仮面ライダービャクア   作:マフ30

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ヒオウの章 其の壱

 

 

 拙は紅蓮なる者。

 拙は天翔ける者。

 

 けれど、けれど、拙は火種を持たず。

 けれど、けれど、拙は翼を持たず。

 

 焼き尽くさねばならぬ悪鬼は絶えず湧き出るというのに。

 薙ぎ払わねばならぬ暗雲は常に空を覆うというのに。

 拙の火は消えて久しく、拙の羽は遠き日にもがれたままだ。

 

 火種なる者はいずこか。

 翼なる者はいずこか。

 

「私がそうだよ」

 

 

 

 

 長野県松本市。

 国宝松本城を中心とする松本藩の旧城下町であり、雄大な自然に囲まれた風光明媚な観光地でもあるこの土地だがその裏に別の顔を持っていることを知る者は少ない。

 

 

「う……うぅ、ん」

 

 七月の熱気を孕んだ夜風が少女の意識を醒ました。

 瞼を開けたというのに暗い。

 ぼんやりとした意識の中で我が身の行動を思い出そうとする。

 放課後の学校を後にして、最近やっと慣れてきたドラッグストアのアルバイトを頑張って、それから……。

 

「え。わたし……いま、どうなって?」

 

 アルバイトを終えて、家路についたまでは覚えているがそこから先の記憶がない。

 脳の奥に針が刺さったような痛みを覚えて顔をしかめる。

 ふと、そこでいまの自分の状況のことを意識する。

 夜風。

 吹き続けていると思ったがそれは違う。

 自分が絶えず移動しているのだ。

 そして、その移動は自分の足で行われてはいない。

 誰かが、何かが自分の体を抱きかかえて動いている。

 それもすごく早いスピードで。

 

『おやぁ? 起きちまったか?』

「は……?」

 

 真っ暗だった視界に突如、無数の赤い星が瞬く。

 否! それは目玉だ。

 少女の瞳には高くそびえるビルの灯りに照らされて、この世のものとは思えぬ怪物の顔が映ったのだ。

 

「きゃああああああああ!!」

『キキッ! 良い声で鳴くじゃねえか。そそるぜぇ』

 

 自分は得体の知れない怪物に抱かれてどこかへと連れ去られている。

 この現実を理解して、少女は悲鳴を上げて恐怖で身悶える。

 

『ねぐらまで我慢する気だったが辛抱堪らんな』

「だ、誰か……! たす、け……きゃああああ!?」

 

 怪物は息を荒げて興奮しながら夜の街をビルからビルへと音もなく跳び渡り、あろうことかこの街のシンボルである松本城へと侵入。一気に天守にまで登ると少女を放り投げてしまう。

 

「ああああああああああ!? あぐっ!?」

 

 ほんの数秒、ふわりと気味の悪い浮遊感を味わって体が一気に下へと落下していく。

 死を意識して言葉にならぬ絶叫を上げる少女だったが粘性のある何かが両足に絡みつくとその落下が止まる。バンジージャンプのような反動に襲われて少女は松本城の屋根の一角に宙吊りとなってしまっていた。

 

『折角の上玉だ。眺めの良いところでたっぷりと堪能してやるよぉ! キキッ!』

 

 草木も眠る丑三つ時。

 松本城をライトアップする光が天守に這う怪物の異形をも照らす。

 短い黄色の体毛に覆われた痩躯に通常の腕とは別に背中から生えたもう一対の細長い腕。その手先は指ではなくスプレーノズルとなっているようだ。

 更に無数の小さな目玉を有する頭部をした化神バケグモである。

 

「ひいっ! やだぁ……触らないで! いやぁ! いやああああ!!」

 

 宙吊りにされたことでスカートはめくれ上がり、可愛らしいショーツに包まれた丸みを帯びた尻も含めた下半身が丸見えになった少女の全身にバケグモの四つの腕がゆっくりと愛撫するかのように絡みつく。

