仮面ライダービャクア   作:マフ30

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こちらではお久しぶりです。
作者の諸事情で予定がかなり遅れてしまいましたがどうにか更新できました。
色々と思いついたアイデアを盛り込んでいるうちに冗長な文章が更に長くなってしまいましたので気長にお読みいただければ幸いです(汗)


第六幕 いえない傷

 

 

 とても静かな夜だった。

 躯を得たことで更にどんな悪業を成そうかと昂る数分前の己の心とは裏腹に無風の雪原のように静かな夜だった。

 

『ハァ……ゼェ……ヤツはどこだ? まだ……いるのかッ?』

 

 音無しの夜を乱して狗の姿をした我は息を切らして走る。

 この身は負の情念が凝り固まって形を成した身だ。

 野に住まう獣のように本物の臓器があるわけではないと識っていながら、肺が裂けるほどに懸命に走る。恐ろしき死神から逃げるために。

 

『死んでたまるか! ようやく得たこの躯で我はまだこれっぽっちも悪行を成していない。欠片ほどもこの世を乱していないんだ!』

 

 先に受けた幾つもの裂傷から黒い血を零しながら、暗い林を逃げ続ける。

 この牙はまだ人の肉の味を知らない。

 この爪はまだ人の血の温かさを知らない。

 

『間抜けな人間の腹の一つも裂かねば……化神として生まれた意味が――』

「人にとって無害に死ぬために意味があるのでしょう? 貴様たち化神なんてものは……!!」

 

 白銀の三日月が目の前に降って来たと錯覚した時にはもう手遅れだった。

 雑草を薙ぐかのような気安さで我が左腕は両断され、両脚は細切れに切り裂かれていた。

 

『ひぃいいいあああああああ!?!?』

 

 気高い遠吠えにはほど遠い苦痛に喘ぐ悲鳴が自分の口から飛び出していた。

 目の前にはあいつがいた。

 白い天狗を思わせる鎧を纏い、大鎌を担いだ化神(われら)の怨敵が双眸を禍々しく光らせてそこにいた。

 

「殺す前に……聞きたいことがあります。虎と蛇と鏡、あと狸の化神を率いた怪しげな人間の居場所を知りませんか?」

 

 嗚呼……吐き気がする。

 あの御伽装士の白い鎧に迸る、血のような赤い蛇紋様はなんだ?

 奴が近付くだけで我が肉が焼けるようではないか。

 化神は知らない。

目の前の御伽装士が危うい手段で怨面の力を限界まで引き出して凄まじい力を発揮している状態であることに。

 

『知るものか。仮に知っていたとしても……イギイッィイイイ!?』

 

 化神としての沽券を守ろうと気を吐こうとした矢先に白い御伽装士は我が右手の爪の全てを無理やりに引き剥がした。

 

「無駄な意地を張るつもりなら首と胴だけを残して、鼠にでも齧らせましょうか? 狗なら犬らしく素直に白状しろ」

『本当に何も知らない! そも! 化神が人間などと群れることな――』

 

 狗の化神の意識はここで途切れた。

 異様な姿のビャクアが言い終えるよりも前に大鎌で化神の体を十文字に切り裂いたからだ。

 

「……また外れ」

 

 乱暴に怨面を外して変身を解いた沙夜は苛立ちを隠すことなく自分の握り拳を近くの木に叩きつけた。セーラー服の下の腹には包帯が巻かれて薄らと血が滲んでいる。

 

「くそ!くそ!くそ!くそッ!! フゥゥウッ……アァ、ガァアアッ!!」

 

 思うようにならない現実に、大切だった少年を傷つけた化神たちに、何よりも弱く不甲斐ない自分に募る怒りをぶつけるように彼女は何度も拳を硬い木に打ちつける。

 傷つき血が滲んでもそれは止まない。むしろ、傷を負う事を望むかのようで、自責の唸り声を時間が止ったように静かな夜に響かせていた。

 

『なあ、童女。吾は別に異を唱えるつもりはないがねえ……お前さん、本当にそれでいいのかい?』

 

 彼女の意識にぽつりと白鴉の怨面の疑似人格が語りかける。

 だが、その声が沙夜に届いているのかは定かではない。

 

 望月沙夜が謎の怪人物・物部天厳の捕縛の命令を受けてから既に三日が経過していた。

 彼女はこの三日間、負傷した傷が癒えるのも待たずにほぼ不眠不休で天厳たちの行方を追って奔走していた。

 そして、四日目の朝を迎える。

 

 

 夢を見ていた。

 ハッキリと夢だと理解出来る。

 忘れもしない。

 この景色は七年前のあの日に確かにボクに起きた出来事だ。

 いつもの公園で、夕凪さんと遊んでいたらポツポツと降り出した突然の雨。

 穴だらけのドーム型の遊具の中で当然のように降ってくる雨粒に笑いながら雨宿りしていた時のことだ。

 

『永ちゃんは優しい子だね。それにちょっと見ない間にまた大きくなった』

『すぐに夕凪ねえちゃんの背も抜くよ。そうしたら今度はボクのほうが肩車してやるんだ』

『そっか……そっか……やっぱり、永ちゃんも大きくなっていくんだよね』

 

 いつもと変わりのない他愛のない会話。

 なのに、あの人は――知り合ってから何年経っても変わらずにいつでも綺麗なあの人は突然に大粒の涙を流して、泣き始めたんだ。

 

『泣かないで夕凪ねえちゃん。どうしたの? お腹痛いの?』

『ああ……お前は本当に優しいんだね。いつまで経ってもわたしにそんなにも変わらず優しいお前だから、こんなにも悲しくて涙が止らないんだよ』

『ボクに何か出来ることある? ボクが頑張ったら泣きやんでくれる?』

 

 幼いボクには夕凪さんの言葉に含まれた意味なんて、何にも理解していなかった。

 ただ彼女に泣きやんで欲しかった。

いつものように変わらない笑顔の夕凪さんでいて欲しかった。

 ボクの言葉があの日の彼女の最後に残った人間らしい心を壊していったことも知らないで。

 

『永ちゃんはわたしのために力を貸してくれるの?』

『まかせてよ。ボクに出来ることなら何でも協力するよ。ボク、夕凪ねえちゃんのこと大好きだもん』

『本当に? 本当になんでも協力してくれるの?』

『うん! なんて、ボクに出来ることなんて限りられてるかもしれないけど』

『それなら……わたしの代わりに、ずっとずっと苦しんでよ』

 

 瞬間に夕凪さんの佇まいは豹変してボクは微かに濡れた冷たい地面に押さえつけられた。

 そして、真っ赤な血がボクに降り注いだんだ。

 雨で流れ落ちていく傍から絶えずボクの顔や体を生温かい血が、夕凪さんの破れたお腹から流れる血液が流れ落ちては真紅に濡らしていった。

 

