狂心者   作:no w here

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0:とある日の事

―――本日のセッションはこれで終了です。皆さま、お疲れ様でした。

 

 今日も生き残れた。

 その安堵と共にPCの画面から眼を離す。カーテンに遮られた窓から差し込む仄かな光が見えた。画面に目を向けたのが夜だった事を考えると、既に朝日が昇った後らしい。時間を確認するために画面右下へ眼を向ける。日付は―――画面に目を向けた3日後、即ち休日がすべて潰れていた。

 

―――マジか。

 

 小さく呟き、風呂場へと向かう。服を脱ぐ際、左肩を上げようとしてやめた。そう言えば、そうだった。今日(・・)は使えない。溜息を吐きながらも利き手ではない(・・・・)右手を用いて洗っていく。

 右手だけでどうにかシャワーを済ませて、私服を着込んでいった後、煮込んだ野菜を凍らせた真空パックを取り出し、鍋に放り込む。鍋に入れた後熱し始め―――ある程度解凍できた頃にふと思い出す。

 

…何もルーを買ってない。

 

 …仕方ない、買い出しに行こう。玄関へ向かい、革靴を履く。

 がちゃり。扉を開けると―――偶然にも、向かいの家から一人の少女が出てきた。前に見かけたのは…多分3年前。父親と一緒に居た時だろうか、その時と比べると―――随分と、枷に脚を囚われているらしい。彼女からの視線はと言えば、困惑が読み取れた。

 

―――おはよう、宵崎。

 

「…えぇ、おはよう。…その和服、コスプレ?」

 

―――コスプレとは失礼な。此れでも私服ではあるぞ、浮いているのは自覚しているが。

 

「そう…それじゃあ、コンビニに行くわね」

 

―――それについて行ってもいいか?ルーが家になかった。

 

 返答はなく、彼女はそのままコンビニのある方へ足を運び始める。…良いのか、まずいのか。判断が付け難く見送る中―――彼女が此方に振り向き、不思議そうに首を傾げた。

 

「…行くんじゃないの?」

 

―――いいのか?

 

 宵崎が小さく頷く。それに脳裏が微かに灼かれるような痛みを覚え、黙殺する。

 

―――なら、言葉に甘えよう。

 

 宵崎の隣を歩いて行く。アプリはたしか、今日は朝から雨だという予報があったから手元には念のため傘を持っている。宵崎の方に目を向ける。自身の胸元辺りに彼女の頭が映るのは自身の背丈が高すぎる為だろう。

 彼女が視線に気づき、不思議そうに此方を見上げた。

 

「…どうしたの?」

 

―――宵崎の父方の容態は、どうだろうか。

 

 小さく首を横に振られる。記憶混濁のまま、回復している様子はないらしい。

 

―――そうか。

 

「…照己も、大丈夫?」

 

―――…あぁ、大丈夫だ。

 

 …反応が遅れる。だが、幸運にも彼女に気付かれてはいないらしい。…少し話題を逸らそう、このまま話を続けるとボロが出る。

 

―――宵崎は…缶詰の買いだめか。望月から微妙な顔をされるぞ?

 

 ばつの悪そうな顔をしながら、ふいと首を横に背けられる。

 だが、これで先程の話の流れが途絶える。宵崎も照己も(・・・)、あまり多くの言葉を交わさない。このままうやむやにできるだろう。

 

 その目論見は正鵠を射てたらしく、コンビニに着くまで居心地の悪くはない距離感で隣を歩き続けられた。彼女が缶詰を買いだめしていく中、カレールーを2箱だけ籠に入れてレジへと向かう。白髪のボブが特徴的な、間延びした声の少女に会計を済ませてもらい、ちょうどを支払ってコンビニ外で待つ。

 

 …ぽつ、ぽつ。

 

 雨脚が見え始めた。この調子だとすぐに大雨となるだろう、そんな予想を裏切らずにザー…とノイズのような雨脚を立て始める。傘の柄にカレールー2箱の入ったレジ袋を絡めながら彼女を待つ。

 

 だいたい5分ほどで宵崎が出てきた。

 傘を持ってる様子もない以上、此処で時間を食われるぐらいならと風邪を引く事覚悟で雨中突っ走るだろう。それを予想できるからこそ、待っていたのだが。

 

―――傘に入れ。比較して大きい方だから2人は入れると思う。

 

 その申し出に、彼女は数瞬躊躇した後頷く。右手で傘を開き、彼女と共に歩いて行く。歩幅を合わせるのは、比較慣れているのが幸運だった。

 

「…どうして、待ってたの?」

 

―――ついて行きたいと言った手前、置いて行くのも忍びない故な。それに作曲の為に雨の中突っ走りかねないとも思った。

 

「…そう、ね。…確かにそうかも」

 

 彼女が小さく笑う。…父方の記憶混濁が原因で作曲に囚われてしまったのを、照己はただ見ている事だけしかできなかった。

 

 …彼女に福音が訪れる事を。

 そして―――

 

「…照己?」

 

 意識が引き戻される。彼女が小走りになっているところからして、どうやら考え事に意識が向き過ぎたらしい。

 

―――すまない、考え事をしてた。

 

「…それなら、良いけど」

 

 何処か不安そうに此方を伺っているが、それを和らげることができる言葉を持ち合わせていない。行きとは一転して居心地の悪い空気のまま、彼女の家まで送り。自宅へと帰ってカレーを胃に入れ、歯を磨き。

 

―――いってくる。

 

 返答の無い、ただただ広い家を後にした。

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