やってしまった……!
チームルームで俺はやらかしてしまった事実に打ちひしがれていた。
先日、担当ウマ娘であるマヤノが突然メスガキムーブをかましてきた。
鋼の意志で受け流していた俺だが、マヤノの煽りも最高潮となり、普段温厚な俺もついに掛かってしまった。このままではマヤノの将来にも悪いと想い、あくまで冷静さを保ちながら諭したのだ。
だがマヤノはそこで折れずさらに煽りレベルを強めた……!
挙句の果てには"雑魚"呼ばわり……!!
これには流石の俺も我慢ならなかった。
ここ最近よく利用しているようなネタも実際にやられてみれば許しておけるようなものではなかった。
メスガキには教育が必要だ。あの時の俺はそう思ったのだ。
もちろん実際に事に及ぶつもりはなく、少し脅して反省すればそれで良しと思っていた。
だというのにマヤノはソファに押し倒された段階でも煽り続けてきたのだ。
これはきちんと大人の男の怖さを教えねば、そう思い強めにマヤノの首筋に―――
ここで俺はマヤノが震えていることに気付いた。
当然だ。
いくら種族差による力の差があるとは言え、マヤノはまだ幼い女の子なのだ。
自分より一回り大きい男性に両手首を掴まれ覆い被さられてさらには首筋に痕が残るほど吸い付かれたとなってはひどく恐怖を覚えた事に違いない。
いくらマヤノの将来のためだとは言えこれは明らかに行き過ぎた行為だろう。
俺は慌てて唇を離し拘束していた両手からも手を離してマヤノを解放した。
離れるときに「あっ……」とマヤノが声を漏らす。
恐怖から解放された安心から思わず漏れたのだろう。
マヤノの両手首と首筋は少し赤くなってしまっている。
今更ながらに後悔と自責の念が俺を苛む。
今一番傷ついているのはマヤノだというのに。
「これでわかっただろう。 大人にそういう態度をとるという事がどういう結果になるのかが。 以降、こういった軽はずみな言動は慎むように。」
椅子に掛けていた自分の上着をマヤノに着せ、上着の前を閉じて、首筋までは隠せないなと思い、チームルームに据え付けの救急箱から絆創膏を取り出しマヤノの首筋へ貼り付ける。
あんなに煽ってきたマヤノが今ではソファに座りされるがままだ。
やはり恐ろしかったのだろう。だというのにそんなマヤノへかける言葉も見つからず説教の上塗りをし、彼女が大人しいことを証拠を少しでも隠そうとしているのだから俺は救えない。
「……もう門限も近いだろう。 上着はそのまま着ていきなさい。」
俺はそう言い残し、逃げるようにチームルームから自室へと向かった。
相棒である彼女を残して逃げたのだ。
そしてそのまま自室に戻った俺は自らの過ちに震えながら風呂にも入らず布団をかぶったのだった。
そして翌朝。俺はチームルームまで来て後悔に打ち震えていた。
俺とマヤノは朝練は基本的には行わない。
マヤノから希望があった時は別だが、彼女の場合はあまり短い間隔でスケジュールを詰めても調子が噛み合わず上手く回らない時もある。
最初の頃はそれでお互い空回りをしたこともあった。
そこからお互いに意見を出し合い、マヤノのタイミングに合わせたりレース前の追い込みの時に絞ってやろうという事になったのだ。
今はまだトレーニングの追い込みの前の時期なので朝練の予定はない。
机の上には昨日彼女に着せるために貸したはずの上着が畳まれて置かれていた。
不思議と彼女の臭いが残っているような気がしたが錯覚だろう。
保身のためとはいえ、貸したはずの上着がここに置かれているのは彼女の拒絶の痕跡であるはずなのだから……
普段なら今日のトレーニングの内容確認や詰め、マヤノの次のレースの対戦相手やレース場の研究などをして過ごすのだが、昨日のあまりにも最低なやらかしにただただ嘆いているばかりだった。
考えれば考えるほど後悔に苛まれる。
まずは謝ろう。そして彼女への謝罪と共に受ける罵倒や報復はすべて受け入れよう……
いや、その程度で許されるだろうか? 普通に考えて一回り年上の男に押し倒された上にそれがトレーナーだった事へのショックにまだ年頃の女子が耐えられるだろうか? そもそも会う事すら忌避するのでは? どうしよう、前もって自害しておくべきだろうか?
