昔ながらの理想の妻として振舞いつつも、トレーナーを逃がさないという圧をかけてきそうなグラスの姿が良く思い浮かびます。
トレセン学園から離れたとある食事処。和風の食事処として歴史のあるここでは、予約を行えば日本庭園を眺めながら個室でゆっくりと食事をすることができる。今、そんな個室の一つに二人の人物がいた。
一人はグラスワンダー、日本総大将たるスペシャルウィークを始めとした黄金世代の一人。かのマルゼンスキーと同じく怪物とまで称される程の猛者である。
そしてもう一人はそんな彼女のトレーナー。若手でありながらグラスワンダーと言う名ウマ娘を育て上げたことで、彼自身の知名度も上昇し、今は新しい担当や、場合によってはチームの創設等を学園から要請されている。
「ウフフ、トレーナーさん、この料理は噂に違わず非常に美味しいですねぇ」
「ああ、予約した甲斐があったな」
「レースへのご褒美としてお願いした甲斐がありました」
そう言いながら二人は料理に舌鼓を打つ。先にグラスが述べたように、今回食事処で食事をすることになったのは、先日新設されたG1レースのURAファイナルで勝利した事へのご褒美であった。
「しかし……次のグラスのレースはどうするかなぁ……正直、URAで色々と頑張りすぎた感があるなぁ……」
「そうですねぇ……私も、少々骨休みをしたいと感じてるんです」
新設されたG1レースでの初優勝。その栄誉は大きく、同時に二人から気力を削ぐには十分過ぎた。少しすれば気力も回復するであろうが、少なくとも今の二人にはその気配はない。
「あ、そうだ。トレーナーさん、もしよければ……旅行に行きませんか? ほらぁ、以前商店街のくじ引きで当たった温泉旅行券。今こそ使い時だと思うんです」
「え? あ、ああ。そう言われたらそうか……いや、でも、担当と二人で旅行と言うのはな……」
「良いじゃないですか。私はトレーナーさんの事、信頼していますよ。世間の目に関しても……正直、他の方が……」
「うん……まぁ……うん」
グラスの言葉にトレーナーは返答に困った。と言うのも、一応は学生であるウマ娘達だが、その実人間よりも精神的に早熟の傾向があり、学園での生活を通してトレーナーや学園の従業員、それにトレセンに来る前の幼馴染等と結ばれる傾向が強い。中にはトレセン学園在学中に婚約を発表する剛の者まで居るのだ。故に、世情的なもの等どこ吹く風と言わんばかりに、ウマ娘の早期の恋愛に関しては寛容的に見られることが多い。
「と言うわけでぇ……旅行、お願いしますね」
「ア、ハイ」
背中から何やら気迫を背負うグラスに気圧され、結局承諾するトレーナー。その後は特別大きなことを話すこともなく、穏やかに食事は続けられた。
そして食事から数日後。電車、バスを乗り継ぎ、二人はくじ引きで当選した旅館に無事に到着していた。
「はー……疲れた、マジで疲れた」
「トレーナーさん、お疲れ様です」
部屋に案内され、トレーナーは荷物を放り出して畳の上に倒れこむ。その隣でグラスは平然とした様子で荷物を纏め、腰を下ろしていた。
「はぁ……やっぱウマ娘にはかなわないな……」
「フフ、これでも現役ですから。トレーナーさんの荷物はいったんこちらに置いて……どうしますか? 一度休憩しますか?」
「いや、そんなに時間もないし、早速観光に行こうと思う。グラスはどこか行きたい場所ってあったか?」
「では~、一緒にのんびりとお散歩したいと思います。行きたい場所まで貴方と一緒に、色んなものを見ながら、歩いていきたいです」
「ん、わかった」
そうして貴重品だけを持って二人は温泉街へと出発する。道のあちこちから温泉の蒸気が立ち上る温泉街の道に連なる様々な店、時にそこで立ち止まっては何かを食べたり、時に立ち止まってはお土産を眺めたり、時に立ち止まってはこの温泉街の歴史や、関係のある有名人の説明に目を通したり。そうして時間が過ぎゆくことも忘れ、普段のレースや学業、仕事に専念せざるを得ない二人は心行くまで楽しんでいく。
そうして日も高く昇り、食事処で昼食も済ませた二人は、満足した表情で旅館へと戻ってきた。
