次の日から武術を習うための準備が始まった。初めの一週間ほどは体をほぐしたり、握力を鍛えたりして、その後の二週間で最低限の体力と筋力をつけた。尤も、体の弱い私が無理のない運動をする程度では、そうそう筋肉はつかないため、運動に体を慣らすことが主な目的なのだという。
ある程度体力がついたと判断され、ようやく技を教えると言われた。いまだに立ち上がることすら苦しく感じる私を気遣ってか、座った状態から使える投げ技や極め技の類を教わった。こいつが剣術以外も扱えることに驚いて見せれば、弓や馬も扱えるというからさらに驚いた。
教わった体術も極めれば、ほとんど力を使わずに大人を組み伏せることも可能だそうだ。奴は人に教えることに慣れていた。その上、奴自身の技に対する理解の深さも合わさり、教え方は相当上手かった。毎日教えてくれるわけではなく、用事があるのか顔を見せない日もあったが、言われた通り自主練は欠かさず行った。昼夜問わず寝てばかりだった日々を思えば、鍛錬は全く苦にならなかった。
さらに二か月程経ち、肌寒さを感じる季節となった。習った技を試したくて使用人を投げ飛ばした結果、今まで以上に部屋に人が寄り付かなくなるなど、紆余曲折あったもののそれなりに充実した日々を送っていた。
「贈り物だと?」
ここ三日ほど義正は屋敷から離れていて、久方ぶりに来たかと思えば渡したいものがあるという。自然と視線が、奴の手に握られている風呂敷に注がれる。義正は部屋に上がると、開けてみてください、と言ってそこそこ重量のあるそれを手渡してきた。丁寧に包みをほどき、促されるまま中にあった木箱の蓋を開ける。
「これは……刀か」
竜を模した金の鍔、雪を思わせるような白い鞘と柄が、その存在感を際立たせていた。慎重に鞘を抜くと、傷一つない鈍色の刃が顔をのぞかせる。
「ある刀匠に頼んで打ってもらったのです。会心の出来栄えだと言っておりましたよ」
「……これを……私に?」
「ええ、そろそろ剣術を教えようかと思いましたので。学ぶにあたって、自分の刀があったほうが都合がよいでしょう」
贈り物というにはあまりにも殺伐としているが、私にとってはこれ以上ないものに思えた。ありがとう……とぎこちなく感謝を伝えると、義正は少し驚いた後、ぎこちない笑みを浮かべた。
もらった刀は、木箱に入れたまま部屋の隅において風呂敷で包み隠した。見られたら面倒だが、どうせ医師以外の人間が部屋に入ってくることはほとんどないのだし、これで十分だろう。剣術を指導してもらえる日を楽しみにしつつ、その日は眠りについた。
本格的な冬になり、雪が降る日も多くなった。さすがに寒さが祟ったのかここ最近体調が良くない。尤もこの時期になると、毎年体調は悪化していたから、こうなることは半ば予想していたのだが。それより気に障ることは、せっかく刀をもらったのに、一切の剣術を教わっていないことだ。私の体調が治るまでは、剣術はお預けだといっていた。
それだけでも腹立たしいのに、父が少し前に連れてきた医師にも苛立っている。あいつの薬を飲んでも体調が良くならない上、私が身体を動かすことを窘めてくる。私が良くならないのは、義正のせいだとでも言いたげだ。嫌な咳に交じって、ため息が出る。吐いた息の白さに、義正からもらった白い刀が連想されて余計に気分が沈んだ。この時の私は、冬が終われば元の生活に戻れるのだと信じていた。
結論から言うと、私は冬を超えることができた。庭の桜はつぼみを着飾り、春一番の到来を今か今かと待ち望んでいる。だが、季節の変化とは裏腹に、私の病状が良くなることはなかった。それどころか昨日より今日、今日より明日、といった具合に症状は悪化していった。今では立ち上がることも出来ず、言葉を発することも辛いと感じる。
冬の間もほぼ毎晩、義正は自身の鍛錬をしに庭に来ていたが、立ち上がることすらできなくなっていた私は、その剣舞を直接見ることはできない。できることといえば、刀が空を切る音から、義正の動きを頭に思い浮かべるくらいだ。
更には義正と言葉を交わすこともなくなった。もともと義正は自分から話をする性格ではないため、私が言葉を発するのが困難になった以上、こうなることは必然だった。
ただ生きているだけの生活は、義正に会ったことで変わったのだと思っていた。やりがいが生まれて、生き甲斐ができて、私の世界は好転したのだと思っていた。だが、今の状況はなんだ? 剣術を教わることも出来ず、病に苦しんでいるだけ。あいつに会う前と何が違う?
