『シャッヒャハハハハ――!!』
嗤い声が響く。
幾つも重なった嗤い声が響いていた。
いまにも血の雨が降ってきそうな紅染めの空の下で人型の怪物たちの怒声にも似た嗤い声が響いていた。
それらは全て天厳の血より生まれ出でた無数のヌエの群体たちの哄笑だ。
群体たちは人語を介さず、おぞましく嗤ってビャクアと永春を見下している。まるでこれから骨の欠片も残さずに貪り尽くしてやるぞとか弱い獲物に脅しを掛けるかのように。
『圧巻でございましょう! 絶景でございましょう! 我が奥の手である分け身の秘術!! 彼らは数分で霧散しますが実力は小生とほぼ同一!!』
本体である天厳が変身した化神装士ヌエが高笑いを上げると群体のヌエ達の眼差しが一斉にビャクアへと集中する。常人であれば卒倒しても可笑しくは無い異様な光景だ。
『文字通り、嬲り殺しになりますがお覚悟はよろしいですね?』
静かに佇むビャクアに対して天厳は意趣返しとばかりに口元をにやつかせ、彼女の口上を引用してみせた。
「――この程度、覚悟するまでもなく!!」
撒き散らされる下卑た雑言の数々を澄んだ快声が切り捨てるとビャクア・セキシンは五体に淡い光を宿して敵陣へと駆け出した。
「ハイヤァアアア――!!」
音無しの俊足・神足通を駆使して無数の敵たちの隙間を駆け回り、翻弄しながら神通撃の乱撃をお見舞いしていく。爪刃をかわし、毒液の弾丸をすり抜け、魔猿の尾をあしらって、繰り出されるは一撃必倒の冴えたる技。
『ギェアアッ!?』
「ソラソラソラッ! 沈め!!」
全方位から絶え間なく伸びてくる無数の凶手をビャクアは平手で構えた両碗で次々といなしていく。それはまるで無形の疾風あるいは千変万化の流水のような動きだ。
そうして生み出された敵勢の隙に狙いを定めると猛禽の嘴による一刺しの如き強烈なカウンターを決めていく。
ざっと五体以上はいたヌエたちはみんな急所に槍で貫かれたような穴を抉られて、霧散していく。
『小癪な……あの
『シャガァアアアアア!!』
大きな舌打ちをしながら天厳は群体たちに指示を出す。すると無造作にビャクアだけを相手に暴れていたヌエたちは濁流のように一方向へと行軍を開始する。
牙を光らせて進軍する先には怨面を奪還する際に数え切れないほどに肉体を損壊させられてまだ疲れが抜けきっていない永春もいた。
「やっば……ッ!?」
「いえ、大丈夫です」
仮にも人間が化けているとは思えない野獣染みた動きのヌエの群れに永春はある懸念もあって青ざめた。人魚の呪いを受けて不死身ではある彼だが一つだけ、用心しなければならない落とし穴があった。それは捕食されてしまうことだ。
自分がかつて夕凪から無理やりにそうされたように永春の臓腑を食らえその呪い=不死の肉体が転移してしまうのである。
痛みと疲労でまだ万全に動かない体に鞭を打って慌てて逃げようとする永春だったがそれよりもビャクアの一手の方が早かった。
「――剣よ、走れ」
『ぎゃばああああ!?』
ビャクアの両脇から二条の流星のような鋭い光が飛び出した。それは七つ道具の一つである裂空の快刀だ。二振りの快刀はまるで生き物のようにひとりでに動きまわると永春に迫るヌエの一団をその切っ先で片っ端から八つ裂きにして見せた。
『なんとぉ!? そのなまくらは先程圧し折ってやったというのにもう復元されたのか!?』
「お生憎でしたね。ちなみに……ここからは大盤振る舞いです! 大鎌よ、踊れ!」
肉体と同様に装備まで修復していたビャクアに隠すことなく天厳は苦虫を噛み潰したような顔をした。だがその憤慨はすぐに驚愕へと変わった。
次いで放たれたビャクアの言葉に呼応して召喚された雲薙ぎの大鎌もまた彼女の手を離れていても尚、命を吹き込まれたかのように激しい回転乱舞を開始して担い手の敵を悉く輪切りにすべく奔走する。
これもまたビャクア・セキシンが誇る七幻神武の一つ、退魔七つ道具を自由自在に遠隔操作して攻防に活用する神通操である。
