仮面ライダービャクア   作:マフ30

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第四幕 甘楽

 やあやあ、お手前さま。

 相変わらず、ご機嫌ようございますかな?

茶菓子の一つ、酒の一献でも用意できればこれ幸いなのでしょうがなんせ吾はしがないお面でございますので他愛のない世間話だけで何卒どうかご容赦を。

 さて、吾がお気に入りの住処に見定めた件の童女なのですがねえ年がら年中カビの生えた饅頭のような湿気た心意気であくせくと化け物退治を繰り返していたと思っていたのでございますが最近はどうも様子がおかしい。

 出逢った頃のように腹の底から笑うことがまた増えてきたようでして、面白おかしく眺めているのでございます。

 切っ掛けはどうやら近頃になって昵懇になってきたどこか妙な匂いのする坊主のようでして、いやはや人間の人生と言うのは何が起こるのか中々見当が付かないもので愉快ですなあ。

 

とある日の、とある町でのちょっとした出来事さ。

 なんてことのない皐月の休日の場景。たまにはこんな幕間も一興ってねえ。

 

 

 

 

 世間が五月の大型連休に賑わうそんなある日の夕暮れ刻。

 六角モータースも既に閉店となり安や杉たち平装士四人組も帰宅して静まり返った工場内で沙夜は一人で黙々と御伽装士としての鍛錬中だった。

 天上から吊るした頑丈な鎖を沙夜は古タイヤを背負った状態で両腕の力だけで綱登りしていく。 命綱は付けているが全身にかかる負荷は言うまでもない。大粒の汗を流しながら繰り返すこと十回。それを三分間の休憩を挟みながら三セット。御伽装士として並みの女子高生離れした身体能力を持っている彼女でもかなりハードな内容だ。

 

「ハッ、ハッ……よし、次ですね」

 

 しかし、沙夜はそれが終わると両腕や指が悲鳴を上げているのも何のそのと、次の鍛錬へと移る。両手首に重りを巻きつけるとサンドバックを相手に一心不乱に拳打を打ち込んでいく。夜の帳が下りた工場内に重く小気味の良い打撃音が響き続ける。

 

(先の戦い……無双籠手に私はまだまだ振り回されていた。もっと使いこなせるようにしないと)

 

 御伽装士にとって、戦いの終わりは次の戦いの始まりの合図だ。

 備えあれば憂いなしとはよく言ったもので特に生真面目な彼女は戦いの中で反省点や課題を見つければこうして欠かさず重点的に鍛錬を重ねて出来る限り未熟な自分の不足を補うように努めていた。

 

(町のみんなを守るために)

 

 腕の筋肉が悲鳴を上げている。骨も軋んでいるようだ。

 でも、ここが頑張りどころだと拳を振り抜く。

 

(みんなの平和な毎日を守るために)

 

 足捌きも意識して、機敏に動かすのを忘れない。

 踏み込みを力強く。重りに縛られていても縺れることのないように。

 

(大切な人たちを守れるように)

 

 予めセットしておいたタイマーが時間一杯になって鳴り響き、最後に沙夜は残心の意味も持たせてサンドバックを全力で殴り打ち止めとした。

 

「ハァ、ハァ……ハァ、ッ……もうひと頑張り、いきましょう」

 

 サンドバックに汗だくの全身をもたれるように預けて荒い呼吸を整える。

 艶のある黒髪もしっとりと濡れて、トレーニングウェアも絞れるぐらいに汗を吸って不快な肌触りだ。しかし、ここで呑気に小休止を入れたら夜風にも吹かれてせっかく温まっている身体が冷えてしまう。

 普通の女子高生なら夜も眠らず遊び倒しても不思議ではないGWの真っ只中に何をやっているんだろうと言う自嘲の笑みも見せながら、沙夜は仕上げとばかりに最後の鍛錬へと移る。

 

「中さんには本当にいい物を作ってもらいました。こればかりはスポーツショップじゃ売っていませんからね」

 

 そう言って沙夜は工場内の片隅にしまってある長大な金属の塊を手にした。

 それは鉄パイプと金属板を大鎌に見立ててL字型に溶接したものだ。

 これは流石に建物の中では振り回せないので沙夜は模造鎌を携えて外に出ると精神を集中させて疲れた体にいま一度力を込めると演武のような素振りを始める。2cmはある金属板が薄闇を裂いて、風を逆巻かせる。

 

「これで……お終い!」

 

 ひとしきり型や斬撃の種類をおさらいして、鍛錬の総締めと渾身の横薙ぎを決めると沙夜の周囲には一片に静寂が訪れた。呼吸を整えて、誰にでも無く一礼をすると沙夜は手早く後片付けをして母屋へと戻っていく。実のところ、彼女にとって本日本当の戦いはこれから始まるようなものなのだから。

 

 

 

 

 六角家の一部屋をお借りしている私の自室。

 いつもと変わらない飾り気のない部屋で私はかれこれ30分近く、勝ち筋?正解の見えない苦しい戦いを強いられていた。

 

「はくしゅん」

 

 寒気を感じて思わずくしゃみがでる。

 無理もない、いまの私は下着姿のままなのだから。

 姿見の向こうには黒地に桜の花びらの刺繍が入ったブラとショーツ姿の自分が思いつめた顔で映っている。

 

 五月と言ってもまだ夜は肌寒い。

 お風呂に入って身体も火照っているからしばらくはいいだろうと思っていたけど、あっという間にそのしばらく程度の時間が過ぎてしまっていたのだろう。

 そろそろパジャマを着ないと湯冷めしてしまうかもしれない。けれど、ベッドに広げた数種類の服を見るとまた自問自答が始まってしまう。

 

 明日のお出かけ、何を着ていけばいいんだろうと。

 そう、このままいくと今年のGWで唯一のプライベートな一日になるだろう彼との買い物。彼――永春くんと二人でこの間の戦いで私の血でダメにしてしまった彼のハンカチの代わりを買いにいくという名目のお出かけ。

 連休に入る前の学校で私の方からハンカチの弁償がしたいと申し出たら、最初は必要ないと断る彼とそういうわけにはいかないと食い下がる私で譲らずにいて。

 どういうわけか気付いたら一緒に街に出掛けて買いに行くことになっていた。たぶん、そう提案したのは永春くんの方だったと思う。

 

「はぁ……一人なら学校の制服でいいのになぁ」

 

 ――思わず溜息。

 我ながら現役の女子高生として由々しき言葉が無意識に出てしまい、更に気落ちしてしまう。元々、私服の数なんて悩むほど持ち合わせていないのに何を着ていけばいいのかでずっと洋服相手に睨めっこを続けている。

 

