ノルド高原北部。
そこは一足早い雪が降る一方、風光明媚な景観のラクリマ湖。
その湖畔に建てられた山荘は、激化する貴族連合と帝国正規軍の争いから避難したノルドの民の居住用のゲルは――美しい風景とは対照的に炎に包まれていた。
「うあああああああっ!」
「あんちゃんっ! あんちゃん!」
至る所から悲鳴と泣き声。そしてそれを覆い隠すような機銃の音が鳴り響く。
「貴様らっ!」
暴虐の限りを尽くす猟兵にガイウスは激昂して槍を振るう。
「ふん――」
猟兵はその一撃を余裕を持って躱して距離を取り、ガイウスを包囲するように展開して銃撃を浴びせる。
「くっ――」
槍を回転させて銃撃を防ぎながらガイウスは負傷を覚悟で距離を詰めようとするが、猟兵達は銃器を持たないガイウスに接近を許さず銃撃を絶やさない。
「うおおおおおおおっ!」
ガイウスは咆哮を上げ、猟兵達の包囲を無理やり食いちぎる。
傷を代償に一人、また一人と猟兵達を斬り伏せていく。
「そこまでだ!」
そんな獅子奮迅の戦いをするガイウスに勝利を確信した声が掛けられた。
「あんちゃん……ガイウスあんちゃん……ぐす……」
振り返ると、猟兵の一人が小さな幼子を抱え導力銃を突き付けていた。
「リリ……貴様ら恥を知れっ!」
妹を――幼い子供を人質に取る所業にガイウスは人生で感じたことのない怒りを感じる。
だが猟兵は悪びれた様子もなく平然と応える。
「依頼は冷徹かつ確実に――
それが猟兵というものだ。大人しく投降し、クリス・レンハイムを引き渡してもらおうか」
「だから、クリスはここにはいない!」
「だったら貴様がそいつをここに連れて来いっ! さもなくば――」
「ひっ――」
「やめろっ!」
これ見よがしに引き金に指を掛ける猟兵にガイウスは声を上げる。
「ふ……それでいい。ひとまずその槍を捨ててもらおうか」
ガイウスの絶望の顔に猟兵は気分を良くして指示を出す。
「くっ……」
苦渋で顔を歪めながらガイウスは言われた通り槍を手放す。
「そうだ、それでいい……」
「お前には昨日、お前達が回収した学生を連れて来てもらおう……
ここにいないとすれば、おそらくはゼンダー門だろうが、お前が出入りしていることは調べはついている……
そいつを連れて来れば――」
猟兵の言葉は一発の銃声にかき消された。
「がっ――!?」
背後からの銃撃にガイウスは息を吐き、膝を着く。
「よくもやってくれたな」
先程、ガイウスが倒したはずの猟兵が血走った目で熱を持つ導力銃の銃口をガイウスに向ける。
「おい! 勝手なことを――」
「うるせえっ! こいつはここでぶっ殺してやる!」
仲間の制止を振り払いその猟兵はガイウスに向けて引き金を引き――
「くっ――」
咄嗟に身を投げ出して射線から少しでも逃げようとしたガイウスの目の前が見覚えのある背中に塞がれた。
銃声が連続して炸裂し、その背中が音と合わせるように痙攣する。
「あ――」
目を大きく見開きガイウスは言葉を失う。
ガイウスを庇った男、ラカン・ウォーゼルは苦悶の声一つ漏らさず、己の血の海に倒れ伏した。
「あ…………」
「おとーさん……?」
ガイウスとリリはその光景にただ、ただ呆然とする。
「ちっ……まあいい」
ガイウスと交渉しようとしていた猟兵は面倒になったと言わんばかりにため息を吐く。
「おい! そいつを寄こせ。コイツの目の前で惨たらしく殺してやる!」
「いい加減にしろっ!」
なお止まらない仲間の暴挙に猟兵は乱暴に伸ばされた手から幼女を護る。
しかし、その所業にキレた者がいた。
「貴様ら……」
初めて感じる己の内から湧き出る憎悪。
故郷を我が物顔で蹂躙し、家族さえ手に掛け、更には幼子さえ勝手な理由で手を掛けようとする外道たちにガイウスの中の箍が外れる。
「貴様ら、全員っ! 殺してやる!」
ラクリマ湖に黒い風が吹き荒れ、一匹の《鬼》が生まれた。
*
それは血に飢えた魔者だった。
それは破壊の権化だった。
「くそっ! 近付くな距離を取って弾幕を――ぐあっ!?」
一人、また一人と十字の槍が振られる度に猟兵は強化防護服がまるで紙のように引き裂かれ、穿たれ命を散らしていく。
「この死にぞこな――」
応戦しようとした猟兵は気付けば黒い風に体を両断され、ラクリマ湖の畔はその青い景観とは対照的な血で赤く染まっていく。
「あん……ちゃん……」
その光景にウォーゼル家の末娘のリリはただ呆然と立ち尽くし、全てを見ていた。
「あんちゃん……」
小さくうわ言を繰り返す。
呆然とした眼差しに焦点はなく、心が砕けてしまったかのように兄を呼ぶ言葉を繰り返す。
「あんちゃん……」
その声に《獣》が反応する。
全身を血で染めた《獣》はのそりと振り返り、十字の牙を手にリリに歩を向ける。
「ぐううううっ!」
