人がいなくなった大市に一台の飛行艇が着陸する。
「どうやらあの平民は思いの外使えたようだな」
その光景を別の飛行艇で見ていた軍人は一番の目的が順調に達成されていることに安堵の息を吐く。
今回の処刑が知れ渡るとほぼ同時に領邦軍に詰め所に単身で乗り込み、捨石になっても構わないと言い切った少年の勇気と漢気は口に出さないが領邦軍は高く評価する。
「しかし隊長。やり過ぎではないでしょうか?」
「作戦の概要は既に説明したはずだ……
奴等は既に護るべき無力な市民ではない、自分の立場を弁えず貴族の処刑を画策し、あまつさえバリアハート襲撃を企てる反逆者に過ぎん」
「それは分かっています……ですが……」
操縦桿を握り締めながら操縦士は逃げ惑う市民だった者達を見下ろす。
第四機甲師団に煽られたとは言え、ケルディックの住民が超えてはいけない一線を超えてしまった。
クロイツェン州の枠を超え、ログナー家とハイアームズ家まで敵に回してしまった以上、クロイツェン州を治めるアルバレア家にはケルディックを潰す以外に選択肢はなくなってしまった。
「お前達が悪いんだ。お前達が悪いんだ……」
下に向けて機関砲を掃射している砲撃士が繰り返す呟きに操舵士は唇を噛む。
そう言い聞かせなければいけない程の煉獄に良心が痛まないわけではない。
「せめて処刑なんて言い出さなければ……」
思わず呟いてしまうが、幸い上官の耳には入らなかったのか、咎められることはなかった。
このままクロイツェン州領邦軍が彼らの処刑を見過ごせば、革新派を打倒した未来でログナー家とハイアームズ家を代表として犠牲になった家から責任追及をされるだろう。
四大名門から降ろされることはなかったとしても、その中での発言力は著しく低下することになる。
逆に捕まった貴族子女達を無事に救出できたなら、ログナー家とハイアームズ家に大きな恩を売ることができる。
それこそ、貴族連合軍主宰の立場をカイエン公爵から奪うことも夢ではない。
「クロイツェン州が帝国のトップになるか……悪くないな」
間接的とは言え自分達が一番になることに悪い気はしない。
ケルディックを焼くデメリットは大きいものの、それをするだけのメリットは存在していた。
「私たちの正当性は助けた子供たちが証明してくれるだろう」
直前にどちらの陣営にとっても想定外のことが起きたが、それで革新派が処刑を中止すると宣言したわけではない。
大勢に取り囲まれ理不尽な憎悪を向けられた子供達の心の傷がどれほどのものか想像もできない。
「入電――捕らえられていた貴族の子女たちは全員救出できたようです……ですが――」
「どうした?」
「第一優先保護対象のアンゼリカ・ログナー嬢が手枷を外せと抵抗しているようですが……」
「ログナー侯からの許可は得ている。そのままで構わん。抵抗が激しいようならスタンロッドの使って気絶させておけ」
何故、救出対象に猛獣のような対処が許可されているのか通信士は首を傾げつつ、通信士はその胸を相手に伝える。
そして隊長はおほんと咳払いをして、部下たちに言う。
「我が艇は救助艇の浮上に伴い、護衛からケルディック制圧に任務を変更する!
