クロイツェン州、交易町ケルディック。
クロイツェン州にとって大陸横断鉄道と接するその町は盛んな交易で賑わう町である。
特に注目するのは町の中央にある大市。
クロイツェン州に留まらず各地の商人が集まり開催される市場は毎週大きな賑わいを見せていた。
しかし、その大市は周囲の仮設店舗は片付けられ、中央には広々とした台が設置されていた。
「いやー、あれが昔話に出て来る断頭台というやつか、実物は初めて見るが中々に壮観だね」
「ア、アンゼリカ先輩。何を呑気にしているんですか」
前に手を拘束されながら、台の下からそれを見上げてアンゼリカは場違いな軽さで笑う。
そんな彼女の様子に蒼褪めた顔でパトリックが反論するものの、その声は小さく、周囲の騒音にかき消されてしまう。
「聞けば領邦軍の倉庫の奥で埃を被っていた一品だそうだ。もしかしたら獅子戦役の頃、オルトロス偽帝を処刑したものかもしれないね」
「だから……何でそんなに呑気にしていられるんだ……
くそっ……こんなことなら学院から逃げ出さなければ良かった……」
オズボーン宰相の狙撃から始まった貴族連合の各地の重要拠点の襲撃。
トールズ士官学院もその例にもれず、迎撃に出撃した教官やⅦ組達を退けた貴族連合が行ったのは旧校舎の破壊だった。
旧校舎を破壊する砲撃を本校舎に向けたものと勘違いした生徒達や避難していたトリスタの市民たちは慌てて学院から脱出することになり、パトリックもその内の一人だった。
何の準備もなく外に投げ出され、パトリックは自身の故郷であるセントアークを目指そうとした道中で正規軍に保護された。
彼と同じように正規軍に保護された者は多く、最初は貴族の子女だからと言っても酷い対応はされなかった。
正規軍の様子が変わったのは、数日前の導力ラジオで放送されたセドリック皇子による宣言の直後だった。
「正規軍があの放送を聞いたのなら、この反応も理解できるよ」
「ですが、オズボーン宰相を暗殺した真犯人が貴族連合だなんて革新派のでっち上げに決まってる」
「いいや、残念だがそれは真実だ」
頑なに認めようとしないパトリックにアンゼリカは目を伏せて首を横に振る。
「そんな……」
「オズボーン宰相にガレリア要塞襲撃におけるテロリストの手引き、それだけではない帝都で暗黒竜を蘇らせたことさえ、貴族連合によるものだったのだよ……
その全ての罪をあろうことか、セドリック皇子の偽物を使い、オリヴァルト殿下やクリス君に擦り付けようとしている厚顔無恥さ……
その筆頭に私の父がいると思うと恥ずかしさに首を吊りたくなるね」
「アンゼリカ先輩……」
ブラックジョークを口にするアンゼリカにパトリックは頭痛を感じる。
ジョークの内容はともかくそれは決して他人事ではない、四大名門としてセドリック皇子を支持しているハイアームズ家もまた正規軍の怒りの矛先が向いているのだから。
「…………どうして……先輩はそんなに落ち着いているんですか?」
壇上の下、舞台の裏であるそこからは表側の集まっている市民の顔は見ることはできない。
しかし、それでもこの公開処刑を一目見ようと大市を埋め尽くす人で埋め尽くされ、至る場所から貴族への恨み言が聞こえて来る。
「さあ……どうしてだろうね……」
重税に次ぐ重税。
その使い道が機甲兵であり、オズボーン宰相の暗殺、さらには帝国解放戦線の活動資金として流れていたという真実にクロイツェン州の民の怒りは爆発している。
彼らにとっては他領の貴族だと言う事はもう大きな問題ではない。
積み重なった不満の爆発。
クロイツェン州には元々その兆候があり、鬱憤を晴らすのにちょうどいい貴族がそこにいた。
さらに言えば本来ケルディックを護る領邦軍が第四機甲師団の猛攻に早々に撤退をしたこともその一因だと言えるだろう。
「お喋りはそこまでだ。上がれ」
「ようやく出番かい」