人の姿をしていながらも、その喉から出て来た声はまるで獣の唸り声のようだった。
《獣》はそれが誰なのか認識せず、ただ動く者、生きている者を殺戮するために槍を振り被り――
「どーんっ!」
シャーリィが操る導力バイクから繰り出されたワイルドスタンピードが炸裂した。
「シャーリィはその子とガイウスのお父さんっぽい人を頼む!」
《獣》を轢き飛ばすと同時にカタパルト発射と言わんばかりに後部座席から飛び出したクリスが叫ぶ。
「があっ!」
空中に吹き飛ばされた《獣》は追従して来るクリスに槍を突き出す。
「っ――」
真正面からの力任せな刺突をクリスは魔剣で受け止め、身体を捻って《獣》の胴体を蹴り飛ばしラクリマ湖に叩き落とす。
「今のはガイウス……まるで兄上から聞いた■■■さんみたい……っ――」
美しい景観のはずのラクリマ湖が煉獄の様な目を背けたくなる光景にクリスは顔をしかめ――ラクリマ湖が黒い竜巻によって爆ぜた。
「ガイウス!」
黒い竜巻に乗って跳躍し襲い掛かって来たクラスメイトの名を叫ぶ。
が、鬼気に染まった金の目をしたクラスメイトはクリスを敵と認識して十字槍を振るう。
「っ――」
先程の無理な体制から繰り出された突きとは比べ物にならない衝撃にクリスは息を詰まらせる。
「ガイウス! 目を覚ませ! もう敵はいない! だから――」
「があっ!」
息もつかせない連続突きがまだ完調していないクリスの手から魔剣を弾き、次いで繰り出された渾身の一撃が――クリスと彼の間に展開された魔法陣が受け止める。
「ちょっと病み上がりのくせに無茶してんじゃないわよ!」
足元に魔法陣を展開し、セリーヌは無数の火球を放つ。
「――――」
《獣》はすかさずその場から飛び退いて、降り注ぐ火球を避ける。
「ありがとうセリーヌ! 助かった」
「そんなことは良いから! 来るわよっ!」
魔剣を拾う間もなく、《獣》が迫る。
「っ――」
覚悟を決めるのは一瞬、クリスはその場で身構え――力任せに突き出された一突きを掻い潜るように身を沈ませて躱すと同時に槍を取り、突撃の勢いをそのまま背負い投げに利用して《獣》を大地に叩きつける。
「セリーヌッ!」
「分かってるわよ!」
クリスの言葉にセリーヌが応えると、地面から現れた光の鎖が《獣》をその場に縛り付ける。
「があ――うがああっ!」
「くっ――」
「ガイウス、大人しくしてっ!」
もがく《獣》にクリスは槍で抑え込むように圧し掛かり、セリーヌも術に力を注ぐ。
しかし、《獣》の内から吹き出る“黒い風”の勢いは収まらず、圧し掛かるクリスの身体を打ちのめす。
「まずい……これは抑え込めない……」
全力を振り絞りながらもクリスと同様に病み上がりのセリーヌは《獣》が纏う呪いの大きさに弱音を吐き――
「そのまま抑え込め」
クリスでも、シャーリィでも、セリーヌでもない。声が一人と一匹の耳に届き――
「空の金耀の力を持って、ここに邪悪を退けん」
厳かな祝詞。
《獣》を中心に星杯の魔法陣が浮かび上がると、金の光が黒い風を蒸発させるように消し飛ばす。
「――――っ」
「ガイウス!?」
がくりとそれまでの抵抗が嘘であったかのように静かになったガイウスをクリスが呼ぶ。
返事はないが、穏やかな呼吸と消えた鬼の気配に危機は一難去ったとクリスは安堵の息を吐き、振り返る。
「貴方は……確か……」
ノイズ交じりの記憶を遡り、見覚えがあるはずなのだが■■■を通した記憶のせいなのか名前が出て来ない。
「ふむ……どこかで会ったかな?」
老人の方は初対面のはずのクリスの反応に首を傾げる。
「……いえ、何でもありません。どなたか存じませんが助かりました」
「いや、君たちのおかげで余計な怪我をさせずにガイウスを救う事が出来た。礼を言わせてもらおう」
そこにいたのは星杯の紋章を首から下げた偉丈夫な老人は特に偉ぶることもなく、クリスに礼を返す。
「……その様子だとガイウスの知り合いみたいですが。それにその紋章……七耀教会の者ですか?」
「ああ、巡回神父をしておるバルクホルンだ……
さて、名乗ったばかりで悪いが手を貸してもらえるかな? ガイウスはもちろん、ラカンを――」
「まだ息はあるよー! でもシャーリィにはこれ以上の処置は無理かな?」
踵を返すバルクホルンに応えるようにシャーリィが声を上げる。
その事にクリスは安堵の息を吐き、改めて血に染まったラクリマ湖の情景に顔をしかめる。
「これが……これが人のすることなのか……」
猟兵が、ひいては領邦軍が引き起こした惨状にクリスは嘆くことしかできなかった。
そしてその嘆きに、セリーヌはただ目を伏せた。
原作ユミルの第一被害はノルドの人達に代わって頂きました。
これにより原作では薄かったガイウスの内戦介入の理由付けを考えています。