思い上がった平民共に、貴族の恐ろしさを教えてやれ!」
『イエス・サー!』
隊長の指示に隊員たちは躊躇を捨てて返事をする。
救助艇が上昇し、バリアハートに進路を向けて発進する。
その瞬間、それを見守っていた彼らの飛行艇は激しく揺れた。
「何だ!? 奴等の抵抗か!?」
「分かりません。被害状況は――」
激しく揺さぶられながらも墜落しないように艇の姿勢を維持させた操舵士はそれを見た。
「緋……」
飛空艇の前方の窓一杯に埋め尽くされた《緋》。
「まさか《緋の騎神》!? 何でこいつがここに!?」
今回の任務とは別に最優先捕獲対象である《緋の騎神》の突然の登場に艦橋は騒然とする。
そんな彼らに《緋》は頭を鷲掴みにした機甲兵を振り上げ、棍棒のように叩きつけた。
*
機甲兵を叩きつけられた飛空艇がひしゃげ、墜落して爆発する。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
その光景を睥睨した《緋》は緋い翼を広げて雄叫びを上げると、その両手に剣が現れる。
『――ッ』
顕現した剣を無造作に左右に投げる。
剣は砲弾のように大気を切り裂き、ケルディック上空を周回して銃弾の雨を降らせている飛行艇をそれぞれ貫く。
今度は墜落する様を見届けず、《緋》は地上に向かって急降下。
第四機甲師団とバリアハートから進軍してきた機甲兵の部隊が撃ち合う戦場のど真ん中に粉塵を巻き上げて着地する。
「何だ!?」
「こいつは緋の騎神《テスタ=ロッサ》! 何故ここに――」
突然の乱入に第四機甲師団とクロイツェン州領邦軍は狼狽え、領邦軍はすぐに我に返って檄を飛ばす。
「囲めっ! 《緋の騎神》の奪還はセドリック皇子からの勅命だ! 貴族子女の救出に、《緋の騎神》の奪還の功が合わされば――」
彼がそれを言えたのはそこまでだった。
第四機甲師団から素早く攻撃目標を《緋》に切り替えて、指示に従って左右に展開した機甲兵の部隊は次の瞬間、長い尾の一薙ぎにまとめて薙ぎ払われた。
『グウウウウウウウウウウウウッ!』
《緋》は獣の様な唸りを上げ、薙ぎ払った機甲兵たちに目もくれずに空を見上げる。
そこには《真紅の神機》と《翠の機神》が激しい攻防戦を繰り広げていた。
《緋》は右腕にランスを顕現させると同時に飛翔する。
「くっ――」
「ふふふ、さっきまでの威勢はどうしたのかしら?」
高速で飛び回りながら撃ち合う戦いはどちらも直撃することないが、武装がライフル一つだけのティルフィングに対して、身体の各所に導力砲を装備しているアイオーンKが優勢に立ち回っていた。
反撃にライフルを撃つも、動き回る的に当てることは難しく、《翠》は防戦を強いられていた。
「あら……?」
計器のアラートにスカーレットは《緋》の接近に気付く。
「生きていたのね皇子様。でも――甘いわよ」
奇襲を仕掛けようとする《緋》にスカーレットは笑う。
「ダメだ! クリスッ!」
接近戦を仕掛けようとする《緋》にガイウスは止まるように叫ぶ。
「ブラッディストームッ!」
《真紅》の四対八翼の翼の一部が分離すると、それらは八つの刃となって独自に飛翔する。
八方に散った刃はそれぞれが独自に動き、《緋》に殺到する。
《翠》が接近戦をしようとしても、全方位からの攻撃に阻まれ敵わなかった攻撃。
「っ――」
咄嗟に《翠》はライフルを撃つが、ガイウスの腕では的が小さすぎて当たらない。
真っ直ぐ突撃して来る《緋》に八つの刃がそれぞれ死角から襲い掛かる。
八つの衝撃を受けて怯む《緋》に《真紅》は両腕の導力砲を撃ち込み、《緋》は爆炎に包まれる。
「あははっ! 所詮はこんな程度ね!」
《騎神》と言えども中身は世間知らずのお坊ちゃんに過ぎない。
自分達のリーダーとは雲泥の差だとスカーレットは嘲笑う。
――何がおかしい?――
「え……?」
直接脳裏に話しかけられたような声にスカーレットは思わず呆ける。
次の瞬間、《真紅》に無数の刃の奔流が襲い掛かる。
「なっ――」
水流にも見える一撃だが、そこに含まれた剣刃は鑢を掛けるように逃げ遅れた《真紅》の脚を削り落とす。
爆炎が晴れた、そこに分離した刃が結合した剣を構える《緋》がいた。
「何で――お前が教会の法剣を!?」
