(完結)二人の緋皇 ―閃の軌跡Ⅱ―   作:アルカンシェル

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33話 繋ぐ手

 

 

 

 

 

 その日、四大名門の一角であるハイアームズ侯爵は四大名門からの脱退を表明した。

 切っ掛けは《カレイジャス》を中継してサザーランド州全土に放送された貴族連合と帝国正規軍の激しい戦闘。

 それまで小競り合いだったが、互いを滅ぼし合うまで止まらないという空気は何も戦場にいる兵士だけではなかった。

 遠く離れたセントアークの民間人、ドレックノール要塞に詰めていた予備兵力。

 戦場の熱がそこまで届いたのか、それとも焼けた森の煙に麻薬のような効能でもあったのか、サザーランド州全域が“闘争”の坩堝と化した。

 もはや軍人だけに留まらず、民間人さえも武器を取ろうとしたその時、彼の歌が響き渡った。

 カレイジャスを通じてサザーランド州の導力通信やラジオに放送された一人の少年の歌。

 

「あなたは何かを見つめているの――」

 

 決してその歌は上手いわけではなかった。

 練習した努力は感じられるが、素人臭さは丸出しだった。

 それでもその歌に込められた想いは放送を通してでも伝わてくる。

 

 ――君が本当にしたいことはそんなことなのか?

 

 真摯に、ひたむきに、そして純粋に。

 その場にいない人々には彼が誰に向かって歌い――訴えているのか分からない。

 それでも歌を通した呼び掛けに熱狂に狂った人々が己を省みるだけの正気を取り戻させた。

 

「こうして未曾有の暴動を未然に防いだ勇気ある少年を人々は讃えてこう呼んだ、《超帝国アイドル・マキアス》と……」

 

「ちょっと待てっ!」

 

 マキアスはしたり顔で宣ったクリスの胸倉を掴んだ。

 

「君という奴は……」

 

 クリスとの再会にマキアスは沢山言いたいことがあったにも関わらず、憤りを露わにする。

 謝罪したいことがあった。

 トールズ士官学院襲撃の際、力を合わせて戦えば《蒼の騎神》から彼を逃がすことくらいはできるだろうと自惚れて判断を誤ってしまった。

 空を飛ばれる。

 たったそれだけで《蒼の騎神》に対して何もできず、背中を見せた《緋の騎神》への追い打ちを指を加えて見ている事しかできなかった屈辱。

 クリスは果たして無事なのだろうか。

 この一ヶ月、それだけが気掛かりであり、本来なら元気な彼の姿に喜んだ再会になるはずだったのだが。

 

「いや、だって事実でしょ? それだけのことをマキアスはやったんだから胸を張れば良いのに」

 

「ええいっ! 君は相変わらずか!?」

 

 胸倉を掴まれ揺さぶられながらもクリスは心底羨ましそうにマキアスを賞賛する。

 初手で弄りに来るクリスにマキアスは眦を吊り上げ――ため息を吐いて肩を落として同じ言葉を繰り返す。

 

「全く……君は相変わらずか」

 

 戦争によって歪んで行ってしまったエリオットを見ていたこともあり、変わらないクリスの様子にどこか安心を覚える。

 

「でも、本心だよ……僕は何もできなかったから」

 

 ノルドやケルディック、そしてユミルのことを思い出してクリスは気落ちする。

 

「そっちも大変だったみたいだな」

 

 帝都でのセドリック殿下の宣言に合わせ、クリスは指名手配されたことはマキアスも知っている。

 

「でもどうして突然歌を歌うなんてことを?」

 

「エリオットが音楽なんてどうでも良いなんて言い出したからだ」

 

 クリスの疑問にマキアスはため息を吐いて答える。

 

「学院祭の時、散々僕達にダメ出しをしていたエリオットが突然そんな風に意見を翻したんだぞ! 許せないと思わないか!?」

 

「あー」

 

 クリスはあの時のエリオットの鬼教官振りを思い出して、触れるべきではないと話題を変える。

 

「ところでマキアスはこれからどうするつもり?」

 

「これから……」

 

 クリスに言われ、マキアスは俯く。

 

「どうしたの、マキアス?」

 

「いや、大したことじゃない」

 

 父の忠告を無視して戦場に突撃したことを思い出してマキアスは唸る。

 別にそこに強制力があったわけではなければ、カレイジャスの難民を出迎えるという与えられた仕事もある意味では行っているので文句を言われる筋合いはない。

 しかし、基本的に放任している父も今回ばかりは何を言って来るか分からない。

 

