目の前を闇が覆いつくしている。ここは一体何処なのだろう。
取り敢えず、歩いてみることにした。歩いていれば何かが起きる気がしたからだ。
しばらく歩いていると突然、辺りが光に包まれる。
抵抗する気もなく、むしろ自分から光の中へ進んで行った。
光を抜けると、懐かしい光景が目に入る。これは自分の幼少期の記憶。
『...いっちゃうの...?』
女の子が男の子に縋るように問う。だがこんな光景は今の自分にとってどうでもよい物だった。見ているのも飽きてその場を立ち去る。
『ぼくもさびしいよ...これあげる!ずっとともだちだよ!』
無性に腹が立って靴を男の子に向けて投げつける。だが靴は男の子をすり抜けて地面を跳ねた。
盛大に舌打ちを決めると今度こそその場を後にした。
次に目に入った光景は仲良く遊ぶ二人の子供。仲良くかけっこをしているようだ。
やはり虫唾が走り、また男の子にもう片方の靴を投げつけた。当然当たらないが何かしてやらないと気が済まなかった。
この楽しい時間をのうのうと過ごしているこの男が許せなかった。何が起きるのかも知らずにいるこの男が。
そして風景は移り変わり、夕方の教室にさっきの二人の姿が現れた。女の子の方が泣いている。
『...ごめん...ぼくのせいで...」
投げつける物が無くなってしまったので蹴りを放つことにした。空振っても何度も放ち続けた。
女の子を守れなかったこの男が憎くて仕方がない。余りにも弱いこの男が許せない。
今まで胸の奥底に封じ込めていた感情が溢れ出してくる。自分への憎しみ、あの子への懺悔。全てが溢れる前に辛うじて踏み止まる。
あの時に戻れたらと何度考えたことか。こうなる事がこの男はどうして分からなかったのか。
しばらく憎悪を込めた蹴りを放ち続けていると、また景色が移り変わった。
今度はある競技場。二人の男女がレースをしている。これは記憶に新しい。
「...どうして...俺は...」
こんなにも弱い。限界を超えてもなお、あの女には勝てなかった。
あの時は聞こえなかった周りの声が今は鮮明に聞こえる。
『ホント、無謀よね~。』
『さっさと負けちゃえばいいのに。』
『アイツ最近調子に乗ってたし、これで身の程をわきまえるでしょ。』
思わず耳を塞ぐが、それも許さないと言わんばかりに頭の中に直接響き渡った。
突然周りの風景にノイズが混じり、また場所が変わる。ここは...京都レース場...?
「...天皇賞春。」
電光掲示板に刻まれた文字を確認し、最後の直線で先頭争いをしている男女に目を奪われる。
『メジロマックイーン!悲願の3連覇達成です!』
...本当は分かっていた。マックイーンの才能には俺なんて遠く及ばない事は。でも、認めたくなかった。認められるはずが無かった。認めてしまえば俺の存在する価値が無くなってしまう気がしたから。
『やっぱマックイーンだよな!』
『そりゃそうだ!ラウンドレオンなんかが太刀打ちできる相手じゃねぇって!』
先程必死に抑えた感情がいとも簡単に溢れ出す。それは、彼女に対する劣等感だった。才能、家柄、そして性格。全てが俺と釣り合わない。
どうすればあの子と対等でいられる?どうすればあの子の隣に胸を張って立つことが出来る?
...そうか...分かったぞ。
この学園に来て、友人が出来て、俺は腑抜けていたんだ。もっと血反吐を吐いて努力しないといけないのに...
俺にはこの脚しか取り柄が無い。だからこそ、あの子の隣に並び立つために、誰にも負けるわけにはいかない。
俺が負ければ、親父やお袋の名誉に関わる。あの人達への恩返しもまだだろうが。
必要だというのなら、俺の全てをレースに捧げよう。力を手に入れるんだ、誰にも負けない力を。
「...」
「...!レオ!目が覚めたのですね!」
ここは...病院か?
「...ブルボンか。何故ここにいる。」
「お見舞いです。貴方が突然倒れてしまったので、心配しました。」
倒れた...そういえばそうだった。そんなことよりも今すぐトレーニングがしたい。
しかし、さっきから立ち上がろうとしているのだが身体の自由が利かない。限界を超えて走った反動だろうか。
「もうじき先生とトレーナーさんが来ます。名残惜しいですが、私はこれで。」
病室を出るブルボンを気にも留めず、窓から夕陽を眺める。何の感慨も無かったが。
「折れてますね。」
「...そうですか。」
「...」
医師から告げられた一言。ショックなどは無い。ただ面倒だと思っただけ。
「全治三ヶ月です。数日したら、リハビリを始めましょう。」
「分かりました。」
医師が出ていき、トレーナーと二人きりになる。
「...そこまで酷い骨折じゃない。また前のように走れるようになるさ。」
「...前のようにではダメだ。」
「え?」
「帰ってトレーニングメニューを組み直してくれ。どんなメニューでも勝つためならば、喜んで受け入れよう。」
「...今回骨が折れたのも、身体が出来上がっていない状態で無茶をしたからだ。同じ事がまた起きるぞ。」
「頼む。俺はもう負けたくないんだ。」
俺の意思が固いことを悟り、トレーナーはため息をつく。
「...分かったよ。地獄のトレーニングにしてやるから、覚悟しとけよ?」
「あぁ。それと、これからは先行で走る。加味した上で頼むぞ。」
「えぇ!?...どうした急に。追込みはロマンがあって良いとか言ってただろ。」
「勝つためにロマンなど必要ない...もう寝る。」
ロマンなど、馬鹿げている。それで勝てなければ意味が無いというのに。
「マックイーンが心配してたぞ。元気な顔見せてやれよ。」
「今日は帰るように伝えろ。」
トレーナーは肩をすくめると病室を出ていった。
眠ろうとしたが、なかなか寝付くことが出来ない。どうしようもなく暗闇をじっと見つめる。長い夜が始まった。
夢を見る。敗北の夢。幸せの夢。ただ、どんな夢を見ても最後に移るのは泣いているあの子の姿。
あぁ...どうか泣かないで。君が泣かなくてもいいように、俺はもっと強くなるから...