 硬い刷毛で撫でられるような不愉快な感覚に襲われた少女は屋外で下着が丸出しになっているという痴態を晒すことを強いられている状況に恥じらいを感じることも忘れて助けを求めて泣き喚く。

 

『五月蠅い口だ……少し黙っていろ』

「ぐむっ!? んんー!?」

 

 少女の叫びを煩わしく感じたバケグモは副腕の片方を少女の口元に近づけた。

 するとノズル状の異腕から霧状の蜘蛛の糸が噴出されてあっという間に少女の口を覆い隠してしまう。

 

『これでいい。肉を食い千切られ、腸を啜られる痛みにお前がどんな声で鳴いてくれるのか聞こえないのは残念だが……言葉にならぬ呻きだけを愛でるのも一興だ』

 

 小枝のように細く鋭い、しかし不気味なほど生温かいバケグモの指先が少女の首筋を撫でる。宙吊りのまま口呼吸を封じられ、正気を失いそうな恐怖を当てられ続けている少女は息苦しさも相まってすっかり汗だくで頬を色濃く紅潮させ、ぐったりと憔悴していた。

 

『どこから食われたい? 横腹か? この左腕か? いやいや一思いにこの右頬から顔を半分ほど齧ってから全身を少しずつ食むのも捨てがたいなあキーッキキ!!』

 

 怪物の哄笑が深夜の天守閣に響く。

 それはまるでこの世の終わりのような光景であった。

 けれど、けれど、この信州の地においても――この異形共を狩りし者たちが在るのだ。

 

「……キモ。最近の化神はセクハラもするのかよ? 存在ゴキブリ以下じゃん」

『むっ!?』

 

 天守の最上より不意に零れた第三者の声にバケグモは身構えた。

 姿形はおろか気配など微塵も感じさせず、こんな高所に至る芸当は常人には不可能。

 ならば、鯱瓦の隣に立ちこちらを見下す人影は敵対者に違いない。

 

『御伽装士!?』

「大正解。じゃあ、バイバーイ」

 

 見紛うはずがない。

 鳳を思わせる真紅の仮面と鎧を纏うその人型は間違いなく化神の宿敵である御伽装士であった。

 しかしながら、その見慣れない出で立ちにバケグモは僅かに困惑した。

 御伽装士——彼奴らの大半が武者や狩人、陰陽師などこの国に古来から存在する戦士の装束を似姿にしているはずだ。なのに目の前のこの御伽装士の姿形はそのどれにも当てはまらない。その姿はまるで大陸。それも西洋のそれに近しい。

 

『ぐおッ!?』

 

 バケグモが僅かに感じ入る間に敵対する御伽装士はその場から動くことなく攻撃を仕掛けた。真夜中の闇空に吸い込まれていく銃声。

 真紅の御伽装士の右手に握られていたのは漆黒に鮮やかな金の細工が施された拳銃。

 否、戦国時代の頃に海の向こうより伝来してきた短筒と呼ぶべき射撃武器だ。

 

「退魔道具……烈火の短筒」

 

 剥き出しの戦意とは裏腹に無駄のない正確で静かな連続射撃。

 神通力を素材に変換された弾丸が蜘蛛糸に捕らわれた少女から化神を引き離す。

 

「あれ、こいつ?」

「う……うぅ、ん」

 

 バケグモが銃撃に怯んだ隙に御伽装士は素早く少女を助け出すと重力を感じさせない軽業で地上に着地。恐怖のあまりに気を失ってしまっていた少女を静かに横に降ろす。

 

「へえ。漏らしてもおかしくない目に遭ってたのに……良い根性してんじゃん」

 

 少女の顔を見て、御伽装士はどこか親しげに軽口を叩くと彼女の額に滲む汗をそっと拭う。そして、改めてバケグモに立ち向かう。

 

