「そうか……」
ゼンダー門の作戦司令室に重い沈黙が満ちる。
ラクリマ湖での猟兵によるノルドの民の襲撃。
「領邦軍が高原に猟兵を放ったことは気付いていたが、避難が裏目に出たか」
こうならないように族長のラカンには領邦軍との戦闘が本格化する前にラクリマ湖まで避難することを勧めたのだが、この結果である。
「やはり僕のせいでしょうか?」
「いいえ、セドリック皇子。それは違います」
落ち込むクリスにゼクスは首を振る。
「生き残った猟兵を尋問したところ、元々ゼンダー門攻略にガイウスを利用する算段を彼らは考えていたようです……
今回の責はこの私の見通しの甘さが招いたことに他なりません」
通信妨害のこともあり、ゼクスが事を把握できたのは先に逃がされたグエンとシータが乗った導力車がゼンダー門にエンジンを焼きつかせて走って来た時。
そこから出来る限りの早さで救出部隊を編成させて送り出したが、部隊がラクリマ湖に着く頃には全てが終わっていた。
「むしろ皇子は良くやってくれたでしょう……」
偶然とは言え、ゼンダー門に向かっていたグエン達と遭遇し、救出部隊に先行してラクリマ湖に辿り着き、負傷者の手当てや安全の確保。
遅れて到着した救出部隊もそのおかげで迅速な対応が行えて多くのノルドの民を救う事ができ、下手人である猟兵も生かして捕えることができた。
「でも……」
「皇子、例え皇子がいなかったとしても同じ事は遠からず起こっていました。自分さえいなければと思うのは検討違いです」
「っ――分かってる……だけど、領邦軍……帝国人がこんなことを容認するなんて……」
「そう? 汚い仕事は猟兵に押し付けて、華々しい戦果は自分のモノにする。帝国だと珍しくもない猟兵の使い方だけどなぁ」
苦渋に震えるクリスに対して、シャーリィは常識だと言わんばかりに今回の騒動を受け止めていた。
「それよりも、確かにノルドの民の襲撃は前々から考えられていたみたいだけど。今の問題は違うでしょ?」
反省ばかりをする会議にシャーリィは現状を突き付ける。
「クリス・レンハイムを確保するために帝国本土からの増援が来る……
通信妨害で孤立している第三機甲師団にこれから始まる総攻撃を凌ぐ算段はあるの?」
会議室に重い沈黙が満ちる。
既にこの一ヶ月の間でかなりの消耗戦を強いられて来た。
シャーリィのおかげで盛り返せはしたものの、それが一時しのぎでしかないことはゼクスも理解していた。
「やはり僕がここにいることが争いの火種となっているなら、僕が投降すれば――」
「それはなりません!
奴等は既に偽りの皇子を矢面に立たせています。そんな所に皇子が赴けば何をされるか。最悪、御身の命さえ保障はないのですよ」
「だけどこれ以上、朋友であるノルドの大地を帝国の勝手で汚すわけにはいきません」
エレボニアの皇子と言う身分だと言う事は分かっているが、他人の命を天秤にして割り切れる程にクリスは割り切ることはできなかった。
「まあまあ二人とも落ち着いてくださいよ」
白熱しそうになるゼクスとクリスの間にトヴァルが割って入って仲介する。
「とにかく貴族連合のガイウスを利用したゼンダー門攻略作戦は未然に防げたわけだが、むしろ問題はここからでしょう」
「そのことだがランドナー君。君にはセドリック皇子とアルフィン殿下を連れてアイゼンガルド連峰へと逃げてもらいたい」
「ゼクス中将!?」
驚くクリスを無視してゼクスは続ける。
「アイゼンガルド連峰は険しいが、それを抜ければノルティア領のユミルに抜けられる……
御二人を匿うならこのような軍事基地よりもずっと適しているだろう。そして折を見て、セントアークにいるはずのオリヴァルト皇子の下まで送り届けて欲しい」
「…………まあそれが妥当かもしれませんが、セドリック皇子。貴方はどうしたいんですか?」
ゼクスの方針に一応の理解を示しながらトヴァルはクリスに話を振る。
「だから僕が貴族連合に投降すれば、これ以上の戦闘は――」
「言っておくが、俺の予想だと貴方が貴族連合に投降すればむしろ内戦はより激しくなるだろうな」
「っ――」
「貴族連合が貴方の贋物を立てている以上、奴等にとって貴方は必ず生け捕りにしないといけない存在じゃない……
むしろ捕まえたその場で処刑する。なんてことだって十分にあり得るだろうよ」
「だからって、ここでユミルに逃げてどうなるんですか?