「変な格好で行って彼に迷惑かけたくないし、センスが無いって思われるのもそれはそれで嫌だなぁ」

「うぃーす! 邪魔するよぉ」

「ひゃあああ!?」

 

 あれこれ考えて、考えて――悶々と迷いながら指先が服の一つに伸びたところで部屋のドアが急に開いて光姫さんが不躾に乗り込んできた。ノックもせずに、この人は本当に。

 

「なにやってんだいアンタ? さては露出趣味への目覚め?」

「明日着ていく服をどれにするか選んでたんですよ! ノックしてくださいっていつも言ってるじゃないですか」

「アタシとアンタの仲じゃないかよ。気にすんなって大きくなれないよ? って、もう色々とデッカいかアンタは! うわっはっはっは!」

 

 反省するどころか、先輩――旦那さんの前じゃ絶対にしない居酒屋さんにいる酔ったおじさんみたいな高笑いと共に光姫さんは人のお尻をスイカでも叩くかのようにパシャリと一撫でしてきた。 今更この人の、この手の過剰なスキンシップについて狼狽えることはないけど、色んな気持ちで身体の奥から熱が戻ってくる。

 上司で、御守衆に入った頃からの保護者兼姉代わりという間柄でなかったらいつか思いっきり懲らしめてやりたいところです。万が一にも自分が大人になってもこんな風にはなるまいと心に決意する。

 

「それで何かご用ですか? わざわざ冷やかしにきたわけじゃないですよね?」

「おお、そうだった。ほれ、明日の小遣い。アンタが男友達と出歩くなんて宝くじで大当たりするぐらいレアだろうからね。美味いもんでも食べてきな……考えてみりゃ、中学の三年間も去年も稽古か化神退治で丸潰れだったんだ。一日と言わずに夜通し遊び歩いて来てもいいんだぜ?」

「……は、はあ。ありがとうございます」

 

 カラカラと陽気な笑顔でさりげなく渡された小さな封筒を遠慮しつつも受け取った。

 それから彼女は色々と気持ちの整理が付かなくて釈然としてない私にお構いなしに勝手にベッドに広げた洋服を手に取ると人のことを着せ替え人形のようにして遊びつつ、ちゃっかりコーディネートまで整えてくれた。

 自由気ままに振舞いつつ、こんな風に気遣いを見せてくれる。いつもこんなだから光姫さんはズルいと思う。

 

「そーいえばさ……あの坊や、常若って名字だったよね?」

「ええ。それがどうかしましたか」

「多分だけど、あの子の両親亡くなってるからうっかり家族の話題とかするんじゃないよってまあ、忠告さ」

 

 あまりにも突然の話題に思わず私の頭は真っ白になった。

 確かに昔ながらの下宿屋さんで一人暮らしをしているようだったけど、振り返ってみると永春くんとの会話でご家族の話が出たことはなかった気がする。

 

「沙夜はまだこの町に赴任してくる前だったから知らないだろうけど、地元じゃそこそこ大騒ぎになってね。前を走っていたトラックの積んでいた資材が業者のミスでちゃんと固定されていなくて崩れ落ちたって話でさ……ご遺体は酷い有様だったそうだよ?」

「知りませんでした。それに永春くんも学校じゃそんな素振り全くでしたし……あの、もしかして化神の仕業ということは?」

「アタシらもそう思って調べてみたけど、本当にただの不幸な交通事故のようでね。そうかい……子供なりに踏ん切りつけて受け入れたんだろうさね。噂じゃ坊やも同乗していたらしいけど、後部座席だったのが幸いだったのか奇跡的に軽傷で済んだそうだよ」

「……そうでしたか」

 

 普段学校ではにこやかにしていることが多いだけに永春くんの家庭にある痛ましい陰を知って私はすぐには言葉が出なかった。

 

「ま、この情報を活かすも殺すもアンタ次第ってこったね」

「なんですかそれ?」

「野郎ってのは何だかんだで女に甘えたい生き物なんだよ。後はほれ、わかんだろ?」

「わかりたくないです。たぶん、光姫さんの言わんとしていることは年齢指定のありそうなものだと思うので」

「あと……おめかしする気でいるなら、たまにはその前髪梳くなり、ヘアピンで留めるなりしたらどうよ? というかなんでアンタそんな前髪伸ばすようになったの?」

「いいじゃないですか。個人的な好みの問題です」

 

 流石にいくら光姫さんが相手でも他人と目を合わせるのが億劫だから伸ばし始めたとは言うのが躊躇われる。

 

「そりゃそうだ。うわっははは! そんじゃアタシは旦那(みーくん)とリモートして寝っから! 夫婦の蜜月を邪魔すんなよーおやすみ!」

 

 私には夜眠れなくなるような衝撃的な情報を巻き散らすだけ巻き散らして、光姫さんは嵐のように去って行ってしまった。明日着ていく服装も決まってしまった私はすごすごとパジャマに袖を通すと特にやることもなくなってしまったので寝る支度を早々に終わらせるとベッドに入った。

 

「……そういえば私、永春くんのこと知らないことだらけなんだ」

 

 あんなことを聞いてしまってすんなり眠れるわけもなくベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、永春くんのことを考えてしまう。

 本人は普通の男子と謙遜するけど、眩しい彼のこと。勇気があって、真心があって、ふとした時に可愛さすら見せる彼。

 でも、私はそんな彼のことをもしかしたらまるで解っていないのかもしれない。表と裏のどちらの私のことも忘れることのない彼が近くにいてくれることが嬉しくて、私は私のことを知ってもらおうとするばかりだった気がする。

 永春くんは私が尋ねれば彼自身のことを教えてくれるだろうか?

 

「……なに考えてるんだろう。高望みしすぎですよ」

 

 明日のお出かけに浮かれて身に余る欲を出している自分を嗜めて、私は静かに瞼を閉じた。眠れないにしろ、身体を休めておかないと折角の休日を台無しにしてしまう。

 答えの見えない問題を一先ず頭の隅に押し込んで気持ちを楽にするとなんてこともなく、私はあっさりと意識を手放して深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 休日の地下鉄の入り口前の周辺は朝早くから多くの人の波が出来ていた。

 天気は絶好の晴れ。日差しの割に空気はひんやりとしていて、風はやや強めかな。歩きまわるにはこれぐらいが丁度いい。

 

「これってデートになるのか? いやいやいや、そもそも友達にもなりたてだし、そういう勘違いはしないに限るでしょ」

 

 男女二人で休日に外へ出掛けるというイベントに適切な名前を付けるとしたらやはりこの三文字が連想させるけど、自分と彼女の少し数奇な関係を思い出して煩悩を振り払う。

 

「……この格好、変じゃないよな」

 

