動く階段なんてものがあらゆるところに存在している。突発的に自殺しそうなセラフィから目が離せなかったのだ。

 

「……ヤーナムで気落ちしたときは、どうしていたんだ?」

 

『気落ちしたことはない』という返事が来ると思っていたクルックスは、問いかけた。

 セラフィは、白い指の隙間から疲れた目を向けた。

 

「レオー様が……いつも僕を慰めてくれた。僕から望んだことは、なかったけれど……」

 

 ──僕を膝の上に乗せてね。

 ──膿んだ傷口を開くように、お話をするんだ。

 躊躇いがちに語られた言葉は、クルックスでは真似しようがないものだ。

 

「そうか。……夏に共に時間を過ごしたが、あの御仁は言葉を操るのがうまいな。言葉を知らなければ頭も足りていない俺は違う。同じことは出来ないが、君の秘密を預かる仲だ。もうすこし預かろう。俺に出来ることならば、全て」

 

「んっ……嫌……。君にこれ以上、情けない顔は見せられない。僕を見ないでくれ……」

 

 どこかへ去ろうと腰を浮かしかけたセラフィの肩を掴み、クルックスは元通り椅子に座らせてから手を握った。

 

「君の矜持は、俺に心の裡を話すことで損なわれはしないだろう」

 

「……僕を甘やかさないでくれ。僕は辛苦を母。苦難を友とすると決めた。もう、そう決めている。心の不調はそのうち治るから……」

 

「ならばいい。『きょうだい』は別だな。乗り越えるための試練には、身の丈に合ったものがあるのだろう。辛い時は、苦しい時は、言うといい。望む限り、そばにいよう。いいや、君が望まずとも俺が必要だと認めた時は、そうしてくれ。君を案じている。俺に案じさせてくれ。そして俺が困っている時は助けてほしい。──これでお互いに釣り合うだろう」

 

「…………」

 

 セラフィは相変わらず疲れた目でクルックスを見つめ返した。

 無機質で、無感情で、何をするのにも億劫で、心が落ち込んでいるのだと分かった。そして重傷だとも。

 捕らえた指を撫でながらクルックスは考える。

 

 恐らく、セラフィは。

 抱える信念ゆえに人に寄りかかることが、とても苦手なのだと思う。

 普段は、それでもいい。

 精神に強度があるとすれば、持ち前の性質も相まって彼女はひどく打たれ強い。

 たとえ心折れようとも、折れた心を継いで立ち上がる気概がある。

 だが、一方で。

 吸魂鬼のようにじわじわと──喩えるならば、布を泥に浸していくような──精神の汚染に弱いのだ。

 気概を挫き、心を腐らせる毒から立ち直る術を彼女はまだ知らない。知らないことは、できないからだ。

 手探りはお互い様だ。

 

「俺が落ち込んだ時は……こうすると、元気が出る、な」

 

 クルックスは、セラフィの手を離すと腕を背に回した。

 自然と縮まった距離。クルックスは椅子に浅く座った。

 セラフィの様子を伺うと白銀の長い睫が微かに光っていた。

 目を閉じて、何かを堪えるように唇を噛んでいる。

 

「君は……強いな。認めるのは本当に癪なのだけど……」

 

「そうか。それでもいい。ユリエ様やコッペリア様、あとテルミにも、ときどき世話になる。当然、お父様にも。……もしも、俺が強く見えているのならば多くの人に支えられているからだろう。俺も君にとって、そうありたい」

 

「…………」

 

「それから……落ち込んだ時は、すこし先の未来の話をする」

 

「……僕に優しくしないでくれないか……。きっと僕は君の優しさに報いるものが、何もない。……不思議とそれが分かるんだ」

 

 ──返さなくていい。

 それを伝えてしまうのは簡単だ。

 だが、誰に寄りかかることも良しとしない彼女が休めるのは、貸し借りが存在するときだけだとクルックスは理解していた。

 だからこそ、告げる。

 