『舐め腐りおってぇ! ならば毒液の豪雨を降らせてみせましょう!』
一方的な蹂躙劇を繰り広げた前哨戦とは打って変わり、数の利を有しながらもどんな攻め手もビャクアに粉砕されてしまう状況に業を煮やした天厳はついに広範囲の無差別攻撃に踏み切った。
「やらせない。宝輪逆天鏡!」
だが、群体ヌエの悪辣な攻撃に怯むことなくビャクアは大きく後方へ跳んで間合いを測りながら黄金に輝く宝輪を投げ放ち上空に清らかな円鏡を展開させる。
「いまの私には……こういうこともできる!」
「ウギィアッ!?」
新たに召喚した山崩しの大筒を構えるとビャクアは前方の敵集団ではなく、校舎上空から地上を映している逆天鏡に砲撃を解き放った。
斜線を描いて透き通った鏡面に直撃した光弾はビャクアによって角度を調整された逆天鏡の効果によって反射され、真下で蠢くヌエの群れに炸裂した。
「よし、成功です。これなら……もっと受け取れ!」
『ヌギャアアアアアアアアア!?』
咄嗟に思いついた戦法。
その試射が上出来だったビャクアは間髪入れずに大筒によって極太の光の奔流を逆天鏡へと撃ち放つ。そして、同時に上空で展開する金色の鏡の角度を調整する――出来上がるのは凄絶な光景だ。鏡によって反射された強烈な一条の光は縦横無尽に地上のヌエたちを焼き払ってみせたのだ。
『……恨めしいがその力は確かに小生の脅威のようですね』
僅かな間に渾身の策であった自らの群体たちの半数を蹴散らされた天厳は圧倒的な力を手に入れたビャクアに虫唾を走らせながらも芯の部分で冷静かつ強かだった。
『小生が健在ならばあの小娘がどれだけ暴れようとも儀式は完遂する。霊長の長が入れ替わる瞬間をこの眼で目の当たりすることが出来ないのは残念至極ですが……勝者になることを優先しましょうか』
天厳はビャクアが群体たちと戦っている間に逃亡して姿をくらませようと企てていたのだ。恥知らずな行為だがその逃亡を許せば、世界が暗天へと上書きされて、化神たちが百鬼夜行の体を成して湧き現れてしまうだろう。
「逃げるのか?」
怨面の奥でしたり顔を作りながら、忍び足で戦場から離脱しようとした天厳。
けれど、その動きは背後から聞こえてきた忌々しい声によって阻まれる。
『貴ィ……様!? どけい!』
よほど切羽詰まっていたのだろうか。
素体はただの一般人でしかない永春の接近に気が付けなかった天厳は無意識に意味がないことは知っていながらも右腕の鋭い爪を振るった。
血飛沫が噴き上がり、永春の左半身が抉られるがバラバラになった肉片が地面に落ちるよりも前にその全てが巻き戻るような動きで再生される。
「逃げるのか、お前?
『黙れよ、化け物めが……貴様さえいなければ、小生の悲願はとっくに叶っていたというのに! 化神様たちが繁栄する新世界が、そこに唯一無二の神の朋友として侍る小生の姿がすぐそこまで近付いていたというのに!!』
目が据わった表情で短く問う永春に天厳は腹の底に溜まった怨嗟の情を隠すことなくぶつけた。
『貴様こそ、そんな身体で醜い人界でこの先も生きていけると思うのか!? 小生の儀式が実れば人間は牛馬と等しくただの獣の一種に落とす。だが貴様は優遇を確約しようではないですか。化神様たちも物珍しがって寵愛を授けてくれるでしょう』
天厳の大願――それは地上の支配者を人類から化神にすり替えることに止まらず、化神たちとただ一人対等の存在として君臨して、隷属させた人類たちを家畜の如く管理することにあった。
更にあろうことか不死者である永春の厄介さに舌を巻く天厳はこの状況を打開しようと無略茶な言い分で彼に取り入ろうとまでしてきた。
「さっきから聞いてれば……勝手にボクの人生を決めつけるなよな、この無職野郎」
『なっ、にぃ?』