 向かいのコンビニのガラスに映った自分の姿を見つけて適当に身だしなみを再確認。着慣れた赤のチェックシャツとパーカーの組み合わせにジーンズ。絶望的にダサいことはないと思う。

 行きつけの床屋の雑誌にあったものを真似たよくある男子高校生の私服姿。もちろん値段もリーズナブル。

 

「もしかして、ボクより早く来て駅の中にいるとかはないよね?」

 

 スマホの時計を確認すると待ち合わせまでまだ十五分近くある。早過ぎず、遅過ぎずを意識したらこの時間になったけどそれでもまだ早すぎたかと思っていたら人混みの中に見覚えのあるスラリとした長身を見つけた。

 

「おはようございます。すみませんお待たせしてしまって」

「ボクもちょっと前に来たところだから気にしないでよ、も――う少しゆっくりでも良かったよ沙夜さん」

 

 ボクを見つけて彼女は小走りであっという間に目の前に。

 かつての習慣で思わず前のように呼びかけて、ふと視線の先の彼女の顔が不満げにむくれかけているのに気が付いて平静を装って言い直す。

 

「いえ、実と言うと今日がすごく待ち遠しくて……私はもっと早く出て待っていようかと思ったんですが光姫さんに重い女みたいだからやめろと止められてしまいまして」

「考えるのは一緒だね。ボクも似たようなことを言われてきたよ」

 

 二人で苦笑いを浮かべあってボクたちは早速地下鉄に乗って八駅先にある大きなショッピングモールへと向かった。

 

「沙夜さんの私服って初めて見たけど似合ってるよ。なんて言うかその、美人さんですね」

「ひゃい? そ、そうでしょうか……動きやすさで選んでいるせいでこんな服しか持っていなくて、その……ありがとうございます」

 

 微かに揺れる車両の中でまじまじと見つめる時間が出来たことで彼女の私服姿に思わず胸の鼓動が速くなってしまう。

 モダンなハトメデザインの黒のロングベストと白のブラウスにラップ風のテーパードパンツ。可愛いと言うよりも綺麗と言う感想が先に出る長身でスタイルの良い沙夜さんにとてもピッタリだ。

 相変わらず目元はきめ細かな艶髪で隠れているが照れて口元を緩ませる仕草が何とも言えないギャップになっていて男子の単純な情緒に効果抜群だ。

 今日一日が楽しくなることを願おう。

 いいや、彼女に目一杯楽しんでもらえるように頑張るのがボクに課せられた使命だ。

 

 

 

 

「お買い上げありがとうございました」

 

 女性店員さんのハイトーンな声に見送られて、ボクと沙夜さんは安くて有名な某衣料品店を出る。

 目的地の大型ショッピングモールに来て早々に仮初の目的であるハンカチを購入したボクはちらりと彼女の顔色を窺うと予想通りあまりにも早く買い物が終わってしまったことにどこか不安そうな顔をしていた。

 

「あの、永春くんこんなにあっさり買ってしまって良かったんですか? 他にも色々とありましたけど」

「前使ってたのと同じのが丁度あったからね。それよりもこうしてありがたく沙夜さんにハンカチの代えをプレゼントしてもらえて目的も終わったことだし」

「……も、もう帰りますか?」

「まさか! ここからは思う存分二人で遊ぶよ」

 

 真面目な沙夜さんは買い物が終わったので早々にお開きになると思っていたのかしゅんとした寂しげな顔をしていたけど、ボクの二言目の言葉を聞いて何時ぞやのファミレスの時のように歓喜の雷に打たれたような顔をしていた。

 

「いいのですか? 私なんかと一緒だと不自由な思いをさせてしまうかも……」

「沙夜さん……言っとくけど、ボクは今日という日を丸々一日休みにするために昨日までバイト死ぬほどやってきたんだから、ちょっと強引かもだけど付き合いしてもらうよ。というか女子と休みに遊べるとかそれだけで男子にはご褒美なんだから、もっと強気でいってみよう」

「は、はい! し、真剣遊戯というやつですね……分かりました。謹んでお相手させていただきます」

 

 最初は気後れ気味だった彼女だけどボクが多少ノリ任せで発破を掛けたらやる気になってくれたみたいだ。前髪からチラリと見える左目がやる気で燃えているようだ。

 ちょっとなに言っているのか分からない言葉もあるけどこの様子なら自然体で休みを満喫できそうなのかな?

 

「沙夜さんはどこか行きたいお店とかある?」

「恥ずかしながらここまで大きなお店は初体験でどこがなにやらと言った感じです」

「よし、それじゃあ時間もあるし気になるお店全部回っちゃおうか?」

「……お願いしますっ」

「任された。はぐれないように気を――」

 

 気合を入れて彼女をエスコートしようと意気込んだところでボクは不意にこういう時って手とか繋いだ方が良いんだろうかと不甲斐なく野暮なことで逡巡してしまった。いやでも別にそういう関係じゃないし、意識高すぎるだろう身の程を弁えろよ……等々と思いを巡らせていた時だった。

 音もなく静かに、おどおどした所作で沙夜さんの方からボクの片腕にひしっと腕を組ませてきたのだ。今度はボクに電流が走る。

 

「あの、沙夜さん? これは一体?」

「えっと、ですね。こんなにも広くて人も大勢いるとうっかりはぐれたら迷子になってしまいそうで……永春くんが嫌でなかったらくっつかせてもらっていてもいいでしょうか?」

「ボクの腕で良かったらいくらでもOKだよ。ゆっくりいくから安心してよ、沙夜さん」

 

 猫のように背中を丸めて、不安と照れ臭さで顔を紅く染めて彼女はそんなことを言ってくる。  

 ちょっとコレは反則じゃないかな?と嬉しさで叫びたくなるのを我慢してボクは出来るだけ落ち着いた声を出す。それでもちょっと上擦ったけど。

 こうしてボクはボクで心臓をバクバクさせながら、少しへっぴり腰の沙夜さんと一緒にモール内のお店巡りに繰り出すことになった。

 

「おおー……高いところから見ると本当に広いですね。何日か住めそうです」

「確かアウトドアの専門店もあったし、テントも品物で展示されていたから本当に一週間ぐらいは住めるかもね」

「すごいですね。言葉がすごいしか出てきません」

「通路の合間に椅子の置いてある休憩スペースなんかもあるから疲れたら教えてね」

「お気遣いありがとうございます。けど、そっちは大丈夫だと思います」

「え、本当?」

「はい。永春くんの腕がとても安心できるので頑張ってたくさん回りましょう」

「う、うん。そう……だね」

 

 小さく笑みを浮かべて沙夜さんはボクの腕に絡ませた腕の力をまるで全身を預けるようにちょっと強めた。具体的には言わないけどボクの右腕はきっと、いま世界で一番幸せな感触を味わっていると思う。

