小窓から光が差し込む部屋に、不釣り合いなほど巨大なキャンバスと、腰掛けた灰の巨人。傍らには白いローブを着た小柄の女。隅には白い少女がすうすうと寝息をたて、長い白髪が隠すその半身はウロコに覆われていた。
「子供に挨拶してきたか」巨人が告げると女は真っ白な歯を見せてVサインをした。
「財産はちゃんと分けてきたからだいじょーぶ!」
「そうか。あー、墓王は悲しむだろうなあー」
巨人は両手を組んでわざとらしく嘆いてみせた。「お前のことが好きだったからなあー」
「いまさらそんなこと言う?」
「お前がいなくなったらなあー、お前を殺した世界と
「ねえ、せっかく覚悟して来たのにそういう迷わせること言うのやめてよ」
「ん…」少女が寝返りをうった。巨人と女が縮こまる。
「…それじゃあね」小声で女が言う。
「本当にいいのか」
巨人の問いに女がうなずく。
「この子みたいに、仲間はずれにされて困ってる人たちのために、誰かが居場所を作ってあげなきゃ。そのためなら、…いいよ」
巨人は鼻をすすって、笑みを浮かべた。「相変わらず優しいんだな。…きっと、それが人であることの意義なのだ」
そうしてキャンバスに向き直ると、思い出したように言う。
「そうだ。お前を使って描くのだから、お前が絵の名前を決めろ」
「ええ?名前なんてなんでもいいよ。私なんて誰も知らないのに」
「そういうわけにはいかん」
「うーん…じゃあ『絵画』」
「絵画…」
なんと雑な、と一瞬思った。だが、
「Paintedか。 “Pain (痛み) + ed (過去)” といえるな。絵画の中は外の痛みも過去のもの。もしくは、苦しんだ者たち。うむ。いい名前だ」
「出た。こじつけの気持ち悪いやつ。painedはムカつくって形容詞だよ」
「こいつ」
巨人が女をつかんだ。小さな身体は片手にすっぽりと収まってしまう。
「きゃー」頭だけをのぞかせながら、女がくすくすと笑う。その表情もすぐ穏やかなものに変わった。
くぼんだ目と澄んだ瞳が交差する。
「ほーんと、いい人生だったよ」
ブツン。
「!」
少女が目を覚ますと、テーブルの足が目に入った。…絵画世界。
「お母さん」
「んー…」
隣で眠っていたベルカがよだれを垂らしながら返事をする。少女は起こさないよう立ち上がると、建物の外へ出た。
真っ白な世界に風もなく光の破片が舞う。自分が夢の世界にいるのではと思わせるほど美しい。ウーラシールの光の魔術で焦げた柱や崩れた壁は修復され、きらきらと輝く粉をわずかに放っている。
皆が寝静まるなか、一か所だけ明かりがともっている。少女が引き寄せられるように部屋へ入ると、ロウソクが照らす黄布のキャンバスに、男が絵を描いていた。ジェレマイアだ。頭に巻いたターバンをほどき、キャンバスの生地として使っている。
「よい子は寝る時間だ」
「お母さんのペンダント知らない?」
「ベルカは知らないのか」
少女が首を振る。「前のお母さんの。おじさんの服と同じ匂いのペンダント」
ジェレマイアが筆を置いて振り返る。「知らないな。いつ失くしたんだ?」
「ずっと昔。目が覚めたらお母さんがいなくて、ペンダントだけ落ちてた」
「そうか。俺にはわからんが、早く見つかるといいな」
少女はまだ半分夢の中なのだろう。そう思ってジェレマイアは再び筆を取る。
「なに描いてるの?」
「この世界の下書き、だな。この前のドンパチでずいぶん壊れたから、新しく建物をいくつか作り直さなきゃならん」
「ドンパチ?」
「前に外で大騒ぎしてたろ?」
「うん。鬼のお祭り。どうして私は入れなかったの?」
「ふっふっふ。大人だけの特権だな」
「ずるい」
「よく寝て、大人になれば入れるさ。ま、この絵はその祭りの後片付けみたいなもんだ。わかったら早く寝…」
「私も描きたい」
「…あー。じゃあ模写の練習からだ。うまくなったら塔の一つでも手伝わせてやろう」
「ううん。新しい世界」
「え?」
いつになくハキハキとしゃべる少女に、ジェレマイアは驚く。
「お母さんが願ってた、誰かの居場所になるような世界、描きたい」
「…」
ジェレマイアは少女から目をそらして考えた。ジェレマイアもずっと描きたかった。絵を描くための血の顔料も工面した。けれども、彼は『はじまりの火』を見たことがなかった。イザリスの魔女たちが使う『まがい物』とは違う、火。それを知らなければ世界を描けない。
「…まずは絵を練習しなきゃな。描いた世界がでこぼこだらけだったら、住む人も困るだろう」
「うん」
「そして一流の絵師に必要なのは体力だ。しっかり寝て、健康な身体を保つよう努める。できるか?」
「はい師匠」
少女がビシッと敬礼する。
「いい返事だ。さ、早く戻らないとベルカが心配するぞ」
「うん。師匠、おやすみなさい」
「ああ」
少女が帰ってゆく。ジェレマイアはわずかに背中を曲げ、右手を小さく振った。