軍人の演説が終わってアンゼリカ達は壇上に登れと導力ライフルを突き付けられて促される。
「ひっ――」
「やめたまえ、君も帝国男児ならそんな脅しを――」
「黙れっ!」
銃口に体を竦ませるブリジットの前にアンゼリカは臆することなく割り込み、次の瞬間には銃床で殴られていた。
「ぐっ――」
「アンゼリカ先輩っ!」
「――私は……大丈夫だよ。子猫ちゃんたち」
庇われたブリジットとまじかで振るわれた暴力に悲鳴を上げそうになる貴族の子女たちにアンゼリカは倒れそうになる体を堪え、笑顔で彼女たちに振り返る。
「さあ、壇上に行こうか。ここで愚図ってしまったら怖い兵士さんたちに処刑の前に撃たれかねないからね」
身体を竦ませている貴族の子女たちにアンゼリカは少しでも時間を稼ごうと言わんばかりに促す。
「アンゼリカ先輩……」
「さあ、君も――」
最後となったパトリックを急かし、アンゼリカも壇上に上がる階段に足を乗せ――
「ハイアームズ。ログナー。そのまま聞け」
階段の脇に控えていた兵士が視線を固定したまま、二人に一方的に話しかける。
「広場にレンハイムとオルランドがいる。混乱が起きた時、生徒達はお前達が冷静にさせろ」
「きょ、教官――」
「さあ、早く早く」
聞き覚えのある声に振り返り問い質そうとしたパトリックの背を押してアンゼリカは壇上へと上がる。
「ほう……これは予想以上に壮観な眺めだ」
大市だった場所を埋め尽くす人、人、人。
「貴族を許すなっ!」
「俺達は戦争をするために税金を払っていたんじゃない!」
「お前達のせいで何人の人が死んだと思ってやがるっ!」
途切れることのない罵詈雑言に流石のアンゼリカも足が竦む。
ログナー家もハイアームズ家も別の地区の領主のため、彼らの言葉は的外れに過ぎないのだが決して他人事では済まない問題でもある。
「今日、この日! 我々は帝国の悪しき文化と決別する! これは私たち平民の貴族共への宣戦布告である!」
壇上の代表者の言葉に広場の市民たちは歓声を上げる。
「さて、誰から裁かれる? 特別に順番くらいは選ばせてやるぞ」
アンゼリカ達の背後から死刑執行人が言葉を掛ける。
「無論、私が最初だろう」
男の言葉に一斉に震え上がる同級生や後輩たちを横目にアンゼリカは気丈に名乗りを上げる。
先程の言葉があっても、断頭台の最初になる立候補をするのには大きな恐怖がある。
だが四大名門の子女として下の者達への示しと貴族への不満を爆発させた平民の怨嗟と向き合う責任からアンゼリカは畏れながらも歩み出る。
「しかしクリス君とシャーリィ君の二人か……個人的には白馬の王子様はトワを希望するのだが、ままならないものだね」
アンゼリカは弁明することさえ許されず、断頭台の前に座らされて――
「シャーリィ」
「りょーかい!」
アンゼリカが断頭台に括りつけられようとするその瞬間、民衆は固唾を呑み込むように静まり返り、その中で二人の少年と少女が動き出し――
「待ちやがれっ!」
その静寂を破る声が響き渡った。
正規軍の、民衆の、そして今まさに動き出そうとした者達も、全員が一斉に振り返り、大市の入り口に立った少年を見る。
「誰だ貴様は!?」
壇上の軍人は刑の執行を邪魔され不快そうに顔をしかめて尋ねる。
「その処刑をすぐにやめろって言ってんだ! こ、こんなの間違ってる!」
数千の視線に気押され震えながらも緑の士官学院の制服を着た少年は叫んで抗議する。
「…………アラン……」
「わお……良い度胸してるじゃない」
クリスはフェンシング部の仲間の登場に目を疑い、シャーリィは荒ぶった民衆たちを前に正面から挑むその姿に思わず笑みを作る。
「やめろだと!? 見たところ君は士官学院の平民生徒のようだが、ならばこいつら貴族の悪辣さは分かってるはずだ!」
「ふざけんな! そいつらと内戦を起こしている貴族は関係ないだろ!」