 前から少し思っていたけど、沙夜さんは基本的に自分のスタイルに無自覚なのは本当にちょっと罪だと思うんだ。そんなやり取りを交えながらボクたちは面白おかしくモール内を散策していった。

 

 服飾雑貨の専門店の数々を始めとして、書店や海外のアンティークショップのような変わり種のようなお店などをのんびりと見て回っているとふとモール内で営業しているゲームセンターで沙夜さんの足が止まった。

 

「ショッピングモールの中にゲームセンターが丸ごと入っているんですね」

「大概はゲームコーナーみたいなもう少しこじんまりとしたものだけど、ここはそうだね。入ってみる?」

「是非。お願いします」

 

 期待に胸を膨らませている沙夜さんを微笑ましく思いつつ、考えてみると自分も最近はこの手のゲーセンには立ち寄らなくなったことを思い出して、つられて心が躍る。

 店の中に入ると賑やかなBGMと設置された色んなゲームの筐体から流れるSEがセッションを騒々しいまでに奏でていた。

 

「沙夜さん平気? 音、かなり響いてるけど」

「はい! 最初は音圧に驚きましたけど、なるほど……これはどれも楽しそうです」

 

 感嘆の息を漏らして固まってしまった様子の彼女が気になって声を掛けてみる。流石に行き慣れていない人にはこの大音響は苦痛になるかもしれないし。すると彼女は予想外にもキラキラした笑顔を見せてきてくれた。

 

「もしかして、結構ゲーム好きなの? 意外と隠れゲーマーだったり?」

「そこまでのめり込んではいませんけど、光姫さんが買ってきたものをほどほどに一緒になって遊ぶぐらいで」

 

 遠慮がちにそう言う彼女だったけど、ボクがどれか適当にやってみたらと言うと迷わず格ゲーの筐体が並ぶエリアへ向かうとラインナップを一瞥してから、あるゲーム台に座った。

 

「キルティキラ……結構渋いのを選んだね」

「そ、そうですかっ? 光姫さんや安さんたちと遊ぶ機会が一番多いのがこれだったので」

 

 照れ笑いを見せながら彼女はサクサクとプレイするキャラを選択して(やはりというか鎖鎌使いのキャラクターだった)スタートさせる。

 最初はアーケードスティックの操作に不慣れな様子だったけど、何となく予感がしたように沙夜さんは一度コツを掴むと見た目から想像できないぐらいにゲームが上手かった。相手がCPとは言え、流れるような鮮やかなコンボを繋ぎ、きっちり必殺技でトドメを刺すと言う魅せる戦い方をしている。

 

「……沙夜さん、さてはこのゲームやり込んでるよね?」

「くす。ご想像にお任せします」

「ねえ、ちょっと対戦してもいい?」

「いいですよ。どうかお手柔らかに」

 

 彼女の意外すぎる姿を見て闘志を掻き立てられてしまったボクは彼女の筐体の対面に座るとコインを入れた。

 このゲームはよく西条の家で移植版をよく遊んでいた。多少のブランクはあるけどゲーセンの先住民として負けてあげるつもりはないと息巻いてみたけど、その……勝敗はご想像にお任せします。

 それからクレーンゲームに挑戦して二人仲良く惨敗したりなんかして沙夜さんは人生初のゲーセンを楽しんでくれたようだった。余談だけど、流石にプリクラには挑めなかったよ。

 

 

 

 

 ゲーセンを後にしてモール内のお洒落なカフェレストランで昼食を済ますことになったボクたちだったけど、道中で少し気になる物を見つけたボクは少し追加の寄り道をさせてもらってからお客さんで盛況な賑わいを見せる店内のテーブルの一つでSNSで美味しいと話題のミラノサンドを注文した。

 

「永春くん、さっきは本屋さんで何を買っていたんですか? 品物は受け取ってないみたいですけど」

「絵本のセットをね、来週に甥っ子の誕生日だから発送サービスで頼んできたんだよ。ごめんね、お昼少し遅くなっちゃって。直接だと兄ちゃんが高校生のくせに変な気を使うなって受け取らないからちょっと強引にだけどね」

「……お兄さんはお元気なんですね」

 

 兄ちゃんの話題を出したところ沙夜さんが何となく動揺したのが見て取れた。多分だけど、どこからかボクの家族のことを聞いたんだろうなと思った。別に隠しているつもりもなかったし、西条や井上、巴さんも知っていることだから詮索するつもりはないけどそれで気持ちに暗い陰を落としてもらいたくないのでボクは笑顔多めで言葉を繋ぐことにした。

 

「中学の時に両親亡くしてさ、しんどい時に兄ちゃんに随分と助けてもらったから弟としては背伸びしてでも何かしてあげたくてさ。もう引きずったりとかはしてないから沙夜さんも気にないでよ」

「……やっぱり、永春くんは強い人ですね。その、戦う術がどうとか、というわけじゃなくて、しっかり者さんです。私よりもずっと」

 

 沙夜さんの声はすごく優しかった。気を遣うとか、腫れものに触れてしまわないようにする遠慮みたいなものじゃなくて、険しい山道を隣でさり気なく一緒に歩いてくれている様な自然に寄り添ってくれるような優しい声だった。

 

「大変な目にも遭ったけど、その分ボクは周りの人に恵まれていたから。いま住まわせてもらっている下宿も今時考えられないぐらいアットホームと言うかさ」

 

 一緒に頼んだカフェオレを一口飲んで喉を湿らせてからボクはとても出会いに恵まれていると思ういまの生活を思う。

 

「朝起きて。一緒にご飯を食べる相手がいて、毎日ただいまって言う相手もおかえりなさいって言ってくれる人もいるんだ。十分過ぎるよ……それにこうして沙夜さんとも知り合えて友達にもなれたしね」

「いえ、私なんて別に……」

「ボクにとっては命の恩人みたいなものなんだから、そこはもっと胸を張って欲しいな」

「……私はまだまだ、ですので。けど、ありがとうございます」

 

 ボクの言葉に沙夜さんは恐縮してか少し震えた小さな声で答えた。けど、前髪の一房をぎこちなく弄って、露わになった左の綺麗な紫瞳で真っ直ぐにボクを見てくれていた。それだけで身体が熱くなるぐらい無性に嬉しく思えた。

 少し、ボクのことを話し過ぎてしまったかもしれない。あまり楽しい話じゃないと思うから退屈させていないといいんだけど。

 

「ところでこの後どうしよう? モールの中のお店はまだ見ていないところ結構あるけど、残りは食品売り場とか薬局だったり、かなり家庭的なのばかりなんだけど」

「あの、永春くん……窓の外から見えるアレってなんでしょう?」

「え……ああ、アレか。食後の運動にちょっと行ってみる? 意外と楽しいかもしれないよ」

 

