平安時代。私が生まれたその時代では、魑魅魍魎の存在が信じられていた。死や病の原因を、いるとも知れぬそれらのせいにし、人々は穢れを避けることで安心を得た。
そんな考えが当たり前だったためだろう、重い病を患って生まれた私が歓迎されるはずもなかった。親や使用人どもから疎まれ、他人から話しかけられることもほとんどないままに育った。病さえ治れば対応も変わるかもしれぬが、日ごとに病状は悪化するばかりだ。
父は毎日のように陰陽師や医師を連れてくるが、よくなった例もなく、焦燥のみが募っていく。そればかりか、20まで生きられぬと診断される始末。死にたくないという想いがどうしようもないほど募った16の夏頃、転機が訪れた。
満月が庭を照らしている。じめじめとした夜風がうざったく感じ、その日は寝付けずにいた。心を落ち着かせるため深呼吸をし、風が庭の草花をなでる音にそっと耳を澄ます。すると、ザワザワと木々がうごめく音に交じって、ヒュンヒュンと何かが空を割く音が聞こえる。
「……これは?」
聞きなれぬそれに小首をかしげる。ほんの少しの警戒に好奇心が勝り、体をなんとか起こして庭を垣間見た。果たしてそこには人がいた。手には妖しく光る刀が握られており、思わず出そうになった悲鳴を無理やり押し殺した。
その者は私に気付いた様子もなく剣の型、舞のようにも見えるそれを演じている。切っ先は目で追えないほど早く、刀身の軌跡は月光を反射して残像を残した。生まれてから一度も刀など握ったこともないが、あまりに洗練されたその舞にすっかり見入っていた。最初に感じた恐怖は好奇心に塗りつぶされ、一通りの型を終えたであろうその者に、気づけば話しかけていた。
「そこのお前。人の庭で何をしている」
自らの口から出た言葉に内心で呆れかえる。人の庭とはよく言ったものだ。この屋敷に、私の所有物など何一つないというのに。
その者は驚いた様子もなく納刀し、こちらに目を向けた。初めて見る顔だ。縒れた狩衣を着て、無精髭と目元の隈の目立つその男は、三十は超えているように見える。
「……鍛錬です。夜の間、この場所を使ってよいとあなたの父上に許可をいただいたので……」
……聞いてない。勝手に許可を出されたのだろう。あの親ならあり得る話だ。流石に腹が立ったが、そのおかげでこいつの剣が見れたことも事実だ。感謝する気は毛頭ないが。
「睡眠の邪魔になるようでしたら敷地の外で致しましょうか」
「……いや、この場所を使って構わない」
屋敷の前で刃物を振り回しているこいつを万が一誰かに見られたら、騒ぎになることは間違いない。面倒ごとを避けるためという建前で、庭の使用許可を与えることにした。実際は自分が見たかっただけなのだが、それを口にするのは憚られた。
翌日、あいつのことについて屋敷の者共に聞いてみた。昨日名前を聞きそびれたので、情報を集めるのに少し苦労したが。使用人ども曰く、あいつの名は佐々木義正といい、この家の遠い親戚にあたるらしい。
ここに来た理由については、家が家族ごと燃え、住む場所がなくなっただの、仕事で大きな失敗をしてしまい居場所がなくなっただの、あらぬ噂が流れていたが、実際どうなのかは不明だ。知ろうと思ったらやはり直接聞くべきだろう。
関われば面倒ごとに巻き込まれることは想像に難くないが、何故か無視を決め込むという選択肢は浮かんでこなかった。
その日の夜、あいつは同じ場所に現れた。待っていたと思われるのも癪なので、あくまで何でもない風を装って話しかける。
「今日も鍛錬か。この家に来たばかりだというのに、暇なのか。普段は何の仕事をしている?」
こいつはほんの少し顔を顰めたが、すぐにもとの無表情に戻り、問いに答えた。曰く、身分の高い要人の護衛などを行っているらしい。ただし、夜は仕事が入ってないことも多いため、鍛錬に時間を費やしているそうだ。
