「……ないですよ?」
いつものことだ。暇な哨戒中、いつもこうして文がレンジファインダーカメラと手帳を携えて、記事のネタを求め突撃してくる。十中八九ただのじゃれ合いに転じるので油を売るというのが正しいだろうか。
「またまたぁ。常に暇ってわけでもないでしょう、迷子の報せとか、小賢しい山童の撃退とか。ならず者の晒し上げほど新聞の得意とするものもありませんよ」
いやに弁が立つ。だからこそ胡散臭さがつきまとい、余計に購読者を減らしている。
「そういえば一つありました。この間、白狼仲間とハシボソガラスの焼き方を研究して、成果を持ち寄ったんですが――」
「だあぁもう!またそんなこと!次やったら寮に狼の屍肉を――」
「やっぱ素焼きが一番ですねぇ。ちょうどいい、あなたでも捌いて帰りに特大の七輪で一気に焼いちゃいましょうか」
鉄の塊みたいな支給の刀(?マチェーテ?)を翼にあてがうと、顔を真っ赤にして固まった。
「……旧友によくも刃なんか向けられますね」
「旧友だからこそ、ですよ。まだ説明せんなりませんか」
「はあ、もみちゃんなんて呼んでいた時に戻りたい」
自分も気づくと固まっていた。釘付けになっていた。寒々しい岩肌の上でこんな気分を自覚させられるとは思ってもみなかった。翼のために洋服に空けられたひし形の穴から見せつけられる、自然と鍛え抜かれた、震えるその背筋が、なんとも……
……つまるところ、私犬走椛は、異種同性幼馴染たる射命丸文に、欲情していた。
「……あなたを品もなく食い散らかす前に、今日はもうどっか行ってください」
今はなんだかいつもと違う。それは文も察し、すごすご飛んでいった。引き際をわかっているのも文だけだ。
そこから一人。一人で暇を持つと様々考え込んでしまうもので。
「……、」
思い返せば、確かにそうだったかもしれない。バイアスがかかっているので因果の確信はできないが。周りが当たり前にしている馴れ合いに禁忌を感じ避けていた。それと男勝りといえばそう……かもしれない。そのうえ軟派を封じて硬派ぶっていた。
やっぱり変に考えすぎてしまう。変なのかどうかもわからなくなった
混乱している。わからないことが多すぎる。
これを誰か、無責任に話せる相手に相談したとして、「めっちゃかわいい女の子にドキッとした」といえばきっと恋だの面食いだのと言われるだろう。しかし本当にそうか?「肉の流動にそそられた」とか「トリ肉を見たら涎が出た」ともできてしまう。あの背中を見て欲情したし、言い換えればドキッとしたし、鴉天狗を食べること自体に抵抗はなく、むしろ一度食べてみたいとすら思う。
うざ絡みもなんだかんだで安心するし、今までずっと苦楽を共有し助け合ってきた。
だからこそ、友人なのか?
だからこそ、恋人なのか?
