かわいい。
全身をぐっしょりと汗で濡らしながら、ベルカは産まれたばかりの我が子を抱いていた。
身体は人。毛に覆われた真っ白な尾。眉の代わりに細い角が生え、たまに開く目の瞳孔は縦に鋭い。間違いない。父親はシースだ。もちろん彼はこのことなど知らない。この子を守ってやれるのはベルカだけなのだ。
アノール・ロンドを震え上がらせたこの子供に生命狩りの能はない。ベルカ達二人を守るためキアランが仕組んだ奇策だった。獣の血を撒き、あたかも呪われた忌み子が産まれたかのように見せかけ、絵画の中へ逃げるよう勧めたのだ。
「お母さんになっちゃった」
ベルカはここに来る前、キアランに一本の短刀を渡されていた。皮膚を容易に裂く鋭さをもった、生命狩りの証だった。それは迷いとともにベルカの傍らに置かれ、薄暗い世界のなかでもキラキラと光を放っている。
『ベルカ様。これが忌み子の証になります。お子様がお産まれになったら、尻尾にこれを入れてください』
『そんな、産まれたばかりの赤ちゃんを傷つけるなんてできないよ』
『時が経つほど難しくなります。お子様があまり痛みを感じないうちに。いいですね?』
「ベルカさん、おしぼりはここに積んでおきますぜ」
ボロボロの布をまとった男がそう言って、ベルカを現実に引き戻す。
「あ、うん。ありがとう」
ベルカは座り直して、毛布を巻き直した。このときのために絵画に暮らす人々は可能な限り衣類を消毒し、清潔な水を用意した。皆優しかった。
「こりゃ言っていいのかわからんのですが、変わった赤ちゃんですね」
「お父さんは竜だから」
「え?竜!?」
「うん」
「あのー、お二人はどうやって」
「ピピー。R18タグをつけたくないなら黙ってろ」
「へーい」
誰もが赤子を見たいのだろう、入れ代わり立ち代わりにやってきて声をかけてくる。ふっふっふ。どうです?自慢の赤ちゃんですよ?
「ブタみたいな鼻っすね」
「は!?」
「失礼しました」
「お名前は決めたんですか?」
「まだ」
「シロブタとかどうっすか」
「却下きゃっか!きゃっか!」
「へえ。器用に尻尾を動かしますね、この赤ちゃん」
「ねー」
「ブタもあの短い尻尾動かせるらしいですよ」
「ブタの話はもういい!」
どいつもこいつもブタ呼ばわりしやがって。ちょっと鼻が大きいだけなのに。
「…うー」
冗談が過ぎたのか、ベルカはついに泣き出してしまった。
「おい、誰だベルカさん泣かしたの」
「お前らだよ!」
「ベルカさんマタニティブルー入ったんですか」
「入ってねえよ!いや…入ってるかもしれないけどそれはあんたらがあまりにブタブタ言うから…」
「すみません。俺ら外じゃ一日中こんなんばっかでしたから」
「そうなの?」
「死ねが挨拶みたいなもんでしたよ」
「殺伐としすぎだろ。どうなってんのロードラン?」
「あ、俺はロードランじゃなくてソルロンドから追い出されてきたんで」
「へえー。ほんとどうでもいいわ」
「ベルカさんここ来てから口悪いっすよ」
「誰のせいだっつーの」
「ベルカさん、その大事に持ってる刃物、きれいな装飾してますね。彼氏のプレゼントですか?」
「彼氏…彼女、かな」
「追い詰められたときのために覚悟の品を渡すなんて、彼女、粋ですね」
「違うわ!」
「え?違うんですか?ここに来たのはてっきりそのためかと…」
「おかしいよここの人たち」
「あなたも一員ですよ☆」
「違う。私はあんたらとは絶対違うから。違ってみせるから」
訪問者が途絶えたのを機に、ベルカは赤子の尾をつまみ、キアランから託された刃を一気に刺しこんだ。異変に泣き叫ぶ赤子。ベルカはそれが泣き止むまでいつまでも抱いていた。