「いいや、君は俺に報いるのだ。君には元気になってもらわなければならない。お茶会をするのだろう。二回だ。テルミのお茶会と君が望むお茶会を」

 

「あ……」

 

 失意と絶望のなかに淀み、忘れていたことを彼女はようやく思い出したようだ。

 思わず開かれた琥珀色の瞳は蝋燭のオレンジ色の光を受けていくつもの光が輝いていた。

 眦の水滴を親指で拭い、クルックスはセラフィの顔をよく見た。

 

「ん……そうだ……そうだったね。あれは……本当は……鴉羽の騎士様の提案なんだ。君とあの人と、僕と。それをしくじるワケにはいかないね……」

 

「そ──エッ!?」

 

 クルックスは、無いハズの傷が痛み、空っぽの胃が喉までせり上がってくる錯覚を得ていたが、セラフィは気付かなかったようだ。

 セラフィは、彼がそうしていたように、背に腕を回して頭を寄せた。

 

「……ありがとう。すこしだけ上向いてきたような気がする。未来の話はいい。心が弾むね」

 

 セラフィはクルックスより背が高く、体格に伴って腕が長く、手も大きかった。

 テルミとは異なる感覚は新鮮で、けれど同じように温かい。

 クルックスはしばらく互いの肩口に頭を預けて『大切』を感じたかった。

 

「今年度は、吸魂鬼に近付かないように気を付けよう。君とホグズミードに行けないのは残念だが、こうして『気晴らし』もある。それに吸魂鬼による防衛も永遠ではないだろう。ホグズミードには来年度もある」

 

「ありがとう……。……。僕のこと、先達には内緒にしてくれないか」

 

「誰にも吹聴しない」

 

「いつか……君の不安も話してくれ。僕ばかりでは心苦しい」

 

「そうだな。そう遠くないうちに話すことになる。必ず。必ずな。しかし、セラフィ、本当に聞きにくいのだが……絶対に言い間違いか、聞き間違いだと思うのだが……鴉羽の御仁ではなくレオー様とセラフィと俺で囲むお茶会だろう? そうだろう? 頼む、そうだと言ってくれ、頼む」

 

「え? どうしてレオー様が出てくるのかな?」

 

「おお、やは──なに、なんだって──え? なに、どうし、えッ?」

 

 クルックスは混乱した。

 そもそも、レオーとセラフィとクルックスのお茶会を提案したのは他でもなくクルックス自身だ。まったく関係のない鴉からなぜお茶会の誘いが来るのかさっぱり分からない。

 

「──セラフィ、セラフィ。落ち着いて聞いてくれ。夏休みに俺は君に手紙を渡したな? それはレオー様に渡してくれたな?」

 

「もちろんだ。レオー様は君のことをずいぶん高く評価していた。……僕は鼻が高いよ。本当に」

 

「何だか気になる言い方をする。と、ともかく、渡したということは、レオー様は内容をお読みになった、ということだよな?」

 

「もちろんだよ。どうしたのかな?」

 

「……い、いや? なんでも? それより君への相談事が出来た。後ほど仕切り直して相談の機会を設けてもらいたい」

 

 話すことは決まっている。鴉とのお茶会の件だ。

 クルックスは流血鴉に呼びつけられる理由が無い。そして、時間の短縮で同僚の仔を殺すような彼が、まさか不幸な殺傷事件について謝るなんてことはないだろう。そのため、いつか開かれるお茶会の開催時間ギリギリまで辞退及び破却のための努力は惜しまない心算だ。

 

「分かった。落ち着いたらね。それにしても君、血族の甘い匂いとも違うが……。ん。んっ。お父様に似た匂いが……」

 

「そうか? まあ、顔も似ていることだしな。──あ」

 

 口を滑らせたと思った時には、遅かった。

 セラフィの気分が上向いて、つい油断してしまった。『顔が似ている』というセラフィにとって繊細な問題に不用意に触れてしまいクルックスは狼狽えた。

 

