「なんなんだ……どうなっているんだこれは!」
熊人族の長老であるジンは堪らず絶叫を上げていた。なぜなら、彼の目には亜人族の中でも底辺という評価を受けている兎人族が、最強種の一角に数えられる程戦闘に長けた自分達熊人族を蹂躙しているという有り得ない光景が広がっていたからだ。
「戦え! 家族を守るために!」
「オオオオオ! 敵は全員かかってこい!」
「一人は家族のために! 家族は一人のために!」
ハウリア族の雄叫びが響き渡り、致命の斬撃が無数に振るわれる。そこには温和で平和的、争いが何より苦手な兎人族の面影は皆無だった。必死に応戦する熊人族達は動揺もあらわに叫び返した。
「ちくしょう! 何なんだよ! 誰だよお前等!!」
「こんなの兎人族じゃないだろっ!」
「うわぁああ! 来るなっ! 来るなぁあ!」
奇襲しようとしていた相手に逆に奇襲されたこと、亜人族の中でも格下のはずの兎人族のあり得ない強さ、どこからともなく飛来する正確無比な弓や石、認識を狂わせる巧みな気配の断ち方に高度な連携。その全てが激しい動揺を生み、スペックで上回っているはずの熊人族に窮地を与えていた。
実際、単純に一対一で戦ったのなら兎人族が熊人族に敵うことはまずないだろう。だがこの十日間、ハウリア族は、失敗したら家族の誰かが死ぬという脅しの下で特訓を行っていた。そのため、戦いが苦手な元来の性質を克服したのだ。
また、ハウリア族の弱さはその性格によるものだ。筋力という面では身体能力は低いといえるが、敏捷性等の面では身体能力はかなり高いといえる。敏捷性と索敵能力という長所を活かしたゲリラ戦法は、腕っぷしを利用した真っ向勝負を得意とする熊人族には非常に有効だった。
単純に、武器も強力だ。全員が常備している小太刀二刀は、精密錬成の練習過程から生まれたもので、極薄の刃は軽く触れるだけで皮膚を裂く。タウル鉱石を使っているので衝撃にも強い。同様の投擲用ナイフも配備されている。
他にも、一部のハウリア族にはスリングショットやクロスボウを持たせていたりもする。持っているのは、主に子供や年寄りだ。高い索敵能力を活かした霧の向こう側からの狙撃は、脅威と言う他ない。
「……! 命中」
遠くから射出された矢が、またしても熊人族の一人を撃ち抜いた。どこからか小さな声で、命中を喜ぶ声も聞こえた。
そんなわけで、パニック状態に陥っている熊人族では今のハウリア族に抗することなど出来る訳もなく、瞬く間にその数を減らし、既に当初の半分近くまで討ち取られていた。
「ジン殿! このままではっ!」
「一度撤退を!」
「殿は私が務めっグォぉ!?」
「トントォ!?」
一時撤退を進言してくる部下だが、何人もが半殺しにされて腸が煮えくり返っていることから逡巡するジン。その判断の遅さをハウリアのスナイパーは逃さない。殿を申し出て再度撤退を進言しようとしたトントと呼ばれた部下のこめかみを正確無比の矢が貫いた。
それに動揺して陣形が乱れるジン達。それを好機と見てカム達が一斉に襲いかかった。
だがそれも本命ではなかったのか、突然、背後から気配が現れ致命の一撃を放たれる。ハウリア達は、そのように連携と気配の強弱を利用してジン達を翻弄した。ジン達は戦慄する。――これがあの弱々しい兎人族なのか、と。
しばらく抗戦は続けたものの、混乱から立ち直る前にジン達は満身創痍となり武器を支えに何とか立っている状態だ。連携と絶妙な援護射撃を利用した波状攻撃に休む間もなく、全員が肩で息をしている。一箇所に固まり大木を背後にして追い込まれたジン達をカム達が取り囲む。
「さて……ここで交渉を行いたい」
こうして優位に立ったところで、カムが交渉を持ちかけた。
「交渉に応じなければ、ジンを除いた全員を殺す。応じるのであれば、これ以上の殺し合いはしない。さぁ、誇りのために仲間を犠牲にするか、誇りを捨てて交渉に応じるか、選べ」
