「ここは……」
目を覚ますとそこは無機質な壁に最低限の調度品が飾られた部屋だった。
見覚えのない部屋に首を傾げながらもクリスはまず最初に体の調子を確かめる。
「…………良し。だいぶ回復したな」
ノルド高原で目覚めた時の倦怠感がだいぶ薄れた感覚にクリスは安堵し、自分の身体から部屋への観察に意識を切り替える。
「部屋の様子から推測すればゼンダー門かな?」
枕もとの棚に置かれた眼鏡を習慣で掛けながら場所の特定を行い、ガレリア要塞で宿泊した時のことを思い出す。
もっともあの時の集団で泊まった部屋よりも上等な士官用の個室に見える。
そして――
「…………アルフィン?」
自分が寝ていたベッドに突っ伏して眠っている双子の姉がいることにクリスは目を丸くする。
「…………そうか、シャーリィが……」
機甲兵を相手に格好いいバイクアクションで大立ち回りを演じていた赤い少女のことを思い出し、彼女が頼んだ仕事を全うしてくれていたことに安堵する。
「でもどうしてノルドに? たしかユミルで落ち合うはずだったのに?」
戦場に出る前にいざとなったら決めていた集合場所ではないことにクリスは首を傾げる。
あそこなら山奥ということもあり、貴族派の手は届きにくい上に少数だが精鋭である元《北の猟兵》という頼れる戦力が常駐している。
それにユミルは彼の――アルフィンの親友のエリゼの故郷なのだから。
「え……?」
不自然に組み変わった思考にクリスは違和感を覚え、額に手を当てる。
「ん……」
しかしその違和感に気付く前に、傍らのアルフィンが身じろぎを始め、ゆっくりと体を起こす。
「…………セドリック?」
寝惚け眼で目覚めた弟の顔を見て固まるアルフィンにクリスはバツを悪くして目を伏せる。
「その……おはよう……って、そろそろ昼になりそうだけど」
壁に掛けられている時計を見てクリスは誤魔化すように笑う。
「――っ――」
しかし、そんなクリスの誤魔化しを他所にアルフィンは感極まった様子で彼の胸へ飛び込んだ。
「あ……」
「セドリック……良かった目を覚まして」
「アルフィン……」
「本当に、本当にセドリックなのよね? 本当に……」
「アルフィン……?」
その身を確かめるようにきつく抱き締めてくる双子の姉の初めて見る姿にクリスは戸惑う。
兄譲りの図太い、クリスが憧れるものを持っている姉の珍しい姿。
密着する体が以前よりもずっとか細く、こんなにも弱々しいものだったのかとクリスは場違いにも思う。
「ごめん……心配かけたみたいだね」
「本当よ……帝都があんなことになって、セドリックも行方が分からなくなって……
なのに突然、帝都に貴方が現れたと思ったら、お兄様をオズボーン宰相の暗殺犯だって宣言して……それに、それに……」
「僕が兄上を!?」
身に覚えのない行動にクリスは驚く。
「そこから先は私が説明しよう」
唐突に部屋の扉が開き、入って来たのは隻眼の男。
「お久しぶりです。セドリック殿下」
「ええ……お久しぶりです、ゼクス中将。それにトヴァルさんとエリゼさんも無事で何よりです」
ゼンダー門最高責任者であるゼクス・ヴァンダール。
その背後の付き従う様に一緒に入って来たトヴァルとエリゼがそれぞれ頭を下げる。
「よう無事で何よりだセドリック皇子」
「おはようございます。壮健そうで何よりですセドリック殿下」
恭しい挨拶にクリスは苦笑をしながら訂正する。
「皆さん、確かに僕はセドリックですが、今はトールズ士官学院のクリス・レンハイムです」
その指摘にゼクス達は一様に顔をしかめる。
「それについては殿下にはお伝えしなければならないことが多くありますが、まずは軽く食事を摂る良いでしょう」
言われ、クリスの腹は空腹を思い出したようにタイミング良く鳴る。
「あ……」
「セドリック……」
「申し訳ありません」
不躾な自分の身体にクリスは思わず恥じる。
「なに、腹が減っていると言う事は御身が健康な証拠。すぐに準備をさせましょう……“これから”の話は、その後に」
「分かりました」
