『ごめんね、好きだったのにサポートしてくれて』
一花に話をすると言って飛び出した三玖を見送ったあと、四葉は姉の謝罪を思い出していた。
四葉からしてみれば謝られるようなことはない。自分だけの思い出としてした彼への口付け。事故で生じたものとはいえど、風太郎に迫ったのは事実だ。
唯一の妹に託された役割なんて忘れて、ただ、彼と───
『心が迷子になって自分の気持ちがわからなくなることは、誰にだってあるの』
四葉も気づいている。こんなのはただ、自分を正当化するための言い訳でしかないということに。好きな男と口付けを交わすことが、嫌なわけがないのだ。
自分の恋において、周りに知られなければ陰で何をしてもいいというのは恋を知らない五月を除き姉妹共通である。どれだけ姉妹の仲を気遣おうと、五つ子の絆を語ろうと、そんなことは関係ない。一花から四葉まで、例外などひとつもない。
「私は、無理だよ……」
涙がこぼれそうになる。晴れやかな表情で駆け出していった三玖が、四葉には理解できない。謝罪を受けて彼との口付けを思い出してしまったからこそ、想いが溢れてしまうのだ。もう二度と、その時は訪れないと。
四葉にとっての特別である、風太郎。いつからは思い出せなくとも、ずっと前から好きなのだ。四葉は自分の風太郎への想いは誰よりも強いと、そう信じて疑わない。なのに、またしても一花に取られてしまった。
現実を受け止められず、心が沈む。ここにいてもしょうがないと思い、四葉は重い足取りで部屋を出る。
「……懐かしいな、ここ」
小学生時代の修学旅行で泊まった、旅館までの道。四葉はひとりこの場所を訪れていた。彼女が考えていることは、ただひとつである。
(どうして……)
風太郎に恋心を寄せる四葉は、未だショックから立ち直れていない。自分の気持ちに素直になろうと決めた矢先に、風太郎には彼女がいるという三玖の言葉。
懐かしの京都での修学旅行だというのに、こんな暗い気持ちになるとは思ってもいなかった。たしかに、風太郎が誰を応援しても応援すると誓った。自分で言った言葉を、四葉は覚えていないわけがない。
それでも、こんなに早くその時が訪れるとは予想できなかった。しかも、相手は一花。四葉が五つ子の中で、一番意識していた長女である。
(どうして、一花なの……)
四葉にとって一花とは、幼いころに自分に意地悪をしていた姉の印象が強い。風太郎との時間を奪った彼女を見て、四葉はリボンを付けるようになったのだ。
もちろん今の一花はそうではないことは理解しており、一花が姉であるがゆえに抱えていた彼女の葛藤を包み込んだことがあった。だが、それでも子供のころに抱いた印象というものは切り離せない。いつまでも記憶に残り続けるものなのだ。
(いやだよ……受け入れたくない……)
現実を直視できず、四葉はただただ落ち込むばかりであった。心のざわつきは一向に治らない。こんなメンタルで祝福なんて、納得なんてできやしない。沈みきっている四葉は、なんとか心を安心させる材料を捜さんとする。
そして浮かんだ、ひとつの疑問。
(上杉さんは、知っているのかな。昔の一花は優しくないってこと。そして今の一花は、その昔私に意地悪してた時と同じような感じだってこと)
他の姉妹も昔の一花は横暴という一面があることを把握しているが、風太郎はそれを知っているのか、四葉にはわからなかった。隠している一面があるまま結ばれるなんて、そんなのは変な話だ。他の姉妹も、今の一花に昔の姿を重ねている。
(そうだ。間違いなく一花は、自分を隠してる)
昔の一花への印象から、四葉は結論付けた。彼女は仮面を被って、風太郎を騙していると。
先ほどは落ち込んでいた三玖を放っておけなかったがゆえに、彼女のフォローに徹した。ゆえに三玖の一花への評価も否定することはなく、四葉自身の間違いも話すことで、三玖を立ち直らせることができた。当然、その時の言葉には嘘はない。一花が嫌いということはなく、彼女もまた間違えた四葉を救ってくれた姉だ。
だが、一度火がついた四葉の心はもはや制御が効かない。風太郎はそうだと思いもしないが、元々二乃と同等に自分の欲求に素直で暴走しがちな四葉。三玖は受け入れていたが、自分は違う。納得できる要素がない以上、一花を認めるわけにはいかない。
(……私が、なんとかしないと。一花に騙されてる、上杉さんのために。そうすれば、もしかしたら───)
いくら姉として立派であろうと、勉強と仕事を両立していようと、彼女にとって一花はどこまでも自分に意地悪な姉で、なにより風太郎を奪った女なのだ。
