仮面ライダービャクア   作:マフ30

9 / 12
第七幕 君に捧ぐボクの■■

 中学二年生のある冬の景色。

 目まぐるしく変化を続ける日々の暮らしと多感な年頃に突入した心にはもうすっかり、夕凪さんと過ごした思い出やあの雨の日に起きた別れと遺された言葉のことも古ぼけた過去の物にしていたはずだった。

 地元で珍しく雪がたくさん降り積もって、見慣れぬ銀世界を父さんが運転する車の後部座席から眺めていた時のことだった。

 突然外から聞こえてきた大きな物音と前の席で数秒前まで可愛い初孫の話で盛り上がっていた両親の言葉にならない叫び声。

 何事かとボクが前を向いた時にはフロントガラスを突き破って車の中に鉄パイプや鉄骨と言った資材が鋼の激流になって襲い掛かってきた。

 痛いほど心臓が鳴って、眠たくもないのに意識は一瞬で真っ暗になったように途切れた。

 

 何秒か何分経ったのか、定かではないが意識が覚醒した。

 同時に目の前に飛び込んできた凄惨な車内の変わりように口の中が酸っぱくなって気持ち悪くなる。

人間三人が血も肉も骨もまとめてミキサーに掛けられたように滅茶苦茶になっていたのだから無理もない。

 息を吸うのも苦しくなるぐらいの濃い血の匂いが漂う中で自分に何が起きたのかを信じられないが把握した。

 

 あのお呪いは本当の物だったのだと愕然とした。

 忘れかけていた思い出が後ろから首を絞めてくるような気分だ。

 ずっとあの日の愚かさも別れも夕凪さんのことさえも悪い夢だったと目を背けていた全てが現実で真実だったと証明された瞬間だった。

 ボクは――……。

 

「――」

 

 ベッドから床に落ちた文庫本の音で夢から覚めた。

 読書中に寝落ちして変な姿勢でまどろんでいたせいか背中がすごく痛い。

 あと、首の周りの寝汗も酷い――両親と死に別れた瞬間を夢に見たのだから無理もないことだけど。

 

「――……」

 

 怪我を負う前に気になって井上から借りていた文庫本を拾い上げて、汚れを払う。

 人魚姫・異聞のタイトルに我ながら何とも言えない深い溜息を吐くと換気がしたくて病室の窓を開けた。

 涼しい風に身体の不快感が吹き飛ぶように消えていく。だけど、よく見る夕焼け空とは雰囲気がまるで違う茜空に言い様のない胸騒ぎも覚えていた。

 まるで地獄の蓋を開けたような、煮えたぎる血のような赤い空に――。

 

 

 

 

 高校の屋上は先程まで繰り広げられていた戦いのけたたましさが嘘のように静寂に包まれていた。

 ただ……二つの仮面を纏う人型たちが対峙していた。

 六月の生暖かい空気が凍ってしまいそうな張り詰めた殺気が押し攻め合う。

 白い鴉の面を持つ者と魔猿の面を持つ者の一触即発の領域。

 

『どうしました? 怨敵がここにいるのですよ? 同胞を騙し討ちして怨面を奪い、化神様たちを扇動してこうして世を乱そうと企てる狂人がここに! あぁ……それとも、ご学友の少年を貴女に斬らせた張本人と名乗った方がそそりますかな?』

「喚くな」

 

 御伽装士とは違い口元は露わになった異形の戦士となったヌエは猿の如き牙をチラつかせ、慇懃にビャクアを嘲笑ってみせる。一拍の間も置かず、その挑発の返答とばかりに首筋を狙った怒れる刃が横一閃に走った。

 

『おっほっ! お見事な早業!! 小生の目では追えませんでしたよ。 まあ、良いでしょう』

「あの狸の化神の皮膚と同じ……なら、目でも抉ります」

 

 フェイントを混ぜて高速で背後からヌエの首を斬り飛ばそうと試みたビャクアであったが無念にも三体の化神と怨面の力が混じり合った異形の桁外れに強靭な肉体はその刃を寄せ付けなかった。

 だがビャクアは自身の体が地面に着地するよりも前に次撃へと移った。禍々しく濁ったヌエの目玉を快刀の切っ先で串刺しにしようとする。

 

『人間の肌と同じと思ってもらっては困りますなぁ! 小生と比べればあの少年の首筋は乙女の柔肌のようなものでしょう!! 手触りの違いを事細かに教えてほしいものです』

「くっ……ぁああ!?」

 

 ヌエのざらついた悪意に満ちた言葉がビャクアの心を甚振る。

 見え透いた挑発だと理解していても、快刀を握る彼女の手にはあの時の永春の首を切り裂いてしまった生々しい感触が蘇ったような気分に襲われて、僅かに攻撃の意思が揺らいでしまった。

 その隙を逃さず振り降ろされたヌエの拳打が容赦なくビャクアを叩く。

 手痛い一撃を喰らってしまった彼女の体はまるでゴミ箱へと乱雑に投げ込まれる紙屑のように地上へと吹き飛んでいった。

 

『クヒャッハッハハハハ! これは我ながら吃驚仰天!! 怨面と化神様方の融合体よもやこれほどまでとは!!』

 

 黄昏刻の空にヌエの哄笑が木霊した。

 禁断の――否、前例のない化神の力と御伽装士の力の複合という稀有な方法で生まれた化神装士の圧倒的な力は秘術を発想し試みた天厳さえも驚くしかない程に凄まじいものだった。

 

『その痛ましい姿。察するに貴女も相当な無理を強いて以前よりも力を引き出しているとお見受けしますが残念なことに小生との実力差は明確! それを知りながらまだ争いますか?』

 

 ふわりと屋上から着地したヌエは校庭に出来たクレーターの中心でガクガクと震えながらも立ち上がったビャクアを憐れむ。

 ビャクアは無言のまま海砕きの無双籠手を装着すると、にやついた相手の顔面へと剛腕を叩き込む。この一撃がヌエの問いへの答えだった。

 

「何度戯言を口にしてもやることは変わらない……お前を倒します」

『それは使命ですか? それとも贖罪? はたまたただの八つ当たりでしょうか?』

「……答える必要がありますか! このォオオオオ!!」

 

 壮麗な白い姿を惨めに汚し、何度も血の味のする咳をしながらビャクアは果敢にヌエに格闘戦を挑む。怪力を発揮できる無双籠手の拳は決定打にはならずとも効いているのか時折ヌエから微かに苦悶の呻きのようなものが聞こえた。

 けれど、それ以上にヌエの――天厳の嘲笑を孕んだ言葉が彼女の心に粘着して翻弄する。

 

「学校のみんなを得体の知れない樹に変えて一体何を企んでいるのです!」

『人柱樹のことですか? もちろん小生が成すは化神様の皆々様にとって益となること! 聞けば暗天なるこの世ならざる異界を彼らは生み出せるというではないですか?』

「まさか、この世界を暗天で上書きするつもりなんですか!?」

 

 ビャクアの鉄拳を斧か鎌のような爪で切り払い、得意げに頷いたヌエ。

 危惧していた予想通りの凶行を企んでいた相手の無茶無謀さに彼女は寒気を覚えた。

 

『ですがそれはあくまでも大願の第一段階にすぎませぬ。傷心を押して立ち塞がってくれた貴女には特別に教えてあげましょう!!』

「いぎっ!? ぐぇ――!!?」

 

 無遠慮に力任せで襲ってくる虎爪を必死で防いでいたビャクアの腹に鞭のようにしなる猿の尾がめり込む。皮膚が裂けるような痛みに動きが止ったところに追撃の蹴りが突きささる。丸太をいきなり突っ込まれたような衝撃に彼女は情けない呻きを吐き出して校舎の壁に叩きつけられてしまう。

 

『小生は化神の皆様にこの地上の長になっていただきたいと思っているのです。つまり、人間という動物共を霊長の座から引きずり降ろしたいのですよ!!』

「ハァ……ハア……ッ、馬鹿げています」

『まあ、はい。人間の貴女に理解していただかなくても結構ですので……小生、人間嫌いでしてね』

「私はそんなに利口ではないのでお前と知的な論争なんて出来ないです。でも、そんなもの必要とすることもなく、物部天厳! お前だけは止めて見せる」

 