「光姫さんから聞いたよ、あんたのこと。厭世家だか世捨て人か知らないけど、バイトもろくにやったこともない無職のダメ人間が自分に都合の良いことばかり、ベラベラとうるさいんだよ」
静かに怒れる永春の言葉に天厳はあろうことか竦んでしまった。
力も奇怪な術も持たない、ただどれだけ殺しても死なないだけの平凡な少年の言葉に、およそ万軍の兵士も蹴散らせる力を手に入れた男は身じろいでしまった。
それはただの人であった時にあれこれと高尚な言い訳を並べて、人間の社会から逃げた物部天厳の化けの皮を被った男と家族と死別や押し付けられた呪いにも腐らずに瀬戸際で踏み止まって生きてきた少年とのほんの些細で圧倒的な差であった。
『キィイイイイッ! 言わせておけば、蛆虫にも劣る小僧の分際で! 小生の悲願の何が分かるかぁああ!!』
「そんなもの分かりたくもありません」
「ゴッ、ギャァア!?」
怒りに任せて高々と上げた右腕を振り下ろす天厳。
しかし、虎爪が永春を頭から三枚に下ろすよりも前に白い疾風が天厳を蹴り飛ばした。
「はぁー……ありがとう、沙夜さん」
「永春くんは無茶しすぎです。助かりましたが気が気じゃありませんでしたよ」
「うん。その、ごめんね」
「けれど、君のそういうところに私は何度も助けられました。なので、やるならほどほどにお願いします」
着地の音も立てずにふわりと永春の隣に立ったビャクアは困ったような柔らかな声色で呟く。彼女の言葉に傷こそ無いが血塗れの永春は自分でも予想以上に無鉄砲だった行動を鑑みて苦笑するしかなかった。
『馬鹿な……あれだけの小生の分け身をもう倒したというのか!?』
「見て解りませんか? もうお前しかいませんよ、物部天厳」
永春に気圧されている間に切り札であった群体たち全てを撃破されてしまった事実に天厳は異形の顔を歪めで愕然とした。
「そろそろ腹を括って、同じ土俵で私たちと向き合ったらどうですか」
『なんだと? 小生が貴様たちのような小童たちと同じだというつもりか』
「初めて遭遇した時からお前は常に自分を優越者のように振舞っていました。だけど、それは言い換えればお前もまた自分以外の人間の誰とも目を合わせられないちっぽけな人だという事でしょう」
『黙れ……黙れ、黙れ、黙れ! どこまで小生を愚弄するかぁああああ!!』
天厳に永春と二人で対峙するビャクアはそう口火を切って滔々と喋り始めた。
今更、この男に情けを掛けるつもりはない。
許す気も見逃すつもりもない。だけど、不本意だがどこかで似通った弱さを持っていたかもしれない相手にビャクアは悔いの残らないようにとその言葉を伝えて、対等な戦いを望んだ。
結局のところ、自らを只人から脱した特別な存在だと陶酔することを手放さなかった天厳は発狂したような叫び声を上げて目の前の怨敵たちを血祭りに上げようと猛然と襲い掛かってきた。
「言いたいことは言い終えました。では、決着をつけますよ! 物部天厳!!」
『死に晒せぇええええええ!!』
禍々しい黒光を纏ったヌエの拳が飛び掛かってくる大蛇のような軌跡を描いて迫る。けれど、ビャクアは凛と清らかに迎え撃つと神通力が満ちた両の掌で受け流す。
「セェエヤァアアアアア!!」
『おぶっげあばばあばばば!?』
矢継ぎ早に殺気を漲らせてヌエが空いた左腕を振ろうとするが速さで先を行ったビャクアの回し蹴りがヌエの剛腕を弾き飛ばす。そして、無防備になった胴体と頭部に裂帛の気合と共に機関銃の一斉射撃のような荒ぶる拳と猛る蹴りの連続攻撃が炸裂した。
伸縮自在故に打撃を無力化するはずのバケダヌキ譲りの胴を持つヌエの肉体も神通力を浸透さらには内部で爆ぜさせるビャクアの神通撃の前には成す術もなく、怒涛のラッシュの前にあっという間にボロボロにされていく。
『こんな……こんなはずでは! 小生の大願……こんなところで終わって堪るものかああああ――!!!!』
爪は砕け、蛇髪は散り抜け、無残に追い詰められていく天厳であったが自分の抱いた野望の正しさを信じて疑わない執念の限りに抵抗を続けた。