――この程度で我を破壊しようなどとは愚かな――
スカーレットの疑問に答えず、それは侮蔑の蔑みで《真紅》を見下す。
その体躯には刃と砲撃によるの傷は一つもない。
「っ――」
《真紅》は今回のために増設した爆撃用のコンテナを開き、残ったミサイルを《緋》に向けて撃ち尽くし、結果を見る事もなく機体を反転させる。
視界を埋め尽くす弾幕に《緋》は無造作に手を翳し、緋の波動を放つことでミサイルは誘爆しケルディックの空に大輪の爆炎を咲かせる。
脇目も振らずに逃げた《真紅》はその数秒で彼方まで距離を取ることに成功する。
「逃げられたか……どうするクリス? クリス?」
《翠》からの呼び掛けに《緋》は答えず、《緋》は使う事がなかったランスを構える。
「何を――」
ガイウスが戸惑っている間に、ランスに緋の霊力が迸り――次の瞬間、投擲される。
音速を優に超えた速度で投擲されたランスは逃亡した《真紅》を掠め、オーロックス山脈に命中し光の爆発を生み出す。
「なっ――」
絶句するガイウスを他所に《緋》は踵を返し、バリアハートの方向へ逃げようとしている飛行艇を見据えて、その手に新たなランスを顕現させる。
「――待て! クリス!」
澱みなく新たなランスが投擲され、ガイウスは“勘”に任せてライフルを撃つ。
撃ち抜かれたランスはその場で爆発し、閃光と轟音をケルディックの空に撒き散らす。
「クリス……」
運良く撃ち抜けたことに安堵しながらガイウスは《緋》に向き直る。
――我の邪魔をするか?――
「クリス……いや違う……」
乗っているのは彼かもしれないが、《緋》が纏う空気に動かしている者は違うと気付く。
「っ――」
次の瞬間、尻尾からの刺突が襲い掛かり《翠》は反射的に仰け反って眼前に鋭い穂先が突きつけられる。
「くっ――」
咄嗟にライフルを十字槍に変形させ、眼前の尾剣を弾き《翠》は《緋》から距離を取る。
――憎い――
脳裏に過る声にガイウスは顔をしかめる。
同時に《緋》から漏れ出す黒い瘴気におおよその事情を察する。
「まさかクリスまで《呪い》に……」
かつて自分が特別実習の時に暴走してしまった時に止めてくれたのが彼だけだっただけにその事態にガイウスは――
「――クリスに止めてもらった?」
戦闘中だと言うのにガイウスは思考に生まれた違和感に固まる。
半年前の特別実習の時、ノルドの守り神である巨人像が動き出し彼を攻撃させてしまったことが脳裏に浮かぶ。
何もおかしくない、矛盾のない記憶なはずなのに、反芻しようとすればする程、思考が歪み、激しい頭痛に見舞われる。
「うぐっ……これはいったい……」
その苦しみは《翠》にフィードバックされるように機体は固まり、その隙を逃さず《緋》はその手に剣を顕現させ斬りかかる。
「っ――」
苦し紛れに十字槍で受け止めるものの、力の差は歴然であり、あっさりと槍はその手から弾き飛ばされる。
動きが鈍い《翠》に《緋》は返す刃を薙いで地面に叩き落とす。
更に墜落させた《翠》を追い駆けて、止めの一撃を落とす。
その刃は――《青のティルフィング》の双銃剣が受け止めた。
「大丈夫、ガイウス?」
「フィーか、すまない助かった」
《翠》では受け切れなかった一撃を受け止めている《青のティルフィング》の背中にガイウスは助かったと安堵の息を吐く。
「あ……ちょっと持たないかも」
「くっ」
しかし、安堵も束の間。
フィーの弱音に《翠》は慌てて機体を飛ばして《青》の背後から退く。
それを確認して《青》は合わせた刃を弾き、《緋》から距離を取る。
「これ、どういうこと?」
「詳しいことは分からない。ただクリスもまた《呪い》に囚われてしまったようだ」
端的に状況の説明を求めるフィーにガイウスは推測で答える。
「了解、とりあえず強めに殴れば良いんだっけ?」
「……俺達にできることはそれくらいしかないだろう」
《呪い》の発生に対して自分達はあまりにも無力だと実感しながら《翠》は《青》の隣に並ぶ。
――その程度の“力”で我の邪魔をしようなどとは愚かな――
《緋》は咆哮を上げると、その背後に膨大な霊力を迸らせる。
顕現されるのは無数のライフル。
「なっ――」
「やば――」
その銃口に緋の霊力が溜まる。