 瓦礫の中からゆっくりとビャクアは立つ。

 無双籠手はヌエの爪の猛攻についにバラバラに砕けて無残に彼女の足元に崩れ落ちた。

 蹴りを受けた際に逆流しかけた胃液で喉奥がひりつく不快感に眉を顰めながら、次の七つ道具を召喚する。

 

「お覚悟を」

 

 大鎌を構えるその声は苦しげで弱々しい。

 呼吸をすれば血の味が口内に充満する。

 足腰はとっくに悲鳴を上げて軋んでいる。

 だけど、ビャクアは意地だけで万の一つも勝ち目が見えてこないヌエと戦う事を止めようとはしなかった。

 

『あきらめない精神というものも度が過ぎれば鬱陶しさに変わりましょう。小生には敵わないということは貴女が一番良く解っているのではございませんか?』

「それでもやらなきゃいけないんです。こんな私だからせめて、御伽装士としての私だけは務め抜かないと……自分が生きているのが許せないと思うんですよ」

 

 すっかり白けた様子のヌエの言葉にビャクアは気持ちが高ぶるあまりに震えた声で返した。永春を守れなかった。それどころか自分のこの手で傷つけてしまった。

 その現実や彼と向き合うことが怖くで逃げてしまった弱虫な自分――挙げだしたらキリがない不甲斐ないダメな自分への怒りと、御伽装士としての使命感を燃やして沙夜はいま懸命に食い下がろうと足掻いていた。

 

『仕方ありませんな。聞き分けの悪い子供を少しばかり本気で懲らしめるとしましょう』

 

 気だるそうに首を回した瞬間にヌエの姿がビャクアの目の前から消えた。

 そして、次の瞬間に彼女自身の視界がぐるぐると振り乱れた。

 

「うわぁ――!?」

『嗜虐趣味は無いのですがねえ……化神装士(この姿)の能力を測るためにも暴力に耽りますかな!!』

 

 音もなく間合いに入り込まれたビャクアは片足を掴まれると人形のように振り回されて何度も何度も壁や地面に叩きつけられる。

 

「くっ……舐めるな!」

 

 全身に激痛が走り、脂汗が滲み出るがビャクアも負けじと食い下がる。力を込めてヌエの手を外すと躍動。機動力を活かして死角に回り込むと弾丸のような勢いで飛び膝蹴りを打ち込む。更には鬼気迫る勢いで大鎌を四方から振り下ろして斬撃をお見舞いする。

 

『そうでなくてはねえ!!』

 

 果敢に自分に挑んでくるビャクアを羽虫でも見るように嘲り、応対する。

 戦士としての技量はビャクアが上でも全てにおいて圧倒的な力を誇るヌエはその攻撃の悉くを正面からねじ伏せてしまう。

 

『受けてばかりでは退屈しますね。たまには小生のほうから仕掛けましょうか』

「ぐ――っああ!?」

 

 四つん這いの獣のような姿勢から目にも止らぬ速さで突撃していったヌエはあっという間にビャクアの懐に入ると強靭な爪の横薙ぎで彼女を吹き飛ばす。

 ボールのように何度も地面をバウンドしながら転がるビャクアに更なる追い打ちを加えようと猛虎のように飛び掛かる。

 

「このッ! 羽団扇よ、嵐を生め!!」

『おおう!? 面白い真似をすることで』

 

 砂埃に塗れながら何とか体勢を直したビャクアはすかさず新たな七つ道具を召喚すると神通力を注いで全力で一振りした。生み出された白い竜巻が空中にいたヌエを呑み込んで更に上空へと弾き飛ばす。

 

「韋駄天の鎧下駄……いざ!!」

 

 宙空にて無防備になったヌエにビャクアは一気に仕掛けた。

 マガツとなって得たより激しく攻撃的な神通力を解放して疾駆すると幻影のような動きでその身を七つに分けると変わり代わりに必殺に値する蹴りを浴びせていく。

 

『クヒャッハッハッハ! 元気の良いことで結構!!』

「最後まで減らず口ですか……終わりです! 乱鴉一陣!!」

『無駄だと言っておるのですよ。たわけめ!!』

 

 頭部へと目掛けて迫るビャクアの一撃。

 だが、それよりも早くヌエは白い腹を――あの刃も砲撃も無力化したバケダヌキの腹部を風船のように大きく膨らませて、受け止める。

 ダイナマイトが炸裂したような衝撃が生じて大気がビリビリと震える中でビャクアの渾身の攻撃をかわしたヌエはしたりと口元を歪ませた。

 

『では……小生も少し張り切りましょうか! ヌゥオオオオオオアアアア!!』

 

 おぞましい咆哮を上げてヌエが拳を握り締めると禍々しいオーラのようなものが溢れ始めた。ビャクアは咄嗟に身を翻して回避しようとしたが地上に乱立した人柱樹の存在を思い出す。

 元々は人間であったあの樹がヌエの攻撃の余波で消し飛ぶようなことになれば――罪のない人々の命を見捨てることなど御伽装士である以前に彼女には出来なかった。

 

『隙など晒して、余裕ですかな? では、遠慮なく消えエエェイイイイイ!!』

「まずっ、間に合え――退魔七つ道具が其の陸、限定召喚!!」

 

 瞬間、高校の上空で激しい光と炎が爆ぜた。

 ヌエの拳がビャクアに直撃する瞬間に二人の間に巨大で堅牢なナニかが出現して致命傷こそ免れたが彼女は真っ黒焦げになって隕石のように勢い強く地面に墜落した。

 クレーターでは生ぬるい、地面の土が砂のように粉微塵になるような衝撃をまともに受けたことでヌエがすぐ傍に近付いてくるまで動きたくても動けないほどだった。

 

『何かを挟み込ませて凌ぎましたね? 可愛げのないことだ』

「お゛っげぇ――!?」

 

 痛みを通り越して感覚が麻痺している様な状態のビャクアをヌエはみすぼらしい小動物を苛めるかのように何度も蹴りつけ踏みつける。

やがて、麻痺が痛みに引き戻り苦悶の声を上げるようになった頃合いを見てビャクアを再び上空に蹴り上げると蛇になっている頭髪を逆立てる。

 

『翼のない鴉が大空でどのように舞うのか、どうかお見せ下さいませ』

「あっががああぁあああぁッ!?」

 

 無数の蛇髪は口から銃口のようなものをせり出すと一斉に毒液の弾丸を乱射した。

 ついさっきまで意識が飛びかけて、いまも全身を苛む痛みでまだ上手く動けないビャクアは懸命に大鎌を振り回して防御するが自慢の得物の刃はすぐに砕け、全身を撃たれてあちこちの軽鎧が焼け溶けていく。

 

『滑稽、滑稽! まぁだ……やりますか?』

「……うぅ、っお゛ぇ」

 

 猟師に撃たれた小鳥のように地に落ちていくビャクアの首にヌエの尾が巻きついて、宙吊りのような格好で絞めつける。

 くぐもった嗚咽を無理やり上げさせられながら、彼女は痙攣を始めた指先で自分の首を絞める尾を掴もうともがく。ボロ雑巾のように蹴散らされようと沙夜の心はまだまだ折れる気配はない。

 そして、天厳にとってその健気で清廉な姿は至極腹立たしい光景であった。

 適当に嬲り倒して人柱樹にしてしまおうと考えていたものを少し変更しようと姦計を巡らせる。

 だが余裕から生まれたこの僅かな隙にビャクアは捨て身の策に打って出た。

 

「アァ……アアアアァ! 白鴉! 白鴉の怨面ッ! もっと私に力をよこして! 私の命も心も供物にする!! だから、もっと力をよこしなさい!! 力をよこせぇええええええ!!」

『なんと!?』

 

 望月沙夜という人間が出すとは到底思えない猛り狂った叫び声に応じてまずは仮面が妖しく光った。続いて白い武者姿のあちこちに迸る蛇紋様が鮮血のような紅い輝きを放つとビャクアは単純な腕力でヌエの尾を引き千切り、本体へと肉薄する。