「す、すまない……迂闊なことを言った」

 

「大丈夫だよ。大丈夫。気にするほどではない」

 

 そう言いつつ、セラフィはクルックスの背中に回していた腕を解いた。

 謝罪を言い募ることは、失言を『無かった』ことにしたいセラフィの気持ちを蔑ろにするように感じられてクルックスは何も言えなくなってしまった。

 膝をぶつけるほど近くにいるのにもう一度手を伸ばすことは難しい。二人は、言葉なく見つめ合った。

 そのうちセラフィの琥珀色の瞳が、部屋の外へ意識を向けた。気付いたクルックスもそちらへ目を向ける。その瞬間、扉が開いた。

 

「あら。呼び出しのご注文は、二人がイチャイチャしているのを眺めてろってことかしら?」

 

「混ざってくるといい。私はここで血酒を飲みながら見ているから」

 

「素敵な趣味ね。わたしは逆でも構わないのだけど。あ、さては貴方、お呼ばれしていないのに来たので気が引けているのね?」

 

「ハァ? 自己主張の少なさを人は貞淑と呼ぶのだ。爛れた性根の君でも聖職者の端くれならば慎みを持ってだな──」

 

「ごめんなさい。わたし、貴方のことを誤解していました。聖職者なのに特殊な性癖を拗らせていて難儀なのですね。ウフフ」

 

「君の歪んだ常識の誤りを正す術を私は知らない。治療不可能な病。私はいつだって君の手足を千切って獣の餌にしてやりたいのだ。恥じたまえよ」

 

 テルミとネフライトが言い争いながら入ってきた。

 セラフィがおかしそうに失笑した。

 

「いつものとおりだね」

 

「……そうだな」

 

 二人を見るセラフィは、すっかり元通りだ。テルミを召集した意味は失われつつある。しかし、物事が良い方へ転んだと考えれば、何の損失にもならないだろう。

 テルミとネフライトは、互いに噛みつきそうな顔で言い争いを続けていた。

 

「もうネフったら。明け透けで露骨です。破廉恥な頭をしているのはどちらか、そろそろ疎いクルックスでも分かってしまいそうよ」

 

「そりゃあ分かるだろう、明白だからなぁ。君は、またあの破廉恥な紐を履いているんだろう」

 

「きゃっ。どうして分かったの?」

 

「エ──っ」

 

 テルミが、制服である紺色のスカートを手で押さえた。

 ネフライトは一瞬だけ茫然とし、視線が下に動いたのをクルックスは見た。

 

「あら、カマをかけただけ? なーんだ。紛らわしいこと言わないでください」

 

「バッ……バカじゃないのかっ!?」

 

「さっき空いている教室で着替えたの」

 

「理解不能! このっ! こいつめっ! 聖歌隊は頭が沸騰しているのかっ!? 信じられないっ! 私と一緒なのは分かっているのに!」

 

「でも貴方には関係無いので取り乱す必要はないですよね?」

 

「いや──でも──」

 

 ネフライトは狼狽えた顔で、なぜかクルックスを見た。

 

「きょ、教育に良くないし──あ、聖職者としても良くないだろう! 良くない、良くない、全然良くないっ! 捨てろ、捨てなさいっ、あの紐!」

 

「ユリエ様はもっと過激なの持っていらっしゃるわ」

 

「忘れろ、私! 聞くな! 忘れろ!」

 

「獣性高すぎです。けれど貴方の場合、啓蒙が下がってよいのかしら? 冗談なので忘れて下さい。ああ、忘れられないのでしたっけ? あらあら、困った困った、ウフフ……」

 

 耳を塞いだネフライトの脇腹をツンツンし始めたテルミは、調子に乗りすぎている。

 クルックスは、二人の間に割って入った。

 

「そこまでだ二人とも。いったい何をしに来たのか、そろそろ分からなくなってしまいそうだからな」

 

「そうでした。セラフィが元気ないと聞いて──あら?」

 

