◆NHK大河ドラマ『鎌倉殿のふたり』 第7話 棟梁の弟
出演
生食(八幡) ダイワスカーレット
磨墨 ウオッカ
生食(いけずき)の朝は早い。まだ日の昇らない時間から、鎌倉市中にある滞在先の佐々木屋敷を出て、周辺の山々を走ることから1日が始まる。
鎌倉の地は、南は海に面し、残りの三方を山で囲われた要害の地である。こうした環境は、遠くの筑波山の稜線と近くの谷津を除けば地形の変化に乏しい、ほとんど平場といっても過言ではない下総台地で育った宇摩(うま)娘の生食の目には新鮮に映ったものの、日本全体で見れば、生食が育った地形、環境の方がどちらかといえば特殊である。
そうしたことから佐々木一族の一人である高綱からは「この先、いつどこで戦があるか分からぬゆえ、弓、刀の稽古や水練の他、起伏にとんだ地形にもなれるよう鍛錬するがよい」と指南されていて、山での走り込みを毎日欠かさず行っている。他の誰よりもすぐれた武功を挙げ、日本一の名宇摩娘となるためにも、生食は必死である。
弓や刀については少しずつ形になってきている。また、水練に関しては故郷の下総台地の近くには手賀沼や印旛沼、さらにより大きな内海である香取海(かとりのうみ)などがあって、幼いころから水に親しんでいたこともあり、鎧の重さにさえ慣れてしまえば何という事もなかった。一番の問題は山中における走りである。
下総台地の上を自由気ままに走り回っていた生食は、脚力は申し分なかった。平場であれば誰よりも速く走りぬくことが出来た。勝気な生食は、頼朝の屋敷で初めて出会って以来、磨墨に幾度となく競争を挑み、由比ヶ浜で1町(約109m)走った時や鎌倉市街を1里(約4㎞)ほど走り回った時には、いずれも生食が磨墨に勝っている。
そんなある日、山中を走っている所を偶然出くわした磨墨に「山道でも私は負けないわ!」と勝負を挑んだのだが…。元々平場で走るのとは勝手が違うという感じはしていた。しかし同時に、それは他の宇摩娘も同じであろうと高をくくってもいた。しかし実際に走ってみると、磨墨は平場で走るのとあまり変わらぬ速さで生食を突き放していくではないか!生食も必死に追いすがろうとするもののその足は空回りし、所々でつまづき、急な下り坂では転げ落ちるようにして木に衝突してしまう。ついには磨墨の姿も見えなくなってしまった。生食、おそらく生涯初めての敗北経験である。
生食「んも~っ! 何なのよ!!」
悔しさのあまり、顔を真っ赤にさせながら地団駄を踏む生食。
その日以来、ますますもって朝の山中での走り込みに力が入る生食であったが、いつまでたっても速くなる様子が無い。どうして磨墨はあそこまで速く走れるのか?やはり経験の差…場数が違うということか?
生食が山中走破の特訓に明け暮れていた頃、磨墨は、生食とは別の山で猪狩りを行っていた。猪狩りは良い…と磨墨は思う。弓の腕前や足腰の力を同時に鍛えられる。獲物が獲れればその日の朝餉もしくは夕餉が豪勢なものとなる。実戦に近い動きなため、鍛錬としては最も効率的で、磨墨自身にとっても、そこからくる緊張感がたまらない。とはいえ、梶原家の娘としては、日がな一日猪狩りだけで過ごすというわけにもいかなかった。
従者「姫、そろそろ屋敷にお戻りにならなければ。 本日は京からの客人を交えての歌会もございます」
磨墨「歌会? 今日、そんなのあったか? そうだな…そうだ、俺はこれから風邪をひく予定だ。 ということで、歌会は欠席するぜ」
実は、梶原一族は、識字率が極めて低かった当時の武士としては珍しく、文才にも秀でていた。磨墨の父平三景時はその事務処理能力が頼朝から高く買われ、磨墨自身も和歌を詠むことが出来た。
従者「こんなに元気に猪狩りに興じる病人なんていますか? 父君に叱られますぞ」
磨墨「う~ん… ようやく乗ってきた所なのに… むむっ、そこっ!」
磨墨が右方向、斜め上に矢を射かけた。するとそこから、大きめの何かが地面に落ちてきた。どうやら矢は外しているようだ。
???「あいたたたた… 梶原の姫君は、人をも狩るのですか?」
したたかに地面に打ち付けた腰をさすりながら、男が立ち上がった。
磨墨「こんな山ん中で、紛らわしいことをしているお前も大概だと思うが」
???「いや、でも貴女の能力をもってすれば、人か獣かくらい分かるでしょ?」
磨墨「人であっても、俺を狙う刺客かもしれないぜ」
どこから現れたのか、落ちてきた男の周りには、数名の宇摩娘たちがいつの間にか駆け寄ってきていた。中には磨墨のことをにらみつける者もいる。
???「ああ、君たち大丈夫だから、彼女には…磨墨には手を出さないでね。 さて、確かに私はあなたを狙っていました。 といっても、命じゃないけどね。 できれば貴女とは得物ではなく、歌でやり取りをしたかったなぁ、梶原の姫君♡」
磨墨「うっ…(鼻血が出かかり、思わず鼻を押さえる) …まったく、普通の刺客より質が悪いじゃねえか。 …そ、そうだな。 お前の兄貴くらい弓をまともに引けるようにでもなれば、考えてやってもいいぜ。 一生無理だろうけど」
