お知らせしていたように本日から仮面ライダービャクア、新章本格開幕となります。
相変わらずの不定期更新となってしまいますがどうかお付き合いの程よろしくお願いいたします。
それでは
はじまり、はじまりです。
とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。
こことは違う、遠くの町からやって来た一羽のカラスを巡る真夏の一騒動。
※
金は大事だ。
当然のことかもしれないが改めていまそんなことを思ってしまう。
飯を食うにも、遠くへ移動するにも、医者に掛かるにも、暮らしに必要な物を手に入れるにも結局は金が要る。
金は裏切らない。
昨今は仮想通貨や電子マネーなんてものがあるから一概には言えないがいまはそういう屁理屈は無しだ。
必要な額の金を差し出せば大抵のことは叶うし、手に入る。
美味い酒が飲める。高い車に乗れる。綺麗な女も抱ける。
公正な等価交換が約束されている。
金は貴重だ。
貯めるのは大変なのに、使えばすぐに消えていく。
金を稼ぎたかったら働くしかない。
でも、誰だって楽して儲けたいって気持ちになるのが真理だろう。
だから、俺は明らかに胡散臭そうな案件だと思いつつもちょっとした小遣い稼ぎに手を出して――いま、最高に後悔している。
ヤクザやチンピラ、半グレみたいな連中ならまだ良かった。
どんなに狡賢くておっかなくてもまだ人間だ。人間の理屈と言葉が通じる。
胡散臭いカルト連中でも日本語が通じるんなら上手く立ち回ればなんとかなると高を括ったのが馬鹿だった。まさか
「アジャ・キリキリ・クジャ・キリキリ・カンカン・ダラ……」
七月下旬の真夜中。
窓や扉を閉め切った廃倉庫の中は拷問に近い暑さで立っているだけで体に悪い。
だというのに、猿を模した気味の悪いお面を付けさせられて息苦しいったらありゃしない。半ば強制的に着せられた僧侶のような黒衣も通気性最悪で体中から汗が垂れ流しだ。
大袈裟にも照明も工事用のライトで事足りるだろうにどこから持ち出したのか松明なんてものを焚いてやがる。
「アジャ・キリキリ・クジャ・キリキリ・カンカン・ダラ……」
熱中症か脱水症に自ら望んでなりにいっているマゾヒズム万歳な状態で聞いたことも無いお経かまじないのようなものを集団の最前にいる雇い主に倣って、こうして唱え始めてもう五分は経っているだろうか? 不快感極まりない室内環境も手伝って一時間以上はやっていた体感だ。
「ハア……ハア……」
息が苦しい。
ビールじゃなくてもいい、冷えているなら水道水でも川の水でも良いからがぶ飲みしてこの気が狂いそうになる暑さを紛らわしたい。
他人様の信仰や宗教には口を挟まない主義だが、高額なバイト代を貰えていなかったら「あんたら頭おかしい」と糾弾しているだろう。
「化神様。化神様。大いなる化神様……ここに供物を捧げます」
支部長と名乗っていた身なりの良いオッサンが俺と同じ格好でなにかの儀式みたく厳かな言葉を張り上げる。ああ、そうか。みたいじゃなくてこれは紛れもなく儀式なんだ。
そして、俺はバイトとしてその儀式に必要なものを調達した。
それで金だけもらってさよならしていれば良かったのに追加報酬の甘い言葉にまんまと誘われてこの様だ。
「あ……うぅ」
「ふ、っう……」
簡素な祭壇の対面に鎮座する大型のビニールプールほどの大きさの白木の桶に入れられた供物の何人かが吐いた蕩けた吐息が後列にいる俺の耳にまで聞こえてくる。
桶の中は清酒で満たされて、そこには八人の若い女がいるんだ。
言葉にすると理解が及ばないだろうがそれがこいつら
「アジャ・キリキリ・クジャ・キリキリ・カンカン・ダラ……」
俺が上手く声をかけて連れてきた女たち。
