「それでは貴方は一人でケルディックの処刑に乗り込んだんですか?」
「ああ――じゃなくて、はいっ」
「それは随分と無謀なことをしましたね。聞けば随分酷い状態だったと聞きますが……」
「はい……
学院の同級生たちを取り囲んで、貴族は殺せ、貴族は殺せって血走った目で……とても正気とは思えませんでした」
「あろうことか、その市民の暴走を煽ったのが革新派の第四機甲師団という話ですからね……
ケルディックに限らず、他の都市でもこういった革新派の暴走が起きているようです……
記憶に新しいのだと先週のラインフォルト社爆破事件でしょうか?」
「ラインフォルト……それってⅦ組の……」
「ええ、ルーレのラインフォルト社の居住フロアの爆破された事件です……
これによってイリーナ会長と彼女の娘のアリサ嬢の二名が巻き込まれたようです……
この事件も犯人は帝国正規軍のものだとハイデル・ログナー氏が発表しています」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、革新派はオリヴァルト皇子を担ぎ上げているようですが、実態は皇子の意向を無視した動向が多く、ケルディックのように各地で市民を煽っていると聞きます……
帝国市民はくれぐれも軽挙な行動は慎んでください……
それでは最後に勇敢な恋人に救ってもらったブリジット嬢、一言お願いします」
「あ、あの私とアランは恋人じゃなくて、その……あう……」
「そ、そうですよ! 俺達は……」
「ふふ、初々しいカップルですね……以上、ヘイムダル放送でした」
*
「ここは……」
目を覚ましたクリスは見覚えのない部屋を見回して首を傾げる。
数日前に同じような経験をしたが、ゼンダー門の時とは違い、武骨ではなく調度品で飾られた室内は明らかにミラが掛かっていると分かる。
「お、目が覚めたか」
むくりと起き上がったクリスに傍らに控えていた少年は読んでいた本を閉じて立ち上がる。
「君は……」
「ちょっと待ってろ。すぐに責任者を呼んで来る」
あの人から“技”を授けられ、密かにクリスが対抗心を燃やしていた少年――スウィンは人の気も知らずに淡々と部屋を出て行ってしまう。
「…………ここは何処なんだ?」
深呼吸を一つして、嫉妬心を呑みこみクリスは部屋を見回す。
「……みんなは……それにケルディックはどうしたんだろう?」
部屋の造りからそこがケルディックではないことを察する。
クリスは手っ取り早く確認するため、ベッドから降りて窓を遮っているカーテンを払って外を見ようとして固まった。
「こ、これは!」
クリスは思わずベッドのサイドテーブルに置いていかれたスウィンが読んでいた本を手に取って目を見開く。
「《Rの軌跡》の最新巻にして最終巻! 発売延期になった本がどうしてここに!?」
クロスベルが行った資産凍結の影響により、発売が危ぶまれた大衆向けの娯楽小説。
クリスにとってその発表は数日前のことであるのだが、実際は既に一ヶ月の時が過ぎているため、無事に発売されていたとしてもおかしくはない。
「そう言えば、これはどうなっているんだ?」
今まで深く考える時間がなかった疑問にクリスは首を傾げる。
人々の記憶から“彼”の記憶が消えている異常。
この小説の主人公は名前こそ違うが、その“彼”の旅を記した物語。
因果の改変は“本”にどのように影響しているのか、内容も気になるが読むことに躊躇いを感じてしまう。
「…………」
クリスは誰もいない部屋を改めて見回す。
別にいけないことをしているわけではないのだが、周囲の視線を気にし、窓と本に視線を交互に移す。
「…………うん。これも現状把握のため、決してケルディックのことを蔑ろにしているわけじゃないから」
誰に言うでもなく、自己弁護をクリスは固める。
ここが何処なのかはスウィンが呼びに行った誰かが説明してくれるのを待てばいい。
しかしこの本に関しては、今後の内戦の状況では本屋に行く暇も、落ち着いて読書に耽る時間が取れるわけもない。
「このチャンスを逃したら、いつ読めるか分からない……」
勝負はスウィンが誰かを呼びに行き、戻って来る数分。
責任者の状況次第ではもう少し待たされるかもしれないが、千載一遇のチャンス。
「それにこれはあの人が本当にいたという証明でもあるんだ……
前巻は湖畔の研究所であの子が犠牲となって主人公を逃がした場面で終わっている……その後の話か……」
以前の記憶を反芻し、クリスはごくりと唾を飲む。
果たしてあの後、彼とあの子はどうなったのか。
最終巻だけあって今までの本よりも厚いが、この数分に全てを掛ける気持ちでクリスは集中力を研ぎ澄ませ――
「いざ――」
「やあ、お目覚めになられて何よりです、セドリック殿下」
部屋に入って来たルーファスにクリスは視線を送り、開いた本の一ページをそっと閉じるのだった。
*
「それじゃあここはクロスベル? しかもケルディックの焼き討ちから三日も寝ていたなんて……」
「本来なら君も重症者と同じようにウルスラ医科大学病院に搬送しようかと考えたのだが、セリーヌ君が疲労だけだと言っていたのでね……
君達にはこのオルキスタワーの客室に宛がわさせてもらった」
「それは良いんですけど……」
皇子に対しての扱いではないと謝罪されるが、ウルスラ医科大学病院もケルディックの負傷者を受け入れて忙しくなっていること、それに加えて護衛の観点からの処置だと説明される。
「それよりもケルディックはあれからどうなったんですか?
