大通り。日時を問わず、どこからか湧いて出る天狗たちでいつもごった返している。耳にも鼻にも多大なストレスをかけるので白狼天狗はわざわざここを通ることがない。クソみたいな香水文化の被害者だ。
ガヤガヤしているぶんにはまだいいのだが、突然大声を出す酔っぱらいやシラフの同年代が紛れているのが厄介だ。十分に一度くらいそんなやつに出くわして、めまいや脳震盪に近い感覚で動けなくなる。
「……ごめん。脇道行きましょう」
表の奴らは一体何を目的に大通りを歩いているんだろうか。鴉は集団でいないと寂しさで死ぬのか。
「同族でも嫌気が差すなぁ……一人ずつ口を縫い付けてやりたくなる」
文も基本一人で行動している。昔から一人でなにかに没頭していることが多く、そのときは自分も蚊帳の外だった。
店の前の長椅子に二人並び同じごま団子と抹茶を頼んだ。ゴマ団子には油が多くついたほうがいい。その後のお茶がうまくなる。ごってごての油そばを食べたあとのお冷がうまい、みたいな。
だからお茶は冷ます。
愉しみ方に品がない。まあ犬だし。犬食いしないだけましだ。
「しかし抹茶って、どこ行っても少ないですよね」
「そもそも愉しみ方が合ってないんですよ。それならビールでいいでしょうに」
ごもっとも。どうせ兼業で憲兵だし、朝っぱらから潰れるほど落ちぶれたって皆からのイメージは変わらないだろう。
「何もかも少なすぎです。チャーハン行きましょう」
こんな無茶ぶりにもなんだかんだ付き合ってくれるのが文だ。
入ったのは、どうして生き残っているのか不思議でならない、埃っぽい個人料理店。
「わかります。たまに〝鳥舌〟ながら店のレポートなんか書くんですがね、こんな小汚い、じーちゃん一人がだらだら作ってるような店ほど安心のおいしさが潜んでるんですよ」
「犬も鳥も変わりませんね。私もこういうとこ、大好きです」
安心のおいしさ、即ちテッパンの味。変に素材に執着したり、独創的だったりするものは、地雷率があまりに高い。それと人が入っているところほど(個人的に)合わないのだ。
基本の味というのは、絶対的な味の保証があるから基本とされているもので。そこをわきまえてこそ、掟破りが成り立つ。
こだわり抜かれたラーメン屋の煮干し臭いラーメンよりも、中華料理屋でただレパートリーの一部として存在するラーメンの方が、地雷を踏み抜く率は圧倒的に低い。文とはこれを共有できている。
しかしここはニュアンスが違った。ここのチャーハンはまさに基本のキの一画目、炒めた白米の卵とじ。これこそ〝炒飯〟だ。
店主に言わせると、具なんか入れたらそれは野菜炒めなんだそうだ。言いたいことはわかる。
「犬食いせん勢いですね……」
自分だけ頼んだ白米の卵とじを口にかき込んで丸呑みし水を流し込む。水で流し込むのではない。飲んだ後の口に水を流し込むのだ。これだけで、妖怪の山で磨かれたくだらない天然水が、桃源郷の桃の果汁に変わる。
「……ところで、あのでっかい刀は持ち歩かないんですか」
制服の袴に大小を帯びている。
「ああ、官製大々刀ですね。アトラスの腕を斬って空を落とすんでもなきゃ、邪魔なだけですから。鴉の羽を削ぐなら打刀で十分ですよ」
実は冗談でもなんでもない。
「しっ親友をそんな……!」
文が大げさに驚いてみせる。
「大真面目です。MGMG……街じゃ憲兵ですから。変な真似すればとっ捕まえねばなりません。んくっ、そりゃ向かってきたら叩き斬らないと」
「……ご経験は」
「経験人数は二人!仲良くなったヤク中と、強盗でしたね」
クソッタレにも大天狗を立てるためだけにガチガチに固められた規律とヤな接待めいた上下関係に嫌気が差し重大な犯罪に手を染めるものが、多からずいる。ルールが犯罪を助長する。
「まあ、あなたが有機溶剤を他人にまで吸わせるような奴じゃあないことくらい、わかってますがね。万一、いや万劫に一秒ですよ」
むしろ自分が彼女を押し倒すほうが現実的だ。……今にも。
溜め続けていたら間違いなくそうなる。
「どうしました?」
「っえ、あ、いやなんでも」
じっと皿の底を見つめていた。何か考え始めると動きが止まってしまう。
「こんな子が人なんて斬れるんでしょうかねぇ」
「ばっ馬鹿にしないでくださいよ!人くらい下ろせますってば!」
なんか疲れた。というので昼前にお開きとなった。
どんなに親しい仲であれ、人付き合いというのはどんと疲れる。一人でただ山を哨戒していたほうがよほど気楽だ。戦闘となれば地獄と化すとはいえ、自分の天職かもしれない。
