ルーレにおいて、最も目立ち高い建築物と言えばラインフォルト社である。
対して、最も歴史が深く広い建築物と言えば、ログナー家の侯爵邸が上げられる。
その侯爵邸はその長い歴史に終止符を打つかのように紅蓮の炎に包まれていた。
「っ――」
目の前で焔が弾け、張り巡らせた鋼の糸が身代わりとなって焼け落ち、女はその場に膝を着く。
「やれやれ……ようやく止まってくれた」
嘆息するのは独特な雰囲気を持つ少年。
「……ほとんどテメエは何もしてねえだろうが」
そしてそんな少年を気だるい、そして不愉快な眼差しでマクバーンは睨む。
「アハハ……それは言わないお約束だよ」
マクバーンの不機嫌な言葉に軽薄なノリで笑いを返したカンパネルラは自分を睨む女に向き直る。
「フフ、クルーガー。怖い顔をしないでおくれよ」
「っ――」
「二年ぶりじゃないか。ってシャロンって呼ぶんだっけ?」
「うるさい……わたしの邪魔をするなっ!」
親し気な言葉を無視して女は吠える。
その殺意に満ちた目は二人ではなく、その背後で腰を抜かしているハイデルから一時も離れることはない。
「フフ……変わったねぇ、君も……
《木馬團》から結社入りしたばかりの頃とは大違いだ」
「10年くらい前だったか? あのにこりともしなかった小娘がここまで成長するとはな」
感情をむき出しにする女にカンパネルラとマクバーンは感慨に浸る。
「とにかく君に好き勝手に暴れられると計画に支障が出るんだよね」
衰えない女の眼光にカンパネルラは肩を竦めると、本題に入る。
「いくら執行者に自由の権利が保障されているからって、やり過ぎは良くないってことさ」
「うるさい……うるさい……うるさいっ!」
聞き分けのない子供のように女は頭を振り乱す。
聞く耳を持たない女にカンパネルラは再び嘆息する。
「そんなに彼のことを殺したいならさ……実験に協力してよ」
カンパネルラはハイデルに振り返り、悪魔のような微笑みを浮かべる。
「ひぃっ!?」
ハイデルは悲鳴を上げて後退ろうとするが、壁に背中をぶつける。
「そんな怖がらなくても大丈夫だよ。うまく行けば君も生き延びることができるかもしれないからさ」
そう言うとハイデルの返事を待たずにカンパネルラは指を鳴らす。
すると彼の目の前に小さな火が空中に灯る。
「君はこれからユミルに逃げるんだ」
「ユミルに逃げる……」
カンパネルラの言葉をハイデルは虚ろな顔で繰り返す。
「そう、それだけで良い。ほら、早く行って」
カンパネルラに促され、ハイデルは朧げな足取りで歩き出す。
そんな彼をマクバーンは見送り、顔をしかめてカンパネルラを睨む。
「おい……」
「そんな顔をしないでよ。君だって“彼”には早く戻って来て欲しいんでしょ?
これはそのための実験なんだから」
「ちっ……」
悪びれた様子もなく言ってのけるカンパネルラにマクバーンは舌打ちをしてそれ以上の追及はやめる。
「フフ……そういうわけだからシャロン。君も彼を殺すのは少しだけ――」
「ああああああっ!」
カンパネルラの言葉を遮る雄叫びを上げ、女は短剣を構えて邪魔者――カンパネルラに突撃する
「あ……」
女の短剣がカンパネルラの胸に突き立てられるその瞬間、焔が爆ぜる。
「っ――」
女はその衝撃に反対側の壁に叩きつけられて倒れる。
「はは、助かったよ」
自分を守ってくれたマクバーンにカンパネルラは礼を言う。
「別に助けたつもりはねえよ」
そんな言葉にマクバーンはどうでもいいと言わんばかりのそっぽを向く。
「つれないなぁ……
まあ、そういうわけだから。彼を殺すなら時と場所を考えてってことだよ」
カンパネルラは倒れた女に一方的に言って踵を返す。
「それじゃあ行こうか?」
それで仕事は終わったと言わんばかりにカンパネルラはマクバーンに向き直る。
「…………良いのか?」
倒れた女を顎で指してマクバーンは尋ねる。
「この程度で死ぬならその程度だって事だよ。それに……運が良かったらこの場も生き残れるさ」
カンパネルラは意味深にあらぬ方向を一瞥する。
「……ま、どっちでも俺には構わねえがな」
マクバーンもまたカンパネルラの視線の先を一瞥してから肩を竦めると振り返る。
「あれ? どうしたの僕や盟主に問い詰めたいことがあったんじゃないの?」
「ああ、ちょっと野暮用が出来たからな。それは後回しだ」
そう言って止める間もなく炎の海へとマクバーンは歩き出した。
「フフ……つれないなぁ」
