クロスベルの独立宣言からなる宣戦布告に対する意思を表明しようとしたオズボーン宰相が何者かに狙撃されてから二ヶ月。
帝都ヘイムダルの市民の不満は日に日に膨れ上がっていた。
ラジオの放送を始め、出版物では連日、オリヴァルトは皇帝陛下に弓引く逆賊だとセドリック皇子が何度も繰り返した。
かつては姉のアルフィンよりも愛らしいと言われた彼は一度だけの宣誓にしか公の場に出ていないが、放送で何度も聞く彼の言葉は傲慢と不遜に満ちたものだった。
変わり果てたセドリック。
それを支援する貴族連合。
更に一度全国に指名手配までされ顔を公開された帝国解放戦線のテロリスト達を貴族連合は迎え入れている。
そんな元テロリストと仲良く接する《C》の頭文字を持ち、オズボーン宰相が最後に言い残した《クロウ・アームブラスト》。
貴族連合が祭り上げる《蒼の騎士》と仮面のテロリストである《C》を繋げて考えるのは当然の成り行きだった。
「何が逆賊だ……」
街を偉そうに巡回する領邦軍人に向けられる目は冷たい。
本当は誰がオズボーンを暗殺したのか市民は分かっている。
だが、それを口に出して言えないのは軍人の武力と《機甲兵》の脅威。
そして各地で正規軍を無双の働きで鎮圧していると報道され、我が物顔で皇宮に居座る《蒼の騎士》の暴力が向けられることを畏れ、自分達を守るために口を噤む。
「私はガレリア要塞でテロリストに夫を殺されたのに……どうして……」
ただどれだけ悔しくても涙を呑んで耐えるしかない。それが無力な市民にできる唯一の事だった。
果たして当の《蒼の騎士》は気付いているのだろうか、彼がしている行いが自分が受けた屈辱だったことを。
「何が《蒼の騎士》だ……オルトロス偽帝の再来め……」
恐怖と暴力で逆らう者の口を噤ませる《蒼の騎士》の所業は歴史で語られるオルトロス偽帝そのもの。
クロウを知らない市民にとって、彼の存在はただ恐怖の象徴でしかない。
オズボーン宰相を殺しても止まらないテロリスト。
貴族連合に取り入って次はいったい誰を殺すつもりなのか、このまま帝国を支配するつもりなのではないかとさえ考えてしまう。
《蒼の騎士》がオルトロス偽帝ならば、必然的に現代のドライケルス大帝が求められ――
「帝国市民、並びに帝国の全国民の皆さん――ご機嫌よう……
エレボニア皇帝ユーゲントが一子、オリヴァルト・ライゼ・アルノールである」
その日の正午、エレボニア帝国全土に導力ラジオに、導力ネットを通じてオリヴァルトの声が放送される。
情報規制されている帝都や州都にもその声は潜伏している正規軍の協力者の工作によって届けられる。
「まずは謝罪させて欲しい……
ボクは帝国がこんな状況に陥っているにも関わらず、帝国正規軍の御旗として立ちながらボク自身の言葉を皆さんに届けなかったことを」
オリヴァルト皇子の言葉は謝罪から始まった。
セドリック皇子に、貴族連合にオズボーン宰相の暗殺の罪を擦り付けられ、セントアークで正規軍と合流しながらもその時声明を代弁したのはカール・レーグニッツだった。
正規軍の神輿に過ぎない皇族。
貴族連合を止めることができなかった皇族が今更何を言うのかと市民は訝しむ。
「まず先に前提として僕はバルフレイム宮にいるセドリック皇子をボクの弟とは認めない……
レーグニッツ知事が先日述べたように、彼は貴族連合が用意したボクの弟の偽物で間違いない。だが残念なことに今のボクにはそれを証明することはできない」
オリヴァルトは一つため息を挟み続ける。
「貴族連合はボクが皇帝の座を欲してオズボーン宰相を殺害し、父上を殺逆しようとしたと報じているようだがそれもデタラメだと改めて断言させてもらう……
そもそもボクは皇位などに興味はない……むしろ皇帝の第一子だったことを憎んだ時もあったくらいだ」
皇子の言葉は普段の親しみを感じる明るい声とは違っていた。