 昼食を終えて、午後の予定を相談しようとした時だった。

 沙夜さんは外にある何かを不思議そうに見つめて、ボクに聞いてきた。成程、特殊な環境で生活していたとか関係なく部活もしていない女子にはあそこは珍しいかもしれないと思い、ボクは彼女をそこへと連れて行ってみることにした。

 

 

 

 

 ショッピングモールのすぐそばで営業しているバッティングセンターはGW中ということもあって盛況だったけど、幸いにもすぐにレーンに案内してもらえた。ファミレスや大型商業施設以上に縁遠い場所に沙夜さんは好奇の目で周りをキョロキョロと見渡している。

 

「ここは野球の修練場のようなところですか?」

「半分ぐらいは正解かな。ボールを思いっきり打つと案外気持ち良くてさ! ゲーセンにあったパンチングマシーンとかそういう系列の遊びだよね」

「なるほど……」

「とりあえず、打ってみるから見ててよ」

 

 簡単にバッティングセンターの概要を説明してみたけど、沙夜さんはまだあまりぱっとしていない様子だった。因みに野球の知識を聞いたところベースを一周回ったら1点入るのは知っているぐらいのレベルだったので格ゲーとは違って正真正銘のビギナーさんだ。

 

「なんて言ってみたけど、ボクも来るの久しぶりだからな。こんなもんで、よし!」

 

 ピッチングマシンを初心者向けに設定するとバッターボックスに立つ。

 これで空振りは恥ずかしいから、ここは何としてでもバットに当てたいところだ。

 液晶画面にピッチャーが投げるモーションが映し出されて球が撃ち出される。

 

「……シャッ!」

「おぉー、お見事です!!」

 

 軽やかな金属音が響いて球は無事に大きな弧を描いてネットへと飛んで行った。この感じだろうと2ベースヒットはいけただろうか? そして、少し離れたところで見学していた沙夜さんからの歓声も聞こえてくる。

 

「お上手ですね永春くん! 野球やられていたんですか?」

「兄ちゃんがやってた流れでちょっとだけね。あとはまあ友達と遊び程度に。部活自体はすぐにバスケに鞍替えしたけど」

「そうだったんですか。でもとてもそうは見えない体捌きでしたよ」

「ありがと。とりあえず流れはこんな感じかな? 球種はストレートで遅めに変えておいたから、沙夜さんもやってごらんよ」

「は、はい! やってやります!!」

「あはは……そんなに気負わなくていいからね」

 

 まるでこれから化神退治とばかりに気合を燃やしてバットを携える彼女をリラックスさせながらボクはネットを挟んで彼女のすぐ後ろで見守ることにした。

 初めての体験だから無理はないけどヘルメットを被り慣れてない感じもまた初々しくて可愛いと思ってしまう。

 さて、お手並み拝見と言ったところだけど、御伽装士としてあんなに動ける彼女のことだから内心奇跡を期待しているボクがいた。

 

「――やぁあああ!!」

 

 マシンから白球が投げられるとグラウンドには彼女の勇ましい声が響いた。

 隣で打っていた家族連れなんかは沙夜さんの見た目からは想像も出来ない気迫にビクッと総立ちで驚いている。けど、ボールは後ろのネットを揺らし、沙夜さんは盛大に空振りしてしまっていた。

 

「ドンマイ沙夜さん。初めてなんだからしょうがないよ……落ち着いて、まずはバットを当てることを意識してみて」

「やってみます!」

 

 ボクのアドバイスに強く頷いて構える彼女だったけど、その後も残念ながら空振りを連発。あっという間に三振の初体験を迎えてしまった。三球目なんて力が入りすぎて空振りした後にちょっとふらついてしまっていた。

 隣のレーンのちびっ子兄弟に見かけ倒しと舐められて軽く野次を飛ばされてしまう有様だ。真一文字に唇を結んだ険しい様子でジッとバットを見つめている様子は鬼気迫るものを感じてしまう。

 

「沙夜さんそんなに思い詰めないでいいからね。スローボールって子供でも打てる球種に変えてあげるからちょっと待って」

「むう……いえ、このままで。こうなったら私も奥の手を使います」

「え?」

「ちょっと預かっていて下さい」

 

 前半をせっかく楽しく過ごせたのに、このままだと台無しになってしまうと思って設定を変えようとすると氷のように冷たく静かな声色で沙夜さんが待ったをかけた。

 ロングベストを脱いで、ブラウスの腕をまくり明らかに本気の顔になった沙夜さんは金属バットをグルグルと振り回して手に馴染ませるとバントかバスターを狙うような不思議な持ち方で構えた。

 それは間違いなく、ビャクアとして大鎌を振るう時の構えのそれだった。もしかして、沙夜さんって結構負けず嫌いなのかな。

 

「いざ。いざ。いざ……!」

 

 小声だったけど、確かにその言葉をボクは聞いた。

 あまりの気迫にボクの血の気が少し引いたのと同時に投げ出された白球は真っ二つになっていないのが不思議なぐらいの勢いで一薙ぎされて見事に打ち返されていた。

 

「やったよ沙夜さん!ナイスヒット!!」

「……っ」

「あ、あれ?」

 

 ボクだけじゃなくて、隣のご一家も割れんばかりの歓声を送るが何故か彼女はガックリと肩を落として、俯いたままフラフラとボクのところに近付いてきた。なにやら困り果てた様子に見える。

 

「ど、どうしたの?」

「……あのぅ、ちゃんとした打ち方を教えてもらってもいいですか? いまのは試合に勝って勝負に負けたような、いくらなんでもズルをしたような気がして」

「あ、そういう。いいよ、かしこまです」

 

 打てない悔しさについムキになり御伽装士としての技を使ってしまったことに彼女はかなり自己嫌悪を感じてしまっていたようで、今にも泣き出しそうな狼狽した声でぼそりとボクにお願いしてきた。沙夜さんのこういう真摯なところすごく好きです。

 

「じゃあ、構えてみて……うん、そう。肩の力は抜く感じで」

「えっと、こうですか?」

「そうそう。で、もう少しアゴを引いて……脇を軽くしめる感じかな? 両手で刀握る感じ」

「あ、その例えはイメージしやすくて助かります」

 

 というわけでバッターボックスに二人で立ってボクは文字通り手取り足取りで沙夜さんに基礎の基礎から打ち方を教えているわけだけど、うん……いまのボクと彼女、すごく密着している。なんか当たり前みたいに彼女の体や手とか触っちゃっているし、どうしよう――ボクの鋼の自制心はあっさりとアルミ並みの耐久度にダダ下がりしていると思う。