そんな彼の背中をカンパネルラは見送り、彼もまた転移の魔法陣を展開してその場から消える。
そして倒れたままの女の上に、炎によって倒壊した瓦礫が降り注いだ。
*
「こ、これはっ!」
黒竜関から戻ってきたゲルハルト・ログナーは燃え上がる祖先から引き継いできた屋敷を見上げて言葉を失う。
「ち、父上……」
「おお、無事だったかアンゼリカ」
燃える屋敷の前、逃げ延びた家臣団を纏めていた娘にゲルハルトは安堵する。
先日、ケルディックから救出され、保護という名目で屋敷に軟禁していただけに火災の報を聞いた時は肝を冷やした。
「ちっ……ルーレ市だけに飽き足らず侯爵邸まで手を出すとは」
アンゼリカの報告で幸いなことに家族や屋敷で働いていた使用人に逃げ遅れた者はいないことに安堵する一方で、ゲルハルトはルーレで横行している辻斬りに代々受け継いできた屋敷を燃やされた怒りが湧き上がる。
「閣下! どうやら賊はユミルに向かったようです」
「何……ユミルだと?」
部下の報告にゲルハルトは眉を顰める。
ユミルと言えば、ノルディア州を治めているログナー家が主催した社交界に参加しようとしない不届きな貴族。
何故そうなったか思い出すことはできないが、皇族のお気に入りだからと言って侯爵家を軽んじている態度には決して良い印象を持っていない。
「…………ちょうどいい……」
未だに見つかっていないオズボーンの亡骸。そしてそのオズボーンの生家があったユミル。
内戦が始まっても不干渉を決め込むシュバルツァー家。
アルバレア公爵からの調査を打診されていたこともあり、ゲルハルトがそれを決断する。
「これより賊を追ってユミルへ向かう!
ラインフォルトにも新型を出させるように言え、組み上がっている分だけで構わん!」
ゲルハルトの指示に部下たちが返事が動き出す。
それを見送り、ゲルハルトは顔に傷のある大男に振り返る。
「貴様にも動いてもらうぞ」
「ああ、構わねえぜ」
猟兵は待ちわびたと言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべた。
*
燃え盛る炎の中からその少女は女を背負い、息も絶え絶えに脱出を果たした。
「あ、危なかった……」
エマは物陰に隠れるようにシャロンを下ろして息を吐く。
アリサが爆弾により負傷したという報を聞いて、あの手この手を使って貴族連合の検問を掻い潜って辿り着いたルーレに辿り着くことができた。
そこで見掛けたのがシャロンであり、彼女にアリサのことを尋ねようと追い駆けた先に待っていたのは怪物だった。
「それにしても……」
魔術があるが故に火はエマにとって脅威ではない。
しかし、シャロンを倒した二人はエマ一人では手に負える相手ではない最悪な組み合わせだった。
それもあの二人には気付かれていた様子であり、隠れていたエマは気が気ではなかった。
「っ……陽光よ、彼女を癒せ」
思い出して背中を凍らせながら、エマはシャロンに癒しの魔術を施す。
導力魔法よりも効果が高いそれは火傷を負ったシャロンを癒していく。
「さて……これからどうしましょう」
一度の術で治せるだけの応急処置を済ませエマは次の行動を考える。
いろいろとアリサにはやらかしてしまった借りがあるため、ルーレにやって来たのだが肝心の彼女の居場所が分からない。
それどころか何故シャロンが侯爵邸を襲撃し、執行者の二人に返り討ちにされたのかさえも分からない。
分からないことだらけで頭を悩ませるエマはふと、近くに自分の《使い魔》の気配を感じた。
「セリーヌの気配……もしかしてルーレに来ているの?」
彼女が無事だったことを改めて実感した安堵にエマは息を吐き、まだ遠いが念話を試みようと意識を集中し――シャロンは音もなく身を起こした。
「あらエマ様ではないですか?」
「え……?」
満身創痍な状態を一切感じさせず、いつもの第三学生寮の寮長の微笑みを浮かべて話しかけてくる女にエマは思わず震えた。
「申し訳ありません、今ゴミ掃除に忙しくて。すぐに済ませるのでお嬢様と一緒にお待ちください」
女はそのまま立ち上がると優雅な動作でエマに一礼する。
いつものメイドの姿なのだが、何かが致命的に噛み合っていない不気味さにエマは思考が停止する。
「では、失礼します」
「あ――待ってくださいシャロンさん」
我に返って女を止めようとするが、彼女は一息で家屋の屋根に跳躍してエマの目の前から消えてしまうのだった。