そんな時だった。
不可思議な現象が天厳に起こったのだ。
どこからか、無数の黒い瘴気の塊たちが彼方から飛来すると天厳の体内に吸い込まれ始めたのだ。
『これは? 嗚呼、ああ……クヒャッハッハッハ!!』
ニンゲンカ? 怨敵ノニオイモスルゾ? 化神ノケハイモスル
ナンダッテイイ コノ器ニマジレバ享楽モ飽食モオモイノママダ
マザリテトケロ マザリテトケロ 生レロ 生レロ
喰ラエ 喰ラエ 喰ライツクセ
殺セ 殺セ 殺シツクセ
乱セ 乱セ 乱シツクセ
『やはり運命は小生を見捨てたりはしなかった!! 化神様万ざぁぁぁあああああい!!』
唐突に発生した現象。
訳も正体も分からない瘴気の塊が数え切れないほどに自らに溶け込んでいく様子に天厳は狂信者のような大歓声を上げて狂喜する。
「なんだこの寒気……沙夜さん! アレって一体!?」
「少し、不味い状況かもしれません。迂闊でした……騒ぎが長丁場になりすぎたんです」
「あの黒い靄みたいなの、前に見た化神が躯を手に入れる寸前の様子に似てるけど、まさか!?」
「はい。あれは方々に芽吹いていた化神の幼体です。本来なら少しずつ穢れを食んで成長するのが天厳の禍々しい力を感じとって引き寄せられてしまったんです」
「そんなのって……うわっ!?」
予想外の出来事に驚く二人を前に近隣どころか隣県からまで吸い寄せられた百を超える化神の幼体と同化して突然変異染みた強化をしてしまったヌエがそのおぞましい姿を露わにした。
『嗚呼、感謝致しまずぞ化神様! この肉体、この異能! やはり地上を貴方様たちに献上せよとの天の思し召しに他なりませぬぅううう!!』
溌剌とした喜声を空の果てまで響かせて、物部天厳だった存在は自らの爆誕を祝福した。
半人半虎の異形――それは四足の騎馬武者の亡者にも見間違えそうになる。
胸部の真ん中には天厳だった人の顔が浮き上がっており、グロテスクな雰囲気を醸し出している。更に胴から伸びる腕はその数合わせて八本。獣の腕や人間の腕、更には虫の脚に蟹の鋏のようなものまでが滅茶苦茶にくっついている。
猿羅の怨面を貼り付けたままの頭部には剥き出しになった鰐のような口元と鹿の如き双角が生えていた。
その名はアクジキ。
歪んだ悪漢と怨面と百を超える穢れが混ざり合った末の突然変異により生まれ落ちた最低最悪の化神だ。
「……気持ちわる」
異形という言葉の枠からも外れた醜悪で悪寒がするような威風を持ったアクジキの姿に永春は息を詰まらせながら、思ったままの感情を吐露した。
そんな不意に出た言葉にアクジキの胸に浮き出た人面がにやりとほくそ笑んで反応を示した。次の瞬間に永春はあまりの不気味さに心臓が止ったかと思うような怖気を感じた。
目線があってしまったのだ。
飾りだと思っていた天厳の面影を残したアクジキの胸にある人面が――確かな悪意のようなものを孕んだ眼差しを自分向けていた。
『ヒョォォォ』
「は……?」
頭部か胸の人面かどちらが発した声か定かではなかった。
けれど、アクジキの男とも女とも判別できない、ただただ不快な声がしたと思えばその巨躯が瞬きをする間に永春の眼前に肉薄していた。
「させませ……んッ!!」
『ヒョォォォ』
アクジキの怪腕の一本が永春を殴り潰そうとした寸前で間に割って入ったビャクアがそれを防いだ。だが、その剛力はヌエの比ではない。
流石のビャクア・セキシンも苦しい声を漏らして踏ん張るがアクジキはそこでまさかの両前足を立ち上がらせて暴れ馬のように彼女を蹴り飛ばしてしまった。
「沙夜さん!?」
「グッ……これぐらいで!」
不格好に地面を転がりながらも何とか体勢を整えたビャクアだが顔を上げると目の前には既にアクジキがそこにいた。
今度は鋏腕の先端が槍のように突っ込んでくるのを紙一重で回避すると彼女は反撃に重い拳でその胸部を殴りつけた。