問いに答えるや否や、流れるように抜刀し、昨日と同じく剣舞を始めた。一分でも時間を無駄にしたくない、といったところか。こちらとしてもその方が好都合だ。空を流れる雲を思わせる緩やかな動きと、空を飛ぶ燕すら切れそうなほどの剣速を兼ね備えた舞は見ていて飽きることがない。
――――やはり美しいな。
いろいろと聞きたいことはあったのだが、その剣舞を見て真っ先に出てきたのは月並みな感嘆だった。
「ええ、美しいでしょう、この刀は。とある刀匠が打った、私にはもったいないほどの業物ですので」
つぶやきにも満たぬ声量だったが、こいつの耳に届いていたようだ。あれほど激しく動きながら答えるとは器用なことだ。それはそうと、私が美しいと感じたのは刀にではなく剣舞に対してなのだが、面倒なので訂正はしないでおいた。そして舞ながらでも話ができることがわかったので、このまま質問をすることにした。
「お前の名は何というのだ」
「……佐々木義正です」
念のため直接聞いたが、使用人から聞いていた名は正しかったようだ。この分なら、この家の親戚という情報もあっていることだろうし、もう少し信憑性の低い、噂について聞くとしよう。
「では義正よ、お前はなぜこの屋敷に来たのだ。家が燃えたと噂で聞いたが真実か」
義正はピタリと動きを止めた。あれほど動いていたにもかかわらず、息が切れている様子も見られない。
「……そこまで話す義理はありません」
明確な拒絶が返ってきた。どうやら踏み込みすぎたようだ。答えを聞けなかったことは残念だが、まだ会って二日目なのだ。そう急ぐこともない。その日はそれ以上の会話もなく終わった。
翌日の同刻、義正は同じ場所に現れた。義正は昨日の無礼を詫びると、慣れた手つきで刀を抜き、いつものように剣舞を始めた。それを見るのは三度目になるが、やはりと言うか飽きは来ない。しばらくの間静観していると、珍しく義正のほうから話しかけてきた。
「貴方は毎回私の鍛錬を見ているようですが、夜も遅いですし、寝たほうがよろしいのでは」
仮にも抜き身の刀を持った男の前で安眠などできないだろうと思ったが、こいつがその気なら、たとえ私が起きていようと簡単に首を飛ばせるだろうことに気付き、肝が冷えた。内心を悟られるのも面白くないので、できるだけ平坦な声で答えた。
「加持祈祷を行うとき以外は基本的に寝ているからな。夜になったからと言って眠くなる訳ではない」
「……加持祈祷?……一体なぜ?」
「病を治すためだ。尤も、良くなったためしはないが」
私の病のことも聞かされていないのか。大方下らぬ名誉のため父が隠していたのだろう。義正は踏み入りすぎたことを詫び、その日はそれ以上話しかけてくることはなかった。
――――武術を習ってみませんか。
翌日、妙に真剣な表情をした義正がそんな提案をしてきた。真意を測りかねていると、困惑を読み取ったのか補足をしてくれた。要略すれば、身体を動かす機会のない私は体力が衰え、病に対する耐性が損なわれているから、身体を鍛えてやろう、ついでに武術も教えてやる、ということらしい。
正直なところ、こういった提案がなされること自体が予想外だった。こいつは私といる時間はほとんど無言で鍛錬を行い、私が話しかけた時もその手を止めることなく応えるものだから、私に対して何の興味も持っていないと思っていたのだが。
この申し出を断る理由はないが、二つ返事で受けてよいものか。この申し出は、義正にとって何の利点もなく、見返りを求めているわけでもない。裏はない、と考えるほうが不自然だろう。こいつが言葉にしたこと以外に、何らかの目的があると考えたほうが無難だ。とはいえ、現段階で義正の意図が読めない以上、悩んでも仕方がない。こちらの気分でいつでも辞められるなら、という条件付きで、私はその提案を飲んだ。