急かしはしないものの尋常ではないゼクスの態度にクリスはアルフィンの抱擁を解く。
「あ……」
弱々しいアルフィンは引き留めるようにクリスの服を掴んで放さない。
「アルフィン」
「貴方は本当にセドリックなのよね? 本当に……偽物でも幻でもなくて、本当にここにいるのよね?」
「アルフィン?」
「セドリック……貴方は――っ……」
アルフィンは何かを言いかけて言葉を呑み込む。
そうしてクリスとエリゼの顔を交互に見合って黙り込んでしまう。
普段はっきりと物を言う彼女には珍しい歯切れの悪さ。
しかし、いくら促してもアルフィンは頑なにその心の内を話すことはなかった。
*
ゼンダー門の前、襲撃を警戒して待機する装甲車の一つは赤毛の少女が日向ぼっこのベッドと化していた。
しかし、周りの正規軍人たちはそれを咎めることはしない。
岩壁の下に陳列された彼女の戦果がそれを許し、何よりもそんな状態でありながら誰よりも早く敵の接近を察知する少女の力をこの場で疑うものは誰もいない。
「よっ――」
シャーリィが唐突に体を起こすと、精鋭の軍人たちはすぐさま周囲を警戒する。
が、そんな彼らの反応を他所にシャーリィはゼンダー門を振り返る。
そのタイミングで重厚な鉄扉が開き、クリスが出て来た。
「ようやくお目覚め坊ちゃん?」
「おはようシャーリィ。でも坊ちゃんはやめてって何度も言ってるでしょ」
いつもと同じ調子で出迎えてくれたシャーリィにクリスは苦笑を返し――岩壁に整列されている機械の生首にぎょっと身構える。
「シャ、シャーリィ……あれって……」
「ん? ああ、ここ一ヶ月のシャーリィの戦果」
「首狩りシャーリィ……」
ゼクスやゼンダー門の中で聞いた彼女の功績から名付けられた新たな異名にクリスは納得する。
が、クリスはすぐに気を取り直してシャーリィに礼を言う。
「まずはありがとう。約束通り、アルフィンとエリゼさんを護ってくれて」
「後で追加労働手当てを要求するから気にしなくて良いってば……
それに結果的に正解だったかもしれないけど、最初の目標のユミルに辿り着けなかったんだけどね」
「それでもだよ。重要なのは“何処”じゃなくて、二人の“無事”だから」
トヴァルから聞いたノルドに来た経緯。
帝都で先にアルフィンとエリゼを確保したトヴァルと一悶着を起こしつつ、身を隠すためエリゼの故郷であるユミルを目指した。
しかし、ルーレまで辿り着いたもののユミルへの道には貴族連合の厳重な警備体制が敷かれており、ルーレに潜伏するのにも限界があると判断してノルド行の列車に紛れゼクス中将に保護を求めた。
結果的にはそのおかげで合流できたのだから、不幸中の幸いだろう。
「ユミルか……ねえシャーリィ」
「ん……?」
「シャーリィは■■■さんのことを覚えている」
自分の口から出たとは思えないノイズの様な雑音交じりの言葉にクリスは顔をしかめる。
が、シャーリィはそんな雑音に気付いていないのか気に留めず、クリスの疑問に答える。
「■■■? 誰それ……?」
予想通りの反応にクリスは落胆を感じながらも、エリゼもそうだったので予想はしていた。
「状況は聞いているんだよね?」
「うん……」
クリスは直前のゼクスとのやり取りを反芻する。
オズボーン宰相の狙撃事件から一ヶ月。
《貴族派》改め《貴族連合》によって帝都は占領され、帝国全土の主要都市が一つを除き同じように占領された。
各地に配備されていた帝国正規軍は唯一、逆に占領したセントアークに集結しながら各地で散漫な小競り合いを行っている。
そして先日、小康状態に陥った均衡を崩す発表が帝都でなされた。
貴族連合の後ろ盾を得たセドリックがオズボーン宰相の狙撃の犯人をオリヴァルト皇子として、クリス・レンハイムを《緋の騎士》を盗み出したオリヴァルトの先兵として声明を発表した。
これに対して革新派はこれまでの《貴族派》が行って来たことを公開し、オリヴァルトが彼らの上に立ち、内戦は更に激化した。
「まさか僕の偽物が現れるなんて……しかも兄上がまさか革新派の旗頭として立ち上がるなんて……」