「僕のことよりも君の方はどうするんだい?」

 

「僕……?」

 

「ああ、皇宮に居座っている君の偽物のこともあるし……君が正規軍の旗頭になってくれるなら……」

 

 言いかけた言葉を思わずマキアスは止めてしまう。

 

「なあクリス……君はこのまま正規軍を率いるつもりなのか?」

 

「マキアス……?」

 

「いや、それが正しいことだと言うのは分かっている。ただ……」

 

 マキアスは戦場を思い出して続ける。

 

「正しいという事は時に人を狂わせる。僕はこの一ヶ月の間でそう感じたんだ」

 

「正しい事が人を狂わせる?」

 

「ああ、エリオットや正規軍を見ていて思ったんだ……

 オズボーン宰相の暗殺に、その罪をオリヴァルト皇子に擦り付けたこと、偽物の皇子を祭り上げたこと、貴族連合の方が間違っているのはどう見ても明らかだ……

 だけど、だからと言って何をしても許されるわけじゃない」

 

「うん……それは分かるよ。ケルディックでも捕えた貴族の子女を処刑するなんてことがあったから」

 

「貴族が間違っているとしても、僕達まで同じところに堕ちてはいけない……

 もしもそうやって争ってしまえば、それこそ最後の一人になるまで殺し合うだけの戦争になってしまう……

 だから、正規軍を率いる意志があるのなら、よく考えて欲しい」

 

「マキアス……」

 

「本物の次期皇帝。この手札を正規軍が手にした場合、正規軍の行いは君を免罪符にしてあらゆる行為が正当化されてしまう……

 君が正規軍の手綱を握れるのならそれで良いんだが、君もエリオットみたいになってしまうのかと思うとね……」

 

「マキアス……」

 

 照れくさそうにそっぽを向くマキアスにクリスは感慨深い気持ちになって涙を浮かべる。

 

「あのマキアスがこんなに立派になって……」

 

「い、いきなり君は何を言い出すんだ!?」

 

「あの貴族と言う言葉を聞くだけで周囲に噛みついていたマキアスがこんなことを言える人間になるとは思っていなかったよ」

 

「ぐ……あの時のことは言うな……」

 

 引き合いに出された黒歴史にマキアスは唸る。

 

「とにかくだ。正規軍に合流すると言うのなら、自分の影響力をちゃんと考えた上で判断してくれたまえ」

 

「うん、分かってる」

 

 マキアスの忠告にクリスは頷く。

 

「ところでマキアス。君は《超帝国人》って呼ばれている人の事を知っているかな?」

 

「《超帝国人》? それはいったい誰のことだい?」

 

「…………いや、何でもない」

 

 マキアスの分かり切っている答えにクリスは愛想笑いを浮かべて誤魔化した。

 

「クリス……君は――」

 

 そんな彼の様子にマキアスは首を傾げ――

 

「ああ、マキアス君。ここにいたか」

 

 そこに第三者――オリヴァルトが声を掛けて来た。

 

「兄上」

 

「セドリックも御苦労だったね」

 

「いえ、無理を言ったのは僕ですから」

 

 上空とは言え、本来なら迂回するつもりだったカレイジャスを戦場に近づけたのはクリスの判断だった。

 結果的にはカレイジャスに乗せたユミルの避難民に被害もなく、サザーランド州の戦場も最悪な悪化を免れたが避難民たちの暴動が起きてもおかしくはなかっただろう。

 

「ところで兄上、マキアスに何か用があったんですか?」

 

「うん……セドリックにも聞いて欲しいんだが、実はあれからドレックノール要塞に詰めていたハイアームズ侯爵から連絡があった」

 

「ハ、ハイアームズ侯爵から、ですか? いったいどんな無理難題を要求してきたんですか?」

 

 貴族からの連絡と聞き、マキアスは警戒心を強める。

 

「いやいや、ハイアームズ侯は今回の事を切っ掛けに貴族連合からの脱退の意志を示して、ハイアームズ家として正規軍との和解の話し合いがしたいと提案してくれたんだ」

 

「本当ですか?」

 

 思わぬ朗報にクリスは喜ぶ。

 

「元々ハイアームズ侯は貴族派の中では穏健派で通っていた人だったからね」

 

「…………それは信用できるんですか?」

 

