「ねえ、私の言葉がわかるなら止まって」
この幼木は疑似餌で、近づけば地下に隠れている大口の怪物に丸呑みにされるかもしれない…そんな恐怖を抱いてここまで来たベルカだったが、ついに意を決して話しかけた。
びっくりしたような動きでぴたりと木が止まる。
「私、狼騎士アルトリウスと一緒にアノール・ロンドから来たんだ。ウーラシールの深淵を止めるために。もし何か知ってるなら教えて」
「…」
木の姿が消え、代わりに仁王立ちの姿勢で現れたのは、象牙色の絹に細やかな刺繍が施されたドレスをまとった女性だった。ベルカを前にあわてて姿勢を正し、手を前で組む。
「すみません。私はウーラシールの者ですが、ここへ戻ってきたばかりで何が起きているのかわからないのです…」
ベルカは怯えさせないよう距離をとったまま言う。「私はイザリスのベルカ。こっちはアルトリウスの相棒シフ」「ワン!」「あなたは?」
「私は宵闇。ウーラシールの宵闇です」
「宵闇!?」
突然の大声に宵闇が目をつぶる。
「ごめんなさい。私、あなたに会いたくてこの仕事引き受けたんだ」
「私に?なぜでしょう」
「ジェレマイアって人知ってる?私に光の魔術を教えてくれた人なんだけど、彼があなたは時間を行き来できるって言ってたの。ほんと?」
「ジェレマイア…どのジェレマイアさんでしょう。よくある名前なので…」
「よ、よくある名前なんだ。まあいいや。時間旅行できるっていうのは本当?」
「旅行といえるほど立派なものじゃないですけど、行ったことのある場所であれば、そうです。もしくは誰かに連れて行ってもらったりとかあれば…」
「もしよければ、その方法教えてくれない?私の親戚は光の魔術であちこちテレポートできるんだけど、説明されてもよくわからなくて」
宵闇はそれを聞いて口元を隠し、上品に驚いた。「まあ。テレポート。それは素晴らしいですね。私は時代を行き来するといっても、庭を散歩するくらいしかできませんから…」
「その方法、どうやるの?」
たまらず歩み寄るベルカ。困った表情の宵闇。「え、と。そう言われても、部屋の戸を開けるように光を曲げて、ひょいっ、と」
「ヴォー…」
「わ、わかりませんかね…ええと、これならどうでしょう。お食事が済んでから自室に戻ろう、って思ったら、屋敷のなかを歩いて、部屋に着きますよね?そんな…感じです…」
ベルカの顔にハテナマークがいくつも浮かんでいる。「言っていることはなんとなーくわかる。屋敷のなかに百年前の自室と千年後の自室があって、自分で選んだ部屋に入れるって感じ?」
「え?そうなんでしょうか。あ、そうなのかもしれません。うーん、そうなんですかね。すみません。こんないい加減で…」
「ありがとう。今度天才の親戚を直接連れてくる」
「ええ。私も楽しみにしてます」
宵闇はきらきらとした微笑みを見せた。心の汚れきったベルカには決してできない、見るだけで救われるような笑顔だった。
柔らかな下草の上に二人で座り、話を続ける。
「さっき戻ってきたばかりって、別の時代?」
「はい。この時代から少し前、公爵様の結晶に囚われて、千年ほど先の時代までそのままで」
「よく正気でいられたね」
「ええ。私、物語を思い浮かべるのが趣味なんです」
「へ、へぇ…」
「そうしたらある英雄の方に結晶を割っていただいたんです」
「強い人だったんだね」
「とても優しい方でした」
「うん」
「そのときはお別れして、でもまた囚われるのはちょっと疲れるので、少し後の時代、この時代にやってきたんですけど、そうしたら…」
「ウーラシールが滅んじゃってた」
「はい…」
「ねえ。まだ助けられる人がいるかもしれないよ」
「そうかもしれませんけど、どうすればいいのか」
ベルカが立ち上がって言った。「私もシフも結構強いんだ。できれば道案内してくれないかな。アルトリウスも追いかけなきゃいけないし」
手を差し出すベルカ。宵闇はそのただれた手に驚いたが、痛くないように指先をつまむ。
「わかりました。僭越ながらこの宵闇、ウーラシール観光ツアーにご案内しましょう!」