「ふー、買ったなぁ。お土産もそうだけど……けっこうお金使ったな」
「やはり、こういう時にはお財布の紐が緩んでしまいますねぇ。ところでトレーナーさん、お土産で買ったお菓子……もう食べちゃいませんか? 美味しそうで、つい手が伸びちゃいそうなんです」
「ん、そうだな。持って帰って食べるより、ここで食べるほうが美味しそうだしな」
「では、お茶をご用意しますね」
そう告げると、グラスは部屋に備えられている急須と湯呑を使って、慣れた手つきで二人分のお茶を用意する。そして、お菓子を綺麗に皿に盛り付けると、トレーナーの前に置く。
「さ、頂きましょうか」
「ああ、ありがとう」
用意されたお菓子を口にし、お茶を口にするトレーナーの口元が緩む。それを微笑ましく思いながらグラスも同じように食していく。
暫しの間そうしてお菓子を楽しんだ二人だが、ふとグラスが時計に目をやった。
「あらぁ……もうこんな時間ですか。少し早いですが、温泉……入りに行きますか?」
「ん? んー……そうだな、混む前に入ってしまおうか」
時計に記されている時間は17時。なんとも中途半端な時間ではあるが、だからこそ込み合ってはいないだろう。そう考えた二人は、温泉へと向かった。
予想通り、特に込み合ってない温泉を二人は楽しむ。普通の温泉宿である以上、混浴と言うのは存在せず、当然ながら二人は別々のお風呂を堪能する。そうして風呂を堪能したトレーナーが服を着こんでコーヒー牛乳を飲んでいると、スマホに通知が来ているのに気づいた。
「んー?」
スマホを確認すると、メールが来ており、内容はグラスが先に部屋に戻っている。と言う内容だった。それを確認したトレーナーはグラスを待たせるのは申し訳ないと、すぐにコーヒー牛乳を飲み干し、部屋へと戻る。
部屋の前に戻ったトレーナーは、万が一の事故を避けるために事前にノックする。
「トレーナーさんですか?」
「ああ、入っても大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですよぉ」
そう言われて扉を開けるトレーナー。すると、そこには三つ指をついてトレーナーを迎えるグラスの姿があった。
「旦那様、お帰りなさい」
「うお!? だ、旦那様って……」
浴衣を着て、綺麗な姿勢でトレーナーを迎えるグラス。そして、旦那様と言う言葉にトレーナーの心が一瞬跳ね上がるが、気を取り直し、咳払いをする。
「んんッ……グラス、心臓に悪いから、旦那様と言うのは止めてくれ。一瞬、その気になっちゃうから」
「あらぁ、私は是非ともその気になってほしいですよ。さ、もうすぐ晩御飯が届くそうですから、一緒に待ってましょう」
そう言うと、グラスはトレーナーの手を取って部屋の中に連れていく。されるがままに連れられたトレーナーは一緒にテーブルの前に座り、そのまま夕食が届けられるまで待つこととなる。
しばらくして、宿の従業員によって届けられた夕食は、周囲で取れたと言われる山の幸をふんだんに使ったものであった。その味に舌鼓を打ちつつ、二人は楽しく夕食を食していく。そうして食事を楽しんだ二人は、グラスが淹れた食後のお茶を飲みながら、食事の余韻を味わっていた。
「ふぅー……食った食った……美味かったなぁ」
「はい。良いお食事でした」
お茶を飲むトレーナーを微笑みを浮かべながら見つめるグラス。そうしていると、不意にトレーナーが一つ、欠伸をした。
「ふぁ……」
「あら、眠くなりましたか?」
「ん……ちょっと、疲れが溜まってたのも出てきたかな」
「でしたら……ここ、どうぞ♡」
そう言ってグラスは正座している自分の膝を叩く。グラスの意図を察したトレーナーは暫しの間逡巡するも、にこやかに膝を叩くグラスの視線に耐え切れず、おとなしく膝枕の上に頭を置いた。
「うふふ、来てくださってありがとうございます。そうだ、ついでですから……このまま、お耳の掃除もしてしまいましょう」
「……グラス、狙ってたのか?」
「あらぁ、何のことでしょう?」
トレーナーの指摘を笑顔で流すグラス。そして、懐から耳かきと梵天を取り出すと、そのままトレーナーの耳の中を覗き込む。
「んー……これは……少し念入りに掃除をしていきましょうか」