「元気になったよ。ありがとう」

 

 テルミは「んー」と鼻を鳴らして立ち上がったセラフィの周りを一周した。

 もう一度、正面に来たときにセラフィはテルミを抱え上げた。

 

「うん。大丈夫。元気だ。僕は」

 

「そう? 貴女がそうなら、わたしもいいの。顔色がいいわ、貴女」

 

 セラフィはテルミをギュッと抱きしめた。クルックスにはセラフィの背中しか見えないが、テルミの脚が床に届かずにプラプラと揺れているのが見えた。セラフィは『きょうだい』のなかで一番背が高いのだ。テルミとの身長差は頭一つ分ほど異なる。

 やがて満足したのかセラフィがテルミを床に置いた。ネフライトが大儀そうに息を吐いた。

 

「吸魂鬼にはチョコレートが有効だとマダム・ポンフリーが言っていた。念のためだ。食べるように。『ハニーデュークス』の板チョコだ。君のために買ってきた。とても美味しい。私は毎食でも食べたい。だから、君も全部食べるんだぞ」

 

「ありがとう」

 

 恩着せがましく「やれやれ」と言って大きな板チョコレートを差し出したネフライトは、自分よりセラフィとの付き合い方が分かっているようだとクルックスは思った。ヤーナムでの二人は一緒に行動するからだろう。

 

「ワッ!」

 

 セラフィの手は、板チョコではなくネフライトの手首を掴まえて、あっという間に抱き寄せてしまった。

 

「おい、離したまえよ」

 

 慌ててネフライトが言う。大きな板チョコレートが行き場所を無くして揺れた。

 

「君には苦労をかけるね。……僕も好きだよ」

 

「エッ!?」

 

「チョコレート」

 

「あ、うん。美味しいからな。うん」

 

 短い抱擁の後でネフライトはセラフィに大きな板チョコレートを押しつけた。

 

「元通りになったのならばいい。今年はやることが盛りだくさんだ。──たとえば、この『必要の部屋』の事とかな」

 

 ネフライトの言葉に全員が注意を向けた。

 すっかりいつもの調子を取り戻したセラフィが衣嚢から一枚の羊皮紙を取り出し、彼に渡した。

 

「そうそう、君から頼まれていたことを果たそうか。はい、これ」

 

「ああ、素晴らしい。君は、やれば出来る人だと前々から思っていた」

 

「──なぁに? なぁに?」

 

「──知らん話を進めるな。何の話だ」

 

 テルミとクルックスが説明を求めるとネフライトは、薄く口を開く。『きょうだい』である他の三人には、それが彼の笑みだと知っていた。

 

「『必要の部屋』! 実に不思議だ。とても不思議! この部屋は何を叶える? この部屋は誰のどんな望みまで叶えてくれるのか。把握してから使う必要があるだろう? 『使えるから使う』という思考はヤーナムの狩人的には正しいが、それは吟味も研究もする暇のない場合にのみ許されるべきである。ゆえに今の私達は、きちんと調べてから使うべきなのだ」

 

「もう使っているけれどね?」

 

 テルミの発言に華麗な無視を決めたネフライトは、報告書の羊皮紙をクルックスに投げた。

 ネフライトは一度見たものは忘れない記憶力の持ち主なので一瞥で十分だったのだ。

 

「というワケだ。これまでに何度か使っているというセラフィに依頼して、使用時に『どのような願いで、どんな部屋になったのか』という記録を取ってもらっていた。これは、今後も続ける必要があるだろう。そのため記録帳をこちらに用意した。使ったらキチンと書いておくように。そして、私達が使う時は『部屋の中身が継続して使える状態』であることが好ましい」

 

「継続して使える? どういうことだ」

 

「今日クルックスが入った部屋に明日のテルミが入れるとよい、という意味かな?」

 

 クルックスの問いをセラフィが換言してネフライトに訊ねた。彼は「そのとおり」と頷いた。

 