ユミルをノルドの民の様な目に合わせても良いって貴方達は言うんですか!?」
「それは……」
「流石に連中もそこまで……いや……」
クリスの指摘にゼクスとトヴァルは唸る。
哀しいことにその指摘が完全な的外れだと楽観視することはできなかった。
「だからってな……ならクロスベルに行きたいって言っていたのはどうするつもりなんだ?」
「それは……」
トヴァルの指摘に今度はクリスが口ごもる。
クリスが内戦よりも優先して目指す場所、それがクロスベル。
彼の自治州が独立宣言を発表して既に一ヶ月。
トヴァルの話では既にクロスベルは帝国軍によって占領されたらしいが、それ以上のことは何も分からない。
そして一ヶ月経つというのに、帝国に“彼”が戻って来た様子がないどころか、会う人達から彼の記憶が失われているのが現状だった。
今更遅いかもしれないが、帝国の内戦よりもクリスの中ではそちらの方に天秤は傾いていた。
「確かに僕は早くクロスベルに行きたいと思ってます……
でもここで僕達の友人やその家族のことをこのままにしておくことはできません」
ここにはいないガイウスを始めとノルドの民。
ラカンは一命を取り留めたが、このままゼンダー門攻略作戦が始まれば収容したノルドの民がまた危険に晒される。
「他に方法があるなら教えてください! 僕なら捕まった後に《テスタ=ロッサ》を暴れさせれば脱出できる可能性だってあるんです」
「むうう……」
「ちょっと整理しましょうか」
無茶苦茶な強硬手段を提示したクリスにゼクスは唸り、助け船を出すようにトヴァルが提案する。
「まず第三機甲師団を不利にさせているのはノルド高原全域に展開されている通信妨害によるものだ……
これのせいで戦車や装甲車間での細かな連携が取れなくて劣勢を強いられている。その上帝国本土との連絡もできず消耗戦になっているわけですよね?」
「ああ、その通信妨害もこちらのみで領邦軍側は通信を利用している」
「で、セドリック皇子はノルドの民を見捨てられないか?」
「それもありますが、領邦軍の目的が僕だけじゃなくて《テスタ=ロッサ》もだとしたら、今の彼と一緒にアイゼンガルド連峰を追い付かれずに抜けるのは難しいと思います」
「騎神なのにか? 確か飛べるはずだよな?」
「今の損傷だと難しいと思います」
結局、回収することが叶わなかったが幸いにも《テスタ=ロッサ》に続く道は一本道であり、遠目で確認した幻獣もまだ退治されていなかった。
「場合によっては《テスタ=ロッサ》を抜きに投降すれば、彼らはそれを見つけるまで僕を殺すことはできないと思いますが」
「その分、どんな拷問をされるか分かったもんじゃありませんよ」
楽観的なことを言うクリスにトヴァルはため息を吐く。
「んで、おそらく領邦軍の目的はセドリック皇子の身柄と《緋の騎神》なのは間違いない……
ただ幸いなのは、まだアルフィン皇女がここにいることはまだばれていないみたいですが、正規軍としては皇子達を領邦軍に差し出すことはあり得ないんですよね?」
「その通りだ」
トヴァルの確認にゼクスは頷く。
「とは言え、奴等はセドリック皇子を捉えるためにゼンダー門への総攻撃を計画しているわけで、監視塔側と帝国本土からの挟撃が本格的になれば消耗している第三機甲師団に勝ち目はない」
これが現在の自分達だと改めて認識させられる。
「ねーねー、セリーヌ。セリーヌだったらこの場を何とかできる方法があるんじゃないの?」
「にゃ? いきなり何を言ってるのよ?」
会議の内容を半分に聞きながら、シャーリィは部屋の隅で丸くなっているセリーヌに尋ねる。
「だってセリーヌは魔女の使い魔でしょ? こういう時の都合の良い魔法って御伽噺の定番じゃん」
「アタシにそんなことを言われても……」
「フフ、セリーヌは嘘が下手だね。それに《緋》を貴族連合に渡したくないって言う点については利害が一致すると思うんだけど」
「う……」
シャーリィの指摘にセリーヌは唸る。
そして気付けば、会議室にいる者達の注目が集まっていることにセリーヌは思わず怯む。
「…………ああ、もう分かったわよ!」