一花の裏の顔について伝えなければならない。そんな使命感を心に秘めつつ、四葉は風太郎に連絡を取ろうとスマートフォンを取り出す。
四葉は気づいていない。黒薔薇女子高校から転校した際に心に誓った、姉妹のために生きるという在り方を、完全に忘れていることに。所詮四葉のそれはあっさり崩れ去る薄っぺらい信念でしかないことに。風太郎を気遣うような言葉を並べつつも、それは自分の心の穴を埋めるための材料でしかないことに。
そして、真実を隠して風太郎に良い顔をしているのは、旭高校で風太郎と再開してからの自分も当てはまるということに。
「よう。薄々予想はしてたが、やっぱここにいやがったか」
風太郎に連絡を取ろうとした四葉の背後からかけられる声。それは彼女の心を満たしてくれる少年のもの。四葉は振り向き、彼の名を口にする。
「上杉、さん」
「おう、何黄昏てんだよ。お前ひとりか?」
「は、はい」
「ちょうどいい機会だ。四葉、お前に話したいことがある。今時間いいか?」
「…………」
会話の内容は想像がつく。間違いなく一花との関係のことであろう。四葉はこの機会に打ち明けて、風太郎の一花に対する評価を改めさせるべきだと判断した。
「いいですよ。でも、私からも確認させてください。一花のこと、なんですよね?」
「あぁ、話が早くて助かる。俺は一花に告白されて、一花と付き合うことになったんだ」
「……そう、ですか。一花を選んだんですね」
あっさりと告げられる結論。平常心を保つことが苦しい。だが、ここで怯むわけにはいかない。
「たしかに一花はとても立派です。でも、今の一花は本当に上杉さんが好きになった一花なんでしょうか」
「……どういうことだ?」
「今の一花は、優しいお姉ちゃんの一花じゃないんです。みんなも間違いなく、そう思って───」
「なんだそんなことか。あいつから聞いたよ。お前、昔は意地悪されてたんだってな」
「!?」
早くも効力を失った切り札。四葉は動揺を隠せない。
「なんだよ、知らないと思ってたのか? 一花が自分から話したんだよ。俺のことが好きだからこそ打ち明けたいってな」
「嘘……嘘ですっ! 一花がそんなこと、するわけ……!」
焦りが生じ、四葉は風太郎の言葉を否定する。想定しない展開に、慌ててしまう。
そして、風太郎はすぐに気がついた。四葉が一花との恋人関係を、良く思っていないことに。誰を好きになっても全力で応援すると語っていた彼女が、一花の評価を下げるようなことを口にしているのだ。今も風太郎の言葉を信じようとしていない。
そんな普段とは違う四葉に、風太郎が違和感を覚えないわけがない。四葉は本心を隠しているのだと確信した。
(なら、攻め方を変えてみるか)
そこで風太郎は、四葉の心の内を引き出すために、適度に本心を交えた一芝居を打つことにした。
「お前がどう思うかは自由だが、俺は嘘はついていない。そして、一花と恋人関係になった以上、お前に伝えておかなくちゃいけないことがあるんだ」
「へ……な、なんですか?」
「俺はお前たちに教師として節度をもって接するっていう、親父さんとの約束をやぶっちまった。だから、もうお前の家庭教師はできない。これからは一人で頑張ってくれ」
「えっ」
「それだけだ。じゃあな」
「やっ、やだっ、待ってくださいっ! どうしてそんな、いきなり……!」
立ち去ろうとする風太郎へと駆け寄り呼び止める四葉。理由は当然、風太郎が離れるからだ。彼との繋がりが無くなることを、四葉は避けたかった。
そして、懇願するような四葉の瞳を見て、風太郎は確信する。間違いなくこの少女だ。
「なんだよ、三玖から聞いたんだろ? 俺と一花が付き合うことになったって。お前、全力で応援するって言ってくれたじゃねぇか。さっきから昔の一花について話そうとしたり、全然嬉しそうに見えないが……気が変わったのか?」
「………………」
「俺、本当に自分を必要としてくれているやつと出会えた。四葉にはちゃんと伝えたかったんだよ。お前にもたくさん、感謝の気持ちがあるからな」
これは風太郎の本心である。彼女との出会いがすべてのきっかけなのだ。五つ子一のトラブルメーカーではあるが、四葉への感謝は一度たりとも忘れたことはない。
もっとも今となっては、そんな四葉すらも生徒でいられないというなら無理に引き止めることはない存在なのだが。四葉がこのまま自己保身を優先し体裁を保つつもりだというのなら、風太郎は彼女のことは諦めるつもりでいる。すでにクビになる覚悟も決めている以上、生徒がいなくなることは重々承知の上だ。
