ザァーと水の流れる音がする。
冷たい微風が頬を撫で、冷え切った体が身震いした。頬に当たる硬い感触と下半身の刺すような冷たい感触に「うっ」と呻き声を上げて、ハジメは目を覚ました。
ボーとする頭、ズキズキと痛む全身に眉根を寄せながら両腕に力を入れて上体を起こす。
「痛っ~、ここは……僕は確か……」
ふらつく頭を片手で押さえながら、記憶を辿りつつ辺りを見回す。
周りは薄暗いが緑光石の発光のおかげで何も見えないほどではない。視線の先には幅五メートル程の川があり、ハジメの下半身が浸かっていた。上半身が、突き出た川辺の岩に引っかかって乗り上げたようだ。
「そうだ……確か、橋が壊れて落ちたんだ。それで……」
あることを思い出したハジメは、霧がかかったようだった頭を一瞬にして覚醒させた。
「香織!」
周りを見渡してみると、香織もハジメと同じように、少し離れた場所に打ち上がっていた。水の中にいたわけなのだから、着ていた服はびしょ濡れだ。
「大丈夫か? 痛い所は無いか?」
「ん……ハジ、メ……?」
何度か呼びかけを繰り返すと、香織はゆっくりと目を開いた。どうやら、溺れたりはしていなかったようだ。ゆっくりと体を起こすと、香織は尋ねてくる。
「ハジメくん……ここは……?」
「分かんない。オルクス大迷宮のさらに奥……ということだけしか」
「そっか……私達、あそこから落ちちゃったもんね……」
二人は上を見上げる。しかし、天井に穴などは無い。おそらくは、この地下にできた川に流されてきたのだろう。
「とにかく……難しいだろうけど、まずは生きてここから脱出しよう」
「うん」
そうして二人は服を乾かしたりしてから、洞窟を進み出した。ちなみにだが、この間に香織のステータスプレートが紛失していることが判明したりもした。
単なる洞窟であればある程度安心ではあるが、ここはオルクス大迷宮から続いた場所だ。魔物がいる可能性は高い。なので油断せずに進む。
進む通路はまさしく洞窟といった感じだった。ただし、大きさは比較にならない。複雑で障害物だらけでも通路の幅は優に二十メートルはある。狭い所でも十メートルはあるのだから相当な大きさだ。歩き難くはあるが、隠れる場所も豊富にあるので、物陰から物陰に隠れながら進んでいった。
そうやってどれくらい歩いただろうか。疲れを感じ始めた頃、遂に初めての分かれ道にたどり着いた。
「分かれ道……だね」
「うん。ハジメくん、どっちに――!」
小声で相談を始めようとした二人。しかしその時、近くで何かが動いたような気がした。そんな感覚に気づいたハジメと香織は、即座に岩陰に身を潜める。
そっと顔だけ出して様子を窺うと、ハジメ達のいる通路から直進方向の道に、白い毛玉がピョンピョンと跳ねているのがわかった。長い耳もあり、見た目はウサギに近い。
ただし、大きさが中型犬くらいあり、後ろ足がやたらと大きく発達している。そして何より赤黒い線がまるで血管のように幾本も体を走り、心臓のように脈打っていた。
本能的に、二人はそれを危険な存在だと認識した。そして何を言うでもなく、二人は別方向の道へ進むことを考えた。
そうしてハジメが右側を指すと、香織もそれに頷く。ウサギの位置からして右の通路に入るほうが見つかりにくそうだ。
息を潜めてタイミングを見計らう。そして、ウサギが後ろを向き地面に鼻を付けてフンフンと嗅ぎ出したところで、飛び出そうとした。
その瞬間、ウサギがピクッと反応したかと思うとスッと背筋を伸ばし立ち上がった。警戒するように耳が忙しなくあちこちに向いている。
(ヤバい! 見つかったか……?)