その変化にセドリック皇子のことを思い出す。
しかし、彼の言葉はただ真摯であり、決して不快に感じるものではなかった。
「君達も知っての通り。ボクは庶子、平民を母に持った子供であり、それ故に長子でありながら皇位継承権を持たない……
しかし君達は知っているだろうか。ボクと母は父上に迷惑を掛けないように身を引き、帝国の小さな村に住んでいたことを……
そして父上が皇帝に即位する際に母上――アリエル・レンハイムは貴族が雇ったとされる猟兵によって亡き者にされ、ボクもまた命を落とすところだったことを」
そのオリヴァルトの言葉に市民は耳を疑った。
あの“放蕩皇子”と呼ばれ、明るく親しみ易い皇子がそんな過去を背負っていた事実に市民は驚く。
「はっきり言わせてもらおう。ボクは数多の貴族によって支配され、愚にも付かない因習としがらみに雁字搦めになった旧い帝国の体制を憎んでいる」
皇族にあるまじき言葉に民衆は耳を疑う。
しかし、それに頷く者達も多くいた。
「皇妃として平民を皇族に迎え入れることを嫌い、母上にそんな気はなかったにも関わらず謀殺した犯人をボクはまだ知らない……
だが、帝国にはそう言った事件はいくつも起きている」
その言葉に覚えのある者は頷く。
彼の演説を直接見て、聞いているカール・レーグニッツは頷く。
導力ネットを通してクロスベルで見ているクレア・リーヴェルトは頷き、レクター・アランドールは遠くを見る。
「そして今回の発端となったオズボーン宰相の暗殺……その罪をボクに擦り付けたわけだけど……
貴族連合に問いたい。君達は一体いつまで同じことを繰り返すつもりなのだと!」
オリヴァルトは言葉に怒気を滲ませて、放送の向こうの貴族連合に問いかける。
「ボクはこれまで貴族の中にも、君達なりの誇りと良心があるのだと信じ、理解しようと歩み寄ろうとしてきた……
だが、これが君達が言う誇り高き貴族の振る舞いだと言うのか?
自分達に都合が悪いものはとにかく暴力に物を言わせて排除する……
猟兵に、テロリストにやらせたからと、自分の手は血で汚れていないと君達はそう主張するつもりなのかい?」
ハイアームズ侯爵はただ目を伏して俯く。
「君達は歴史の偽帝オルトロスと何が違う? 君達は帝国の歴史の何を学んできたと言うのだ!?」
オリヴァルトの言葉にクロワールは忌々しいと言わんばかりに顔をしかめる。
「これ以上、同じような“欺瞞”を繰り返すことをボクは許さない」
力のある言葉が帝国全土に向けて放送される。
「改めてここにボク、オリヴァルト・ライゼ・アルノールは宣言しよう!
貴族連合が繰り返す“欺瞞”を正すために戦うと!」
オリヴァルトははっきりと貴族連合に宣戦布告をする。
「とは言え、ボク達皇族には権威はあっても権力はない……偉そうなことを言っているが戦いは帝国正規軍に頼るしかボクにはできない」
ははは、とこれまでのシリアスな空気を緩めるようにオリヴァルトは笑う。
「以前、ボクはオズボーン宰相に手を組まないかと打診されたことがある……
今の貴族の体制を憎む気持ちは同じだと共に手を取り旧き帝国を改善しないかと、その時のボクは自分の主義を通すために彼の手を取ることはしなかった」
オリヴァルトとオズボーンの知られざる関係が明かされて人々は驚く。
「もし、あの時ボクが自分の美学を捨てて彼の手を取っていれば、こんな凄惨な戦争など起こさないで済んだかもしれないと思うと申し訳ない気持ちで一杯になる……
ボクはオズボーン宰相と同じにはなれない。だが、ボクなりに彼の意志を継いでこの帝国をより良い国にする努力は惜しまないつもりだ」
オリヴァルトは壇上から自分を見つめる数多の軍人たちに向かって頭を下げる。
「どうか帝国正規軍よ。人々の安寧を守る気高き《騎士》たちよ。ボクに力を貸して欲しいっ!」
オリヴァルトの懇願に応えるように軍人たちの声を上げる。