『やっと……楽になれる。長かった、本当に永かった』

 

 口角をこれでもかと吊り上げて猟奇的な表情になりながら、それでも人魚のように美しい微笑みで笑う夕凪さんはとっても綺麗で、その手には自らの腹の中から引き摺り出したナニかが握られていて――。

 

『ごめんね永ちゃん。でも、わたしはもう疲れたんだよ……永ちゃんみたいな優しい子をいつか見送ることに、心底疲れたんだ』

 

 まだ脈打つ血塗れのソレを夕凪さんはボクの口に白魚のような指を突っ込んで無理やり開くと容赦なく押し込んだ。

 口の中に一瞬で満ちる血の味と香味。

吐き出したくても痛いほどボクの顔を掴み動かす夕凪さんの両手がそれを阻む。

 何が起こっているのか理解できずにパニックになりながら、ボクはどうしようも出来ずに彼女の指の動きに導かれるままに口の中に詰め込まれたナニかを咀嚼して、咀嚼して――飲み下した。

 

『ありがとう。永春ちゃん』

 

 いっぱいの涙を零しながら、微笑む夕凪さんはこの世の物とは思えないぐらいに綺麗で――。

 

「――――!?」

 

 そこでボクの意識は現実に引き戻された。

 

「永春!? ああ、よかった……先生! すみません、誰か!! 弟が目を覚ましました!!」

 

 飛び起きたボクの隣で聞き覚えのある声がビリビリと響いた。

 ぼやけた視界が徐々に鮮明になっていくと、ボクの真隣りには別々に暮らしている貴夏兄ちゃんがいた。そこでボクはようやく自分な病院のベッドで眠っていたことに気付いた。

 

「――――」

「おい、よせ。喋ろうとすんな。イカれた通り魔に喉切り裂かれてるんだぞ? 腹も軽く刺されてるし、先生が言うにはしばらく声は出せないそうだ」

 

 あれからどうなったんだ?

 足りな過ぎる情報を求めてパクパクと口を開いたが声が出せない。感じるのは気持ちの悪い痛みだけだ。ボクがキョロキョロと落ち着きなく混乱しているとガバっと太い腕で強く抱きついてきた兄ちゃんの言葉で少しだけ状況が分かって来た。

 

「心配かけやがって……まだお前の墓掃除まで面倒みてやるつもりはないんだからな」

 

 愛息子が生まれた時だってこんなにも泣かなかった兄ちゃんの大粒の涙にボクは大人しくするしかなかった。心配しなくてもあれからなにが起きたのかは色んな人が次々にボクに話してくれたので不自由もしなかった。

 

 神社で突然襲われたボクはセーラー服の少女に病院に担ぎ込まれたということになっていた。もちろん、その女子生徒とは沙夜さんのことだろう。

 あれから四日間も意識を失っていたらしく、すぐにでも彼女の方は無事なのか聞きたかったが重傷人はボクの方なのでなかなか思うようにはいかなかった。

 担当医の先生がやって来て、九死に一生を得たとか奇跡的な回復力だとか丁寧に説明をしてくれたけど、申し訳ないけどボクにはそれは全てが無駄な時間だ。

 どうしたって、治る怪我だ。声だってすぐに出せるだろう。

 まるで1+1=2の計算式を数学の授業一コマ分たっぷりと使って説明を受けるようなナンセンスな時間をボクは焦りや苛立ちを隠しながら必死に受け流した。

 

 半日以上かけてボクの諸々の検査などが済んでからようやくボクは筆談で沙夜さんのことを兄や病院の先生に尋ねた。

 彼女も酷い怪我を負っていたはずだ。違う病室に入院しているのならすぐに会いに行って謝って、それからボクのこれは沙夜さんのせいじゃないと伝えないと。

 だが、みんなから返ってきたのは予想外の言葉だった。

 望月沙夜なんて女子生徒は入院はおろか聞いたこともないし、ボクをここに連れて来てくれたセーラー服の少女のことも不気味なほどに曖昧にしか誰も覚えていなかった。

 そこでようやくボクは自分の携帯から沙夜さんの連絡先の一切が消されていることに気が付いた。

 

(たぶん……あの記憶消しの術を使ったんだ)

 

 だけど、一体どうして?

 謎と不安ばかりが心の容量を占拠してもどかしい。

 いますぐに駆け出して六角モータースへ訪ねたかったけど、ボクが自由になった時には既に窓の外が夕焼け色に染まっていた。

 

 

 入院するのは今回で二度目だけど、やっぱり病院の夜は慣れない。

 それも実質四日間も寝ていたわけでただでさえ気になることが多すぎて心穏やかでないいまのボクには睡魔なんてまるでやってこない。

 

(今回は個室なのがありがたい)

 

 ボクたちを襲った謎の化神と気味の悪い男は何者なのか?

 気を失った後、戦いはどうなったのか?

 何よりも沙夜さんは大丈夫なのだろうか?

 考えてみても事実を確認しないと晴れない謎がボクの頭の中でループし続けている。

 

(沙夜さんのせいなんかじゃないからね……)

 

 自分の声が奪われているからだろうか?

 何も考えていないでいると神社での錯乱した彼女の叫び声が反芻される。

 今すぐにでも沙夜さんに出会って伝えたい気持ち。

 あれは化神のせいだから、彼女が気を病むことなんて何もないんだと。

 兄ちゃんに迷惑をかけるのは百も承知でこっそり病院を抜け出そうかなんて考えていた時だった。

 マナーモードにしていた携帯にこんな真夜中に着信が入った。

 番号は知らない番号――じゃない、この番号は見覚えがある。

 彼女の携帯の番号だったはずだ。

 自分が喋れないことも忘れてボクは無我夢中で携帯に耳を傾けた。

 

『永春くん、こんな遅くにすみません。望月です』

 

 ずっと聞きたかった彼女の声だ。

 それでもボクは最初その声があまりにも泣き腫らしたように枯れていて、沙夜さんの声なのか名乗ってもらうまで迷ってしまった。

 喋ろうとして痛む喉を押さえて、ボクは無我夢中で首を振る。

 携帯の向こう側では沙夜さんがまるで留守番電話にメッセージを吹き込むように滔々と話しだしていた。

 

『私がこんなことを言える資格はありませんが命に別条が無くて本当に良かったです』

 

 本当に掠れた声だった。

 もしも、沙夜さんがあのことを悔やんで声を枯らすほど泣いていたのならボクの方こそ謝らないといけない。

 

『本当に勝手だけとは思いますがお別れを伝えるために電話しました』

 

 え――?