 マキアスは朗報だと喜んでいるオリヴァルトに疑いの眼差しを送る。

 

「ハイアームズ家と言えば、Ⅰ組のパトリックの家だったはず……とてもではないですが……」

 

 彼にはⅦ組の授業に乱入したりとあまり良い記憶がない。

 親と子で同じとは限らないが、数度の謁見ですれ違った程度の面識しかないハイアームズの人柄は果たして信用できるものなのか警戒してしまう。

 

「どんな理由があっても内戦を扇動した貴族のトップであることは変わらないと思いますが?」

 

「まあまあ、そう目くじらを立てないでくれたまえ」

 

 そんなマキアスの警戒心にオリヴァルトは苦笑する。

 

「今までは四大名門として、サザーランド州の下の貴族達からの圧力があったから仕方がなく貴族連合に所属していたんだよ……

 だけど、君の歌によって心変わりをした貴族が多く現れたおかげで、ハイアームズ侯はサザーランド州の実権を取り戻すことができたということなのさ」

 

「そ、それは……」

 

 自分の歌が切っ掛けだと言われてマキアスはバツが悪そうに顔を背ける。

 

「まあ、ハイアームズ侯との交渉はこれからだが、平和的にサザーランド州の戦いを治められるのならそれに越したことはないだろう」

 

「そうですね……」

 

「突き当たっては、マキアス君にはセントアークで公開ライブを行ってもらいたいのだよ」

 

「へ……?」

 

 オリヴァルトの申し出にマキアスは間の抜けた返事をしてしまう。

 

「実は今、セントアークでは空前絶後のマキアスブームが起きているんだよ」

 

「マキアスブームって、本当ですか兄上?」

 

 呆けるマキアスに代わってクリスが聞き返す。

 

「うむ」

 

 鷹揚にオリヴァルトは頷いて説明を続ける。

 

「戦争の熱狂に囚われていたのは戦場の兵士だけではなかったようでね……

 セントアークの市民もまた決起寸前な空気だったのはマキアス君も知っていたはずだろ?」

 

「え、ええ……」

 

「しかし、マキアス君の歌を聞いて市民も冷静さを取り戻してくれたみたいでね……

 フフ、今市街では君の凱旋を待ちわびた市民で賑わっているそうだよ」

 

「なっ……」

 

 オリヴァルトの言葉にマキアスは絶句する。

 

「ど、どうして戦場の出来事が街にまで伝わっているんですか?」

 

「それはもちろんボクがカレイジャスを経由してサザーランド州全域に君の歌を放送したからさ」

 

「――――」

 

 マキアスは言葉にならない声をもらす。

 

「いやー申し訳ない。カレイジャスにもっと良い放送機器を搭載していればサザーランド州だけとは言わず、帝国全土に君の“愛”を送り届けることができただろうに」

 

「ちょ――」

 

「しかし、安心してくれたまえ!

 セントアークでのライブは導力ネットで配信を予定している!

 存分にマキアス君の歌をゼムリア大陸全土に響かせてくれたまえっ!」

 

「ちょっと待ってくださいっ!」

 

 乗り気が暴走するオリヴァルトにマキアスはようやく我に返って抗議の声を上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

「おばあちゃんっ! それは本当なの!?」

 

 カレイジャスの一室でエマの悲鳴が響く。

 彼女以外猫二匹しかいない部屋で、エマは白猫のキリシャが持って来た手鏡に向かって話しかけていた。

 

『うむ……先の戦争のどさくさに転位石にどうやら細工をされてしまったようでのぅ……

 外からの侵入を防ぐはずの結界が吾らを閉じ込める結界へと作り替えられてしまったようなのじゃ』

 

 映っているのはエマではなく、幼い少女――ローゼリアは手鏡の中でやれやれと肩を竦める。

 

「そんな……あの戦闘の裏でそんなことが……」

 

 イストミア大森林を燃やしていた炎はアリサが乗るティルフィングの働きで鎮火された。

 一部は燃えてしまい、セントアークに近い転位石は破壊されてしまったものの、本来ならばエリンへの出入り口は森の中に複数存在している。

 しかし、その全てが機能不全を起こしているという事実にエマは犯人を思い浮かべる。

 

「やはり義姉さんが……?」

 

 転位石の位置を知っていて、それに干渉できる能力がある者として上がる容疑者にヴィータ・クロチルダの名前を上げる。

 

『どうじゃろうな? あやつは今、貴族連合や結社とは距離を置いていると聞くが……』

 