 

「ガァアアアアアア!!」

『ガッホォ!? 驚きましたな……この怨面という魔道具、染み込んだ怨念の濃さで言えば並の化神様たちの比ではないはず。貴女も人間ではなくなりますよ?』

 

 生きた嵐のような荒々しさでヌエに攻めかかるビャクア。

 限界を超えた力で殴れば殴るだけ、蹴れば蹴るだけ憎き相手にダメージを与えられるがそれは同時に自分の体も傷ついていく諸刃の剣だ。

 

「構いませんよ……そのほうが私には似合っている」

 

 一撃を繰り出すごとに血が飛び散った。

 

「満たされたいと思ってしまった」

 

 一撃を叩き込むごとに肉が裂けた。

 

「好かれたいと願ってしまった」

 

 一撃を届かせるごとに心が削れていく。

 

「だから……だから永春くんはあんな目に遭ってしまった! 誰が何と言おうともやっぱりアレは私の罪で……私がこの身全てで償わなきゃいけないことなんだ!! 私は御伽装士としてだけ生きなきゃいけなかった!!」

 

 もうとっくに見るに堪えないほどにボロボロになっていた。

 だけど、まだまだこんな痛みや傷では自分を許せないとばかりにビャクアは獣のようにヌエに攻撃を続ける。

 

『ぐっ……好き勝手やらせておけば! 舐めるな!!』

「ウゥァアアアアア!!」

 

 袈裟斬りに振り降ろしたヌエの爪が痛々しくビャクアの胴を深々と裂いて、熟れた果実が弾けたように温かな血が溢れる。だが、ビャクアの拳打は止らない。

 本心から人の心を捨てて、化神や人界を脅かす悪しき存在と戦うだけの人形になってしまってもいいという気概で怨面の力を無理やりに引き出し続けて戦おうとする。

 死なば諸共の勢いでぶつかる彼女の猛攻撃の前についにヌエの肉体も微かに傷が目立ち始めて赤黒い血がボタボタと滴り始めた。

 

「うぅう……ハァ、ハッ……うぅあぁ……ああああああ!!」

 

 雄叫びなのか泣き声なのかも分からない絶叫と共にビャクアがヌエの首を掴みにいく。そのまま全身で飛び込んで首を折る――いや、強引に千切ろうと飛び掛かった時だった。

 

『気が済みましたか? もうお休みの時間ですよ』

「――え」

 

 ビャクアの体がふわりと宙に突き上げられて、夥しい量の血が噴き出した。

 ヌエの傷口から伸びた槍のように尖った無数の血の触手たちがビャクアを滅多刺しにしていたのだ。

 それは天厳が過去にバケヒルの血肉を喰らい手に入れた最初の異能――なにより最も信頼を置いている力だった。

 

「うぁ……ぐぅあ、ああっ!? こんなも、ので……死んでた、まる」

『ご安心ください。簡単には殺しませんよ。むしろ、そのまま捨て置けば貴女は勝手に死ぬでしょうがそれでは面白くない』

「なに……を?」

 

 握り拳ほどの血反吐を吐いたビャクアの仮面の口元から鮮血が漏れ出す。

 操り人形のように全身を血の触手で貫かれ不格好に吊るされたままで彼女は尚も戦おうと手を伸ばす。

 亡者のような凄惨な姿でまだ悪足掻きをしようとするビャクアにヌエは悦に浸った様子で静かに両腕を胸の前で揃える。なんということか、するとヌエの両腕は融け合い形を変えると虎頭の銃口を持つ大砲のように化けた。

 

『虫の標本のようにそこで暫く大人しくしていなさい』

「あ……ガッ――!?」

 

 虎の咆哮のような轟音が鳴るとヌエの両腕が変わった大砲から5cmほどの太さの骨を素材にしたような杭がビャクアへと炸裂した。

 ズブリ――と、力が抜け落ちてしまうような気味の悪い音が一つ。

 杭はビャクアの腹部を貫通するとそのまま勢い良く飛んでいき、彼女を磔刑に処するように校舎の壁に突き刺さる。

 その一撃が決め手となって、ビャクアは限界が迎えたのか怨面が呆気なく外れると淡雪のような光がほつれて変身が解除されていく。

 

「クヒャッハッハハハ! 本当にそれでまだ生きているとは正直なところ驚きですよ!」

「……ぁ、ぁぁ」

 

 杭を伝ってポタポタと沙夜の血液が高所から雫となって落ちていく。

 辛うじて急所は外れたようだが天厳が指摘するようにこれだけの重傷を負って彼女はまだ生きていた。

 血に濡れた前髪から覗く、焦点の合っていない淀んだ眼は倒さなければならない男を未だに見つめて満足に動かない右腕を必死で伸ばしていた。

 

『その執念には感服致しましょう。ですが貴女の戦いはここで終わり』

 

 沙夜が磔にされた足元に転がる白鴉の怨面を拾い、ヌエは冷淡に告げた。

 そして、あの人柱樹の種を彼女にも打ち込んだ。

 

「なにを……うぁあっ、ぁぁあ!? やめっ……いぎ、うっぷぅう……わあぁあぁ」

 

 その光景は悪夢と言う他なかった。

 沙夜の体内で芽吹いた種はあっという間に根を張って彼女を蝕んでいく。

 

「あ、ああぁあ……私に入ってこ、ないで!? ああああああああああ」

 

 おぞましい呪いで満ちた無数の根が沙夜の神経や血管までも侵略していくようだった。

 全身を蟻の大群が這い回るような卒倒しそうな感覚が彼女を襲う。

 痛々しい傷口から芽を出した枝木が触手のように纏わりついて傷ついた彼女の体を包んでいく。

 逃げることも抗うことも出来ずに沙夜は自分の身体を苗床に成長を続ける人柱樹の恐怖とそんな異常事態に陥りながら全身を襲う心地の良い感覚、この相反する二つの衝動に狂ったような声を上げることしか出来なかった。

 

『どうですか痛みも苦しみもないでしょう? そんなものはすべて捨ててしまいなさい。良いのです、これから貴女たち人間は犬畜生と同列へと落ちるのですから』

 

 天厳の言葉が最後まで彼女に届いていたのかは分からない。

 何故なら既に沙夜の意識は途切れていた。

 完全には人柱樹にはならず全身から芽吹き雑多に伸びた枝や蔦に絡まった状態で生かされているような姿。

 全ては自らの計画の成就を沙夜に見せつけようという天厳の悪趣味による差配だった。

 かくしてビャクアを退けた天厳は高校に居合わせた人々を用いて作り出した人柱樹を触媒に禁忌の儀式を実行に移した。

 無数の人柱樹の枝先からは化神が暗天舞台を開く時と同じように黒い靄のような瘴気がゆっくりと放出され始めるのだった。

 

 

 

 

「――!!」

 

 血のような赤い夕焼け空に突然、黒い靄か霧のようなものが溢れ出して、この町に異常事態が起きていることは明らかだった。それも方角の先にはボクらの学校もある。胸騒ぎが強くなった。

 病室の外の廊下からも窓の外からも多くの人たちがアレは何だと騒ぐ声が聞こえてくる。

 きっと化神絡みの何かが起きているんだと思った。

 思ったから、ボクは大急ぎで私服に着替えて病院から抜け出そうとしていた。

 行かなきゃいけないと本能のようなものがボクの体を動かしていた。

 彼女に――沙夜さんに会わなきゃいけない。

 周りに迷惑を掛けてしまうとかそういう諸々は後回しだと思考の隅に追いやって、ボクは躊躇い無く窓枠に足を掛けた。

 

「どこに行くつもりッスか?」

 

 突然、手首を掴まれてふり向くとそこにはスキンヘッドにグラサンという風貌の光姫さんの部下・梶さんがいつの間にか部屋に入り込んできていた。

 

【沙夜さんに会いに行きます】

 

 普通ならば彼の顔を見ただけで怯んだだろう。

 だけど、今日のボクは自分から乱暴に手を振り払うとホワイトボードに書き殴った意思を見せつけた。

 