「部屋の中身が増えることはよい。けれど、減らないように。──私達だけが知る合言葉を設定し、それを唱えるだけで我々にとっての『必要の部屋』となるように出来れば便利だな」

 

「合言葉か。9kv8xiyiとか。または8ewm2xxxや5p6rzey7、dppxirth」

 

「あ、最近dppxirthは消えたようですよ。いくら調べても繋がりませんでしたから。yaxanc5iとか、いかが?」

 

「y592byzaはどうかな。wyknbf8iは赤蜘蛛がいないところがいいね」

 

「有名な聖杯文字を列挙しろ、とは言っていない! あまりに予測が容易い! 言う前から分かっていた! ──はい。諸賢、そ・こ・で!」

 

 ネフライトは突然声を大きくした。

 

「私からの提案だ。お父様がよく呟く、『かねて血を恐れたまえ』にしたいと思う。諸賢、いかが?」

 

「異議なし」

 

「はーい、賛成でーす」

 

「僕は『カインハースト万歳』がいいと思う」

 

「多数決により『かねて血を恐れたまえ』になった。よいかな、セラフィ」

 

「いいよ。……いいえ、僕にも一応の立場というものがあるので言っただけだ。本気だけど、本気にしないでくれ」

 

「忠信厚いこと! 涙が出そうだ。『きょうだい』に対する献身もそうであるように望む。──さて。諸賢、一度外に出てくれ。さっそく実験してみよう」

 

 ネフライトは、クルックスに『必要の部屋』に関する本を渡した。罫線だけが書かれた白紙の本だった。表紙には、何の懐疑も抱かせないであろう文字、『宿題計画』と綴られていた。

 なるほど。クルックスはネフライトの行き届いた配慮に頭が下がる思いがした。

 誰が持っていても表紙は不自然ではないし、中身も部屋を使用した目的と使用時間、ついでに勉強の進捗を書いておけばバレない。素晴らしい体裁だ。

 

 四人は部屋の外に出た。『必要の部屋』は退室から間もなく石壁に吸い込まれるようにして消えていった。

 ハロウィーンの祭日ということもあり、ゴースト一体なく、人の気配はない。テルミとセラフィが廊下を見張り、ネフライトに合図を送った。

 

「それで、最初は何と唱えるんだ」

 

「『あらゆる活動を行う場合に求められるモノを全て備える空間、且つ、それはクルックス・ハント及びネフライト・メンシス、テルミ・コーラス=ビルゲンワース、セラフィ・ナイトのみが入退出できる空間であり、先の名の者が「かねて血を恐れたまえ」と言った時に常に作られ、開かれる空間を望む』だな。何をするにしても『あらゆる活動』という文言でまかなえるハズだが、もし、何か条件を付け足したくなったらこの言葉の後で『且つ、あれこれが必要』と加えればいい。……とはいえ、そもそも条件の長いこの望みが聞き届けられるかどうか疑問だ。これまで使用した部屋の成り立ちにおいて、これほど条件を付け加えたものはなかったようだから……」

 

 うむ。クルックスは頷いた。

『必要の部屋』に願ったことはこれまで短い願いだ。たとえば昨日の勉強部屋を作るときは『勉強が出来て、休める部屋が欲しい』と念じながら石壁をうろうろした。

 

「取りかかる」

 

 ひと言、ネフライトは呟いた。

 彼が往復するのは『バカのバーナバス』が、トロールにバレエを教えようとしている絵が描いてある、大きな壁掛けタペストリーの向かい側。一見にして何の変哲もない石壁だ。部屋の前を行ったり来たりし始めた。石壁の前を通り過ぎ、窓のところで折り返し逆方向に歩き、反対側にある等身大の花瓶のところで再び折り返す。ネフライトが眼鏡の奥で目を閉じているのが見えた。

 

「あら!」

 

 嬉しそうなテルミの声でネフライトが目を開いた。

 セラフィもテルミも石壁に近寄った。みるみるうちに石壁は消え、代わりにヤーナムにしばしば見られる両開きの扉が現れた。

 