そんな風にどんどん思考が負の方向にふり切れていた時だった。
「……トレーナーちゃん?」
彼女が開けたのであろう、いつの間にか半開きになっていたチームルームのドアから恐る恐ると言った感じで顔だけちょこんと出したマヤノがそこにいた。
お転婆で天真爛漫なキラキラした大人に憧れていた彼女が、そんなしおらしい態度でドアからこちらを伺っていたのだ。
俺は迅速に、しかし彼女を怯えさせぬよう静かにドアから3歩ほど離れた床に正座をし、そのまま上半身を折り、床へと額を思いっきり叩きつけた。
「まだ呼吸をしていて本当に申し訳ありませんでしたッッッッ!!!!!」
「うぇえ!?」
「だからね? マヤもトレーナーちゃんの優しさに甘えすぎて生意気な事言いすぎちゃったかなーって。 きっとマヤにはわからない大変さとかも大人のトレーナーちゃんは感じてるんじゃないかなって思ったの! だからトレーナーちゃんだけが悪いってことはないんだよ!!」
あまりにも綺麗に自らの額を厭うことなく地面へと叩きつけた謝罪の最上級姿勢、土下座を行った俺だったがマヤノからの慈悲を賜り、今はチームルームで机を挟んで向かい合い座していた。
出会った瞬間に罵倒か、そもそも来るのは警察では?やはり自害が最適解では……などと思っていた俺に対してまさかの赦しが与えられたのだ。
天使では? 大天使マヤノエルか? いや女神だな。
「いや、しかしそれでも流石にあの行動は許されるモノではなかった。 すまないマヤノ…… キラキラした大人に憧れている君に、大の大人が一時の怒りに身を任せて大人の汚い部分をぶつけてしまったんだ……」
俺はそんなマヤノをまっすぐと見ることが出来ず、俯き独白する。
きっとマヤノも相応の覚悟を以てこの部室まで来てくれたはずである。
だというのに、マヤノは俺を許すというのだ。
きっと優しくて聡い彼女は過ちを犯した俺の事すら心配してしまうのだろう。
「俺のしてしまったことはあまりにも重い…… そんな俺がこれ以上マヤノのトレーナーを続けるわけには……っ!?」
俺の言葉はそこから先を紡ぐことは出来なかった。
いつの間にか向かいの席から俺の傍らへと近づいていたマヤノが俺の頭をその胸へ掻き抱いたからだ。
「ダメっ!! マヤのトレーナーはトレーナーちゃんしか考えられないっ!! トレーナーちゃんじゃなきゃダメなんだからっ!!」
ぎゅう、と強くマヤノの胸へ顔を押し付ける形になってしまい、少しの息苦しさを感じる。
彼女の小さな矮躯からは少し想像しづらいほどの力強い抱擁にはウマ娘という種族の力強さを感じてしまう。
「マヤノ……」
「それにマヤ、知ってるんだ。 トレーナーちゃんがレースに出るのを禁止されてたマヤのためにいろんな人にお願いしたり、謝ったりしてくれた事……それでイヤな事を言われたりもしてるのに、マヤにはわからないようにって色々してくれてたよね?」
!!
マヤノの精神状態を鑑みて影響を出ないように色々と手を回していたが気づかれていたようだ。
やはり彼女はとても聡い。
強かった抱擁が緩む。 包み込むような、優しい抱き方へと変わる。
「トレーナーちゃんはそうやって自分が傷ついてもマヤの事を守ってくれてたんだよね。 そうやって傷ついてたのに、マヤがあんな態度を取っちゃったから張りつめちゃって……それがあの時に爆発しちゃったんだよね?」
確かにマヤノを悪く言う者はいた。
一度崩れた信頼は、容易には組み直らない。
幸いウマ娘たちはふわふわしていた彼女が俺と組んできちんとトゥインクルシリーズへ取り組むようになったことを好意的に受け止めてくれた。
しかし大人たちの中にはいくつもレースを棄権していた時期のある彼女を好ましく思っていない者たちもいる。
そういった輩にも必要とあらば頭を下げ対応してきた。
キラキラした大人を目指し、今を邁進する彼女にレースの勝ち負け以外での障害などに躓いて欲しくなかったからだ。
「マヤもきっと必要以上に甘えちゃってたんだ……だからもっと気安い関係になれればトレーナーちゃんも元気になるかなーって思ってたけどちょっと失敗しちゃったの!だからね……」
マヤノの手が俺の頭を優しく撫でる。
「トレーナーちゃんは大人だからってがんばってくれてる。 がんばりすぎちゃってくれてるの。 でもマヤが「そんなにがんばらなくても大丈夫だよ」って言ってももっとがんばってくれちゃう人だから……だからマヤがトレーナーちゃんを甘やかしてあげる事にするね❤」
「えっ」
そう言いながらマヤノは俺の頭をまた自分の胸へとぎゅっと抱き込み優しく、それはもう優しく撫で続ける。
すべてを受け入れるような、聖母のような柔らかい微笑みを浮かべながら。
「トレーナーちゃんはすごい❤ マヤのことをいっつも守ってくれて、マヤのためにすっご~くがんばってくれて、マヤと一緒に勝利を目指してくれて、マヤの事をい~っぱい甘やかしてくれてる❤ だからトレーナーちゃんもマヤに甘えていいんだよ❤ えらいよ~すごいよ~❤」
控えめだが確実に柔らかい母性の象徴に包み込みながら優しくナデナデしつつそんな全肯定甘々セリフを囁くのはやめるんだ!