「そうかもしれないけど……違うならいったい誰が……?」

 

『…………犯人の特定は難しいじゃろ』

 

「おばあちゃん」

 

 含みのある言い方をエマは追究しようとして――

 

『それよりも今回の内戦についてはエマ。お主に全てを任せる』

 

「…………え?」

 

『説明した通り、此度の内戦には《魔女》はお主以外は関わることはできん……

 故に、起動者達のことはお主に一任する』

 

「ちょ――おばあちゃん、いきなりそんなこと言われて……」

 

『おおっと、念波の感度が悪くなって来たようじゃの……

 なに安心するが良い。今、エリンには二人の遊撃士が来ていたから結界を直す算段はついている』

 

「ゆ、遊撃士!? どうして今!?」

 

『ああ、それからアルノールの小僧に伝えておいてくれ。超帝国人の関係者はエリンで保護しておるのでお主は内戦に集中せよと、ではな』

 

 鏡の中でローゼリアが一方的に告げると、像が揺らいで交信が途切れる。

 

「おばあちゃん!? 超帝国人って何!? おばあちゃんっ!?」

 

 交信が切れ、自分の顔を映すだけの鏡にエマは一人叫び続ける。

 

「はぁ……」

 

「気が済んだかしら?」

 

 肩を落としたエマにセリーヌは懐いて来る白猫――キリシャを尻尾であしらいながら声を掛ける。

 

「うう……」

 

「いい加減、覚悟を決めなさいよ」

 

 《魔女の里》のバックアップがないことが決まり、何処かにあったいざとならば長を頼れば良いという甘い考えが取り上げられてエマは不安に駆られる。

 

「そんなことを言っても、私……どうすれば……」

 

「ロゼはあんたに任せるって言ったのよ。だったら好きにすれば良いじゃない」

 

「でも……」

 

「“導き手”なんて言っても、今代の起動者達はキーアを含めて、自分で道を決められる人間よ……

 今更、あたし達が何を言ったとしても、それは変えられないわよ」

 

「セリーヌ……」

 

 肩を竦ませる黒猫の発言にエマは耳を疑う。

 素体が猫であるからか、人の機微に疎かった使い魔の微妙な変化と口では憎まれ口を叩いているのにそれを寛容に受け止めている空気は以前の彼女にはなかったものだった。

 

「セリーヌは私の使い魔ですよね?」

 

「は? いきなり何を言っているのよ? そんなの当たり前でしょ」

 

「むぅ……」

 

 自分の半身でもある使い魔を取られたかのような感じがしてエマは唸る。

 そんなエマの嫉妬にセリーヌはため息を吐く。

 

「それともここで降りる?」

 

「それはダメ!」

 

 セリーヌの提案をエマは強く拒絶する。

 

「まだ義姉さんとちゃんと話ができていない。それに……」

 

 脳裏に蘇るのはオルディスでのやり取り。

 自分よりも幼い、それこそローゼリアと同じくらいの幼女――母と同じ名で呼ばれたイソラという少女が何なのかもまだ分かっていない。

 

「そんな理由で帝国の内戦に関わるつもり?」

 

「あの子はオルディーネの、クロウ先輩の武器となっていました……だから貴族連合と戦っていればきっと……」

 

「覚悟ができているならあたしは何も言わないわ――っていい加減にしなさい!」

 

 じゃれついて来るキリシャにセリーヌはふしゃーと威嚇する。

 

「にゃあー」

 

 しかし、本気の敵意がないことを察してかキリシャは人懐っこい鳴き声を上げるだけでセリーヌから離れようとしない。

 

「ああ、もう……」

 

 エマに頼まれ一匹でエリンの里へ赴き、ローゼリアが結界が閉じる前に送り出した白猫。

 それを労う気持ちがあるだけにセリーヌは諦めたようにキリシャの好きにさせる。

 

「セリーヌ……」

 

「何よ?」

 

「この一ヶ月で何があったのか、改めて教えてくれる?」

 

 ルーレで合流してから落ち着いて情報交換する暇がなかったこともあり、エマはそれを聞き出そうとセリーヌに向き直り――

 

「エマ君、ちょっと良いかな?」

 

 それを扉が叩かれて中断された。

 

「その声はオリヴァルト殿下?」

 

 何かあったのかと声に応えるようにエマは返事をして扉を開ける。

 そこにはにこやかな笑みを浮かべたオリヴァルトと、魂が抜けかけた様子のマキアスがいた。

 