「え、そんな汚れてるのか?」
「いえ、少しでもトレーナーさんとこうしていたいので」
トレーナーの疑問にそう答えると、トレーナーが答えるよりも先に耳を摘まみ、そのままツボを押し始める。
グリグリグリ……グリグリグリ……
ギュッギュッギュッ……グー……
まず、グラスの耳の外側を指圧でマッサージしていく。多くのツボが集中している人間の耳に的確な指圧を与えることによって血流が促進され、トレーナーは気持ち良さを感じる。
「はぁ……気持ち良い……」
「うふふ、ありがとうございます♪」
トレーナーが気持ち良さそうに頬を緩めていると、グラスも微笑みを浮かべながらマッサージを続けていく。
モミモミ……モミモミ……
グリグリ……グリグリ……
「ふー……グラスの指って、温かいなぁ」
「まぁ、そうですか? ありがとうございます」
そんな事を続けながら耳のマッサージを続けていく。徐々に温められた耳から僅かに汗が浮き出してきた。
「あ、程よく汗が出始めましたね。では、このまま掃除をしていきますね」
そう言うと、グラスは鞄の中から耳かきと梵天を取り出し、掃除を始める。
「カリカリカリ……カリカリカリ……♪ うふふ、可愛いトレーナーさんの顔を見つめることができるのが、幸せですねぇ」
「……言いすぎじゃないか?」
「いえ、そんな事ないですよ♪」
困惑気味なトレーナーを笑顔を否定しつつ、グラスは耳かきを動かしていき、汚れを掻きだしていく。
カリカリカリ……カリカリカリ……
カリカリカリ……カリカリカリ……
耳の中で耳かきが響かせる音が木霊し、掻きだされた汚れがトレーナーの視界の中にある黒い和紙の上に捨てられていく。黄色い汚れは黒い和紙の上でよく目立ち、汚れが順調に取れていっている事を如実に表していた。
「どうですかぁ? トレーナーさん。気持ち良いですか?」
「ああ……グラスの耳かきって、安心できるし、気持ち良いし……本当、充実した気分を味わえるよ……担当ウマ娘にやってもらうのがどーかと思うんだがなぁ……」
「あらあら、今更ですよ。バレなければ良いんです」
苦笑を浮かべるトレーナーに返答しつつもグラスは手を止めず、耳かきを続けていく。柔らかい指に優しく抑えられ、時折悪戯気味に耳の外側を爪で掻かれ、その刺激に驚くトレーナーを見つつ、器用に耳かきは動かされていく。
「んー……こんなところ……でしょうか? もうちょっと汚れがあると思ってたので、少し物足りないですね」
「それはなんとも言えないが……と言うかグラス、爪で掻くのは止めてくれ。俺に効く」
「効くから、やってるんですよ♪」
そんなじゃれあいをしつつ、耳かきが引き抜かれ、次に梵天がトレーナーの耳に差し込まれていく。
「クルクル~♪ コショコショー♪」
「お? なんか……梵天変えたか?」
「はい。尻尾の毛を使ったものを新しく用意しました。以前のは古くなってきましたので」
そんな事を言いながらも梵天はトレーナーの耳の中で動き、耳かきでは取り切れなかった汚れを絡めとっていく。
クルクル……グルグル……
ズボズボ……ズズズ……
柔らかく、手入れされたグラスの尻尾の毛を加工して作られた梵天は市販のそれよりも遥かに優しくトレーナーの耳の汚れを取っていく。しばらくすると、梵天が引き抜かれた。
「では~……最後はお約束の……ふ~♪ ふ~♪」
「はぁ~……」
グラスはトレーナーの耳に口を近づけると、そのまま息を吹きかける。耳掃除で汚れが無くなり、敏感になっているトレーナーの耳の中に吹きかけられた息は、トレーナーの迷走神経を刺激し、快感を発生させる。
ふ~……ふ~……
ふ~……ふ~……
何度か息が吹きかけられた後、顔を離したグラスはトレーナーの方を軽く叩く。すると、トレーナーは体を動かして反対側に行こう……とする前にグラスに押さえつけられ、強引に体を動かされてグラスのお腹を向くように体を動かされる。
「……グラス、痛いんだが」
「トレーナーさんがいけずだからですよぉ」
不満を訴えるトレーナーに対して頬を膨らませながら自身の不満を告げるグラスはそのまま耳掃除に着手する。
モミモミモミ……グリグリグリ……