 安堵と嬉しさで熱くなっていたボクの心臓は氷水に突っ込まれたように寒気を感じて止ってしまった気分だった。

 

『今回の永春くんの災難は全て私が未熟だったから起きてしまった出来事です。本当にごめんなさい。永春くんは応援してくれましたけどやっぱり私にはどっちも頑張るなんて器用なことは無理なことだったんです。なのでもう学校へも行くことは無いと思います』

 

 待って。待ってよ!

 なんでそうなるんだよ。勝手に一人で決めないでよ。

 叫んで止めたいけど声が出ない。

 痛みなんて無視して捻りだそうとしても呻き声も出てくれない。

 

『身勝手でなんのお役にも立てなかった私ですが厚かましく永春くんに最後のお願いがあります』

 

 少しずつ震えて、言葉が詰まり出す声が一方的に流れていく。

 彼女のお願いを決して聞き逃さないとボクは携帯を両手で握りしめて息遣いすらも逃さないように彼女の言葉に耳を澄ませた。

 

『こんな私なのでどうか……どうか、お願いですから私のことは嫌いになってください。それから思い出すのも嫌な女を明日にはすっきりと忘れてやってください』

 

 携帯電話越しにでも分かる、バレバレの涙声でそう言って彼女は通話を切ってしまった。

 ふざけんな!!

 そんなことを言うためにこんな真夜中にボクが起きているのかも分からないのにわざわざ電話かけてきたのか。

 違うでしょ!こんな言葉を聞くためにボクは――!!

 

 頭に血が上って、思考が真っ白になって、ヤケクソに布団の上に携帯を叩きつけかけた手が止った。そして、慌てて立ち上がったボクは窓の外を開けて真下を見渡した。

 

(いた……!!)

 

 なんでこんな初歩的なことを見逃していたんだろうと自分を呪った。

 彼女を普通の女のことを錯覚していた。だから、どこからか自分の目でボクが起きていいるのを確認してから電話を掛けてきたというやり方を見逃していた。

 暗くて見難いけど、病院の駐車場の一角で夜風になびく綺麗な黒い髪とすらりとした長身。

 間違いなく望月沙夜はそこにいた。

 ボクと目の鼻の先にいて、あんな電話をよこしていたのだ。

 

(待って! いかないで! いかないで! いかないでくれ!!)

 

 窓辺から手を伸ばして、声を出せない口を開いて背中を向けてとぼとぼと歩いて去っていく彼女を求める。

 いまのボクに彼女を繋ぎ止める手段は何も無かった。

 物音を立てるとかそういう意味じゃない。

 あんな大口を叩いておいて、結局彼女の足手纏いになって、沙夜さんの心に傷を作ってしまった愚かないまのボクではどんな言葉も安っぽくて、力になれないと自分自身が折れていたんだ。

 だから、ボクはその夜いつかの昔のように大切なはずの女の子がどこか遠くへ行ってしまうのを情けなく見ていることしか出来なかった。

 

 

 太陽の眩しさが疎ましい。

 進展しない現状と三日もかけて彼らの足取りの手掛かりをまるで掴めていない愚鈍な自分への苛立ちを八つ当たり気味に快晴の空にぶつけてしまう。

 

「お嬢たちを襲った物部天厳とか言う男の素性がある程度分かりました。本名は角田達馬、何てことのない一般人でした。ただ十五年ほど前から和洋問わずカルト系の宗教なんかを齧って術師気取りで山籠りなんかをしていたらしいです」

「変態だな。だけど、そんなただの変態が化神たちを統率できるはずがない。その十五年の間にその変態野郎に何かが起きたと見るべきだね」

「物部という姓で調べたところ一昔前のネットの都市伝説に物部天獄という架空の術師の名前がありましたが……」

「アタシの記憶の限りじゃ裏の世界に物部なんて名前の術師はいない。大方、ネットからその大層な術師様のお名前を頂戴したんだろうね。ハッ……気持ちわりぃねえ」

 

 仮眠と報告のために六角モータースに戻ると作業場では光姫さんと杉さんが資料を片手に話し込んでいた。いま一番会って借りを返したい相手の名前を耳にして、私は血相を変えて二人に詰め寄った。

 

「ただ今戻りました。あいつの居場所が分かったんですか?」

「おかえり。どーどー、ほれ茶の一杯も飲んで落ち着け。残念だけどこっちもまだ空振りだよ」

「すみません、お嬢。いまはまだその変態の素性が少し割れたぐらいで……」

 

 きっと酷い剣幕をしていたであろう私を光姫さんは慣れた様子で宥めるとほどよい温度の湯呑みを渡してくる。

 

「そうでしたか……いえ、杉さんたちもお疲れ様です。では、少し休んだら私もまた出ます」

「風呂。飯」

「はい?」

「アンタいま酷い顔だぞ? あと薄汚ねえし、くせえ」

 

 母屋の方へと急ぐ私の手を掴んで光姫さんは手短にとんでもないことを言う。

 男の人もいると言うのにこの人は何を言い出すんだろう。

 

「なっ!? 急になんですか!」

「仮眠以外にその二つもちゃんと済ませな。じゃなきゃ上役命令で謹慎にするぞ? 生活習慣が乱れているやつは一級の仕事は出来ない。その歳でエネドリとマブダチになるんじゃないよ」

「……分かりました。ついでにみんなの分も作ればいいんですよね?」

「ああ。沙夜はお利口さんだな」

 

 そう言って、光姫さんは汚いはずの私の頭を優しく撫でてくる。

 出会ったばかりの頃と一緒だ。

 厳しい修練に挫けそうになった時や独り立ちしたばかりの頃に任務でヘマをした時と同じだ。

 

「なあ、沙夜」

「今度は何ですか? おかずのリクエストとかは受け付けませんよ」

「永春のことはアンタの落ち度じゃないよ」

 

 光姫さんが口にした彼の名前が心に突き刺さる。

 私が守れなかった彼。

 私がこの手で傷つけてしまった彼。

 あまつさえ、その醜態に取り乱した末に敵に情けを掛けられて見逃されると言う体たらくを演じてしまった未熟の極み。

 

「……落ち度以前の問題です。私が彼を殺しかけてしまったんですよ。この件が落着したらちゃんと処分を下してください。それから光姫さんに渡してあるアレをちゃんと学校に提出してください」

「分かった、分かった。それならお前も油断せず、落ち着いて仕事しなよ。いいかい? ホウレンソウは徹底だ」

「承知しています」

 