「反省とか、次は死ぬかもって恐怖心はないんッスか? 御守衆としても、年上の人間としても君を行かせるわけにはいかないですわ」

 

 呆れと同時に心配するような言い方で梶さんはボクを諭した。

 その言い分は正しいと思う。

 でも、いまのボクは正論を前にしても止ることは出来ない。出来ないんだ。

 

【ここで行かなかったら、明日からはどれだけ長生きしても死んだようなものです】

「君に何かあったら、俺も光姫さんにシバかれるとか他人に沢山迷惑を掛けるってのはお分かりになるッスか?」

【いいからどけ ハゲ!】

 

 書き殴ったホワイトボードを突きつけると同時にボクはがむしゃらに彼に殴りかかった。我ながら失礼で最低な奴だと思う。

 だけど、常識も理性も品性も未来も何もかも全部捧げたとしてもボクは行かなきゃいけないと思ったんだ。

 あの雨の日を、あの夜を超えて、沙夜さんに会ってたくさんのことを伝えたいと自分を止められなかった。そんな決意を込めた素人丸出しの不格好なパンチは簡単に梶さんに片手で止められてしまった。

 

「――……!!」

「あー……永春くんでしたっけ? 君、最高っすわ!!」

 

 はぁ!?

 反撃に一発殴られるぐらいは覚悟していたのだけれど、梶さんは白い歯を見せてニカッと表情を明るくすると大声で笑い始めた。

 

【あの? 大丈夫ですか?】

「一緒に来るッス! お嬢は例のオカルト糞野郎を追って君らの学校です。車で近くまで乗せていきますぜ。どうせ俺も安さんたちの手伝いに駆り出されることになるんで」

【いいんですか!?】

 

 あまりにも渡りに船な展開にボクが困惑していると時間が勿体ないと思ったのか梶さんはボクを軽々と担いで窓から飛び降りた。

 そして、難なく着地すると愛車と思われるゴツい自動車に乗り込んだ。確かヘルキャットって名前だったっけ?

 いや、そんなことよりも超展開すぎて理解が追いついていない。

 

【どうして?】

「俺、ボーイ・ミーツ・ガールが大好きなんすわ。最高のハッピーエンドを頼むッスよ」

 

 ヘルキャットは爆音を上げて走り出した。

 完全にアクション映画のワンシーンみたいになってきた車内でさっきの無謀な勢いが嘘のように混乱しているボクに梶さんはウキウキした様子で答えてくれた。

 

「真面目なお話をするとですな。俺も安さんと同じ気持ちってだけですよ。いや、杉さんや中さんも同類ッスか……いい女にゃ、いつだって笑って(いいかお)でいてもらいたいもんでしょ? お嬢を頼んだっスよ」

 

 梶さんの言葉に熱くこみあげるものをボクは感じた。

 ボク自身もずっと分かっていて、色んな理由で目を背けていた当たり前の答えだった。

 沢山の人にこれだけのことをしてもらったんだと改めて痛感したボクもこれから自分がやろうとしていることに腹を括って、その決意をホワイトボードの代わりに携帯のメール画面に打ち込んで彼に見せる。

 

【命かけてきます】

「おう! でも、命は大事にしてほしいッスわ。でないと今度こそ俺や安さん四人まとめて光姫さんに半殺しにされるんで」

 

 一番の本気のトーンで窘められてしまった。

 ふと気がつくと猛スピードで走る車の景色はあの黒い靄のようなものが見えるようになっていた。何が待ち受けているのか定かではないがボクは自分になにも躊躇うなと強く言い聞かせながらじっと目的地へと到着するのを待った。

 

 

 

 

『あ……れ?』

 

 目を覚ますと私はお昼の繁華街のようなところにいた。

 まだ頭の中がぼんやりする。

 何かとても痛い思いをずっとしていたような。

 

「もっちー! なにやってるの、置いてくよ」

『双葉さん? あの、一体なにが?』

 

 突然目の前に現れた双葉さんが私の手を取って、走り出す。

 小柄だけど、いつも私に話しかけてきてくれたり、あれこれと面倒を見てくれる頼れる大切な友人。それだけじゃない、彼女が向かう先には他にも最近仲良くなったクラスメートの方々が私たちを待っていた。

 

「おまたせー! もっちー連れてきた!」

「サンキュ! さあ、テストも終わったし今日は遊ぶよー♪」

「望月さんもちゃんとついてきなよ。JKの青春は短いのだ!」

「えっと、はい! その、お手柔らかに……たはは」

 

 花火のように眩しく賑やかな彼女たちに連れられて、私は休日の町をこれでもかと遊んで回った。オシャレな洋服やアクセサリーが並ぶショップを数え切れないほど訪れて、店先で美味しそうな匂いのするものを片っ端から食べ歩いて。

 カラオケにも行った。

 他のみんなが歌う曲は聞き覚えのないものばかりで、自分が歌える持ち歌も片手で数えるぐらいしかなくて――でも意味もなくみんなで騒いではしゃぐのがどうしようもなく楽しくて。

 気が付けば、外はあっという間に陽が落ちて真っ暗な夜になっていた。

 それでも町はまだまだ明るくて、馴染みのあるはずの夜の暗さや恐いような静けさなんてどこにもなくて。

 

「さーて、次はどこいこうかー?」

「とりあえずマック辺りでご飯にしとく?」

「えーアタシ行くならコメダがいい」

「双葉あんたそれ、量だけで考えてるでしょ」

『すみません。少し家の者に電話してきていいですか?』

「OK。入り口で待ってるわ」

 

 夜、何か大事な日課があったような気がして電話を掛けた。

 家と言っても居候先だ。本当の家族とはもう数年は直接は会えていない。

 

『もしもし光――』

「あら、沙夜どうかしたの?」

『お母さん!?』

 

 聞こえてきたのは間違いなく母親の声だった。

 最近は忙しくてメールでしか近況報告を出来ていなかったはずなのに――。

 まるで毎日顔を合わせている様な気軽なお母さんの声が聞こえてくる。

 

「それはそうよ、家の電話なんだから。お夕飯のことかしら? そんなの気にしないで友達と楽しんでおいで。でも、変なお店とかには行っちゃダメよ」

『い、いかないってばそんなところ。じゃあ、お土産に何か買ってくるからね』

「子供の頃の縁日じゃないんだから気を使わなくていいわよ。来月には毎年の家族旅行もあるんだし。それじゃあまたね、車に気をつけて」

 

 そういえばそうだった。

 なにを変なことを思い込んでいたんだろう。

 私の家はずっとこっちにあって、実家暮らしだったのに。

 遊んでいる間も最近仲良しの妹が少し反抗的だって双葉さんに愚痴ってしまって彼女とお姉ちゃんトークで盛り上がったばかりだったのに。

 

 ――幸せな作り物の記憶が沙夜を塗り潰していった。

 ――家族とは離れ離れにならず、友人にも恵まれた普通の少女の日々。

 ――ぬるま湯のような、ずっと浸っていたくなる苦しみも痛みもない時間。

 

 それらは全て人柱樹に取り込まれた人間が見せられる麻薬のような蕩ける夢幻だった。

 しかし、いまの沙夜にはそれが気付けない。

 

「そーだ! メシいくまえにゲーセンも寄ってこうよ」

「うわっ、出たよ体育会系! お腹空かせてドカ食いする気でしょう?」

「いーじゃん! バッティングマシーンもあるとこ知ってるからさ」

『え!?』

「もっちー、アレ好きなの?」

『いえ……初体験なんですけど、何故だかとても興味が湧いてくるというか』

 

 本当にどうしてそんな言葉に反応してしまったんだろう。

 野球なんて三回空振りしたらダメってぐらいの知識しかないのに。

 何か違和感を覚えながらも、双葉さんたちの楽しげな笑い声を聞いているとそんなこともどうでもよくなっていく。

 不思議だ。

 いつもいつでも小学生の時も中学生の時もこんな風に当たり前のように仲の良い誰かと遊んでいたはずなのに全てが新鮮に感じる。

 

 きっとテスト明けで心が開放的になっているからだろ思う。

 みんなに一歩遅れて私もゲームセンターに飛び込んだ。

 なにをして遊ぼう。

 こう見えてゲームにはちょっと自信があったりします。

 ■■さんに付き合わされて、やり込んできたので双葉さんたちをギャフンと言わせてあげます。

 あれ――私はいま誰の名前を思い浮かべていたんだっけ?

