ウマ娘×大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のクロスオーバーです。ここで描かる大河ドラマに登場する生食はよりダイワスカーレット(ウマ娘)らしく、磨墨はよりウオッカ(ウマ娘)らしく、二人合わさって無駄に暑苦しい(でも読後感は出来るだけ爽やかに)…つまりは「ウマ娘仕様」の大河ドラマになっています。
オリジナルの三谷大河は、たぶんもっとドライな話になるんじゃないかと思いますが、それはそれで楽しみですね。真田丸も面白かったし。
◆NHK大河ドラマ『鎌倉殿のふたり』 第1話 宇摩(うま)娘を呼ぶ丘
出演
八幡(生食) ダイワスカーレット
下総国 相宇摩郡 呼塚
今からおよそ八百年ぐらい昔の話。手賀沼近くの小高い丘の上で、一人の若者が琵琶を弾いている。あたり周辺には様々な生命が育まれる緑豊かな台地と、その台地と台地との間を縫うように清流が流れる谷津が広がる。このあたり一帯は小金原と呼ばれ、かつて平将門の下で勇名をはせた坂東武者の子孫とも言われる、宇摩娘たちが多く暮らしていた。
若者が琵琶を弾くと、やがてその寂しげな音色に誘われるかのように、周囲の宇摩娘たちが、二人、三人、四人と、丘のふもとに集まり、みなおとなしく頭を垂れて、若者の演奏に聞き入ってた。そんな彼女たちを愛してやまない若者は、辺りの薬草を摘んで分け与えたり、彼女たちが泉で水を汲むのを手伝うこともあった。そんな宇摩娘たちの中に、一人の美しくもたくましい、栗毛の髪の宇摩娘がいた。名を八幡といった。
実は、この八幡という名前は周辺の里人が呼んだあだ名で、他の宇摩娘とは比べ物にならない程の腕力・脚力があまりにも神がかっている(現在の千葉県中を我が庭のように駆け回っていたとも伝わる)、これは戦の神ともいわれる八幡神の使いに違いないなどと噂されたことからつけられた。おまけに負けん気が飛び切り強く、いざケンカとなれば、人でも宇摩娘でも噛みつくぐらいの猛々しい性格をしていた。ゆえに、彼女に下手に近づき文字通り「怪我をした」男子は数知れず。しかしながら、丘の上で琵琶を弾くこの若者には何故かよくなついていた。
こうした宇摩娘たち、その中でも特に存在感を放つ八幡は、近くの根戸の領主の目にもとまった。
「そなたには、類まれなる力が備わっている。 天下一といってもいい。 是非我らが主、鎌倉殿に仕えぬか。」
この時代、中央の貴族(藤原摂関家)と、彼らと縁故があって国司に任命されるような一部の人間が世の中を牛耳り、坂東を始めとした地方の大半は(奥州藤原氏など一部例外を除き)収奪の対象でしかなかった。中央から派遣された国司が、地元に根を張る郡司から悪政を訴えられるということさえあった。近頃は平清盛が武家として初めて殿上人の極みともいえる太政大臣の地位まで上り詰め、世の中が変わると期待されたものの…
「平家にあらずんば、人にあらず」
結果として、これまでの藤原氏が伊勢平氏(平家)にすげ替わっただけで、地方の、諸々の不満は解消されていない。
「同じ平姓でも、新皇将門公とは似ても似つかぬ」
ことに、血と汗で土地を拓き、坂東の地に根を下ろした「一所懸命」の精神を持ち、一度は朝廷からの独立を図った歴史もある、誇り高き坂東武者たちの間では、平家への不満が高まりつつあった。
そんな折も折、以仁王による平家追討の令旨が東国の源氏諸将に発せられた。そして現在、その令旨に呼応し、鎌倉に入府した源頼朝を中心に坂東武者が集結しつつある。