 

「……これはぁ、やばいって」

「え? 何か間違ってますか!?」

「いぇえっ! いい感じだよ! うん。うん、いい感じ」

 

 服越しとはいえ彼女の体温とかすごく間近で伝わるし、一番ドキドキさせられるのが視線だ。ボクと沙夜さんの身長差は2、3cmぐらいしかないからこんなにも近距離で視線が合うとあの水晶みたいに澄んだ隠れた瞳に吸い込まれるような錯覚を感じてしまう。

 こうして、どうにかこうにか思春期の気まぐれで突発的な煩悩との戦いも並行しながら、バッティングの基礎を彼女に伝授したボクはドッと体力を削りながら後退すると彼女の再挑戦を見守ることにした。

 

「沙夜さんファイトー!」

「はい! いきます!」

 

 そういって構える彼女の姿勢は最初の頃より見違えるぐらいずっと良くなっている。そして、運命の一球が投げ込まれると次の瞬間には気持ちのいい金属音が響いてネットの高い位置が大きく揺れた。

 

「やったぁ……打てましたよ永春くん!!」

「おめでとう沙夜さーん!!」

 

 初めてちゃんとボールを打てたことに沙夜さんは無邪気に飛び跳ねて喜んでいた。

 ネットに負けないぐらいに彼女も揺れる。そう、色々と奔放に大きく揺れていた。

 やったぜニュートン!じゃなくて、ごめんなさい。

 どうもボクの残念な思考回路はまだ冷却が終わっていないようだ。紳士に、紳士にいかなきゃ。

 

 それから一度コツを掴んだ沙夜さんは持ち前のポテンシャルの高さを遺憾なく発揮してホームラン級のヒットを連発して、ボクも一緒になり初めてのバッティングセンターをとても満喫してもらえたようだった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので帰りの地下鉄に乗り込んでいた頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。

 朝の時は正直なところ彼女に喜んでもらえるか、素直に楽しんでもらえるのか不安もあったけどこうして一日が終わってみると沙夜さんの笑顔を沢山見せてもらった一日だった。それからボクも彼女のお陰でたくさん笑えた。

 

 

 

 

「今日はありがとうございました。永春くんのおかげで素敵なお休みを過ごせました」

「ボクの方こそ、最高のGWだったよ。果報者すぎてこわいぐらい」

 

 地下鉄を降りてボクたちはギリギリまで同じ帰路を使って、別れることになった。

 何度も嬉しさを噛みしめながらお辞儀する彼女の腕にはホームラン連発の得点で手に入れた青いドラゴンのマスコットぬいぐるみが抱えられている。

 

「今日だけじゃなくて、いつもお世話になってばかりで……永春くんと出会えて本当に嬉しく思っています」

「そ、そんなに言われると恐縮過ぎちゃうよ」

「本当ですよ。御伽装士になってから、こういう人並みの休日は諦めというか見切りのような物をつけていたんですよ。でも、永春くんがこうしてまた楽しい思い出を私にプレゼントしてくれました」

 

 少し言葉に詰まりながら彼女はそんな感謝の気持ちを教えてくれた。

 ボク自身はそこまで大したことをしたつもりはなかったし、ボクの方こそ楽しい時間を過ごさせてもらったこともあって畏れ多いぐらいなのに。

 

「だから私、もっともっと頑張ります。表も裏も、どっちの私も」

「きっと出来るよ。ボクも手伝う……足引っ張らない程度にだけど」

「いえ、そんな。むしろ私の方こそご迷惑でないのなら……私のことを――」

 

 そう言いかけて、沙夜さんは黙ってしまった。

 代わりにさっと彼女の頬が赤くなって、言葉にならない声を漏らしたと思うとブンブント首を振り出す。

 

「あの、どうかしたの?」

「なんでもないです! 最後のは気にしないで下さい! で、では今日のところはこれで! おやすみなさい!!」

 

 少し取り乱しながら、沙夜さんは真面目に別れの挨拶を深いお辞儀と共に済ませると今日一日の疲れをまるで感じさせない軽やかな足取りであっという間に見えなくなってしまった。

 

「おやすみなさい、沙夜さん」

 

 もう彼女の耳には届かないと思いながらボクもその言葉を返すと下宿に向かって足を進めていく。今日は本当に楽しかった。色んな意味で心臓に悪い思いもしたけど、それも含めてとても大切な彼女との思い出だ。

 

「でも、久しぶりに家族のことを話したな」

 

 そんな中で一つだけ、喉に魚の骨が引っ掛かったような気持ちになることが本当に一つだけ。いまは亡き家族のこと、両親のこと――あの日の記憶が鮮明に蘇ってしまう。

 悲しみは乗り越えたと思っていた。驚愕も耐え抜いたと思っていた。だけど、いまでもたまに思う。あの日ボクの身に起きた全ての事柄は呆気ないほどに唐突で衝撃的でまだ悲しみも驚きも本当の意味で感じ切れていないのではないかと。

 

「沙夜さんには……沙夜さんにだけはいつかちゃんと話さないとだよな」

 

 一つだけ。本当に一つだけ、この世で誰にも話していない秘密を命の恩人に等しい彼女にだけは伝えなければいけないと強く心に誓う。そうしてボクはまた暗い夜道を今日という最高の日の思い出を反芻しながら歩いていく。

 

 

 

 

 永春と別れた沙夜はあるところを境に突然走り出すと人気のない廃工場へと向かい、そこで足を止めた。

 

「出てきたらどうですか? ずっと前からこちらも気配は察知しています」

『ほお……鼻が利くようだな。その様子だと腕にも覚えがあるのかな?』

 

 沙夜の冷たい呟きに応えるように倉庫の屋根の上に黒い靄が発生するとやがて人型の異形へと変貌していく。それはカマキリの面影を持つ化神バケトウロウであった。

 緑の巨躯にその腕は四本。通常の鎌腕とは別にショベルカーのアームのような機械腕まで生えている。

 

『俺と戦え、御伽装士』

「……最初から私狙いということですか?」

『そうだ。そも、お前たちの影に怯えながら願望を果たそうとする連中の方が腑抜けていると思わないか? 怨敵を平らげた後に人の世もその命も蹂躙すれば気兼ねないというものだ』

 

 武人か刺客のように静かに淡々と、しかし残虐な異形の性を隠そうともせずにバケトウロウは沙夜を挑発した。そんな相手に彼女は無言でブレスレットから待機状態の怨面を取り外す。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ……白鴉の怨面よ、お目覚めよ」

 