面子には中高生といった未成年も混じっている計八人は薬物と酒で意識朦朧にさせられると白襦袢に着替えさせられた上で赤い組紐で縛られている。ご丁寧に目隠しまで付けられて酒で満たされた大きな木桶に入れられている。
「あ、あ、あ、あ」
正気を失った言葉にならない女の声が時折この異常な空間に響く。
一見すると因習村ってジャンルが舞台のアダルトビデオの撮影だ。
このままこの場にいる男女で乱れ合うそういう宗派の儀式だったらどんなに幸せなことだろう。酒も飲めるから一石二鳥だ。
だけど、そうはならない。
言ったはずだ。
俺が調達してきた女たちは供物だと。
『キヒ、ヒヒヒ! よくもまあ仰々しく本当に用意したものだぁ』
頭上からおよそ人間とは思えない声が降って来た。
声の主はそのまま数メートルはある廃倉庫の天井を這って祭壇の前まで行くとひらりと地上に降ってくる。
「う、おお……バ……ッ!」
「不敬者! 私語は慎め!」
天井からやってきた声の主の姿に驚いて思わず叫んでしまった俺をすぐに他の物部党員が叱責する。だけど、これが声を上げずにいられるかって話だ。
二足歩行する青いトカゲのバケモンが人間の言葉を喋ってるんだぞ。
『そこのお前。そう驚くな……いや、怯えるな、か?』
トカゲのバケモノは後ろのざわつきに意識を向けて、あろうことか俺に向かって話しかけてきた。
途端に心臓が早鐘を打つ。
まるで寝起きに200mを全力で走らされたように胸が張り裂けそうに痛くて息が苦しくなる。
「バケトガゲ様。この男が此度の供物を用意しました。何卒平にご容赦くださいませ」
『ほう。 ほほう! そうか、ご苦労なことだなぁ! 精々愉しませてもらおうかぁ』
「は、はい! ありがとうございます!」
支部長が執り成してくれた空気を無駄にしないために、俺は気付けた久しく出していない声量で返事をしながら頭を下げていた。
こんなことは高校に入りたての頃に三年生の不良に突然因縁を吹っ掛けられた時振りだ。
『キヒヒ! では酒が乾く前に楽しむとするか! その珍妙なまじないは続けておけ、興が乗る』
「畏まりました!」
バケトガゲ様とやらは真っ赤な舌をチロチロと遊ばせながら、一番風呂にでも入るような足取りで女たちが酒漬けされた木桶の中へと入っていく。
そして、物部党の連中が読経を再開する。
『酒に女の匂いが乗って実に香しい。どれ、味もみておこうかぁ』
「かはっ、あぁぁ……」
トカゲの怪物はじゃぶじゃぶと酒水をかき分けて一人の女に目星を付けると満足そうな声で覆い被さる。
爪の生えた青い手が女の腹に容赦なく押し込まれて、無理やり息を吐き出された女は酩酊状態のまま艶のある苦悶を漏らしてエビのように跳ねた。
「活きが良い! これならさぞ血肉も絶品であろうなぁ……どれ、じっくりと味わおうか?」
激しく動いた勢いで目隠しがズレた女は虚ろな瞳でバケトカゲを映しているようだがそこに恐怖はおろか驚きや拒絶もない。
腹を押し付けていた青い爬虫類めいた手が今度は女の胸にゆっくりと降りていく。
すると白襦袢の上から乳房の形がくっきりと分かると思えば異形の指が深々と沈み込んで女の胸の形を官能的に歪めていく。
「ん、あぅ、あ……っっ」
世にも恐ろしい怪物の顔をすぐ近くまで寄せられているというのに甘美な虚無感に当てられているのか女は首筋をペロペロと舐められて恍惚として喘ぐ有り様だ。
誰も彼もここにはまともな人間がいないことを突きつけられる。
どうかしている。
狂っている。
「アジャ・キリキリ・クジャ・キリキリ・カンカン・ダラ……」
理解の範疇を超えた異様な光景の連続にとっくに常識の概念が壊れていた俺はやけくそになって読経に加わる。
これから酒桶の中にいる女たちがどうなってしまうのか、想像を必死で振り払って読経することで他のことを考えないようにする。
俺は知らなかったんだ。
こんなことになるなんて。
怪物と無抵抗な女が揃ったら、やることは一つだろう?