???「ああっ、それちょっと傷付くなぁ。 そりゃあ、腕っ節とか、御家人たちからの人気や威厳とかでは兄貴に負けているのは事実だけど… 鞍マ山で鍛えた抜かれた脚力と身軽さ、研ぎ澄まされた兵法…あ、それと奥州仕込みの宇摩娘指南法なら誰にも負けませんよ。 で、どうです? 兄貴から乗り換えてみません?」
磨墨「おい!お前! 周りが勘違いするようなことを言うな!! …って…あ~…何だか興がさめたぜ。 屋敷に帰るぞ。 …まったく、兄弟そろって…」
従者「あっ、姫、お待ちください!」
???「おお、愛しのわが君よ。 そんなつれない…ゔっっ!?」
周りにいた宇摩娘たちが、男の頬やら、脇腹やら、太ももの裏の辺りやらを一斉につねり上げていた。
生食の、朝の山中での走り込みは数か月続いた。しかし一向に成果が見えてこない。
生食「磨墨に負けっぱなしだなんて… そんなの嫌よ…」
いつものように鎌倉の山中を走り、とある切通しに差し掛かった時、ふと見上げると…
生食「な…何なの!? あれは!?」
そこには、何人かの宇摩娘たちの宙を舞う姿があった。切通の崖の端からもう片方の崖の端へと、それこそ蝶が舞うように、次々と飛び移って行く。そして最後には…。
生食「えっ!? あれって宇摩娘じゃない? 普通の人間の男!?」
信じられないものを見た、といわんばかりに目を見開きポカンと口を開けたまま、しばしたたずんでいた生食であったが、いつしか彼女は、一人の男と宇摩娘たちが向かった方角へと走り出していた。しかし、いつまでたっても彼らに追いつくことが出来ない。やがて、体力自慢の生食もだんだんと息があがってくる。
生食「…ハア、ハア、ハア… イッタイ… イッタイ…… 一体…ドコに…」
息を切らせながら立ち止まった生食。そして次の瞬間…
???「トモの造りもいいじゃないですかぁ。 まさしく、天高く宇摩娘肥ゆる秋…」
いつの間にか生食の背後に男がしゃがみ込み、彼女の太ももやふくらはぎを撫でまわしていた。
生食「な…何するのよ!このヘンタイ!!」
生食の後ろ蹴りを喰らって、男はふっ飛んだ。
???「あいたたた… これはまた噂にたがわず、とんだじゃじゃ宇摩のようで…」
生食「何よ! アンタが変なことするからでしょ!?」
???「いやしかし…その脚質なら、平場なら負け無しというのも十分頷けますね」
生食「…」
???「けど何ですかねぇ、山中だと上手く走れない… 起伏の激しい山道を走るには平場とは別の、ちょっとしたコツがいるんですけどね」
生食「!! …アンタ、一体何者なの?」
???「ま、通りすがりの兵法者ってところですか、ちょっとばかり山道が得意な。 もちろん平場だとあなた方宇摩娘には到底かないませんがね。険しい山中であれば、あなた方にもそこそこついていける自信はありますよ。 あ、因みに、今を時めく鎌倉殿の弟だっていうのは内緒ということで…」
生食「内緒って…アンタ自分からべらべら喋っているじゃないの」(コイツ、本当にあの御大将の一族なのかしら… ちょっと軽すぎじゃない? あ、でも女たらしな感じだけは似てるかも…)
(自称)頼朝の弟「で、どうです? 知りたいと思いませんか? 山道を走るコツ」
………
……
…
生食「勝った… やった!勝ったわ!!」
あの鎌倉の山中での、磨墨に対する敗北から半年余り。とうとう生食は、険しい山道における競争でも磨墨に打ち勝つことが出来た。
磨墨「ハア、ハア… 何も走るだけが戦働きじゃねえからな。 …しかし、どうしてこんなにも短い間に力をつけることが出来たんだ?」
生食「ふふん。 天性の才能、日々の努力、それと…ちょっとしたコツかしらね」
磨墨「ちょっとしたコツねぇ… そいつは一つ、ご教授願いたいもんだな」
磨墨は、生食に負けてもなおサバサバした調子で、割と素直にその場での気持ちを口にしていた。一方の生食も、磨墨に勝てた嬉しさと高揚感からか、普段以上に上機嫌だ。
生食「ある兵法者から教えてもらったのよ。 普通の人間の男だけど、山道では宇摩娘並みの走りが出来て、そして私に対する指南も的確で…とにかくすごいのよ」
磨墨「ハハッ、大した信頼ぶりじゃねぇか」
生食「何でも小さいころから鞍マ山で鍛えてたんだとか…」
磨墨「へ~、鞍マ山でねぇ…。 ん!?」
生食「あ、そうそう。 アイツ自分のこと私たちの御大将の弟だ、なんて言っててけど、さすがにそれは無いわよねぇ~、フフフ」
磨墨「…なあ。 そいつ、何て名乗ってた?」
生食「えっと…。 確かクロウとかヨシツネとか…」
磨墨「あ…あの、宇摩娘たらしっ!!」
生食「えっ? 何よそれ!?」(そういえば! アイツの周りには、いつも、何人かの宇摩娘が侍っていたような…)
磨墨「あ、いや…。 そいつ…じゃなかった、そのお方が〝九郎義経〟だと言うのであれば、我らが御大将、鎌倉殿の弟君で間違いなかろう」
生食「え!? そうなの? うわ~ そういうの全然感じられなくて、思いっきりため口利いてたけど、大丈夫かしら?」
磨墨「…大丈夫なんじゃないか? あの御性分だし。 …しかしまあ、お前の男の趣味がああいうのだったとはな。 ま、精々頑張れや」
生食「ちょっとアンタ、変な誤解しないでくれる?」
生食と磨墨。この二人のライバル関係は、まだまだ続く。