「無関係なはずないだろ! こいつらの親が起こしたんだ!」
「だったらこいつらも同罪だ!」
「平民のくせして領邦軍の手先が!」
「この裏切り者!?」
一つの言葉を言い返すアランに対して民衆たちが一斉に反論し、更には石を投げる。
「っ――」
「させないよ!」
けたたましいエンジン音が威嚇するように鳴り響き、アランに向けて投げられた石つぶてがシャーリィの一閃に弾き飛ばされる。
「お前――オルランド!?」
「何をしているんだシャーリィ!?」
民衆の前に飛び出してアランを庇ったシャーリィに遅れてクリスもまた彼女の隣に立って魔剣を構える。
「クリス!? お前無事だったのか!?」
シャーリィに続いて行方知らず、しかも帝国全土に指名手配をされた部活仲間の登場にアランは目を剥いて驚く。
「話は後にしてくれアラン。それよりシャーリィ」
段取りを狂わせたシャーリィを咎めるように横目でクリスは睨む。
「ごめんごめん、でもこっちの方が面白そうって感じたからさ」
“テスタ=ロッサ”を持ち替えてシャーリィは掴みかかって来ようとする暴徒に火炎放射をチラつかせて威嚇する。
「ほら、こいつらはシャーリィ達が引き付けて上げるから続きを言いなよ」
「オ、オルランド……」
シャーリィに促され、アランはたじろぐ。
そこに壇上から悲鳴のような声が響く。
「何をしているのアランッ!?」
「ブリジット……」
「何をしに来たの! 自分が何をしているのか分かっているの!?」
身が竦む狂気に身を震わせながら、ブリジットは無謀な幼馴染を責めるように問いかける。
「何をって……そんなのお前を助けに来たに決まってるだろっ!」
「そんなこと望んでない!」
幼馴染の真っ直ぐな言葉にブリジットは拒絶を示す。
「これは私の……貴族の問題なのよ! 貴方は関係ない! だから帰って!」
「そんなことできるわけないだろ!
だいたい責任って何だ!? ブリジットの親父さんが内戦に関わっていたとして何でお前が処刑されなくちゃいけないんだ! そんなの間違ってるだろ!?」
「でも……」
「おい! 余計なことを――ぐえっ!?」
「余計は君の方だよ」
ブリジットを黙らせようとする軍人をアンゼリカは身体ごと体当たりをして押し倒し、その上にのしかかる。
「…………もしかして勘違いしているの?」
何かを決意するようにブリジットはアランを蔑むような眼差しを向けて叫ぶ。
「貴方は幼馴染だけど、平民の貴方が私と釣り合うとでも思っていたの!
最後だから教えて上げる私はアラン……貴方のことが……貴方の事がずっと前から大嫌いだったのよ!」
その叫びは静まり返った広場に木霊する。
拒絶の言葉にアランは思わず押し黙り、唇を噛む。
「アラン……」
「うるせえ、余計なことを言うな」
気遣って来るクリスの言葉に振り返らずにアランはそのまま一歩前へと歩き出す。
「お前が俺を嫌っているならそれでも良い……それでも俺はお前を助けるっ!」
「アランッ! だから私は――」
「らしくないこと言ってんじゃねえよ! お前のへたくそな嘘なんかに騙されるわけないだろ!」
アランの一喝にブリジットは怯む。
「ど、どうしてそこまで……」
「どうしてって……それはお前が……俺のす――幼馴染だから」
「そこで日和るなよ」
「ぶーぶー、今更退くなよ」
口ごもるアランにクリスとシャーリィの野次が飛ぶ。
「幼馴染って言うだけで、この公開処刑に乗り込むなんて、どう思うシャーリィ?」
「幼馴染程度の間柄でそこまでするってアランってばバカなの?」
「おい……お前ら……」
好き勝手な野次を言う背後の二人にアランは体を震わせる。
「お、幼馴染だから何だって言うのよ! 身の程を弁えなさいこの平民っ!」
「ほら、ちゃんと言わないから」
拒絶を返すブリジットの言葉にクリスは咎めるようにアランの背に白い目を向ける。
