「クカカ、随分と良い顔をするようになったじゃねえか」
クロウと殴り合った翌日、対面のソファに行儀悪く身を預けて座るヴァルターが傷だらけのクリスの顔を褒める。
「むぅ……」
ぶすっと拗ねるクリスにヴァルターは温泉郷で会った時のことを感慨深く感じる。
「もうすぐあれから一年か……あのもやしみたいなガキがよくまあ鍛えたじゃないか」
「べ、別に貴方に褒められても嬉しくはありません」
嘘である。
目の前の男は《身喰らう蛇》の執行者の一人であり、武術の達人。
そんな男からの誉め言葉に喜ばないはずはないのだが、今の彼は貴族連合側に所属している敵、そんな男の言葉に素直に感情を出すわけにはいかなかった。
「ククク……」
しかし、そんなクリスの葛藤を見透かすようにヴァルターは笑う。
「っ――それにしても結社が貴族連合に加担しているとは思いませんでした」
これまで各地で結社の影は見え隠れしていた。
しかし、本格的に自分達とは敵対していないことから気にしていなかったが、貴族連合の船にヴァルターがいたことに驚いた。
「クロスベルで暴れ足りなかったって言うのもあるが……
元々貴族連合の中で“幻焔計画”を観察して調整する奴は別にいたんだよ。そいつらが軒並みボイコットしやがったから仕方がなくな」
「ボイコットって……」
悪の秘密組織から出て来るとは思えない自由な言葉にクリスは呆れる。
「しかし解せねえな」
ヴァルターはサングラスの奥の目を細め、クリスを睨む。
「っ……何がですか?」
突然の威圧。飢えた狼を前にしたような殺気をクリスは肚に力を込めて耐え、聞き返す。
「ふん……」
殺気はすぐに治まり、ヴァルターは鼻を鳴らす。
「えっと……」
「お前じゃない」
戸惑うクリスにヴァルターは呟く。
「帝国に何かを期待していたはずなんだが、ちっカンパネルラめ。何を隠してやがる」
苛立って愚痴を吐き出すヴァルターにクリスは何となく察する。
彼が誰と戦う事を期待していたのか。
「まあ良い。今のお前ならそこそこ楽しめるかもしれないからな」
「それは……貴方も貴族連合の一員として戦うと言う事ですか?」
「はっ……そんな肩書に興味はねえよ。結社の方針はただ、お前が“そこ”まで辿り着くか見届ける事だけだ」
思わせぶりな言葉。
直接相対するつもりはないが、ちょっかいは掛けて来るという宣言にクリスは何と返すか困る。
「貴方は……リベールのツァイス地方で結社の実験として地震を起こさせたんですよね?」
「はっ……懐かしい話をしやがるじゃねえか」
「どうしてそんなことが出来たんですか? かなりの家屋が倒壊したと聞きましたが」
ユミルの時はあまり実感できなかったが、内戦で様々な凄惨な光景を見て物語の中だ事件がどれだけ凄惨なものだったのかクリスは理解できるようになった。
「クク……そう恐い顔するなって……
俺はな、潤いのある人生には適度な刺激が必要だと思うのさ。いわゆる手に汗握るスリルとサスペンスってやつだ……
いつ自分が死ぬとも判らない……そんなギリギリの所に自分を置く。それをリベールの奴等にも味わってもらいたかったんだよ」
「…………いい迷惑だったでしょうね」
「何だ? 昨日のクソガキにしたように殴りかかって来ないのか?」
落ち着いた様子のクリスの様子にヴァルターは拍子抜けしたように尋ねる。
「これが帝国で行われたことならば、貴方と僕の間にどれだけの力があったとしてもこの場で剣を抜いていたでしょう……
ですが、その話はリベールで行われたことであり、昔の話。僕がどうこう言うのは筋違いでしょう……
それに貴方達は自分達の行いを“外道”だと認識している。その点では貴族連合なんかよりずっとマシだと思います」
「は……図太くなったじゃねえか。《蒼の騎士》なんかよりずっと歯応えがありそうじゃねえか」
「それは光栄ですけど、たぶんまだ僕はアームブラストよりも下だと思います……
これまで互角に戦えたのは《テスタ=ロッサ》のおかげだと思いますから」
「それだけ分かってるなら十分だ。あんな奴よりもお前は強くなれるぜ」
「本当ですか?」
「あのクソガキはもう底が知れたな……
ただでさえ帝国正規軍は《機甲兵》に対処し切れてないって言うのに、《蒼の騎神》を使って楽に蹂躙して調子に乗っている……
少し前までは復讐心でなんとか維持できていたみたいだが、もう堕ちるだけだろ」
心底つまらなそうにヴァルターはクロウをそう評価する。
「そうですか……」
現状、クロウと相対できるのは《騎神》を持っている自分達だけ。
例え帝国最強と名高いヴィクターやマテウスと相対したとしても、人と比べて巨大な上、《蒼》は《騎神》の中でも優れた飛翔能力を持ち制空権を一方的に握っている。
一人だけの特別を振りかざし、最前線でありながら《騎神》という安全の中で戦うクロウは刺激を求めるヴァルターに受け入れられるものではない。
「その点、お前にはその類の慢心はなさそうだな。いや《騎神》にそれ程の期待をしていないのか?