 早口で彼女に伝えると私は逃げるように母屋の方へと駆け出した。

 あの光景を思い返すのが怖かった。

 血塗れで苦しそうな息を漏らす彼のこと、ただの少女のように泣き喚く自分の醜態に目を向けるのが怖くて恥ずかしかった。

 

「私はやっぱり弱虫だ」

 

 彼の真摯な言葉と行動であんなにも背中を押されていたのに結局、立ち塞がる大きな壁から目を合わせることが全然できていないんだから。

 

 

 沙夜が立ち去ってしまった後で杉が気まずそうに光姫に口を開いた。

 

「姐さんよかったんですか!? お嬢のメンタル、あれまだガッタガタですぜ!」

「いまのあいつは言葉じゃ止らないよ。なら、あの熱意を上手い具合に舵取りしてやった方が効率的だろ」

「お嬢が血気に逸って殉職とかしたらどうするんですかい」

「そんときは沙夜がそれまでの奴だったってことさ。けど、あいつはそんな半端者じゃない……もう一人で嵐の空も飛んで抜ける立派な渡り鳥だよ」

 

 我武者羅に暴走しているようにも見える沙夜を案じる杉に長く彼女と一緒にいるからこそ、その芯の強さを知っている光姫はあっけらかんと言い放った。

 

「ところであの子の様子からすると坊やの方も無事に起きたと見えるね」

「はい。護衛についている梶から昨日には目を覚ましたようで」

「よっしゃ。そんじゃあ、余計なお節介焼きにいくとするか。杉は引き続き安や中と一緒に変態ご一行の行方探しと襲撃に備えてくれ」

「了解しました!」

「さて、青臭い若人たちのために外堀埋めにいこうかね」

 

 迅速に指示を飛ばしながら、光姫も行動を開始した。

 御守衆の任務とは外れた些細なものだがそれでも大事な部下であり友人にとっての大切な繋がりを守るために。

 

 

 廃墟や空き家という物は珍しいようでいて、探そうと思えばその実幾らでも存在する。

 例えば、学校近くの商店街の片隅で閉店して十数年は経っていると思われる腐食と錆だらけの一件の駄菓子屋などがそうだ。

 

「お待たせいたしました四化神の皆々様。本日の昼餉にございます」

 

 薄暗い空間を無数の蝋燭が照らす異様な駄菓子屋の屋内に座するバケトラたち四体の化神の前に天厳はどこからか拉致して屠った浮浪者の四つの遺体とその血を混ぜた酒と共に捧げた。

 

『おおう! 感謝するぞ人間!!』

『至れり、尽くせりとはまさにこのことよな。欲を言えば妾は女子供の肉を食らいたかったがのぉ』

「お許しくださいませ、バケマムシ様。女人はさておき当世は子供の行方知れずといったものに非常に過敏になっております故に」

 

 供された人肉を化神たちは飢えた獣のようにかっ食らった。

 ムシャムシャと肉を齧り、ゴリゴリと骨を噛む。

 その血生臭い光景は昔話の妖怪の如しだ。

 

『気に病む出ない人間。なぁに戯れに言ってみたまでのことじゃて』

『全くそなたの欲深にも呆れるのぉ』

『――善きことだ。我ら化神、強欲でなくてはならない』

 

 仲間を嗜めながらも未だ実力未知数のバケダヌキ、そして永春を陥れた張本人でもあるバケカガミもまた天厳が用意した人肉と血酒を本能のままに貪っていた。

 その酒に天厳の生き血が混ぜられていることも知らずに、ひいては男が密かに嘲笑を浮かべていることにも気付くこともなく。

 

(嗚呼、嘆かわしいですなぁ化神様方。小生のような男の下策に踊らされているようではいけません。全く以っていけません。これは少々、反省をしていただかなくてはなりませんな)

 

 人間と化神との混ざり物のような男はその胸の内に秘めた大願を成就するための次の策を実行に移す算段を企てていた。

 

 

【ごちそうさまでした】

「はい。お粗末さまでした。それにしても若いってすごいわね。ミキサー食とは言えあの傷からもう普通に食事ができるようになるなんて」

【先生やみなさんのおかげです】

 

 食べ終えた昼食を下膳しにきたナースさんに携帯型のホワイトボードに書き込んだお礼を伝えて見送ると病室にまた気が滅入る静寂がやってくる。

 兄ちゃんが用意してくれたホワイトボードを使った筆談のお陰で意思疎通にはかなり不自由しなくなって一安心してはいるけど、深夜の出来事もあって一人でいると欝屈とした感情ばかりが溢れてくる。 

 

(何やってるんだろうボク……四日前まで沙夜さんに秘密を打ち明けるんだって意気込んでたのにさ)

 

 病室のベッドという鉄格子のない檻の中から飛び出せずにいる自分が情けなくなって、無意識に真っ白なシーツを指が痛くなるほど握り締める。

 

「よぉ坊や! 元気かーい? 見舞いに来てやったよ!」

 

 ノックもせずに軽快な足取りで乗り込んできた顔見知りにボクは無言で飛び跳ねた。

 光姫さんの後ろにはスキンヘッドとグラサンが素敵な屈強な面持ちと体格の梶さんも控えていて、傍から見たらあらぬ噂を立てられそうだ。

 

【せめてノックしてくださいよ】

「堅いこと言うなよ。アタシと坊やの仲じゃないかい? というか良いもの持ってんねえ! 念のために手話の動画見てきたんだけど無駄になっちゃったね、こりゃあ」

【そもそもボクも手話なんて出来ませんから】

「ああ! 確かにそうだね。アタシとしたことがうっかりしていたよ。それよりだ――」

 

 湿気た雰囲気の病室が一気に明るく……いや、騒がしくなった。

 お見舞いの品であるちょっと高そうな洋菓子の詰め合わせをボクに渡すと光姫さんは勝手知ったる様子で椅子に座ると急に姿勢を正した。

 

「今回はアタシらの失態で永春に酷い目に遭わせちゃったねえ……すまなかった」

【顔、上げてください。ボクは皆さんのこと恨んでなんていませんから】

 

 別人のような真摯な態度で頭を下げてボクに謝る彼女の顔の近くにホワイトボードを突きつけた。危険を承知で首を突っ込み続けていたのはボクの方なんだから、御守衆の人たちが謝ってくれるのはこちらとしても心苦しいばかりだ。

 

「なら、詫びの代わりに坊やの知りたいことをアタシの知っている限りで何でも教えてあげるよ」

 

 ボクの気持ちを汲んで頭を上げてくれた光姫さんは涼しげに微笑んでそう言った。

 まるで最初からそのためにここに来たと言っている様な余裕のある態度に今度はボクが腹を空かした犬のように飛びつく番だった。

 

