「秘儀もなにも、祈って吸えば治る。さっき見たでしょ?」
「はい。ですけど…それだとふつう共倒れになっちゃうだけで」
「私はなってない」
「はい。そうですね。うーん、何が足りないんでしょう…」
「才能」
「くっ…そうなんでしょうか。物事には必ず原因が」
「才能だけじゃなくて頭も足りないかもね」
「はぁ…」
わなわなと震える拳をなんとかこらえ、ユルヴァは娘が持つ治癒の奇跡を学ぼうとしていた。いまのところ、娘は何も隠し事をしておらず、本当に直感で治しているようだった。祈って病の元を吸えば治り、毒の膿を引き受けた娘は体力を奪われるけれども病にはならない。
初めて見たときはみすぼらしい、ボロボロの服だった。物狂いだと思った。よろよろと杖をついて歩くその口からこんな悪言がポンポン出てくるとはとても想像できなかった。
不思議な癒し手の力を持つことも。
この力を知れば、世界は変わるかもしれない。それなら。
「今から私が毒の病にかかるので、先ほどのようにやってもらえませんか?」
「はい?」
ユルヴァは先端が黒紫に変色した木片を取り出した。「猛毒の染み込んだ枝です。これで私を病にします。あなたがどうやって解毒するのか、私に見せてください」
予想外の提案に娘はうなった。
「そうまでして知りたいんだ。失敗すれば死ぬよ?」
「かまいません。あなたの奇跡を信じます」
娘は、うーん、と頬に手を当てて考えていたが、納得した様子で言った。
「わかった。じゃあやってみて」
「はい」
ユルヴァは迷わず袖をまくり、どす黒い枝の切っ先で腕を切った。傷口から死の脈が広がり、ユルヴァの顔がみるみる青ざめてゆく。まずい。護身用に特別に強い毒だったのか、回るのが予想以上に早い。
「う…お願い…します…」ひゅうひゅうと細かく息をしながら、ユルヴァが言った。
「…」
娘は無表情で黙っていた。
「…あの…」
「苦しい?」
「へ…?」
「苦しい?」
ユルヴァの顔が別の意味で青ざめてゆく。
「あなた…まさか…」
「苦しい?」娘は三度聞いた。
「苦しい…です…」
「助けてほしい?」
「助…けて…」
「助けてください、でしょ?」
この女。あわててユルヴァは周囲を見回した。
ない。
「ほしいのはこれ?」娘が苔玉を見せびらかす。飛びかかるユルヴァを「おっと」とかわし、力なく倒れた様子をクスクスと笑っている。
「いやあ。困ったねえ。死んじゃうかもしれないねえ。くっくっく」
「き…さま…」
「暴言吐いたババアを誰が助けると思う?」
「くっ…」
「おーほっほっほ」
わざとらしく高笑いする娘。ぜえぜえと息をしながら、ユルヴァは血走った目を向けている。
「私は自分が受けたうらみは千年たっても忘れないんだ。助けてほしかったらまずは謝って、それから言う通りにしな」
「申し訳…ありません…」なんとか声を絞り出すユルヴァ。
「土下座は?」容赦せず娘が言う。
「…」
しびれる身体をなんとか起こし、ユルヴァは両手・両膝・頭を地面につけ、かすれたように言った。「すみませ…でした…」
ずん。娘の足が頭を踏みつけ、グリグリと動かす。
「バカで愚かなユルヴァがこの私をけなしてすみませんでしたと言え」
ひどい。あまりの仕打ちにユルヴァは涙をこぼした。
「バカで…愚かな…このユルヴァが…」
言いかけて止まる。
「なに?続きは?」
「お名前を…存じ上げ…おりま…せん…」
そうだった。
「ク」と娘は足を下ろすと、次いで何かを思い出したのかポケットからスマホを取り出した。
「あ」
そうだ。圏外だった。ロードランは古き王の住まう地。スマホはおろかガラケーさえ届いていない。メタルテープは高いからBONのゆるゆるなカセットでレコードをダビングする、ダブルラジカセが高嶺の花な、そんな世界。どんな世界?とにかくイザリスが燃えたいま、娘が持つのはただの文鎮だ。
「はぁ…」スマホを手にしたままうなだれる娘。ユルヴァは虫の息。
「…ベルカ」
娘がつぶやくように言った。「私はベルカ。緩やかな平和の女神」
そうしてうずくまったままのユルヴァを起こし、肩を掴んで祈った。
「慈悲の神よ、私の覚悟を見届け給え」
輝く円が二人を包んだ。