(完結)二人の緋皇 ―閃の軌跡Ⅱ―   作:アルカンシェル

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20話 虚ろな人形

 

 

 

 

「どうしてこうなった、どうしてこうなった、どうして――」

 

「落ち着いてください。ハイデル殿」

 

 頭を抱えるハイデルをテオは落ち着かせながら、困ったと言わんばかりにルシアと顔を見合わせる。

 

「違うんだ。私が用意したものは……あんなことになるなんて思っていなかったんだ」

 

 誰に向けた言い訳なのか、それでもテオ達の事が目に入っていない様子に一同は途方に暮れる。

 彼の事はルシアと万が一に備えてノーザンブリア兵の一人に任せ、テオとアプリリスは部屋から出てシュバルツァー当主の執務室に移動する。

 

「とりあえずクレドに周辺を探らせていますが、今のところ彼を囮にした襲撃の兆候はありません」

 

 今更ながらハイデルをシュバルツァー邸に連れて来たことをアプリリスは後悔する。

 明らかに厄介ごとの火種。

 とは言え、ノルディア州領主のゲルハルト・ログナーの弟が魔獣の餌になるのを見過ごせばそれはそれで問題になるだろう。

 

「ううむ。いったいルーレで何が起きているのだろうか?」

 

「潜入させていた草からの定時連絡も途切れてしまっています……

 とりあえず碌でもないことが起きているのは間違いないでしょう」

 

「エステル君達からエリゼが無事だったことが知れたのは内戦が始まって唯一の朗報か」

 

 肩を竦め、テオは一ヶ月前にもなる内戦の始まりを思い出す。

 オズボーン宰相狙撃事件が起きたあの日、ユミルもまた貴族連合の襲撃を受けることとなった。

 当日はユミルの地形が味方したこともあってアプリリスが指揮をするノーザンブリア兵のおかげで機甲兵なる最新兵器を退けることはできた。

 二日目は何処からともなく現れた《灰の騎神》と二人の遊撃士の援軍もあり、貴族連合は完全にユミルから撤退した。

 しかし、同時にアプリリスにとって不可解なことがいくつも起こっていた。

 貴族連合を追い払うと逃げるように去って行った《灰の騎神》。

 それに同乗して連れて来られ、残った二人の遊撃士の歯切れの悪い会話。

 そして郷の人間たちを始めに起きた不可解な現象。

 

「君達には世話になってばかりだ。改めて礼を言わせて欲しい」

 

「いえ、相手は違えど私たちがユミルに滞在していたのはこの時のためですから。それに“彼”がしてくれたことを思えば当然の事です」

 

「“彼”か……」

 

 エリゼの他に自分達には養子にした息子がいるとアプリリスは教えてくれた。

 それに実感は湧かないものの、シュバルツァー家を継ぐ男子がいないこと、今は行方が分からないがナユタと言う赤子をシュバルツァー家に迎え入れようとしていること。

 そしてこの家の一室にある誰のか分からない男物の部屋がアプリリスの記憶を裏付けるものとなっていた。

 

「しかし何度聞いても思うのだが、少々話を盛り過ぎではないかな?」

 

「事実です」

 

「私の息子があの《灰の騎神》に乗って帝都に現れた暗黒竜を倒し、ノーザンブリアに再出現した《塩の杭》を調伏し……

 クロスベルでは戦略級爆弾から各国の首脳陣を守り、オルディスでは千を超える魔獣の大暴走を鎮めてみせた」

 

 テオはアプリリスに聞いた“息子”の功績を繰り返して思う。

 

「やはり信じられんな。確かに各地でそう言った事件が起き《灰の騎神》が現れて平定したとは聞いていたが、とても私のような小さな領主の息子で納まっている子供とは思えないな」

 

 しかも、まだ十七になったばかりの士官学院生である“息子”に子供がいる事実がさらにテオを複雑な気持ちにさせる。

 

「それが《騎神》に選ばれた者の力と言う事でしょう……

 あれからノーザンブリアとも連絡を取り、私の親友の一人が“彼”の事を覚えていることが判明しました……

 私と彼女の共通点は塩化病の末期症状を“彼”に救われたこと……

 言ってみれば私たちは一度死を経験している。おそらくそのおかげで“彼”の記憶を消す魔術から逃れられたのだと思います」

 