「…………え?」

 

 嫌な予感がエマを襲う。

 

「実はエマ君にお願いがあるんだよ」

 

 固まるエマにオリヴァルトはそう言うのだった。

 

 

 

 

 

「――僕の歌を聞けっ!」

 

 カレイジャスの甲板をステージにして、マキアスは人の海を見下ろしながらヤケクソに叫んで歌い出す。

 彼の他には導力ギターを演奏するアンゼリカとガイウス、導力キーボードを演奏するジョルジュ。そしてドラムをアリサが叩く。

 彼らの演奏に集まったセントアークの市民たちは歓声を上げる。

 

「はぁ……」

 

 煌びやかな光景をエリオットはカレイジャスの艦橋から見下ろしてため息を吐く。

 民衆を前に演奏したことはエリオットも何度も経験した。

 それこそ今日の出撃前にも戦意を鼓舞させる意味で演奏した。

 歓声は負けていない。

 それでも活き活きとした笑顔の観衆の顔はエリオットの演奏では見られないものだった。

 

「やあ、エリオット。こんなところで何をしているんだい?」

 

 自分以外誰もいないと思っていた艦橋で声を掛けられたエリオットは振り返る。

 

「クリス……」

 

 クリスはエリオットの隣に並んで、眼下のステージを見下ろす。

 

「何だか学院祭でのステージがずっと昔のことみたいだ」

 

「うん……」

 

 同じものを見下ろしてエリオットは頷く。

 

「君は参加しないのかい? 兄上に声を掛けられたんだろ?」

 

「僕は……僕にはもうそんな資格はないから」

 

 クリスの問いにエリオットは力のない笑みを浮かべて答える。

 

「僕は音楽を戦争の道具にした……僕の演奏がみんなを戦場に煽っていた。音楽をそんな風に扱った僕にあのステージに立つ資格はないよ」

 

「エリオット。それは“呪い”のせいだって説明しただろ」

 

「うん。本来の僕だったら父さんの仇を討つよりも泣き寝入りしていただろうね」

 

「だったら……」

 

「でもクロウ達に復讐をしたいって言う気持ちだって嘘じゃないんだ」

 

「…………そっか……」

 

 クリスはエリオットの矛盾を否定も肯定もせずに頷く。

 

「…………今の僕の手は音楽をするにはもう……」

 

「エリオットは《超帝国人》のことを覚えている?」

 

「え……?」

 

 意味が分からないクリスの質問にエリオットは虚を突かれる。

 

「知らないなら。アネラスさんのことは覚えている?」

 

「うん……ラッセル博士の定期連絡を受け取りに来たリベールの遊撃士だよね」

 

 クリスの質問の意図が分からずエリオットは首を傾げる。

 

「ラウラが自慢していたよね……『一番大切なのは正しい道を進むことじゃないんだよ』」

 

「あ……」

 

「『間違えたって気付いたなら正して、踏み外したと思ったら戻って、堕ちてしまったのなら元の道に戻る方法を探す……

  そうやって、時には進んだ時以上の距離引き返して、進んでいくことが《剣の道》――ううん《人の道》なんだと私は思うの』」

 

 その言葉は道を違えそうになったラウラが自慢げに語ったアネラスからもらった言葉。

 続く言葉をクリスは呼ぶ名前を変えて彼女のように問いかける。

 

「エリオットにとって音楽はたった一回失敗しただけで捨てられる簡単なものだったの?」

 

「それは……」

 

 口ごもるエリオットにクリスは苦笑して背中を向けた。

 

「クリス?」

 

「ここから先は僕の役目じゃないよ」

 

 そう言って艦橋から出て行くクリスとすれ違って入って来たのは二人。

 

「あ……ナイトハルト教官……それに……姉さん……」

 

 ナイトハルトに支えられて現れたフィオナからエリオットは思わず顔を逸らす。

 

「エリオット……」

 

「っ――」

 

 ――無事で良かった……

 

 咄嗟に言いそうになった言葉をエリオットは寸前で呑み込む。

 実の姉を見捨てる選択をした弟にそんなことを言う資格はないとエリオットは自罰して俯く。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 気まずい空気がそこに漂う。

 

「…………ごめん」

 

 エリオットは小さく何とかそれだけ絞り出し、顔を伏せたまま逃げるようにフィオナの脇をすり抜け――

 

「エリオット」

 

「っ――」

 