『あはは。笑止ですなぁ』
「ガ……ァ、ァァ!?」
拳打が通った確かな手応えを感じたビャクアだったがネットリしたアクジキの声と共に双角から放たれた雷撃の直撃を浴びて大きく後退させられる。
更には胸の人面より火山の噴火を思わせる火炎を吐いて更に二人を追い詰めていく。
『どうやら小生は再び上回ってしまったようですなぁ。化神様たちの力をヒシヒシと感じますぞ! やはり絶対はこちらにあるようです。クヒャッハッハッハ!!』
哄笑を上げるアクジキ。
そこにどこまで天厳の意思があるのか不明だったが先程まで神懸かり的な強さを見せていたビャクア・セキシンが劣勢を強いられる光景がその未曾有の力を証明していた。
『決着をつけると先程仰っていましたな? 同感です。貴女たちはここまで良くやったと称賛しましょう。このアクジキ、千の夜を超えても今日の死闘を忘れることは無いでしょう。なので――いい加減に死ね』
有利に覆った戦況に気を良くしたアクジキは再び慇懃無礼な口調に戻ってビャクアと永春を嘲笑う。神の領域にまで浸食したかのような強さを誇るこの悪獣を前に最早成す術は無しと思われた時だった。
「それで勝ったつもりですか? 片腹ですね」
僅かに傷つきながらも毅然として立ち上がったビャクアが吼えた。
「大盤振る舞いと言ったでしょう。私も攻めの切り札を使わせてもらいます」
当たり前のように告げられた言葉の重きをアクジキの理性が拒んでいる隙にビャクアは星のような光を灯した右手の指先で退魔の印を結ぶ。
何も無い宙空に召喚陣が刻まれると稲光のような青白い輝きが周囲を照らす。そして、ビャクアは召喚陣に迷うことなく手を伸ばすと七幻神武における最強の力を掴み取る。
「万象剣・森羅――抜刀」
厳かにその力の名を唱えながら、右手を引き抜くと一振りの神威に満ちた古拵えの太刀が握られていた。しかし、万象剣と呼ばれたその太刀に刀身は見当たらず、鍔と柄だけの奇妙な代物だった。
『はぁ? クヒャッハッハッハハハ! なんですかなそのみすぼらしいガラクタは? よもや、それで小生を倒すというのですかな!』
「そうですけど、なにか問題でも?」
アクジキの嘲笑に対して、ビャクアは涼しげに返す。
セキシンとしての力の使い方全て、白鴉が教えてくれた。この万象剣の真価も同様に――故にあとはその力を使いこなせる筈だと自分自身を信じるだけだ。
『その言葉、地獄で後悔するがいい!』
「――発剣」
自棄にも映るビャクアの悠然とした佇まいが癇に障ったアクジキは強靭な四つ脚で驀進すると正面から彼女を叩き潰しにいく。それに対して、ビャクアは万象剣の刀身の手元の部分・
そしてアクジキとビャクアが交錯する刹那、彼女は迷いなく刃無き霊剣を横一文字に滑らせた。
『ガァルアアアアア――ッ!!』
「ハイヤァ!」
砂塵が舞った。
否、突如として舞い上がり、鉈のような形に纏まった流砂が暴れ馬のように突進してくるアクジキを切り裂いたのだ。
『ぐあっ!? 貴様……一体何をした!? その剣はなんなのだ!?』
「万象剣はその銘が示す通りに世界に存在する万象や元素を玉鋼にして刃を生み出す剣。この砂泥の太刀はその始まり、いきますよ? 千変万化の剣を以て、お前を斬り伏せる!」
万象剣・森羅の在り方を答えたビャクアは砂の刃を振りかぶるとアクジキに斬り込んでいく。神足通による動きを読み辛い無音の駿足を併せて、あっという間にアクジキの巨体に無数の砂に塗れた刀傷を付けていく。
『小癪な! そんな針で刺されたような傷など幾ら負っても痛くもか――ぬうう!?』
「気付きましたか? けど、もう遅い!」
剣閃が走る度に砂塵が舞う。
微々たる傷を笑い飛ばしていたアクジキだったが急に自らの体に強烈な鈍りを感じたと思うとたちどころに大岩を背負わされたような重みを感じて、俊敏な動きが取れなくなってしまう。アクジキ自身は気が付けなかったがその禍々しい体躯はいつの間にか砂塗れになっていたのだ。