「アジャ・キリキリ・クジャ・キリキリ・カンカン・ダラ……」
早くこの夜が終わってくれ。
誰でもいい。この夜を終わらせられるなら、終わらせてくれ。
意味も分からないまじないを気が付けば俺は無我夢中で唱えていた。
自分は何も悪いことはしていないんだと神様に認めてもらえるように。
狂気の夜。
しかし、廃倉庫の中にいる者たちはよもや知りもしないだろう。
一連の悪事の全てを外から見られていることに。
バケトカゲが倉庫内に入り込んだその時から一枚の鳥を象った御札が外を飛び交っていたことを。
※
七月下旬の夜は相も変わらず熱帯夜です。
いまは御守衆として活動する際に愛用している黒のチェスターコートに空調の術を施しているので体そのものは涼しくて快適ですが気分はそういうわけにいきません。
テレビの天気予報を見れば最高気温は年々記録を更新し続けているようで2023年でこの調子では数年後にはどうなることか。
名古屋の土地に吹く夜風は郊外でも重く濁って感じる。
この土地で暮らすようになってもう長いのに地元の涼しくて清楚さを感じる風とどうしても比べてしまいます。
けれど、意識を澄ませて考えを巡らせるには十分な静かです。
「物部党とは……二年も経ったと言うのに、悪趣味な」
飛ばした偵察用の式神から送られてくる映像を映す水晶玉を見つめて、込み上げてくるのは憤り。紙一重で退治した忌まわしい呪術師にまさかこんな形でまた苦労を掛けさせられるとは思いもしませんでした。
物部党。
二年前に猿羅の怨面を強奪した後に化神と結託して名古屋で大規模な企みを仕掛けようとしたあの物部天厳を崇拝する信者や違法呪術師たちが立ち上げた過激派組織。
「人の噂に戸は立てられないとはこのことですね」
あの騒動は御守衆の尽力によって一般社会にはほぼ完全に漏洩することなく誤魔化すことが出来たのですが、やはりと言いますか少なくない数のその筋の者たちには目撃されてしまっていたようで、事の仔細が知られてしまったようでこのような集団が生まれる原因になってしまった。
「私の未熟が招いたものです。とことんお相手しましょう」
腰かけていたハヤテチェイサーのシートから立ち上がり、気合を入れる。
私、望月沙夜は相変わらず御守衆で御伽装士をやっています。
「さて、どう攻めたものでしょう? 攫われた人たちを一度に救出するのは難しそうですね。幸い、倉庫の内外に呪術的な仕掛けや罠もありませんし……ここは奇襲して一網打尽にしますか」
一手、二手と役目を果たすための段取りを思案して纏めて迅速に行動に移す。
相手は待ってくれない。
捕らわれて怖い思いをしている無辜の人たちを守るために私は今宵も白い鴉の怨面を手に取る。
「オン・カルラ・カン・カンラ――!!」
宵闇に白き風が吹き抜ける。
幾千万の呪いを糧に生み出される退魔の力を纏って、少女は――否、女は白い鴉の戦士へと変わる。
※
廃倉庫で儀式と称してバケトカゲが物部党の用意した供物の女の肌に舌を這わせて酒と肢体の感触を愉しんでいた時だった。
遠くからバイクのエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。
けれども、化神も物部党の者たちもどうせ暴走族が近くを走り回っているのだろうとさして気にも留めなかった。
そして、それが彼らの命運を分けた。
「ハイヤアアアアッ!」
夜の帳を吹き飛ばすような凛とした鬨の声とエンジンから轟く嘶きを二重に合わせて、ビャクアが駆るハヤテチェイサーは廃倉庫の横壁を突き破って物部党を急襲した。
「な、なんだあ!?」
「警察!?」