【沙夜さんは? 昨夜ボクに電話をくれた時はお別れを言いに来たって】

「ま、坊やの聞きたいのはそれだろうね。ちょっと長くなるけどいいかい?」

 

 光姫さんの言葉にボクは夢中で首を縦に振った。

 すると彼女は沙夜さんのことを思ってかどこか曇った顔でボクが昏倒した後の顛末を話してくれた。

 沙夜さんは自分も重傷を負っているというのにボクを病院にまで担ぎ込み、通り魔に襲われたと言う最低限の情報だけを残して大騒ぎする人たちの記憶を消した後、自分は六角モータースに戻り緊急事態の報告を光姫さんに済ませて一度倒れてしまったと言う。

 それでも数時間で目を覚まし、傷の痛みを押しのけて学校も休んでこの連日をずっとボクを襲った化神たちと物部天厳と名乗る怪しい人物を探し回っていると言う。

 光姫さんによると一度は沙夜さんに療養するように命じたそうだけど、ボクを守れずあまつさえ傷つけてしまった自責の念と化神たちへの怒りで悔し涙を流し続ける姿に条件付きで行動を許したとそうだ。

 

【そうでしたか。教えてくれてありがとうございます】

「幻滅したか? 顔も出さずに一方的に別れ話切り出してきたアイツにさ?」

 

 ボクは無言で首を横に振った。

 確かに御守衆の人間としては彼女は失敗を犯してしまったのかもしれない。だけど、ボクの友達としての彼女は何も悪いことなんてしていない。

 

【どうしたら、いつもの沙夜さんに戻ってくれると思います?】

「さぁな。アタシはアイツじゃない、沙夜の中のケジメの問題だからねぇ……ついでに言うとアイツはガキの頃から見かけによらず頑固だからな」

 

 ボクの質問に両手をヒラヒラと振って答えてくれた光姫さんに思わず笑ってしまう。

 自分よりも付き合いの長い彼女がそう言うんなら、生半可な言葉で沙夜さんは捕まえられそうにないみたいだ。

 ボクも本気の本気で向かい合わなきゃいけないんだと強く自分に言い聞かせる。

 

【もう一つ。御守衆の皆さんは今回の沙夜さんみたいに守れなかった戦いって珍しいことなんですか?】

「ふむ……そうだな。こう答えると頼りないと思われるかもしれないが守れない、救えないなんて良くあることさ。それこそ不甲斐ないけどね」

 

 光姫さんは真剣に、あっさりと……それでも後ろめたさを感じさせない強い声で答えてくれた。

 

「アタシらだって人間だし、多くは無い人数で陰日向に動いてるんだ。手なんて満足に足りたことの方が珍しいよ。だけど、取り零してしまった命のことを決して忘れずにやり続けるのさ。むしろ、御守衆にとっては続けることの方が本命の戦いだよ」

【戦い続けることがですか?】

「化神との戦いはラスボス倒してハッピーエンドってものじゃないからね。害獣駆除や毎年の台風なんかの自然災害と向き合うスタンスに近いんだ」

【途方もないですね】

「だね。けど、誰かがやらなきゃいけない大事な役目だ。だから波打ち際で砂の城を築くような徒労にも見える積み重ねだとしてもアタシたち御守衆は戦い続けるのさ」

 

 そう語る光姫さんの顔は誇りと自信に満ちていた。

 きっと、沙夜さんも同じような想いを秘めて戦っていたのだと思うと益々自分の覚悟の足りなさが情けなくなる。

 

【ボクはまだ沙夜さんの近くにいてもいいと思いますか?】

「バーカ! そんなもん他人に聞く奴があるか! 好きなようにすればいいさ」

 

 教えてもらった情報と自分の中に溢れてくる感情でぐちゃぐちゃになった末に出たボクの問いかけに光姫さんは結構痛いデコピンを返してくれた。更に謎の封筒をセットでボクに押し付ける。

 

「アイツも若気の至りで好き勝手やっている最中なんだ。坊やも手前勝手を貫けばいいさ! ついでに沙夜がよく懐いているお友達なアンタにそれを預けておくよ」

【これって沙夜さんの退学届じゃないですか!? ボクなんかに預けちゃダメでしょ】

 

 封筒の中身はとんでもないものだった。

 ホワイトボードに文字を殴りかいて慌てて光姫さんに見せた。

 

「かぁーこの朴念仁め。永春だからそいつを預けておくのさ……これでも沙夜の人並みの日常や幸福ってものが少しでも多ければ良いって願っているもんだからね。さて、そろそろ帰るわ」

【ちょっと待って!】

「アタシも忙しいんだよ。念のためボディガードに梶を置いておくから、困ったことがあったら頼りな」

 

 言い終えると光姫さんは大きく伸びをして軽やかな足取りでボクの病室から去っていった。本当に嵐のような一方通行ぶりである。

 だけど、おかげでボクも気持ちの整理がついた気がする。

 昨日までは不貞腐れていたわけだけど、一日も早く喋れるようにリハビリにも真剣に取り組んでみようと思うのだった。

 

 

「君、確か永春のクラスメートの子だったよね」

 

 シャワーと食事と仮眠を摂って、再び物部一派を探している最中に後ろから呼び止めてくる声に私は思わず足を止めてしまった。

 

「やっぱりそうだ。あーっと望月くんで良かったよね」

「永春くんのところの……はい。先日はお邪魔しました」

 

 そこにいたのは若白髪が目立つ端整な顔の男の人。名前は水樹八雲だったはず。

 彼が暮らしている下宿屋の同居人である大学の准教授だと言っていたはず。

 第一印象こそ悪かったけど、お静さんのご好意でお茶をご一緒した時からはぶっきらぼうだけど面倒見の良さそうな印象があった人だ。

 彼の人柄は置いておこう、少し厄介な人に出くわしてしまった。

 

「今日は平日だったと思うんだけど学校はどうしたんだい?」

「えっと……その、ごめんなさい」

 

 昨日に続いて運が無い自分に嫌になってくる。

 知り合いにばれないように用心して装士として活動する際の黒のチェスターコート姿でいたのに、よりにもよって教師に出会ってしまうなんて。

 最悪、補導されるようなことになるまえに記憶を消さしてもらおうかと思っていた時だ。

 

「いいさ。サボりの一つも多感な学生時代の特権さ。次の講義まで暇を持て余していてな。君で良かったら話し相手に付き合ってくれないか? 午後のおやつぐらいは奢ろう」

「は、はあ」

 

 眠たげな目元を片手でぐりぐりと弄りながら気さくに笑う八雲さんに連れられて、私は気が付けば最寄りの喫茶店に連れ込まれて紅茶とアップルパイをご馳走になっていた。

 