ギュッギュッギュッ……グリグリグリ……
トレーナーの耳を柔らかく包み、ツボの部分を的確に指圧していく。
「トレーナーさんの耳……たまにこうして触りたいのですけど、良いですか?」
「いや、流石にこういう時以外にやるのは流石になぁ……」
「代わりに、私の耳を触ってもいいですから」
「それはそれで問題があるんだが」
そんな他愛のない事を喋りながらも、耳の掃除は続いていく。
カリカリカリ……カリカリカリ……
ゴリゴリゴリ……ペリペリ……
「こうしてトレーナーさんの耳の掃除をしていると、私も楽しいのですよ。いつもトレーナーさんにはお世話になっていますし、トレーナーさんの為に何かできるということが、楽しいんですよ」
「あはは……そんなに気にしなくても良いんだぞ」
「そういうわけにはいきませんから」
苦笑するトレーナーに微笑むグラス。そうしているうちに耳かきも順調に終わりを迎える。
「ふ~……ふ~……」
「うっ……ふぅ……」
最後の息の吹きかけも終え、トレーナーは体を起こそうと思うも、心地よさから体を動かす気にならず、そのままグラスの膝枕の上に居続け、グラスもそれを承知し、そのままトレーナーの頭を撫でる。
「うふふ、気持ち良かったですか? こうしてトレーナーさんが私の膝の上で寝てくれていると、気持ち良かったんだな。と思えます」
「ああ……うん、気持ち良かったよ」
穏やかな顔でグラスに撫でられるままに身を任せていると、グラスも穏やかに笑みを浮かべながらトレーナーの頭を撫で続ける。暫しの間そうやって二人の間で穏やかな空気が流れていると、ふとグラスがその手を止めた。
「トレーナーさん。ちょっと宜しいですか?」
「ん? どうしたんだ?」
「実は……私、トレセン学園を卒業したら、中央トレーナーを目指そうと思っているんです」
「中央トレーナーに?」
突然の進路相談にトレーナーは目を見開く。これまでグラスからそう言った事を聞いたことはなく、また予想外の進路相談である事に驚きを隠せなかった。
「はい~。トレーナーになって……まずサブトレーナーとしてトレーナーさんと一緒にやっていって……後々、トレーナーさんと一緒にチーム運営をしたいと考えています」
「……なんか、俺前提の進路になってないか? 大丈夫か?」
「あら。だって、トレーナーさんといっしょに居るための進路ですもの」
そう言うと、グラスはトレーナーの体を傾け、上を向かせる。そして自身の体を倒し、トレーナーの顔に近づけた。
「グ、グラス?」
「トレーナーさんが仕事を続けていたら、きっと私みたいにトレーナーさんと一緒に居たいって思う子が出てくると思いますから。ですから、トレーナーさんと一緒に居るためには私もトレーナーになるのが一番だと思うんです」
「あの、グラスさん? それってどういう意味で……?」
「もう、そんな野暮な事を言わないでくださいよ。今は学生ですから、答えはお聞きしませんが……そう言う事なんですよ?」
驚くトレーナーに静かな笑みを浮かべるグラス。暫しの間見つめ続けるが、やがてトレーナーが口を開いた。
「その……うん、なんだ。グラス……気持ちは嬉しいんだけどな……俺、俺の為に変に進路考えるグラスより、自分の進みたい進路に行ったグラスと一緒に居たいとは思うぞ」
その言葉にグラスは目を見開き、耳が立ち、尻尾も動く。暫し、その言葉の意味を自分の中でかみ砕いていき……そして、彼女の顔は朱に染まる。
「……もう、トレーナーさん。お返事は私が卒業した時で良いって言いましたのに」
僅かに頬を膨らませるグラス。だが、すぐに膨らみは萎み、代わりにその頬は緩んでいく。
「……わかりました。トレーナーになるかどうかは少し考えます……でも、トレーナーさんと一緒に居て、他の子を牽制するのには、やはりトレーナーの仕事が一番なんですよ」
「……グラスが本当にその進路に進みたいなら止めはしないが……しんどいからな?」
「わかってます。名選手が名トレーナーになりうるかは別ですから」
そうして少しの波乱があったものの、結局はいちゃつく二人。果たしてグラスがどのような進路に進むかは、また次のお話。