 まあ、いいです。たぶん、妹だったと思います。

 

 毒のように甘く幸せだらけの偽りが沙夜を捕らえて離さない。

 現実の世界での彼女は人柱樹に取り込まれ酷く傷ついた状態で磔にされたままだ。

 

 

 

 

「オイオイオイ! なんだよこれまるで世紀末的なディストピアじゃねえか!!」

 

 運転席の梶さんが慌てた口ぶりでハンドルを切る。

 黒い靄の影響なのか混乱の中心に近付くにつれて街の人たちは正気を失い、錯乱した様子で暴れていた。まるでこれじゃあ知性を無くした動物か何かだ。倒れている人も何人かいる。

 

「クソったれめが! 悪い永春、俺が乗っけてやれるのはここまでッスわ!!」

 

 予想以上の混乱に梶さんは舌打ちをすると狭い路地の入口に車を横付けに停車した。

 

「ここからなら限界まで誰とも会わずに学校に行けるはずですわ! 俺は安さんたちと合流してこの騒ぎに対応する!!」

【本当にありがとうございます】

「選別にコイツもやるッスわ」

 

 ヘルキャットから飛び出そうとしたボクに梶さんは一本のゴテゴテした機械がくっついたナイフを渡してきた。まるで着火マンのような引き金が付いた大きなナイフだ。

 

「丸腰じゃ困るだろ? 俺がカスタムした対化神用だ」

【助かります】

「いいか! 本当にヤバい奴に出くわしたらぶっ刺してから引き金を引け。んで、なるべく離れろ。地獄を見せてやれるからよ。グッドラックだぜ!」

「はい! いってきます!!」

 

 革の鞘に収められた大型ナイフを握り締めて、ボクは駆け出した。

 もうこれはいらないと首の包帯を脱ぎ捨てて一路学校を目指した。

 薄暗く狭い路地裏を進むボクを謎の白い機影が追いかけてきているのに気付くのはもう少し後のお話。

 

 

 

 

「今日は楽しかったねー!」

「所持金ヤバいわ、バイト増やさないと……あっははは!!」

「それじゃアタシん家こっちだから、バイバーイ! うっちーまた明日ね」

「私らも走ればバス間に合うからいくね」

『はい。みんなもまた学校で』

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 でも、寂しくはない。だって、明日もみんなに会えるのですから。

 部活も再開するから大会で良い結果が出せるように頑張らないと……え、でも私って何の部活に入っていたんでしたっけ?

 

 まだ頭がぼーっとしているのが治らない。

 みんなと遊んでいる時も、美味しいものを食べている時もずっと、ずっと霧に包まれたように何かがスッキリしない。

 そんな不思議な心地に首を傾げながら誰もいない静かな夜道を歩いていると道中にあるカーブミラーに映った自分の姿に足を止める。

 

 周囲に誰もいないことを確認してから、マジマジと鏡に映った自分を眺める。

 ちょっとコンプレックスな高い背に長い黒髪。

 短めに切り揃えた前髪とよく綺麗だねと褒められる大きな紫の瞳――。

 ――なんだこの顔???

 

 違う。

 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う。

 こんなの違う――!!

 

 こんな優しいだけの世界だなんて、あってたまるもんか!!

 

 自分のようで自分ではない顔を見た瞬間に、誰とも目を合わせたくなくて前髪で隠しているはずの双眸が露わになっている自分を目の当たりにして、沙夜の心はこの違和感をハッキリと認識した。

 

 幸せな牢獄の世界に決定的な亀裂が入った。

 それは傷ついた心身でも尚、人柱樹の呪詛に屈しなかった彼女の強い心の賜物。

 そして、何よりも――。

 

『ここには彼がいない! そんなの可笑しいに決まってるじゃない!!』

 

 ずっと足りなくてもどかしさを感じていた欠片の正体に気付いた時、彼女は彼女を取り戻した。

 沙夜の心の中に巣食っていた偽りの世界が砕けていく。

 甘やかすことしかできない偽物の日常が壊れていく。

 

「私は確かに永春くんを傷つけてしまったことを悔やんでる。だけど、それで永春くんって男の子が居なくなれば苦しみや痛みが消えてなくなるなんて……これっぽっちも思っていないんだから!! どこの誰です……こんな偽物の私をやらせていたのは!!」

 

 泣いて怒って叫んで、沙夜は夜闇を裂いて走り出した。

 甘い闇が、心地のいい夜が手を伸ばして迫っても瞳が隠れるほど伸びた前髪を振り乱して蹴散らしていく。

 

「――本当は逢いたいですよ。逢いたいに決まってるじゃないですか! 永春くんに逢って謝りたい。許してもらいたい。また彼の笑顔をみたいし、一緒に笑いたいし……どこかへお出かけだってしたいですよ!!」

 

 真っ暗闇の中を沙夜はこれでもかというほど叫んで、叫んで、叫びながら一心に走る。

 心の中は嬉しいや悲しいでぐちゃぐちゃだ。怒りや楽しさでめちゃくちゃだ。

 泣きながら笑って、それでもあの優しいだけの時間よりもずっとずっと体は軽く、心地が良い。

 

 ワガママだらけで自分でも呆れてますよ。

 確かにいまの私には両方やるなんて器用なことは出来ません。

 それでも願ってしまった想いも、祈ってしまった気持ちも誰でもない沙夜(わたし)の本心だったんです。

 いまはまだ不甲斐なくて成せなくても、やっぱり捨てることなんてもっと出来ないんだ。

 だから私は起きなきゃいけない。

 だから私は戻らなきゃいけない。

 

 永春くんに言った約束(ことば)をもう一度拾い上げて、やり遂げるために。

 まずは裏の私の役目を完遂するために――人の世を、みんなの平和な日々を守るために。

 

 

 

 

「うぅうううおおああああぁああああああああ!!」

 

 

 真紅の空の下、黒い瘴気が充満する学校敷地内に甘露な毒の夢幻を払い除けた少女の雄叫びが轟いた。

 傷の痛みも癒えぬ疲れも知ったことかと体から芽吹き、絡みついた人柱樹の枝や蔦を無理やりに引き千切る。

 

「フッー……! フゥー……ッ! こんなものぉおおお!!」

 

 そのまま沙夜は自分の血のぬめりを利用してその身を貫いたままの杭から抜け出した。

 異物が内臓をすり抜けていく筆舌に尽くし難い感触に吐き気をこみ上げ、脂汗を滲ませながら脱出した彼女は不格好に落下しながらもどうにか受け身を取って自由を取り戻す。

 

「ハァ……ハア……まだ生きてる。この感じなら、もう少し死にそうにはなさそうですね。よし、いけます」

「いいえ。死んでもらいます」

 

 ふらつきながら一変した校庭を探索していると黒靄の瘴気の中から現れた天厳が背後から沙夜を押し倒した。

 

「全くどこまでも期待外れのことばかりする人ですね貴女は! ゴキブリの方が可愛げがある!!」

「くっ……放せ! 私の怨面を返せ! 負ける、もんかッ!!」

「っぎゃあああ!? 目、目がぁぁぁ!?」

 

 沙夜に馬乗りになった天厳はそのまま彼女の首を絞めて殺めようとする。しかし沙夜も疲労困憊の体を意地で動かすと果敢に抵抗して押し退けようと足掻く。

 顔を近づけ自分を笑う天厳の右目に鬼気迫る表情と共に左の親指をねじ込んで潰しにいった。

 

「さっきも目をくり抜くと言ったでしょう! 私をただの小娘だと思いましたか!」

「命だけはと……甘くしておけばこのクソアマめがぁああ!!」

「いぎっいい!? それぐら……いなんだぁああ!!」

 

