私は
武蔵丸が私を引き取ったのだって、別に私を憐れんでのことではなく、村にいるものの中で一番懐に余裕があって、半ば無理矢理押し付けられたからに過ぎない。
そうは言っても実の親のように育児を放棄するようなことはせず、忙しい時間の合間を縫っていろいろと構ってくれたので、臆面なく父と呼べるくらいには懐いていた。
日がな一日中刀を打っている父だが、村にいては騒音の苦情を入れられるので、近くの山に居を構えている。父が仕事で刀を打つ様子を、私はよく眺めていた。
親の仕事に興味を持つのは、子供にはよくあることだが、私は刀を打つことより寧ろ、刀を使うことに魅力を感じた。父が刀の出来を確かめるため、獣などを使って試し斬りするときは、私もよく切らせてもらった。
常人からすれば、まだ八にも満たない幼子に刀を握らせることに抵抗を覚えそうなものだが、変人奇人の類である武蔵丸は簡単に刀を渡した。それどころか、幼い私の体躯に合った刀を打ってくれたのだから、彼を常識という枠に当てはめるのはすぐにやめた。
私が九つの時、私は父から剣術を教わるようになった。刀の使い方を知らなければ納得のいく刀を打てない、という信条を持っていた父は、当然の如く刀を扱える。
刀の正しい振り方、呼吸、脱力、剣の型など、彼の教えを次々と吸収し、十二の頃にはもう教えることはないと言わしめた。父は刀の試し斬りを私に一任するようになり、彼自身は刀鍛冶に没頭するようになった。
その後も技を極め続け、三年の月日が経った頃、父に依頼した刀を取りに来たある豪族の使いの者が、剣を振るっていた私に目を付けた。その者は私の力を認めると、治安維持の仕事をしないかと誘った。
この時の私は、父に寄生した生活を脱したいと思っていたので、その誘いを一も二もなく引き受けた。そのことを父に相談すると、頻繁には帰ってこなくてよいが月に一度は刀の状態を見せに来い、と父は言った。
現在、地方の治安は荒れていた。租税の徴収などの役割を担っていた国司は余分に税を取って力をつけ、有力な郡司や農民は豪族へと成長し勢力争いを始めた。荘園の所有者は一族や家来に武装させ、自らの土地を守ろうと動いた。
中でも義正を囲い込んだ豪族は相当な力をつけていた。武力を整え、土地を開拓し、周辺の有力者を取り込んでいった。その豪族の下で、義正は存分に自らの力を振るった。
強さには価値があると知った義正は、武蔵丸から独立するためにも、より一層武芸に励んだ。弓術や馬術を新たに習い、刀を抜いていない状況でも戦える技術を同僚たちとともに作り上げた。今や防衛においては守護神の如く扱われ、こと戦においては並び立つ者がいないほどとなった。
そうして立場も上がり、豪族の懐刀ともなった義正は、強い立場に加えて器量のいい妻も手に入れ、数年後には息子も生まれた。仕事の傍ら息子の教育も行い、息子の年齢が十になった時から、本格的に鍛錬も行わせるようにした。
何にでも意欲的に取り組む息子に、義正は持っていた技術のほとんどを教えたが、唯一、人を殺す可能性のある技だけはなかなか教える決心がつかなかった。
その日、私は父のもとを訪れていた。家庭を持った今でも月に一回は、刀の状態を見せに行くのだが、今回はそれ以外の目的もある。縁故を十二分に活用して、仕事の忙しい父に依頼を出していたのだ。父に会うなり、完成品を目に収める。
今まで息子に持たせていた刀は、武蔵丸の失敗作を無理やり使えるように鍛え直したものだ。素振りや型の稽古はそれで十分だったし、打ち合いはもっぱら木刀で行っていた。だが、ようやく息子に剣の
父から刀を受け取って少し世間話をした後、私は岐路に就いた。
日もすっかり落ちた夜だった。帰ってきた私を迎えたのは、燃え盛る家だった。否、自宅だけではない。周辺の民家も、地面に転がるかつて人だったものも、目につくすべてが燃えている。見渡せば、焼死体以外にも、首を斬られたものや、出血で死んだものもいることから、襲撃を受けたのは明白だった。
