「担当ウマ娘との距離感がわからない、ですか?」
トレセン学園のほど近くにある繁華街のカフェで俺は同僚の桐生院トレーナーにそんな愚痴を吐く。
先日マヤノと和解を果たした俺だったが、その後のママノトップガンに完全にバブってオギャらされてしまったのだ。
確かに俺は、彼女の環境を取り巻く色々な問題を解決するために少しづつストレスを溜めてていたのだろう。
とはいえそれで大の大人がバブってオギャらされてしまうのは不覚としか言いようがない。
挙句その後誰に教わったのかママ味を増して甘やかし方が巧みになっており、なんとか大人の威厳を失わないように抵抗してはいるのだが……
今のところ全戦全敗、ママノトップガンにオギャらされる日々が続いてしまっている……
練習などに支障を来たしているわけではない。
むしろその後のトレーニングに関しては順調そのものなのだが、終わった後のママノトップガンタイムが……
今日はトレーニングが休みの日なので部屋でママノトップガンタイムを回避できる、と言いたいところなのだが……
最近は休みの日だというのに部屋に押しかけられてママノトップガン継続ボーナス発生!ああ逃れられない!!という事が毎週起こっている。
一度居留守を試みて音がしなくなったので締め切ったカーテンを開けたら窓の外から頬をぷくーっと膨らませたマヤノが立っていてヒェッと変な声を上げてしまった事もあった。
流石にその時は俺も諦めて家に上げた。
マヤノはむくれて文句を言いながらすでに何度か来ていたためか部屋に据え置きのエプロンを身にまとい慣れたように家事をこなしてくれるのであった。
担当ウマ娘に通い妻のような事をさせているのはよろしくないとは思ったがよかれと思ってやってくれているマヤノを無下には出来ず……
なんなら料理してるエプロン姿とか膝枕しながら頭ナデナデされたりとかとてもやばかったです。(語彙力消失)
とはいえ流石に休日まで甘やかされたままではいかん、尊厳が死んでしまうという事でなんとか元の距離感に戻すことはできないかと同僚の桐生院トレーナーにこうして相談をしているのだ。
まぁ避難の意味合いもある。
部屋にいてもバブってオギャらされるしな!!!
「えぇ、最近その……少々距離感が近いといいますか。 仲が良くなりすぎたというか、不都合は起きていないのですが……」
大天使マヤノエルがバブってオギャらせてくるんです!!とは流石に言えないので濁す。
桐生院トレーナーは「ふむ……」と思案顔で考え込む。
いい所のお嬢さんの思案にふける様子は様になるな、と思いながら眺めていると
「距離感が近い、とは言いますがウマ娘とトレーナーとして長く過ごせばそういうこともあるのではないでしょうか? ミークもトレーニングが終わった後やミーティングの時など、最初はお互い向かい合っていたのが最近だと隣に座ったり腕を絡めてきたりもしますからそういったこともあるのではないでしょうか?」
年頃の女子は意外と気を許した相手には距離感が近くなるものですよ、と結んで自分のカップに口をつける桐生院トレーナー。
多分マヤノのパターンとは違うがなるほど、若い女子は距離感は意外と近いのか……
学生当時の俺は女子とはそこまで仲良くもなく、当然彼女などいた事もなかったので知らなかった……
「それにあの年ごろの子はやはり親元を離れて寂しい事もあるでしょうからね。 ミークも最近だと寮の私の部屋に泊まりに来たりしますね。 一緒にお風呂に入ろうとねだってきたり夜に寝ていると布団に入り込んできたり、可愛い所もあるんですよ。」
んん?