「そうか……」

 

 誰がどんな思惑で“息子”の存在を消したのかは分からないが、そんな理不尽に諍う事が出来ていない自分に腹が立つ。

 

「しかしいったい誰がこんなことを?」

 

「それは分かりません。今の《灰の騎神》に乗っている誰かに聞けば何か分かるかもしれませんが――」

 

「テオ殿っ!」

 

 突然叩かれた扉の音に二人は会話を切り上げる。

 

「どうした?」

 

「不審な女が山道に入って来たようです。随分殺気立っているようですが」

 

「そうか……やはり来たか」

 

 錯乱状態のハイデルを囮にして、ユミル攻略の足掛かりの作戦。

 内戦の初日以降、穏やかだった日々が終わり本格的に内戦に巻き込まれることになるのかとテオは唸る。

 

「不審者の特徴は?」

 

「……どうやらメイドのようです」

 

「メ、メイド?」

 

「メイドか……」

 

 その報告にテオは困惑で驚き、アプリリスは顔をしかめる。

 メイドと言われて彼女が思い出すのは二年前。

 帝国の遊撃士協会襲撃事件に合わせてノーザンブリアの各地で起きた不審な事件。

 塩化の実験を行っていたアプリリスは首都から離れられなかったので伝聞でしか知らないが、その野生のメイドは結局捕縛することはできなかったと聞いている。

 

「もしもあの時のメイドだと言うなら、警戒が必要だろうな」

 

「ええ、どうやらクレドが見覚えがあると言っていたのでその時のメイドかと思われます」

 

「そうか……ならば私も出よう」

 

「アプリリス君?」

 

「そのメイドも陽動の可能性がある。他の者達は郷の警戒に務めろ。よろしいですねテオ領主?」

 

 指示を出して、最後にテオに確認を求める。

 

「ああ、郷の防衛については君達に一任する。よろしく頼む」

 

 頭を下げるテオを残してアプリリスは外へ出る。

 ふと空を見上げれば、どんよりとした黒い雲が空を覆っている。

 

「……今夜は吹雪きそうだな」

 

 ここよりさらに北に位置するノーザンブリアでは珍しくない曇り空にアプリリスは言い知れない不安を感じ、それを振り払って駆け出す。

 

「――ん?」

 

 しかし、その足を止めアプリリスは空をもう一度見上げる。

 灰色の雲を背に翠の機械人形がユミルの空を横切った。

 

 

 

 

 

 

「――シッ!!」

 

「っ――!」

 

 揃えた双剣の一撃をメイドは短剣で受け止め、大きく弾き飛ばされる。

 

「くっ……」

 

 痺れる腕に女は表情を曇らせる。

 体が重く、うまく動かない。

 それもそのはず、連日連夜にルーレ市を駆け回り、果てには《劫炎》ともやり合ったことで女の身体は肉体的にも精神的にも既に限界を超えていた。

 

「それでも――」

 

「遅せえっ!」

 

 鋼糸は尽きかけ、唯一の武器だった短剣がその手から弾き飛ばされ、途切れることのない連撃がメイド服を赤く染めて行く。

 

「どうした、その程度か!?」

 

「っ――がっ!」

 

 剣を躱したところで男の蹴りが女を捉える。

 身体の中が軋む音を聞きながら、女は雪の上を転がる。

 

 ――早く起きないと……

 

 しかし、彼女の意思に反して体は膝を着く。

 

「どう……して……」

 

 膝だけではなく全身から力が抜けて行くことに女は顔をしかめる。

 

「クカカ……どうやら限界みたいだな」

 

 クレドは女に剣を突き付ける。

 彼女はノーザンブリアでの戦いの時、サラの側にいた。

 それが何故、殺気立ってユミルに乗り込んで来たのか、問いかけても邪魔としか言い返さない者をユミルに近づけるわけにはいかない。

 

「わたしは……行かないと……」

 

「はっ……テメーの事情なんか知るか」

 

 睨んで来る女の言葉を切って捨てる。

 

「シュバルツァー男爵の意向に背いちまうが……テメーは危険すぎる」

 