「っ……それは、ありがとう、ございます。でも、どうして、家庭教師を辞めるなんて……」
「そりゃあそうだろ。さっき言った通り、お前たちの親父さんと約束してたってのもあるが……四葉の反応を見る限り、このままお前に生徒でいてもらうのは残酷なことなんじゃないかって思うしな」
「……そんな……」
だが当然、できることならそんなことはしたくない。借金返済が困難になるとかそういう問題ではないのだ。一度は風太郎自ら家庭教師を退任した以上、戦う覚悟は決めている。
彼女の心に余裕がないことは、すでに風太郎は見抜いている。だからこそ四葉にも心から納得してほしい。自分の心と向き合わせて、成長につなげる。教師として感謝の気持ちがあるからこそ、為さねばならないことだ。
そんな信頼と期待を寄せてくれる、友達の存在。一花だけでなく、五月も間違いなく風太郎の支えなのだ。
「俺は一花が好きだ。あいつと一緒にいるためなら、俺は家庭教師をクビになっても構わない。そう思うほどに一花は、俺にとって大切な存在なんだ」
「…………」
「だけど、だからといってお前たちを蔑ろにしたくはない。できるならお前にも心から納得して、俺たちを受け入れてほしいんだ。もしお前が、まだ俺に教師でいてほしいと思ってくれる気持ちがあるなら……俺の話、聞いてくれないか?」
「…………わかり、ました」
別の意味で、風太郎にとって特別な四葉。別れを告げたあの頃から、成長したことを伝えたいのだ。
「でも、まず私の質問に答えてください。どうして、一花なんですか」
「俺があいつの笑顔を守りたい、そう思ったからだ。一花はずっと姉として頑張っていた。あいつの心に触れた俺は、あいつは姉であるがゆえに抱えていたジレンマ……ずっとひとりで、誰にも頼れないことに気づいたんだよ。俺は不思議とずっと前から、あいつの笑顔の区別はできるんだ」
「……っ」
三玖の時と言い回しは若干違えど、風太郎の本心である。永遠にとは言わずとも、出来る限り一花が多くの時間を心から笑顔で過ごせるように、風太郎は彼女の隣で共に歩んでいきたいと思っているのだ。
もう二度と、一花に気持ちを押し殺す作り笑いを浮かべてほしくはない。どこか悔しそうな四葉を尻目に、風太郎は続ける。
「一花は、母親が亡くなるまではわがままだったって自分で言っていた。でも、いくら意地悪であっても、妹を想う心があるから一花は姉として変わろうと決めたんだって、俺は信じている。実際に俺は、一花がひとりで誰にも頼らずに戦う姿を見てきたしな」
「…………」
「そんな一花が、初めて姉としてではなく、自分の幸せを願った。そのために最初は間違えて自分の恋を叶えるために変装したり、妹の気持ちを利用したりしたらしい。俺も驚いたし誰が見ても良くないことではあるけれど、幻滅はしなかった。俺だってたくさん間違いを犯したし、それに今までの一花の頑張りが消えるわけじゃないしな」
一花への気持ちを語り続ける風太郎。四葉の心境は依然として複雑だ。四葉自身、最近までの一花は五つ子のリーダーとしてふさわしいと思っている。変わっていった一花を、四葉は家族として目に焼き付けてきた。
だが、今までの功績が消えるわけではないとはいっても、今までの悪行もまた消えはしない。四葉にとって一花は意地悪な姉という先入観がある以上、この考えは覆すのは困難である。
しかし風太郎に必要以上に悪く思われたくないがために、四葉は本心である不満を口にはできず、ただ苦い表情で彼の話を聞くだけだ。
「とにかく、俺はあいつと心を通わせて、本音で語り合った。一花の悪い側面を知った上で、俺はあいつを受け入れたんだよ」
「……なんで? 知っていて、どうして……」
「……まぁ、意地悪されてた立場からすりゃ、納得できねぇよな。あいつのしてきたことを水に流してやれとは言わねぇよ。お前の苦しみはお前にしかわからない。四葉は四葉だ。お前の辛い感情を姉妹のために無理矢理飲み込めだなんて、そんなのは苦しすぎるだろ」
「! だったら、一花とは───」
「……でもな、四葉。一花もずっと、お前と同じことをやっていたんだぜ。ほんの少し早く産まれた、たったそれだけの理由で母親が死んでからつい最近までずっと、お前たちに心の弱みを見せまいと姉としてあり続けていたんだ」
「……え……」
切なげな風太郎の眼差しと声に、四葉は間の抜けたような声を出してしまう。風太郎の一花への愛が、四葉にも伝わってしまう。