 すれ違う手を掴まれてエリオットは止まる。

 

「姉さん、僕は……」

 

 どんな理由があろうと、エリオットはフィオナを見捨てようとした。

 優しかった姉の責める言葉を想像してエリオットは体を震わせる。

 エリオットの手を掴む手はとても弱々しく、その気になれば簡単に振り払える。

 しかし、それをすることはできなかった。

 

「…………フィオナ姉さん。僕は――」

 

 呼吸を整え、罵倒される覚悟を固めたエリオットはようやく顔を上げてフィオナを見る。

 しかし、そこにはエリオットが想像した顔はなかった。

 

「エリオット、久々に貴方のバイオリンを聞かせて欲しいな」

 

「…………え?」

 

 そう言ってフィオナの代わりにナイトハルトがバイオリンケースを無言で差し出して来る。

 

「ね、姉さん……僕は――」

 

「だめ?」

 

 上目遣いでお願いして来るフィオナにエリオットは思わずたじろぐ。

 そこには見捨てられた怒りも、悲しみもない。

 いつもの、いつもよりも甘えた顔をしたフィオナがいた。

 

「姉さん……僕はもう音楽は――」

 

「お願い、エリオット」

 

「…………………」

 

 珍しい姉からのお願いにエリオットが諍う術などあるわけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 急遽開かれることとなったカレイジャスの甲板をステージにしたコンサートは大いに盛り上がった。

 開幕は今日、その名をサザーランド州全域に轟かせたマキアス・レーグニッツが務め――

 

「トールズ士官学で生徒会長をしていますトワ・ハーシェルです……

 歌う曲は《Cry for me, cry for you》です、聞いてください」

 

 体力的にも持ち歌的にも一人では無理だと泣き言を言うマキアスを助ける形で、トワが――

 

「I swear……」

 

 巻き込まれたエマが――

 

「ふふ、カレイジャスを使ってコンサートを開くことは夢だったのだよ」

 

 オリヴァルトまでもリュートを掻き鳴らして歌い始める。

 余談だが、彼の護衛役は今回の事件の顛末が顛末なだけにオリヴァルトの暴走を止めることはできなかった。

 代わる代わる演者の中には貴族連合のウォレスや、正規軍の軍人までいる。

 もう争う必要はないと示すようなアピールに民衆は困惑しながらも、それを受け入れた。

 そして――クロスベル出身という幼い少女と入れ替わって彼が甲板に現れた。

 

「あ……」

 

 直前の盛り上がりが嘘であったかのように静まり返り、バツが悪そうに民衆は彼から視線を逸らす。

 

「ど、どうもエリオット・クレイグです」

 

 その名前は民衆は良く知っていた。

 この一ヶ月、セントアークを貴族連合から守り戦い続けた革新派の英雄。

 カレイジャスを使う事はなかったものの、彼は出撃の前と後ではバイオリンを演奏して聴衆を鼓舞していた。

 父を奪われ、誰よりも貴族連合を憎んでいた少年。

 散々頼り、祭り上げて来た少年を裏切るような和平をアピールするコンサートに民衆は水を掛けられたように静まり返る。

 

「えっと……」

 

 もっともバツが悪いのはエリオットも同じだった。

 オリヴァルトに頼まれた時には、散々民衆を扇動した過激派筆頭とも言える自分が立つべき舞台ではない。

 それでなくても一度捨てると覚悟した音楽を、姉のお願いに諍えず受け入れてしまった自分の意志の弱さを嘆く。

 

「…………聞いて下さい」

 

 いろいろ言わなければいけないと考えていたはずなのに、結局エリオットは迷いを振り切ってバイオリンを構える。

 

 ――ああ……

 

 今日も出撃前にバイオリンを演奏したはずなのに、エリオットは初めて発表会に出た時の高揚を思い出す。

 

 ――僕はこんなにも音楽が好きだったのか……

 

 音楽を戦争を煽る道具にしたこと後悔。

 意地を張って捨てると言っていたものへの執着。

 “呪い”が消えた今、その反動もあってなのか音楽が好きだと言う気持ちが溢れ出す。

 もはやエリオットの思考には万を超える聴衆も、姉への償いという意識も彼方に忘れ、バイオリンを愛しく愛でるように指で撫でる。

 

 ――♪――

 

「っ――」

 