 右目から流血した天厳はそれまでの慇懃無礼な態度を豹変させて粗野な口調で沙夜の顔を殴打する。それだけでは飽き足らず杭が刺さっていた傷口に指を突っ込んで掻き回すという暴挙に出た。

 呼吸を乱し、目を見開いて失神しそうになりながら沙夜は執念だけで食い下がると歯を食いしばり、殴り返す。

 獣と獣同士の争いのように縺れ合う熾烈な攻防。

しかし、それまでの消耗が災いして徐々に沙夜が劣勢へと追い込まれていく。

 

「ただでは殺さん!! 手足を切断してそこいらの浮浪者の慰み者にしてやろうではないか! いいや、人間では勿体かな? 豚にでも犯させてやった方がお似合いですかな? クヒャッハハハハハ!!」

「――おい」

 

 下郎めいた天厳の高笑いの中に少年の声が混じっていたのを二人は気付けなかった。

 だからこそ、天厳は背後からいきなり髪を掴んで自分を引き寄せる謎の存在に虚をつかれてしまった。

 

「な、なんだ!? だれ……っぼお!?」

「彼女に下品な言葉をそれ以上吐くな」

 

 勢い任せな拳が天厳を殴りつけた。

 だが天厳は地面に倒れることは無かった。

 それは許されなかった。少年が彼の髪を掴んだままにしていたのだ。

 何故なら少年はもう一機、天厳に一発お見舞いしなければ気が済まない相手を連れてきていたからだ。

 

「いまだハヤテ! 遠慮はなしでやっちゃえ!!」

【■■■■――!!】

 

 次の瞬間に嘶くようなエンジン音が響いて、猛スピードで突っ込んできたハヤテチェイサーが思いっきり天厳を撥ね飛ばした。

 情けない悲鳴を上げて黒い瘴気の奥へと飛んでいった天厳に少年は――永春は悪びれずにガッツポーズを取って見せた。

 それから少しだけバツの悪そうな穏やかな表情でずっと会いたかった沙夜に向き直す。

 

「やっとまた会えたね、沙夜さん」

「永春……くん」

「すごい怪我だけど大丈夫そう!?」

「……はい。はい! これぐらい慣れっこですから」

 

 何の前触れもなく現れた永春に沙夜は思わず頭が真っ白になった。

 けれどすぐに嬉しさ多めの万感の思いがこみ上げてきて、震えた涙声でなんとか彼を心配させないように言葉を紡ぎ出した。

 

「良かった。とにかく一度ここから離れ――」

 

 苦しそうにへたり込んだままの沙夜を起こそうと永春が手を伸ばした時だった。

 血で出来た鎌状の触手が後ろから永春を突き刺した。

 沙夜が愕然とする中で永春の体は血の触手に持ち上げられていく。

 

「死に損ないの小僧が……病院のベッドで震えていればいいものを! 小生を馬鹿にした報いを教えてやりましょうや!!」

「永春くん! 天厳やめ――」

 

 それは永春の予想よりも早く舞い戻って来た天厳の殺意に満ちた攻撃だった。

 青ざめた顔で沙夜が手を伸ばすよりも先に天厳は容赦なく血触手を操って永春の上半身をズタズタに切り裂いた。

 

 血の雨が降る。

 永春だった肉の塊、その欠片たちが無残に転がった。

 憂さ晴らしができた天厳の狂った笑いが木霊する。

 憎しみと悲しみに染まった沙夜の怒号が轟いた。

 

「――ごめんね、沙夜さん。ボクは平気だから」

 

 勝ち目のない状態でそれでも道連れにでも天厳を殺してやろうと走り出した沙夜を優しい永春の声が制止した。

 

 

 

 

「えいしゅんくん?」

「いたた……空気読めよ、このエセオカルト野郎。おかげで沙夜さんを無駄に悲しませちゃっただろう」

 

 目の前で起きている光景に沙夜さんは怒りも憎しみも悲しみも全てが吹っ飛んでしまった様子だった。

 安心しろと言う方が無理だとは思うのでやっぱりずっと言い出せなかった自分が忍びない。

 いくら彼女が化け物や凄惨な光景に耐性があるといってもバラバラに切り裂かれた人間の体がまるで映像が巻き戻るように僅かな時間で元通りに再生されるなんてものを見せられたら驚くに決まっている。

 

「なんだ? 何なのだお前は!? 答えろ、化け物め!!」

「本当に腹の立つ人だなアンタは……ボクは人間だよ。ちょっと不死身なだけの普通の男子高校生さ」

 

 わなわなと震えてボクに畏怖の視線を向けてくる天厳にちょっと得意げに言ってやる。

 痛みは思いっきり感じているのでこれぐらいは恐がらせてやってもいいだろう。

 

「なんだよアンタ、そんな時代錯誤の呪術師みたいな恰好しているくせに不死身とか超能力持ってる人間に出会ったこともないの? あ、そういえば光姫さんが言ってたねずっと人間の社会を疎んで山奥に居たんだっけ? 見聞不足だったね」

「あり得ない。不死身だと……そんな超常の異能を持った人間がいるなど。化神様よりも優れた力を持った人間が……いや、そんな怪物など認められるか!!」

「そうか。だったらちゃんと自己紹介しておくよ。常若永春、現代の八尾比丘尼だ!」

 

 

 美人じゃなくて悪かったね。という気取った台詞は心の奥にしまう。

 そんなボクを母親に駄々をこねる子供のように天厳は猛然と否定した。

 なんて見苦しい大人だ。ああいう風にはなりたくない。

 それよりも気掛かりなのは――。

 

「永春くん、あなたは一体」

「ごめんね。ずっと内緒にしていて……もっと早くに沙夜さんにだけは伝えておけば、君にあんなに辛い思いもさせずに済んだのに、本当にごめん」

「……死なない体というのは本当なんですか? じゃあ、記憶消しの術が効かなかったのも」

 

 天厳みたいな奴にどう思われようとも平気だ。

 だけど、沙夜さんがボクの秘密を知ってどんな眼差しを向けるのかは恐くて不安だった。

 恐る恐る視線を合わせてみる。

 すると綺麗な黒髪から覗く水晶のような澄んだ瞳は戸惑いを残しながらも真っ直ぐに優しげな色でボクを見てくれていた。

 

「たぶん、この呪いのせいだと思う。病気とかにも全然ならないし……っと、詳しくはこれが終わったらちゃんと話すよ」

「いや、でも!」

「あいつが怨面を持ってるんだよね? さっきの話聞こえていたから大丈夫、ボクが取り返してくる」

 

 ありがとう、沙夜さん。

 これでもう、ボクは何の躊躇いも後悔も無くなったよ。

 君のために全力でこの命を盾に出来る。

 自然と笑顔が出た。

 いまこの瞬間、ボクだけが沙夜さんの力になってあげられる。

 それが嬉しくて仕方ない。

 全部だ。ボクの全てを君に捧げて、ボクは君の助けになるんだ。

 

「いくら死ななくてもボクに出来るのはこれぐらいだから。沙夜さんのことを支えることは出来ても、アイツを倒したりはちょっと難しい。だから――世界を守るのはお願いしてもいい? 沙夜さん」

 

 我ながら言っていて少し気恥ずかしいセリフを早口で言うとボクは真っ直ぐに天厳へ向かって進み出した。

 

「小生は……小生は貴様なんぞ認めんぞ! さっさと死ね! 死に絶えてしまえ!!」

 

 天厳の生き物みたいな血液が刃となってボクの首を刎ね飛ばした。

 尋常じゃない痛みが襲い一瞬、意識が無くなるが離れた首と胴を繋ぐ血液が勝手に逆戻りして元通りに再生する。

 

「永春くん!?」

「大丈夫。あんまり落ち着ける光景じゃないかもだけど、そこで沙夜さんは休んでいて」

 

 そうだ。ボクの背中の向こうには沙夜さんがいる。

 何があっても、何をされても絶対に立ち止まりはしない。

 勝負だ――天厳。

 

「来るな! 来るなと言っているんだァアア!! おぞましい化け物めええええ!!」

 