『面妖な砂で動きを少しばかり制約された程度でこのアクジキが止められるものか!』
「故に……発剣! 万象剣・草木の太刀!」
鈍い動きが災いして接近戦で後れを取るならばとアクジキは双角から雷撃を乱れ撃つ。稲妻が周囲の建築物や地面を抉り、焦がしていく中でビャクアは砂の刃を解くと代わりに壊された花壇の草花を取り込む。
万象剣の刀身が再び変わる。
菖蒲の葉に似た薄く良くしなる緑草の刃だ。
『フン! そんな貧弱な刀で何が出来る!』
「せやあぁぁ!」
雑草のような刃と侮ったアクジキの腕の一本を草木の太刀は容易く斬り落とした。
しなる薄刃が独自の風切り音を鳴らして容赦なく切り刻んでいく。
『うぎゃぁああああ! こ、この――!?』
やられっぱなしなど認めないと爪を光らせて反撃を試みたアクジキだったがビャクアはこれを鮮やかに飛び跳ねて回避する。更には遠く離れた間合いから万象剣を突き出すと草木の太刀の切っ先は猛然と延伸してアクジキの胴を串刺しにする。その様は路傍に生い茂る草の逞しい生命力を感じさせるものだ。
『この程度……どうと言うことなど!! フゥウウウン!!』
黒い血を流して苦悶の声を漏らすアクジキではあるがこちらの執念と力も尋常ではなかった。全身を黒い靄で覆うとそれまで負った深手の全てを再生していく。
「あいつも自己再生を!?」
「それなら、こちらから畳み掛けます!」
戦いを見守っていた永春が冷や汗を流すがビャクアは臆することなくアクジキへと打って出た。草木の刃は解け、無手同然で飛燕のように敵の懐に飛び込む。
「テェヤァァァ! 鉄腕よ、唸れ!」
『痛っあぁああ!? ど、どこから!?』
自らを囮としたビャクアの奇策は見事に嵌まった。
万象剣で斬りに来るとばかりに狙いを定めていたアクジキの両側頭部を召喚された無双籠手が殴り挟んだのだ。神通操でひとりでに動く無双籠手はそのまま我武者羅な勢いでアクジキをタコ殴りにしていく。
「まだまだ……いきます!」
立ち眩みを起こして棒立ちになったアクジキにビャクアは舞踊のような動きで上段回し蹴りの三連撃を浴びせる。続けて傍らに浮遊する無双籠手を足場にアクジキの頭上に飛ぶと強烈な踵下ろしを叩き込んだ。
『ぬぅ、っ……効かぬわぁあああああ!!』
だが、ビャクアが地面に着地するまでの僅かな無防備の合間を狙ってアクジキは再び胸の人面から火炎を放った。爛々と異様に輝く業火がビャクアを飲み込む。
『クヒャッハッハッハ! 灰も残さず焼け消えるがよろしい!!』
「羽団扇よ、逆巻け」
『な、ぁあああ!?』
面倒な反射能力を持つ逆天鏡の発動も間に合わずに炎に包まれたビャクアに勝利を確信する。しかし、アクジキの中で盛んになった勝利の高揚は寸前で羽団扇を召還して風の防御陣を展開していた彼女の姿に鎮火する。
「発剣。万象剣・火焔の太刀――セェイヤァアア!」
慌てて炎を吐きやめて、変わりに雷撃での攻撃に切り替えようとしたアクジキの胴を燃え揺らぐ火で出来た刃を逆手に持ち替えて疾駆したビャクアが十文字に裂いた。一拍の間を置いて、ボゥ!っと火が灯る音が鳴り、あべこべにアクジキの方が全身を炎に包まれる。
『ア……アア、アアアアア!!』
「こいつまだ……どうやったら倒せるんだよ!?」
自らを焼く炎を黒い靄で塗り潰して、アクジキは再度肉体を再生させる。次第に理性は摩耗しているのか人語の数は減り、獣染みた雄叫びが頻繁に轟く。
劣勢を覆してアクジキを圧倒するビャクアではあるがそれでもこの無尽蔵の生命力と再生能力の前に千日手の様相を呈して来ていた。
「……もしかしたら。永春くん!」
「は、はい?」
「少し力をお借りします」
ビャクアが閃いたのはそんな時だった。
急いで永春の傍に駆け寄るとそっと、その頬に手を触れて彼の血を掬った。
「これで……万象剣・魔血の太刀!」
