濃霧の中を虎の亜人の先導で進む。
行き先はフェアベルゲンだ。ハジメと香織とユエ、ハウリア族、そしてアルフレリックを中心に周囲を亜人達で固めて既に一時間ほど歩いている。どうやら伝令は相当な駿足だったようだ。
しばらく歩いていると、突如、霧が晴れた場所に出た。晴れたといっても全ての霧が無くなったのではなく、まるで霧のトンネルのように、一本のまっすぐな道ができているだけだ。よく見れば、道の端に誘導灯のように青い光を放つ拳大の結晶が地面に半分埋められている。そこを境界線に、霧の侵入を防いでいるようだ。
ハジメが、青い結晶に注目していることに気が付いたのかアルフレリックが解説を買って出てくれた。
「あれは、フェアドレン水晶というものだ。あれの周囲には、何故か霧や魔物が寄り付かない。フェアベルゲンも近辺の集落も、この水晶で囲んでいる。まぁ、魔物の方は“比較的”という程度だが」
「なるほど。だからこんな樹海の中でも暮らせているわけか……」
どうやら樹海の中であっても街の中は霧がないようだ。十日は樹海の中にいなければならなかったので朗報である。香織やユエも、霧が鬱陶しそうだったので、二人の会話を聞いてどことなく嬉しそうだ。
そうこうしている内に、眼前に巨大な門が見えてきた。太い樹と樹が絡み合ってアーチを作っており、そこに木製の十メートルはある両開きの扉が鎮座していた。天然の樹で作られた防壁は、高さ三十メートルはありそうだ。亜人の“国”というに相応しい威容を感じる。
虎の亜人が門番と思しき亜人に合図を送ると、ゴゴゴと重そうな音を立てて門が僅かに開いた。周囲の樹の上から、ハジメ達に視線が突き刺さっているのがわかる。人間が招かれているという事実に動揺を隠せないようだ。アルフレリックがいなければ、ギルがいても一悶着あったかもしれない。おそらく、その辺りも予測して長老自ら出てきたのだろう。
門をくぐると、そこは別世界だった。直径数十メートル級の巨大な樹が乱立しており、その樹の中に住居があるようで、ランプの明かりが樹の幹に空いた窓と思しき場所から溢れている。人が優に数十人規模で渡れるであろう極太の樹の枝が絡み合い空中回廊を形成している。樹の蔓と重なり、滑車を利用したエレベーターのような物や樹と樹の間を縫う様に設置された木製の巨大な空中水路まであるようだ。樹の高さはどれも二十階くらいありそうである。
その美しい街並みに見蕩れて驚愕するハジメ達。思わず足を止めていたらしく、気づくとゴホンッと咳払いが聞こえた。アルフレリックが正気に戻してくれたようだ。
「ふふ、どうやら我らの故郷、フェアベルゲンを気に入ってくれたようだな」
アルフレリックの表情が嬉しげに緩んでいる。周囲の亜人達やハウリア族の者達も、どこか得意げな表情だ。ハジメは、そんな彼等の様子を見つつ、素直に称賛した。
「うん……こんな綺麗な場所、初めて見た」
「僕もだ。なんというか……自然と一体化した、いい街だと思う、本当に」
「ん……綺麗」
掛け値なしのストレートな称賛に、流石に、そこまで褒められるとは思っていなかったのか少し驚いた様子の亜人達。だが、やはり故郷を褒められたのが嬉しいのか、皆、ふんっとそっぽを向きながらもケモミミや尻尾を勢いよく揺れていた。
ハジメ達は、フェアベルゲンの住人に好奇と忌避、あるいは困惑と憎悪といった様々な視線を向けられながら、アルフレリックが用意した場所に向かった。
◆◇◆◇
「……なるほど。試練に神代魔法、それに神の盤上か……」
現在、ハジメ達三人は、アルフレリックと向かい合って話をしていた。内容は、オスカー・オルクスに聞いた“解放者”のことや神代魔法のこと、自分が異世界の人間であり七大迷宮を攻略すれば故郷へ帰るための神代魔法が手に入るかもしれないこと等だ。
アルフレリックは、この世界の神の話を聞いても顔色を変えたりはしなかった。不思議に思ってハジメが尋ねると、「この世界は亜人族に優しくはない、今更だ」という答えが返ってきた。神が狂っていようがいまいが、亜人族の現状は変わらないということらしい。聖教教会の権威もないこの場所では信仰心もないようだ。あるとすれば自然への感謝の念だけだという。
ハジメ達の話を聞いたアルフレリックは、フェアベルゲンの長老の座に就いた者に伝えられる掟を話した。それは、この樹海の地に七大迷宮を示す紋章を持つ者が現れたらそれがどのような者であれ敵対しないこと、そして、その者を気に入ったのなら望む場所に連れて行くことという何とも抽象的な口伝だった。