「…………ありがとう。だけど君達には一つだけ約束して欲しい」
盛り上がる軍人たちを宥め、オリヴァルトは襟を正して続ける。
「ボクは貴族を憎んでいると言ったが、滅ぼしたいと思っているわけじゃない……
理由があって貴族連合に参加しなければならなかった者もいる。貴族の中にはちゃんと尊敬できる者もいる……
貴族と言うだけで殺すべきだと思わないで欲しい。例え血に塗れることになってもボクは父上や母上、弟妹達に恥じることはしない……
ただ“闘争”を求めるだけの獣にならないで欲しい……
そうなってしまえばこの内戦を勝ったとしても、君達は第二第三の貴族連合となってしまうだろう……
ボクは貴族も平民も関係なく、君達には誇り高く、気高くあって欲しいと願っている」
オリヴァルトの願いに貴族は、平民は、軍人は何を思うか。
それはオリヴァルトには分からない。
「そして最後になるが、本物のセドリックもまたボクとは違う所で戦っている……どうか君達の次の皇帝になる弟を信じて欲しい」
そう締めくくられた言葉でオリヴァルトの放送は終わった。
*
「はあ……」
オリヴァルトの演説を舞台裏で聞いていたアリサはため息を吐く。
「流石はオリヴァルト殿下……《Ⅶ組》の設立者と言うべきかしら?」
壇上から領邦軍と正規軍が、そして民衆が混じった人の波にオリヴァルトは笑顔で手を振っている。
「これから大変になるわね」
アリサは舞台から視線を戻して仲間たちに向き直る。
既に《Ⅶ組》のメンバーにはオリヴァルトから話は通っている。
貴族連合の《機甲兵部隊》に対抗できるのは《ARCUS》を持ち《機神ティルフィング》を操縦できる《Ⅶ組》だけ。
全面戦争となれば、正規軍以上に頼ることになってしまうとオリヴァルトに頭を下げられた。
「この呼び掛けでサザーランド州以外の正規軍も応えてくれると良いんだが……君達はどうする?」
マキアスは一同を見回して尋ねる。
そこにいるのはエマ、アリサ、ガイウス、マキアス、エリオット。
それに加えて前任の《Ⅶ組》であり、《機神》の開発に協力して乗ることができるトワ、アンゼリカ、ジョルジュ。
「私はもちろん、オリヴァルト殿下と一緒に戦うわよ」
一番に勇ましい声を上げたのはアリサだった。
「貴族連合には好き勝手やられた借りが多いし、クリスが《霊薬》の件についてはオリヴァルト殿下に協力してくれればくれるって書置きを残していたから」
母は重体。姉は行方不明。
残されたラインフォルトも貴族連合が勝てば、乗っ取られることは目に見えている。
アリサにはオリヴァルト達、正規軍に勝ってもらわなければ困るのだ。
「それに……」
「それに?」
アリサの呟きをガイウスが聞き返す。それにアリサは首を横に振る。
「何でもないわ、それでガイウスはどうする?」
「俺も……オリヴァルト殿下と共に戦う事に異論はない」
アリサに促されてガイウスも己の意志を言葉にする。
「ゼクス中将の約束はクリスを守ることだったが、クリスの書置きでは代わりにオリヴァルト殿下を守って欲しいと言われてしまったからな」
ガイウスは手紙の内容を思い出して肩を竦める。
「それに貴族連合は猟兵を使って、ノルドを汚し、俺の家族を傷付けた……その報いを受けさせなければ俺が納得できない」
「僕も……」
ガイウスの言葉にエリオットが同調する。
「マキアスに止めて貰ったけど、僕はやっぱり貴族連合や帝国解放戦線を許すことはできない」
「エリオット……」
「でも勘違いしないで、もう貴族を皆殺しにしたいだなんて考えてないから」
そう告げるエリオットの顔に軟弱さはない。
一皮むけたような精悍な顔つきで亡き父に誓う様にエリオットは仲間たちに自分の中の思いを吐露する。
「僕は天国の父さんが恥じない子供として戦うよ」
落ち着きを払ったエリオットの佇まいにマキアスはホッと胸を撫で下ろす。
「僕もオリヴァルト殿下と共に戦う事に異論はない……
