「サラ君、意志は変わらないのかね?」
トールズ士官学院、の学園長室でサラはヴァンダイク校長の前に立って確認の言葉に頷いた。
「はい……」
手を後ろ手に組んで立つサラはまるで一介の軍人の様な厳かな態度で頷いた。
「アームブラスト君の事で君が責任を負う必要はないと思うのだが?」
「いえ……前年の彼の担当教官でありながら、抱える“闇”に気付かない……
それどころか帝国解放戦線のリーダーとして暗躍していた事にも気付かなかった私にこれ以上、ここで教官として生徒を教え導く資格はありません」
決意の固いサラにヴァンダイクは肩を竦めて視線を机の上に落とす。
そこには“辞表”と書かれた封筒が一つ。それを提出したのは当然、今目の前にいるサラ・バレスタインに他ならない。
「アームブラスト君については君だけのせいではない……
偽造された入学願書、不自然な欠席……学院の教官の中には貴族連合の協力者もいた。責任を取るとすれば君ではなく私の方だ」
「それでもです」
全ての責任は学院長である自分であると主張するヴァンダイクにサラは首を横に振る。
「前年と今年度、私はクロウ・アームブラストを二度に渡り特別実習にジュライに赴かせています……
にも関わらず、彼の本当の出身に気付くことはできませんでした」
振り返れば不審な点はいくつもあった。
だが放任主義を理由にしてサラはクロウだけではなく、他の生徒達にも深く踏み込むのを理由を付けて避けて来た。
そのツケが回って来たのだとサラは思う。
養父を失った時と同じかそれ以上の罪悪感と虚無感。
クロウとちゃんと向き合っていれば、リィンとちゃんと向き合っていれば。
彼は道を踏み外さなかったかもしれない。
彼が命を懸けて帝都を守らなくて済んだかもしれない。
実際は《騎神》を持つ彼らの戦いにサラが介入などできるわけではないのだが、彼らの教官だった者として後悔ばかりがサラを苛む。
「…………そうか」
サラの言い分にヴァンダイクは頷く。
担当教官ではなくても、生徒の一人の心の闇に気付けなかった事はヴァンダイクも自分を責める気持ちはあり、サラの思いは良く分かる。
「分かった……これは受理しよう」
引き留めることは無理だとヴァンダイクは説得を諦める。
「申し訳ありません。ベアトリクスや学院長への恩を返せなくて」
「私達の事は良い。それよりも君はこれからどうするつもりかね?」
思い詰めた顔をしているサラの今後をヴァンダイクは尋ねる。
その質問にサラはバツが悪い顔をしながら答える。
「まだ……何も決めていません」
「フィー君は遊撃士になる事を視野に外国で修行するようだが、君は同行しないのかね?」
名目上、サラはフィーの後見人となっている。
ならば同行しても良いのではないかとヴァンダイクは提案するが、サラは首を横に振った。
「私が同行してしまえば、あの子の成長の幅を狭めてしまうと思います。それにあの子はとっくに一人で立てる子ですから大丈夫ですよ」
――大丈夫じゃないのは君の方だろう――
その言葉をヴァンダイクは呑み込む。
「とりあえずノーザンブリアに一度帰る……今はそれだけしか考えていません」
「そうか……」
自暴自棄にも見えるサラにヴァンダイクは頷くことしかできなかった。
まるでベアトリクスから伝え聞いた“少女猟兵”の姿。
サラはあの日の悲劇から立ち直ったわけではない。
ただ遊撃士となり、前を見続けることであの日の後悔から目を逸らし続けていただけ。
そして目を逸らし続けたあの日の後悔にまた立ち塞がれた。
「あまり思い詰めないことだ……重ねて言うが、アームブラスト君の事は君だけのせいではない」
「…………失礼します」
慰めの言葉を掛けて来るヴァンダイクにサラは頭を下げて学院長室から退出した。
「………………《Ⅶ組》は担当教官も含めて誰も残らなかったか」
その背中を見送ったヴァンダイクはサラの“辞表”に視線を落としてため息を吐いた。
「しかし、サラ教官が退職するとなるとどうしたものか……」