ハルツィナ樹海の大迷宮の創始者であるリューティリス・ハルツィナが、自分が“解放者”という存在であることと、仲間の名前と共に伝えたものなのだという。しかしどうやら、“解放者”の意味は伝えてなかったらしい。
フェアベルゲンという国ができる前からこの地に住んでいた一族が延々と伝えてきたのだとか。最初の敵対せずというのは、大迷宮の試練を越えた者の実力が途轍もないことを知っているからこその忠告だ。
そして、オルクスの指輪の紋章にアルフレリックが反応したのは、大樹の根元に七つの紋章が刻まれた石碑があり、その内の一つと同じだったからだそうだ。
「それで、僕は資格を持っている、ということか……」
アルフレリックの説明により、人間を亜人族の本拠地に招き入れた理由がわかった。しかし、全ての亜人族がそんな事情を知っているわけではないはずなので、今後の話をする必要がある。
ハジメとアルフレリックが、話を詰めようとしたその時、何やら階下が騒がしくなった。ハジメ達のいる場所は最上階にあたり、階下にはハウリア族が待機している。どうやら、ハウリア族が誰かと争っているようだ。ハジメとアルフレリックは顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
階下では、大柄な熊の亜人族や虎の亜人族、狐の亜人族、背中から羽を生やした亜人族、小さく毛むくじゃらのドワーフらしき亜人族が剣呑な眼差しで、ハウリア族を睨みつけていた。部屋の隅で縮こまり、カムが必死にシアを庇っている。シアもカムも頬が腫れている事から既に殴られた後のようだ。
ハジメとユエが階段から降りてくると、彼等は一斉に鋭い視線を送った。熊の亜人が剣呑さを声に乗せて発言する。
「アルフレリック……貴様、どういうつもりだ。なぜ人間を招き入れた? こいつら兎人族もだ。忌み子にこの地を踏ませるなど……返答によっては、長老会議にて貴様に処分を下すことになるぞ」
必死に激情を抑えているのだろう。拳を握りわなわなと震えている。やはり、亜人族にとって人間族は不倶戴天の敵なのだ。しかも、忌み子と彼女を匿った罪があるハウリア族まで招き入れた。熊の亜人だけでなく他の亜人達もアルフレリックを睨んでいる。
しかし、アルフレリックはどこ吹く風といった様子だ。
「なに、口伝に従ったまでだ。お前達も各種族の長老の座にあるのだ。事情は理解できるはずだが?」
「何が口伝だ! そんなもの眉唾物ではないか! フェアベルゲン建国以来一度も実行されたことなどないではないか!」
「だから、今回が最初になるのだろう。それだけのことだ。お前達も長老なら口伝には従え。それが掟だ。我ら長老の座にあるものが掟を軽視してどうする」
「なら、こんな人間族の小僧が資格者だとでも言うのか! 敵対してはならない強者だと!」
「そうだ」
あくまで淡々と返すアルフレリック。熊の亜人は信じられないという表情でアルフレリックを、そしてハジメを睨む。
フェアベルゲンには、種族的に能力の高い幾つかの各種族を代表する者が長老となり、長老会議という合議制の集会で国の方針などを決めるらしい。裁判的な判断も長老衆が行う。今、この場に集まっている亜人達が、どうやら当代の長老達らしい。だが、口伝に対する認識には差があるようだ。
アルフレリックは、口伝を含む掟を重要視するタイプのようだが、他の長老達は少し違うのだろう。アルフレリックは森人族であり、亜人族の中でも特に長命種だ。二百年くらいが平均寿命だったとハジメは記憶している。だとすると、眼前の長老達とアルフレリックでは年齢が大分異なり、その分、価値観にも差があるのかもしれない。
そんなわけで、アルフレリック以外の長老衆は、この場に人間族や罪人がいることに我慢ならないようだ。
「……ならば、今、この場で試してやろう!」
いきり立った熊の亜人が突如、ハジメに向かって突進した。あまりに突然のことで周囲は反応できていない。アルフレリックも、まさかいきなり襲いかかるとは思っていなかったのか、驚愕に目を見開いている。
そして、一瞬で間合いを詰め、身長二メートル半はある脂肪と筋肉の塊の様な男の豪腕が、ハジメに向かって振り下ろされた。
亜人の中でも、熊人族は特に耐久力と腕力に優れた種族だ。その豪腕は、一撃で野太い樹をへし折る程で、種族代表ともなれば他と一線を画す破壊力を持っている。シア達ハウリア族と傍らのユエ以外の亜人達は、皆一様に、肉塊となったハジメを幻視した。
しかし、次の瞬間には、有り得ない光景に凍りついた。
ズドンッ!