それにルーファス教官が何故クロスベルに?」
「そうだね……まずは私が何故クロスベルの総督になっているのか説明しよう……
もっともつまらない話さ。トールズ士官学院で拘束された私はある日、父と面会してこのクロスベルの総督になれと命じられたのだよ」
資産凍結から始まったクロスベルの横暴な振る舞い。
何者かの手によって、ディーター・クロイスの悪事が白日の下に晒され、大義名分を得た特務支援課によって彼が逮捕された。
それが切っ掛けで帝国軍はクロスベルを制圧することに成功したが、同時に勃発した内戦によりクロスベルを統治する余裕は貴族連合にも革新派にもなかった。
そこで白羽の矢が立ったのだが、ルーファスだった。
「今回の内戦での数少ない、取り決めの一つでね……
クロスベルの統治にはそれぞれの代表者を置くことで協力して統治し、帝国内での不和を持ち込まないと取り決められている」
「それぞれの代表者?」
「革新派からはクレア君とレクター君の二人が代表として来ているよ……
おそらくは貴族連合は私を使って“鉄血の子供”を封じようとしているのだろう」
革新派にとってもルーファスはアルバレア家の筆頭から外れたとしても、その才覚が衰えたわけではない。
そんなルーファスの復帰を畏れた革新派は彼を監視する人材をクロスベルに派遣する必要があった。
そんな事情をルーファスは憶測も交えながら語る。
「そして私が選ばれたのは、この動かない腕と《金の騎神》がカルバード共和国への牽制にするためだろう……
もっとも、クロスベルが行った資産凍結のせいで経済恐慌が起きたカルバードに帝国へ侵攻する余裕は今はなさそうだがね」
「《金の騎神》……もう動かせるようになったんですか?」
「いいや、外見だけは取り繕っているが戦闘は厳しいだろう……
それでも《騎神》がここにいるという事の意味、カルバード、クロスベルにとっても大きな抑止力となるという事だ」
クリスは先程見下ろした窓の外、オルキスタワーの前の広場に立たせていた《金の騎神》に納得する。
「ケルディックの事についても御安心を……
重症者はウルスラ医科大学病院へ搬送、破壊された家屋もすぐにとは言えませんが、撤去と復興の作業は始まっています」
「撤去作業って……」
あまりにも軽い言葉にクリスは顔をしかめる。
「あんなことをしたのに、それだけなんですか!?