「悪いね禁煙席じゃなくて。もうオッサンのルーキーでも無い歳になってきたから本数は控えてるんだけどきっぱり止めるってのは耐え難くて」

「私は平気ですので。こちらこそ、ごちそうさまです」

 

 八雲さんは鼻筋が通ったシャープな顔立ちをだらしなく緩ませて咥えたタバコの煙を堪能しているようだった。こんなことに付き合う時間は無いのだけれど、強引に立ち去っては余計に怪しまれてしまう。私が適当に返事を合わせてお暇させてもらう機会を窺っている合間にも彼はぽつぽつと取りとめのない世間話を話しかけてきた。

 

「そうだ! 永春のやつ昨日意識が戻ったみたいでね。気の毒な目に遭ったけど大事が無くて良かったよ」

 

 不意に飛んできた話題に胸がチクリと痛んだ。

 どうにか平静を装って生返事を返したけど、罪悪感が止めどなく胸の奥から溢れてくる。

 

「余計なお世話かもしれないが暇があったら見舞いに行ってやってくれないか?」

「え、ええ……近いうちに」

「ありがとう、あいつも喜ぶよ」

「いえ、私なんかが行ってもご迷惑になるだけかもしれませんし」

「たぶん……それだけは無いと思うがね」

 

 時間が勿体ないとかそういう問題ではなく、一秒でも早くこの場から抜け出したい気分だった。お願いだから、これ以上彼の話題を出さないでほしかった。

けれど、八雲さんが言った次の言葉に私は耳を疑った。

 

「永春のやつ、ここ最近で随分と変わったんだぜ? その原因は恐らく君だよ」

「あの、それはどういう?」

「俺が言ってたというのは秘密にしてくれよ。なんて言うかだな、すごく生き生きとした顔になったんだよなアイツ。笛吹荘に来たばかりの頃はただなんとなく生きている様な覇気のない感じだったんだけどよ。二年生になってからすぐにガラッと変わったんだ」

 

 初めて聞く私の知らない彼の話に驚きが隠せなかった。

 もう会うつもりもなかった彼なのに、私は浅はかにも自分の知らない彼のことが気になって仕方なくなってしまったのだ。

 

「もしもご迷惑でなかったら、その頃の永春くんについて教えてくれませんか?」

「お安い御用だ。といっても、大した話じゃないがね……中学の終わりにご両親を亡くしているのは知ってるかな?」

「はい。この間、永春くんが話してくれました」

「その喪失感ってのもあったんだと思うけど、下宿始めたばかりのあいつは脱け殻みたいな感じだったな。一見すると何ともないように見えるんだろうが俺は一応こんな仕事だからな、なんとなく見抜けちゃってな」

 

 二本目のタバコに火を点けながら八雲さんはサラサラと続きを話してくれた。

 当時の彼は表面的には健気にアルバイトに励む苦学生のようだったけれど、どこかで自分が生きる世界や人生について無気力で不真面目に向き合っているような危うさがあったという。

 

「……正直、信じられません」

「だと思う。アイツいかにも善良な人畜無害って感じのやつだからな」

「クス。そうですね」

 

 ケラケラと笑う八雲さん態度につられて思わず小さく笑ってしまった。

 今更なのに、知らなかった彼の一面に触れることが出来て嬉しいと思ってしまった。

 

「と、まあ。長々とお喋りしたわけだがそんなアイツが近頃になってなんでか急にキラキラしたみたいに元気になったんでずっと気になってたんだ」

「八雲さんはその原因が私だと?」

「俺はそう睨んでるよ。まあ、アイツを変えたそれが恋なのか否かについてはノーコメントにしておくよ」

「……仮にそうだったとしても、私にはもう」

「俺でよかったら悩み相談承るがどうだい?」

「はい!?」

 

 想定外の言葉に思わず私は間抜けな大声を上げてしまった。

 あわあわと狼狽する私に八雲さんはあたたかく力強い口調で続けた。

 

「永春とあの日何かあったんだろう? 顔に書いてある。君、目元が隠れてるわりには純朴というか分かりやすいよな」

「そうでしょうか」

「人間には赤の他人にしか吐き出せない弱み辛みっていうのもある。騙されたと思って頼ってみてみないか?」

 

 まるで父親のようなどっしりと落ち着いた低い声が頑なに閉じていた私の心の閂を外したようだった。

 御守衆としての守秘義務とか御伽装士の秘密とか後回しにして、私は自分でも驚くほどあっさりと八雲さんにずっと抱えていた後悔と自責の念を話すことが出来た。

 もちろん、化神のことや敵の策にはまった私が永春くんを傷つけてしまったことは伏せてはいたけれど。

 永春くんがあんな目に遭ってしまった原因は自分にあること。

 血塗れになって苦しむ彼を前にして慌てふためいてすぐには何も出来なかったこと。

 無力で不甲斐なかった自分のことを何度も言葉に詰まりながら全部打ち明けた。

打ち明けてしまっていた。

 私の吐露を黙って全て聞いていてくれた八雲さんは暫く黙って頷くような仕草をしてからゆっくりと口を開いた。

 

「よく話してくれたね。ありがとうな。だけど、自分を責めるのはそれぐらいで軽めにしたらどうかな」

「……そういうわけにはいきませんよ」

「じゃあ、質問だがそうやって陰気に自分を責めていれば、永春の怪我はすぐに治るのか? 退院は早まる? 後遺症の有無は?」

「それはッ! ですが私のせいで永春くんが大怪我したのは紛れもない事実です。もしかしたら死んでいたかもしれなかったんですよ!」

「自省は美徳だけど、君はもう少し大雑把に生きることを覚えた方が良い」

「なんですかそれ? あんな償いきれないようなことを犯しておいて私にはそんなこと出来ません」

「そうだろうか? 君の周囲はもう君の失敗を許していると思うよ。後は望月くんが自分自身を許すだけだと思うんだが? というよりも君は永春に顔を合わせるのが怖くて自分に罰を科しているんじゃないのかい」

 

 反論できずに私は息を詰まらせた。

 八雲さんの言葉に心を丸裸にされている感覚だった。

 

「ちょっと本職っぽいたとえ話をしようか。歴史上、人間ってのは間違いばかり犯して生きてきた種族だ……戦争に、政治に、エトセトラ。それも一度犯した間違いを似たり寄ったりで繰り返す。正直言って間抜けにも程がある。でも、失敗を教訓にして何度もより大きく逞しく進歩したのも本当のことだ」

「だから、私にも大雑把に生きろと?」

「大正解! ハナマルをあげようじゃないか!」

「くっ……そこまで本気のトーンで言いますか!?」

 