「アンタさぁ、ここライブカメラ回ってるって解ってる? 厄介なところで悪さしやがって。楽に死ねると思うなよ」

『その声色……貴様も娘か!? フン! 随分と口汚いやつだな』

 

 二つの異形が幾度となく交錯してぶつかり合う。

 バケグモの副腕から噴射される蜘蛛の糸の礫や網を銃撃で相殺しつつ、御伽装士は着実に遠近から攻撃を命中させて相手の勢いを削いでいく。

 

「だったらなんだよ? クソ蜘蛛」

『ぐうう!? 存外にやるではないか小娘! 面白くなってきた……貴様の口からどんな命乞いの泣き言が聞けるか楽しみだ!』

「はぁ……なに勘違いしてんのお前?」

 

 激突を繰り返して両者は再び松本城大天守の屋根へと駆け上る。

 御伽装士の正体が女だと解り、戦意増し増しといった様子のバケグモだったが冷淡に吐き捨てられた言葉と共に発射された燃えるように熱い弾丸によって四本の腕の関節を瞬く間に撃ち抜かれる。

 

『がああっ!? うぎゃ——!?』

 

 自慢の腕の全てを満足に動かせなくなったことに動揺するバケグモだったがその事実に驚愕する間も与えられずに疾風の如く懐に飛び込んできた御伽装士によって首を掴まれて軽々と持ち上げられてしまう。

 

「何時までお前が狩る側を気取ってんだよ雑魚(ザーコ)

『あが……!?』

 

 簡単に化神の首をへし折ってしまえるであろう剛力を以て、片腕で楽にバケグモを掴み上げたまま御伽装士は耽美な声で罵り囁く。

 

「この城はこの街の人たちの大事な宝だからな。瓦一つ欠けさせないし、お前の残骸で汚しもしない。綺麗に跡形もなく、ぶっ殺してやる……よお!!」

 

 ぐるりと大きく弧を描いて、御伽装士はバケグモを天守から更に空高く放り投げる。

 

『ゲホガハ……ウゥ!?』

「一つだけ、褒めてやる。よく私に逃げずに襲ってきたよ。喧嘩ってのは格上に売ってこそ意味があるもんな。その点だけはお前は上等な化神だったよ」

 

 無我夢中で息を吸い、なんとか空中で姿勢を整えたバケグモの目に飛び込んできたのは煌々と輝く短筒の銃口を自分に狙い定めている御伽装士の姿だった。

 

「冥途の土産に覚えて逝きな。ヒオウ……それがお前を倒した御伽装士の名前だよ」

『ぐう……舐めるな! カアアッ!!』

「退魔覆滅技法——火尖弾」

 

 このまま敗死するなど認めないとバケグモは口から糸を吐いて悪あがきを試みる。しかし、御伽装士ヒオウが操る短筒から撃ち出された真っ赤に輝く一発の弾丸は放水のような糸を容易く貫いてバケグモの鳩尾に直撃した。

 

『ぐ……!? キヒッ! なんだこんなへなちょこ玉! こんなもの百発食らったとて——』

「喜べ。千発分の大火力だ♪」

『いぎ!?』

 

 撃ち込まれた弾丸は一拍の間を置いて化神の肉体深部にて起爆。

 無数の炎の杭がバケグモの体内から飛び散るように展開してその異形を灼熱で焼きながらズタズタに破裂させた。

 

Booyah(ざまみろ)♪」

 

 勝敗は決した。

 哀れな流れ星の出来損ないのようなバケグモにヒオウは清々した声で別れを告げる。

 炎に包まれながら木っ端微塵になったバケグモの残骸はその全てが地上に落下する前に燃え尽きて跡形も残らなかった。

 退魔道具を収めて、残心を終えたヒオウは静かにけれど堂々と星が輝く夜空に手を伸ばす。まるで見果てぬ夢を掴もうとする無垢な子供のように。

 

「相手がキモいのが残念な初陣だったけど、この星空は悪くない。待っていろ……私が誰よりも高みへ翔ぶ。そして必ず■■を超える」

 