オリヴァルト殿下の演説のおかげで貴族を殺し尽くす、何て戦いにはならないだろうからね……
もしもまた正規軍が暴走するようなら僕達で止めるしかないだろうしね」
自分の役目は戦う事ではなく、両者の暴走を防ぐことだとマキアスは考える。
「エマ君はどうするつもりだい?」
マキアスはキリシャを抱えるエマに話を振る。しかし、エマはその声に反応せず、愚痴を呟いていた。
「私を“導き手”にしてくれるって言ったのに……クリスさんのばか……セリーヌのばか……」
起動者と使い魔に置いてけぼりにされた魔女見習いは見事に不貞腐れていた。
「えっと……先輩達はどうするつもりですか?」
今のエマに話しかけても無駄だと判断したマキアスはアンゼリカ達に話を振る。
「私に異論などあるはずがないよ。父上はやり過ぎた。それを正すのは私の役目だろう」
毅然とした態度でアンゼリカが答えるのに対してトワは迷いながら自分の考えを口にする。
「私はまだ戦争をするって実感は湧かないんだけど……やっぱりクロウ君とは一度ちゃんと話がしたい。ごめんね、こんな自分勝手なことしか言えなくて」
「別に良いですよトワ会長。私たちも何だかんだで私情がありますから」
恐縮するトワを慰めるようにアリサが声を掛ける。
「僕もトワと同じかな。もっとも僕の役割は《機神》の整備が主になるだろうけどね」
そんな様子に自嘲を浮かべながらジョルジュも答える。
「そう言えばサラ教官は?」
ふとアリサは担当教官がいないことに気付く。
「サラ教官ならオリヴァルト殿下に遊撃士の活動許可をもらったから援軍を呼ぶって導力通信機に張り付いているよ」
「そう……それは頼もしいわね」
ジョルジュの答えにアリサは少しだけ安堵する。
正規軍や吸収した領邦軍、そして市民がオリヴァルトが設立した《Ⅶ組》に向ける期待は重い。
そして自分達が使える《機神》は二体。それからアンゼリカが乗って来た《機甲兵》とトロイメライが二機。
そしていくら正規軍の援護があるからと言っても、《機甲兵》に対して《機神》は数で圧倒的に負けている。
「…………やっぱりユーシスとラウラは敵になるのかしら?」
その言葉に重い沈黙が流れる。
ここにはない二機の《機神》の使い手たちが何を考えているのか、アリサ達には知る術はない。
「…………何で出て行っちゃったのよクリス」
アリサが漏らした愚痴に答えられる者はいなかった。
*
クリスは玉座に座っていた。
見下ろす謁見の間が現実よりも広く感じるのは、整然と並ぶ人達の多さ故だろう。
彼らは今までこの広い謁見の間にすし詰め状態で押し込まれ、口々に怒声と怨嗟を叫び散らしていた。
だが、今は静かなもので、それまでの喧騒が嘘だったかのように静まり返っている。
「うん……判ってる」
整列した彼らは口を噤み、クリスを見上げている。
彼らの中の憎悪がなくなったわけではない。
むしろその想いは口を噤んだことでより大きくなっているのが睨まれているクリスには分かる。
――僕が彼らを裏切るようなことをすれば、この焔は瞬く間に僕を焼き尽くすだろうな……
“彼”がしてくれたのはあくまでも彼らを並ばせて静かにしてくれただけ。
苛烈で猛り狂った憎悪を静かなる焔として呑み込み、度し難い独裁者を討つ機会をじっと待っている。
だが、彼らの眼差しにクリスは身が引き締められる気持ちになる。
――それに……
謁見の間を満たすのは何も憎悪だけではない。
――お願いします。どうか残された家族を守って下さい……
憎悪の中に埋もれた言葉が心に響く。
「約束するよ。君達の無念は僕が必ず晴らす」
玉座から立ち上がってクリスは己に向けられた眼差しに誓いの言葉を返す。
「――ス……クリス……ちょっと起きなさいってば!」
頬を叩く柔らかい感触にクリスは目を開く。
「はぁ……やっと起きた……」
セリーヌはテスタ=ロッサの計器の上でため息を吐く。