情欲を自覚してしまった今、これまでの友人関係は維持できる自信がない。
かといってこれを恋愛と呼べるかも、わからない。
「だめだこりゃ」
いつの間にか交代時刻ぎりぎりになっていた。よりによってその時、河童じるしの発煙弾が麓で上がる。早くには帰れなそうだ。
妖怪の山というだけあって有象無象がはびこっている。勝手に人を食うくらいなら放っておくが我々天狗に手を出せば容赦しない。今回は有象、形ある妖怪なので脳筋野郎たる白狼天狗が召集された。
「でっかい……!」
人間の思いの数だけ妖怪がいる。いちいちそんなもの、気にしていられないから、ただその肉体を一度滅ぼすだけだ。
人間の四肢が無数に集まったそいつが阿鼻叫喚の中心にあった。
戦闘時、主戦力となる我々は基本使い捨て。天狗を守るため天狗を捨てる。社会という一つの生命として考えれば自己犠牲だが実際は一部の、鼻の高い真っ赤な天狗らしい天狗を守るため下っ端が殺されているだけだ。
いくら斬っても別の手がこちらを掴みにかかる。
「ほんと、犬って馬鹿なんだから!」
襲われたらしい荷車から菜種油の瓶を取り、投げる。脳筋の一球は凄まじく、奴の腕一本に当たると派手に割れた。
それから小麦粉を撒き火種を投げる。火柱は見事敵を焼いた。死傷者はすでに退避させた……はず。
怪力の天狗とはいえばかでかい山刀モドキを振り回すのは骨が折れる。文字通りとなることすらある。どうせ片手じゃうまく扱いきれないので、最近は盾を捨て両手で操っている。
「やあ見事。派手にやりましたね。見出し考えなきゃ」
文。どこから見ていたのか、全て押さえたらしい。
「節操のない記者は嫌われますよ。もう落ちるところもありませんが」
「さっきからどうしたんです?まさか犬にも人並みの生理が?」
気づけば文の首根っこを掴んで詰め寄っていた。
「……さっき言ったろ、腹減ってんだ、身ぐるみ剥いで焼かれてえか」
やっぱり、距離感わかってなかった。自分もそうだ。ここまで言う必要なんてなかった。突き放し帰路につく。
本職の気分を文に露わにしたくはなかった。旧友との関わりくらい、昔のまま残しておきたかった。なにの文も私も、うんざりするくらい成長していて、他のことで忙しくもなっていた。
自分だけ、そんなことにも気づかないで、一人昔に取り残されているのかもしれない。
あの面食いな恋煩いも成長ゆえなのだろうか。
結局どか食いして、なんの感動もなく腹十二分満たして、闘技場の地下みたいに血なまぐさい浴場で身体を清めたのか汚したのかして、そそくさと床についた。眠れそうにない。夜の更けるほどに、胸中の情も無尽蔵に鬱積する。
それを晴らそうにもここは二人部屋。どちらかがおっ始めると何となくわかる。小っ恥ずかしくて自分はできなかった。……確かに、おっ始めたら黙認して、さっさと寝てしまうという不文律はある。仕方ないし誰も咎めやしない。
はて、この腐った天狗社会、同性愛を容認するだろうか。みな当然のようにムッツリしていて、気がついたら異性との自由恋愛で結ばれ、突っつき合っている。この短い半生の中で同性がどうこうというのは聞いた試しがない。
よりによって自分ひとりが、というのはありえないと思う。他にも同じことを考えている人がいるに違いない。みなどうしているんだろう。
そして何より、相手は鴉、さらには幼馴染。告白というぎこちない通過儀礼を突きつけたとして、文はどう思うだろう。価値観の一つとして認められるかすらわからない。
自分はどうだ?自分が自分自身の内にあるアブノーマルを自覚したとき、どう感じた?
……一瞬。ほんの一瞬、嫌悪した。……それから、誰を好こうが当人の勝手だと、思い直せたか?否。それは先送りして、ただ狼狽えていた。
好きなのか?あの子のことが?もちろん昔からの大親友として、大好きと言える。けどそうじゃなくて、……あれ、好き、とは?