 凛とした声に呼応して、白い面が大きくなる。

 心を強く律した沙夜が怨面を顔に纏うと服の下の白い肌に真紅の蛇紋様が浮き出て、神通力と苦痛を伴う怨念無念が注ぎ込まれていく。

 

「クゥ、ッァアア、ア……――変身!」

 

 負の情念も痛みも自らを苛む呪詛も悉く噛み殺して、叫ぶと闇夜に白い風が吹き彼女は超人へと変わる。

 

「我が名はビャクア! いざ、お覚悟を!」

『先手必勝だ。冥く愛しき暗天舞台よ、我が客を誘え――!!』

 

 雲薙ぎの大鎌を召喚して身構えたビャクアにバケトウロウはいきなり全身から黒い靄を大量に噴き出すとあの太陽亡き赤い空に覆われた異空間へと怨敵を引きずり込んだ。

 

「いきなりですか」

『卑怯とは言うまいな? お前を確実に仕留めるためにはあらゆる手を打つ。いくぞ!』

「望むところです。ヤァアアアア――!!」

 

 初手から相手の有利な空間へと連れてこられ不利な状況の中でもいまのビャクアは微塵も動じる気配もなく勇壮に大鎌を振り上げて化神を迎え撃った。

 バケトウロウの鎌腕と巨大な凶器染みた機械腕を相手にビャクアの操る大鎌は命を吹き込まれたような流麗な動きで激しい切り結びを演じる。

 

『ほお! 素晴らしいな、巨大な得物で俺の四つ腕によくもまあ食らいついていく!』

「腕だけでなく、口も回る化神ですね。熟練気取りで本性は自慢したがりですか?」

『……ほざいたな小むす、めぇッ!?』

 

 息つく暇もないバケトウロウの猛攻撃にあわや防戦一方と思われたビャクアだったが饒舌な化神の言葉を淡白に切り捨てると目にも止らぬ巧みな鎌使いで曲刃を煌めかせる。

 するとバケトウロウの自慢の鎌腕と機械腕のそれぞれ一本ずつがあっという間に輪切りとなってすっ飛んだ。

 

『まさかこれほどとは……油断したぞ!』

「だと思います。自分でも驚くぐらいに今日の私は調子が良いので」

 

 悪寒が走るほどの見事な剣閃にバケトウロウが戦慄していると当のビャクア自身も自らの好調さに戸惑いに近い驚きを感じていた。

 体が羽根のように軽く、血肉は熱く燃えているのに思考は常に涼風に吹かれたように清廉と落ち着いていられる。負ける気がしないと確信が持てた。

 

『自惚れるなよ……そういう驕りが死を招くと言うのだ!!』

「残念ですが私は驕るほど自分が達者だなんて思っていないので」

 

 バケトウロウはあまりにも泰然自若としたビャクアの佇まいに激昂すると敵ながら見事と言える隙のない動きで襲い掛かる。だが、この日のビャクアの心技体は尋常ではないぐらい研ぎ澄まされていた。

 

「退魔七つ道具が其の伍、海砕きの無双籠手!!」

『ぐうぅう……なんとおお!!』

 

 敵の武器腕が我が身に触れる紙一重で巨大籠手を召喚装備したビャクアは防御と崩しを同時に行いガラ空きになったバケトウロウの腹に強烈な拳打を叩き込む。

 

「い・く・ぞ・おおおおお!!」

『ちぇやあああああ!!』

 

 鍛錬の賜物か前よりも格段に速く柔軟な動きをするようになった真紅の鉄の指を持つ籠手と奇怪な武器腕が激突する。腕と腕との熾烈なぶつかり合いはやがてビャクアの勢いをバケトウロウが凌ぎ切れなくなり、緑の異形は容赦なく滅多打ちに殴り潰されていく。

 

『ふざけるな! ふざけるなよ!! 躯を得てから俺は身を隠し、穢れを啜り溜めこんで他の連中よりもずっと強大な力を手に入れて御伽装士を屠る算段だったのが……それが!!』

「思った以上に用意周到だったんですね。されど化神よ、貴様は大きな見逃しをしています」

 

 思い通りにならない現実に我慢ならず怒るバケトウロウを鍛えに鍛えて無双籠手を使いこなすまでに至れたビャクアが着実に攻撃を浴びせて追い込んでいく。

 

「私たちだって、日々強くなっていく。人はお前たちなんかよりももっと大きく成長できる生き物です」

『ここにきて児戯のような真似を……馬鹿め――ッ!?』

 

 隠していた大きな翅で低空飛行して間合いの外に逃れたバケトウロウをビャクアは逃がしはしないと右の籠手をミサイルのように発射して追撃を掛ける。

 だが、そこは敵も上手く切り払って対処したと思われたが次の瞬間に視界に飛び込んできた光景に絶句した。

 

「だぁああああああ!!」

『うぶぉあああ!?』

 

 バケトウロウが籠手を弾くとそこには間髪入れずに眼前に迫るビャクアがいたのだ。彼女は籠手をロケットパンチよろしく撃ち出したのと同時に全力でその後ろを追って駆け出して隙のない波状攻撃を決めていたのだ。

 

「いざ! いざ! いざ――!!」

 

 顔面をぐしゃりと凹ませたバケトウロウにビャクアは一気に畳みかけていく。

 大きな鉄指で退魔の印を結ぶと開いた掌を相手に向ける。すると神通力が変換された激しい白い竜巻が吹き荒れてバケトウロウを空中へと飛ばし、そのまま球体の風の牢獄へと変わると動きを拘束してしまった。

 

「捕らえろ! 風縛牢!」

『これは面妖な! う、動けん!?』

「退魔覆滅技法! 嵐壊拳――ハイヤアアアアア!!」

 

 神通力を纏わせ赤く輝く大鉄腕を振りかぶりビャクアは空に封じたバケトウロウへと一直線に駆けると思いっきり飛び上がった。そして、全身全霊の拳を一切の迷い無くぶち込んだ。

 

『ぬぅああああああ!! み、見事――!!』

 

 巨大な鋼の拳に押し潰されながらバケトウロウは文字通りに歯が立たず、鎧袖一触とばかりに自らを蹴散らしたビャクアを称えながら爆発霧散した。

 

「これにて、落着……です!」

 

 戦いに勝利したビャクアは赤い空が砕けて、月が綺麗な夜空の下で呆れるほど強く在れた自分とその原因に気付いて、噛み締めるように勝利の残心を取った。

 

 

 

 

「お待たせしました。暗天に呑まれたので無くしてしまわないか不安でしたけど、無事でよかった」

 

 戦いを終えて、私は返事が返ってくるわけでもないのに昼間にもらったぬいぐるみを抱き上げて語りかける。らしくないことをしていると思ったけど、このコは大切な思い出の形ですし、たまにはいいだろう。

 

