私達はいま、義正の知り合いだという男の下へ向かっている。その男の名は
屋敷から武蔵丸の家までは急いでも数日かかると言っていたが、それは私が歩いての話だったようで、今しているように奴が私を抱えて走った場合は夜明けまでに着くそうだ。
月の位置から推察して大体丑寅の刻には、武蔵丸とやらが住んでいるという山の麓に到着した。そこに着くまでにいくつか村があったが、痕跡を残したくないので、民家にはできるだけ近づかないように、少し遠回りをした。
夜の山というのはなかなかに危険だ。微かな月明りすら木々に遮られ、あたりは完全な闇に包まれる。この体になって夜目が利くようにはなったが、義正はそうはいかない。日中ですら遭難の危険性があるのに、今から入山して日の出までに着く確証はない。
しかし義正曰く、道に迷う心配はないそうだ。どういうことかと尋ねる前に、こいつは躊躇いなく山に足を踏み入れた。勝手知ったるといった様子で道とも呼べぬ山道を進む様を見て、この山を構造を熟知しているのだろうと捉えることにした。
日が昇る半刻ほど前には目的の家に着いた。道中、獣の気配を感じる事もあったが、義正の存在を恐れてか襲い掛かられるようなことはなかった。それまでずっと義正に運ばれていたが、目的地に着いたので降ろしてもらい、久々に土を踏みしめる。
そして遂に、噂の武蔵丸とやらの姿を目に捉えた。早朝と呼ぶにもまだ早い時間帯だが、普通に起きて薪を割っていた。……刀を使って。
「いや、斧を使え」
完全に初対面だったが、あまりにもな状況に普通に突っ込んでしまった。武蔵丸は自分しかいないと思っていたのか、急に話しかけられたことにぎょっとしてこちらを向いた。
目元にある深い皴と、雪を連想させる真っ白に染まった髪、しかし背筋は曲がっておらず、どっしりと構える様は、年輪を重ねた大樹を彷彿とさせる。
武蔵丸は私を見るや警戒を滲ませ、しかしすぐに義正がいることに気付いて雰囲気を和らげた。
「おお、義正や。久しぶり、というほどでもないか。おぬしが客を連れてくるような日が来るとは、これは雪でも降るかの」
久方ぶりに声を出した、というようなしわがれた声だ。一人で山中に住んでいるというくらいだし、発声する機会も少ないないのだろう。
「残念ですが、客を連れてきたのではありません。単刀直入に言えば、暫くの間、私とこの無惨をここに住まわせてほしいのです」
「ふむ。構わんよ。その代わり雑用はやってもらうが」
「分かりました、他には――」
とんとん拍子に事が進んでいる。やり取り自体もあっさりしていることから、二人の関係の深さがうかがえる。そうして暫く会話を聞いていると、不意に話しかけられた。
「さて、そちらの無惨とやら。儂の打った刀の使い心地はどうじゃ? 手に馴染むか?」
一瞬何のことかと考えたが、すぐに疑問は解消した。私が義正からもらった刀は、こいつが打ったものなのだろう。
「……ああ。これ以上ないほどだ」
「とりあえず状態を見せてみい。その刀を打ってから
何か引っかかったが、大したことではないと思い、言われるままに刀を渡す。武蔵丸は慣れた手つきで刀を抜き、わずかな月明りを頼りに刀身に目を這わせる。すると、何かを感じ取ったのか、少し表情を硬くした。
「……無惨とやら。人を斬ったならば、刀はすぐ手入れせねばならんぞ。血が付いたまま放置すると、すぐに刀が錆びてしまう」
……まさか人を斬ったことを気付かれるとは思わなかった。一応付着していた血は拭き取ったのだが。名刀匠というのは伊達ではないらしい。そして、この刀を研いでやるから代わりに薪を割っておけと、こいつが握っていた刀を渡された。
……斧はないのか、と声をかけようとした時にはすでに、武蔵丸は姿を消していた。早速刀を研ぎに行ったのだろう。
面倒だと思ったが、一応これから世話になるのだし、大人しく薪を割ろうとしたところを、義正が待ったをかける。薪は私が割っておくから、先に中に入っておけと言われ、もうすぐ日が昇りそうなことに気付いた。
こざっぱりとした小さな部屋で、武蔵丸は私の刀を研いでいた。真剣なその姿を見れば、刀鍛冶という仕事に対して誇りをもっていることが伝わってくる。
「無惨や。もう薪を割り終わったのか」
「義正に押し付けてきた」
経緯を省いて事実だけ伝えたが、特に咎められはしなかった。
「それにしても無惨や、おぬし義正とはどういう関係じゃ?」
こいつは刀を研ぎながら聞いてきた。とはいえ、一切合切すべて話すのは憚られたので、義正との馴れ初めと、訳あって前の家にいられなくなったことだけ伝えた。しかし、それを聞いていた時のこいつの反応が少し気になった。
私が武術を教わるようになった経緯を話した時は、なるほどと思案顔で呟き、刀をもらった時のことを言った時は、意外だとでも言いたげな声を上げた。
「どうした。何か不思議なことでもあったか?」
「いやなに、この刀を渡したくらいじゃし、相当お前さんを気に入っておるのじゃと思うてな」
どういうことかと聞こうとしたとき、ちょうど薪を割り終わった義正が部屋に入ってきた。……さて、世間話もそこそこに、そろそろ重要な話をしなければならない。
共に生活する上で、私の体質を隠し通すことは不可能だ。だから現時点でわかっていることをすべて伝えた上で、改めてここに住まわせほしいと頼むことにした。この体質は面倒ごとを引き寄せる可能性が高く、武蔵丸が私の受け入れを拒否することも否定できないが。
首を斬られても死なないほどの不死性、日光という弱点、そして食人衝動。自分で言葉にしても荒唐無稽なその話を、武蔵丸は寧ろ興味深そうな表情で聞いていた。特に斬られた首がくっついたという話をしたときは、何故かは知らないが目の色を変えていた。仮に私の言葉を信じるとしても、人を食う私に嫌悪感なり示すと考えていたが、そんな様子も見られなかった。
「それでもここに住んで構わんよ。大抵の厄介ごとは義正が居れば何とかなるでな」
「……感謝する」
一応謝辞を述べたが、どうにも気持ち悪い。あまりにも平然としたその態度に薄ら寒いものを覚えるのは、流石に疑心暗鬼が過ぎるだろうか。