衝撃音と共に振り下ろされた拳は、あっさりとハジメの左腕に掴み止められていたからだ。
「なっ……!?」
「……」
あっさりと攻撃を止められたことには、熊の亜人も驚いているようだ。ハジメは熊人族の拳を無表情で握りながら言う。
「とりあえず、五歩後ろに下がって座ってください。あなたが知性の無い魔物でないのなら、それくらいできますよね?」
最後の一瞬だけ、ハジメは“威圧”を込めてそう言う。一秒にも満たない一瞬だったからこそ、対面する熊人族の中で恐怖はより増大した。
熊人族は拳を納め、そしてアルフレリックの後ろに腰を下ろした。他の亜人族の長老に関しても、それに倣って座っていく。
現在、当代の長老衆である熊人族のジン、虎人族のゼル、翼人族のマオ、狐人族のルア、土人族のグゼ、そして森人族のアルフレリックが、ハジメと向かい合って座っていた。ハジメの傍らには香織とユエ、カムにシアが座り、その後ろにハウリア族が固まって座っている。
長老衆の表情は、アルフレリックを除いて緊張感で強ばっていた。戦闘力では一,二を争う程の手練だった熊の亜人の攻撃が、いとも容易く止められたのだから。
「さて、まずはお騒がせして申し訳ありませんでした。とりあえず……まずは情報共有をするべきでは? 僕達が説明するのもアレですし……アルフレリックさん、説明は頼みます」
ハジメがそう頼むと、アルフレリックは今までの情報の要点を、他の長老達に説明した。人間のハジメが説明するよりも、こうして同じ亜人族に説明された方が、受け入れられやすいだろう。
しばらくして、情報共有が終わったのか、再び長老達はハジメの方へ向く。
「情報共有は終わりましたか? では改めて……まず僕達の目的は、大樹まで行くことです。その案内を、兎人族……ああいや、ハウリア族の方々にしてもらうという契約をしています。ここまでは大丈夫ですか?」
「……それは不可能な話だな。そいつらは罪人。フェアベルゲンの掟に基づいて裁きを与える。何があって同道していたのか知らんが、ここでお別れだ。忌まわしき魔物の性質を持つ子とそれを匿った罪。フェアベルゲンを危険に晒したも同然なのだ。既に長老会議で処刑処分が下っている」
「その通りだ! そして我々が貴様らを案内する義理も無い! 口伝にも気に入らない相手を案内する必要はないとあるからな!」
虎人族のゼルが口を挟むと、さらに熊人族のジンも攻撃的口調で案内しないと言い張る。どうやら彼らにとっては、ハジメが人間であるという理由だけで案内しないつもりらしい。
彼らの言葉に、シアは泣きそうな表情で震え、カム達は一様に諦めたような表情をしている。この期に及んで、誰もシアを責めないのだから情の深さは折紙付きだ。
「長老様方! どうか、どうか一族だけはご寛恕を! どうか!」
「シア! 止めなさい! 皆、覚悟は出来ている。お前には何の落ち度もないのだ。そんな家族を見捨ててまで生きたいとは思わない。ハウリア族の皆で何度も何度も話し合って決めたことなのだ。お前が気に病む必要はない」
「でも、父様!」
土下座しながら必死に寛恕を請うシアだったが、ゼルの言葉に容赦はなかった。
「既に決定したことだ。ハウリア族は全員処刑する。フェアベルゲンを謀らなければ忌み子の追放だけで済んだかもしれんのにな」
ワッと泣き出すシア。それをカム達は優しく慰めた。長老会議で決定したというのは本当なのだろう。他の長老達も何も言わなかった。おそらく、忌み子であるということよりも、そのような危険因子をフェアベルゲンの傍に隠し続けたという事実が罪を重くしたのだろう。ハウリア族の家族を想う気持ちが事態の悪化を招いたとも言える。何とも皮肉な話だ。
「……アルフレリックさん、これは約束が違うのでは?」
「すまないな。ハウリア族の処刑は既に決まったことだ。実行しないわけにもゆくまい」
アルフレリックもそう言っている。決定事項は覆らない、ということだろうか。
しかしハジメにとっては、あまり好ましくないことである。ハウリア族に案内してもらう対価として、彼らの身の安全を確保するという契約をしていたのだから。
「……なら、処刑の期日を延長してください。具体的には、二週間後にしてもらいたい所ですね」
「何故人間の言葉に従わなければならん? 処刑はすぐに行う」
「なら、その処刑に賛同した長老方を全員殺すだけですね」
そう言うと、ハジメは深呼吸をしながら立ち上がる。そして拳銃を無言で抜いて、先程ハジメに攻撃してきたジンの肩に向けて撃った。
ドパンッ!