「そんなわけあるか! あれは……まさか、そんな!?」
「嘘だろ……!?」
飛び散る瓦礫と轟音、目が眩むようなライトの輝きで完全に虚を突かれた物部党の者らは慌てふためく。
そんな中で砂埃の奥に佇む白い山伏めいた軽鎧を守った仮面の戦士を目にした者たちは蛇に睨まれた蛙のように絶句していた。
「退魔七つ道具が其の壱、天狗の羽団扇! カンラ!」
奇襲に成功した沙夜が変身するビャクアは矢継ぎ早に自慢の退魔道具を召喚すると目いっぱいに一扇ぎ。すると羽団扇によって巻き起こされた白い竜巻が反撃も逃亡もろくに出来ないでいた物部党員たちを呑み込む。
「まだまだいきますよ! カンラ! カンラ!」
「うおぉああああああ!?」
一振り、二振りとビャクアは狙いもつけずに豪快に羽団扇を何度も扇ぐ。
廃倉庫内はたちまち竜巻地獄だ。
悪漢たちは次々に白風に呑み込まれて、まるで洗濯機にかけられる衣服のように宙空で揉みくちゃにされていく。
「命までは取りませんが少し痛い目を見て自分たちの悪行を反省してください」
ハヤテチェイサーから降りたビャクアはその後も神通力を込められて淡い光を放つ羽団扇を振るいながら悠然と闊歩する。その姿はまるで御山を怪我した不埒者を懲らしめる天狗さながらだ。
物部党員たちは白竜巻に遊ばれて、自分たち同士で何度もぶつかり合い気を失った頃にぼとぼとと地面に落ちて総崩れとなっていった。
「た、頼む! 助けてくれ! 俺は物部党とかいうのじゃない! 闇バイト感覚で遊び歩いてる女を何人か拉致って連れてきただけなんだよ! もう帰りたかったんだ! 見逃してくれよ!?」
「いえ……拉致は立派な犯罪でしょう?」
「ぶっは!?」
突然、自分の目の前にスライディング気味に土下座をして許しを乞う男をビャクアは呆れた様子で一発のデコピンをお見舞いする。
御伽装士の力で繰り出されたデコピンは遊び人のような風体の男を一回転させて昏倒させた。
そして、ビャクアは静かになった廃倉庫で本命と対峙する。
「チイイィィ! おのれ御伽装士! せっかくの夜遊びを台無しにしてくれたな!?」
ばしゃん!とひとっ飛びで女たちが揺蕩う酒桶からビャクアの眼前に降りたバケトカゲは長い尻尾を躍らせ、鱗に覆われた青く手足の長い異形で前傾姿勢に構えると牙をチラつかせて威嚇する。
「ついに化神も襲う人間を他人に世話してもらうようになりましたか? 人間の社会ではそういうのをニートやヒモと言うんですよ?」
『女ぁ! まさか、いま我を愚弄したのか?』
「さて? ご想像にお任せします」
ただの人間が浴びたら簡単に腰を抜かしてしまうであろう化神の殺気を受け流し、ビャクアは軽蔑した様子で煽りを返す。
短いやり取りで化神と御伽装士の合戦の合図は十分だと。
両者は動き出す。
『供物の前に貴様の生き血を堪能してやろう! 食らえいい!』
「ッ……ハイヤ!」
両腕を鞭のようにしならせて振るバケトカゲ。
相手の前腕から何かが飛び出したのを見たビャクアは咄嗟に羽団扇を下げて蹴りで飛来する何かを撃ち落とす。
『一息付けると思うなよぉ! キヒヒヒヒ!』
ビャクアが蹴り落した物。それは草刈り機などに用いられる丸い鋸刃だった。
軽い金属音が楽器の音色のように響く中でバケトカゲが再び先手を取ってビャクアに襲い掛かる。今度は両の前腕から飛び出した丸鋸をそのまま回転させている。
「退魔七つ道具が其の弐、裂空の快刀! やああっ!」
バケトカゲが自分の間合いに踏み込むギリギリまで溜めて召喚した二振りの快刀を居合いさながらに抜き放ってビャクアは切り返す。
戦いの流れを化神に握らせてはならないとビャクアは一刀を逆手に握り替えて果敢に攻めていく。