「ですが泊りに来た時にうまぴょい伝説の振り付けを確認したいからと何度も私に振り付けの手本をねだってくるんですよね……ミークはどうも「私だけにチュウをする」のあたりの振り付けが苦手みたいで何度もやらされるので、流石に少し恥ずかしさもあります……ですがセンターの振り付けを覚えることに意欲的ということはURAファイナルズへの意欲も高いということですし、今回のミークはかなり強いですよ?」
あっ(察し)
桐生院トレーナーは挑戦的な笑顔でこちらを見つめている。
俺はと言えば、
「望むところです。」
そう答えながら、ハッピーミークに完全にターゲットされているのにまったく気づいていない桐生院トレーナーにそれを伝えた方がいいのでは?と逡巡したが桐生院トレーナーの座っている席の奥の方の壁から顔を半分出して普段の無表情と変わらないのに明らかに"圧"をかけてこちらを見つめているハッピーミークを見つけてしまったため口を閉じた。
同僚が同じ穴の狢ってマジかよ。
トレーナーは誰もが被食者なのか?と軽く絶望をした。
その後は軽く話をしてから俺と桐生院トレーナーはカフェを後にした。
外に出てすぐに"偶然"ハッピーミークに出会い桐生院トレーナーの腕に絡みついていたので俺は相談に乗ってもらった礼を改めて伝え二人と別れてその場を後にした。
「ふーん……」
俺はその時に様子を見ていたもう一人の存在にはまったく気づいていなかった。
あの後、普段あまり行かない繁華街なのでせっかくだからと色々な店を冷やかしたりしてから日が落ちてきたので帰宅した。
帰り着いて部屋の鍵を開けようとすると妙に軽い回り方をした。 鍵をかけ忘れたか?と思い首をひねりながら部屋に入り照明のボタンを押した。
「おかえり」
聞き馴染んだ聞こえるはずのない声に思わず情けなく悲鳴をあげそうになるがなんとか堪える。
部屋の奥側にあるベッド、そこには俺の相棒であり悩みの種であるマヤノが無表情で座っていた。
「桐生院ちゃんとのデートは楽しかった?」
!?
見ていたのか……
にこりと微笑みながらベッドから立ち上がり部屋の入口に立ち尽くすこちらへゆっくりと歩み寄ってくるマヤノ。
微笑んでいるはずなのにいつものように空気が弛緩することはなく、冷たい氷柱を背中に突っ込まれたかのようないやな肌寒さを感じてしまいじりじりと部屋から玄関までの短い廊下へと後ずさる。
「あれはトレーナー同士の情報交換などの交流であってデートでは――」
「男女に休日でカップルにおすすめのカフェに行くのはデートだよ」
短すぎる廊下はすでに終わり玄関のドアに背が当たる。
マヤノはすでに目の前にいる。
俺の言葉に被せるように反論をする時に張り付けていた微笑も削げ落ちた。
「桐生院トレーナーには普段からお世話になっているからな。 相談もあったし、相手を慮って場所を選ぶのも大人の付き合いというもので――」
「何日か前から調べてたもんね? マヤがチームルームに置いてた雑誌とかコッソリ見てたもん」
逃げ場のない俺の目の前、ほぼ密着した状態でマヤノは無表情のまま俺を見上げる。
いつの間にか右の手首はマヤノの左手に捉えられている。
「何か誤解があるようだ。 桐生院さんを誘ったのは同期で一番担当ウマ娘のことでお互い相談し合っていて今回もそれの延長で――」
「二人っきりの時はさん付けで呼んでるんだ?」
ガチャッ
聞こえた音のほうを見ればマヤノが玄関のカギを閉め、ドアチェーンを取り付けている姿が視界に写る。
何をしているのか一瞬理解が及ばず、じっと見つめてしまった。
人差し指についているコミカルなニンジンが描かれた絆創膏を見つめてハッと我に返る。
思わず止めようとしたが先ほど握られた右手首が痛いほど締め付けられぐっ、と声が漏れてしまう。
「マヤノ……いったい何を……!」
マヤノは無言で俺の右手首をきつく握ったまま踵を返し、ベッドまで俺を引っ張っていく。
握られた右手首は万力で締め上げたようにガッチリとつかまれて逃げられる気配はない。
ベッドまでたどり着いたマヤノは空いている右手で俺の胸倉をつかみそのまま俺を引き倒すように諸共ベッドへと倒れ込む。
ウマ娘の圧倒的な膂力に抵抗できず、俺は結構な勢いでマヤノへと圧し掛かる形でベッドへと倒れ込んだ。
カシャッ
俺たち二人の息遣いしか音のない部屋にそんな電子音が響いた。
何事かと音がした方を向けばマヤノの手に握られたスマートフォン。
マヤノは先ほどまでの無表情が幻か何かだったかのようなとても嬉しそうな、先ほどまでの貼り付けたような笑みではない満面の笑顔を浮かべてスマートフォンの画面を確認している。