風太郎の指摘は正しい。家族旅行二日目の夜、泣いていた一花。気分転換に一緒に屋根に連れて行った時も、最初は心配をかけさせまいと強がっていたのは四葉も覚えている。
でも、だからといって姉でない一花を認められるわけではない。それに、四葉もまた、姉妹のために生きると決めたのだ。我慢しているのは一花だけではない。ならばその愛を自分にも向けてくれたっていいだろうと、四葉は思わずにはいられない。
「だけど、その結果生まれたのがあいつの強がり、作り笑いだ。もしも俺が一花の作り笑いを見抜けなかったら、ずっとあいつは姉としてあり続けて誰にも甘えることができないままで、いずれ心が折れていたんじゃないかと思う。まぁ、悩みがあるのは一花だけじゃないんだろうがな」
「…………」
「姉として弱音を吐いたりできない一花は、お前たちの誰にも甘えられない。お前だって今年からのアパート暮らしで、一花の姉としての頑張り、時には無茶しがちなところは目の当たりにしてたんじゃないか?」
「っ……」
「だから俺は一花に言ったんだ。俺の前だけでは我慢しなくていいって。長男である俺には、長女の一花の気持ちがわかる。俺はあいつが心から笑顔でいられるように、支えてあげたいんだ」
風太郎の主張が理解できないわけではない。だが、納得なんてできない、したくない。理屈どうこうではなく、四葉にとって一花は意地悪な姉なのだから。
心が苦しさでいっぱいの四葉はとうとう体裁すらも投げ捨てて、一花を否定する。
「……言いたいことはわかります。だけど、そんなのは私の知ってる一花じゃありません。今だって私にいつも、部屋の掃除をさせてます! お姉ちゃんなのに私がいるからって甘えて、自分で片付ける努力もしないで!」
「ん? でも俺だってらいはにいつも家事全般任せきりだぞ。あいつにだらしない一面があって、それを改善できないっていうのは確かに欠点だが、全部が全部ひとりでできるなら苦労しねぇよ。妹に甘えてるのなんざ俺も同じだ。ていうか不満があるなら堂々とあいつに言えよ」
「っ……だ、だけど、一花は長女なのに! 本来は一花が、私たちのお手本として頑張らなくちゃいけないのにっ!! 一花が意地悪しないで昔からずっと理想の姉でいてさえくれれば、私はあんなこと考えなかったのにっ!!」
「そうか、お前は姉っていうのはそうあるべきだと思ってんのか。なら俺も同罪だな。俺も一花と同じように、家族より自分の幸せを求めちまったんだから。俺と一花は長男、長女として失格。ある意味お似合いだと思わないか?」
「! そ、そうじゃ、なくて……でも、一花は、一花は───」
「四葉」
言葉を遮る風太郎。今の風太郎には四葉の自己保身が透けて見えてしまう。一花と結ばれたことが嫌なのに、その決定的な一言を口には出さずに風太郎の一花への気持ちを変えさせるような言動を繰り返す四葉のやり方。
好感度を下げさせようと必死な彼女に、風太郎は少し怒気を含ませて四葉に告げる。
「俺と一花が恋人になったこと、嫌なのか? そうならそうとはっきり言え。察してほしいだなんて、そんなのは甘えだ」
「っ……」
「悪いが今のお前に俺は認めてもらいたいとは思わない。お前がどうなろうがもう知らん。勝手にしろ」
「!!」
冷たい視線を向ける風太郎。好きの反対は無関心とはいうが、こんなにも心に刺さるものなのか。もはや四葉は声を出すことすらできない。
「…………」
どうすればいいのかわからない。このままでは全てを失ってしまう。生徒でいることすら許されなくなるなんて、絶対に耐えられない。でも、四葉の頭に逆転の一手は浮かばない。
「……そうか。この期に及んでもまだ言う気がないのか。なら、しょうがねぇな」
どうして、どうしてこんなことに。風太郎に冷たい視線を向けられて、四葉は恐怖と黒い感情がごちゃ混ぜになる。
でも、いやだ。一花だけは、いやだ。認めたくない。結局、結論なんてこれだ。これだけは何があっても一貫している。
なんで昔君と一緒の時間を過ごした私より、私が過ごすはずだった風太郎君との時間を奪った、偽物の一花を選ぶの───
「三玖のこと、ありがとな。本当に、すごく感謝している。お前のフォローがなければ、三玖は俺のせいで、閉じこもったままだったかもしれないんだ」
拒絶の言葉かと思いきや、彼の口から紡がれるのは優しさが溢れる感謝の言葉であった。
「えっ……」
呆然とする四葉。攻め方を変えた風太郎としては、作戦が上手くいったことに密かにご満悦だ。