岩陰に張り付くように身を潜めながらバクバクと脈打つ心臓を必死に抑える。その隣では、香織はハジメにしがみつくようにして、荒い呼吸をしていた。恐怖に、二人は冷や汗を流す。
だが、ウサギが警戒したのは別の理由だったようで。
「グルゥア!!」
獣の唸り声と共に、これまた白い毛並みの狼のような魔物がウサギ目掛けて岩陰から飛び出したのだ。その白い狼は大型犬くらいの大きさで尻尾が二本あり、ウサギと同じように赤黒い線が体に走って脈打っている。
どこから現れたのか一体目が飛びかかった瞬間、別の岩陰から更に二体の二尾狼が飛び出す。
再び岩陰から顔を覗かせその様子を観察するハジメ。どう見ても、二尾狼がウサギを捕食する瞬間だ。
ハジメは香織の腕を引っ張り、このドサクサに紛れて移動しようかと腰を浮かせた。
だがしかし、
「キュウ!」
可愛らしい鳴き声を洩らしたかと思った直後、ウサギがその場で飛び上がり、空中でくるりと一回転して、その太く長いウサギ足で一体目の二尾狼に回し蹴りを炸裂させた。
直撃した狼は、鳴ってはいけない音を体から響かせ、首はあらぬ方向に捻じ曲がってしまう。
そうこうしている間にも、ウサギは回し蹴りの遠心力を利用して更にくるりと空中で回転すると、逆さまの状態で空中を踏みしめて地上へ落下し、着地寸前で縦に回転。強烈なかかと落としを、着地点にいた二尾狼に炸裂させた。
そうして二頭の狼の頭部を潰された頃には、さらにもう二頭の二尾狼が現れて、着地した瞬間のウサギに飛びかかった。
しかしその二頭も、あっという間に首をへし折られていた。
(なんだよ……! 見つかったら確実に死ぬだろこれ……!)
あまりの光景に、体を震わせるハジメ。香織も、その隣で体を震わせている。表情を見てみると、今にも泣き出しそうになっている。
香織のためにも早く逃げないとと考えたハジメは、右手で香織と手を握り、すぐに移動を始めようとした。
だが、それが間違いだった。
カコン
そんな音が、洞窟内にやたらと大きく響いた。
下がった拍子に足元の小石を蹴ってしまったのだ。あまりにも痛恨のミスである。これにはハジメの足も固まってしまう。逃げないといけないのに、これから起こることを想像してしまい、動けない。
やがて、首だけで振り返っていた蹴りウサギは体ごとハジメの方を向き、足をたわめグッと力を溜める。
「香織ッ!」
ハジメが本能と共に悟った瞬間、蹴りウサギの足元が爆発した。後ろに残像を引き連れながら、途轍もない速度で突撃してくる。
気がつけばハジメは、香織を引き寄せて全力で横っ飛びをしていた。
直後、一瞬前までハジメのいた場所に砲弾のような蹴りが突き刺ささり、地面が爆発したように抉られた。硬い地面をゴロゴロと転がりながら、尻餅をつく形で停止するハジメ。陥没した地面に青褪めながらも、香織を後ろに下げて後退る。
蹴りウサギは余裕の態度でゆらりと立ち上がり、再度、地面を爆発させながらハジメに突撃する。
ハジメは咄嗟に地面を錬成して石壁を構築するも、その石壁を軽々と貫いて蹴りウサギの蹴りがハジメに炸裂した。
「ぐぅっ――」
「ハジメくんっ!」
咄嗟に左腕を掲げられたのは本能のなせる業か。顔面を粉砕されることだけはなかったが、衝撃で香織と共に吹き飛び、地面を転がった。
ある程度は威力を軽減できたようではあるが、それでも骨は折れているのか、とんでもない激痛が走り、腕に力が入らなくなっていた。
急いで起き上がりながら蹴りウサギの方を見ると、今度はあの猛烈な踏み込みはなく余裕の態度でゆったりと歩いてくる。
「“錬成”ッ!」
なんとか生きようと、なんとか香織だけでも助けようと壁を作ろうとするハジメ。しかし何故か、壁ができる代わりに、ジュゥゥという音と共に地面が溶けて気体へと変わった。
慌てすぎてて、最も得意としている錬成すら上手くコントロールできていない。しかしその時、蹴りウサギの動きが止まると同時に、体を震わせた。まるで怯えるかのように。