「うんうん、いい感じ❤ どう?トレーナーちゃん❤」
そんないつもの甘えてくるような声を出しながら俺にスマートフォンの画像を見せつけてくる。
そこには担当ウマ娘に思い切り圧し掛かっているケダモノにしか見えないトレーナー……俺の姿がばっちりと映っていたのだ。
俺は慌ててマヤノの上に圧し掛かっているこの状態から離脱を図ろうと両手首をベッドについて上体を起こした。
しかしそこでマヤノは俺の両手首を掴み、力任せに俺と自分の位置を逆転させ、そのまま仰向けになっている俺の腹部のあたり膝でがっちりとホールドして見下ろしてきた。
所謂マウントポジションとなったのである。
「コ・レ❤ 他の人に見られちゃったらどうなっちゃうかな~❤」
久々に見たあの憎たらしい笑顔でこちらに画面を見せつけながらそんなことを宣うマヤノ。
俺は思わずマヤノの持つスマートフォンに手を伸ばすがマヤノはそれを高く持ち上げ俺の手の届かぬ様子を見てニヤニヤと嘲笑っている。
体を起こせば届くと必死に力を籠めるが、マヤノの腿でガッチリと固定されて上に乗られている俺の上半身は彼女の小さな矮躯からは想像もつかぬほどまったく動けない。
重さなどはほとんど感じていないのに力を込めてもまるで動かない。動かそうとするときだけ岩でも抱いているかのような錯覚を覚えるようだ。
「一体何が望みだ……?」
怯えて問いかける俺に応えず、マヤノはスマートフォンをしまい込み、自らの首筋――以前俺が痕をつけてしまった、今は綺麗になった首筋を俺目の前に思い切り近づけてきた。
「吸って」
「は?」
何を言われたのか一瞬理解ができず間抜けな返答をしてしまう。
「吸って。 あの時みたいに。 思いっきり痕が残るように」
言いながらマヤノは俺を拘束している部分をギリギリと力を籠めてくる。
せっかく痕が消えて綺麗になったというのになぜ……
と思い気づいた。 彼女はやはり俺を赦してなどいなかったのだ。
それを思い出させるために彼女はまた自らを傷つけろと言うのだろう。
甘やかされた挙句、「距離感が近い」などと同僚に相談する俺を見て彼女はさぞ憤慨したのであろう。
「早く」
彼女の怒りと、それを思い出させるために自己犠牲を選ぶ彼女の深すぎる優しさと、それらを感じさせまいとする感情のないそんな一言に俺はマヤノにあの時刻み付けた俺の最低最悪の証を再度刻むため、唇を添えた。
「……ふっ、くぅ……」
あの時の劣情を再現するかのように。
赤子が母乳を貪るかのように。
マヤノの首筋を思い切り、噛みつくような苛烈さで吸いつき、刻み込む。
「ひぅ……❤ ……んんっ」
赦されたと驕る俺を苛む罪の徴だ。
それを再度刻まれているマヤノの漏らす声に俺は決して許されることはないだろうという罪悪感と、
「んきゅぅっ……ふーっ❤ ふーっ❤」
唇を離した時の、可愛らしく漏れ出た呻きと荒くなった息を必死に抑えようとする潤んだ瞳のマヤノの赤くなった首筋の痕に、彼女を貪ったという事実に対するドス黒い感情が僅かに顔を出そうとしたので、慌てて心の蓋を閉じた。
「これでトレーナーちゃんはぁ……またマヤに夢中になっちゃうね……❤」
息を入れたマヤノはこちらに微笑みかける。
生意気なあの時の笑顔とは違う。
包み込むような慈愛の笑顔とも違う。
今の彼女は、とても魅力的で――妖艶な笑顔を浮かべていた。
「だ・か・らぁ❤ もっと……も~っとマヤに夢中にシテアゲル――」
「ただーいまー!!!!!!!!」
バーン!!と部屋を開け放ちながらいつも以上の大音量で帰宅を果たしたマヤノトップガン。
「んぁー……おふぁえりー」
すでに湯浴みを終え、部屋着姿でベットにうつぶせになりながらはちみつドリンクを啜っていたトウカイテイオーは音響兵器もかくやというマヤノトップガンに別段何か反応を見せるでもなくだらだらとしていた。
ここ最近のマヤノトップガンは大抵帰ってくると爆裂お気楽元気娘という様相でこの調子だったのでなんというか……慣れた。
少し前までは寝る子は育つを地で行くような感じで、休日以外は帰って食事まで横になって寝るなりスマートフォンを弄るなりしていたものだが、少し前に門限破りをしてからは元気はつらつ!という感じだ。
かと思えば普段買いの雑誌とは別に色々な恋愛テクの特集などを組んでいるような雑誌などを熱心に読み漁っていることもあったり。
見ている雑誌はこれまた多種多様で、
・押してダメならさらに押せ!?意地悪な彼氏への甘え方!!