観念するようにセリーヌはノルドの地図を広げたテーブルの上に跳び乗る。
「《緋》を貴族連合に渡さないでこの地から逃げるための手段はあるわ」
そう言ってセリーヌはノルドの南部のある地点をその猫の手で指し示した。
*
日が落ちて、明日の作戦のために今から出発しようとしていたクリスはその足をとある一室に向けた。
「あ……エリゼさん」
その部屋の前、食事を乗せたトレーを抱えたエリゼにクリスは声を掛ける。
「セドリック殿下……」
「その食事、ガイウスに?」
エリゼが持っている決して豪華とは言えない粗食を一瞥してクリスは部屋の扉に向き直る。
「はい……」
浮かない顔をするエリゼにクリスは首を捻る。
今のゼンダー門は人手が足りないため、エリゼやアルフィンも雑事の手伝いをしている。
その一環でガイウスに食事を持って来たのだろうが、何故かエリゼは部屋に入ることに足踏みしていた。
「どうかしたの?」
「…………いえ……」
自分でも良く分からない感情にエリゼは戸惑う。
担ぎ込まれたガイウスの様子。
血に塗れ、放心していた姿に忌避感を覚えるよりも既視感を覚えた。
それがうまく言葉にされることはなかったが、クリスは特に追及することはなく、自分も一緒に入って良いかと許可を取る。
「ガイウス、入るよ」
ノックをして部屋に入ると、そこには壁に背中を預けて膝を抱えるガイウスがいた。
「ガイウス……」
その目は虚ろで、クリス達が入って来たのに気付いた様子もなく身じろぎ一つしない。
「ガイウスさん……」
その姿にエリゼはますます強くなる既視感に困惑する。
そもそも自分とトールズ士官学院Ⅶ組との面識も親友の弟のクラスメイトという位置に過ぎない。
身分を隠した皇子のクラスメイトということもあるが、それでは説明がつかない距離感にやはりエリゼは違和感を覚えずにはいられない。
「ガイウス、そのままで良いから聞いてほしい」
そんなエリゼを他所にクリスはガイウスの傍らに膝を着いて一方的に語り掛ける。
「バルクホルン神父の処置のおかげでラカンさんは一命を取り留めた、リリちゃんやガイウスの家族も多少の怪我はあるけど、みんな無事だ」
そう言うものの、本格的な冬を前に物資のほとんど焼き払われてしまい遊牧民としては生命線が奪われたに等しい。
帝国の皇子として賠償と援助を惜しむつもりはないが、それをするには今のクリスにはあまりにも無力だった。
「謝って済む問題じゃない。だけどせめてこれ以上このガイウスが愛してやまないこの地が戦火に焼かれないように尽力するから」
どこまでも無反応なガイウスにクリスは言うだけのことは言って立ち上がる。
「もし内戦が終わったら――いや、何でもない」
言いかけた言葉を呑み込んでクリスは一足先に部屋を出る。
「ガイウスさん、今日まで大変お世話になりました」
出て行ってしまったクリスにエリゼは慌てて、ガイウスにこれまでの礼を言う。
「明日、私たちはセドリック皇子と共にこの地から去ります……
そうすればセドリック皇子が仰っていたようにこの地での貴族連合と正規軍の戦いはひとまず終わるはずです……
ですから……その……ありがとうございました」
探して出て来た言葉は結局クリスとそう代わらないものだった。
そして、同じくガイウスからの返事はなく、エリゼは用意していた食事を置いて部屋を後にした。
「………………」
静寂が部屋に満ちる。
「…………ちがう……ちがうんだ……」
どれだけの時間が経ったか、ガイウスは一人懺悔するように頭を抱える。
「帝国人のせいじゃない……俺が浅はかで……愚かだったから招いたことなんだ」
猟兵は言っていた。
家族を人質にしてガイウスを、ゼンダー門攻略の足掛かりにすると。
自分がゼンダー門と交流していることを把握されていたことがウォーゼル家の襲撃の理由であり、そこにクリスは関係なかった。
「俺はあの時から何も成長できていないのか■■■……っ――!?」
口に出た言葉にガイウスは奇妙な頭痛を感じて――
「あの時? あの時とはいつの事を言っているんだ?」
口について出た言葉にガイウスは首を傾げた。