それとも《騎神》を使ってなお勝てない相手を知っているのか、そっちの方が俺には興味があるな」
「そんな……流石にあの人たちも生身で《騎神》をどうこうできるはずないですよ……ないですよね?」
「何で俺に聞くんだよ?」
「だって“あの人”はともかく、そっちの《鋼の聖女》はこないだも“もはや槍さえ不要”なんて言い出したんですよ」
「へえ……《鋼の聖女》がそんなことをねぇ」
良いことを聞いたとヴァルターは獰猛な笑みを浮かべる。
「失礼します」
そこにドアがノックされて領邦軍の兵士が入って来る。
「クリス・レンハイム殿、朝食をお持ちしました」
「さてと……」
部屋に入ってテーブルに料理を並べる兵士に対してヴァルターは席を立つ。
「一応、お前は“客人”扱いだ。帝都に到着するまでせいぜい好きに過ごすんだな」
「……」
「脱出したけりゃ勝手にするんだな……
その時は俺が相手してやれるし、お前を殺すために雇っておいた“暗殺者”って言うのも無駄にならなくなるからな」
そう言い残してヴァルターは部屋を出て行こうとして、立ち止まる。
「……まだ何か?」
立ち止まったヴァルターをクリスは訝しむ。
「大したことじゃねえよ。鼠に噛まれないように気を付けるんだな」
そう言い残してヴァルターは部屋から出て行ってしまった。
「鼠……? この船には鼠が出るんですか?」
「い、いえ……仮にも貴族連合の船ですのでそんなことはない……はずなんですが」
「何分、この大きさですから。忍び込んでいないとは言い切れないでしょう」
クリスの質問に兵士たちもまた困惑するのだった。
「朝食は以上です。それからカイエン公爵様からこちらを預かっております」
そう言って差し出されたのは導力ラジオだった。
「これは?」
「今日の正午より、帝国正規軍におられるオリヴァルト殿下が声明を発表するようです……
こちらを使ってお聞きくださいとのことです」
「…………そうですか、ありがとうございます」
クリスが導力ラジオを受け取ると、兵士たちも部屋から退出する。
「…………はぁ……まいったな」
緊張に強張っていた体から力を抜いてクリスはため息を吐く。
「クロウ達だけなら出し抜けると思っていたんだけどな……」
セリーヌが指摘した通り、パンタグリュエルは敵地のど真ん中。
それでも逃げ出すだけならば《テスタ=ロッサ》を暴走させてできると思っていたのだが、ヴァルターや暗殺者の存在が未知数過ぎた。
「とは言え、セリーヌにはちゃんと戻ると言ったから無駄に時間を浪費するわけにはいかないか」
カイエン公達、貴族連合の動機が昨日の話で全て理解できたとは言えないがあれ以上話しても意味はないだろう。
「だけど、どうやって逃げるか」
見積もりが甘かったことを反省して、クリスが考えていると。
ぐう……とクリスの腹が漂う宮廷風料理の朝食の匂いに空腹を訴えた。
「そう言えば昨日はアームブラストと殴り合って結局食べてなかったな」
昨日と同じであまり食欲は感じないが空腹を身体が訴えている。
意地を張っても仕方がない、逃げるためにも体力を付けなければと割り切ってクリスは食事に手を付けた。
「……うん、おいしい」
良い料理人を雇っているのだろう。
皇宮で食べていた味と遜色ない料理にクリスは思わず顔を綻ばせる。
ぐう……と再び腹の音が響く。
「食べてるんだから、静かにしてくれ」
第三学生寮で生活していたとはいえ、皇子である。
空腹で腹を何度も鳴らしたと礼儀作法の先生に知られれば、どんなことになるかクリスは恐ろしい想像をして――ぐうと空腹を訴える音が部屋に響く。
「…………誰かいるのか?」
最初の音は自分だった自覚はあった。
しかし今の三回目の音に、二度目の音は自分ではなかったとクリスは気付く。
クリスの呼び掛けに誰かが答えることはない。
隠れられるのはベッドの下か、クローゼット。
四度目の音に耳を澄ませながら、クリスは警戒心を強くしてまずはベッドの下を覗き込み――
「おなかすいたっ!」