この夢は弱い自分に対しての戒めなんだ。目をそらしてはいけない。
君へのこの懺悔が、俺を強くしてくれるんだ。
カーテンから漏れる光に照らされて、目が覚める。何とも言えない倦怠感に苛まれていると、ベッドの横にいる人物に気が付く。
「あら、おはようございます。」
「...何の用だ。」
「お見舞いに決まっています!...本当に心配したんですよ...?」
「...そうか。」
俺には心配される資格なんて無い。彼女の言葉を無気力に聞き流す。
「...その...マルゼンスキーさんに負けてしまったのは残念ですがとても良いレースだったと思います...また挑めば良いのです!トレーニングを重ねて、いつか借りを「いつかってなんだ。」え?」
「負けてもまたいつか...お前は悲願の春天でもそんな事が言えるのか?俺が走る機会を与えられている事自体が奇跡のようなものなんだ。それをそんな無責任な気持ちで走れと言うのか?」
「違います!そういう意味で言ったのでは...」
「敗北に意味など無い。良いレースだったなんてのは敗者に対する慰めでしかないし、敗者が何をほざこうが誰も聞きやしない。」
「たとえ敗北したとしても、自分で納得できる内容であったのならその経験は次に繋がります!」
「敗者が得るのは無力感と劣等感だけだ。そこから何を見出せる?スペシャルウィークを見てると虫唾が走るよ、太ったから負けたと言い訳をしているようにしか見えないからなぁ!」
「!」
突然、胸倉を掴まれる。マックイーンが怒りの形相でこちらを見つめていた。
「...たとえ貴方でも、仲間を侮辱する様な今の発言は許せません。」
「へぇ...ならどうする?俺が気に入らないなら殴ればいい。」
「...互いに少し、頭を冷やしましょう...失礼します。」
そう言って、マックイーンは出ていった。ギスギスした空気とは対象に雲一つない青空がカーテンの隙間から顔を覗かせていた。
数週間後...
病院を退院してから俺は、ひたすらリハビリをこなす日々を過ごしていた。辛いだとか苦しいだとかそんな感情は一切湧いてこない。
幸いにも経過は良いらしく、夏には間に合うそうだ。だが、チームメンバーが走っているのを見て焦りを抱いている自分がいる。
あれからというものの、マックイーンとは気まずい雰囲気が続いている。そもそもなるべく一緒にいないように互いに配慮しあっているのだ。
周りも俺達の関係の変化に気づいてはいるものの、中々言い出せずにいる様子。そんな事を気にする必要は無いというのに。
「ちょっといい?」
休み時間、日課のハンドグリップをこなしていると誰かが声を掛けてくる。ナイスネイチャだった。
「...なんだ?」
「いや、大した用じゃないんだけど...最近マックイーンと何かあった?」
「...別に何も。」
「...そう、なら別にいいんだけどさー...でも...」
「...?」
「失ってからじゃ、遅いんだからね...なーんて、アタシらしくないか。それじゃ。」
...失ってからでは遅い...か...妙に胸に残る言葉だ。言葉を頭の片隅に追いやると、ハンドグリップを左手に持ち替えた。
あぁ...もうどうしたらいいのでしょうか...
この前の一件で、レオとの関係が変わってしまった。一緒に登校する事も、食事をする事も、ランニングをする事も無くなった。
謝ろうと思ったが、それではレオの言い分を認めてしまう事になる。向こうに謝る気が無いとなると、完全な膠着状態だ。
「マックイーン!ここ座っていい?」
「テイオー...はい、勿論ですわ。」
一人で食事を取っていると、テイオーがやって来た。
「...ねぇ、レオと喧嘩でもしたの?」
「!?ゴホッゴホッ...なんですの急に。」
余りにも突発的な問いに思わずむせてしまう。そんなにバレバレだったのかしら...
「だってあんなに仲良しだったのに、最近全然喋ってないみたいだし...何があったの?」
「いえ...その...方向性の違いと言いますか...」
「バンドの解散理由でよくあるやつ!?」
レオのあの発言を周りに言いふらすなんて真似は絶対にしない。そんな事をしてしまえば、彼はもう戻れなくなってしまう。
「...よく分かんないけど、仲直りは早めにね?どんどん悪くなっていっちゃうよ?」
「...えぇ。分かっています。」
彼ともう一度しっかり話がしたい。そう決意するものの、それが出来たらここまで拗れることは無かった。
何も起きないまま月日が経ち、夏が来た。
キングダムハーツとかを嗜んでるとどうしても闇堕ちさせたくなる。