 いまはまだ雛かもしれぬ凰は火炎を纏って夜を駆ける。

 

 

 

 

 七月平日のある昼下がり。

 南松本高校では放課後を知らせるチャイムが鳴り、生徒たちがぞろぞろと校舎から出ていく。連日うだるような暑さが続くが夏休みを目前に控え、やはり若人たちの活気は盛んだ。TV番組じゃ不景気で世知辛い話題ばかりが流れるけど、何だかんだで我ら若者は未来に夢も希望も見ているもんだ。毎日それなりにワクワクもドキドキも感じてる。

 

「ヤバい! 急がねえと! 担任(べーたな)こういう日に限ってHRで話長いんだよ!」

 

 かく言う俺もただいま絶賛ドキドキしている。

 念のために補足しておくが甘酸っぱいアオハル系ではない。

 そうだ。自己紹介がまだだったな。

 俺は宮野大成(みやのたいせい)。高校三年。

 そして、御守衆の平装士をやっている。

 

「よお、大成! 陸上部の部室で麻雀やるけどお前も来るかー?」

「わりぃバイトだ! 小銭貯まったらまた行くわ!」

 

 愛すべき友の誘いを止む無く断り待ち合わせ場所へと猛ダッシュだ。

 校舎の窓ガラスに猛然と走り去っていく自分の姿が映る。

 くすんだ茶髪のマッシュウルフの目付きがちょっとだけ悪そうな男子生徒がそれだ。

 先に断っておくが別に不良でも社会不適合者でもない。

 どこにでもいる健全な男子高校生だと自負している。三大欲求に忠実かつ旺盛なことも含めて。

 

「俺の方から時間指定しておいて遅刻なんて洒落にならねえ!」

 

 ちょっと話が脱線したな。

 なんで俺がこんなに慌てて昇降口を飛び出して人気の少ない駐輪場を目指しているのかと言うとなんてことはない待ち合わせに遅れそうだからだ。

 残念ながら相手は恋人なんかじゃ決してない。

 最近京都から転校してきた仕事仲間の後輩だ。

 歳も近いのと一応、普段の働きを評価してもらえたのかそいつの世話係を任されたわけだ。

 

「やっときた。パイセンおそーい」

「ゼーハー……ハァ、ハァ! サーセンデシタ!」

 

 全速力で走ったわけだが我が後輩は見かけによらず時間厳守で待ち合わせ場所に来ていたようで気怠そうな声でお叱りを賜る。

 

「ハァ……ハァ……あちぃ……フゥー……スゥー」

「うわー息荒すぎてキモいんですけど? パイセンはJKのいる空間の酸素を吸わないと生きていけない珍生物じゃなかったでしょ? 人間の尊厳捨てんなー」

「この炎天下で可愛い後輩を待たせちゃ不味いと必死こいて走った俺の健気さを返してくれ萌奈」

 

 一年坊のくせに生意気にもほどがある。

 遅刻したのは間違いなく俺だし、確かに深呼吸したらめっちゃいい匂いしたけど。

 明里萌奈(あけさともな)

 それが俺の目の前にいる女子高生の名前だ。

 ラフに崩した制服に密かに空調の術でもかけているのか文字通りの涼しい顔で汗だくで息を整えている俺を心底楽しそうに見ている。

 

「ダメですよ。私、これでもビンボー症なので自分に捧げられたものは病気以外は大切に受け取っておく主義なんです。なのでパイセンの健気もちゃんと心の隅にしまっておいてやるよ」

「せめてセンター寄りにしといてくれ」

 

 季節を忘れてしまいそうになる、透き通るような白い肌。

 背中まで伸ばした長い髪は鮮やかな唐紅で気品のある端麗な顔立ちは博学な学友曰く舶来の西洋人形の如く可憐だ。色素の薄い琥珀色の綺麗な瞳で見つめられたら並大抵の男は息を呑んで棒立ちになるだろう。