「っ――この野郎……覚えておけよ」
アランはクリスを一睨みしてから振り返り、深呼吸をする。
「ブリジットッ!」
その声は広場に大きく響く。
続く言葉を何にするか、多くの言葉がアランの脳裏に浮かぶ。
「っ――アラン、お願いだからもうやめて……」
その言葉はこの期に及んで命乞いを一つもしない気高い少女の顔を見て吹き飛んだ。
「ブリジット……俺はお前が好きだ」
「っ――」
「貴族とか平民とか関係ない……お前の事がずっと前から好きだった……」
学院で再会した時からずっと溜め込んでいた言葉はアランが思っていた以上にあっさりと口に出ていた。
「な……な……」
「だから俺は誰がなんと言おうがお前を助ける。例えお前が俺のことを嫌いでも関係ないっ!」
アランはそう言うと携えた剣を抜き、貴族の処刑を見るために集まった民衆の中へと踏み込む。
「かかって来やがれっ! 邪魔する奴は容赦しねえぞ!」
大市を埋め尽くす民衆に向かってアランは啖呵を切り――
「って……は……?」
覚悟していた群衆からの暴行はなく、むしろ広場の中央の処刑台まで開いた道にアランは目を疑う。
「信じられないわね……」
大市を見渡せる木の上に陣取っていたセリーヌはその光景に目を疑う。
憎悪と怨嗟の坩堝と化していた広場は一人の青臭い若者の気に当てられて清浄なものへとなりつつある。
「これが“愛”ですわね」
「なるほどこれが“愛”か」
いつでもティルフィングを呼び出せるように待機していたガイウスはアルフィンの言葉に納得したと言わんばかりに頷く。
素人目でも取り巻く空気の変化が理解できるだけに否応なく、その後の展開の期待に胸を躍らせる。
貴族と平民。
互いにもう滅ぼし合うしかないと思われていた状況の中で投じられた一石。
貴族の死を望んでいた民衆は愚直な少年の結末を見届けるために、道を譲る。
「なっ……」
魔が差した、箍が外れた。
そんな言葉がアランの脳裏に過り、集中する数多の視線に先程とは別種のプレッシャーを感じてアランは剣を構えたまま立ち竦む。
「早く行けって」
焦らすアランの背をクリスが押す。
「っ……」
クリスに恨みがましい視線を送りながら、アランは恐る恐ると言った様子で民衆が作った道を歩き出す。
「くっ――それ以上近付いたら――」
「やめろ」
壇上の前で警備についていた軍人が近付いて来るアランに銃口を向けるものの、ナイトハルトがそれを制止する。
そうして誰にも邪魔されることなく、貴族を処刑するための壇上に上がったアランは四大名門の子女達に目もくれずブリジットの前に立つ。
「ブリジット……」
「…………アラン」
見つめ合う二人を周りの者達は固唾を飲んで見守る。
「俺はお前の事が好きだ」
やはり口に出た言葉はシンプルなものだった。
それに対する答えは――
「……………………はい」
ブリジットは顔を赤くし俯き、か細い声で頷いた。
次の瞬間、大市を埋め尽くす歓声が響き渡った。
内戦が始まって一ヶ月。
荒む一方の空気の中で生まれた貴族と平民のラブロマンスに群衆は本来の目的を忘れて沸き立つ。
貴族の処刑を遂行する空気は払拭され、祝福の言葉が飛び交う。
そして――ケルディックの空を真紅の神機《アイオーンK》が舞い、破壊の雨を降らせるのだった。
原作で思いましたが、スカーレットはあの生い立ちでどうしてケルディックの焼き討ちを行ったヘルムートを容認したんでしょうね?
確認したら嘆いてはいたけど、それ以上のことはしてないんですよね。
オズボーンの狙撃で燃え尽きて死に場所を探していたことを差し引いても、スカーレットの家族に降り掛かった不幸以上のことをケルディックに強いた側にいたので同情心がなくなったんですよね。
せめてルーレでのボスだったなら……
それともこれがあったから復活したオズボーンに対して再起しなかったのだろうか?