「お覚悟!」
『ぐおっ!? な、なんの!』
右手に持った快刀を風車のように回転させながら突撃したビャクアはそれを囮に生まれた隙を狙いすまして逆手に握る快刀を滑らせて鋭い撫で切りを浴びせる。
だが、バケトカゲも討伐されてなるものかと激しい抵抗を試みる。
左右の前腕から更に二枚の丸鋸刃を生やすと猛獣の威嚇めいた駆動音を鳴らして振り回してくる。
「ブツ切りにして真っ赤な血酒の材料にしてくれる!」
「遠慮しておきます! ハアアッ!」
無軌道に振り回されるバケトカゲの両腕。松明の火を浴び輝く刃は合わせて六枚。迂闊に触れただけで複雑な切り傷を負わされるだろう。
その悪手を避けるためにもビャクアは快刀の小回りの良さを活かして曲芸師を思わせる目で追えない程の剣捌きで切り結ぶ。
『刃の数も腕力も我の方が上だぁ! 勝負あったな御伽装士ぃ!』
「戦いは……腕だけでするものじゃないでしょう? ハァイッ!」
『ぬおっ!?』
力任せに襲い来るバケトカゲの猛攻を捌きながらビャクアは反撃の糸口を掴むため動き出す。まず一手とバケトカゲの両腕をそれぞれの快刀で打ち下ろすような斬撃を放つとその反動を利用して背後に飛ぶ。
『そう簡単に後ろを取らせると思っぐがああ!?』
「当然、背後を取るために工夫は凝らしますとも。ヤアアアアッ!!」
バケトカゲが振り向くよりも早く、一撃を仕掛けるためにビャクアは両手に快刀を握ったまま直刀の切っ先を手の代わりに逆立ちのような体勢で相手の顔面を蹴り飛ばす。
反撃の手は緩めない。
水飲み鳥の如くバケトカゲの頭部に連続蹴りを叩き込み、そのまま縦二文字の回転切りをお見舞いする。
『グガ、アアア……おのれぇ』
「一気に終わらせます!」
『そうはいくかよぉ!』
勢いよく放たれたビャクアの刺突をバケトカゲは両足の脛に生やした丸鋸刃を車輪のように高速回転させて地面に沿わせることで緊急回避を成功させる。
「なんと!?」
『キヒャハハハハ! この攻避一体のバケトカゲの動き……見切れるのかなぁ御伽装士!』
「くう……!?」
足が車輪になったも同然のバケトカゲは床どころか壁さえも高速で這い回り、縦横無尽の立体起動でビャクアを苦しめる。
そして徐々に快刀でも防ぎきれずに背中や腕を鋭利な丸鋸で斬りつけられていく。
『どうしたぁ! どうしたぁ!! 動きが鈍くなっているんじゃないか御伽装士?』
「さあ……気のせいでは?」
『では! 貴様の体に聞いてやろうぞぉ!』
「あっ……!?」
戦況有利な状態に気を良くしながらバケトカゲは廃倉庫を縦に螺旋を描くように高速移動をしながらビャクアに襲い掛かるとついに目にも止まらぬ一撃でビャクアの右腕をかち上げて、握られていた快刀を弾き飛ばした。
『まずは腕一本! もらったぞぉ!』
「退魔七つ道具が其の伍——限定顕現」
『は?』
無防備に天井へ向かって上げられたビャクアの右腕を狙ってその懐に真正面から飛び込んだバケトカゲ。しかし、自分が彼女の右腕を切り落とすよりも先にビャクアの腕に分厚く巨大な何かが纏われる。
「海砕きの無双籠手!!」
『ぶっがあ、ああああ!?』
「私の猿芝居も化神相手には存外ウケたようですね」
何の反応も出来ないままバケトカゲは頑強な鉄籠手を装備したビャクアの右腕で脳天を殴りつけられた。剛力無比な一撃はまるで隕石が直撃したような衝撃でバケトカゲに降りかかり、たまらず膝もつけずにその場に倒れ伏す。
「もう一撃いいいッ!」
『おごっばあ!?』
その好機をビャクアが逃がすはずもなく、掬い上げるような掌打でバケトカゲは路傍の小石のように上空へと殴り飛ばされた。