ちなみに先の根戸の領主が言った「鎌倉殿」とは、その源頼朝のことである。
若者「八幡は小金原きってのじゃじゃ宇摩娘。おまけに俺の言うことしか聞かない。あきらめてくれ」
その時若者は八幡の方をチラリと見た。その表情は、一見すると大きく変わらぬように見える。ただ、少しばかり高揚しているのか、肌が赤らんでいるようにも見えなくはない。
根戸の領主が帰ってから、八幡の話を聞く。
八幡「少し前、以仁王様の噂を聞いた… 諸国の源氏に平家打倒を呼び掛けたばかりでなく、自らも挙兵されたという話を」
若者「ああ、私も聞いたことがある。 しかし以仁王様は、源頼政と共に平家に討ち取られたとも聞いているが?」
八幡「私もそう聞いているわ。 なんでも頼政の家来の生き残りが、彼の御首(みしるし)を持って、京の都からここ下総、手賀沼の向こう側にある印西郷にまで逃れてきているという噂もあるわ」(※)
若者「そうなのか? さすが宇摩娘、足ばかりか耳までも早い」
八幡「頼政と共に以仁王様もお亡くなりになっている…多分、それは間違いない。 でも…それでもなお、あのお方の魂は生きている」
若者「…?」
八幡「以仁王様の令旨…。 平家の横暴を嘆き、天下の行く末を憂いたその言葉に、私は以仁王様の魂の叫びを感じたわ」
言葉は往々にして社会を、そして時代を動かす力を持つ。承久の乱において朝廷との決戦に臨んだ北条政子による鎌倉武士たちへの訴え。江戸幕府の政道を糺(ただ)し最終的には倒幕にまで至らしめた大塩平八郎の檄文。以仁王の令旨も、それらに等しいくらい強い力を持った「言霊」の一つである。そしてそれは、諸国の源氏の挙兵に伴い、広く世間に知れ渡りつつあった。
若者も、令旨の内容について聞いたことがある。彼が初めてそれを聞いた感想は「あまりに真っ直ぐすぎる」であった。真っ直ぐゆえの力強さとある種の危うさとを兼ね備えた言霊。そこからほとばしる熱気が、今、世の多くの人々を揺り動かそうとしている。それにしても、まさか八幡までもがその言霊に感化されているとは… あるいは…と若者は思った。やはり八幡の中に流れる坂東武者の血が、無意識のうちに騒ぐのか…
その後も根戸の領主は、毎日のように例の小高い丘を訪れ、八幡にぜひ鎌倉殿に仕えてほしいと頭を下げ続けた。また、若者には「ぜひ、彼女を説得してほしい」とこちらにも幾度となく頭を下げ続ける。領主の目から見ても、八幡は、そうまでしても得たい「天下一」ともいえる逸材だった。
やがて、領主の熱意に動かされる格好で頼朝に仕える決意をする八幡。そして別れの日。
その日は、武蔵国との国境となる利根川(かつては、東京湾に向かって流れていた)まで若者や地元に残る宇摩娘たちに見送られた。
八幡「あの領主殿は、私の事を「天下一」だとおっしゃった。 私も、願わくばそうありたい。 ならば… 誰にも負けない武功を鎌倉殿の下であげ、自分が天下一であることを証明した上で、故郷へ錦を飾りに必ず帰ってくるわ、必ず…」
いざ鎌倉!
八幡「目指すはただ一つ! 天下一よ!!!」
八幡は源頼朝の本拠地である相州鎌倉を目指し、他の数名の宇摩娘らと共に利根川を渡った。この八幡こそが、後に頼朝の旗下において輝かしい武勲をあげ、後年「日の本一の名宇摩娘」「元祖勝ち宇摩娘」と称された「生食(いけずき)」である。
そして若者が琵琶を奏で、生食を始めとする宇摩娘たちを「呼び集め」た小高い丘のある辺りは「呼塚」と呼ばれるようになる。現在、千葉県柏市の交差点にその名を遺す。
※現在の千葉県印西市の結縁寺近くに、頼政の首を葬ったとされる頼政塚がある