(完結)二人の緋皇 ―閃の軌跡Ⅱ―   作:アルカンシェル

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2話 緋の目覚め

 

 

 

 風が吹く。

 

「――ぅ……」

 

 清涼な風が頬を撫でる感触にクリスは強張っていた瞼をゆっくりと開く。

 

「…………ここ、は……?」

 

 身体を起こして辺りを見回せば、そこは崖の狭間。

 遠くでは鳥の――鷹の鳴き声が聞こえてくる。

 

「…………僕は……いったい……」

 

 気だるい虚脱感を感じながらクリスは直前の記憶を振り返る。

 

「たしか……今まで……戦って……」

 

 その戦闘と今自分がいる場所が結びつかず、クリスは困惑したまま思ったことを口にする。

 

「………………夢……?」

 

「そんなワケないでしょ」

 

 クリスの独り言に応える声が背後から。

 振り返るとそこには《緋》がいた。そしてその肩に乗った黒猫――セリーヌは偉そうに告げる。

 

「ようやくお目覚めね、クリス・レンハイム。いえ――セドリック・ライゼ・アルノール」

 

「……セリーヌ……」

 

「あいにくだけど、これは夢なんかじゃない」

 

 まだ空ろな顔をしているクリスにセリーヌは突き付けるように言葉を続ける。

 

「過酷で、冷酷で、残酷な、嘘も偽りもない“現実”よ」

 

「現実……」

 

「グズグズしている暇はないわ。《核》が傷付いたことで“テスタ=ロッサ”はしばらく動けない……

 まずは自分の身を守ることを考えなさい――《緋の起動者》」

 

 セリーヌの一方的な言葉にクリスは戸惑いながら、意識を失う直前の出来事を思い出す。

 

「そうだ……僕はクロウと……《蒼の騎神》と戦って……」

 

 改めて見る《緋》の姿はひどいものだった。

 前面の装甲はどこもかしこも罅割れ、左腕はかろうじて繋がっている。

 背中の翼も半分だけとなっており、その修復を優先しているのか《テスタ=ロッサ》の意識はない。

 

「それにしても派手にやられたわね。まったく初めての“同期”だったとしても情けない」

 

「むっ……」

 

 セリーヌの物言いにクリスは顔をしかめる。

 

「確かにあの一撃を防ごうとした無謀を責められても仕方がないけど、背中の傷はセリーヌのせいだろ?」

 

 全てを自分のせいにされてはたまらないとクリスは言い返す。

 天を貫くほどに巨大な光の剣を防ぎ、その時点で《テスタ=ロッサ》の損耗は危険域に達した。

 かろうじて逃げるだけの行動は可能であり、Ⅶ組のみんなとアンゼリカが乗る《ティルフィング》を盾にする形でセリーヌの指示で《緋》はクリスの意志を無視して逃亡した。

 しかし――

 

『逃がすかよ』

 

 神機と合体していたオルディーネは分離し、地上で牽制するしかないⅦ組を無視して騎神の中でも優れた飛翔能力を駆使して飛んで逃げる《緋》に追い付き、その背中に痛烈な斬撃を浴びせて撃ち落とされた。

 

「それは……」

 

 その時のことを思い出してセリーヌはそっぽを向く。

 これが地方貴族の長男程度なら見逃されていたかもしれないが、帝国の次期皇子であるクリス、ことセドリックを見逃す理由はクロウ側にはない。

 彼女の安易な行動の結果、《テスタ=ロッサ》は完全に沈黙し、クリスの意識はそこで途切れている。

 

「人のことをとやかく言う前に自分の行いを反省したらどうなんだい?

 偉そうにしているけど、君に実戦経験はないはず。戦況が分からないくせに勝手に動くからこうなったんじゃないのかい?」

 

「何ですって!? わたしがいないとまともに《テスタ=ロッサ》を動かすこともできないくせに!」

 

「何だとっ!?」

 

「何よっ!?」

 

 ぎゃあぎゃあ、わあわあと二人はしばらくの間、溜めた鬱憤を吐き出すように罵り合う。

 

「はあ……はあ……それで結局僕達はどうしてこんなところに? そもそもここはいったい何処なんだい?」

 

「知らないわよ」

 

 ふんっとセリーヌはそっぽを向きながら応える。

 結局のところ、撃墜された時点で意識を失ったのはセリーヌも同じで、目覚めたのもクリスの少し前程度でセリーヌも現状を把握し切れていなかった。

 

「はぁ……」

 

 クリスはため息を吐き、踵を返し歩き出す。

 崖の隙間から外へと出て見れば、空の蒼と大地の緑が一面に広がる絶景が目に入る。

 

「ここは……もしかしてノルド高原か?」

 

 かつて特別実習の実習地の一つだったがクリスとは縁はなく、それでもクラスメイト達が撮って来た写真や描いた絵で景色だけは知っていた。

 

「へえ、良く分かったじゃない。って、どこに行くのよ!?」

 

 そのまま歩き出したクリスにセリーヌは慌てて後を追い駆ける。

 

「グズグズしている暇がないって言ったのは君の方だろ?