「ハジメくん……あれ……」
ハジメのすぐ後ろで、香織が震えた声を出す。わずかに見えた指は、蹴りウサギの斜め上を指している。
そこには、
「……グルルル」
巨大な爪を持った、熊のような魔物がいた。巨躯に白い毛皮、例に漏れず赤黒い線が幾本も体を走っている。
蹴りウサギが夢から覚めたように、ビクッと一瞬震えると踵を返し脱兎の如く逃走を開始した。今まで敵を殲滅するために使用していたあの踏み込みを逃走のために全力使用する。
しかし、その試みは成功しなかった。
爪熊が、その巨体に似合わない素早さで蹴りウサギに迫り、その長い腕を使って鋭い爪を振るったからだ。蹴りウサギは流石の俊敏さでその豪風を伴う強烈な一撃を、体を捻ってかわす。
ハジメの目にも確かに爪熊の爪は掠りもせず、蹴りウサギはかわしきったように見えた。しかし、着地した蹴りウサギの体はズルと斜めにずれると、そのまま噴水のように血を噴き出しながら別々の方向へドサリと倒れた。
「……ッ! 香織!」
ハジメは右手で香織を掴み、慌てて逃げ出した。本能が体を追い越して動いた。
慌てて背中を向けて走るハジメだったが、恐怖からか、チラッと後ろを見る。そこには、蹴りウサギを咀嚼しながら腕を振るう爪熊がいた。
「危ないっ!」
「きゃっ……!?」
それを見て、ハジメは横を走る香織に体をぶつけ、横に転がった。しかしそれと同時にハジメの左腕辺りに、耐え難いほどの激痛が走る。
ゴロゴロ転がり、壁にぶつかったハジメと香織。急いで顔を上げると、そこには何かを咀嚼する爪熊が。その何かが、ハジメ自身の千切れた左腕だと理解するのには、一秒もかからなかった。
瞬間、背筋がゾクリと冷えた。死ぬかもしれないという恐怖と、香織を死なせてしまうかもしれないという恐怖が同時に襲ってきた。
「香織! “錬成”!」
近づいてくる爪熊から逃げるため、慌てて錬成を行使して壁を壁に穴を作り、そこに青ざめている香織を押し込む。今度は上手く発動させることができた。
「〝錬成〟! 〝錬成〟! 〝錬成ぇ〟!」
さらにそこから錬成に錬成を重ね、穴を塞いで香織を奥に押し込みながら、爪熊から逃げる。爪熊の咆哮と壁が削られる破壊音に半ば狂乱しつつもひたすらに続けた。全ては香織と共に生き残るために。
後ろはもう振り返らないし、そもそも振り返ることを忘れている。一心不乱に、生存本能の命ずるままに、奥へと進んでいった。
「れんせぇ……れん、せぇ……ハァ……ハァ……」
そうしてどれだけ経ったのだろうか。ハジメの声は枯れ、息は上がっていた。そして魔力が底をつきたのか、錬成は発動できなくなっていた。
しかし同時に、周囲からほとんど音が聞こえないことにも気がついた。爪熊は諦めていたのか、ついさっきまで聞こえていた気がした破壊音は、もうしなかった。
「ハジメ、くん……」
薄れゆく意識の中で、香織の声が響いた。しかし極限の疲労と肉体へのダメージと失血のせいで、ハジメは意識を手放した。
奈落に落ちたハジメは、大概左腕を失うことになる。けどもしかしたら、まだ確定ではありませんが、すぐに元に戻る可能性も……。
それはそれとして、今回の左腕欠損のせいで、香織の精神がとんでもない速度で磨り減っていきますね。こりゃ面倒そうなこじれ方しそうな予感。
それとここからは評価についてですが……
お腹弱々おじさん様
評価していただき、ありがとうございます。評価してもらえると、本当に励みになります。今後ともよろしくお願いします。
オルクス大迷宮のボスであるヒュドラ。その幻覚魔法は香織かユエのどっちに対して使ってほしい?
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白崎香織
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ユエ
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どっちも