 たった一音で聴衆は思わず息を呑む。

 これまで聞いて来たエリオット・クレイグの演奏とはまるで違う音に別の意味で静寂が生まれる。

 そんな聴衆の反応さえもエリオットは見向きもせず、自分の音楽を取り戻してくれた友人達を想い、エリオットはバイオリンを弾く。

 

 

 

 

 

「おおおっ!」

 

 その光景を家屋の屋上で一人鑑賞していたレオマスクは感激の声を彼の演奏の邪魔にならないように小声で器用に慟哭する。

 心を揺さぶられる美しい音。

 今まで凡庸と思っていた才能の開花にレオマスクはただ感動に打ち震える。

 

「エリオット……ぐすっ……立派になったなぁ」

 

 悔いるように見つめながら、レオマスクはこんなこともあろうこと用意していたラインフォルト社製の導力カメラを取り出し、エリオットの晴れ舞台を記録に残して行く。

 エリオットの単独演奏が終われば、逃がすまいと彼の先輩達やマキアスがエリオットが退場する前に次の曲を演奏し始める。

 戸惑い、困惑しながらもエリオットは久しぶりの笑顔を見せながら彼らと共に演奏を始め、エリオットの演奏に聞き惚れていて民衆もまた歓声を上げて盛り上がる。

 

「良い友を持ったなエリオット」

 

 ただその光景を嬉しく思うレオマスクは――

 

「両手を上げ、ゆっくりとこちらを振り返ってもらえるかな」

 

 背中に剣を突き付けられる気配。

 

「ほう……私の背後を取るとは中々やるようだな」

 

 言われた通り、レオマスクは両手を上げ、ゆっくりと振り返る。そして――

 

「怪しい奴」

 

「怪しい奴」

 

 《C》は紅の獅子の覆面をした者にそんな感想を抱き――

 《紅獅子》は黒いヘルメットのような仮面を被る男にそんな感想を抱く。

 

「いや、あんたらどっちも人のこと言えないから」

 

 そこにスウィンの鋭いツッコミが入った。

 

「貴方がマキアス君に機甲兵を提供し、戦場に駆り立てた元凶のようだが……

 《魔女の里》への道を閉ざしたのは貴方なのかな?」

 

 《C》はスウィンのツッコミを無視して尋問を始める。

 

「ふ……もしそうだと言ったらどうするかね?」

 

「ここで貴方を拘束させてもらうっ!」

 

 言うや否や、《C》は剣を一閃する。

 

「ふっ! 甘いっ!」

 

 レオマスクは後ろに跳び退き、その体を空中に晒す。

 しかし、彼の背後で空間が揺らぎ黒の戦術殻《クラウ・ソラス》が現れるとレオマスクを殴りつけ、無理矢理屋根の上に押し戻す。

 

「ぬおっ!?」

 

 思わぬ不意打ちにレオマスクは覆面の下で目を剥き、斬りかかって来るスウィンの斬撃をコートの下に装備していた篭手で受け止め――次の瞬間、鋼の糸に足を取られていた。

 

「捕まえた♪」

 

 四肢を空中に吊られるように拘束されたレオマスクにナーディアが無邪気な笑みを浮かべる。

 

「流石だ」

 

 《C》はそんな彼女を労い、剣を鞘に納めて尋ねる。

 

「さて、スウィン君にナーディア君、拷問の心得は?」

 

「……趣味じゃないが、一応のスキルはある」

 

「ん……こういうのは、むしろなーちゃんが得意かな?」

 

 そう言うとナーディアは宙吊りにしたレオマスクの前に立ち、徐に抱えたクマのぬいぐるみの頭に鍼を突き立てた。

 

「コツはね~最初は緩やかに苦痛を与えるの」

 

 一本、二本と楽し気にナーディアは突き立てる鍼を増やしていく。

 

「相手に『これなら耐えられそう』って思わせるんだよ」

 

 楽し気に喋るナーディアを止める者はいない。

 

「それから徐々に苦痛を上乗せして、徐々に徐々に相手の精神を摩耗させるの……

 それでも吐かないなら、次は体を切断するかな。これも一気にじゃなくて、少しずつね」

 

 見せつけるようにクマをハリクマにしながらも、ナーディアの口調はどこまでも無邪気だった。

 

「まずはつま先、次に足首、その次に膝、最後に太もも……

 腕も同じね~、指の一本一本、手首、肘、肩」

 

「むぅ……」

 

 子供の狂気に満ちた言葉にレオマスクは唸る。

 