 女子高生の化粧事情には疎いが切れ長の涼しげな目元に施された赤のアイシャドウがこいつの高嶺の花感を際立たせている。

 優れた容姿に加えて六月の終わりという奇妙な時期にやって来た転校生ということでほんの少し前まで学校ではこいつの話題で持ち切りだったのを覚えている。

 萌奈がご覧の通りに生意気で毒舌で誰にも媚びず、自分を曲げない人間だと露呈してからは大半の野次馬は自ずと距離を置くか興味を失くしているようだったが。

 

「早く行きましょう。本当に脱水で倒れたら洒落になんないぜパイセン?」

「お、おう」

 

 萌奈は小さな欠伸を零しながらスタスタと歩き出す。

 思えば彼女が怠そうなのも無理はない。昨日の深夜にさっそく一仕事を済ませたばかりなんだ。

 

「遅くなっちまったがデビュー戦お疲れ。俺は立ち会えなかったが圭太さんも褒めてたぞ」

「どもー」

 

 小さく手を振り応える萌奈の首に巻かれたチョーカーの中心で揺れる緋色のお面のようなアクセサリーが陽光を浴びてキラリと輝いている。

 一般人にはちょっと珍しい装飾にしか見えないだろうが御守衆(俺たち)にとってはこれを持つ者たちにはある種の畏敬の念がある。

 三年生の俺が一年生のくせに常にこんな態度の萌奈をそこまで口やかましく咎めない理由でもある。怨面を持つ装士——その人たちが積んできた努力は並大抵のものではないと知っているからだ。

 

「プチ祝いになんか奢ってやるぞー」

「んー……じゃあこの先のコンビニで生キャラメルラテを♪ パイセン、ごちー!」

 

 俺が校舎内にある自販機を見ながら言えば萌奈は通学路の向こうを指さしていたずらっぽく微笑んだ。

 

「お高けぇ女だなー」

「安い女に思われたくないので。大丈夫、パイセンの親切はいつか倍にして返してあげるから」

 

 ああ言えばこう言うだ。

 とはいえ、俺的には萌奈のあっけらかんとした態度は変に畏まって卑屈に構えられるよりは好きな方だ。こっちも無理に神経を使わずに男友達と接しているのに近い気構えでコミュニケーションを取れてありがたい。

 そんな風に気安いやり取りをポツポツと交わしながら学校を出ようとすると運悪く校門にたむろしていた見知った顔たちと出会ってしまう。

 

「よっす。大成じゃん。もう帰るのか? どっか遊びに……」 

「待てよ、おい! 例の転校生もいる!?」

「オイオイオイオイ……どういう関係なんだぁお前ら?」

「こ、こんにちは。い、いいいい天気でございますね明里ちゃん。学校にはもう慣れ申したか?」

 

 明らかに知り合い以上な雰囲気で二人並んで歩いているのを見られてしまったこともあり、親愛なる我が友(バカ)たちはねっとりとした口調で俺に詰め寄ってくる。約一名は女慣れしなさすぎてか暑さのせいで発言が不審者予備軍だ。嘆かわしいぞ。

 

「……彼女だと言ったら?」

(×)ね」

「俺たちが受験や就活で四苦八苦しているというのに良い身分だなぁ滅びろ」

「これから諏訪大社に出向いてお前のある部位が不能になるよう祈願するのも吝かではないと言っておこう」

「くるぶし爆発して階段から転げ落ちろ」

 

 気心知れた我が親友たちながらこの心狭さには笑ってしまう。

 大好きだぜお前ら。一週間以内に全員足の小指でもタンスにぶつけて悶え苦しめ。

 この哀れなモンスターたちをどうやって言いくるめるか思案しているとしれっと俺の背中に隠れていた萌奈が動いた。

 

「こいつ、私のお気に入りなんで! しばらく独占しちゃいますねー♪」

 