「探るようなこと言って悪かったな。お前だって思うことがあっただろうに、あいつのこと慰めてくれたんだろ? 一花から聞いたんだ」
「えっ、あれっ? なんで……?」
「それに関しては本当に感謝している。勉強はできなくても、それが全てってわけじゃない。人当たりの良さといい、葛藤を感じながらもなんだかんだ姉妹の心に寄り添える姿といい、その点はお前と一花は似てるよな。決定的に違う部分もあるけどよ」
「……私と、一花が……?」
「そして、ここで普段と違うお前の姿を見て、改めて確信したよ───久しぶりだな、四葉。この場所、一緒に歩いたよな」
「!?」
震えが止まったかと思いきや、またも心を乱される四葉。聞き間違えではないだろうかと疑問が生じ、確認を取る。
「上杉さん、私のこと……?」
「あぁ、思い出したよ。五年ぶりだな」
「あ───」
風太郎は平然としているが、四葉は感情の整理がつかない。なにもかもいきなりすぎる。
「どうしたよ。前みたいに、名前で読んでくれないのか? 感動かどうかはともかく、奇跡的な再開だろ。お前からしてみりゃ最近でもねぇけどよ」
「い、いつ、気づいたの……」
「お前たちがここに五年前来てたなら御守りのことを覚えてると踏んだが、案の定だった。四葉が買ってきてくれたって言葉を三玖から聞いて、正解にたどり着いた」
「あ……私……」
「過去にあった子がお前だってわかったおかげで、疑問に感じてたことが次々と判明したよ」
あまりにも情報が多すぎる。再度四葉は声も心も震え、自分がわからなくなっていた。自分が思い出の子だと風太郎が気づいてくれたことは、四葉にとってとても嬉しいことだ。
だけど、嫌な予感がする。自分が過去に出会った女の子だと知られること。それは、つまり。
当然、指摘されるであろう今と昔の自分のかけ離れた姿。風太郎との約束を破ったことが知られてしまうのだ。これでは嫌われる。
実際、約束の少女と再開したというのに風太郎の表情は喜びに満ちてなどいない。
「まぁそんなことはいい。今日話したいことは一花とのことだけじゃない。ずっと、お前に言ってやりたいことがあったんだ」
「……や、やだあっ! いやだよぉっ! 聞きたくないっ!!」
「お前に拒否権はねぇよ。今までずっと嘘ついて逃げ続けた罰だ。聞かないで逃げるっていうなら親父さんに言って、今日から生徒は四人にしてもらう。お前はいらない」
「ううっ……どうして……」
「ったく、本当にどうしようもねぇやつだな。俺が言うことなんてわかってんだろ。さっきと同じだ」
しゃがんで頭を抱える四葉。心は恐怖に震えている。
(いやだ、やめてよ風太郎君。私はなにも悪くないの。一花が最初からちゃんとお姉ちゃんでいてくれれば、私はあんな馬鹿なことしなかったのに。特別になりたいだなんて、思わずにすんだのに!!)
悪いのは一花。全部一花のせいだ。だからお願い、私を嫌いにならないで、幻滅しただなんて、言わないで───
「四葉。俺に戦う理由を、目標をくれて、ありがとう。あの時の空っぽだった俺の心を満たしてくれたのは、お前との出会いだ」
風太郎は真っ直ぐに、憧れの少女への感謝を伝える。怒りや苛立ちなどはまったく見られない。
「え……なん、で……」
しゃがんだまま風太郎を見上げる四葉。完全に嫌われると思っていた。ずっとひとりで頑張り続けていた風太郎を見て、四葉は成長していない自分が恥ずかしくなったのだ。だからこそ、言えなかった。真相を知られたら、幻滅されるだろうと思ったから。
手を差し伸べてくれる風太郎の手を取り四葉は立ち上がる。そして、純粋な疑問を口にする。
「どう、して……私……」
「悪かったな、同じような意地悪を繰り返して。それに、気づけなくてすまなかった。でも、なんでずっと黙ってたんだよ」
「……嫌われると、思って……」
「なんだよ、そんなこと気にしてたのか? お前、そんなこと気にするやつじゃねぇだろ。だってお前、誇らしげにゼロ点のテスト見せてきたじゃねぇか」
「あっ……」
「それなのに、俺だと気付いて呼び方変えるあたり、そういったところは臨機応変なんだな。嘘は苦手を自称してるわりに、食えないやつだぜ」
「─────!」
しかし、浴びせられるのは容赦ない風太郎の指摘。その口調は軽いもので、彼に悪意はない。だが、風太郎の言葉で四葉は気がついてしまった。
(そっか。私、私は……)
自分の姉妹や風太郎へ抱いていた想いと行動があまりにも不一致で、言葉では説明できないほどに支離滅裂であることに。
(いつもいつも、自分のことだけ───)