 次第に熱の入っていく問答の末に八雲さんはおどけた調子でハッキリと私にそう答えた。あまりにも真剣におどけた様子で答えるのでこっちまで脱力してしまう。

 

「それでどうだ? ここまでポジティブに背中を押されたら、ウジウジと後悔に暮れるのが馬鹿になるだろ?」

「ええ……お陰さまでちょっと肩の力が抜けました」

「よかったな。俺もまたこうして迷える若人を導けたと思うと鼻が高いよ」

 

 優雅に長い足を組み直して得意げにする八雲さんに私はぎこちなく、だけど確かにちょっとだけ気が楽になった心地で答えた。

 

「八雲さん、貴重なお話をありがとうございました」

 

 たぶんこの気楽さは自分を甘やかすというものではなく、彼のためにも前向きに現実に向き合うことへの心境の変化だと思いたい。

 八雲さんと別れて喫茶店から出た私は一度大きく深呼吸をした。

 まだ自分がどうしたらいいのかちゃんとした答えも分からない。

 けれど、まずは自分の役目を果たそうと思う。

 憎しみや怒り、自責の念からの八つ当たりではなく御伽装士としての正しい在り方でそれを成そうと思う。

 

 

 

 

 

 

 白昼の校舎に鳴り響く悲鳴。悲鳴。悲鳴。

 永春たちの通う高校は突然の化神たちの襲来に生き地獄のような光景に変貌していた。

 放課後の学校に正面から乗り込んできたバケトラたち四体の化神たちは逃げ惑う生徒や教師たちに天厳より授けられた謎の種子を撃ち込んでいく。

 

『おうおう……あっという間に木になりおったわい。人間の術者崩れと思ったが恐ろしいものを用意するのう』

 

 奇怪な種子を撃ち込まれた人間は生き血を養分に吸われて瞬く間に不気味な樹木へと変貌していく。その名は人柱樹――天厳が企てた大儀式の大切な燃料となるおぞましき樹であった。鬱血した人肌のような不気味な色の枯れ木が校庭や校舎のあちこちに乱立する。

 不格好に捻じ曲がった枝木はまるで助けを求めて手を伸ばす人の手のようだ。

 あっという間に高校を制圧した四化神たちは屋上から自分たちが手掛けた地獄絵図を眺めて悦に浸っていた。

 

『よもや我ら化神がここまで白昼堂々と暴れることが出来ようとは夢にも思わなんだな!』

『ここからさらに大暴れ出来ると思うと武者震いがするのう!』

 

 バケマムシとバケダヌキが目の前の光景に気を吐いて鼓舞し合う。

 千年以上も歴史の影で暗躍していた化神たちがここから表舞台に台頭するのだと。自分たち四体とあの人間の術師に敵はないと勝ち誇っていた。

 だから、彼らはその敵意を察知するのが僅かに遅れた。

 

「退魔覆滅技法――烈風葬破」

『――なん、とッ!?』

 

 彼方から放たれた鋭い一条の光が突如としてバケカガミを射抜いた。

 残る三体の化神たちの動揺が収まるのを待たずして、遥かより白い影が屋上へ切り込む。

 

『御伽装士め! また貴様……か?』

『なんだその姿は!? 本当にあの時の小娘か!』

 

 遠距離からの狙撃によりいきなり仲間の一体を喪った化神たちは怒り狂うが大筒の他に羽団扇も同時召喚して間髪入れずに攻めか掛かってくるビャクアの姿に思わずたじろいだ。

 

「そうですよ。今度は必ずお前たちを倒す……出し惜しみは無しです」

 

 傾始めた陽光に照らされたビャクアの姿は何時ものそれと明らかに異なっていた。

 山伏のような白い軽鎧は刺々しく変わり、全身には変身前の沙夜の肌に浮き現れるような赤い蛇紋様が迸る。

 これこそはビャクア、禁忌の強化術式。

 変身者である沙夜の心身の負担を無視して怨面に宿る力を限界まで引き出した強化形態。

 その名もビャクア・マガツであった。

 

『今日は情けなどかけてやらんぞ!』

「クゥ……ア、ァ、ゥアア――!! 当然です。私とお前たち……殺すか、殺されるかだ!」

 

 羽団扇を振り回してバケトラの爪と切り結んでいたビャクアをバケマムシが横から突き飛ばす。そのまま両手の平に生やした銃口からの溶解液で跡形もなく溶かそうとする。

 だが以前よりも速く、膂力も増したビャクアは怪鳥めいた雄叫びを上げながら踏み止まるとあべこべにバケマムシを地面に投げつける。

 

「お前たちは後だ」

『ガッ――!?』

 

 ビャクアは逆手に持った羽団扇を走らせてバケマムシの両手首を斬り落とすとそのまま山崩しの大筒を棍棒のように振り回して脅威となる首をも徹底的に痛めつける。

 仲間の窮地に残る二体が背後から迫ってくるのを強化された感覚で詳細に感じ取ると強引に足元の相手を投げつけてバケマムシとバケトラの動きを一時的に封じることに成功した。

 

「お前の力はまだよく分からない。妙なことされる前に仕留めます!退魔七つ道具其の弐!」

『勝負勘は良いようだが……甘いのぅ』

 

 愚鈍そうな見た目のバケダヌキにビャクアは快刀を召還しながら肉薄すると隙だらけの敵に容赦なく白刃を振り下ろした。だが、バケダヌキが斬撃を丸々とした白い腹部で受け止めると刃はまるで柔軟なゴムを切ったように深々と食い込み、そのまま弾き返された。

 

「刃で切れない!?」

『無駄じゃよ! 儂の自慢の腹太鼓は伸縮自在。切れぬ! 破れぬ! 貫けぬじゃ! 諦めは大事じゃぞ若いの?』

 

 刀剣だけでなく、槍も弓も銃器さえも寄せ付けない絶対防御を誇る自らの肉体を誇るバケダヌキは老獪らしい卑しい雰囲気でビャクアを威圧する。

 それに対してビャクアは焦らず騒がず、敵の言葉など雑音のように受け流して瞬時に次の手を模索する。

 

「カンラ!」

『うっぷ!? なんじゃこの羽根は……ムッ!』

 

 羽団扇を用いて仙術を使うとビャクアの周囲には視界を奪うほどの羽根吹雪が巻き起る。

 更には激しく舞い踊る白い羽根が幾つかより集まり、無数のビャクアの形になって相手を攪乱した。これぞ仙術・羽根幻影である。

 

『まやかしか……フン! だが、こんなものでは子供騙しにもならんぞ!!』

 