 澄ました顔で答えると突然俺の手を取って堂々と立ち塞がる恋愛に飢えた野郎どもを抜き去っていく。みんながポカンとして固まっているとしゃなりと振り返り——。

 

「それと妬みが先に来るようなしょぼい野郎に興味はねえよ。男を磨いてから出直してきなって…………あと、パイセンとはただバイト先が一緒なだけなんで変な勘違いはしないように、以上」

 

 ともすれば挑発にすら思えるような強気な発言と蠱惑的な笑みを送りつける。

 

「じゃーねー♪ 努力が見れたら……そんときはたっぷり遊んでやるよ先輩方」

「「「「はい!!」」」」

 

 人が誰かに墜とされる。というのはきっとこういう瞬間なんだろうな。

 男共の野太く熱っぽい返事に見送られながら萌奈は俺の手を引いたまま優雅に下校していった。

 

「萌奈‥…」

「うん? どしたのパイセン」

「お前そんなに俺のこと大好きだったのか!?」

「男子共をあしらうための言い訳に決まってんだろう!」

 

 キシャー!と猫が威嚇するような剣幕で萌奈は俺の左右の頬っぺたを思いっきり引っ張った。痛いがそれよりもほんの数秒前まで俺の手を握っていた萌奈の手のぬくもりと柔らかさを名残惜しむ気持ちが勝った。俺もバカな野郎と言うことか。

 もうちょっとにぎにぎしておけば良かった。

 

「……まあパイセンのこと嫌いじゃねーから世話役降りるとかは言うんじゃねーぞ」

 

 正直初対面の時は常日頃こんな態度なものだからいつか泣かせてやると加虐心が燃え上がったこともなくはなかったが良くも悪くも素直な萌奈の性分は慣れれば可愛く思えるものだ。それに個人的には恋人には振り回されたい質なので俺たちはお似合いの先輩後輩だと信じたい。

 こんなことを考えていたらどうやら顔に出ていたようで青ざめた顔の萌奈に躊躇いなくキモいと言われてしまった。

 

 

 

 

 陽炎が揺れる道を萌奈のリクエスト通りにコンビニで飲み物を買いつつ歩くこと十数分。松本市の繁華街の外れも外れにある一棟の雑居ビルへと俺たちは入っていく。

 年季の入ったエレベータで上がること三階。開くべき扉には看板代わりに手製のカードがピン留めされていた【森久保探偵事務所】と。

 

「お疲れ様っす圭太さーん!」

「おつかれでーす」

 

 ドアの向こうには硬派なサスペンスドラマに出てくるようなものとは些かイメージが異なる探偵の事務所が広がっていた。

 窓辺にある大きな事務机や中央に置かれた応接用のテーブルセットこそそれらしいが壁の一面を占領する大きな本棚には資料以外にも関係のない雑誌や漫画まで入っているし、反対側の壁にはコンポはおろかギターや三味線に小さいがドラムセットまで置いてある。居心地は良いがハッキリ言って部室か大学生あたりの遊び場って感じだ。

 

「あー生き返る」

 

 エアコンは動いていないが16帖ほどの室内の空調は涼しく心地いい。

 電気代節約のために家主がわざわざ仙術を応用した室温調節の術を施しているからだ。

 歴史ある御守衆関係者が知ったら小言の一つも言うかもしれないがここの主は一般人から御守衆入りをしたタイプなので良い意味で柔軟な考えであれこれ装士の力を便利に使っている。

 

「おかえりー! ガッコー楽しかったかー?」

 

 そして、この探偵事務所の主は事務机に置かれたノートPCで競馬のレースを見ながらお気楽そうにやってきた俺たちを出迎える。

 

「まあ座れ。火急の知らせもないし、巡回行く前にお茶でも飲んでけ」

「あざーす」

 

 気さくに声をかけてくる黒を基調としたストライプのスーツと真っ赤なシャツに身を包んだこの男が森久保圭太(もりくぼけいた)。俺たちの上役にして御守衆中部支部の御伽装士の一人でもある。