 《テスタ=ロッサ》は当分動けそうにないし、この場所なら誰かに見つけられることも早々にないはずだ……

 なら僕達がまずやることは食料調達と並行して人里を見つけなくちゃ野垂れ死にだよ」

 

「それは……そうだけど……」

 

 皇子とは思えない順応振りにセリーヌは困惑する。

 

「ここがノルド高原の何処か分からないけど、馬も導力車もない僕達にとって君が考えている以上に危険な状況なんだよ」

 

「っ……ああ、もう分かったわよ!」

 

 主導権を握れないことにセリーヌは苛立ちながらもクリスの後を追い駆ける。

 

「ところであんたの装備は《テスタ=ロッサ》の中に残したままだけど良いの?」

 

 その一言にクリスは力強く踏み出した一歩を後戻りするのだった。

 

 

 

 

「これは絶景だな」

 

 切り立った断崖の上から見下ろすノルドの風景に場違いな状況と分かっていてもクリスは思わず感嘆の息を吐いた。

 空の蒼と大地の緑。

 頬を撫でる清涼な風は話に聞いていただけでは決して味わうことができない爽快な解放感をクリスに与えてくれる。

 

「場所は……何処だろう……? あそこに見えるのが監視塔かな?」

 

 崖の下に見える建築物にクリスは曖昧な地図を頭の中に描いて、今いる場所をノルドの北東辺りだと仮定する。

 

「それにしてもよりによって、どうしてこんなところに……?」

 

 道のようになっている崖を見下ろせば、背筋が寒くなる程に深い谷。

 標高も高く、吹き付ける風は強い。

 

「とにかく平野に降りよう」

 

「そうね……」

 

 方針を決めて、一人と一匹が歩き出そうとしたところでその気配は背後に現れる。

 

「え……?」

 

「この気配は!?」

 

 光が結実し、彼らの背後に一角の竜とも言える《蒼き氷獣》が現れる。

 

「オオオオオオオオオオオオッ!」

 

 全身を氷で覆われた幻獣が咆哮を上げるとノルドの風に雪が混じり、瞬く間に吹雪となる。

 

「まずいっ!」

 

「ちょ!?」

 

 クリスはセリーヌを抱え上げ、下り坂となっている道を落ちるように駆け下りる。

 平野に辿り着いたところでクリスは足を縺れさせて草むらに倒れ込む。

 投げ出されたセリーヌは器用に空中で身を捩って着地すると、倒れ込むんだクリスに呆れた言葉を投げかける。

 

「大した逃げっぷりね」

 

「魔獣相手に意地を張っても仕方ないだろ……

 それに今の身体は本調子じゃないみたいだし、山の上の吹雪は本当に危ないんだよ」

 

 たった一回の全力疾走で息も絶え絶えになっている自分の身体に、どれだけの消耗をしていたのか考えながらクリスは呼吸を整える。

 

「あれは魔獣じゃなくて幻獣よ……

 本来、この次元に現れるはずのない存在、帝国とその周辺で起きている何らかの“乱れ”や“歪み”が影響を及ぼして顕現させたのかもしれない」

 

「それは……帝国全土が旧校舎みたいな上位三属性が高まった場になりつつあると言う事?」

 

「そう取ってもらって構わないわ……

 それよりもどうするつもり? あの幻獣のせいで“彼”の下には戻れなくなってしまったわよ」

 

 セリーヌの指摘にクリスは駆け下りた坂道を見上げる。

 幸いなことに《幻獣》はクリス達を追い駆けてくる気配はない。

 しかし、テスタ=ロッサを置いて来た場所に続く道は目の前の坂だけだとするのなら、氷の幻獣を撃破しない限り彼の下に辿り着けなくなってしまった。

 

「考えても仕方がない。今は一刻も早く体の調子を戻さないと」

 

 武器は《魔剣テスタ=ロッサ》と小型導力銃だけ。

 消耗し切った体ではただでさえ扱いの難しい魔剣の力を暴走させる危険さえある。

 いくら動けないとは言っても、幻獣程度に壊される《騎神》ではないだろうとクリスは割り切った判断を下す。

 

「ここがノルド高原の北東なら、目指すべきはガイウスの家族がいるだろう中央か、北端に位置するラクリマ湖を目指すべきだろうね」

 