そこに宿る“力”の大きさに二人は息を呑む。
二人の機体の防御力では防げない攻撃。しかし、背後にはケルディックがある。
そして二人が打開策を思考するよりも早く、無数の砲台が一斉に火を噴いた。
無数の銃口から撃ち出された《緋》の光弾は野太い一つの光線となって二機に降り注ぎ――空から降って来た太刀、それを中心に展開された“鏡”が緋の破壊を空へと逸らした。
一拍遅れ、空から降りて来た《灰》が地面に突き刺さった太刀を引き抜き、《緋》と向き直る。
「ヴァリマール……」
「助かった……」
その背中にガイウスとフィーは何故か言い知れない安堵を感じてしまい、首を揃って傾げる。
その間にも《緋》は新たな剣をその手に作り出し、《灰》に斬りかかる。
「…………」
《灰》は静かに太刀を盾にするように構え、その一撃を受け止める。
《翠》を簡単に吹き飛ばし、《青》も力負けした《緋》の一撃を《灰》は受け止め――
「っ――ふざけるなっ!!」
クリスの激昂が響き渡った。
絶叫と共に繰り出される剣戟を《灰》は後退りながら受けに徹する。
その動きにクリスはさらに苛立つ。
「お前は■■■さんじゃない!」
その名を叫ぶことで頭痛が走るが構わず叫ぶ。
“彼”によく似た立ち姿と太刀捌き。
よく似ているだけで、クリスの目から見ればただ表面をなぞっているだけの醜悪なものまねにしか見えない。
現に“彼”だったら難なく防いでいただろう剣を《灰》は防ぎきれずにその体に傷を増やしていく。
その事実がさらにクリスを苛立たせる。
「お前がこれをやったのか!? お前がっ!!」
「――きゃあっ!」
途切れることない連撃の末、《灰》の太刀は《緋》の一撃に弾き飛ばされる。
「――っ!」
《灰》から聞こえて来たのは女の子の悲鳴。
しかし、クリスにはそれがどうしたと言わんばかりに無防備となった《灰》に剣を繰り出す。
「やめろクリス!」
「らしくないよ」
戦意がない相手をなぶる《緋》を見兼ね、《翠》と《青》が両側から抱き着くように《緋》を抑え込む。
「放せっ! こいつは! こいつだけは!」
単体では力負けをしたものの、二機掛かりの抑え込みに《緋》はもがき――尾を地面に突き立てた。
「がっ――」
「なっ……」
「うそ……」
地面を伝って突き出された尾剣が《灰》の胸を貫く。
「は……はは……あはははっ! やったよ■■■さんっ!」
「クリス……」
聞こえて来る狂ったような哄笑にガイウスは痛々しさを感じ、《緋》から噴出する黒い瘴気に《翠》と《青》は吹き飛ばされる。
「クリスッ!」
「くっ……いい加減にしてっ!」
二人の制止を無視して《緋》は空中に無数の剣を顕現する。
胸に風穴が空いた《灰》に“千の武具”が降り注ぐ。
剣が腕を、槍が脚を、斧が肩に、矢が頭に穿たれ、瞬く間に《灰》は無惨な姿に変わって行く。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
霊力の限界まで“千の武具”を撃ち尽くした《緋》は力を失ったように膝を着く。
立ち上る土煙がその攻撃の激しさを示していた。
しかし、それにも関わらず金属がこすり合う音が土煙の中から聞こえて来る。
「くそ……」
土煙の中から覚束ない足取りで出て来た《灰》にクリスは思わず悪態を吐く。
右腕を失い、顔の半分は抉れ、装甲の至る所は砕け、肩から胴体に突き刺さった槍を残った左腕で引き抜きながら《灰》は前へと進む。
「動け《テスタ=ロッサ》! まだ終わってないぞ!!」
クリスの憎悪の声に《緋》は唸るように駆動音を上げ、すぐに沈黙する。
「動け! 動けっ! 動けよっ!」
何度も叫ぶが《緋》は答えることはなく、《灰》は《緋》の前に辿り着く。
差し伸べた《灰》の手が、人で言うところの《緋》の頬に触れる。
「――ご――ん――さい――」
「やめろ! 放せっ! くそっ!」
いくら抵抗しても《緋》はぴくりとも動かず、《灰》は《緋》に半壊した額を合わせる。
「っ――」
その瞬間、思考の熱が急速に奪われクリスの意識は遠のく。
「――――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
その言葉を最後にクリスの意識は闇に沈むのだった。