「……あ、」
気づいたら晴れていた。寝たふりか、寝たのか、ルームメイトは部屋の反対側に敷いた布団の中で、こちらに背を向けて動かない。
「はぁ、……最低だ」
大親友をおかずに飯を食うなんて。密かに信頼を裏切った気分でさえある。が、同時に、彼女への得体のしれない感情を、少し呑み込めた気もした。
……めちゃくちゃ怖かった。ほんとに食われるかと思った。気弱でいっちょまえに怒りんぼのお子ちゃまだったあの椛も、弱気を守る強靭な骨格を身に着け、ついでに天狗の生活圏を守っている。
しかしだ、どんなに強い肉体で自身を固めたとしても、もちもちふわふわの子犬ちゃんみたいなオーラは隠そうにも余りある。油を売ったとき出てしまう気の弱い芯を感じて、ああ、いつもの、私の知るワンコロなんだと、安心する。
ワンコロは気弱だから強くなったし、鳥頭は鳥頭だから事実の記録を始めた。たぶん。
さっき……椛を怒らせて逃げたとき……から、椛の背中をはるか遠くからこそっと覗いているが、椛はあぐらをかいて、立てた腕に顎を乗せたまま微動だにしない。……後ろ遠くからというのは千里眼と聡い耳への対策だ。道一つ挟んだくらいではあの犬耳で感づかれるし、いくら離れていても視界に入れば見つかってしまう。
ここまでしつこく一匹の犬を追いかけ回すとは、私ってよっぽど暇なんだ。まあ新聞とはいえ週刊だし。配っても妖精のおもちゃか窓拭きにされるのがオチだし。
やっぱりこの職は人のためじゃない。自分のためだ。
椛の頭が動いた。それからふわふわと麓の森へ飛んでいく。
行った先は小さな戦場だった。見たことのない巨大な妖怪が何人もの白狼天狗にとり囲まれている。無数の手足が怪力で天狗たちの体を引き千切っていくのが見える。
そんな中で、あのワンコロが、この異形に相対し肉薄していた。何を欲すのか
絡みつこうと迫る四肢、というか千肢を、あの非合理に重い刀で一本ずつ叩き切っている。
ありゃ狼、あるいは立つ狂犬だ。私の知る椛は今この瞬間、死んでいた。周りに散る死屍には見知った者もいることだろうに。そうしてなお巨悪に立ち向かう意志が勝つ。椛の人格は、こんなやつに殺されていた。
爆炎が上がる。千肢がきれいに炎に包まれていた。まったく器用な技だ。切っていてはきりがないことに気がついたらしい。馬鹿正直さまで失ったとは。
皆の気が緩んだことを確認して、あの炎がそのまま写ったように全身に血を浴びた椛に駆け寄る。
「やあ見事。派手にやりましたね。見出し考えなきゃ」
彼女のことがたまらなく怖かった。しかしだからこそ、かつての面影を見出したかった。人の死を踏み越えてまで、そうしたかった。
幸か不幸か辛うじて死を免れた負傷者の叫喚を背に、狼にも劣らぬようにと地を踏ん張り背筋を伸ばす。
「節操のない記者は嫌われますよ。もう落ちるところもありませんが」
椛だ。狼なんかじゃない。血と狼の皮を被った、犬走椛だった。
「さっきからどうしたんです?まさか犬にも人並みの生理が?」
しかし直後、私の首を持ち上げたのは、狼だった。
「……さっき言ったろ、腹減ってんだ、身ぐるみ剥いで焼かれてえか」
今までに聞いたこともない、低い唸り声に乗せて吐き出された言葉だった。いつもぷんすか怒っていたあの椛が、ぷんすかでなく、煮える己の苛立ちを懸命に抑えて、言葉を紡いでいた。
軽く胸を突き放される。さっさと行け。でないと食っちまう。そう含ませそうした。立ち去るほかなかった。
ほんとに嫌だったのかな。今まで油を売ってきたことが。互いが違う道を歩み始めたことを憂えて、ついちょっかいを出していた。こうでもしなきゃ前みたいにじゃれ合えないと思って。
帰った。古ぼけた長屋の汚い一室。いくら散らかっていようと、隅の机にだけは物を置かないようにしている。ここがなければ原稿も書けないし仮眠もとれない。肩がばっきばきになるのは覚悟の上でだ。
この廃人のたまり場で。一つ足のカラスが一羽鳴く。