「何度見ても不思議だね」

 

 しみじみとセラフィが言った。クルックスも同感だった。

 ネフライトが樫の木で出来た扉に手を掛けた。その時だった。

 

『……あいことばだ……』

 

 扉の内側から声が聞こえた。

 

「えっ?」

 

 ネフライトが振り返り、三人の顔を見た。全員がここにいた。

 クルックスはネフライトの肩を押さえて下がらせた。

 

「俺が最初に行こう。『かねて血を恐れたまえ』」

 

 果たして。扉は開かれた。

 クルックスは、扉の先へ衣嚢から取り出した銃を向けたが、その先にはうずたかく積まれた本の上に骸骨の模型が置いてあるだけだった。

 銃口を向けたままクルックスは呟いた。

 

「……この光景は前に見たことがある、ような……。俺の記憶……? いいや、前の記憶だ……。ずっと前……これは……お父様の……」

 

 クルックスにとって未知の記憶だが自分でも探り得ない、もっと深いところでは、目の前の光景とよく似たものを知っているようだった。

 

「不思議だね。今さら骸骨ひとつで驚きはしないが……。ああ、でもこの骸骨は作り物のようだ。不思議だね。誰かがわざわざこれをこの部屋に持ち込んだのだろうか……?」

 

 セラフィの声で思索から戻ってきたクルックスは「ああ」と頷いて銃をしまい込んだ。

 部屋に入り、まず目に入ったのは、四人が広々と座れる大きなテーブルと椅子だ。窓のない部屋だが、天井に釣り下がったシャンデリアに灯る焔と暖炉で躍る炎のおかげで部屋全体が明るい。

 

「棚があるのはいい。いろいろと私物を置けそうだ」

 

 壁際にカーテンのかかる場所があった。

 テルミがカーテンを引くと簡易なベッドがあった。

 

「ひとつしかないようですね。仮眠する程度には、よさそうですが。残念ですね、ネフ」

 

「私は花壇がなくて残念だよ、テルミ。そろそろ君を埋めたいと思っていたんだ。墓碑の文字も考えてある。『死ぬべきものが死んだ。めでたし』。冗談はさておき。あとで花壇を作ろう。医療者として魔法薬というものを真剣に作る必要がある」

 

「ええ。そうですね。身を癒やす術を学んでおくことはよいでしょう。ハナハッカなどは、輸血液の節約にもなりそうです。あ、輸血液と言えば──見て、ネフ! 採血用具の一式があるわ! 注射器はいつものガラス製ですね。熱湯で消毒すればよいですが……あら、魔法界には非魔法族のディスポーザブル(使い捨て)の考えは到達していないのかしら……?」

 

「後ほど限界を調べる必要がありそうだな。──諸賢、注目」

 

 ネフライトが両手を叩き、部屋や物品の確認をしているクルックスとセラフィの注意を引いた。

 

「概ね目的が達せられる部屋が出来たと思う。仕掛け武器を使いたいときは、このテーブルを端まで動かして空間を確保してくれ。四隅に寮色の間仕切りがあるだろう。その先を、それぞれの個室とする。互いに許可なく入ってはいけない。本は読んだら書架に収め、ビルゲンワースの学徒のように散らかさないこと。……それから、これが最も重要なことだが入り浸りになってはいけない。周囲に怪しまれることは避けなければならないからな。深夜に廊下を歩く時は、青い秘薬の常備を忘れないことだ」

 

 三人が口々に了解を告げ、ネフライトはひとつ息を吐き出した。

 

「このような便利な部屋があるのならば、もっと早く使いたかったものだ」

 

「仕方ない。噂はあれど、多くの生徒は特定まで至らなかった。昨年、俺も偶然見つけたものだからな。……ああ、そうだ。事前に伝えておく。俺は休日前の深夜に宿題の片付けのためここを利用する。参加希望者は大歓迎だ」