そして、ビャクアは永春の血が付着した手を鎺に添えて飾り気のない真紅の刀身を生成した。
「嘘だろ!? そんなものでも刃になるのか!」
「いってきます。ヤァアアア!!」
妖しく煌めく血刀が雷も炎も斬り払い、アクジキを鋭く薙ぐ。
何度やっても無駄なことだとアクジキは再び黒靄を発生させて傷を癒そうとするが次の瞬間に傷口が妖しく光を放って再生を阻んだのだ。
『何が起きている!? グァアアア……何故、傷が癒えない!? その刃で何をしたぁ!?』
「大きな博打でしたけど分かりませんか? 不死の呪いを宿す永春くんの血です。ならば転じて不治の効果を得ることも可能ではないかと……賭けには勝たせてもらいました」
安堵と永春への申し訳なさを含みながら、ビャクアは力強く答えた。
そのまま逆上したアクジキが飛び掛かってくるよりも速く、四方八方から斬撃を繰り出して追い詰める。
『イギャァアアアアァ――!?」
「いける! 沙夜さんいっけええええ!!」
不治の傷を与える魔血の太刀がアクジキをなます切りにしていく。
抉じ開けた勝機を確信して、永春は声の限りに叫んでビャクアの背中を押す。
「いざ! お覚悟を! オン・カルラ・カン・カンラ!」
その声に勇気付けられて、ビャクアは退魔の印を結ぶと力強く大地を蹴って飛翔した。
地上のアクジキを見据えて、彼女は両腕を羽ばたく翼のように広げて力を開放する詠唱を叫ぶ。
「オン・セキシン・カンラ――テンジョオオオォォォッ!!」
裂帛の叫びを上げるビャクアの全身を神通力が駆け巡り、溢れ出る力は燃え滾る蒼白い炎のようなオーラとなって彼女に纏わる。
マフラーのように首に巻いた羽衣をたなびかせて流星のように空を駆けるビャクアは赤い空を破ってアクジキへと突撃する。
「退魔覆滅技法! 光鴉一殲!!」
『ぬぅううおあああああああああ――――!?』
光輝なる大鴉のオーラを纏って繰り出されたビャクア渾身の飛び蹴りを食らったアクジキは地鳴りのような絶叫を上げながら大爆発を起こした。
「おっと! これアイツが被ってた……じゃあ!」
爆風に乗って落ちてきた猿羅の怨面をキャッチした永春は心臓をバクバクさせながら目を見張る。
風塵は晴れた時、アクジキがいた場所には精魂尽き果てた様子の天厳がぐったりと倒れているのが見えた。
そこで永春はビャクアの勝利を確信した。
全てが終わったのだと思われた。
※
『ウゥゥ……アギャ、ウブェアエエ!! ア゛ァアアアアア―――!!』
赤黒い空は晴れず。
人柱樹にされた人々にも変化は見られず。
代わりにビャクアと永春の目の前で突然に天厳が白目をむいて苦しみ始めた。
「なんだ!? お、おい! 大丈夫かよ!?」
「これは……永春くん、私の後ろに下がってください!」
目玉が飛び出しそうなほど見開き、口からは血の泡。
血管なのか神経なのか分からない何かが全身の肌から隆起して悶絶する天厳の豹変に戸惑う永春をビャクアは咄嗟に手を引いて後ろに下げた。
喰ラエ 喰ラエ 喰ライツクセ
殺セ 殺セ 殺シツクセ
乱セ 乱セ 乱シツクセ
足リナイ 足リナイ 足リナイ
天厳の肉体を伝って、数え切れない不気味な声色が響いた。
それは天厳と彼が執り行っていた儀式に引き寄せられた百を超える化神の幼体――その残留だ。
余りにも濃密で夥しい穢れたちは天厳という軸が崩れたいま、突然変異から暴走と言う最悪の形で進化を遂げていく。
『お゛……やめください。おやめ、くだ……ア゛ァアアアアア―――!!』
物部天厳という器が溶け合った無数の化神たちの穢れに耐え切れずに崩壊していく。
肌が裂け、肉はブクブクと膨らんでいく。
血は煮詰まって黒く染まる。
闇が、夜が、黒が、どうしようもない漆黒が天厳を糧に育っていく。
その命を取り込んで、既に幾つも内包している化神の命たちと混ざって驚異的な速度で成長していく。
――冥く愛しき暗天舞台よ、我が客を誘え!!