「あんた、来たこともないのに良く知っているわね」

 

「はは、ノルドについてはドライケルス大帝の武勇伝の始まりの地だからね。当然の知識だよ」

 

 そう言っている内に呼吸が整い、クリスは立ち上がる。

 幻獣の影響なのか。ノルドの風に冷たさが含まれ、まだ“十一月”に入ったばかりだと言うのに雪がちらつき始めている天気にクリスは危機感を募らせる。

 

「さあ、先を急ごう」

 

 セリーヌを促すクリスだったが、その頭上を飛行艇が通過する。

 

「あれは帝国の哨戒機? 助かった」

 

 頭上を通過して旋回して戻って来る帝国製の哨戒機にクリスは安堵し、救助を求めるように手を振る。

 

「ちょ、やめなさい! もしかしたら貴族派の勢力かもしれないのよ!」

 

「大丈夫だよ。ノルド高原はクルト――僕の親友の叔父さんがゼンダー門を仕切っているんだ……

 多少の拘束はされるかもしれないけど、会えばいくらでも弁明はできるから」

 

 顔見知りがトップにいるからという安心から無警戒にクリスは近付いて来る哨戒機に手を振り続け――おもむろに手を降ろした。

 

「ねえ……」

 

「何、セリーヌ?」

 

「今、飛行艇に下に設置されている砲門が動いたように見えたのは私の気のせいかしら?」

 

「奇遇だね。僕にもそう見えた」

 

 漠然と眺めるのではなく、状況を俯瞰し、そこにある要素を瞬間的に掴み取る。

 それが戦場を生き残るコツだと教えてくれた言葉が脳裏に過り――

 

「セリーヌッ!」

 

 再びセリーヌを抱えてクリスはその場から飛び退き、直後飛行艇の砲が火を噴いて連射された弾丸がクリス達が一瞬前までいた空間に掃射された。

 

「な、な、な……何でいきなり撃って来るのよ!?」

 

「僕に分かるはずないだろ!」

 

 腕の中で驚くセリーヌに負けじとクリスは声を張り上げ、再び全力疾走を始める。

 

「ああ! もうっ!」

 

 見晴らしの良い高原においてクリスがいくら全力を振り絞って走ったところで空を飛び回る哨戒機を振り切ることなどできるはずはないのだが、哨戒機は散漫な威嚇射撃を繰り返すだけでクリスを直接撃つ気配はなかった。

 

「これは……誘導されているわね」

 

「やっぱりそう思う?」

 

 腕の中のセリーヌの言葉にクリスは同意する。

 哨戒機の兵士たちにどんな意図があるのか分からないが本気で当てようと言う気概を感じ取れない。

 

「また撃って来るわよ!」

 

「了解。あ――」

 

 背後を覗き見るセリーヌの指示に合わせてクリスは走る方向を切り返す。

 しかし、クリスは足をもつれさせたたらを踏む。

 

「ちょ、何やってるのよ!?」

 

 転倒は免れたものの、唐突に足を止めたクリス達に動揺したのかタイミングがずれたのか、威嚇射撃のはずだった銃撃の射線と入ってしまったとクリスは直感する。

 

「くっ――こうなったら」

 

「何を――にゃ!?」

 

 絶体絶命の窮地に策があると言わんばかりのクリスはセリーヌの首根っこを掴み叫ぶ。

 

「セリーヌバリアッ!」

 

「はあっ!」

 

 自分を盾にするクリスにセリーヌは抗議の声を上げるものの、既に用意していた防御術を展開し、短い機関銃の掃射を防ぐ。

 

「よしっ!」

 

「よしじゃないわよ!」

 

 首根っこを掴まれ吊るされて自由のないセリーヌは抗議するように長い尻尾でクリスの額を叩く。

 

「私はあんたのあの玩具じゃないのよ!」

 

「ごめんごめん、でもあの子たちを玩具って呼ぶのはやめてくれないかな……

 今のお詫びなら今度雑貨屋で一番高い猫缶を買って上げるから」

 

「…………そんなもので誤魔化されたりしないわよ」

 

「はいはい」

 

 尻尾を揺らすセリーヌを抱え直してクリスは逃亡を再開する。

 

「ところで良い考えが一つあるわよ」

 

「何? あの飛行艇を落とせる大魔法がセリーヌにあるとか?」

 

「そんなんじゃないわよ。いい? 二手に分かれて撹乱するのよ」

 

「あはは、そんなの僕が狙われる一択じゃないか、さては僕を囮にして自分だけ助かるつもりだね。この人でなし」

 

「そうよ。私は猫だもの」

 