ヴァンダイクは傍らに控えておいた、サラに見せるはずだった来期の新入生の入学願書の一枚を取り出して唸る。
既に四月は過ぎてしまったが、今期の新入生はそもそも募集をして入学試験をしている余裕もなかった。
在校生は半年期間を延長して卒業させ、もう半年は休校にする事で内戦によるカリキュラムの調節をするつもりだった。
しかし、帝国政府から提出された新入生の願書の扱いにヴァンダイクは唸る。
そこには『セドリック・ライゼ・アルノール』と言う名が書かれていた。
*
「マテウス……お前もいい加減立ち直ったらどうだ?」
「…………」
ヴィクターの指摘にマテウスはいつものように口を噤む。
元々口数が多い男ではないが、今では輪を掛けて無口になっている。
「皇族の守護役を解任された事については残念だがいい加減切り替えろ」
「……そんな事出来るわけないだろ」
絞り出すようにマテウスはヴィクターの言葉に答える。
続く言葉はこれまで何度も繰り返した問答。
「何度も言うがお前を支配していた《呪い》と言うものは只人が諍えるものではない」
「そんな事が言い訳になるものか……私は陛下を救い出すこともできず貴族連合に良いように利用された……
その上でお前は二度と剣を握れない体になってしまったのだぞ!」
悔恨を叫ぶマテウスにヴィクターはため息を吐く。
「お互いに剣士なのだ。戦えば不幸な事故が起きてしまうのは覚悟の上だろ?」
「それはそうかもしれぬが……」
「それにあの決戦では確かに“大いなる騎士”が舞い降りて奇蹟が起きたかもしれないが、それでも亡くなった者は多い……
それを思えば私は恵まれている方だ」
カレル離宮の中で戦っていたが故に奇蹟の恩恵をヴィクターは受けることは出来なかった。
《機甲兵》に乗って受けた傷が癒えぬ内に、酷使した体は五体満足に見えて内側はボロボロ、医者には二度と剣を振れないとまで言われてしまった。
無論ヴィクターはそれに後悔はない。
戦い傷付くのは当然の成り行き、それが皇帝陛下を守り皇子殿下が進む道の“礎”となれたのならば、武の双璧として本懐とも言える。
もっともそれで納得できるのは役目を果たせたヴィクターの話である。
「お前はそれで良いかもしれないが……」
洗脳されて戦わされていた時の事を思い出すたびにマテウスは後悔と悔恨に苛まれる。
皇族の守護役でありながら、洗脳され体よく使われ、その末に共に研鑽して鎬を削って来たライバルと戦わされた。
剣士としての誇りを穢され、ヴァンダールの御役目さえ果たせず、挙句の果てには無傷で内戦が終わってしまった事にマテウスはただ恥じる。
「こんな役立たず、お前に斬られていれば良かったのだ」
「そう悲観することはない」
「しかし――!」
「医者には確かに二度と剣は振れぬと診断されたが、領地を運営するには支障はない……
それにここの温泉に通うようになって体の調子が良くなっている気がするのだ」
「…………そんな気休めなど……」
俯き猛省するマテウスにヴィクターはため息を吐く。
彼の妻から聞いた近況報告では、パルムの立て直しのために尽力しているがそれ以外では塞ぎ込んでいたらしい。
レグラムの領民に送り出されて、新しく開拓された《温泉郷ユミル》にマテウスを強引に誘った。
今は不貞腐れているが、精神の調子は回復しているのか。パルムで顔を合わせた時よりも顔色が良いように感じる。
「気休めではないのだがな……」
足を湯に浸らせながらヴィクターは周囲を見回す。
以前のユミルから更に高い土地に造られた郷はまだ開発は途中。
二本のロープウェイを乗り継ぐ必要がある高所にあると言うのに高山の特有の息苦しさはない。
それどころか空気が澄んでいるのか、一呼吸する度に傷んだ体が内側から癒されるように感じる。
大気だけでもそう感じ、温泉に入ればそれはより顕著にヴィクターは癒されていると感じ、もしかしたらと期待を胸に秘めている。
「これも“大いなる騎士”の御加護だろうか」
ヴィクターは振り返り、目立つ若木に目を向ける。
それは普通ではない樹だった。