やべえ、こんなん破壊力高すぎる……
そもそも普段の天真爛漫な明るい彼女がこんな……こんな……!
こんな母親のような包容力を発揮してくるなんて!!
なんとか、なんとかこの状況からの脱出を……!
「んんっ❤ トレーナーちゃん、あんまり動くとくすぐったいよぉ❤ 今のトレーナーは赤ちゃんなんだからきちんとマヤに甘やかされないとダメなんだからね~❤」
おいィ!?誰が赤ちゃんやねん!?
柔らかい包容力で包み込みながら俺の頭を押さえつける腕だけは確かな力でガッチリ固定するのやめルルォ!?
よくよく考えれば滅茶苦茶いい匂いするしレースに勝った時にちょっとガン見しちゃうくらい柔らかそうだなって思ってたけどマジで柔らけぇな!?
ああでも胸に顔を埋められて撫でながら耳元で身に覚えのあることない事一生肯定されて甘やかされるのずるい、勝てない……!
オ、オギャッ……ママノトップガン……!
「ただーいまー!!!」
栗東寮、マヤノトップガンの自室。
今日は門限前に帰ってきたのでお小言をもらうことなく部屋へ帰りついたマヤノトップガンは昨日に増して機嫌がよさそうにすでに帰宅して靴の整備をしていたトウカイテイオーへと帰宅の意を知らせる。
「おかえりー。 今日も随分機嫌がよさそうだねぇ?」
つい昨日の不思議な魅力は鳴りを潜め、いつものような朗らかな彼女のいつにも増して朗らかな様子にそう返すトウカイテイオー。
「うん!レース中にねっ、わかっちゃったー!!ってすすーっと前に行ってる感じ!!」
機嫌が良いのだろうとは思っていたがレース中の感覚の、しかも上手くいっている時を例えに出すとはどうやらマヤノトップガンは機嫌が良いどころか絶好調の様子である。
「はぇー、そんなに」
トウカイテイオーは作業を止めてマヤノトップガンを見て少し驚く。
彼女は普段から楽しそうに話すが、今日はそれに輪をかけてニッコニコである。
全身から嬉しい!というオーラを放っており、ここまで機嫌がいいのが見てわかるのは普段から楽しそうに話すマヤノトップガンでも珍しいのではないだろうか。
「それでね、テイオーちゃん!! 自分の子供ができたらどんな風に甘やかそうかなーって思う?」
「子供ができたらかぁー、って子供ぉ!?」
突然のセンシティブな剛速球に面食らうトウカイテイオー。
そんなトウカイテイオーの叫びなど気にすることもなくマヤノトップガンは続ける。
「うん! マヤはパパとママにはいっぱい甘やかされてきたと思うんだけどいざどんな風に甘やかされてたかなーって考えるとコレ!ていうのがあんまり思いつかないのー。 だから今日はたっくさん褒めて褒めてナデナデしてあげたんだけどもっと他に出来る事があるかもー?って思って!」
(してあげた?誰に?いつも嬉しそうに話題にしてるマヤノのトレーナーにかな?)
疑問に思うトウカイテイオーだが、聞くのは怖いと思ってしまったためスルーした。中等部の自分にそういった特殊プレイの片鱗に自ら触りに行くのはその、怖い。
「ぼ、ボクにはちょっとまだ想像がつかないかなぁ……そ、そういうのは詳しい人に聞く方がいいんじゃないかな? 高等部のスーパークリーク先輩とか。」
なので矛先がこれ以上トウカイテイオーに向かないように話題ごと投げることにした。彼女とて思春期の女子、同室で気の置けない友人であっても流石に子供が出来ただの出来ないだのの話をするのは敷居が高い。
一応話題に出したスーパークリークは自分の担当トレーナーをバブってオギャらせているという噂を耳にする先輩だ。真偽は定かではないが火のない所には煙は立たないと言うしきっとマヤノトップガンの疑問にも答えを与えてくれるに違いない。
などと自らに言い訳をしていたがこの時のトウカイテイオーは確実に「逃げ」ただけである。
なぜなら彼女は女性誌などを読む時その手のページは「ぴぇっ」などと声をあげながら飛ばすタイプの初心なネンネだからである。
「なるほどー、明日にでもお話しに行ってみる! お風呂入ってくるねー!!」
元気よくお風呂に向かうマヤノトップガンを見送ったトウカイテイオーは昨日とはまた違う感じでマヤノトップガンを遠くに感じたが、今回は別段焦りなどは感じなかった。
違う意味で遠くなったな……という気分になりはしたが。
「差し切ってゴール! 強すぎるバブみ!!」
「まず掛からせて垂れたところを差す。堂に入った見事なオギャらせでした。」