姉妹のために生きるといいながら、アパート暮らしを支えることなく、一花に家賃の五等分を提案されるまで何もしなかった。
自分が原因で転校することになったのに、反省せずに部活の助っ人を繰り返した。
風太郎に悪く思われたくないがために、隠し事をいくつも重ねた。
姉妹が家出して大変な時に、彼女たちの仲を取り持つことなく自分の目的だけを果たさんと単独行動を実行した。そして自分が拒絶したくなかったから、五月に嫌な役を押し付けた。
一花を励ましておきながら、意味不明な理由で三玖のみを贔屓した。
風太郎を諦めておきながら、彼の特別になってはいけないと考えておきながら、自己満足のためだけにあの鐘の下で、口付けを───
(あ、あぁ─────)
ついに、少女は自分の心の歪みを自覚する。中野四葉という少女が一貫していたのは自分だけが満たされたい、傷つきたくない。自己保身と、自己顕示欲だ。そのためならば信念などいとも簡単に曲げる。
自身より姉妹が幸せになるべきだと考えているはずなのに、自己顕示欲を満たせる、あるいは自分が心の底で望んでいる、都合の良い展開になるとすぐ誘惑に負ける。一方で直面したくない現実とぶち当たる、もしくは都合の悪い展開になると、自分のことは棚にあげて、自己保身に走る。
自制心なんてかけらもない、自分のしたいこと、心を守ることが最優先。それが、中野四葉という少女なのである。
(だから、ここでも部活の助っ人を繰り返して……自分で風太郎君と向き合わないで、五月に嫌な役を押し付けて……それなのに家族旅行の最後は、あんなこと……)
姉妹のために生きるなんて、他の姉妹が自分より幸せになるべきだなんて、綺麗事以前に嘘っぱちだ。そうでなければ四葉は自身の行動との矛盾を説明できない。
風太郎に悪く思われたくないために彼の前で良い顔をして、後ろめたいことを隠す。そのためなら時には五月すら利用する。四葉が一花に当てはめていたものは、自分にも当てはまるものであることを知ってしまった。
もう、限界だった。
「……ごめん、なさい……」
罪悪感で心を打ちのめされた四葉。涙をこぼし、風太郎へと謝罪する。
「ちょっ、どうしたんだよ」
「あのね……私、約束、守れなかった……守ろうとも、しなかった。勉強で結果を残せなかったから、本当は前の学校でも部活の助っ人ばかりしてた。努力なんてしなくても結果を残せるから、それでみんなが讃えてくれるから、とても気持ちよかった」
「!」
「それなのに、私……みんなのこと、見下してた。運動の才能に恵まれてる自分だけが特別なんだって、信じて疑わなかった」
「マジかよ。努力で手にしたものなのかと思ってたけど違うのか。あと、観覧車で教えてくれたあの過去には、嘘が混じっていたってことか」
「っ……」
四葉は正直に自分の過ちを打ち明ける。もはや抵抗する気力もない。だってそれが事実だ。自分のついた嘘を思い返すだけで、頭がおかしくなりそうだった。
「……うん、私、前の学校じゃ勉強なんて一切してない。部活で結果を出したから優遇してくれると思い込んで、特例で追追試まで受けさせてもらったのに……結局そこでも勉強しないで、みんなを退学に巻き込んだ。これが、真実……です」
「はぁ……ホントお前、前からやりたい放題だったんだな。そんな失敗をやらかしておいて、ここでもまた助っ人とか……どんだけ馬鹿なんだよ、お前。反省は口だけだろって疑われてもしかたねぇぞ」
「ごめん、なさい……」
「……まったく。てっきりお前が最初に変わってくれたのかと思ってたけど、実際は単に知ってるやつだったから、お前はやる気だったってことなんだな。反省したのかと思いきや、結局変わってもねぇし。俺も大概節穴だが、お前にも驚かされてばかりだぜ」
風太郎は完全に呆れている。てっきり四葉には姉妹への罪悪感ゆえに枷があるのだと思っていたばかりに、自分の考える力のなさを自虐風に嗤うことしかできなかった。これも、人と関わることを無駄と断じて切り捨てていた自分が馬鹿だったからであろうと、風太郎も反省する。
だが、四葉はそれ以上に沈み切っていた。すべてを打ち明け、醜い自分を晒した一花。一方恥ずかしさから自分を誤魔化し続け、嘘を隠し通そうとした四葉。この差はなんだ。どの口で一花の評価を下げようとしていたのか。
(もう、やだ……どうして、こんな……)
一花を悪く言える資格がなにひとつないことに気づいでしまった四葉は、もうこのまま消えてしまいたい衝動に駆られる。だがそれは風太郎が許さない。