「もうオリヴァルト皇子の演説終わっちゃったわよ」
「大丈夫だよセリーヌ。ここでちゃんと兄上の声は聞いていたから」
クリスは持ち込んだ導力ラジオを見せて苦笑する。
「……まあ、何だって良いけど……収穫はあったわけ?」
「うん……僕が向き合うべき帝国の歪み……倒さなければいけない敵がどんな存在なのかちゃんと分かったよ」
「……あんた、何か変わった?」
セリーヌはクリスの顔をまじまじと見つめて尋ねる。
「さあ、どうだろう?」
はぐらかすように答えてクリスは《緋》から降りる。
「ミリアムはどうしてる?」
「あの子なら眠いって言ってたから、客室を使わせているわよ」
「そう……」
あれから《緋》の右腕は爪を残して《アガートラム》と分離した。
“聖痕砲”は合体しなければ使えないが、“呪い”が爪という一点に集約されたことで《緋》の暴走の危険はほぼなくなった。
「セリーヌ、みんなは艦橋?」
「ええ……まあ……」
クリスの質問にセリーヌは歯切れを悪くして頷く。
「どうかしたの?」
「…………はあ……あんたに客よ」
「僕に客?」
クリスは首を捻る。
場所は《騎神》を回復させる場としてレグラムのローエングリン城に戻って来たのだが、昨日の今日でどうやって自分の居場所を突き止めたのだろうか。
「まあ、会ってみれば分かるか……」
軽い気持ちでクリスは艦橋に入ると――
「セドリック……来ちゃった、てへ」
可愛らしく媚びを売って来た姉、アルフィンにクリスは顔を引きつらせる。
彼女の背後の右側にはアルティナが素知らぬ顔で立ち、エリゼが申し訳なさそうな顔をしている。
そして……
「初めましてクリス・レンハイム君。私はリベールの民間調査会社から派遣されましたミスティです」
「いや、貴女はヴィータさんですよね?」
「ミスティです」
「ですから――」
「ミスティです」
笑顔で押し通すミスティに彼女の背後にいる二人に助けを求めるようにクリスは視線を送る。
一人は知らんとばかりに目を伏せているロランス・ベルガー。
そしてもう一人は東方風の衣装に目元を仮面で隠した見たことのない女性。
どちらもミスティを諫める素振りはしてくれない。
「えっと……そっちの人はロランスさんで、貴女は?」
「私は……《銀》。《空の御子》との契約を果たすために、貴方に協力しに来ました」
女――《銀》は淡々とした口調でクリスの問いに答える。
「…………いろいろ分からないことはあるんですが……」
《銀》という存在はクリスも知っている。
かつてクリスがクロスベルの特務支援課でクルトと共に世話になっていた時に聞いたイリア・プラティエを狙った凶手。
そんな存在が何故、自分に協力しにわざわざ帝国まで来るのか、彼女の言う《空の御子》とは誰なのか。
いろいろ気になることは多いのだが、まず確かめるのは――
「《銀》って百歳を超えたおじいさんじゃなかったんですか?」
「…………それは誰に聞きましたか?」
「え……ランディさんですけど?」
「そうですか…………クロスベルに帰ったらやることが増えましたね」
「あははははははははっ!」
ランディを言外に〆ると呟く《銀》の背後で、彼の従妹が爆笑していた。
《銀》
後天的完全記憶能力、故の例外。
《銀》という存在が歴代の《銀》になったものを全て含めた存在であるため、彼の《銀》は《銀の道》の一部として残っています。
因果操作も彼女に集中して行えば消すことができますが、現在《黒》は彼女の存在を認知していません。
クロスベルで合流しなかったのは、“彼”が敵対していたキーアがクリス陣営にいたから。
“彼”の痕跡を探るために帝国へ侵入した際に、帝国に入る口実で訪れた《アルカンシェル》の帝都劇場への出演交渉の際にヴィ――ミスティと合流した。
彼女の目的は二つ。
結社の見届け役として貴族連合にいる《痩せ狼》との決着。
“彼”との10億ミラ分の借りを返すこと。