 血反吐を吐き、満身創痍でありながらもその目の殺意はまるで衰えない。

 剥き出しの殺意はクレドにとって心地よいもの。

 出来る事なら彼女が万全な時に手合わせを願いたいと思うが、この危険な人間をユミルに入れることを見逃す程、クレドは甘くなかった。

 

「ま、そう言うことだ」

 

 膝を着いて立ち上がろうとする女の前に立ち、クレドは剣を掲げるように構え――

 

「散れやっ!」

 

 躊躇うことなく振り下ろされた刃は――割って入ったブレードに受け止められ甲高い音を立てた。

 

「っ――」

 

 女は自分を庇った誰かの存在に驚くよりも先に、残る全ての力を使って這うように彼、彼女たちの横をすり抜けて駆け出した。

 

「…………オイオイオイ」

 

 足を引き摺って駆けているつもりの女をいつでも追い付けると横目にし、クレドは自分の剣を受け止めた乱入者を睨む。

 

「どういうつもりだ、サラ?」

 

「どうって言われてもね」

 

 サラはクレドの剣をブレードで受け止めたまま器用に肩を竦める。

 

「クレドが何であのクソメイドを殺そうとしていたのかは理解できるけど、アレのことは内の生徒の身内だからこっちに任せてもらえないかしら?」

 

「クカカ……はい、そうですかって引き下がると思ってるのか?」

 

 獰猛な笑みを浮かべるクレドにサラはため息を吐く。

 

「さっきのも含めて、この借りは大きいわよ」

 

 背後にメイドの姿にサラは愚痴を漏らし、クレドの剣を弾く。それを合図に二人の手合わせが始まるのだった。

 二人の戦闘音を背後に女は傷付いた体を引き摺って山道を急ぐ。

 

「待っていてください……イリーナ様、お嬢様……」

 

 既に思考には背後の戦いはない。

 彼女にあるのはユミルに逃げ込んだ怨敵の首を取ること。

 それが肝心な時分に居合わせることができなかった不甲斐ない役立たずのメイドができる唯一の償いだと信じて進む。

 

「ハイデル・ログナー」

 

 その憎き名を女は呟く。

 大切な主人を爆殺しようとしたことだけではない。よりにもよってその実行犯に敬愛を捧げる妹分を利用した。

 

「ハイデル・ログナーッ!」

 

 その名を口にする度に、今にも力を失いそうになる四肢に熱が籠る。

 そこに“虚ろな人形”などと自嘲していた面影はない。

 

「ハイデル・ログナーッ!!」

 

 ただひたすらに前へと突き進む彼女の目の前に、ユミルの門が近付いて来る。

 ここからが本番だと女は意識を研ぎ澄ませていく。

 ハイデルの護衛がいるかもしれない。

 先程の男のようにユミルが保有している私兵が襲って来るかもしれない。

 だが、どれだけの戦力が待っていたとしても必ずハイデル・ログナーの下に辿り着く覚悟で女は――

 

「あ……」

 

 女は――シャロンは待ち構えていた少女に思わず足を止めた。

 

「…………シャロン」

 

 少女――アリサはシャロンの痛々しい姿に顔をしかめた。

 

 

 

 

 

 結社《身喰らう蛇》に所属するエージェント、執行者No.Ⅸ《死線》のクルーガー。

 それがアリサがサラから教えてもらった姉と慕っていた者の裏の顔だった。

 二年前、ノーザンブリアの各地で騒ぎを起こしサラを足止めし、リベールの異変の前準備の計画を成功に導いた知られざる立役者。

 

「二年前か……」

 

 その時期のことを思い出してアリサは沈鬱な気持ちになる。

 あの時は自分もまた誰も祝ってくれない誕生日に衝動的にリベールのツァイスへと家出した。

 あの時のシャロンの里帰りの理由を今になって知ったアリサは複雑な気持ちになる。

 アリサにとってシャロンは優しくも厳しい姉のような存在。

 しかし、サラにとってはラインフォルト家に害がなければ古巣の悪事を手伝うような外道。

 話を聞いた時には信じられなかったが、目の前の血に染まったメイド服を纏う彼女の歪んだ形相を見れば信じずにはいられない。

 

「…………シャロン」

 

「お……嬢様……」

 