ノーザンブリアの“七耀石の柱”やオルディスの“七耀石の壁”とも違う、まるで本物の植物の様に枝葉を広げた若木は神秘的で幻想的。
武芸一辺倒で美術に疎いヴィクターであってもその色とりどりの結晶からなる若木には目を奪われて感嘆してしまう。
「むっ……」
「ん……どうしたマテウス」
未だに晴れない曇った表情でマテウスは徐にあらぬ方向を振り返る。
釣られてヴィクターもそちらを向けば、ロープウェイの乗り場から真っ直ぐこちらに歩いて来る人物が三人。
一人はこの温泉郷ユミルの領主、テオ・シュバルツァー。
その隣に並んで歩く老人と、二人の邪魔をしないように一歩引いて歩いている白銀の髪の少女。
「――強いな」
その二人を油断なく見据えてマテウスは呟く。
「ああ、その通りだ」
ヴィクターは頷きながら足湯から上がり、軽く身支度を整える。
「お久しぶりですユン老師」
「うむ、そちらも息災――とは言えんようだが元気そうで安心したぞアルゼイド子爵殿」
気安い挨拶を交わし、ヴィクターはまずマテウスに老人を紹介する。
「マテウス、こちらは“八葉一刀流”の開祖と名高いユン・カーファイ殿だ……
ユン老師、こちらはヴァンダール流の当主、マテウス・ヴァンダールです」
「《八葉》の……御噂は聞いております。お会いできて光栄です」
「それはこちらの台詞じゃ。帝国の双璧、《雷神》と《剣匠》と揃って顔を合わすことになるとはのう……これも女神の導きと言うものか」
マテウスは礼を尽くし、ユンは感慨に耽る。
「ところで老師、そちらのお嬢様は?」
ヴィクターはユンが従えている少女に目を向ける。
「初めまして、私はシズナ・レム・ミスルギと申します」
貴族顔負けの礼儀正しい挨拶と振る舞いでシズナは二人に頭を下げる。
だが、そんな雅な仕草であっても彼女の眼光は隠し切ることはできず、ヴィクターとマテウスは値踏みされていることに気付く。
「こやつはわしの裏弟子での、ユミルに行くと言ったら一緒に行くと言って仕方なく連れてきたのじゃ」
「そうでしたか、しかしテオ殿。ユン老師がいらっしゃるなら一言教えてくれれば良かったのに」
数日前からユミルに滞在しているヴィクターはテオに向かって意地が悪いと苦笑する。
「いや私もユン老師が来ていると聞かされたのは下のロープウェイからの報告でだったんですよ」
ユン老師はいつもふらりとやって来るのだとテオは苦笑する。
「しかしここが新たなユミルか……」
ユンはかつてのユミルの事を思い出しながら周囲を見回す。
「凄い場所だね……暖かな想念が満ちていて……それにあの樹……」
まだ開発は途中であるものの清涼な空気が満ちる郷に感心しながら、存在感がある神秘の若木にシズナは目を細める。
「斬るでないぞ」
「やだなぁ老師ってば、そんなことしないよ?」
「これはこれはなかなかのじゃじゃ馬のようですね」
短い相対ながらもヴィクターはシズナの気質を読み取り苦笑する。
「もう少しお淑やかに育ってもらいたかったのだがのう……」
ユンはため息を吐き――
「え……?」
脈絡なくテオが声を漏らして周囲を見回した。
「どうかしましたかテオ殿?」
不自然な彼の動きにヴィクターが尋ねる。
「いえ……今、誰かの声が……」
困惑するテオに対して、ヴィクター達は顔を見合わせる。
ここにいるのは猛者達ばかり、テオが聞いた不審な声を誰かが聞き逃すことなど万に一つもないのだが、それを聞いた者はテオしかいない。
「テオ殿……その声とはどんな――」
聞き返した瞬間、結晶の若木が光りを放つ。
「っ!?」
「テオ殿!?」
「こ、こんな事今まで一度も……」
結晶の樹の突然の発光にテオを何が起きているのか分からず困惑する。
だが胸騒ぎを感じてテオは駆け出していた。
それにヴィクターやユン達も続く。
かつて帝都の異変を救った《零の騎神》が現れた結晶の樹の根元。
そこで彼らが見つけたのは、一人の黒髪の少年の姿だった。
テオが聞いた言葉は――
-
A「ミツケテ」
-
B「開けゴマ」