 半狂乱の天厳が血触手を鞭のように闇雲に振り回して、ボクの体を何度も滅多切りにして壊していく。だけど、生憎とこの人魚の呪いを受けた肉体は致死の損傷を受ければ受けるほど再生速度が増していく。

 神社で沙夜さんに斬られた時は彼女が咄嗟に力を緩めてくれたのが却って災いして不死の力がギリギリ働かない深手になってしまったがこれだけ致命傷を浴びせてくれるのなら呪いの活性化は凄まじいものだ。

 

「ぐぅううう……ッ!!」

 

 当然だけど、痛みは酷いよ。

 凄い激痛で汗だか涙だか分からない体液が血と混じってドバドバ溢れるし、大変なんてもんじゃない。でも怯んでなんていられない。

 

「ボクは人間だよ」

 

 沙夜さんのために、そして天厳がボクを化け物と呼ぶ限り絶対に譲れない想いがある。

 この呪いはずっとずっと昔から誰かに移り変わってボクのところに流れてきた。

 望んで不死身になった人もいれば、やむを得ない事情でなった人もいると思う。

 夕凪さんがどっちだったかは分からない。

 分からないけど、彼女がボクにこの呪いを押しつけて死んでいったのだとしてもだ。

 

「死なない生き物がいてたまるものか! 早く死ぬんだよ、この醜い化け物風情めがぁ!!」

「いやだね。あと、ボクは……普通の高校生で、人間だ!」

 

 天厳――あんたがボクを化け物と呼ぶ限り、ボクは絶対に挫けない。

 あんたじゃない誰かがボクを化け物と呼んだって、その度にボクはボクを人間と叫ぶぞ。

 だって、そうだろう。

 ボクが自分を化け物だと認めてしまったら、あの優しかった夕凪さんを化け物だと認めてしまうじゃないか。

 だからボクはボクだ――ただの常若永春だ。

 どこにでもいる人間で、沙夜さん(たいせつなひと)のためにちょっとだけ無茶をする普通の男子高校生だ。

 

「それを返せ! これは沙夜さんの物だろう!!」

「ひいい……いっ!? 近寄るな化け物が!!」

「ぐっ!?」

 

 ヤケクソになって突っ走り白鴉の怨面を奪い返したボクの左腕を天厳の触手が斬り飛ばした。腕はすぐにくっつくからいいとして、怨面を持ち逃げされたら大変だ。だから――アレを使うのは今しかないと判断する。

 

「この間の首とここまでのお返しだ」

「あぎいいい!? なんだこのナイフは……ぁあ!?」

 

 借り受けたナイフを天厳の体に突き刺して、言われたとおりに引き金を引いた。

 本当は逃げたかったけど、あいつがすぐに抜こうとしたのでさせまいと取っ組み合いをやり始めてしまった。

 ボクと天厳がそんな風に揉み合いになっている間にナイフの仕掛けが作動して周囲の黒靄を――つまりは化神の力である瘴気を吸収し始めて、やがて。

 

「ぬぎゃああああ――!?」

「痛ぃいい!? マジかよ!?」

 

 梶さんがくれたナイフは大爆発を起こした。

 おかげでアイツに痛手を負わせたようだけど、ボクの方も右手腕の半分がミンチみたいに吹っ飛んで沙夜さんの傍まで転がる羽目になった。

 逃げろとは言っていたけど物騒すぎると思います。

 

「永春くん!? しっかりして下さい!」

「へ、平気……へーき。うん、本当に大丈夫」

「永春くんの秘密はちょっと心臓に悪いです」

 

 ボクを抱き起こしながらアタフタとする沙夜さんの言葉がすごく温かく感じる。

 この数日、この彼女らしい言葉にずっと飢えていたような気がする。

 

「それよりもこれ、取り戻したよ」

「――ありがとうございます。今度は私ががんばる番です」

「よろしく」

 

 ボクが差し出した白鴉の怨面を力強く受け取ると彼女は立ち上がる。

 その儚げな美しさと勇壮な麗しさを兼ね備えた佇まいは最初に彼女の秘密を知ったあの日の放課後と何も変わらないものだった。

 

 

 

 

 血の赤と絶望の黒のみで塗りたくった地獄の再現のような場所にあって、望月沙夜はボロボロに傷ついてなお清らかな雰囲気を醸し出して凛と立っていた。

 

「オン・カルラ・カン・カンラ」

 

 迷いはまだ山ほどある。

 けれど、それはこの先の未来でゆっくりと立ち向かう物だと折り合いをつけることが出来るようになった彼女は再び、その言葉を唱えた。

 

「白鴉の怨面よ、お目覚めよ」

『ああ。待っていたぞ、童女。いや……今回ばかりはちゃんと沙夜と呼ぼうか』

 

 彼女の心にいつかの声が聞こえていた。

 幼いころに初めて変身した時以来の白鴉の声だ。

 

「……こうしてちゃんとお話しするのは二度目ですね。ずっと口をきいてくれないので私は認めてもらっていない半人前だとずっと思っていましたよ」

『お前さんを嫌ってなんかいないさ。ただ吾なんぞと仲良くなっても碌なことはないと気を使っていただけよ』

 

 それは時間にして一分にも満たない僅かな、けれど長く深いやり取りだった。

 

「なら、どうして急に話しかけてくれたんですが? 私がマガツの力を使っても無言だったのに」

『痛い所を付いてくるんじゃねえやい。あの時はまさかこんな大事にまでなるとは思わなかったんでねえ。それにあの小僧……そういうことだったのか。全く吾の鼻も目も随分と鈍ったもんだ』

「白鴉?」

『おっと失敬。長話をしている暇はなかったな。あの紛い物の術師気取りを懲らしめるんだろう? 吾の切り札をお前に授けてやろう』

 

 沙夜の心に白鴉は唐突にそんな話を切り出した。

 

「切り札? そんなものマガツの力以外に他にはもう何も無いはずじゃ?」

『千と二百年ほど昔に封をしてから解放するのは久々の代物だ。せいぜい気張れよ? なに、いまのお前さんなら上手くやれる。そのための言の葉とコツは自然とその心の中に生まれてくるだろうさ』

「待ってください。怨面が出来たのは確か平安時代の頃の話ですよ? 貴方は一体何なのですか?」

『昔話にさして意味はないさ。肝心なのはこれから先のことだろうに……いいか、沙夜。この世はどこまでいっても表裏一体だ。光があれば闇がある。喜びがあれば悲しみがあるように、呪いと怨念があればその彼岸にちゃんと祝福が常にある』

「……はい」

怨面(われら)も同じだ。吾が身に宿る幾千万の怨念無念の持ち主たちだってお前を不幸にしたいわけじゃないんだよ』

 

 飄々とした語り口。

 だけど、その声色には確かに慈しみが満ちていた。

 

『清濁を併せ吞んでお前さんのあるがままに生きてみな。過去にも誰にも負い目を感じることなんて、もうするな』

 

 ぶっきらぼうに言い終えると白鴉は沙夜との思念の会話を切った。

 そして、かつて命を救われ、ここまで一緒に走り続けてきた戦友から最後の一手とばかりに背中を押された少女は決意を新たに真白き怨面を被った。

 

「ありがとう白鴉。それからこれからも私の力になってください」

 

 怨面が淡く優しい光を放ち、彼女の白い肌には無数の蛇が這うような痣めいた紋様が金色に輝き浮かび上がる。

 

(じぶん)貴方(だれか)のためじゃなく、私たちのために」

 

 蛇紋様が浮かび、神通力がとめどなく肉体に流れ込んできても沙夜は苦しむことはなかった。痛みも苦しみもない――何故なら怨面から授けられるそれは怨念が煮詰まった呪いの力ではなく、どこまでもあたたかで優しい祝福の力だ。

 いま葛藤を乗り越えて前よりも強い心を持つようになった望月沙夜を器にして、白鴉の怨面は千を超える歳月を経て染み込んだ呪を祝へと反転させる。

 

「オン・カルラ・カン・セキシン・カンラ――!!」

 

 いま彼女の双眸に戦いへの迷いなく。

 いま少女の心に後悔に立ち向かって進む意志は淀みなく。

 再び、悪しき存在を退けるための言の葉を叫ぶ。

 