今日は非番。寮全体が慌ただしい。昨日の件で部屋とペアに空きができた分の再編成が行われていた。
目の前で死んだルームメイトの肉塊を、自ら持ち帰った子がいた。そこまで執着していると新しいペアとも馴染めない気もするが、ああいったのは目を離すと勝手に自殺などしだすので嫌でも誰かとくっつけなければならないそうだ。
「椛ちゃん、これ」
部屋の扉にかかっていた巾着袋をルームメイトが手渡してきた。あずき色のそれにはブルーブラックの字で「犬走椛」とだけ記された紙がついている。
中身は卵だった。たった一つだけ、細かい紙くずに包まれて。
「あのバカ……」
あの鴉なりの最強のジョークだ、これは。昨日の生理のくだりにかけている。……誤解のないように言っておくが天狗も基本的な身体の機能は人間と変わらない。
きっと昨日強く当たってしまったことについて、ジョークを上塗りすることで、気にしちゃいないと言いたいのだ。ドアホだが器用な鴉だ。
行かなければ来るだろうか。あいつ、こちらのスケジュールと日課はすべて把握している。来るとしたらここまで寄り道もないだろう。こっちもふわふわの白い子犬を六匹くらい用意してやろうか。「できました」っつって。
案の定来た。ついでに早朝刷ったばかりの号外も携えて。
いつも非合理な高さの下駄を履いているが居間で脱ぐと私より少し小さい。線も細くてちんちくりん。ここでならいつでも食える。
「おいしいですか、それ」
目の前であの卵を殻ごと食ってやった。なぜかちょっと頬が赤い。
「そっちが持ってきたギャグでしょうに」
「とっ、ところで何日目?」
「何日目もなにもありますか。もう最っ高に凛々しい殿方に止められましたよ」
ものすごいショックを受けている。いちいちかわいい。
「そんな……一生喪女同士傷を舐め合っていけると本気で信じてたのに……」
そのうなだれる首元。自分が昨日掴みかかったところ。開いた襟元から見える、年相応のまばゆい柔肌。故障だらけ、傷だらけの自分とは大違いに美しい。まずい、抑えろ……
あの卵、もっと味わって食べればよかった。
「どうされました?」
「いや、お腹空いちゃって」
また釘付けになっていた。意識しだすと止まらない。
「さっきご飯食べたんじゃないんですか。ここに貯まりますよぉ」
腹をわしわしと掴んできた。仰向けに倒れてなすがまま。これじゃ大型犬だ。
「あれ、もっとぷにぷにしてると思ったのに。おかしいですね」
「残念。大食いだけど全部使いきれんのよ。それと――」
この上ないくらいに幸せ。自分のテリトリーが文の匂いに侵されていく。古い畳と新聞紙、ペンのエボナイト軸に……すごくいけない匂いがする。すごくいけない!
「――なんで、敬語」
ぎこちない。うんざりするほど、ぎこちない。互いに作っていた、わからない距離感ゆえ張っていた予防線を解くには、あまりにぎこちなかった。
「……ごめん。どうやって話してたっけ。わからなくって」
馬乗りの文がたじろぐ。外で冷えた腿が全幅の信頼と図々しさを以って私から体温を奪っていく。
「やっぱり変温動物なのね」
「さて。捌いてみればわかるんじゃないですか」
「カイボーの準備はいつだって万端だけど」
スカートの裾を指先でちょいと引っ張ってみせた。
「……どこまで本気かわかんないな」
ままよ。
「どいてくれなきゃ本気でいくけど」
ぎこちない通過儀礼の代用となるだろうか。
「……寮じゃまずいでしょうに」
すっと降りた。たった一拍の間をおいて。かけたカマをいとも簡単に躱してみせた。
「ほんっと、ずるい鴉だこと」
ぶん殴りたくなるほどに。
……本当に躱したのか?嫌なら素直に、づべこべ言わず降りればいい。しかし両方の意味を、わざわざとってみせた。
いやそんなわけ。十中八九脈はない。そのうちの一など引けるのか?
「……お茶にでも行きましょうか。ああそれと、一人でお楽しみのあと、犬の前に腰持ってきちゃだめですよ」