 

「萌奈は着任早々よくやったな。新しい学校慣れたか?」

「仕事はあれぐらい当然。学校はまあまあです。腹ごしらえにお煎餅食べちゃっていいですか?」

 

 萌奈は圭太さんの返事を待たずにパタパタと軽い足取りで奥にある給湯室の棚を物色する。癖のある黒髪を肩まで伸ばして、凛々しいが野武士のような厳めしさもある圭太さんに対して付き合いが浅いのにこの態度を貫ける萌奈は確かにいい度胸をしている。

 本人は顔とは裏腹にちょっと軽薄なところもあるが明るく人当りも良い頼れる大人だけど、思えば俺もド新人の頃は顔が怖くて内心ビビっていたもんだ。

 

「上々だな。まあ、もうしばらくは大成について土地勘やら現場のイロハを覚えるといい」

「そうします。でも、圭太さんが暇なときは稽古つけてもらいたいかなーって感じ」

「ハハ。若い子に頼られるとオジサンやる気出しちゃうぞ? 泣くなよ?」

「泣きませんて。圭太さんこそ、たっぷり可愛がってあげますよ」

 

 バリバリと煎餅を良く咀嚼して呑み込むと萌奈は次はお前だと言わんばかりに圭太さんに向けて自信に溢れた涼しい視線を送る。こいつに怖いものはないのか。

 

「とは言え俺は術メインで自分で言うのもなんだがアングラな方だから、稽古しても経験値積めるかは分かんねえぞ」

「いやいやー予測不能な相手の想定としては最高でしょ圭太さん」

 

 謙遜する圭太さんにたまらず俺がツッコミを入れた。

 言い忘れていたが俺は代々御守衆の平装士を出してきた家の息子なので全国各地の御伽装士の知識などは意外と学んでいる。

 術を使う御伽装士は全体でみれば確かに多いとは言えないがそれでも全国各支部に必ず一人は在籍している。過去歴代の御伽装士にも術が主体で優れた実力者と評された人も何人もいる。確かゲツエイって名前の御伽装士だったか?

それに現在進行形でだって御守衆のお膝元な京都や奈良にいる御伽装士たちや仙台のユウゲンがそうだ。北海道にも術に秀でた仕様の怨面が昔はあったとかなんとか。

 

「ネタバレになると稽古の意味がねえから多くは言わねえけど、いいか萌奈」

「うん?」

「圭太さんは自分一代で怨面に本来想定されてなかった仙術の体系を作っちまった天才だ。舐めてかかると泣くどころか体中の穴から大洪水だから気ぃつけろよー」

「……………セクハラ?」

「優しい先輩からの忠告だったんだけどなあ!!」

 

 恐らく半分はからかっているんだろうけど、あからさまに白々しいリアクションの萌奈になんだか泣きたくなってくる。

 

「新生活にも慣れなきゃいかんのに色々不自由させて悪いな……実際、俺がついて指導するのが一番良いが若手のセットならいざ知らず御伽装士二人を近場で活動させるのは難しいからな……小うるさいかもしれねえが助言はマメにするからそれで勘弁してくれや」

「遠慮せず忌憚のない意見をお願いします」

 

 申し訳なさそうに苦笑する圭太さんに萌奈は煎餅を齧るのをやめると姿勢を正して静かに頭を下げる。まさかこいつにこんな誠実で敬意に富んだ振る舞いが出来るなんてと俺は驚かずにはいられなかった。

 

「萌奈、お前……熱中症とかになってないよな? 頭痛いとか大丈夫か?」

「元気に決まってるじゃん」

「だ、だよな」

「あと、圭太さんのお悩みはすぐに解消されますよ。私すぐにここから離れるつもりなんで」

 

 何を突然言い出すのかこの後輩は!?

 まさか着任して早々に御伽装士引退でもする気なのか?