 屋上に発生した羽根吹雪と大量のビャクアの幻の前にバケダヌキは堂々と仁王立ちで構えた。すると死角から矢のような光弾が撃ち放たれてバケダヌキに直撃するも恐るべき耐久力を誇る腹太鼓はそれすらも受け止め切ってしまった。

 

『効かぬといったであろう! 姿を見せてみい! 嬲り殺してくれように!!』

「……確かに刃物も銃撃も無駄ですね。では、そこ以外を攻めましょう」

『なんじゃ……おぼぉおおお!?』

 

 腹を叩いて太鼓のような轟音を響かせて威嚇するバケダヌキの頭上からビャクアは仕掛けた。正面突破が難しいと判断した彼女はなんと携えていた大筒を槍のように構えると容赦なくバケダヌキの口の中に突っ込んだ。

 

「吹き飛べ」

『っぼぎゃぁああああ!?』

 

 バケダヌキがビャクアの攻めの手の内容に青ざめた時にはもう遅かった。

 躊躇いなく引き金を引かれた大筒から放たれたエネルギーの奔流が外皮の防御力などお構いなしに体内に炸裂した。

 

「……しぶといですね」

 

 光が晴れて広がる光景にビャクアは忌々しそうに呟いて投げ捨てていた快刀を拾い直した。そこには肉体の六割を破裂させながらも、まだ生き永らえている変わり果てたバケダヌキの姿があった。

 

『やらせるものか!』

『バケダヌキ! しっかりしな!!』

 

 忍び寄る死神のように白刃を煌めかせてバケダヌキに歩み寄るビャクアを阻むように左右からバケトラたちが襲い掛かる。だが、ビャクアはそれぞれを片腕で容易く二体をあしらうと快刀で十文字に切り裂き、ダメ押しに回し蹴りで弾き飛ばした。

 

『ぐあっ!? 前に戦った時とは桁違いだぞ』

『忌々しい御伽装士め……ッ!!』

「ちゃんと順番に始末してあげますから慌てないでくださいよ」

 

 ビャクア・マガツはその禍々しい姿に違わない圧倒的な戦闘力で三体の化神を歯牙にもかけずに追い詰めていく。

 

「それは少々困りますねえ。しばしお待ちいただけませんか、御伽装士様?」

 

 わざとらしくドアを閉める音を立てて、ビャクアの前にあの人間の皮を被った悪鬼は現れた。

 

「物部天厳……会いたかったですよ」

「おやおや。困りましたなぁ小生、年若い女人に懸想されることなど皆無でしたのでなんとお言葉を返せばよいやら」

「……気安く話しかけないでくれますか?」

 

 吐き気がするような言葉で自分を挑発してくる天厳にビャクアは仮面の奥で額に血管を浮き上がらせながら静かに激怒した。一方で化神たちは現れた天厳にこれ幸いと縋りつき形勢逆転を確信する。

 

『遅いではないか天厳! バケカガミがやられてしまったのだぞ!?』

『仕置きされたくなければ早く妾らに加勢せよ。あの装士を縊り殺してくれる!』

『天厳?』

 

 傲慢に詰め寄る化神たちだったが無言で微笑む天厳に薄気味悪さを感じて後ずさった。この男は自分たちにも明かしていない別の企みを持っていると悟った時には既に遅かった。

 

『『『アア……ァアアア!? 躰ガ!? カラダガァアアアアア――!?』』』

「嘆かわしい。皆々様の醜態……小生とても嘆かわしく思います。思いますのでもう二度と醜態など晒せぬようにさせていただきましょう」

『貴様は人間の分際で妾たちを裏切るつもりかぁああ!?』

「お許しくださいバケマムシ様。ですが貴方様たちとて、いずれは小生を用済みとして喰らうつもりだったのでしょう?」

 

突如として化神たちの躰から黒い血が噴き出し始めたと思うと彼らの躰は流砂のように分解されて天厳が懐から取り出した怨面へと吸収され始めた

 

『天厳ッ! テンゲェエエエエン!!』

「故に小生は思案したのです。化神様を敬いながらも、軽んじられずに対等に並び立つにはどうすればよいのか。その答えがこれです。貴方様たちにはもう忠義を尽くせませぬがどうか小生の贄になることを誉と思い下さい」

「それは猿羅の怨面!? 何をする気です!」

「くっひゃっはははは!! 分かりませぬか? 分からないでしょうなぁあああ!!」

 

 怨面を媒介にした得体の知らない術式にビャクアも驚愕した。やがて天厳の次の動きを警戒して微動だに出来ずに見守るビャクアの前で三体の化神たちは欠片も残さずに怨面にその命も力も吸い尽くされてしまった。

 

 

「物部天厳……お前は何をする気ですか!?」

「言葉で説明するよりはどうかご覧くださいませ。ほら、このように!」

 

 冷や汗を流しながら何時でも斬り掛かれるように身構えるビャクアの目の前で天厳は妖しく発光する猿羅の怨面を被って見せた。

 

「確か前の持ち主はこう言っていましたかな? オン・バサラ・ソウ・ソワカ」

「まさか……!?」

 

 ビャクアをおちょくるような愉快な口調でそう唱えた天厳の四肢に奇怪な紋様が浮かび上がる。

 

「変身」

 

 ビャクアが愕然とする中で怨面を被った物部天厳の肉体はおぞましい暗色の光に包まれて変わっていく。心臓を鷲掴みにされるような言いようのない威圧感を放ちながら。

 

『ほほぅ! これは見事なものですなぁ!! 全身に満ち満ちと力が漲ってくるではないですか!!!!』

 

 憤怒の貌をした猿の如き仮面を持ったその異形は嬉々とした声を上げて大気をビリビリと震わせた。

 

「そんなあり得ない……お前のような人間が怨面を使えるなんて! 御伽装士になれるなんて」

『否ァ! 小生は御伽装士などではありませぬ! この怨面などと言う小道具も己が力で屈服させたまで!!』

 

 仮面の異形は咆哮する。

 やがて天厳であった存在の肉体を覆い包んでいた黒い瘴気が全て晴れてその威容が明らかになっていく。

 魔猿の頭と尾に、無数の大蛇の毛髪。

 剛柔自在の白い狸の胴と出刃包丁のように分厚く鋭い爪を持った鎧のような虎の四肢。

 合成獣の面影を持つ異形の魔人の姿がそこにはあった。

 

『そうですな……さしずめ化神装士ヌエとでも名乗っておきましょう』

 

 御伽装士に極めて近く、限りなく遠い脅威がビャクアの前に立ち塞がる。

 いつかの黄昏時とはまるで違う血染めのような茜空の下で二人の仮面の戦士はいま死合おうとしていた。

 

 




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