 姿と形相とは裏腹に返って来た声が普段と変わらないことにアリサは小さく安堵する。

 

「シャロン、貴女は――」

 

「お嬢様ではありませんか。お茶を御用意しますが、少々お待ちください」

 

「っ――」

 

 顔を自分の血で染めながら出て来た普段と同じ通りの穏やかな口調にアリサは息を呑む。

 そこだけ切り取れば普段通りの彼女なのだが、場所と彼女の姿が今の彼女の異常さを際立たせる。

 

「もうすぐ、もうすぐです。イリーナ様とお嬢様を殺そうとした下手人の首をわたくしが――」

 

「それはこれのこと?」

 

 目を虚ろにするシャロンに対して、アリサは背後に合図を送る。

 

「ひ、ひぃっ!」

 

 情けない悲鳴を上げてシャーリィに首根っこを掴まれてその場に連れて来られたのはシャロンが目の仇にしていたハイデル・ログナーその人だった。

 

「ハイデル・ログナァァァァァッ!!」

 

 何処にそれだけの力が残っていたのか、シャロンは獣のような咆哮を上げ飛び出す。

 

「待ちなさいシャロンッ!」

 

 アリサの制止は間に合わず、一直線にハイデルに突撃したシャロンは――

 

「《ARCUS》駆動――」

 

 横からクリスが電撃の檻が待ち構えていた場所に展開し、シャロンは憎い仇を目の前に導力魔法で拘束される。

 

「ぐっ……がああああっ!」

 

「咆えない咆えない。御主人様が待てって言ってるんだから大人しくしなよ」

 

 まるで狂犬に言い聞かせるようにシャーリィはシャロンの威嚇に物怖じせず応じる。

 隣のハイデルは顔を蒼白にして逃げ出そうとしているが、シャーリィの手はがっちりと彼の後ろ首を掴んでいて逃がす心配はなさそうだった。

 それを確認してアリサはシャロンの前に回り込む。

 

「お嬢様っ! そいつは! そいつはっ!」

 

「ええ……分かっているわ」

 

 激昂するシャロンにアリサは静かに頷く。

 

「私に爆弾を持たせて、母様を殺そうとした――」

 

「ち、違うっ!」

 

 アリサの言葉にハイデルは慌てた素振りで反論する。

 

「私が用意したものはあんなものじゃない! 私もイリーナ会長にあれを渡せと言われただけなんだ!」

 

「それはもう聞いたわ」

 

 ティルフィングを使ってシャロンより先に確保した時に聞いた言い訳を繰り返すハイデル。

 

「なら誰が貴方に爆弾を渡して、母様や私を殺そうとしたのかしら?」

 

「そ、それは……」

 

 アリサの質問にハイデルは口ごもる。

 自分の潔白を証明しなければいけないのに、当時のことが思い出せない。

 イリーナ会長を監禁する計画を立てていたはずなのに、気が付けばこんなことになっていた。

 

「分からない……何も思い出せない……

 だけど本当なのだ! 私ははめられたんだ、信じてくれ!」

 

 白々しいハイデルの態度にシャロンは眦を吊り上げる。

 

「やはり殺すべき――」

 

「弁えなさいシャロン」

 

「っ――」

 

 殺意を漲らせるシャロンの前にアリサは立つ。

 

「今ここでこの人を殺したところで1ミラの価値もないわ……

 むしろここで彼を殺したら、貴族連合に大義名分を与えてそれこそラインフォルトは接収されてしまうわ」

 

「それでもっ! そいつはイリーナ会長を、よりにもよってお嬢様の手で」

 

「まだ母様は生きているわ!」

 

 シャロンの声に負けじとアリサが叫ぶ。

 

「そしてラインフォルト社の利権を欲しがっているのはこのハイデルだけじゃない!」

 

 ハイデルを操っていた黒幕が存在するかもしれない。

 それでなくても、見舞いに来たラインフォルトの各部署の取締役達の顔を思い出しアリサは憤る。

 言葉ではイリーナの無事を喜んでいたが、果たして何処まで本心だったのかアリサには測り切れなかった。

 

「ここでこの人に報復をしたとしても、それでラインフォルトを守れるわけじゃない! だからシャロン。馬鹿なことはやめなさい」

 