「今日の私、どうしたんだろう……なんて、たぶんそうですよね」

 

 必死で戦った。

 それは変わらない。いつもの戦いと何も変わらず、常にその時の全力を尽くして戦う。

 だけど、今日の自分はちょっとだけ褒めても良いと思えるぐらいに上手く戦えて、強くなっていると自覚があった。その理由――とぼけてみたけど、一つしかない。

 

「……永春くん」

 

 彼の名前を声にするだけで胸の奥がじんわりと温かくなる。

 優しい熱っぽさ。だけど、体の芯から焼け焦げてしまうような熱さでもあって不思議な気持ちになる。

 

 私に色んなものを授けてくれる眩しい彼。

 勇気があって、私なんかよりずっと強い普通の男の子。

 普通の高校生らしい生活、そんな私が一度はあきらめて捨て置いた物を拾い上げて届けてくれた優しい彼。

 

 断言できる永春くんという絶対に守りたい誰かが出来たことで今日の自分は昨日よりもずっとずっと強く在れた。日々の鍛錬が実を結んだということもあるけどそれよりもずっと彼の存在は私にとって力と言う火焔を激しく燃え上がらせる薪になっていた。

 

「今度はクレーンゲームも勝ちたいですね。次こそ景品ゲットです。君も一人じゃ寂しいでしょうし」

 

 大事に抱きしめたぬいぐるみに話しかけて、昼間のキラキラした思い出を何度も何度も思い返して、口元だらしなく緩んでしまう。題名のない鼻歌を浮かれて奏でている自分がいた。

 

「また一緒に行ってくれるでしょうか、永春くん」

 

 ふと、脳裏に自力でクレーンゲームで景品を取っても良いけど叶うなら彼からプレゼントされないかと欲深で卑しい気持ちが芽生えてしまう。それぐらい今日と言う一日が楽しかった。楽しくて、楽しくて……やっぱり楽しいしか気持ちが出てこない。

 

「そういえば……私ったら少し永春くんにくっつきすぎたでしょうか? はしたないと思われていないといいですけど」

 

 ああ、いけない。

 自分の行動を振り返ったら急に恥ずかしさで変な汗が出てきてしまう。

 そういう関係でもないのに、図々しくてふしだらなことを沢山してしまっていたのかもしれない。ショッピングモールでも、バッティングセンターでも。

 そういう関係ってなんだ?

 

「あたたかくて、ちょっと固い手だったな。男の子の手ってみんな、あんな風なのかな?」

 

 彼の方から触れてくれた感触と体温を反芻して、一人しかいない夜の中で気兼ねなく私は顔を綻ばせる。微笑むというより、にやけていると言った方が正解かもしれない。

 

「……いつも私を見ていてほしい。だなんて、畏れ多くて言えません。言っちゃいけませんよね」

 

 別れ際に言い切れなかった言葉を振り返って、ここまできて私はまた何時ものように自虐気味に嘲笑した。身の程知らずの浅ましい自分へと戒めの意味も込めて嘲るように笑った。

 

「どっちの自分が仮初の自分なのか、見失うようなことは絶対にしないと……守れるものも守れないでしょ」

 

 蕩けてふやけた心に冷水を浴びせるように強く言い聞かせて、沙夜は笑顔を消す。

 御伽装士としての心を研ぎ直して、彼女は変わらず今日も夜を駆ける。

 悪辣な化神を狩る退魔の刃である自分こそが表の私だと自分に刻印を押すように。

 

「永春くん……貴方がいるから、きっと私は強くいられる。ありがとう」

 

 永春と一緒にいるときの無限に湧き出る泉のようなときめきも。

 身を焼き尽くしてしまうような心地の良い熱も。

 怨念無念の呪いよりも強く激しく沙夜を突き動かして、大きな力を授けてくれる初めて生まれた不思議な感情。

 

 その気持ちの名前を彼女はまだ知らない。

 

 

 

 

 その頃、御守衆・中部支部頭目である光姫の元には京都の本部から信じ難い報せが飛び込んで来ていた。

 

「本当に確かなんですよね、それは? 由々しき事態じゃないですか……御伽装士の殉職者が一名、それに怨面が破壊でなくて紛失っていうのは!?」

 

 スマホを強く握り締めて、光姫は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 本部からの緊急速報。それは東北地方にて化神退治を行っていたとある御伽装士の死亡と故人が担っていた猿羅の怨面の行方が不明という驚愕の情報だった。

 化神との戦いにおける戦死ならば辛いことだがある意味で定めである。だが、怨面の行方が分からないと言うのは前代未聞の出来事だった。

 

「分かりました。大きな混乱を招かないよう配慮しつつ、所属の装士たちには事件の旨を伝えて警戒を強化させるようにします」

 

 通話を切った光姫は乱暴に頭をかきながら夜空に浮かぶ月を眺めた。

 

「難儀なことにならないといいんだけどねえ」

 

 事件が起きたのはここから遠く離れた東北の地だ。長い歴史の中で曰くつきの厄介な土地も多くある都合上、かの地に配属された御伽装士・平装士共に名家や精鋭も揃っているからこちらから特別に支援を行うと言うことは今すぐにはないだろうと予測するが消えた怨面という不可解な事態が彼女に嫌な胸騒ぎを覚えさせていた。

 

 

 

 

 

 

 遡ること数時間前。

 黄昏時の夕闇の中でその男は不気味に嗤っていた。

 

「なるほど……これが怨面! 触れただけで感じる威圧感! なんともまぁ度し難い存在がったと言うものだ。くっひゃっはははは!!」

 

 白く痩せ細った幽鬼のような男は質素な黒い和装を纏い血に濡れた猿羅の怨面を愛おしそうに手にしていた。その傍らには御伽装士であった男の亡骸。胴体と喉笛に狂ったように刃物で刺した傷跡が無数に付けられている。

 それらは全てこの嗤う男が化神に襲われた無辜な市民を装って近付き、騙し打ちで負わせた傷だった。

 

「いますぐにでもこの魔道具を隅々まで検めたいところですが御守衆とやらは中々の組織と見ました。ここは一つ、雲隠れして遠くへと落ち延びるのを優先としましょう」

 

 嗤う男は亡骸を不遜にも跨いで深い森の奥へと消えていった。

 いつまでも耳にこべりつくような不快な笑い声を残して。

 

「くっひゃっははははは! さあ! 救世の日は近いですぞ! 小生はその足掛かりを手にしたのだから!!」

 

 奥底の知れない脅威が音無しの侵攻を始めたことをまだ誰も知らない。

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。
ご意見・ご感想頂けますと執筆の励みとなりますのでよろしくお願いします。

物語も折り返し、大きな事件が動き始めます。
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