「ぐぉっ……ォオ!?」
流石に“纏雷”による電磁加速を行うとオーバーキルなのでしなかったが、しかし確実に、実弾を命中させた。
「……処刑を延期しろ。しないのであれば、最低でもここにいる長老六人は殺す」
静かに、だが明らかな殺意を持って、ハジメはそう宣言する。確かに顔は強張っており、確固たる意思の篭ったかのような視線を、長老の中のリーダー格であるアルフレリックに向けている。
「……本気かね」
「当然です。今更契約を反故するわけにもいかないので。僕はただ、契約期間の間……つまりはハウリア族の案内で大樹に到達するまで、処刑を延期してほしいというどけで。でも逆に言えば、それ以降であれば、ハウリア族を好きにして構わないわけです」
このハジメの要求は、ハジメにとっても亜人族達にとっても利があるものだった。
ハジメは決して、処刑を止めろとは言っていない。ただ処刑を延長しろと言っているだけだ。逆に言えば、延長期間が過ぎれば、殺しても構わないということになる。
突然の攻撃に驚いていたためなのか、ハジメの言いたいことをすぐに飲み込んだ亜人族達は、互いに頷きすぐに了承をした。
「了解した。処刑の期日を延期することにしよう」
「なるほど、ありがとうございます。じゃあ香織」
「うん」
ハジメが合図すると、香織はジンに回復魔法をかけた。ハジメ自身がつけた傷を、ハジメの合図で仲間が治したわけだ。
「……あっ。それと言い忘れていたことが一つ」
「何かね?」
「ああいや。これは別に要求でもなんでもないので、そんな身構えないでください」
そうして、最後にハジメは忠告した。
「ハウリア族の処刑そのものは止めはしませんでしたが……そう簡単に処刑できるとは思わないでください」
「……どういうことだ?」
「これから、僕達がハウリア族を鍛えます。流石に彼らが簡単に死なれるのは、僕も嫌なので」
ハウリア族を鍛える。そう言った瞬間、何人かの長老は立ち上がろうとするが、その前にハジメは続ける。
「別に難しい話ではないですよ? あなた達がハウリア族を倒せば処刑できる。逆にあなた達が負ければ……その時は知りませんが、まぁ処刑ができなくなる。ただそれだけの話です。まぁ、兎人族は弱いと下に見られているそうなので、あなた達なら余裕でしょうね」
そうハジメが長老達に言うと、今度はハウリア族の方を向いて言う。
「じゃあ、明日から戦闘訓練するよ。強制……というわけではないけど、処刑されたくなかったら参加するように。それとシアは、僕達について行きたいのなら、香織とユエと戦って、強さを認めてもらうこと。いいね?」
「えっ……は、はい!」
そうして、波乱の緊急長老会議は終了した。
◆◇◆◇
フェアベルゲンに用意されたハジメの部屋。そこに設置されたベッドの上には、ハジメだけでなく、香織やユエもいた。
「ハジメくん……大丈夫?」
「別にどこも怪我は無いけど」
「いや、体の問題じゃなくて……」
香織はハジメの胸を撫でる。
「心の話。……苦しくない?」
「そりゃあ……苦しいよ。人間じゃないとはいっても、言葉が通じる種族と会話してるわけだから……」
「……なら、慰めてあげる」
そうして今夜は、ハジメは香織とユエに慰められるのであった。
Alter ego様 ヨッシーアンドドラゴン様
評価していただき、ありがとうございます。しかもお二人共、限られた回数しかできない10点評価、感謝してもしきれません!
シアの立ち位置、どうする?
-
原作通りにハーレム入り。
-
原作より少し遅れてハーレム入り。
-
その他