「馬鹿なことではありません」

 

 諭すアリサの言葉を女は静かに首を振って否定する。

 

「わたくしは……わたくしが守らなければいけなかった……

 それなのに肝心な時にお側を離れて、お嬢様と会長を危険にさらしてしまった……

 そんな役立たずの至らなかったわたくしでも最後の意地があります」

 

 シャロンは深呼吸をしてハイデルを睨み、アリサに告げる。

 

「それに意味ならあります……

 ラインフォルトに手を出せばどうなるか、その男を見せしめにして思い知らせて差し上げましょう……

 もちろんこの責任がお嬢様達に向かわないように致しますから安心してください」

 

「シャロン……貴女……死ぬつもり?」

 

 言葉の端から彼女の覚悟を読み取ってアリサは顔を険しくして聞き返す。

 

「…………この七年……虚ろな人形でしかないわたくしには勿体ないくらいの幸せな夢でした」

 

 シャロンはアリサに微笑む。

 血に頬を汚していながらも、それはアリサが良く知っている微笑みだった。

 

「お嬢様、イリーナ会長に代わり貴女に会長から頂いた《シャロン》と言う名を返上させていただきます」

 

「シャロンッ!?」

 

「わたくしの銘は“クルーガー”」

 

 アリサの言葉を拒絶するように女は名乗りを上げ、クルーガーは最後の糸を一閃し拘束の導力魔法を吹き飛ばして立ち上がる。

 

「お嬢様……所詮わたくしはこんなことしかできない人形、本当の意味で救いようがない存在なのです」

 

「シャロンッ!」

 

 何度呼んでもその声に彼女は応えない。

 業を煮やしたアリサは背後の仲間達に向かって叫ぶ。

 

「みんなっ! 力を貸して! この分からず屋を止めるために」

 

「もちろんっ! 全力でサポートするよ」

 

 アリサの決意にクリスが応え、それにガイウスとエマが並び、シャーリィはハイデルの首根っこを掴んで下がる。

 そして――

 

「遅いですよお嬢様」

 

「え……?」

 

 一番前にいたアリサが弓を構えるよりも早く、クルーガーは滑り込むように間合いを詰めていた。

 

「あ……」

 

 傷だらけだというのに、護身術を習った時とは比べ物にならない速さにアリサは反応できず、クルーガーの掌打は――割り込んだクリスの魔剣に受け止められた。

 

「シャロンさん! 貴女は本当にそれで良いんですか!?」

 

「所詮は血塗られた道。お嬢様達の礎となれるなら本望です」

 

「だけど……」

 

 近くで見たクルーガーの様相にクリスは思わず言葉を濁す。

 彼女のトレードマークとして見慣れたメイド服は血で染まり、剣で受け止めた掌打も思っていた以上に軽い。

 まさに満身創痍。

 動けているのが不思議な程の重傷と疲労があるのだとクリスは察する。

 

「――っ」

 

 そしてそれを肯定するように、後ろに下がったクルーガーは体を支え切れずに膝を着く。

 

「シャロンさんっ!」

 

 倒れそうになるクルーガーにクリスは思わず手を伸ばし――その手が掴まれた。

 

「え…………?」

 

 クルーガーを受け止めようとしたクリスはその手に引き寄せられ、足が払われる。

 

「なっ!?」

 

 空中で鋼糸に両足を縛られ、クルーガーは無造作に片手でクリスを山道の外へと投げ飛ばす。

 そこは切り立った崖。

 

「シャロンさんっ! 貴女って人は――」

 

 恨み節を残してクリスは重力に従って落ちる。

 

「クリスさん!」

 

「下は川です。クリス様なら死にはしないでしょう」

 

 崖に向けて駆け出そうとエマにクルーガーは呟き、手にした魔剣を乱暴に投擲する。

 

「危ないっ!」

 

 乱回転して飛来する魔剣をガイウスが咄嗟に十字槍で弾き――その槍の刃の根元を掴まれ、ガイウスは次の瞬間地面に叩きつけられていた。

 

「がっ――」

 

「ガイウスさん!」

 

 追撃にクルーガーはガイウスを踏みつけ、その上で拳を握り込む。

 エマは戦術リンクからガイウスの反応が間に合わないと察して、魔導杖を振る。

 しかし光弾を放つも既にそこに彼女はいなかった。

 