 

「早めに宿題を片付けるのね。いいと思うわ。わたしも来ようかしら。交友関係の進展は真夜中に期待できませんから。貴方の宿題も見たいです」

 

「助かる」

 

「私も来るだろう。……教育の問題がある」

 

「いいと思う。今後『きょうだい会議』もここで出来そうだ。聞かれて憚ることは少ないが、念のため、聞く人はいない方がいい」

 

 次に会う日を確認し、四人は廊下へ出た。

 木製の扉は人が外へ出るなり、石壁の中に吸い込まれるように消えた。セラフィは再び「不思議だね」と言った。

 階下に向かって廊下を歩きつつ、ネフライトが言った。

 

「最後にひとつ。クィディッチ開催初日の多くの生徒が城を離れる機会に、あの部屋の本格的な調査を行う。朝食を摂ったら集合してほしい。ヤーナムに関係のあるものがこの城のどこかにあれば、部屋の中で発現させることが出来るのではないかと私は疑っている。期待値は高くないが確認は必要だ」

 

「ああ、それは大切だな。了解だ。──では、本日は解散と、むむっ、何だ……?」

 

 ハロウィーンの晩餐において。

 例年ならば生徒がぼちぼちと各寮に帰る時間帯に差し掛かっていたが、大広間には人がごった返している。全寮の生徒が停滞し、しかも奇妙な興奮がさざめきのように広がっていた。

 四人の知らない間に何事か異常事態が発生したのだと分かった。

 

「……寮のテーブルに戻った方がよさそうだな」

 

 四人は互いに視線を交わし、今度こそ解散した。

 監督生と先生が余裕のない顔で忙しく駆け回り、ただごとではない雰囲気である。

 さも手洗いから戻ってきた風にクルックスは取り澄まし、寮生の集団のなかに加わった。

 

「席を外していた。何があったんだ?」

 

 大広間に「寝袋を配ります」というマクゴナガル先生の声が響く。

 クルックスは、グリフィンドール寮生のなかで奇妙に落ち着いた顔をしているハリーに声をかけた。

 

「……たぶんシリウス・ブラックが、グリフィンドール寮に入ろうとして『太った婦人』を襲った」

 

 クルックスは訊ね返した。むろん人混みの騒音のなかで聞き間違えたワケではない。

 知る人は皆、今年のホグワーツ城の警備は完璧だ、と言う。

 それが一夜のなかで音もなく破られたことは、彼にも大きな衝撃をもたらしたからだ。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「やぁ、君。大変な騒ぎだね」

 

「情報が錯綜していて何が何だか分からないわ。校長から待機指示が出たからこうして留まっているけれど……。『グリフィンドールでシリウス・ブラックが大暴れ!』とか──とにかく、シリウス・ブラックがいるとかいないとかで大混乱していて……セラフィ!?」

 

 ハロウィーンの宴に影も形もなかったセラフィがひょっこり現れたのでダフネはその場で跳び上がった。

 

「シリウス・ブラック? なぜ? 巷の殺人鬼はホグワーツが懐かしくなってお礼参りに来たのかな」

 

「たぶんだけど違うわね確実に」

 

「発言に矛盾が生じているようだ。どうして違うと思うのか」

 

「闇の魔法使いが最も恐れているのは、ダンブルドアよ。シリウス・ブラックだって彼は怖いでしょう。近付きたくないハズよ」

 

「けれど彼は来た、らしい。困ったな。また矛盾が発生したが?」

 

「ダンブルドアは怖い。けれど来なければならない理由、それは──」

 

「またハリー・ポッターか」

 

「もう。どうして先に言っちゃうの? ……というか、例の事件のことを知っているってことは、あなた、新聞とかちゃんと読む人だったのね……」

 

「僕はたいていのことがどうでもいいけれど無知を誹られるのは不本意だ。ちゃんと読んでいるよ。『日刊予言者新聞』は、一クヌートの新聞だ。金額も覚えている。一ガリオン払おうとしてふくろうと揉めたことがあるからね」