嫌がらせがしたいだとかそんなわけではなく、落ち込んでいる恩師を、放っておくことなどできるわけがないのだ。
「四葉。だけど俺は、そんな馬鹿なお前に憧れたんだ。悩まされることもあったが、助けられもした。そしてそれはきっと、俺だけじゃない。お前の自己満足で、助けられた人がいるのもまた事実だ」
「え……」
「たとえ理想でないとしても、お前のおかげで今の俺があるんだ。俺だって嘘ついたことはあるんだし、別に嫌ったりなんてしねぇよ。だから……お前が俺たちを認めてくれるなら、これからも生徒でいてほしい」
「!」
だからこそ、そんな四葉へ風太郎は手を差し伸べる。人間はみな完璧ではない。どんな時も最適な行動を取れる人は存在しない。ただこの少女はどうしようもない馬鹿で、ちょっとどころではない程度に自分の感情に素直なだけだ。
「……いいの、風太郎、くん……私、こんなに、馬鹿なのに……全然学習しないで、何度も何度も、間違えたのに……」
「あぁ、お前だって大切な生徒のひとりだ。間違えない完璧な人間なんていねぇよ。でも、ちゃんと反省はしろよ? 試験とかと被ってない余裕ある時ならまだしも、今度見境なく助っ人かましたら、もう知らないからな。教師は自分から辞めてやる」
「っ……うん、わかった。ちゃんと、みんなに相談とかをしてからにする。もう絶対に、自分の勝手だけで決めたりしない」
「おう、絶対だぞ。お前のわがままで心配するやつがいるってことを、絶対に忘れんなよ。俺だってその一人なんだ。どうか、この約束だけは守ってほしい」
自分の意思で決めてそれを実行に移すという有言実行の精神は、本来ならばとても立派なことだ。しかし四葉は得意分野で人助けをしているせいか、それにおいては自己評価が高いのだろう。ゆえに自分ならできるという、慢心があると風太郎は考えている。
それで勉強と両立ができているならまだしも、完璧にこなしているとは言い難い。そしてなにより、姉妹のために生きると言っていた彼女は、自分のエゴで姉妹が割りを食っていることに気づいていない。そこが大問題なのだ。
(姉妹より特別になりたいと意識するあまり、結果的に姉妹軽視で自分に甘いのが、四葉の本質なんだろう。それは百歩譲っていいんだが、その認識をこいつが持っているかが重要だ)
別に姉妹のために生きるという決意など四葉が勝手に決めただけなのだから、曲げたって構わない。そもそも彼女の行動からして、常にその精神に則っているとはお世辞にもいえない。
それならそれでいいのだが、だからといって全てがそのままでいいわけがない。大切な存在であるからこそ、良くないところははっきり良くないと指摘するべきだ。
四葉に枷など初めからなかったことを理解した風太郎は、お灸を据える意味合いも込めてさらなる彼女の隠し事を暴かんとする。
「あと四葉、この際だからもうひとつ───この前の家族旅行で最後に俺のところに来た五月、お前だろ」
「!? あ、あれは───」
「やっぱお前か。あの時は何しに来たんだよ。何も言わずにすぐどっか行っちまうし」
「………………呼びに、いったんだけど……私も、見分けてほしかったから……その気持ちが、強くなっちゃって……」
「……ったく。お前、ホント我慢できねぇやつだな。無言であんな顔近づける意味あったかよ。呼びに来たっつうのに声もかけねぇし。相変わらずお前はめちゃくちゃだ」
「ホント、ごめん……嫌だった、よね……」
「別に嫌じゃねぇよ、事故だと思ってるし。……まぁ、お前に対する印象は変わったがな。悪いが、お前は五つ子の中で一番の問題児に加えて一花以上の大嘘つきだ。陰でやることやってておきながら応援するって言って、何食わぬ顔で居続けるなんてとんでもないやつだぜ」
「うぅ……返す言葉も、ないです……」
俯いたまま、細々と返す四葉。敬語に戻る当たり反省はしているのだろうが、言動と行動が一貫していないその立ち居振る舞いは、五つ子の中で最もタチが悪いという結論を出さざるを得ない。
だが、もうこれくらいでいいだろう。十分に戒めさせた。今の自分を形づけてくれた四葉を、風太郎が嫌いになることはないのだから。
「それでも、俺のお前への感謝の気持ちは揺るがない。お前の心が晴れるまで、何度だって伝える。お前とあの時出会わなかったら、俺は今も腐ったままだった。そして、理想としてた自分になれたんだ。お前たちと出会うまで俺の行く道を照らしてくれたのは、他でもない四葉なんだよ」
「……!」
「だから、お前にも……ほらよ。誕生日プレゼントだ」
「えっ……」.