「どこに――」

 

 エマは周囲を見渡して彼女の姿を探す。

 その背後にクルーガーは音もなく忍び寄り、静かに両手をエマの首に添える。

 たったそれだけでエマは声を上げる暇もなく崩れ落ちた。

 

「あ……」

 

 気が付けばその場に立っているのはアリサ一人だけだった。

 クルーガーは距離を取って呆れているシャーリィに参戦の気配がないことを確認してアリサに向き直る。

 

「何を驚いていらっしゃるのですか?」

 

「シャロン……」

 

「わたくしが本気を出せば、お嬢様達が敵う道理はありません」

 

「っ――」

 

 満身創痍のクルーガーの指摘にアリサは唇を噛む。

 サラから話には聞いていた。

 執行者とは一国の軍隊を一人で相手取り、蹂躙する達人。

 いくらそんな彼女でも満身創痍の今なら戦術リンクを駆使すれば戦えるとアリサは思っていた自信はあっさりと砕かれた。

 

「さあ、その男を引き渡してください」

 

「っ――近付かないで!」

 

 アリサは今度こそ弓を引いて、矢をクルーガーに突きつける。

 

「それ以上近付いたら射つわよ」

 

 精一杯の威嚇。

 クルーガーはそれに冷ややかな目を向けて――

 

「どうぞ、御自由に」

 

 そう言って一歩進む。

 

「止まりなさい。止まって……お願いだから止まってよシャロンッ!」

 

 一歩、また一歩。

 向けられた矢に物怖じせずに近付いて来るクルーガーにアリサは悲鳴を上げ――矢を放つ。

 

「っ――」

 

「…………え……?」

 

 しかし矢はクルーガーを射抜くことはなかった。

 

「そんな……」

 

「お嬢様程度の力では、わたくしの修羅を止めることはできません」

 

 射られた矢を危なげなく手で掴み、脇に捨てながらクルーガーはアリサの横をすり抜ける。

 

「わたくしを止めたければ、シャーリィ様を使うべきでしたね」

 

「あ……」

 

「お嬢様の敗因は、わたくしをどんな手段を使っても止めると言う覚悟がなかったことです」

 

 囁かれた言葉にアリサはただ立ち尽くすことしかできなかった。

 Ⅶ組で一番強いシャーリィに頼ること、ティルフィングを使わなかったこと。

 きっとシャロンなら自分の話を聞いてくれるはず。

 それがどんなに甘い期待だったのか、アリサは痛い程思い知らされ膝を着く。

 そんな彼女を一瞥し、クルーガーは改めてハイデルを捕まえているシャーリィに向き直る。

 

「改めて言います。彼をこちらに渡してください」

 

「うーん、どうしよっかなー」

 

 言いながらシャーリィは“テスタ=ロッサ”の銃口をクルーガーに向ける。

 先程のアリサの威嚇には怯みもしなかったクルーガーは足を止める。

 

「別にシャーリィはこんなおじさんがどうなっても構わないんだけど――」

 

「なっ!?」

 

 シャーリィの言葉にハイデルは目を剥く。

 

「ま、待ってくれ私はログナー侯爵家のものだぞ! いや、ミラか!? ミラなら後でいくらでも――」

 

「ちょっと黙っててくれないかな?」

 

「ひぃっ!?」

 

 “テスタ=ロッサ”の銃床に小突かれ、ハイデルは無様な悲鳴を上げる。

 

「…………要求は何ですか?」

 

 そんなハイデルを極力見ないようにしてクルーガーは尋ねる。

 いくら手負いでも、足手纏いを守りながら戦う事はシャーリィが得意とするものではない。

 

「要求なんて別にないよ。ただ勝負がついたって判断するのは少し早いんじゃないかな?」

 

「っ――」

 

 咄嗟にクルーガーは身を捩る。

 するとそこに一本のナイフが飛来する。

 掠めたナイフは空中で制止すると、括りつけられた鋼糸によって投擲されたナイフは薙ぎ払われる。

 追撃を跳躍して躱したクルーガーはシャーリィ達から離れてしまったことを歯噛みしながら、予想よりもずっと早く復帰して来た少年に振り返る。

 