ジンにとっては、悪魔の二択というものだろうか。彼も戦士だ、この戦況が絶望的で、勝てないことは理解していた。
しかし仲間を救うには、自らの誇りというのを捨てなければならない。だがここで熊人族としての誇りを捨てずに戦えば、おそらく敗北し、自分を残して仲間は全員死ぬだろう。
採れるのは二択の内の片方のみ。誇りを犠牲にするか、仲間を犠牲にするのか。ジンが選んだのは……
「要求は、何だ……?」
プルプルと震え、歯を食いしばりながら、ジンはそう尋ねた。交渉に応じて、誇りを捨てて仲間を救うことを選んだのだ。
「私達ハウリア族の死刑を取り消すことと、ハウリア族の独立を、全種族に認めさせること」
「……!!」
ハウリア族の要求はすなわち、罪人を見逃すということに他ならなかった。こんなことをしては、長老として他の亜人族に示しがつかない。ジンはこんな要求をしてきたカムを睨むが……
「要求を飲まないのなら、ここにいる仲間は全員殺す」
カムは真面目な顔でそう言う。いつでも戦闘できるように、周囲のハウリア族は戦闘態勢に入っている。
「クッ……認める……! 認めさせてやる……!」
「それでいいんだ。ただしこの契約に反した場合は、貴様以外の長老を殺す。そう伝えておくように」
「……何故、俺だけ残そうとする?」
それは、率直な疑問だった。ハウリア族は頑なに、熊人族の長老のジンは殺そうとしない。普通なら皆殺しにするものではないかと、疑問に感じたため尋ねた。
「全員殺すより、一人生き証人を作っておいた方がいいだろう? それだけの話だ」
そんな問いにカムは答えた。そう、ただ生き証人として生かしておくというだけなのだ。最強である熊人族、その長老を恐れさせたというだけで、生き証人としての価値がある。だから生かしておくだけ。
「……そうか。さぁ、フェアベルゲンへ戻るぞ」
そうしてジン達は、そそくさと去っていった。もちろん倒れていた、まだ死んでいない瀕死の仲間たちを担いで。
それと入れ替わりに、ハジメ達がハウリア族の所へとやって来た。正直な話を言うと、シアが案内できたので、その他のハウリア族が戦闘していてもあまり問題無くここまでたどり着けたのだ。
「いやぁ、外から見てたけど中々にとんでもないことをするねぇ」
「でもこうしないと生き残れませんから」
「まぁね。けどここからが大変だ。何とかして他の亜人族の信頼を勝ち取る……というのも重要なんじゃないかな?」
ハウリア族は確かに勝った。しかしその代償に、亜人族からの信頼を失ってしまうこととなった。一応独立することになってはいるが……友好的であればそれに越したことはない。
「それは私達でなんとかするつもりですよ」
「まっ、適当に考えておくように。流石に君達に死なれるのは、僕としても嫌だからさ」
◆◇◆◇
戦闘が終わった後、深い霧の中をハジメ達一行は大樹に向かって歩みを進めていた。先頭をカムに任せ、これも訓練とハウリア達は周囲に散らばって索敵をしている。油断大敵を骨身に刻まれているので、全員、その表情は真剣そのものである。
しかしそこまで強い魔物が出てくるわけでもなく……いや出てきても、ハウリア族が瞬殺してしまうのでハジメ達が何かする必要もなく、和気あいあいと雑談しながら進むこと十五分。一行は遂に大樹の下へたどり着いた。
「これが……大樹?」
ハジメは大樹について、フェアベルゲンで見た木々のスケールが大きいバージョンを想像していたのである。しかし、実際の大樹は……見事に枯れていたのだ。
大きさに関しては想像通り途轍もない。直径は目算では測りづらいほど大きいが直径五十メートルはあるのではないだろうか。明らかに周囲の木々とは異なる異様だ。周りの木々が青々とした葉を盛大に広げているのにもかかわらず、大樹だけが枯れ木となっているのである。