その頭の上に頭上のダグトを壊してミリアム・オライオンが降って来て――
「ぶへっ!」
クリスの頭に着地した。
*
「んー、おいしー♪」
ぱくぱくとクリスに用意された食事をミリアムが瞬く間に食べていく。
いったいいつから《パンタグリュエル》に潜入していたのか。
唯一確認できていなかった《Ⅶ組》の最後の一人の無事な姿にクリスは安堵する。
「ヴァルターが言っていた鼠って君のことだったんだね。いったいいつからいたんだ?」
「もぐもぐ……ん-この部屋の上には昨日からいたよ。クリスが来たって言うから会おうかなってずっと待ってたんだよ」
「昨日から……」
全く気付かなかったことにクリスはがっくりと項垂れる。
ヴァルターに褒められたが、結局自分はまだまだなのだと痛感する。
「それでミリアムは何で《パンタグリュエル》に潜入なんてしたんだい?」
「もぐもぐ、ごくん……うん、この戦艦を爆破しようと思って」
「そう爆破か……え……?」
「カイエン公とできればアルバレア公、それから《蒼の騎士》が集まったこのタイミングが絶好の機会だったんだけどなぁ、何でクリスがここにいるの?」
「待て待て待てっ!」
無邪気に物騒なことを言うミリアムにクリスは思わず声を上げる。
「《パンタグリュエル》を爆破って本気か!?」
「だってそれが一番効率が良いじゃん」
「いや……でもこの船にどれだけの人が乗っていると思っているんだ!?」
「んーでもみんな貴族連合なんでしょ? だったら別に良いじゃないかな」
「良いわけないよっ!」
「うーん……」
食事を終えたミリアムはクリスの言葉に腕を組んで考え込む。
「でもさ、クロウの理屈で言うならオジサンを殺されたボクはクロウや貴族連合に復讐をしても良いって事だよね?」
「それは……」
復讐とミリアムには似つかわしくない言葉にクリスは戸惑う。
「そりゃあオジサンはいろいろ悪い事をしていたかもしれないけど……
何か良く分からないけど、胸の奥がもやもやして一番悪い奴を殺さなくちゃって思うんだ」
「ミリアム……」
《Ⅶ組》に入って来たミリアムは世間知らずだった。
無邪気で天真爛漫な性格をしているが、その思考の根幹にあるのは猟兵に近いドライな死生観を併せ持つアンバランスな子供。
ミリアムはオズボーンの暗殺を理性では自業自得だと判断し、同時にオズボーンを殺されたことに怒りの感情を芽生えさせていた。
「君もそうなのか……」
クリスは項垂れて呟く。
「ん? どういう意味?」
「君もみんなや僕みたいに、貴族連合を許せない、殺すって言うんだな……」
頭を抱えてクリスはこれまでのことを振り返る。
ガイウスの家族が傷付いたノルドでの貴族連合が雇った猟兵たちの非道。
ケルディックで起きた正規軍による貴族子女の処刑とそれに対抗して襲撃した貴族連合との戦闘。
クロスベルではロイド達がとにかく帝国が悪いの一点張りで話が通じなかった。
ノルディア州ではラインフォルト社が爆破され、シャロンが復讐鬼となり、巡り巡ってユミルが消滅した。
サザーランド州ではイストミア大森林を燃やす程に正規軍と革新派の争いは激化した。
そしてクロイツェン州ではラウラとユーシスが殺し合いにまで発展した戦いを繰り広げていた。
「どうしてこんなことになってしまったのかな……」
気付けば自分もクロウや貴族連合に怒りではなく、憎しみを募らせるばかり。
学院にいた頃はただトールズ士官学院の中では不真面目な先輩だと言う印象しかなかった。
留年の危機があったので、もしかすれば同級生として彼も《Ⅶ組》になっていたかもしれない。そうすればもっと仲良く……
「いや、ないな」
聞けばクロウは遅刻やサボリの常習犯であり、授業中には居眠りさえしていたと聞く。
フィーでさえ授業は眠らずに起きているし、《Ⅶ組》は基本的に真面目な者達が多い。
みんな、自分を高めるために学院に来ているのにそんな不真面目で授業を妨害するような男を果たして受け入れただろうか。
「まあ、みんなお人好しだから、馴染めるのかもしれないけど」
