「……とりあえず、美術館へ行ってみましょう」
歩き始めたアリスは、最初の目的地を決めた。
美術館。
『ドードー鳥』ジェリコ=バミューダが館長を務める建物で、墓地が併設されている。
なんでそんなものを、とアリスも思うけれど、ジェリコの意向だから仕方がない。
美術館にはユリウスがいるし、エースもよく来る。
(向かっている途中で、駅の誰かに会えるかもしれないし)
キノコと矢印の生えた森。
以前は何度も迷わされて、目的地と違う場所へ着いてしまうこともあったけれど、今はそんなこともなくなった。
(はずなんだけど……)
いくら進んでも、美術館へたどり着かない。
それどころか、森の奥へ奥へと進んでいるように感じる。
まるで引越しの直後で不安なアリスの心中を反映するように。
(そう、不安)
今まで出会った人たち、別れた人たちの顔が頭をよぎる。
今度の引越しで、また誰かと別れてしまうのか。
「……」
「あれ、アリス」
不安に駆られるように歩みを進めるアリスの、頭上から声。
見上げると、木の枝に寝そべる青年の姿。
「……ボリス!」
『チェシャ猫』ボリス=エレイ。
ハートの国では遊園地、クローバーの国では森、そしてダイヤの国では駅と、引越しのたびに居場所を変えてきた自由な猫。
駅では、アリスの仕事仲間でもあった。
「大丈夫なの? よかった!」
安堵の声をあげると、ボリスは枝から身を起こして、しなやかな動きでアリスの前に飛び下りた。着地の衝撃で、首に巻いたピンクのファーがふわりと舞う。
「俺? 俺はもちろん大丈夫だよ。ちょっと様子を見てたんだ」
何でもないことのように、ボリスは笑う。
怖いもの知らずの彼は、どんなに危険な場所へでも平気で勝手に出かけてしまう。
「え、ひょっとして心配してくれてたの?」
「当たり前でしょ! 急な引越しで、いなくなっちゃったんだから。大事な友達に、何かあったらって思うと……!」
ボリスは自分が傷つくのを恐れないゆえに、残された相手がそれを恐れることを理解してくれない。
友人にもしものことがあったら。もう会えなくなったら。
「友達、ね……。まあいいや」
ボリスはうなずくと、そのまま続ける。
「猫は自由だからね。どこでだって生きていけるんだ」
「それって……」
アリスはそのセリフを覚えている。
前にクローバーの国に引っ越してきたばかりの頃、ボリスが言っていた。
(でも、今は時系列だとあの頃よりも前なんだから……。ああ、ややこしい)
アリスが頭を抱える横で、ボリスも首をかしげる。
「あれ? 俺、今のセリフをどこかで言ったことある気が……」
「え?」
今度はアリスが首をかしげる番。
「それとも、これから言うのかな……。まあいいや、どっちでも同じことだ」
「……それ、だいぶ違うんじゃない?」
ボリスにとっては未来になるのだから、これから言うことを覚えているのはおかしい。
「同じだよ。どっちも俺が言ってることに違いはないんだから」
「そ、そうなの?」
現実主義のアリスとしては納得いかないところもあるのだけれど、この世界でそんな整合性をいちいち気にしても仕方がない。
この世界に来てから、アリスが学んだうちのひとつだ。
「それで、どこに行こうとしてたの?」
「美術館へ。ジェリコとユリウスが無事なのか心配だから」
「……」
「その後ダイヤの城に行って、それから帽子屋屋敷も見ないと……」
次々と行き先を挙げるアリスに、ボリスは苦笑する。
「相変わらず、あんたは優しいね。誰にでも」
「……言葉にトゲを感じるんだけど」
「そりゃよかった。ちゃんと伝わったんだね」
急にイラ立った様子を見せるけれど、アリスにはその理由がわからない。
「俺は心配じゃないの?」
「心配だったけど、大丈夫だったじゃない」
どこでも生きていけると、本人から聞いたばかりだ。
「わかってないなあ」
かぶりを振るボリスの目を見て、アリスは気付いた。
猫が獲物を狩る時の目だ。
「……っ」
本能的に後ろに下がると、際立って大きなキノコに背中からぶつかる。
どんっ。
横へ逃れようとしたアリスの顔のすぐ横に、ボリスが腕を突き立てた。
(壁ドン……いや、キノコドン?)
「他のやつなんかどうだっていいだろ。ずっと俺だけ見てなよ」
「……」
捕らえた獲物をもてあそぶように、嗜虐的なまなざし。
だけどその奥には、拒絶されるのを恐れる不安な気持ちが見えてしまう。
(ずるい)
「アリス、あんたはどうしたいの?」
挑発するように、懇願するようにボリスがささやく。
(私は――)
……
…………
………………
(あれから何時間帯が経ったのかしら)
アリスは今、ボリスの部屋にいる。
ハートの国で、遊園地にいた頃と同じ部屋。
空間を切り取れるボリスにとっては、このくらい造作もない。
(……ホントに器用なんだから)
さらに厳密に言うと、アリスは部屋に置かれた鳥籠の中にいる。
大きい籠だから生活に不自由はないが、それでも外へ出られないのは退屈だ。
そこにボリスが現れる。
「どう? 元気にしてた?」
籠の扉を開けて、アリスに歩み寄る。
ボリスはいつも、気まぐれに現れて気まぐれに去って行く。
「……」
あまり嬉しそうではないアリスの様子を見て、ボリスの表情も曇る。
「……ごめんね」
(謝らないで)
抱き寄せるボリスに、アリスは心の中でつぶやく。
(あなたを不安にさせているのは私なのに)
「怖いんだ。あんたは目を離すと、すぐどこかへ行っちゃいそうだから」
猫はいつも気まぐれで、アリスを振り回すのに。
(こんな時だけ、不安そうな顔をするから)
脅える視線がアリスを縛る。
「……私はどこへも行かないわ」
ボリスを抱き返しながら、アリスが答える。
(今の私は、籠の中の人魚姫)
【鳥籠END(ボリスBAD)】