「人気者は辛いね。でも面白くなってきたよね?」
クリスが現れたことで内戦がさらに激しくなる予感を感じてシャーリィは獰猛な笑みを浮かべる。
「で、どうする?」
「その前にガイウスは? それに他のみんなもノルドにいるの?」
「ガイウスはラクリマ湖に避難した家族と北の方で急に雪が降り出したから、それの調査……
他はルーレまでガイウスはアリサと一緒だったみたいだけど、なんかそこで別れて他のは知らない。でも一応みんなトリスタから脱出は出来たってガイウスは言ってたよ」
「それは良かった」
望む答えが聞けてクリスは安堵の息を吐く。
そして改めて次の行動を考えるが、既に何処へ行くかは決まっていた。
が、それを言う前にノルドでやることが残っている。
「確かめに行かないといけないことがある。でも、とりあえずこのノルドで起こっている問題を解決することが先決かな?」
共和国と結託して監視塔を占領し、更には高原全土を覆う通信妨害。
それによって帝国本土と連絡が取れずゼンダー門を任されている第三機甲師団は消耗戦を強いられている。
シャーリィの活躍により戦況は拮抗状態になっているが、貴族連合も正規軍も《機甲兵》という兵器に慣れつつある状況でシャーリィの無双がいつまで通用するかは分からない。
戦闘が激化すればガイウスが学院で絶賛していたこの光景が戦火に焼かれる。
それは彼の友として、そして一人の帝国人としても見過ごすことはできない。
「他にも《貴族連合》に《テスタ=ロッサ》を奪われる前に回収しないといけないんだよね」
「って言う事は、まずはガイウスと合流か……」
シャーリィは装甲車から降りると傍らに置いておいた導力バイクに跨る。
アンゼリカから貸し出されたそれにはいくつかの改造が施されており、彼女の《テスタ=ロッサ》を設置する側面のラックに対戦車砲がそれとは逆の位置に三つ設置されている。
「それじゃあ行こうか?」
「一応僕はゼンダー門の中で大人しくしていて欲しいってゼクス中将に言われているんだけど……」
偽物のセドリックがいることもあり、クリスはゼンダー門から離れないことを厳命されている。
「ふーん、で? それに大人しく従うの?」
にやにやとシャーリィはクリスの意志を問う。
「まさか」
クリスはそれに苦笑を持って応じる。
「僕はトールズ士官学院で自分から動かなければ、何も変えられないって学んだんだ……
女神に祈って待ってるだけの軟弱な皇子なんて、それこそ偽物だよ」
クリスは躊躇うことなくシャーリィの後ろの席に跨る。
「アルフィン達はここにいる限りは安全だろうから、ここからは僕の護衛ってことでよろしく」
「そうこなくっちゃ。やっぱりシャーリィは護るより攻める方が性に合ってるからね」
クリスの答えに満面の笑みを浮かべてシャーリィは導力バイクのエンジンを吹かす。
「あ、あのセドリック殿下、それにシャーリィ・オルランド……何を――」
「すいません! ちょっと忘れ物を取りに行ってきます!」
駆け寄ってくる兵士にクリスは笑顔で応え――
「どこに行くつもりよあんた達!」
「セドリックッ!」
ゼンダー門からタイミング良くセリーヌを先頭にアルフィンやゼクスが降りて来る。
「ゼクス中将! トヴァルさん! アルフィンとエリゼさん、あとついでにセリーヌを頼みます!」
「皇子っ!?」
「それじゃあしゅっぱーつ!」
「ああ、もう!」
シャーリィの合図にセリーヌは、置いて行かれてなるものかと発進する導力バイクに飛び乗る。
「待って! セドリック!」
更にアルフィンが思い詰めた顔で追い駆けるが、導力バイクと人の足では競うまでもなく一瞬で彼女は置いてきぼりにされる。
「ごめんアルフィン! 話は戻って来てから聞くよ!」
その言葉を残して導力バイクは見る見ると小さくなっていく。
「セドリック皇子……何もそんなところまでオリヴァルト皇子に似なくても……」
立ち尽くすアルフィンの背後。
ゼクスは導力バイクで去っていく彼の背中に、彼の兄が学生だった頃を思い出し青い空を仰いで嘆くのだった。