「クリス様……

 意外ですね。あれでどうなると思っていませんでしたが、ここまで早く戻って来るとは少々過小評価し過ぎたようですね」

 

 嘆息するクルーガーにクリスは叫ぶように言い返す。

 

「自慢じゃないけど、あそこの崖からは何度も突き飛ばされているんだ」

 

 入学前のユミルでの合宿の際の記憶を思い出しクリスは震える。

 命綱はあったものの、クライミングで失敗して川に落ちたことは一度や二度ではない。

 まさかその時の経験が生かせる時が来るとは思っていなかったが、突き落としたシャーリィに感謝する気にはなれない。

 

「立ってアリサッ!」

 

 トラウマを振り払いクリスは放置されていた魔剣を拾って呼び掛ける。

 

「クリス……でも……」

 

「ラインフォルトを守るって決めたんだろ!? なのにその体たらくは何だ?」

 

 自分に取引を持ち掛けて来た時の強さを忘れてしまったかのようなアリサの姿にクリスは苛立つ。

 

「ラインフォルトを守る?」

 

 そしてクリスの言葉に応えたのはアリサではなくクルーガーだった。

 

「ふふ……」

 

「何がおかしいんですか?」

 

 侮蔑を感じる笑みにクリスは顔をしかめる。

 

「ええ、おかしいですね……

 “ラインフォルトを守る”。身の程を弁えずにそんなことを仰っていたとしたら笑わずにはいられないでしょう」

 

「なっ!? シャロン!?」

 

 無遠慮で見下した言葉にアリサは絶句する。

 

「身の程って……私は本気よ! 倒れた母様に代わって私がラインフォルトを守るって決めて――」

 

「お嬢様にイリーナ会長の代わりが務まるわけありません」

 

「…………え……?」

 

 アリサの決意をクルーガーは容易く切り捨てた。

 

「会長がお嬢様に向けていた愛に気付かず、ハイデル・ログナーのような俗物がいるラインフォルト社で一人で戦っていた会長のことを見向きもしなかったお嬢様がラインフォルトの何を語れるというのですか?」

 

「それは…………」

 

「アリサお嬢様、貴女は会長やわたくしに守られるだけのか弱い存在……

 貴女にはイリーナ会長が持つ先見の明もカリスマも人の上に立つための非情さも何一つない……

 無力で無智で無垢で、世界の穢れを知らないお姫様。それが貴女です」

 

「…………シャロン……」

 

 母が倒れた今、手段こそ違っても頼めば助けてくれると疑っていなかった存在からの言葉にアリサは打ちひしがれる。

 

「アリサお嬢様。貴女と一緒に過ごした時間は幸せでしたが、同時にとても苦しかったです……」

 

「シャロン……何を言っているの?」

 

「明るい光が濃い影を作るように……お嬢様と一緒にいればいるほどわたくしは自分の本性――フランツ様を殺した罪を思い知らされていたのですから」

 

「………………え……?」

 

 クルーガーの言葉を理解できずアリサは間の抜けた言葉を返していた。

 

「貴女はずっとフランツ様を殺したわたくしを姉として慕っていたのですよ、アリサお嬢様」

 

「何を……シャロンが父様を殺した? 馬鹿なこと言わないでよシャロン!」

 

 突然明かされた真実にアリサは混乱する。

 そんな彼女の姿にクルーガーは慈しむ眼差しを送る。

 

「本当に愚かですね……

 親に守ってもらい、ただ与えられるのを待つだけの雛鳥……

 幼稚で稚拙で我儘な貴女の事が――」

 

 言葉の途中、場の空気を読まずにそれは投げ込まれた。

 

「っ――スタングレネードッ!」

 

 シャーリィがいち早く投げ込まれたそれの正体に気付き、警告を飛ばす。

 同時にクルーガーが動き、それに遅れてクリスも動く。

 

「させないっ!」

 

 これ幸いとハイデルに向かって突撃するクルーガー。

 それを阻むためにクリスが追い駆ける。

 アリサは呆然と立ち尽くし――次の瞬間、閃光が爆発して狙撃の銃声がユミルの山に木霊した。

 

 

 

 

 

 


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