それでも皇子として厳しい教育を受けて来たクリスにとっては話に聞くクロウの生活態度はとても理解し難いものだった。
「ねえ、ミリアム」
「ん……なーにー?」
デザートのフルーツの盛り合わせの山を崩し始めたミリアムにクリスは尋ねる。
「ジュライの鉄道爆破事件……これをオズボーン宰相がやったって言うのは本当なの?」
緊張を孕んだ声でクリスは尋ねる。
導力ネットで調べた限り、ジュライの事件の犯人は未だに見つかっていない。
いくらオズボーン宰相が凄いからと言って、他国の重要施設に何の痕跡も本当に残さなかったのかと疑問に感じるのだが、目の前のミリアムはそれを可能とする戦術殻を持っている。
「君の《アガートラム》なら誰にも気付かれずに鉄道に爆弾を仕掛けることはできたんじゃないかな?」
学院の教材で使っている量産型の戦術殻には人を乗せて動き回るだけの出力はない。
しかし、《アガートラム》はミリアムを乗せてかなりの長距離を飛べる上に光学迷彩なる機能まで持っている。
秘密裏の破壊工作員として彼女程、適した存在はいないだろう。
「うーん……」
クリスの質問にミリアムは腕を組んで考え込む。
「ジュライの事件って九年前だよね? その時はボク、まだ生まれてもいないかも」
「あ……」
肝心な部分を外したクリスは頭を掻く。
「でも前任のオライオンの可能性はあるけど、オジサンが直接爆破したっていうのは考えにくいかな?」
「それはどうして?」
「オジサンってボクに調べて来いって要請はするけど、何かを壊して来いとかって直接要請したことってほとんどないんだよね」
「それは……何だか意外だな」
「だよね。自分はいくら悪く言われても構わないって顔しているけど、汚れ仕事をボクやクレア達にして来いなんて言わないんだよね」
「…………それは納得できるかも」
そう言えばオズボーンの黒い噂を聞くことはあっても、彼の直属の部下の《子供達》には揶揄される風評はあっても非難される悪評を聞いたことはない。
背負うのは自分だけで良いと言わんばかりに抱え込む気質はクリスが知っている“彼”を彷彿とさせる。
「それにオジサンのやり方って基本的に“待ち”だからね……リベールの時もそうだったし」
「リベールの時?」
「うん、あの空中都市の事まで知っていたか分からないけど、レクターが作ったリベールの情報網からだいぶ早い段階で大規模導力停止現象が起きるって予想していたみたいだよ」
「いや、それは結社と結託していたって僕は聞いているけど……」
「そうなの? ああ、そっか……だから他の準備は無駄になったんだ」
「他の準備? 蒸気戦車以外にも何か用意していたの?」
「これ以上はキミツ情報だからダメ」
そこで口を噤んだミリアムにクリスは思考を整理する。
「……あれ? リベールの場合、帝国が侵攻したとして、それって最終的に誰の責任になるんだろう?」
“異変”を起こしたのは結社であり、帝国がリベールの内部でそれを支援したわけではない。
帝国が蒸気戦車を準備していて対応していたのは確かにタイミングが良過ぎるかもしれないが、それが地道な情報収集の結果なら責められる謂れはないのではないだろうか。
「ミリアム……結局のところ情報局ってどういう組織なんだい?」
「だからこれ以上はキミツだってば」
「僕は次期皇帝だけど、それでも話せない?」
「むー」
身分を使って来たクリスにミリアムは唸る。
「ほんのちょっとだけだよ」
「それで良い」
「って言ってもボクも他の情報局員のことってほとんど知らないんだよね。だいたいがレクターの部下? みたいな感じだから」
「そうなのかい? てっきりミリアムみたいな工作員で構成された秘密部隊だと思っていたんだけど」
「それはボクの方が例外なの……情報局のほとんどは別に何の技能も能力もない一般人だよ」
「一般人?」
意外な答えにクリスは目を丸くする。
「やっていることはレクターやオジサンの指示で、他国とかに住んでもらって、そこで起きた事件とか何がおいしかったのか報告するだけらしいよ」