「でも、そんなに切断したら血が流れ過ぎて死んじゃうかも。

 だからちゃんと縫い合わせてあげるね~」

 

 ナーディアはぬいぐるみに鍼を刺すのをやめて笑いかける。

 

「ぬいぐるみのように、針と糸で、綺麗に繋ぎ直してあげる……

 なーちゃん、こういうの得意だから、絶対死なないようにするよ、そこは心配しないで」

 

 おしゃべりするナ―ディアはそこで困った顔をする。

 

「でもでも、ちゃんとした手術じゃないから、縫い合わせても動かせないかも……

 繋がっているのに動かせない。痛いのに動かせない……

 左手も、右手も、左脚も、右脚も、どんなに頑張っても動かせない……

 お揃いにしたいなら、瞼も口も縫っちゃおうか?」

 

 まるで歌うようにリズムを使って問いかける。

 子供特有の残酷さなのか、無邪気な言葉であっても冗談では済まない本気が垣間見える。

 

「そうしたら意識だけがそこに残って、何をしても無駄になるの」

 

 拷問されるよりも少女の狂気を孕んだ言葉にレオマスクは圧倒される。

 

「でも大丈夫、身体に糸をたくさん繋いで、なーちゃんが動かしてあげる。お人形さんのようにね~」

 

 そこでナーディアはアルティナに振り返る。

 

「あっ! そしたら、クーちゃんのお友達にできるかな?」

 

「《クラウ=ソラス》を変な名前で呼ばないでください」

 

 その少女はナーディアの狂気を簡単に聞き流す。

 そんな素気ない対応にナーディアはただ笑顔を返してレオマスクに向き直る。

 

「でね、それでも吐かない人には、次はもっと楽しくしてあげるの……口をね――」

 

「――もう良いっ! ふんっ!」

 

 次の瞬間、レオマスクは体に闘気を漲らせ、四肢に絡まる鋼の糸を無理矢理引きちぎった。

 

「ええっ!? 大型魔獣も拘束できる糸なのに!?」

 

「下がってろナーディアッ!」

 

 すかさず、場所を入れ替わるようにスウィンがナーディアとレオマスクの間に割って入る。

 

「ふ、甘いな少年」

 

「それはオジサンの方だよ」

 

 正面から来たスウィンに拳を構えるレオマスクの背後からシャーリィが“テスタ=ロッサ”を一閃。

 レオマスクの身体は両断され――煙が噴出する。

 

「スモークグレネード!?」

 

「ふはははっ! また会おう諸君っ!」

 

 煙の中、レオマスクの声が響く。

 そして立ち込めた煙が晴れるとそこにはもう紅獅子の覆面を被った怪しい人影はどこにもなかった。

 

「ごめん、逃がしちゃった」

 

「構わないさ。ああ言う類の人物を拘束できるとは思っていないからね」

 

 謝るシャーリィに《C》は気にしなくて良いと首を振る。

 

「良いのですか? 今ならまだ索敵して追い駆ける事も可能ですが?」

 

「それをすれば大事になってしまうだろう。今宵の宴にそれは無粋と言うものだ」

 

 アルティナの提案も《C》は却下する。

 

「さて、後は君達も宴を楽しむと良い」

 

「わーいっ! すーちゃん、あーちゃん行こうっ!」

 

「お、おい……ナーディア」

 

「ですから人を変な呼び方で呼ばないでくださいと――」

 

 二人の手を取って歓声を上げるナ―ディアにスウィンとアルティナは肩を竦める。

 

「おいしいもの食べたいし、せっかくだからなーちゃんたちもステージに出てみる?

 あーちゃんはハーモニカを吹けるから――」

 

「やです」

 

「あーちゃん? えっと……」

 

「やです」

 

 ナーディアの思い付きをアルティナは食い気味で拒否するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 








NG
アリサ
「私の歌も聞けええええっ!」

シャロン
「きゃああああああ! アリサお嬢様ああああああっ!!」

アリサ
「シャシャシャ……シャロン! 貴女死んだはずじゃなかったの!?」

シャロン
「何を仰いますかアリサお嬢様……」
 このシャロン・クルーガー、アリサお嬢様のアイドルデビューという一大イベントのためならば、例え煉獄の底に堕とされたとしても這い上がってみせましょう」

クリス
「…………その理屈なら……」

アルフィン
「ねえエリゼ、それにアルティナちゃんもコンサートに出てみない?」

エリゼ
「姫様?」

アルティナ
「やです」




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