 

「あのふくろうと金額で揉めることが出来る魔女はそういないでしょうね。とにかく、ハリー・ポッターが狙いだったに違いないわ。だからグリフィンドールに入ろうとしていたのよ。今日がハロウィーンでなければうまくいっていたのかも……。でも、問題はそうではなくて、一番大事な問題はシリウス・ブラックの目的なんてことではないのよ」

 

「と言うと?」

 

 セラフィは回答を先取りしてしまわないよう相槌をうった。

 ダフネはポンと手を叩いた。

 

「皆が不愉快な思いをして吸魂鬼をうろつかせているのに今回も役に立たなかったのは大問題だわ。それを許可しているダンブルドア校長にとってもね」

 

「それはごもっともな話だ」

 

「だいたいアズカバンの看守をしている吸魂鬼に城を見張らせるってことが間違いなのよ……。ブラックがアズカバンを破ったのは『幸運』でも『まぐれ』でもなかったって、生徒の命を危険に晒して再確認しただけじゃない」

 

「ふむ。何か吸魂鬼を無効化する手段があるのだろうね。その方法は、僕も気になる。シリウス・ブラックは、たとえば……そうだな。吸魂鬼を畑の案山子に変身させる術でも持っているのかもしれない。ご教授願いたいところだよ」

 

 セラフィの言葉は。

 シリウス・ブラックの真実における『方法』の面から見れば、正解に近いことを口にしていた。そのため、ダフネは長々と息を吐き、彼女の常識外れを指摘した。

 

「亀をティーポットに変えるのだって一端の魔法使いでも苦労するのに、吸魂鬼を案山子にするなんて出来るワケないわ。そんなことをするくらいなら──」

 

 その時、寝袋を配布するというスリザリンの監督生の声に二人の意識は逸らされた。

 ダフネが口にした『そんなことをするくらいなら』に続くべき言葉は、『闇の魔術に対する防衛術』に精通した先生であれば詳しく語ってくれたのかもしれなかった。

 




セラフィは元気になった!
 出自の異常のため、そもそも不調になることが少ない仔らは不調からの立ち直り方を学習することから始まります。セラフィは自分が不調であることを認めつつも同時に「自分にそんな事態は起こりえない」とも自分の精神について過大評価していました。なぜなら「心弱い僕は存在しない」から。思考と心と体の状態がバラバラになった為、不調が長引きました。今回は、たまたまセラフィに起こりましたが実のところ誰でも起こりえることです。自分では大したことがないと思っていることに心乱される。そんなことが多いためです。失ってから気付くこともあるのでしょう。自らの血が甘いことに気付くように。ただし、今回は何も失わないうちに気付くことが出来たようです。──未来の話はいい。心が弾む。


便利な部屋を手に入れた!
 後日、聖杯文字を入力したらどうなるのか調べるネフライトは存在し「なんの成果も得られませんでした」と後にレポートされます。父たる狩人は「だろうねぇ」と言ったそうです。──だろうねぇ。


クルックスの手紙の末路
 夏休みに送り、レオーに届けられた手紙です。──レオー様が読んだのに、どうして鴉が中身、知って、え、お茶会するんですか!? 俺と貴方とセラフィで!? なんで!?
 圧迫面接の茶会が始まる。


シリウス・ブラックのお礼参り
 原作を読む限り、たぶん一番頭のネジがパピヨン飛んでいた時分のシリウスなんじゃないかなって思います。『太った婦人』の襲撃は後にダンブルドアがハリー達に言いますが「無実の人間らしい振舞いをしなかった。」の例の筆頭に上げるくらいの暴挙で、しかも『太った婦人』がどういう性質のものか、当然、シリウスは知っているワケですから……精神アズカバンされた魔法使いってコワー。やっぱりマンティコアを自由行動させているドイツのアークスタークの方がよっぽど人道的に(ランプの消える音)。
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