・彼氏だって甘えたい!疲れた彼への誉め方喜ばせ方!!
・彼にはきちんと依存してますか?少し重めの上級者向け甘え方
など等エトセトラetc.
マヤノトップガンの枕元ほど近くの小物置用の小さなテーブルには「トレーナーちゃんのママになるための心得十ヵ条❤」などの直筆のメモ書きなども散見されているがこれに関してはトウカイテイオーは勇気の心で以てスルーを心掛けている。
トレーナーに掛かっているウマ娘には下手に触らない方がいい。
恋路を邪魔する者はウマに意識を刈り取られると古事記にもそう書いてある。
「ズズー……およ? 首のところまたケガしたの?」
ストローで飲んでいたはちみつドリンクがほぼ空になりゴミ箱へ捨てようと振り返ったトウカイテイオーの目にはいつかのように首筋に絆創膏を貼っているマヤノトップガンが目に入る。
「うん! もーちょっとジックリいこうかなー?って思ってたんだけど伏兵参上っ!って感じだったからちょーっと追い込みを早くしてみたの!! それでそれで! 今度トレーナーちゃんと温泉旅行することになったの!!」
「はぇーマヤノのトレーナーと温泉かぁ……ってぇえ!? トレーナー(男の人)と温泉旅行!?」
突然の赤裸々な発言にトウカイテイオーは思わずツッコんでしまう。
彼女は帝王然とした強者な振る舞いが根底にあるが年頃の女子、そういった話題には敏感である。
なんなら結構な耳年増でもある。ムッツリテイオーなのである。
「そうなの! 前に福引で当たったペアの券があったからURAファイナルズでマヤが勝ったら連れてってねって『お願い』したの!! 一泊二日でゆーっくりできるの今から楽しみー! ウマッターにご飯とか貼るからテイオーちゃんも楽しみにしててね!!」
そう言ってマヤノトップガンはベッドへと座りこちらに体を向けたまま自分のスマートフォンを見てとても機嫌が良さそうにニコニコしたり先日見せたような妙に大人っぽい笑顔を浮かべたり、スマートフォンを胸に抱えて足をパタパタさせたり随分と賑やかな様子だ。
トウカイテイオーは普段は布団に入ってスマートフォンを弄るマヤノトップガンにしては珍しいなと思ったがあまり人に見せたくない画面なのかな?と思ってからふと、先ほどマヤノトップガンが口にした「お願い」という単語にレース中に後ろから差されるような"圧"を感じたが、
「……はは、ボクしーらない」
飲み切ったはちみつドリンクのカップに残った氷を捨てるため、部屋を出て栗東寮共用のシンクへと向かう。心の中で何度か顔を合わせたことのあるマヤノトップガンのトレーナーに合掌しながら。
そもそも首筋の絆創膏について聞いて帰ってきた答えがアレなのだからさもありなん。
「はちみーはちみーはっちみー♪」
トウカイテイオーは現実逃避も兼ねて歌って忘れることにしたのだった。
「やりましたマヤノトップガン! 追込みからの末脚一閃!」
「トレーナーにも同じマーキングをして自らを思い出させる布石は圧巻の一言でしたね。少しトレーナーの首筋に掛かりすぎて歯形もつけてしまったようです。」