「はぁっ、はぁっ、あーもうダメ!もう歩けない!」
宵闇に遅れることしばらく、ようやくベルカはエレベーターの下、紋章の場所までたどりつき、黒いシミが床に広がっているのも構わず大の字で寝そべった。真上にはさっき自分がのぞきこんだ穴。剣をくわえたシフも隣で荒く息をついている。
「いやー、こりゃまずいね。左手が全然動かない」
はは、とシフに笑いかけるベルカ。スペルスワップで酷使してきた左腕はピクリとも動かず、拳にタリスマン代わりの自身の黒髪を巻きつけたままダラリと垂れ下がっている。またシフをかばい、狂ったウーラシール民の攻撃を一身に受けたせいで、アノール・ロンド謹製の純白のローブはタールをぶちまけられたように黒く染まっていた。
「…イタッ」
不意に背中の下で紋章が光り、頭に何かがぶつかった。起き上がって調べると、足場になるブロックだった。エレベーターのロックが解除されたのだ。
「えー…何それ…」
あのとき宵闇が、下に降りた宵闇が、先に進んだ宵闇が、ロックを解除さえしていてくれれば。「もうダメ。もう信じらんない」全身の疲れがどっと現れる。しかし何かを感じ取ったシフが休むのを許さなかった。
「ワン」
ロープごとベルカをずるずると引きずっていく。「ちょっと、少し休ませてよ」仕方なく立ち上がり、よたよたと歩くベルカ。すると何かに足をひっかけて転んだ。
「痛ったー!ちょっとシフ、気をつけてよ」
ロープを引っ張って不満をぶつけながら足元を確かめると、それはアルトリウスの亡骸だった。
「あちゃー。死んじゃったの?うっそー?」
醜い姿勢で息絶えるのはポリシーに反すると思ったのか、足をピンと伸ばし、両手を胸の前で組んだまま、埋葬されたかのような姿勢。
「うっそー?うっそー?ねえ、嘘でしょ?」
動かぬ鎧を揺らしながら、壊れたレコードのように何度も繰り返すベルカ。気の毒そうに隣で座るシフ。
「うっそー、嘘だあ。えー?うそでしょー?」
しかし世界で最も強く美しい騎士が目覚めることはない。
「うそぉ。はぁ…」
アルトリウスの腕に右手を乗せたまま、肩を落とすベルカ。
「まったく、一人で先走ってくたばるとは、バカな男だ。罰として、このベトベトになった我が黒髪をやろう。あの世で好きなだけ愛でるがよい」
そう言って左手に巻いた髪をほどき、アルトリウスの両手に握らせる。なおも信じられず、漏れる息が震えた。
「…ほーんと、バカなやつ」
「ねー」
「…」
ベルカは無表情で右手を伸ばし、兜の隙間から目を突いた。たまらずもんどり打つアルトリウス。
「なんと卑怯な!貴公には血も涙もないのか!」
「はいおはよう。なんか声低くなった?」
「うむ、よい目覚めであったぞ罪の女神!第二ラウンドへ向けて元気モリモリだ!」
「第二ラウンドってことは第一ラウンドで負けたのね。どう?負けた気分は。完敗だったみたいね。さっきタリスマン握らせたときわかったよ。左手ブランブランしてる」
「ハッハッハ!貴公もお互い様だろう?それによく生きてここまで来られたものだ。傷だらけじゃないか」
そう言ってベルカの口元から血を拭うと、恥ずかしくなったベルカは手で払った。
「あんたらと違って運動音痴なんでね」
「相棒をかばってくれたんだな。感謝する」
「…」
いきなり素直になるんじゃない。ベルカは心の中でつぶやいた。
「あんたが戦ったやつがこのへんメチャクチャにした犯人なの?」
「うむ。おそらく。深淵の主人だとか言っていたぞ」
「主人ねぇ…」
「貴公も知っているだろうが、この近くに小ロンドがある。つまり邪教の
る!の声とともに、ベルカの首にさっと何かがかけられた。アルトリウスに渡したはずの銀のペンダント。シフに渡したものとは違う、ベルカの髪を模した渦の紋章。
「ちょっと、何これ?いらないって言ったでしょ!」
「ハッハッハ!隙だらけだったな!聖騎士は女より先に施しを受けるわけにはいかんのだ!」
「いらないって」
「このアルトリウス、貴公をグウィンから守れなかったことをずっと後悔していた」
「…はい?」
ペンダントを外そうと首のチェーンに手をかけたときだった。アルトリウスはベルカのみぞおちに一撃を加え、気絶した身体を壁に立てかける。
「…ゆくぞシフ。最終決戦だ!ウォォーン!」
「ワン!」
ボロボロにひび割れた鎧、右肩にくすんだ大剣をかつぎ、垂れ下がる左腕を揺らしながら、アルトリウスは相棒のシフとともに深淵の穴へ向けて駆けていった。
「…ふっふっふ」
気絶していたはずのベルカが不敵な声をあげ、胸からひしゃげたタブレットPC『罪人録』を取り出す。
「この私に同じ手は二度と通用しないのだ」
立ち上がったベルカはタブレットを打ち捨てると、細く螺旋にねじれた杖を地面に突き立てた。
「身の程知らずが。罪の女神たる我が力を思い知るがいい!」