「――変身!!」

 

 巻き起こった白く輝く疾風の中で彼女はその肉体を超人へと変えていく。

 

『おのれガキどもがどいつもこいつも! だが、何をしても無駄だ。ただの御伽装士なぞに小生は……化神装士は後れを取るなどありえない!!』

「なら、お前の負けだよ物部天厳」

『なにィ!?』

 

 深手を負いながらも盗んだ怨面で再びヌエとなり傷を回復した天厳が憎悪の限りに吼えた。しかし、沙夜に起きた変化に勝利を確信した永春が疲労を隠して不敵に笑い飛ばす。

 

「我が名はビャクア。ビャクア・セキシン! 退魔の担い手、御伽装士が一柱。いざ、いざ、お覚悟を!!」

 

 光り輝く大嵐が弾け飛び、新たなる変身を遂げたビャクアが敢然とヌエに対峙する。

 燃え盛る火焔のような緋色のアンダースーツに大袖やベルトには複数の翠色に光る勾玉が加わった新たな装い。

 白い両籠手には黄金に光る宝輪が重なり、大いなる力を示すかのように光輝を醸し出し、ふわふわと浮遊する紺碧の羽衣を双肩に纏っている。

 極めつけに白い仮面には真紅の隈取りに似た紋様が浮き上がり、肉体に満ち溢れただけでは足りない凄まじい神通力が蒼い宝玉が填め込まれた片翼型の黄金の胸当てに具現化して彼女の守りを固めている。

 

 その勇ましく神々しい戦装束は天狗を彷彿とさせる武者を超えて、太古の戦神の如く。

 御伽装士ビャクア・セキシン――ここに顕現完了にて候。

 

『どれだけ微々たる力を重ねようとも所詮は哀れなカラスではないか! 今すぐに滅茶苦茶に蹴散らしてくれるに!!』

 

 こんな筈ではなかったのに――と怒り狂ったヌエは傲慢に臆することなくビャクアに攻めかけた。突風のような力と素早さで彼女の眼前に迫ると一撃で肉塊にしてみせようと大爪を振り下ろした。

 

「ハァア――ッ!」

『ぬぅおわああ!?』

 

 気合一声。

 柳の木のようなしなやかな体捌きでビャクアはあべこべにヌエを錐揉み投げで返した。

 

「いざ! いざ! いざ!!」

 

 ビャクアの闘志に反応して羽衣は意思を持つように自動でマフラーのように首に巻き付いて戦闘形態へと変わった。

 

「ヤァアアア――!!」

 

 子供のようにあしらわれた現実に愕然とするヌエに矢継ぎ早にビャクアが仕掛けた。

 神通力が四肢に満ち、音無しの高速移動で肉薄すると剛柔自在の絶対防御を誇るヌエの腹部に重ねた掌打を放つ。

 

『ぐぉおばああああ!?』

 

 神通力を付与して炸裂させたビャクアの一撃は内部からヌエの強靭な肉体を破壊する。

 これが白鴉の怨面が遠い昔に封印して、いまビャクア・セキシンの大いなる力として常世に蘇った七幻神武の一つ、神通撃。

 

『なんだ今の動きは!? 既に虫の息のはずだったというのに!?」

「白鴉の心意気に感謝しなければなりません。まさか傷まで癒せるとは……最初に言っておきますが私のコンディションも仕切り直していますので」

 

 堂々と答えるビャクアの大袖に新たに備えられた翠の勾玉が淡く発光する。

 神通撃と同じく七幻神武の一つである護恵の勾玉は周囲に存在する天然自然のエネルギーを吸収、神通力へと変換増幅して変身者の沙夜の傷ついた体を治癒していた。

 

 

『クソッ! いい気になるなよ! こちらには三体もの化神様の力があるのだ!!』

 

 だが、力を盛り返したビャクアに驚きながらもヌエの戦意も衰えない。

 むしろ、思い通りにならない現実に理不尽なまでの怒りと憎しみを燃やして蛇髪を逆立てて毒液をレーザーのように放出する。

 

「化神の力が何体束になったとしてもいまだけは決して私の気持ちは揺るぎはしません!」

 

 数十条もの毒々しい水流が建物や大地を抉り溶かすがビャクアは演舞のような動きでその乱射の全てを回避する。

 目にも止まらない速く静かな体動。それは七幻神武の一つ、神足通。

 

『これならばどうだ!!』

 

 まともに撃っても攻撃は当たらぬと苦虫を噛み潰したように顔をしかめたヌエであったが今度は卑劣な一手を打つ。

 毒液の放射を続けてビャクアを永春の前に誘導して攻撃を受けざるを得なくしたのだ。

 

『斬っても潰しても死なぬとは言え骨の欠片も残さず溶かせばその小僧はどうなるかな?』

「沙夜さん、ボクに構わないで! たぶん大丈夫!」

「そういうわけにはいきませんよ。来い、物部天厳!!」

 

 迷わず声を張り上げた永春だったがビャクアはヌエの奸計に正面から立ち向かう。

 

『その蛮勇をあの世で後悔するとよい! ガァアアアア!!』

「守り給え……!」

 

 肉食獣のように四つん這いで踏ん張り顎を開いたヌエの口からは巨大な雷の球が撃ち出された。大地を焼き砕き、紫電を走らせて雷球は二人を消し炭にせんと瞬く間に迫りくる。

 しかし、その猛威がビャクアと永春に届くことはなかった。

 両籠手から飛び出した二つの宝輪は重なり合うと回転を行いながら巨大化、黄金に輝き表面が透き通った鏡となったのだ。

 

『そんな鏡に何が出来るというのだ! 滅びよ!!』

「――宝輪逆天鏡!」

『むっおぉ!? イギャアアアアア!?』

 

 貧弱な薄鏡と小馬鹿にするヌエだったが次の瞬間に彼は驚きで蒼白した。

 なんと逆天鏡は雷球を一度呑み込むとそのままヌエに目掛けて反射してしまったのだ。

 頭が真っ白になって身を庇うことも出来なかったヌエはそのまま自慢の雷電の塊に焼かれ痺れた。

 

『そんな馬鹿な……こんなことがあってはならぬ! 小生は化神様たちをこの地上の主に祀り上げ、永遠の楽土を築くのだ! こんなところで止まれるものかぁあああ!!』

「アイツ……自分の身体を切り裂いてなにする気だ!?」

 

 形勢逆転とビャクア・セキシンに歯が立たない窮地にヌエは何を血迷ったのか血触手で自分の肉体のあちこちを裂いて呪いに満ちた血を周囲に撒き散らした。

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 正気を失ったようなヌエの奇行に困惑する永春だったがビャクアの方は不穏な複数の気配で彼の思惑に勘付いた。やがてヌエの血でできた血だまりから複数のヌエの分身が次々に出現したのだ。

 

『小生としたことが失念しておりました! 一人では足りぬのであれば手勢を増やせば良いだけのこと! 今度は一切の遊びも情けも掛けませぬぞ? 二人仲良く八つ裂きに屠ってくれる!!』

「望むところです。御伽装士ビャクア……全身全霊でお前を退けます!」

 

 立ち塞がるは多勢無勢のヌエの群体。

 夥しい魑魅魍魎を前にビャクア・セキシンは凛として構えた。

 最終局面――決着の刻は迫る。

 

 




『人魚の呪い』

化神や怨面とは異なる本作の世界に存在する神秘の一端。
いつから存在するのか起源不明の怪異。
遥か昔から数奇な運命を辿って様々な人間に継承されてきた不死身の能力。
例え肉体が粉微塵に爆散しても元通りに再生し、殆どの病魔や術すらも無効化してしまう超常の力。

呪いの保有者が自らの臓腑を他者に食べさせることで呪いは移っていく。
本来の寿命を使い果たした状態で呪いを移すと前保有者の肉体は塩になって霧散する。
どんな武器や攻撃を受けようと、どんな死因も物ともしないが唯一例外として捕食されるという死因の場合は呪いが移り変わってしまい、呪いが上手く発動しないというという落とし穴がある。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。