そして、誰のものでもない異形の声が鳴き。
大津波のような瘴気が溢れ出して、ビャクアと永春を一瞬で奇奇怪怪な世界へと引き摺り込んだ。
※
「う……ぐっ!? 沙夜さん!?」
「すみません。こうでもしないと逃げ切れなかったもので」
ふと途切れた意識が戻った時、永春はビャクアに抱えられて暗天へと移り変わった無人の街のビル群を絶賛高速移動中だった。強風に吹かれてすぐに鮮明になった意識で周囲を見渡すと信じられない光景が広がった。
『オォオオオオオオオオオオ――!!』
山のように巨大な怪物が太陽のない赤き世界で暴れていたのだ。
全身が漆黒に染まり、巨躯の至る所に血のような不気味な赤い雑面に似た紋様がある大怪異。
人型とも四つ脚の獣に近い形態にも見えるそれはもはや化神の枠組みに収めて良いものかも不明だった。
敢えて、その名を示せというのならば――穢れ切った怪異の名は化神獣アクジキ。
『オ゛オ゛オ゛ォオオオオオオオオオオ――!!』
化神獣は地獄の亡者の呻きのような雄たけびを上げながら、二人を探して暴れていた。
角からは稲妻を、口からは炎、腕を振るえば竜巻が起こり、尾を叩けば大地が割れる。
それはまるで天災が生物に転生したようにも見える悪夢のような光景だった。
「沙夜さん。御伽装士ってさ、巨大化とかできたりする?」
「残念ですが……でも、策ならあります」
「本当に!?」
意外なビャクアの返答に永春は彼女の腕の中で驚いた。ビャクアは一棟のビルの屋上で脚を止めると彼を下ろして暫し黙った。
「永春くん……お恥ずかしい話ですが私はその七つ道具をまだ一人で使いこなす自信がありません」
そして、決心した彼女は躊躇わずに自分の弱みを永春に打ち明けた。
「でも、永春くんが一緒ならどうにかなるかもしれません。だから、お願いします……一緒に戦ってください」
だが、同時にビャクアはーー沙夜は以前では負い目や責任から決して面と向かって言えなかった素直な望みを永春に伝えた。
それはかつての彼女では出来なかったことだ。数々の出来事を経て、様々な苦楽を味わって手に入れた一つの強さだった。
「いいよ。ドンとこいだ!」
永春はビャクアの頼みに迷うこともせずに即答した。
「むしろ嬉しいよ。ボクはいくら死ななくても世界なんて救えないし、化神みたいな怪物も倒せない。だけど、ボクだからって理由で沙夜さんの助けになるんなら、なんだってやってやる!」
「ーーありがとう、永春くん」
永春の真摯な想いは沙夜の心を熱くさせた。思わず口元が緩むがそれはまだ早いと気を引き絞める。
そして、気合いを入れると凛とした声で高らかに虚空へと叫んだ。
「退魔七つ道具が其の陸! 天地守りの大具足!!」
その声に呼応して、二人がいるビルを中心の巨大な召喚陣が浮かび上がった。
召喚陣から放たれる光が徐々に力強くなっていくとついに最後の七つ道具が具現する。
それは黒鋼の鎧を纏った巨大な武人。
それは鴉と僧兵の意匠が組み合わさった鐵の大鎧。
それは担い手の生命力を動力にして命を宿す無双の絡繰巨兵。
「うっそぉおおお!? ロボじゃんこれえええ!!」
「これが六番目の七つ道具! またの名を霊式絡繰大具足クロウマルです!! では、いきましょう!!」
予想の斜め上過ぎる秘密兵器の登場に永春は興奮と驚きを隠せずに大歓声上げた。
そんな永春の手をとって跳ぶとクロウマルの鉢金にある宝玉から内部に乗り込んだ。
黒き大具足の鴉面の瞳に翠の光が灯って動き出す。錫杖と薙刀な合体したような金色の宝槍を構えて、最後の敵を迎え撃つ。
既に化神獣は突如として出現したクロウマルに敵意を剥き出しにしていた。
「かなり疲れると思いますがいけますか?」
「もちろん! どんなに体力減っても死なないからね……最高の永久機関になってやるよ!」
クロウマルの心臓部にある操縦室にて、ビャクアと永春は操縦桿の役割を持つ突き刺さった儀式剣を一緒に握り締めて、気力を振り絞る。
何度も傷付いて挫けそうになりながら、ここまで頑張った。
それをこんなところで無意味なことになんてさせないと少年少女はどこまでも意地を見せる。
「「いざ、いざ、いざ……お覚悟を!!」」
心を重ね、いざーー掴み取れ大勝利!!
次回、本編最終幕。
どうかお付き合いいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。