「わっ!」
足を踏み外して落下したベルカは、底に尻もちをついた。もし落ちた場所がもっと高かったら。動悸が止まらない。というか迷ってからずっと止まらなかった。
『暗闇で狂う人の気持ちが何となくわかるなー、へへへ…』
一人でニヤニヤしていたが、出口もわからず、傷つき、魔術も使いきった状況では誰にも知られず朽ちるしかない。
ただ正確には『使いきった』というより『使えない』状態だった。
ベルカの放った爆発的な炎は、この深淵に満ちる人のソウルを燃料にしたものだった。邪教である闇と交わった禍々しい異端の魔力。それは人の魂を武器として使う禁忌だと思った。
どうしよう…
ベルカは涙ぐみ、その場で縮こまった。
「…クーン」
不意に届いた聞き覚えのある声に、耳をすませる。「…シフ?シフなの?」
「クーン…」
「シフ!」
カラカラと剣を引きずって近づいてくるのは、まぎれもなくシフだった。
「あーシフ!よかった無事で!」
湿った毛をわしわしとかきまわしながら、ベルカは暗闇での再会を喜ぶ。
「アルトリウスはどうしたのシフ?あれ、ペンダントないじゃん!失くしちゃったの?もー、あんなガラクタでも返さないとドリンちゃん怒るんだよ?」
「クーン…」
「ほらサガフロンティアのキャラクター名みたいな単語で鳴かないの!男の子でしょ、元気出せ!」
『それはハラスメントだワン』
「こんな状況でハラスメントもクソもあるか!背負ってる甲羅はなに?盾?」
シフが背負っていたのはこすれば削れるほど脆くなったアルトリウスの盾だった。何か手紙が張ってあるが、
「こんな暗闇で読めるわけないだろバカ!」
「ワン!」
「よしいい返事だ!ほら、盾は私が持ってあげるから、出口はわかる?」
「…」
盾はズシリと腕が抜けるほど重い。悶えながらもベルカは持ち手を腕に引っ掛け、右肩に背負う。
「ほら出口は?」
「…」
「…ねえシフ、出口」
「…」シフはペロリと鼻をなめる。
「うっそぉ…」
シフの背後から、音を聞きつけた黒い影がゆらゆらと押し寄せる。その気配にベルカが我慢しきれず泣き出してしまう。
「うえーん。バカーバカーシフのバカーしんじゃえー」
「クーン…」
泣きながらシフの首にロープを結び直し、尻を叩いて進むよううながす。あてもない逃避行だった。
「シフー聞いてー」
「ワン?」
「私飛行機が嫌いなのー何でか知ってるー?」
「…」
「事故ったときに『約束された死』なのがやなのー」
「…ワン」
「『あー私死ぬなー』って思いながら事故った飛行機が落ちてくなんて絶対やなのー」
「…ワン」
「今まさにそんな感じだよーうえーん」
アルトリウスの盾は魔力を帯び、黒い影を弾いた。それを頼みに、道なき道を進む。手探りで脇道を見つけ、影の気配のないそこへ入り込むと、入り口を光の魔術で作った幻影の壁で塞いだ。
「はぁ…はぁ…」
疲れきってへたりこむベルカ。「ほらシフ、おいで」
「…」
「シフ?」
ロープをたどってシフに触れると、ごっそりと毛の抜けたシフの半身に血の気が引いた。
「ちょっとシフ!どうしてケガしてんのよ!ぶつかんないように注意してたのに!」
「ハッ…ハッ…」
「痛かったなら痛いって言ってよもー!」
ボロボロと涙を流しながらシフをなでる。ふっと浮かんだのは相合い傘。もし盾の結界は強く狭いものだったとしたら。
「バーカ!アルトリウスのバーカ!なんでこんなときだけ一人用なの!?生きて帰ったらぼこぼこにしてやるかんね!」
たまりかねて散々罵ったが、悲しんでいる暇はなかった。ここは深淵、魂の寝床。生者の気配を察知し、壁の向こうからひとつ、またひとつと黒い影が迫ってくる。
「うえーん、アルトリウスのバカー」
ベルカは泣きながらシフの背中に盾を乗せ、ロープを断ち切ると、影たちを引きつけるために丸腰で叫ぶ。
「バーカバーカ!どいつもこいつもバーカ!」
動けないシフをよそに、無数の影がベルカを取り囲んでゆく。ちりちりと皮膚が削がれてもなおベルカの叫びは途切れない。
「はー!はー!バーカ!みんなバーカ!シフもアルトリウスもキアランもドリンちゃんもプリシラもママもみんなバーカ!」
次第にそれは言葉にならない泣き声へ変わっていった。
「うえーん!うえーん!ヴェーン!バカー!ヴーっ!うーっ!うえー…」
「いつまで泣いてるんだい小娘!」
突然の大声に、ベルカは驚いた赤子のように泣き止む。
黒い影の群れが分かれ、その間を白い影がひたひたとやってくる。赤いじゅうたんが敷かれたように、厳かな雰囲気をもって。
深淵の魔物、白猫のアルヴィナだった。