「いまです! 退魔七つ道具が其の漆! 韋駄天の鎧下駄!!」
ベルトの霊水晶が輝いてビャクアの両脚には朱色の天狗下駄に白い翼の装飾が組み合わさったような足鎧が装着される。
「オン・カルラ・カン・カンラ! いざ! いざ! いざッ!!」
目にも止まらぬ速さでビャクアは両手で退魔の印を結び、裂帛の気合で天井に叩きつけられてまだ落下してこないバケトカゲを追って宙へと跳ぶ。
「退魔覆滅技法——乱鴉突貫!!」
渾身の力を込めて突き放たれた名槍の如く、ビャクアは一直線に上昇してバケトカゲの腹を蹴り抜く。
通常の七体の影分身から繰り出される一糸乱れる怒涛の連続攻撃とは異なり、練り上げられた神通力を脚部に一点集中して放たれた必殺の一撃はバケトカゲの腹を起点とした半身を容易く消し飛ばす凄まじい威力を見せた。
『口、惜し、やぁああああああああ!!』
肩と頭だけになったバケトカゲは同じく辛うじて形が残っていた自分の膝から下の両足がくるくると地上に落ちていくのを見ながら断末魔の悲鳴を上げて爆散した。
「ふう……よし。これにて、落着です」
ビャクアは見事に攫われた女性たちに傷一つ付けさせずに化神と物部党なる不埒者を一網打尽にして見せた。
その後、沙夜からの連絡を受けて到着した平装士たちによりこの場にいた物部党は残らず捕縛され供物とされていた女性たちは無事に保護されることとなった。
※
事後処理も完了して、沙夜も平装士たちも撤収した無人の廃倉庫にカラン、コロンと下駄の足音が鳴った。
「嗚呼、嗚呼……見たぞ。いたぞ。沙夜さんだ。紛れもなく沙夜さんだ」
薄ら明るい夜明け前。
夜と朝との狭間にある曖昧な刻に一羽の儚いカラスがそこに立っていた。
灰色の袴姿にボロボロで色褪せた黒いチェスターコートに足元は黒い一本歯下駄という奇妙極まる出で立ちの男だ。
「すぅー……はぁー……すぅー、はぁー……んんんっ、懐かしい」
ビャクアとバケトカゲの激戦があった廃倉庫の中央まで歩いた男は満ち足りた顔で何度も深呼吸を繰り返すとゆっくりと眼を開き、感動で震えた声を呟く。
「沙夜さんの匂いだ……声こそ聴けなかったけど、ビャクアのあの鮮やかな戦い方を見れば彼女の声はいつだって俺の脳と鼓膜が思い出してくれる。だから、いまはまだ我慢だ」
男は両腕をいっぱいに広げて天を仰ぎながらくるくるとその場で回り出す。
まるで降り出した雪に目を輝かせて喜ぶ子供のように。
男が回るたびにボロのチェスターコートがひるがえってバサバサとなんだか寂しい音を立てる。この黒いコートが実は女物だなんて気付く人間は一人もいないだろう。
「それにしても物部党だって? ああ、全く反吐が出る」
無邪気に回って踊るかのような動きをしていた男はピタリと止まるといきなりその場で右足を思いっきり踏んで胸の裡に宿った憎しみを外にぶちまけた。
下駄の一本歯が冷たいコンクリートを全力で叩いた乱暴な音がいつまでも反響していた。
「俺が救う。救うんだ。もう、御守衆も御伽装士もなんにも要らない」
怒りのあまりに口元を嚙み千切っていた男から零れた血の雫が2023年の地面を濡らす。
何かの宣告のように。
何かの始まりを告げるように。
「あはあはぁ……待っていてね、俺の沙夜さん」
幾重に巻かれた包帯から覗く両目は濁ったまま爛々と輝いて、野望に燃えていた。
けれど、カラスよ――解っているのか?
どんなに時を巻き戻そうとも、どんなに過去に遡ろうとも、汝が辿った選択の末路が必ずしも覆るわけではないことを。
羽ばたく空を違えた迷い鴉よ。
混沌を招く凶鳥よ。
汝の征く空もまた嵐渦巻くことを思い知れ。