「え……重要施設に潜入して機密情報を盗み出して、最後には施設を爆破しながら脱出するとかしないの?」
「そんな小説みたいなことはボクだって滅多にしないよ」
「…………そうなんだ。でもそんなことをして何の意味があるの?」
「さあ? ボクには分かんない」
「…………」
ミリアムのはてな顔にクリスは黙り込む。
「あ、でも近頃リベールでも同じようなことを始めた人がいるってオジサンが言っていたかな」
「リベールに…………あ、リシャールさん」
かつてリベール旅行をした時に面会した元リベール軍人の大佐のことをクリスは思い出した。
《R&Aリサーチ》という調査会社を各地に諜報員を送り込んでいると聞き及んでいる。
目的は導力ネットで拾い切れない現地の生の情報を収集するものだとクリスは教えてもらった。
「そっか……リシャールさんと同じ事をオズボーン宰相はしていたのか……」
諜報員と言われれば聞こえは悪いが、彼らには別に重要施設へ潜入して機密情報を盗むこともテロリストのような破壊工作をするわけではない。
なんだったら毎日、その地域の出版社が出している地方新聞を送って来ることだけ良いと言う仕事内容に意味があるのかとその時のクリスは首を傾げた。
「結社やテロリストの動向の把握……
他国だからと言って、気にしないか、それともこちらに飛び火するかどうか見極めるためにも情報は必要なんだ」
クロウが主張する鉄道爆破に対するタイミングの良過ぎる帝国の介入はそれで説明がつく。
「いや、仮に指摘しても認めるかな?」
オズボーンが犯人ではない可能性の芽。
オズボーンの死体を確認できなかったものの、カイエン公が彼の死を確定させたせいなのか復讐心が萎み始めているクロウはこの指摘を受け入れるだろうか。
「…………無理だろうな」
指摘したところで、知るかと聞く耳を持たないクロウが容易に想像できる。
「結局……僕はクロウ・アームブラストをどうしたいんだろ?」
《緋》の中にある憎悪と自分の感情の境界線が分からなくなり始めている。
「ごめんなさい、今いいかしら」
そこでドアがノックされる。
「ミリアム」
「うんっ」
呼び掛けにミリアムは頷くと素早くベッドの下へと身を隠す。
それを見届けて、クリスは応えた。
「どうぞ」
「失礼します」
入って来たのはミリアムよりも小さな女の子だった。
この場には似つかわしくない幼子だが、彼女がミリアムと同じ存在なのだと彼女の背後の蒼い戦術殻が示している。
「えっと……君は……?」
「私は《OZ80》イソラ・ミルスティンと言います」
「僕は知っていると思うけど、クリス・レンハイム……え……ミルスティン?」
名乗り返してクリスは彼女が名乗った姓に耳を疑う。
ミリアムよりも一回り小さい体。
そしてクリスが知るクラスメイトを思わせる顔立ち。
「君はもしかしてエマの妹だったりするのかな?」
「いいえ」
クリスの質問にイソラは首を横に振るう。
小さな子供だと言うのに言葉使いと仕草は随分と大人びた印象を受ける。
「私はエマの母です」
「そっか、エマのお母さんなんだ…………えええっ!?」
この小さな女の子があのいろいろ大きな《Ⅶ組》のクラス委員長の母だという事実を素直に受け止めることはできなかった。
「いや、ローゼリアさんがお婆ちゃんだと言う事を考えれば、あり得なくはないのか?」
「あら、婆様のことも知っているのね」
クリスの言葉にイソラが反応を示す。
少なくても、全くの無関係な人間ではないことをクリスは察する。
「とりあえず部屋に入れて貰えるかしら?
貴方には聞きたいことがあるし、場合によっては私は貴方の脱出に協力してあげられます……
ただ私にはこうして自由意志を保っていられる時間は少ないから……」
「……っ、分かった」
親しみを感じる笑みを浮かべながら、何処か焦っているようにも見えるイソラの様子にクリスは驚くのを止める。
こんなことならばセリーヌも一緒に来てもらうべきだったかと後悔しながらクリスは部屋にイソラを招き入れるのだった。