いや、そもそも廃嫡されたとは言え、アルバレア公爵家の貴方をケルディックが受け入れたと言うんですか!?」
「そうしなければ、生き残ったケルディックの市民は生きる術がなかったからね」
そう言ってルーファスはテーブルの上にこの数日分の帝国時報を置いた。
「なっ!?」
そこには大きな見出しでケルディックの処刑を非難する記事、当時の現場の写真と共に掲載されていた。
「ケルディックの処刑に関しては既にこの内容の情報が帝国に出回っている……
罪のない貴族の学生を一方的、かつ弁明も聞かずに処刑を断行……
各地でこの処刑の事を非難する声が上がっている。おそらくケルディックに手を差し伸べる者は誰もいないだろう」
「そんな……あれだけのことをしておいて」
「むしろあれだけで済んだと思った方が良いだろう」
「なっ!?」
ルーファスの言葉にクリスは耳を疑う。
「もしもあの処刑が決行されていたら、ログナー家とハイアームズ家、他の家の者達も報復としてケルディックは文字通り帝国の地図から消えることになっていただろう」
「だけどアランが――」
「そのアラン君は領邦軍の協力者だった……
それに彼のおかげで場の空気は確かに変わったが、君は処刑を中止するという宣言を聞いたのかな?」
「それは……」
ルーファスの指摘にクリスは口ごもる。
現場にいたからこそクリスはケルディック側の視点で見てしまうが、人質の奪還作戦の一環だったと言われてしまえば口を噤むしかない。
「以上がアルバレア公爵の言い分であり、ケルディックと第四機甲師団の生き残りは自分達の非を受け入れました」
「…………そうですか」
「そしてセドリック殿下。ヘルムート・アルバレアの伝言を伝えます」
続くルーファスの言葉にクリスは思わず身構える。
「貴方が所有している《緋の騎神》を皇室に返還し、二度とヘイムダルの地を踏まないことを誓うならば、今後の貴方とアルフィン皇女の身の安全を保障する。とのことです」
「なっ!? 何だその要求は!?」
突き付けられた条件にクリスは思わず激昂する。
が、ルーファスは涼しい顔をしてそれを受け流し、事務的に続ける。
「アルバレア公が何を考えているのか、おおよそ検討はつきます……
あえて私に《テスタ=ロッサ》を回収しろと命じず、伝言だけで済ませたことにも意味があるのでしょう」
「元々《テスタ=ロッサ》は皇族のものだ!
それにヘイムダルの地を踏むな!? あんな偽物を用意しておいてそれを言うのか!?」
「心中お察しします」
クリスの激昂にやはりルーファスは涼し気な言葉を返す。
「でしたら殿下。貴方は自分こそ、本物のセドリック皇子だと名乗りを上げますか?」
「当然です」
ノルドからケルディックと、それをする暇がなかっただけで大きな都市に辿り着いた時点で貴族連合に偽物のことを宣言することは考えていた。
だからこそルーファスの質問にクリスは即答する。
「それはあまり得策とは言えないでしょう」
しかし、ルーファスはそれを窘めるように進言する。
「……どうしてですか?」
感情に任せて反論しようとする心を抑え込み、クリスは理由を尋ねる。
「皇族である証として殿下が証明できるのは《緋の騎神》なのは間違いないでしょう……
ですがそれは周知されていることではありません。だからこそ、貴族連合は皇子の偽物を祭り上げたのです」
「で、でも……」
「今の皇子には自身を護る力もなければ支持してくれる後ろ盾、貴方に付き従う家臣や仲間もいない……
例え貴方が正しく本物であったとしても、四大名門の当主達の権謀術策の前には無力な子供でしかありません」
「でも!」
「特別実習で彼らの器を見極めたつもりですか? 彼らは曲がりなりにもあの“鉄血宰相”と渡り合ってきた傑物ですよ」
「っ――」
クリスにとっての憧れの一つを引き合いに出され、思わず押し黙る。
「《騎神》は強力ですが、それだけでこの混迷とした情勢を切り拓くことはできないでしょう」
「だ……けど……」
淡々と告げるルーファスに言い返そうとクリスは思考を巡らせるが、彼を納得させるだけの理屈はすぐに思い浮かばない。
「むしろ《騎神》を使って内戦に介入するのなら、戦火は大きくなり、ケルディックの比ではない大きな争いの原因となります……
殿下には民や仲間をその戦いに巻き込む覚悟がありますか?」
「…………覚悟……」
それを問われてクリスは押し黙るしかない。
自分だけならばそれこそ突き進むことに躊躇いはないが、自分の戦いが第二第三のケルディックを生み出すとなれば尻込みしてしまう。
俯いたクリスにルーファスは苦笑を浮かべると席を立つ。
「アルバレア公にはまだ皇子は目を覚ましていないと報告しておきましょう……
スウィンとナーディアのどちらかを伴っていれば、クロスベル内での行動も自由にされて結構です」