――だから貴重な休日こそ一人でいたいんだ。
そのくせ……そのくせ、文との最難関のコミュニケーションに足を踏み入れようとしているんだから救いようがない。
そう、最難関のコミュニケーション。どうしたものか。それも天狗社会に前例を聞かない禁忌じみた関係付きで。
まず他人の反応を見てみるか。密告から病棟に監禁、なんてルートはない……と思う。一世紀も前のヨーロッパじゃあるまいし。
そういえば、前例を聞かないとは言ったけど、本当にそうなのか?暗黙にタブーとされたのは、実は最近だったりして。とりあえず男性同士だと、森蘭丸はやりまくってたっていうし、硬派、軟派なんて言葉があったし。まあ男女で社会的に事情が大きく違うけれども。
ああ、ルームメイトの話もせねばなるまい。彼女は薺(なずな)。内気でものぐさ、〝差し障りなさ〟の塊で、二人棲むのに都合いい、人数合わせの権化みたいな子。五尺弱ちんまい、肩までの直毛を、寮でいつも下ろしている狼。
良くも悪くも、期待通り話を進めてくれる。
そしてその日の宵の口。
「薺さん」
腹いっぱい食べてぐーすか寝ている彼女に声をかけてみると、その耳だけが反応した。
「起きてください。大事な要件です」
こちらから話す機会など、いつもはルームメイトとして最低限の馴れ合いの他にない。こんなに思いつめた自分の口調を耳にすることはなく、何事かと布団から這い出てきた。
正座して正対する。言いにくいどころじゃないのを薺も察しているようで、居心地悪そうにもじもじしている。
「いえ、別に明日死ぬとか、そういうのじゃなくて」
長い沈黙。無責任に話せる相手だとはわかっていても、どうにも言い出せない。このへんな間が、言いにくさに拍車をかけている。
それも彼女はなんとなく察しているようで、さっさと切り出した。
「えっと、昨晩のこと、……ですよね。なんか、珍しいなって」
「……他人のに聞き耳立ててる雌犬が相手と知って安心しました。話せそうです」
「いえ、そんなんじゃ、あっいや、その、……勝手に安心してくださいな」
打ち明けて、万が一にも拒絶されたら。不安がよぎる。
「いっ、言いにくいなら、今日じゃなくたっていいですよ。誰だってありますし」
「誰だってないんですよ。同性を好きになるなんて」
話の流れにむりやり主題を乗っける。言いにくいことを言うときの、私の常套手段だ。
当然、聞かされた彼女はあっけにとられていた。そして勝手に真っ赤になって潰れている。
「あーっと、あなたじゃないです」
「んゃ、えっと、文さん……ですよね」
頷く。
「ん、とね……私に何を聞くにしろ、私が他人の恋愛観に口を出す権利なんて、ないと思います」
「いいんです。あなたならどうするか話してもらえれば」
寝ぼけた頭なりに、彼女は考えて、首肯した。
また間の悪い沈黙が続いた先で。
「こんなこと、聞いたこともありませんから……拒絶されたらって。だけど、もう私が友達のままじゃいられないんです。どう転ぼうと」
「……つまり最低限、近づくか離れるかはして、……あわよくばくっつきたいって、そういうこと、ですよね。進むべきか退くべきか、進むしかないでしょう」
自ら退いて離れることはできない。そんなタチだと、彼女は知っていた。進んで、相手が近づくか離れるか、委ねるほかないと。
「進むとして、最善策を練りましょう。文さんって、ああ見えて繊細ですから」
しかしだ。青二才の犬に策を練る能などあろうはずがなかった。
「ない、のなら……突撃してはっきり言ってしまえばいいんです。繊細ゆえ」
「……そう。ありがとうございます。無責任が励みになりました」
はえ、と首を傾げる彼女を尻目に、急いで着替え部屋を出る。犬ぞりのごとく駆けて向かうは、そう。
考えるな。襖を叩く。
もう後戻りできない。後悔か希望か、腹がひっくり返りそうだ。
ペンを締め訝しげに近づく音ののち、ついにシミだらけの襖が開いた。
「ちょ待――」
倒れるように抱きついて押し倒す。
「……もふもふですね」
「そうじゃなくて」
痺れていた。勝手に一人で〝幸せ〟に食われて、何も切り出せないでいた。そして我に返る。
「……また一人でお楽しみで。犬の鼻舐めないでくださいよ」
「あなたがこんなにさせたんでしょう。責任とって全部食べなさいな」
「私にゃナイフもフォークも……犬食いしか」
――そんなのわかってますよ。行きましょう