「大樹は、フェアベルゲン建国前から枯れているそうです。しかし、朽ちることはない。枯れたまま変化なく、ずっとあるそうです。周囲の霧の性質と大樹の枯れながらも朽ちないという点からいつしか神聖視されるようになりました。まぁ、それだけなので、言ってみれば観光名所みたいなものですが……」
ハジメ達の疑問顔にカムが解説を入れる。それを聞きながらハジメは大樹の根元まで歩み寄った。そこには、アルフレリックが言っていた通り石板が建てられていた。
「これは、オルクスの扉の……」
「同じ紋様、だね」
石版には七角形とその頂点の位置に七つの文様が刻まれていた。オルクスの部屋の扉に刻まれていたものと全く同じものだ。ハジメは確認のため、オルクスの指輪を取り出す。指輪の文様と石版に刻まれた文様の一つはやはり同じものだった。
「やっぱりここが大迷宮の入口か……でも、こっからどうすればいいんだ?」
とりあえずと、ハジメは石版を観察してみる。すると裏側に、表の七つの文様に対応する様に小さな窪みが開いていた。
「これは……」
ハジメが、手に持っているオルクスの指輪を表のオルクスの文様に対応している窪みに嵌めてみる。すると……石板が淡く輝きだした。
何事かと、周囲を見張っていたハウリア族も集まってきた。しばらく、輝く石板を見ていると、次第に光が収まり、代わりに何やら文字が浮き出始める。そこにはこう書かれていた。
“四つの証”
“再生の力”
“紡がれた絆の道標”
“全てを有する者に新たな試練の道は開かれるだろう”
「これは……これを満たさないと、大迷宮に入れないってことなのか?」
「でも、言ってる意味は……?」
「四つの証は多分、大迷宮攻略の証だと思う。おあつらえ向きにそれっぽい窪みがあるし。再生の力については……多分神代魔法に、そういう系統の魔法があるんだと思う」
「……じゃあ、最後のは?」
ユエの言葉に、ハジメと香織は首を傾げるが、それだけは分からない。一体絆とは、誰との絆なのか。頭を捻るハジメと香織に、シアが答える。
「う~ん、紡がれた絆の道標は、あれじゃないですか? 亜人の案内人を得られるかどうか。亜人は基本的に樹海から出ませんし、ハジメさん達みたいに、亜人に樹海を案内して貰える事なんて例外中の例外ですし」
「なるほど……ということは、あれ? もしかしてこの霧、魔法で作られた霧、なのかな? 亜人族以外に効果を及ぼすタイプの」
単純な霧であれば、魔法でどうにかなるはずだ。しかし霧をなんとかする方法は無いと聞く。ということは、この霧は通常のものとは異なるのだろう。
ハジメの推測では、これは亜人族以外の視界を極端に奪う霧なのだ。そしておそらくは、大迷宮を作った解放者が後からかけたもの。そうでなければ“紡がれた絆の道標”を有する者などという条件はないはずなのだ。
「……まぁともかく、今は攻略が無理そうだ」
「ん……」
ここまで来て後回しにしなければならないことを残念がるハジメ。ユエや、声に出していないが香織も同様に残念そうである。しかし、大迷宮への入り方が見当もつかない以上、悩んでいても仕方がない。気持ちを切り替えて先に三つの証を手に入れることにする。
「いま聞いた通り、僕達は先に他の大迷宮の攻略を目指すことにする。大樹の下へ案内するまで守るという約束もこれで完遂だ。君達なら、もう家族だけでこの樹海で十分に生きていけると思う。そういうわけで、ここでお別れだ。それで……」
そして、チラリとシアを見る。その瞳には、別れの言葉を残すなら、今しておけという意図が含まれているのをシアは正確に読み取った。いずれ戻ってくるとしても、三つもの大迷宮の攻略となれば、それなりに時間がかかるだろう。当分は家族とも会えなくなる。