改めて告げる感謝の気持ち。風太郎にとっての原点は四葉との出会いなのだ。それを示すために、ショッピングモールで買ったプレゼントを渡す。
「これ、ボール?」
「あぁ、握力を鍛えられるやつだ。これなら勉強中の片手間にも運動ができるだろ。息抜きとしても使えると思う。いや、お前が満足できるかはわからんが……」
「っ……!」
四葉は運動が好きではあるが、身体を鍛えることには関心はない。だがプレゼントの内容なんて関係ない。嫌われてないという感情が、四葉の心を満たす。そんな安心感から、四葉の涙腺は決壊してしまう。
「……ぐすっ、ひぐっ……風太郎君……ごめん、なさい……散々嘘ついて、迷惑かけて……約束、守れなくて……ごめんなさい……」
「あぁもう、泣くなよ。気に病むことなんてないって。欲に忠実なのがお前たち五つ子だって、俺は学んだんだ。嫌いになんてならねぇし、怒ってもねぇよ。それに、約束のことなんてもう気にしなくていい。だって……」
「……?」
くしゃくしゃに顔を歪ませている四葉。それでも、本当に四葉が気にすることはないのだ。風太郎も裏切られたなどとは微塵も思っていない。
なぜならかつて彼女が果たせなかった約束はすでに、長女である一花が、達成しているに等しいのだから。
「いや、なんでもない。とにかく、俺はお前と出会えてよかった。俺が自分を誇らしく思えるようになったのは、心から守りたいと思える大切な人ができたのは、四葉の支えがあってこそだ。だから───ありがとう」
「っ……風太郎、君……」
だが、それを四葉に話すのは無粋だ。言葉を取り消し、風太郎は感謝を伝える。
四葉も泣き止み、自分を取り戻したようだ。
「風太郎君、聞いて……」
そして伝えられる、決意表明。涙を浮かべながらも、決して目を逸らさずに。
「まだ、諦めたわけじゃない……私にだって、できることがある! 勉強して卒業して大学入って、そして───」
本気の想いを示さんと、自分のこれからを見てほしいと、心に響かせるように風太郎へ叫ぶ。
「お金を稼げるように、風太郎君に、みんなに、お母さんに胸を張れるような私を目指して───君との約束、果たしてみせる! だって、誰よりも私が、一番長く君を好きでいたんだから!!」
四葉だってわかっている。今更だということも、その約束は奇しくも警戒していた姉に果たされてしまったことも。
だが、もう大事なことだけは見失わない。自己保身に走る姿を見てもなお、風太郎は感謝を示してくれた。その信頼を裏切りたくない。それが四葉が風太郎に示す事のできる、最大の誠意なのだ。嘘ばかりの四葉でも、この気持ちは本物である。
「そうかよ、じゃあ戻るぞ」
ぶっきらぼうな言い方ではあるが、決して仏頂面ではない。四葉の成長を、風太郎は嬉しく感じている。
(……やっぱ一花とこいつ、どこか似てるよな。自制心の緩さはこいつの圧勝だが)
風太郎は思わずにはいられない。もしこのまま四葉の本心に気づかなかったら、一花がアプローチを仕掛けてこなかったら、自分はこの少女に惹かれていたであろうことを予想する。四葉の発言から、彼女には枷があると自分がないものと思っていた。それに、家族旅行でのキスでどこか彼女を特別に感じた節があるのは事実なのだ。
そんなことを思い返しながら風太郎が歩いていると、後ろから四葉が声をかけてきた。
「そうだ、待って、風太郎君」
「……ん? なんだよ」
「最後にひとつ、教えてあげる。私たちが出会った五年前のあの日の、もうひとつの真実」
「? 真実?」
「うん。あのね、風太郎君と旅館で会って遊んでたのは、実は───」
◇
風太郎と共にホテルへと戻る四葉。初恋が叶わなかったことに、悔しい気持ちがないわけではない。しかし、過去に出会った少女がもうひとり別にいることを告げた時の風太郎の嬉しさが滲み出ている顔を見ていたら、そんな感情は吹き飛んでしまった。
(そっか、これが───)
結局のところ、好きという気持ちは抑えられなかった。年明けのアパートでの、クリームに気がついての頬へのキス。そして、呼びに行くという面目で誰も知らない場所での、五月の姿でのキス。本当に口だけで、自分は何も変わっていなかったと思い知らされる。
しかし、ようやく四葉は、愛を学んだ。好きな人の笑顔が、心から嬉しい。
(私、全然我慢なんてしてない。いつでもどこでも、自分が大好きなままなんだ。五つ子の中で特別でありたい、その気持ちは変わってなかったんだ)
十八年間そのままだったスタイルを、変えることは難しいだろう。でも、これからは違う。
(でも、特別になれればいいってわけじゃない。私だって風太郎君が好き。だからこそ、私は───)
失恋したのに、満たされている。本当は迷いがありながらも応援すると彼に言った、あの時とは違う。心に宿る愛は、四葉をひとつ大人にさせた。
(風太郎君、一花。幸せになってね)