 先程の盾にされたお返しと言わんばかりにセリーヌは言い切る。

 しかし、そう言いながらも抱えられているクリスの腕の中から逃げる素振りはない。

 憎まれ口と軽口の応酬をしながら一人と一匹はとにかく逃げる。

 目を覚ましたばかりの一人と一匹はどちらも本調子には程遠い。

 そうした言葉の応酬をしていなければ、緊張の糸が切れてしまう予感を一人と一匹にはあった。

 

「もう少しだけ辛抱してくれ。この先に石切り場の跡地がある、そこなら飛行艇も――」

 

 セリーヌに掛けた言葉を切ってクリスは足を止める。

 

「今度は何――っ」

 

 飛行艇を監視していたセリーヌは振り返ってクリスと同じように息を呑む。

 何処に潜んでいたのか、自分達の行く手を遮るように現れたのは領邦軍の制服の兵士たちと――

 

「機甲兵まで……」

 

 三体の機甲兵が猟兵達の背後に威圧するように立って、巨大な導力ライフルの銃口をクリス達に向けていた。

 

「手を上げろ!」

 

「貴様は何者だ? この高原の者ではなさそうだが」

 

「事と次第によってはこの場で拘束させてもらう」

 

 問答無用で撃ってこない領邦軍兵士たちにクリスは安堵しながら名乗る。

 

「待ってください。僕は怪しい者ではありません……

 この制服を見て分かると思いますが、僕はトールズ士官学院の者です……

 わけあってこの地に辿り着きました。どうかそちらの責任者であるゼクス中将と面会させて頂けないでしょうか?」

 

 丁寧なクリスの言葉に兵士たちは目を丸くし、次の瞬間笑い出した。

 

「何がおかしいんですか?」

 

「ククク、貴様の目は節穴か? 我々はノルティア州領邦軍だ」

 

「それは……」

 

「ゼクス中将に会いたいのなら合わせてやろう……

 ただし我々がゼンダー門を占領した後の牢屋の中でだがな」

 

 その言葉を合図に領邦軍人たちはクリスを包囲するように展開して導力ライフルを向ける。

 

「…………金色の髪に真紅の士官学院の制服……

 おい、もしかしてこいつは第一級指名手配犯のクリス・レンハイムじゃないのか?」

 

「何……!?

 あの畏れ多くもバルフレイム宮に忍び込みセドリック皇子の命を狙った逆賊のクリス・レンハイムだと!?」

 

「え……?」

 

 兵士たちの奇妙な物言いにクリスは混乱する。

 

「こいつが本物なら大金星だ! 拘束させてもらうぞ!」

 

「くっ――」

 

 導力ライフルを威嚇するように突き付け近付いて来る隊長格の兵士にクリスは思わず身構える。

 

「おっと! 逃げようと思っても無駄だぞ。何と言っても我々には最新鋭のあの機甲兵が――」

 

 隊長が背後の機甲兵を自慢げに誇ったその瞬間、その機甲兵は爆発した。

 

「あはははははははっ!」

 

 導力エンジンの爆音が轟き、無邪気な笑い声と共に彼女は現れ、担いでいた対戦車砲を投げ捨てシャーリィ・オルランドは導力バイクを加速させる。

 

「おおおおおおおおっ!」

 

 救援は彼女だけはなく、黒い軍馬に乗った長身の青年――ガイウス・ウォーゼルがクリスを包囲する領邦軍の中に槍を振り回して陣形をかき乱す。

 

「シャーリィ! それにガイウスもっ!」

 

 仲間たちの登場にクリスは安堵と同時に歓声を上げる。

 

「あ、あれは《血染めのシャーリィ》!」

 

「い、いかん撤退、撤退だ! 監視塔まで撤収する」

 

 領邦軍の反応は早く、しかしそれでも爆走する導力バイクから跳んだシャーリィが彼女の《テスタ=ロッサ》のチェーンソーを一閃させ、機甲兵の頭を一薙ぎで狩り、それを蹴って再び跳躍し走り続ける導力バイクへと着地する。

 

「シャ、シャーリィ……」

 

「と、とんでもないわね」

 

 不意打ちで一機、そして正面から瞬く間に機甲兵を生身で斬り伏せたシャーリィの業の格好良さにクリスは魅せられ、セリーヌは唖然とする。

 

「二人とも無事のようだな」

 

 そんな一人と一匹にガイウスが声を掛ける。

 

「ああ、何とか――」

 

 そこまで応えたところでクリスは全身から力が抜け、その場に膝を着く。

 

「クリスッ!?」

 

「ごめん……ガイウス……安心したら急に力が……」

 

 クリスが意識を保っていられたのはそこまでだった。

 

 

 

 


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