「ルーファス教官……」
「ただこれだけは覚えておいてください……
貴方が迷っている内にも情勢は刻一刻と変化して行きます。猶予はあまりないでしょう」
「っ……」
ルーファスがアルバレア公爵への返答を先延ばしにしてくれても、帝国内での内戦が進んでいるのだと暗に告げられクリスは唇を噛む。
これからの帝国の進退に関わる大きな戦になっているのに、皇族である自分とは関係なく情勢が進んでいることに屈辱さえ感じる。
「ルーファス教官」
胸の奥の苛立ちをクリスは何とか呑み込み、部屋から出ようとするルーファスの背に尋ねる。
「――Ⅶ組のみんなはどうしているか分かりますか?」
「ええ、まずシャーリィ君に関してはウルスラ医科大学病院へ搬送されましたが、既に意識は取り戻したそうです」
「シャーリィ……良かった」
「ガイウス君とフィー君はそれぞれルーレとレグラムに昨日の時点で出発しています」
「ルーレとレグラム?」
「ルーレでは先日、ラインフォルト社の最上階の一室が爆破される事件があり、イリーナ会長とアリサ君の二人が巻き込まれたそうです」
「なっ!? 二人は無事なんですか?」
「一命は取り留めたそうですが、詳しいことは調査中です……
レグラムではアルバレア公爵の命により、クロイツェン州の意志を統一する名目でレグラムを治めるアルゼイド子爵家と交渉をしているそうです……
ただヴィクター卿は不在であるため、ラウラ君が代行としてアルゼイド家として立ち、アルバレア公爵家からの交渉役はユーシスが担っているそうです」
「ラウラとユーシスが……」
「そしてマキアス君とエリオット君の二人はセントアークにて革新派の本拠地にいることが確認できています……
他のミリアム君とエマ君に関しては、こちらも調査中になります」
それで終わったと言わんばかりにルーファスは踵を返す。
「ま、待ってください!」
「まだ何か?」
意外そうな顔でルーファスは首を傾げる。
「ひ、一人足りませんか?」
「さて……」
クリスの指摘にルーファスは目を伏せて思案する。
「アリサ・ラインフォルト、ラウラ・S・アルゼイド、フィー・クラウゼル、エマ・ミルスティン、シャーリィ・オルランド、ミリアム・オライオン」
順にルーファスは名前を上げていく。
「ユーシス・アルバレア、マキアス・レーグニッツ、エリオット・クレイグ、ガイウス・ウォーゼル、そしてクリス・レンハイム」
「――っ」
「以上十一名がトールズ士官学院特化クラスⅦ組だと私は記憶していますが?」
「ルーファス教官は覚えていないんですか?」
何故自分だけが“彼”のことを覚えているのか。
その答えの一つとしてクリスは“起動者”であることが条件だと推測したのだが、《金の騎神》の起動者であるルーファスはクリスの質問に困惑を返す。
「覚えていないとは誰のことかな?
ああ、もしかして君達の担当教官の――」
「違います!
そこのスウィンとナーディアがトールズに来る切っ掛けになった人です!
“ティルフィング”を開発したり! ルーファス教官が今年の初めにユミルに来た切っ掛け!
帝都の暗黒竜やノーザンブリアを塩化から浄化して――
そうだ! ヴァリマールはどうしたんですか!?
テスタ=ロッサを回収したなら、そこにいたはずのヴァリマールはどうしたんですか!?」
「落ち着いて下さいセドリック皇子」
捲し立てるクリスにルーファスは何を言われているのか分からない困惑の顔をしながら宥め――
「あんた、趣味悪いぞ」
そんなルーファスにスウィンが呆れたように肩を竦めた。
「え……?」
「ふふ、勝手にネタ晴らしはしないで欲しいね」
スウィンの指摘にルーファスは苦笑を浮かべる。
「え…………?」
そんな二人のやり取りにクリスは思わず呆け、すぐに我に返る。。
「もしかして……」
「俺は違うぞ……だけど、俺達をエンペラーから助けてくれた“誰か”がいることは分かってる」
クリスの期待に対してスウィンは先に弁明する。
ならばと顔を向けたルーファスは笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、もちろん。私は《超帝国人》の“彼”のことは覚えているよ」
*
暗い、暗い部屋に規則正しい音が響く。
シャッ、シャッ、シャッ。
それは刃物を研ぐ音。
「………………」
その女は感情が凍り付いた目で黙々とナイフの刃を研ぐ。
「待っていてください。イリーナ様、アリサお嬢様……すぐにわたくしが……」
一心不乱にナイフを研ぐ彼女の耳には幻聴が何度も響く。
『一番悪いヤツを殺せ、コロセ』
それは尊敬する母のような存在の声であり、
『一番悪いヤツを殺せ、コロセ』
最も愛おしい妹の様な存在の声であり、
『誰かを選べないと言うのなら、“ぜんぶ”を殺してしまうと良い』
悔恨を掻き立てる声が彼女の背中を押した。