ブラッド=デュプレは走っている。
夜の街。
明けない夜はないと言うが、それを否定するように6時間帯ほど夜ばかりが続いている。
「……」
手にはパン。
つい
店員の顔なしたちは今も彼を追い続ける。
「……くっ!」
狭い路地へと飛びこみ、物陰に身を潜める。
ただでさえ小さい身体を、さらに縮めて息を殺す。
「どこだ?」
「向こうを捜せ!」
足音が遠ざかる。
やがて完全に聞こえなくなってから、ブラッドはそこでやっと手に持ったパンをむさぼり食う。
幼い顔つきに反して、切れ長の目だけがギラギラと光る。
命懸けで盗んだパンで飢えを満たしてから、ブラッドは思う。
自分はなぜここにいるのか。
あれは雪の降る朝のこと。
姉が養子に出された朝。
生活費にも事欠くような没落貴族の家から、裕福な上流貴族の家へ。
それは事実上の人身売買。
ブラッドは怒っていた。
よこしまな目的のために姉を買う貴族に。
自分たちが安逸に暮らすために娘を売る両親に。
そんな両親のために自らの意思で売られて行く姉に。
そして、それを止められなかった自分自身に。
姉を乗せた馬車が遠ざかり、見えなくなって。
それでも馬車がいなくなった先を見つめ続けて。
どれだけ経ったのか。
気が付けばブラッドは落ちていた。
深い深い、穴の中へ。
穴の底へ。
落ちた先がこの世界。
ここが何という国なのか、ブラッドは知らない。
ただ1つ1つの時間帯を生き延びるのに必死で、周りを見る余裕なんてない。
そうでなくても、この世界の命は軽い。
表情を持たない「顔なし」は、マフィアの抗争や領主の命令で簡単に殺される。
そんな世界で何時間帯も過ごすうちに、ブラッドにも徐々に分かってきた。
どうやら自分は、この世界では「余所者」と呼ばれる存在らしい。
顔なしたちとは異質の存在。
スープの中に落ちた砂のような、あるいは砂の中に落ちたスープのような、明らかに受け入れられない異物。
だからこそ、思考は何度も同じ場所へ戻ってしまう。
自分はなぜここにいるのか。
「いたぞ、あそこだ!」
「捕まえろ!」
顔なしたちの声が聞こえてきて、ブラッドの思考は中断される。
「ちっ!」
ブラッドは舌打ちして、残ったパンをポケットに押しこむ。
どんな理由でここにいるとしても、それを確かめるには生き残るしかない。
この敵意に満ちた世界で。
いや、元の世界でもブラッドの周りには敵意しかなかった。
ただ一人、姉を除いて。
その姉を喪った今、元の世界に未練もない。
今はただ、この世界で生き抜くこと。
そして世界に復讐すること。
その思いがブラッドを衝き動かす。
だからブラッドは、パンを抱いて駆ける。
永遠に続くかもしれない夜の街を。