一度光を知ってしまえば、もう夜には戻れない。あの充実した生活を体験してしまえば、前の生活に戻ることなど考えられない。こんな思いをするならば、あいつに出会わないほうが良かった。ただ生き続けることを夢見たまま、この狭い屋敷の中で一生を終えるほうがよほど……。
「調子はいかがですか?」
「……見て…………分かる……だろう……」
今日も診察と称し医師が来た。症状を聞かれ、処方された薬を飲む。決まりきったいつもの流れだ。症状に合わせて調合を変えているらしいが、どうせ効かないのだからどうでもいい。
「最近は体を酷使するようなこともしていないようで安心しました。このまま安静にして薬を飲み続ければ、必ず良くなります」
この言葉も何度聞いたかわからない。いい加減聞き飽きた。
身体を鍛えるようなことをしなければ今ほど病状は悪化しなかった、とこいつは決まって口にする。それを聞くたび、仄暗い感情が胸の奥底にたまっていく。ふざけるな、効き目のない薬しか作れぬ分際で。それを口にしようともがいても、代わりに出てくるのは嫌な咳だけ。
私からの返事はなくとも、こいつは話し続ける。今日の天気、朝餉の内容、屋敷の外の様子。無音の空気が嫌いなのか、取り留めのない話をし続ける。……鬱陶しい。
ようやく言葉が途切れたと思えば、きょろきょろとあたりを見渡し話題を探す。不意にこいつは部屋の隅に目を向け、そこにあるものに手を伸ばした。こいつの手元に視線を向け、私は息をのんだ。
「前から気になっていましたが、この風呂敷は一体……」
奴が手を伸ばした先に在ったものは、義正からもらった刀。それを認識したとたん、頭が沸騰するかのような感覚を覚えた。気づけば私は叫んでいた
「触るな!!!」
私は体を起こして、奴の腕をとり、非常時以外使うなと義正に言われていた投げ技を、激情のままに繰り出す。完全に不意を突かれたのか、こいつは頭から畳に突っ込む。ゴギッ、という音がした。こいつの首はあらぬ方向に曲がり、瞳孔は開いている。あまりにもあっけなく死んだことに、しばし呆然とする。殺した。私が、殺した。
「はぁ……はぁ……。は……っはは、はっははははははは!!!」
徐々に心拍数が高まり、口角が上がっていき、気づけば大声で笑っていた。さっきまで言葉を発することすら辛かったのに、何故だか今は
おもむろに立ち上がり、刀を手に取り、抜刀する。……軽い。刀とはこんなに軽いものなのか、などと考えていると、バタバタと足音が聞こえた。医師を畳にたたきつけた音と、私の笑い声を聞きつけて使用人どもが来たようだ。ちょうどいい。
「何があった!?今のは音は……ぎゃぁ!!!」
「どうし……がぁぁ!!!」
1人目の首を飛ばし、二人目は袈裟切りの要領で切り裂いた。どちらも義正の動きを見よう見まねでなぞったものだが、簡単に刃が体を通り抜けた。刀が人体を通り抜けた瞬間、得も言われぬ感覚に打ち震える。返り血を浴びたことも忘れて、その余韻に浸っていた。
……さて、これからどうしようか。あの感覚をもう一度味わうため、ほかの使用人どもを探しに行こうか。そのようなことを考えていた時、別の足音が近づいてくるのを聞き取った。丁度いい、次はこいつにしよう。そいつがここまで来ることも我慢できず、自分から部屋を出て、そして、
気付けば私の頭は胴と別れを告げて、地面に転がっていた。