家族の無事を願い、自分の身も顧みず、いまだ炎の上がっている家に足を踏み入れる。煙を吸い込まないように呼吸を止め、息子と妻を探す。数分足らずでそれを見つけた。否、
その光景を見て眩暈がし、息子の手に握られていた刀が血で濡れていないことがひどく目に残った。
本来は義正を殺すための刺客だったのだろう。それが恨みによるものか、対立している国司による指示かは分からないが、どちらにしろ義正には心当たりがありすぎた。彼がこの仕事をしだしてから、人から恨まれるようなことにも手を染めたからだ。仕事で人を殺めたことだってある。報復されることも覚悟の上だったが、親しいものにまで被害を出したくはなかった。
妻や息子との関係を隠すことはさすがに不可能だが、武蔵丸との関係は周りに知られないようにふるまってきた。今回のように武蔵丸の下に向かう時も、そもそも義正が家から出たことを周りに悟られぬようにしていた。
そのせいで、義正がいない間に襲撃があったことはあまりにも皮肉な話だ。
その出来事から日を跨がずに、義正を雇っていた豪族の下にも襲撃があった。ほぼほぼ暗殺に近い形だったため、義正が馳せ参じた時にはすでに討たれた後だった。
そうして義正は一夜にして家族も職も失った。
それからすぐ、私の身元を引き受けたいというものが現れた。その者は都に住まう貴族で、護衛の役割も込めて屋敷に住まわせてくれるそうだ。
国司と対立していた過去もある私の身元をわざわざ引き受けるなど、何かしら裏があるのは目に見えている。とはいえ、今更失うものなど父以外にないし、この年になって父に寄生した生活に戻りたくもないので、その話をありがたく聞き入れた。その代わり、夜中に鍛錬に使用してよい場所はないかと尋ねると、その男の息子とやらの部屋の前の庭を紹介された。
そこで初めて、無惨に出会った。無惨は最初から、私の剣術に興味を持っているように見えた。その様子を、私の息子に重ねてしまった。
息子は、私の持つ剣術と体術をすべて習いたがっていたが、人を殺す危険のある技だけは教えなかった。剣の素振りはさせていたが、自身より速度も力も勝る相手に勝つ方法などは伝えていない。
息子は刀を握ったまま果てていた。その刀が血で汚れていなかったことから、一太刀も浴びせることが出来なかったのだろう。襲撃者が何人いたかは知らないが、もしそれが片手で数えられる人数で、私が息子に本物の業を教えていれば、撃退できていたかもしれない。もし私がもっと早くに覚悟を決めて、人を殺せる技を教えていれば、とどうしても考えてしまう。それだけが心残りだった。
だからこそ、無惨に息子を重ねた時点で、私は無惨にすべてを受け継がせるつもりだった。もしもあの時、息子が人を殺せたら。そんなもしもの続きを願った。願ってしまったからだろう。
……無惨が人を殺したと分かった瞬間に、自らの過ちを悟った。私が妻と息子を失うという形で、人を殺めた報いを受けたように、息子が人を殺せたらというもしもは、結局のところ私が受けるはずだった報いを、息子に引き継がせるだけだったのだ。
そして私の身勝手で、果てしのない恨みの連鎖に、無惨までも巻き込んでしまった。その責任を逃れんがため、無惨の首を落とした。手前勝手な話だとは分かっていたが、これ以上恨まれるのは私だけで十分だ、と思っての行動でもあった。
……結局無惨が死ぬことはなかったが。首を落とされて死なない人間など生まれて初めて見たが、元々そういう体質というわけではないらしい。そして無惨が死ねない身体を持ってしまったとなると話が変わってくる。
斬った感触から何となく想像がつくが、死なないからと言って痛覚が完全に消えているわけではない。特に、日光と食人衝動という弱点はまずい。そのまま人を食いながら生き続ければ、いづれは恨みの渦に巻き込まれ無残な最期を迎えることだろう。
私は無惨に、少なくとも死に際だけでも選んでほしい。こんな体になってしまっては人に恨まれることは避けられないだろう。だからせめて、悔いのない最期を迎えてほしい。そのために私は、無惨に強さを教えよう。人を害すためでも、自分を守るためでもない。ただ、生きるための指針となる強さを。