シアは頷き、カム達に話しかけようと一歩前に出た。
「父様! 私もハジメさんについていくことにしました!」
そんなシアの宣言に、他のハウリア族は驚き、目を丸くしていた。特にカムは、シアの肩を掴んで何度も何度も揺すってくる。
「なにぃぃぃぃぃぃい!? シア、本当にいいのか!? ハジメ殿は容赦ないお方! 失敗でもしたら殺されるかも――」
「そんなことありませんよ! ハジメさんは本当に優しいですからぁ!」
「でも! シアに攻撃して大怪我させたのは忘れてないぞ! また失敗したら、シアが大怪我どころか、死ぬかも――」
「だからあり得ません! あれは父様達に発破をかけるための、ただの演技なんだから!」
その言葉に、カムは動きを止める。
「演技……だと?」
「はい。ハジメさん、実演できますか?」
「ん、ああ。一応はできるけど」
そういうわけで、あの時のタネ明かしをすることにした。ハジメは『paint』と赤く塗られた拳銃をどこからともなく取り出し、シアに撃ち込んだ。
「っ……たぁぁぁぁあ!」
「なっ……シア!」
「いたたた……父様、お腹触ってください」
そう言ってシアは、他のハウリア族に撃たれた所を触らせる。もちろんペイント弾なので、一切の怪我は無い。単に血のような匂いがする赤い液体が付着しているだけだ。
「怪我が、ない……?」
「そりゃそうですよ。だってハジメさんは、ペイント弾……つまり絵の具の弾丸を撃っただけなんだから」
「……」
あの時のハジメの行動を理解したハウリア族は、全員ほぼ同時に胸をなでおろした。
「「「よ……よかったぁ……」」」
もちろん、シアは認められて、ハジメと共についていくこととなった。
◆◇◆◇
樹海の境界でカム達の見送りを受けたハジメ達は、再び自動車に乗り込んで平原を疾走していた。助手席には香織が乗り、後方にはユエとシアだ。
後方からシアが質問する。
「ハジメさん。そう言えば聞いていませんでしたが目的地は何処ですか?」
「ん? 言ってなかったか?」
「聞いてませんよ!」
シアに対しては、今後のことを詳しくは話していなかったことを思い出したハジメは、改めて今後の予定を説明した。
「次の目的地はライセン大峡谷……のどこかにあるであろう、ライセン大迷宮だ」
「ライセン大峡谷?」
「一応、ライセンも七大迷宮があると言われているからね。シュネー雪原は魔人国の領土だから面倒な事になりそうだし、取り敢えず大火山を目指すのが一番なんだが、どうせ西大陸に行くなら、東西に伸びるライセンを通りながら行けば、途中で迷宮が見つかるかもしれない」
「つ、ついででライセン大峡谷を渡るのですか……」
思わず、頬が引き攣るシア。ライセン大峡谷は地獄にして処刑場というのが一般的な認識であり、つい最近、一族が全滅しかけた場所でもあるため、そんな場所を唯の街道と一緒くたに考えている事に内心動揺する。
「まぁまぁ、そう不安にならなくていいと思うよ。だってシア、香織とユエを倒したんでしょ? なら大迷宮でない場所の魔物くらい余裕だよ」
とはいえ、そのままライセン大迷宮の捜索に向かうのは良くない。物資が、主に食料が足りなさすぎる。
「ただその前に、物資の調達をしないといけないから……先に近くの街に行こうと思う。前に見た地図通りなら、この方角に町があったはず」
ハジメとしてはいい加減、まともな料理を食べたいと思っていたところだ。それに、今後町で買い物なり宿泊なりするならお金が必要になる。素材だけなら腐る程持っているので換金してお金に替えておきたかった。
「まぁそういうわけだ。とりあえず街に行くから、兎人族のシアは気をつけろよ? 攫われたら面倒になる」
そうして街へと向かう三人と、新たに増えた一人。なんだかんだで車内は騒がしくなってきた。