 こいつの考えが全く分からずなんと声をかけていいのか俺が目を白黒していると萌奈は勇ましく立ち上がり俺や圭太さんに向かってニカっと笑う。

 

「私、総本山付きの御伽装士目指してるんで! バリバリ指導してバリバリこき使ってもらって大丈夫ですから! よろー♪」

「だっははは! 光姫が聞いたらなんの為に新人回してもらったんだよ!ってボヤくかもしれないが若者はそれぐらい活きがよくなくちゃなあ」

 

 俺は萌奈の上昇志向に圧倒されて何も言えなかった。

 いや、ハッキリとそんなスケールの大きな夢を声に出せてしまえる彼女に初めて敗北感を刻まれてショックで打ち震えてしまっていたというか。

 圭太さんの高笑いを萌奈がフンスと胸を張って得意げに受け止めていると事務所の電話が鳴る。それも普通の着信音ではなくアラートのような特別な音色で。

 

「俺です。状況は——」

 

 音もなく受話器を取って電話に出る圭太さんの反応を窺いながら、俺と萌奈はそそくさとテーブルに広げていたお茶や茶菓子を取り急ぎ片づける。

 

「萌奈! 悪いがもう一仕事ソロで頼めるか! 面倒なことに二カ所同時に現れやがった。千客万来なんて頼んでないんだがねえ」

「余裕です。場所は?」

「美鈴湖の近くだ。俺は安曇野の方に現れた化神を当たる」

 

 二人はまだ情報の伝達を行っているが構わず俺は事務所へ出ると二階にある倉庫として使っている一室へ駆け込む。萌奈たちは怨面さえ携帯していればコンビニへ行く感覚で化神討伐へ赴けるが平装士の自分は違う。

 なので物置に保管させてもらっている専用の装備一式を素早く身に着けると最後に猟師が着るような派手なオレンジ色のゆったりとしたアウターを羽織る。

 このビル丸ごと御守衆が所有しているので一般人にバレる心配もない。

 

「それじゃあ大成、萌奈を頼むぞ。気をつけてな!」

「応よ! 圭太さんも下手こいちゃダメっすよ? 今夜は萌奈の歓迎会も兼ねて焼肉屋で打ち上げだかんな!」

「調子の良いこと言いやがって……チェーン店だぞ? そんじゃ、いってくるわ!」

 

 ビルの地下にあるガレージから専用の式神ビークルを駆って走り去っていった圭太さんを見送ってから萌奈に与えられたマシンの準備をしていると任務用に着替えた萌奈もタイミングよく降りてきた。黒のマウンテンパーカーにスカートの下にはジャージでも穿いているようだ。

 

「お待たせ」

「いや、良いタイミングだ! 相棒はいつでも走れるが……運転手は間に合ってるかい?」

「そうね……一流ならお願いしようかな?」

「任せろ。後ろに乗れ」

 

 面白そうに不敵な笑みで答える萌奈に親指で後ろのシートを指して、僭越ながら今回は俺が御伽装士の御者をさせてもらう。

 正直、整備しているときから動かしてみたくて仕方なかったこの真紅の式神ビークル。噛み締めるようにシートに跨って、昂る気持ちでエンジンを始動させるとご機嫌な爆音が響き渡る。

 

「おーすごい音。爆発したりしないよね?」

「しねーよ。けど、そうだな……爆発的な走りってやつだぜ! このグレンチェイサーはよお!!」

 

 我ながらすっかりテンションがぶち上った心のままにアクセルを解き放つと前部にタイヤが二つ並列して取り付けられた唐獅子を思わせるフォルムの真紅の三輪バイクは狩りに向かう野獣のような勢いで地下ガレージから飛び出す。

 局地用にカスタマイズされたグレンチェイサーは俺と萌奈の二人を乗せて、ロケットのような力強さで雄大に佇む山の奥にある湖を目指して駆け抜けていった。

 

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